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旅の最終日は、白鬚神社と北小松を訪れる。北小松は、琵琶湖に面した小さな漁港であり、『街道をゆく』において、最初に司馬遼太郎氏が最初に足跡を残した場所である。ある意味、今回の旅で、一番楽しみにしていた場所でもある。白鬚神社は、近江最古の神社であり、こちらについても、『街道をゆく』の中で言及されている。<br /><br />(2024.04.27投稿)

『街道をゆく』を行く・西近江【3】~北小松~

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2024/03/31 - 2024/03/31

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旅猫

旅猫さん

旅の最終日は、白鬚神社と北小松を訪れる。北小松は、琵琶湖に面した小さな漁港であり、『街道をゆく』において、最初に司馬遼太郎氏が最初に足跡を残した場所である。ある意味、今回の旅で、一番楽しみにしていた場所でもある。白鬚神社は、近江最古の神社であり、こちらについても、『街道をゆく』の中で言及されている。

(2024.04.27投稿)

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
グルメ
4.0
交通
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス 新幹線 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 近江今津駅を8時8分に出る普通列車に乗車。新旭、安曇川を過ぎ、近江高島駅には11分で到着した。途中の新旭駅には多くの史跡があると共に、酒蔵もあるので、いつか訪れてみたい場所である。

    近江今津駅を8時8分に出る普通列車に乗車。新旭、安曇川を過ぎ、近江高島駅には11分で到着した。途中の新旭駅には多くの史跡があると共に、酒蔵もあるので、いつか訪れてみたい場所である。

  • 駅から白鬚神社へは、予約制の乗合タクシーで向かう。時間まで少し間があるので、近くにある大溝城跡を観に行くことにする。途中には、初代大溝藩主分部光信を祀る社だそうだ。分部家は、江戸時代を通してこの地を治めたことから、有志の人たちが、明治になって建立したそうである。

    駅から白鬚神社へは、予約制の乗合タクシーで向かう。時間まで少し間があるので、近くにある大溝城跡を観に行くことにする。途中には、初代大溝藩主分部光信を祀る社だそうだ。分部家は、江戸時代を通してこの地を治めたことから、有志の人たちが、明治になって建立したそうである。

  • 駅前にあった地図を頼りに歩いたが、城跡ではなく、港に出てしまった。どうやら、道を間違ったようである。その片隅には、万葉歌碑が置かれていた。「大御船 泊ててさもらふ 高島の 三尾の勝野の 渚し思ほゆ」とある。この港が、かつて天智天皇が風待ちをしたという勝野の湊とされているからだそうだ。今は、大溝港と呼ばれている。

    駅前にあった地図を頼りに歩いたが、城跡ではなく、港に出てしまった。どうやら、道を間違ったようである。その片隅には、万葉歌碑が置かれていた。「大御船 泊ててさもらふ 高島の 三尾の勝野の 渚し思ほゆ」とある。この港が、かつて天智天皇が風待ちをしたという勝野の湊とされているからだそうだ。今は、大溝港と呼ばれている。

  • 結局、大溝城跡は見つからず、駅へと戻る。その途中で、旧高島町のマンホールを見つけた。描かれていたのは、町の樹である『松』と町の花である『菊』。そして、何故か町の象徴としての『ガリバー』である。

    結局、大溝城跡は見つからず、駅へと戻る。その途中で、旧高島町のマンホールを見つけた。描かれていたのは、町の樹である『松』と町の花である『菊』。そして、何故か町の象徴としての『ガリバー』である。

  • 8時50分発の乗合タクシーがやって来た。乗客は私だけである。車は、湖畔沿いの国道を南下して行く。正面には、比良山系南部の山並みが見えている。蓬莱山のようだ。

    8時50分発の乗合タクシーがやって来た。乗客は私だけである。車は、湖畔沿いの国道を南下して行く。正面には、比良山系南部の山並みが見えている。蓬莱山のようだ。

  • 湖畔側にはバス停が無いので、一旦白鬚神社の前を通り過ぎ、かなり走ってから折り返し、15分ほどで白鬚神社バス停に着いた。神社は、そこから歩いて2,3分であった。境内に入ると、驚くほどに人が多く、駐車場には観光バスまで停まっていた。

