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暖冬だから今年は桜の開花が早いとの予報はどこへやら。3月中旬頃から雨の日が続き、気温も低い日が続いています。お天気の良い休日を待っていたら、青春18きっぷを使い切れないかも…と心配になってきました。そこで、曇り予報でもいいや…と、18きっぷ第3弾を強行することにしました。選んだのは、曇っていても気にならない群馬の遺跡めぐりです。<br /><br />本日の行程です。まずは普通電車を乗り継いでJR高崎駅へ。高崎駅からは市内循環バスの「ぐるりん」に乗って、井出町西バス停で下車。10分ほど歩いて、上毛野はにわの里公園内の古墳をまわります。その後、再び高崎駅に戻り、JR吾妻線の群馬総社駅で下車。群馬総社駅からは前橋市のシェアサイクル「cogbe」を使って、総社古墳群をめぐります。総社古墳群を見て回った後は、自転車で渋川市にある中筋遺跡を見に行き、また群馬総社駅に戻って自転車を返却し、帰路につきました。<br /><br />今回の電車代は4000円ほどだったので、青春18きっぷ利用で1500円ほどお得になりました。<br /><br />自転車での走行距離 約24km<br />

18きっぷで群馬遺跡めぐり~上毛野はにわの里公園、総社古墳群、中筋遺跡

22いいね!

2024/03/24 - 2024/03/24

3459位(同エリア12592件中)

旅行記グループ 2024 春の青春18きっぷ

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j3matu

j3matuさん

この旅行記のスケジュール

2024/03/24

この旅行記スケジュールを元に

暖冬だから今年は桜の開花が早いとの予報はどこへやら。3月中旬頃から雨の日が続き、気温も低い日が続いています。お天気の良い休日を待っていたら、青春18きっぷを使い切れないかも…と心配になってきました。そこで、曇り予報でもいいや…と、18きっぷ第3弾を強行することにしました。選んだのは、曇っていても気にならない群馬の遺跡めぐりです。

本日の行程です。まずは普通電車を乗り継いでJR高崎駅へ。高崎駅からは市内循環バスの「ぐるりん」に乗って、井出町西バス停で下車。10分ほど歩いて、上毛野はにわの里公園内の古墳をまわります。その後、再び高崎駅に戻り、JR吾妻線の群馬総社駅で下車。群馬総社駅からは前橋市のシェアサイクル「cogbe」を使って、総社古墳群をめぐります。総社古墳群を見て回った後は、自転車で渋川市にある中筋遺跡を見に行き、また群馬総社駅に戻って自転車を返却し、帰路につきました。

今回の電車代は4000円ほどだったので、青春18きっぷ利用で1500円ほどお得になりました。

自転車での走行距離 約24km

旅行の満足度
4.5
観光
5.0
グルメ
5.0
交通
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス 自転車 JRローカル

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  • 春の青春18きっぷ第3弾は、群馬の遺跡めぐりです。<br />普通電車を乗り継いで、6:50にJR高崎駅で下車。改札を出て、西口方面に向かう途中、巨大な石のオブジェが見えました。何だろう?と見てみると、「上野三碑(こうずけさんぴ)」のレプリカでした。<br /><br />「上野三碑」は飛鳥~奈良時代に建てられた石碑で、当時の地方行政のあり方や豪族の婚姻や氏族のつながり、仏教思想の広がり等が窺える貴重な史料だそうです。そのため、国の特別史跡、ユネスコの「世界の記憶」に指定されています。本物はバラバラの場所に点在しているため、レプリカとはいえ、こうして一カ所でまとまって見られるのは非常にありがたいです。解説のパンフレットも置かれていたので、とても勉強になりました。いつか本物も見に行きたいです。

    春の青春18きっぷ第3弾は、群馬の遺跡めぐりです。
    普通電車を乗り継いで、6:50にJR高崎駅で下車。改札を出て、西口方面に向かう途中、巨大な石のオブジェが見えました。何だろう?と見てみると、「上野三碑(こうずけさんぴ)」のレプリカでした。

    「上野三碑」は飛鳥~奈良時代に建てられた石碑で、当時の地方行政のあり方や豪族の婚姻や氏族のつながり、仏教思想の広がり等が窺える貴重な史料だそうです。そのため、国の特別史跡、ユネスコの「世界の記憶」に指定されています。本物はバラバラの場所に点在しているため、レプリカとはいえ、こうして一カ所でまとまって見られるのは非常にありがたいです。解説のパンフレットも置かれていたので、とても勉強になりました。いつか本物も見に行きたいです。