    湖畔側にはバス停が無いので、一旦白鬚神社の前を通り過ぎ、かなり走ってから折り返し、15分ほどで白鬚神社バス停に着いた。神社は、そこから歩いて2,3分であった。境内に入ると、驚くほどに人が多く、駐車場には観光バスまで停まっていた。

  • その理由は、沖に立つ鳥居である。その風景を求めて、多くの人が訪れるようになった。実はこの鳥居、かつてはもう少し手前にあったそうだ。国道の拡幅工事のため、沖に移設したそうである。以前は、国道を無理に渡る人がいあたが、今は展望台が出来、安全に風景を楽しむことが出来るようになった。

    その理由は、沖に立つ鳥居である。その風景を求めて、多くの人が訪れるようになった。実はこの鳥居、かつてはもう少し手前にあったそうだ。国道の拡幅工事のため、沖に移設したそうである。以前は、国道を無理に渡る人がいあたが、今は展望台が出来、安全に風景を楽しむことが出来るようになった。

  • 多くの人は鳥居と琵琶湖の景色を観るだけだが、こちらは神社が目的である。現在の社殿は、豊臣秀頼により、慶長年間に整備されたものである。よく見ると、豊臣家の家紋である五七桐が瓦に施されている。

    多くの人は鳥居と琵琶湖の景色を観るだけだが、こちらは神社が目的である。現在の社殿は、豊臣秀頼により、慶長年間に整備されたものである。よく見ると、豊臣家の家紋である五七桐が瓦に施されている。

  • 拝殿の左手には、寛永元年(1624)に建てられた旧拝殿を利用した絵馬殿があり、その後方に若宮神社が鎮座する。その背後の山の中腹には、摂社などが立ち並ぶ場所が二段になって設けられていた。境内には、紫式部の歌碑や場所の句碑などがあり、かつては風光明媚な場所であったようだ。

    拝殿の左手には、寛永元年(1624)に建てられた旧拝殿を利用した絵馬殿があり、その後方に若宮神社が鎮座する。その背後の山の中腹には、摂社などが立ち並ぶ場所が二段になって設けられていた。境内には、紫式部の歌碑や場所の句碑などがあり、かつては風光明媚な場所であったようだ。

  • 山の中腹には、古墳群がある。その中に、小さな社があった。岩戸社である。横穴式の石室を天の岩戸に見立てているそうだ。中を覗くと、確かに石室がある。しかし、これは御神体ではなく、文化財ではないだろうか。

    山の中腹には、古墳群がある。その中に、小さな社があった。岩戸社である。横穴式の石室を天の岩戸に見立てているそうだ。中を覗くと、確かに石室がある。しかし、これは御神体ではなく、文化財ではないだろうか。

  • そのすぐ近くには、磐座もあった。かつては、この岩が信仰の対象だったのだろう。古代、この国では自然物に神が宿ると信じ、山や岩、滝などを崇めていた。しかし、渡来人が増えるに連れ、社殿を立て、さらには神話が生まれることになる。個人的には、アイヌのような自然崇拝がしっくりと来る。そのためか、磐座には不思議と引き寄せられるものがあるのだ。

    そのすぐ近くには、磐座もあった。かつては、この岩が信仰の対象だったのだろう。古代、この国では自然物に神が宿ると信じ、山や岩、滝などを崇めていた。しかし、渡来人が増えるに連れ、社殿を立て、さらには神話が生まれることになる。個人的には、アイヌのような自然崇拝がしっくりと来る。そのためか、磐座には不思議と引き寄せられるものがあるのだ。

  • 1時間ほど滞在し、10時6分発の乗合タクシーで高島駅へ戻る。10時26分発の列車に乗る予定であったが、やはり大溝城跡が気になるので、探すことにする。見つけたそこは、空き地のようであった。その中に小高い場所があり、僅かに石垣が残っていた。この場所が、大溝城の本丸であり、天守台の石垣も残っていた。

    1時間ほど滞在し、10時6分発の乗合タクシーで高島駅へ戻る。10時26分発の列車に乗る予定であったが、やはり大溝城跡が気になるので、探すことにする。見つけたそこは、空き地のようであった。その中に小高い場所があり、僅かに石垣が残っていた。この場所が、大溝城の本丸であり、天守台の石垣も残っていた。

    大溝城跡 名所・史跡

  • 10時38分発の列車で、ひとつ隣の北小松駅へと向かう。

    10時38分発の列車で、ひとつ隣の北小松駅へと向かう。

  • ホームからは、北小松の街と琵琶湖が望めた。以前、誰かが描いた水彩画が美しかったので楽しみにしていたのだが、高速道路の工事が進み、駅と街の間が切り離され、景色が悪くなっていた。

    ホームからは、北小松の街と琵琶湖が望めた。以前、誰かが描いた水彩画が美しかったので楽しみにしていたのだが、高速道路の工事が進み、駅と街の間が切り離され、景色が悪くなっていた。

  • 歩き始めると、すぐに旧志賀町のマンホールに出会った。比良連峰と琵琶湖に浮かぶヨット、そして町の花であった石楠花が描かれている。

    歩き始めると、すぐに旧志賀町のマンホールに出会った。比良連峰と琵琶湖に浮かぶヨット、そして町の花であった石楠花が描かれている。

  • 工事中の高速道路に沿って南へと歩いて行くと、長い参道のある神社があった。そこでお邪魔する挨拶をすることにする。しかし、参道を高速道路が横切るため、参道脇の樹々は伐採され、無粋な橋脚が立っていた。経済効果がどうのこうのと言うが、通過される町にしてみれば、景観が悪くなるばかりではなく、かえって寂れるだけである。

    工事中の高速道路に沿って南へと歩いて行くと、長い参道のある神社があった。そこでお邪魔する挨拶をすることにする。しかし、参道を高速道路が横切るため、参道脇の樹々は伐採され、無粋な橋脚が立っていた。経済効果がどうのこうのと言うが、通過される町にしてみれば、景観が悪くなるばかりではなく、かえって寂れるだけである。

  • その社は樹下神社と言うが、明治以降の名であり、かつては十禅師社と呼ばれていたそうだ。日吉神社に繋がりがある。大津を中心に、滋賀県内には多く存在する社だそうだ。

    その社は樹下神社と言うが、明治以降の名であり、かつては十禅師社と呼ばれていたそうだ。日吉神社に繋がりがある。大津を中心に、滋賀県内には多く存在する社だそうだ。

  • 鎮座する場所は、かつて古墳があった場所で、社殿下からは石棺が発掘されたそうだ。その石棺は、境内に保存されていた。

    鎮座する場所は、かつて古墳があった場所で、社殿下からは石棺が発掘されたそうだ。その石棺は、境内に保存されていた。

  • 参拝後、参道を戻り、さらに先へと進む。辺りは長閑な景色が広がり、春の気配が漂っている。

    参拝後、参道を戻り、さらに先へと進む。辺りは長閑な景色が広がり、春の気配が漂っている。

  • しばらく歩くと、琵琶湖の畔に出た。白い砂浜と穏やかに打ち寄せる波。余りにも広い琵琶湖は、まるで海のようである。湖畔の景色は変わってしまったであろうが、琵琶湖は古の都人が歌に詠んだ頃と、あまり変わらないのかもしれない。それほどに美しいのである。