    高崎駅

  • 今回の旅で一番辛かったのは、早朝のバス待ちです。高崎駅には待合室がなく(私が知る限りでは)、この日の朝は冬並みの冷え込みでした。バスは早めの時間から待機していましたが、直前にならないと乗せてもらえないようです。そんな~(泣)<br />なんとか耐え忍んで待ち、西口のバスターミナルから市内循環バス「ぐるりん」大八木線5系に乗車しました。7:35に出発で、乗客は二人のみ。バス料金は一律で200円です。<br />

    今回の旅で一番辛かったのは、早朝のバス待ちです。高崎駅には待合室がなく(私が知る限りでは)、この日の朝は冬並みの冷え込みでした。バスは早めの時間から待機していましたが、直前にならないと乗せてもらえないようです。そんな~(泣)
    なんとか耐え忍んで待ち、西口のバスターミナルから市内循環バス「ぐるりん」大八木線5系に乗車しました。7:35に出発で、乗客は二人のみ。バス料金は一律で200円です。

  • 8:11、井出町西バス停下車。ここから今日のお目当ての一つ、上毛野はにわの里公園までは徒歩10分ほどかかります。もっと近いバス停もあるのですが、とにかくバスの本数が少ないので、贅沢は言えません。都合の良い時間の路線優先です。

    8:11、井出町西バス停下車。ここから今日のお目当ての一つ、上毛野はにわの里公園までは徒歩10分ほどかかります。もっと近いバス停もあるのですが、とにかくバスの本数が少ないので、贅沢は言えません。都合の良い時間の路線優先です。

  • 住宅街を抜けると、急に開けた場所に出ました。<br />美しい稜線を描いているのは、たぶん榛名湖外輪の山々。今日は曇り予報だったのですが、青空が見えて、思いがけず良い景色。

    住宅街を抜けると、急に開けた場所に出ました。
    美しい稜線を描いているのは、たぶん榛名湖外輪の山々。今日は曇り予報だったのですが、青空が見えて、思いがけず良い景色。

  • その手前には、早速古墳が見えますね。

    その手前には、早速古墳が見えますね。

  • 野原には一面のホトケノザ。こんなに咲いているのを見るのは初めて。

    野原には一面のホトケノザ。こんなに咲いているのを見るのは初めて。

  • 緑とのコントラストも素敵です。

    緑とのコントラストも素敵です。

  • 古墳に行く前に少しだけ寄り道。<br />こちらは伝、箕輪城主長野業盛の墓。8:25着。<br /><br />長野業盛は箕輪城を拠点とした戦国武将ですが、武田信玄の2万の大軍に攻め落とされ、自害しました。その後、遺体をもらい受けた僧たちがこの地に葬ったと伝えられています。箕輪城跡もそのうちに行ってみたいなぁ。<br />

    古墳に行く前に少しだけ寄り道。
    こちらは伝、箕輪城主長野業盛の墓。8:25着。

    長野業盛は箕輪城を拠点とした戦国武将ですが、武田信玄の2万の大軍に攻め落とされ、自害しました。その後、遺体をもらい受けた僧たちがこの地に葬ったと伝えられています。箕輪城跡もそのうちに行ってみたいなぁ。

  • 今年は全国的に桜の開花が遅れていますが、早咲きの桜かな?

    今年は全国的に桜の開花が遅れていますが、早咲きの桜かな?

  • ミツマタの花も咲いています。

    ミツマタの花も咲いています。

  • 可憐な野の花越しの古墳。<br /><br />いつまでも寒いような気がしていましたが、やっぱり春ですね。結構、いろいろなお花が咲いています。

    可憐な野の花越しの古墳。

    いつまでも寒いような気がしていましたが、やっぱり春ですね。結構、いろいろなお花が咲いています。

  • 8:31、上毛野はにわの里公園に到着。<br /><br />上毛野はにわの里公園は、高崎市保渡田町、井出町に広がる広大な歴史公園です。園内には国指定史跡の保渡田古墳群やかみつけの里博物館、土屋文明記念文学館等があります。

    8:31、上毛野はにわの里公園に到着。

    上毛野はにわの里公園は、高崎市保渡田町、井出町に広がる広大な歴史公園です。園内には国指定史跡の保渡田古墳群やかみつけの里博物館、土屋文明記念文学館等があります。

    上毛野はにわの里公園 公園・植物園

    保渡田古墳群を含む広大な歴史公園 by j3matuさん
  • 3つある保渡田古墳群の一つ、井出二子山古墳です。保渡田古墳群の中では一番古いものになります。保渡田古墳群の3つの古墳は全て前方後円墳なのですが、前方後円墳はヤマト王権と強いつながりがある豪族にしか許されない形だったので、保渡田古墳群の首長たちはヤマト王権と関わりがあり、大きな権力を持っていたことが分かります。<br />右側の山(前方後円墳の後円の方)の上にポツンと人が立っているのが見えるので、それで大体の大きさがお分かりいただけるかな?