    しばらく歩くと、琵琶湖の畔に出た。白い砂浜と穏やかに打ち寄せる波。余りにも広い琵琶湖は、まるで海のようである。湖畔の景色は変わってしまったであろうが、琵琶湖は古の都人が歌に詠んだ頃と、あまり変わらないのかもしれない。それほどに美しいのである。

    北小松水泳場 ビーチ

  • しかし、その美しい風景を愛でるのも、最近は難しいようである。ここでも、湖を利用した遊びが流行っているようで、静けさを壊すように歓声が響き渡り、水上バイクの轟音が鳴り響く。日本人の美意識は、どこへ行ってしまったのか。それにしても、湖畔から眺めていると、あまりにも滑稽な姿である。あれでは、景色どころでは無いだろう。

    しかし、その美しい風景を愛でるのも、最近は難しいようである。ここでも、湖を利用した遊びが流行っているようで、静けさを壊すように歓声が響き渡り、水上バイクの轟音が鳴り響く。日本人の美意識は、どこへ行ってしまったのか。それにしても、湖畔から眺めていると、あまりにも滑稽な姿である。あれでは、景色どころでは無いだろう。

  • こちらは波打ち際の美しい光景をしばし眺める。かつて、琵琶湖は汚れていたのだが、ここでは、水は澄み、景勝地の海岸のようである。

    こちらは波打ち際の美しい光景をしばし眺める。かつて、琵琶湖は汚れていたのだが、ここでは、水は澄み、景勝地の海岸のようである。

  • 湖畔沿いの道を、今度は北へと歩いて行く。集落の中には、幾筋かの水路が流れ、石組で囲われている。これが、北小松の集落に潤いを与えているようだ。石組については司馬氏も言及しているが、これとは別のものだと思う。もう少し山側の暗渠構造の部分のようだ。

    湖畔沿いの道を、今度は北へと歩いて行く。集落の中には、幾筋かの水路が流れ、石組で囲われている。これが、北小松の集落に潤いを与えているようだ。石組については司馬氏も言及しているが、これとは別のものだと思う。もう少し山側の暗渠構造の部分のようだ。

  • 北小松の中心らしい場所に出た。かつては、西近江路の宿場があったそうだが、街道筋の風情はあまり残っていない。

    北小松の中心らしい場所に出た。かつては、西近江路の宿場があったそうだが、街道筋の風情はあまり残っていない。

  • 脇道に入ると、板塀に囲われた大きな建物があった。琵琶湖で撮れる小魚から佃煮などを製造する工場らしいが、現役なのかはわからない。

    脇道に入ると、板塀に囲われた大きな建物があった。琵琶湖で撮れる小魚から佃煮などを製造する工場らしいが、現役なのかはわからない。

  • その先に、小さな漁港があった。北小松漁港である。とは言え、漁港と呼ぶにはあまりにも小さく、司馬氏が訪れた時ですら、現役の漁師は少なかったようだ。その漁港を守るように、石組の突堤があった。司馬氏が観たのは、この石組であろうか。他にも三ヶ所ほどあるらしい。

    その先に、小さな漁港があった。北小松漁港である。とは言え、漁港と呼ぶにはあまりにも小さく、司馬氏が訪れた時ですら、現役の漁師は少なかったようだ。その漁港を守るように、石組の突堤があった。司馬氏が観たのは、この石組であろうか。他にも三ヶ所ほどあるらしい。

  • 漁港の先も浜となっていた。北小松は、観光とは無縁の街なので、地元の人以外には会わなかった。ただ、最近は、自転車で湖畔を走ることが流行っているらしく、自転車に乗った人が通り過ぎるのを何度か見た。

    漁港の先も浜となっていた。北小松は、観光とは無縁の街なので、地元の人以外には会わなかった。ただ、最近は、自転車で湖畔を走ることが流行っているらしく、自転車に乗った人が通り過ぎるのを何度か見た。

  • 国道との合流点まで来たので、そこから旧道沿いに引き返すことにした。道沿いには、木造瓦屋根の民家や、かっては茅葺屋根であっただろう民家なども観ることが出来る。

    国道との合流点まで来たので、そこから旧道沿いに引き返すことにした。道沿いには、木造瓦屋根の民家や、かっては茅葺屋根であっただろう民家なども観ることが出来る。

  • 大きな民家もあり、なかなかの風情である。

    大きな民家もあり、なかなかの風情である。

  • 途中で駅の方へと曲がる。その先は、水彩画でとても風情のあった場所なので行ってみる。ところが、絵では両側にあった古い民家は片側だけとなり、一方は真新しい大きな施設となっていた。

    途中で駅の方へと曲がる。その先は、水彩画でとても風情のあった場所なので行ってみる。ところが、絵では両側にあった古い民家は片側だけとなり、一方は真新しい大きな施設となっていた。

  • 裏道を辿り、駅前に出た。ちょうど昼時なので、駅前にあった和食の道へ入ったが、混んでいて料理が出るまで時間が掛かるという。仕方が無いので、近くにあった喫茶に入る。食事はパスタが2種類だけであったが、ナポリタンとオレンジジュースをいただくことにした。客は私だけだったので、列車の時間まで店の方との会話を楽しんだ。

    裏道を辿り、駅前に出た。ちょうど昼時なので、駅前にあった和食の道へ入ったが、混んでいて料理が出るまで時間が掛かるという。仕方が無いので、近くにあった喫茶に入る。食事はパスタが2種類だけであったが、ナポリタンとオレンジジュースをいただくことにした。客は私だけだったので、列車の時間まで店の方との会話を楽しんだ。

    カフェ ひろせ グルメ・レストラン

  • 12時26分発の列車に乗り、西近江を後にする。そして、京都駅で乗り換え、13時16分発の『のぞみ376号』に乗り、今回の旅を終える。急遽前倒して訪れた西近江。かなり地味な場所ばかりであったが、旅先としては悪くなかった。『街道をゆく』で司馬遼太郎氏が訪れた場所を歩くことが出来、感慨深いものもあった。足を運べなかった場所もあったので、いつか再訪したいものである。

    12時26分発の列車に乗り、西近江を後にする。そして、京都駅で乗り換え、13時16分発の『のぞみ376号』に乗り、今回の旅を終える。急遽前倒して訪れた西近江。かなり地味な場所ばかりであったが、旅先としては悪くなかった。『街道をゆく』で司馬遼太郎氏が訪れた場所を歩くことが出来、感慨深いものもあった。足を運べなかった場所もあったので、いつか再訪したいものである。

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この旅行記へのコメント (8)

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  • 前日光さん 2024/05/02 16:41:15
    西近江の旅
    旅猫さん、西近江の旅を興味深く拝読させていただきました。
    そぞろに行ってみたい気分を、刺激されるところです。
    司馬さんも「街道をゆく」の旅の最初に「近江」というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、私には詩がはじまっているほど、この国が好きである」と仰っていますね。
    かくして「近江からはじめましょう」という一言で、「街道をゆく」の旅が始まっています。

    朽木街道を敗走した織田信長、それを護衛した朽木元網、また歴史上には格別その名を轟かすことのなかった足利12代将軍義晴、彼が住んだ興聖寺、眺めたであろうその庭の石組と古木、しみじみと胸に沁みます。
    いい旅をされましたね。
    泊る場所と交通の便には、やや難儀されたようですが、旅の真髄という感じがしました。


    前日光

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/05/03 12:50:04
    RE: 西近江の旅
    前日光さん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    久しぶりに『街道をゆく』を読み返していたら、無性に西近江に行きたくなり。
    若いころに読んだ時も、歴史好きだったので興味深かったのですが、今読んでみると、当時よりも感じ方が異なり、面白かったです。

    朽木には、信長が隠れたと言う岩があり、最近道が整備されたので訪れてみたかったのですが、集落から離れていたので諦めました。
    朽木は、鉄道や主要道から外れた山間の集落ですが、かつては若桜と京の都を結ぶ重要な道にあった職場なので、かなり賑わったようですね。
    今となっては、それを感じることは難しい状況ですが。
    足利将軍の足跡や朽木氏の遺跡などを観ると、歴史に思いを馳せることが出来ます。

    西近江は、交通が不便なのと宿が確保しづらいのが難点ですね。
    でも、また訪れてみたいと思いました。

    旅猫
  • jijidarumaさん 2024/04/30 20:01:10
    志賀?或いは滋賀?
    旅猫さん、
    今晩は。いつも楽しく拝読しております。

    北小松は近江舞子の先ですね。
    旅猫さんが好まれそうな町の佇まいです。
    それでも、確かに司馬さんが書いて無ければ、こうして訪れる方もいないような町にみえます。時の流れに逆らえないのは寂しいものですけど。

    白鬚神社、湖中に立つ鳥居、かつて古墳や宿場町、日本の田舎は風情があって良いですね。
    最後には和食に酒が出て来るかと思えば、ナポリタンとオレンジジュースで少々意外でしたよ。

    司馬さんの『街道をゆく』、学生時代にシリーズは読みましたが、司馬文学などの書籍ももう読書好きの次女に下げ渡し、私の本棚から無くなりましたので、どんな内容だったか?

    大阪に単身赴任中(5年ほど)、家内の来阪に合わせ各地を巡りました。
    近江というと坂本(比叡山観光から降りて見物した)、近江舞子(会社の保養施設があった)、彦根(彦根城)、長浜(長浜城)、竹生島観光・・・コンパで歌った「琵琶湖周航の歌」といった事が浮かびます。

    それにしても<志賀旅行記の範疇>になっているのは、不思議ですね。
    志賀は滋賀の誤りかと思いますけど、近江舞子の手前に志賀駅がありました(笑)。

    それではまた。
    jijidaruma

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/04/30 22:29:29
    RE: 志賀?或いは滋賀?
    jijidarumaさん、こんばんは。

    書き込みありがとうございます。
    北小松は、観光地ではなく、普通の集落と言った佇まいですね。
    司馬さんが訪れたから、少しは名が知れていると云ったところです。
    当時は弁柄格子の町家などがあったそうですが、今は高速道路の建設が進み、大きく変貌しています。

    和食の店に入ったものの、混んでいたため諦めました。
    他に店が無かった上に、パスタしかなく。。。

    『街道をゆく』は、最近、また読み返していて、前よりも興味深く読み込んでいます。
    おかげで、その足跡を辿ってみたくなった次第です。

    近江と言えば、彦根、長浜が人気ですね。
    比叡山と絡めて坂本観光と言うのも定番。
    実は、坂本も大津も未踏の地です。

    小松は、かつて存在した志賀町の一部でした。
    志賀の名は、滋賀漢人(しがのあやひと)と呼ばれた渡来人が住み着いた土地だからだそうです。
    滋賀と言うのは、後世になって当てた美称のようなものですね。

    旅猫
  • ポテのお散歩さん 2024/04/27 21:27:29
    西近江
    旅猫さん こんばんは。

    高島は、ザゼンソウや彼岸花の群生地があったり
    白鬚神社があるので行きたい所です。

    白髭神社の鳥居に朝日が昇る様子を撮影し、その後 早朝のメタセコイア並木へ
    向かうと混雑していない写真が撮れます。
    その為、まだ薄暗い時間に国道を渡って湖側に行き、鳥居を撮る人が絶えません。
    映えスポットになってから交通事故が増え、神社側は何度も注意喚起をされて
    いましたが死亡事故も起き、数年前 撮影台が設置されました。

    撮影台から撮っても、どうしても国道を通る車が映るので
    未だに国道を渡る人がいるそうですが、事故は軽減されました。
    この冬は降水量が少なかったので琵琶湖の水位が下がり、
    鳥居の足元も見えていたようですが、旅猫さんが行かれた時は
    水位も元に戻り、鳥居が浮かんで見える景色が美しく
    波の音も聞こえて来そうです。

    映え写真を撮ろうとしている方は、白髭神社の社殿に背を向けて
    お詣りもそこそこに鳥居だけ写して去って行きますね(^-^;
    社殿の様子をお写真で拝見したのは初めてのような。。。
    私は何度か車で通り過ぎるばかりだったので、
    今度通る機会があればお詣りしたいと思います。

    北小松の和食屋さんは、お刺身が美味しいと人気があるようです。
    滋賀は海無し県ですが 近くに福井が控えているので、
    新鮮なお魚を食べさせてくれるお店があるのだとか。
    追々確認しに行きたいと思います(*^-^*)

      ポテ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/04/28 22:13:39
    RE: 西近江
    ポテさん、こんばんは。

    いつもありがとうございます。
    高島の座禅草は聞いたことがあります。
    マンホールの蓋に描かれるくらいなので、余程の規模なのでしょう。

    白鬚神社は、観光バスが来るほどの賑わいでした。
    しかも、多くの人は鳥居と琵琶湖の写真目当て。。。
    展望台は、終始人が群れていました。
    あの国道を渡るのは、危な過ぎますね。
    私がいた時は、誰も渡っていませんでした。

    それにしても、写真を撮るのは難しいですね。
    国道を通る車が切れても、柵があるので、どうしても湖の広がりが映りません。
    空が大きくなってしまうのが難点ですね。

    社殿は、豊臣秀頼によるもので、桐の紋を見つけるのもよいかなと。
    背後の山にある磐座も見所かと。
    歌碑や句碑なども多く、個人的には楽しめました。
    そうそう、岩戸社の石室もおすすめです。

    北小松のあの和食屋は、人気があるのですね。
    道理で混んでいたわけだ。
    北小松には、観光客が観る場所など無いのに、なぜ人がいるのが不思議でした。
    ちなみに、立ち寄った喫茶は、その和食店のお母さまの店でした。

    旅猫
  • pedaruさん 2024/04/27 13:43:46
    北小松
     旅猫さん こんにちは

     今回は特に聞きなれない地味な町を訪問されましたね。
    ところが、こういう町にこそ旅の醍醐味があるのでしょうか?司馬遼太郎の跡をたどっての旅だそうですが、それなりの収穫があったようですね。

     特に文化財でもないが、大きな日本家屋が生活の匂いをさせて、その土地を形作っているなんて、しみじみ旅に来た思いが身に沁みます。
    地味な町でもさすが都に近い土地、さりげなく歴史をものがたるものが点在するのですね。旅猫さんらしい旅行記でした。

     pedaru

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/04/28 21:57:37
    RE: 北小松
    pedaruさん、こんばんは。

    書き込みありがとうございます。
    北小松は、西近江でもかなり地味な場所だと思います。
    それこそ、『街道をゆく』を読まない限り、知り得ないかもしれません。
    司馬遼太郎氏が観たであろう景色や街並みを実際に辿るのは、なかなか楽しいです。
    もちろん、かなりの時が立ってるので、大きく変わった場所もありますが。
    この北小松も、司馬氏が訪れた当時は、まだ宿場町の風情が残っていたようです。
    今は、普通の住宅街になっていましたが、街道筋の残照は感じました。

    観光地では無いので、ある意味大規模な開発もされず、古い民家もそこかしこに残っていましたが、それでも、時代の流れには抗えないようです。
    町や神社を横切るように高速道路の建設が進み、すでに景観はかなり変わっています。
    それでも、今回の旅では、司馬氏の足跡を辿ることが出来たのは良かったです。

    旅猫

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