    3つある保渡田古墳群の一つ、井出二子山古墳です。保渡田古墳群の中では一番古いものになります。保渡田古墳群の3つの古墳は全て前方後円墳なのですが、前方後円墳はヤマト王権と強いつながりがある豪族にしか許されない形だったので、保渡田古墳群の首長たちはヤマト王権と関わりがあり、大きな権力を持っていたことが分かります。
    右側の山(前方後円墳の後円の方)の上にポツンと人が立っているのが見えるので、それで大体の大きさがお分かりいただけるかな?

  • こちらの階段を使って、登ることができるようです。

    こちらの階段を使って、登ることができるようです。

  • 上に登ると、後円部を取り囲むように配置された4つの円形の盛り土が見えました。これは内堀に浮かぶ「中島」です。古墳における祭祀の場だったのではないかと言われています。

    上に登ると、後円部を取り囲むように配置された4つの円形の盛り土が見えました。これは内堀に浮かぶ「中島」です。古墳における祭祀の場だったのではないかと言われています。

  • 後円部からはこのような舟形石棺が出土したそうです。

    後円部からはこのような舟形石棺が出土したそうです。

  • 後円部の先端からの眺め。かみつけの里博物館方面。

    後円部の先端からの眺め。かみつけの里博物館方面。

  • 後円部から前方部を眺めると、こんな感じ。

    後円部から前方部を眺めると、こんな感じ。

  • 前方部先端からの眺望。ん?

    前方部先端からの眺望。ん?

  • アップで。なんか、かなりヤバい稜線の山がありますね。あれはどこの山?妙義山かな?

    アップで。なんか、かなりヤバい稜線の山がありますね。あれはどこの山?妙義山かな?

  • あの真っ白なのは浅間山?<br />

    あの真っ白なのは浅間山?

  • 井出二子山古墳を後にして、8:35、保渡田八幡塚古墳にやって来ました。<br /><br />保渡田八幡塚古墳は、先ほどの井出二子山古墳の後に造られた古墳で、規模はほぼ同じくらい(八幡塚古墳の方がやや小さい)です。そして、こちらの古墳は発掘調査でわかったことを基に、当時の姿を再現してあります。<br />この辺り一帯は榛名山の噴火による泥流に飲みこまれ、4~6mほどの火山灰で埋もれていました。そのため、保渡田古墳群の遺構、遺物などはあまり損なわれることなく出土しています。また通常はバラバラに散って出土する埴輪が、保渡田古墳群では並べられた状態が分かる形で発見されました。それにより、このように当時の姿を復元することができたそうです。群馬のポンペイですね!

    井出二子山古墳を後にして、8:35、保渡田八幡塚古墳にやって来ました。

    保渡田八幡塚古墳は、先ほどの井出二子山古墳の後に造られた古墳で、規模はほぼ同じくらい(八幡塚古墳の方がやや小さい)です。そして、こちらの古墳は発掘調査でわかったことを基に、当時の姿を再現してあります。
    この辺り一帯は榛名山の噴火による泥流に飲みこまれ、4~6mほどの火山灰で埋もれていました。そのため、保渡田古墳群の遺構、遺物などはあまり損なわれることなく出土しています。また通常はバラバラに散って出土する埴輪が、保渡田古墳群では並べられた状態が分かる形で発見されました。それにより、このように当時の姿を復元することができたそうです。群馬のポンペイですね!

    保渡田古墳群 名所・史跡

  • 古墳にはたくさんの埴輪が並べられていました。埴輪は、古墳を守るための結界のような役割を担っているいたのではないかと推測されています。<br /><br />

    古墳にはたくさんの埴輪が並べられていました。埴輪は、古墳を守るための結界のような役割を担っているいたのではないかと推測されています。

  • 内堤の上にあったという「埴輪群像」 <br />大きさなども正確に再現しているそうです。この「埴輪群像」は儀礼の様子や狩猟の様子などを表現したものではないかと言われています。

    内堤の上にあったという「埴輪群像」 
    大きさなども正確に再現しているそうです。この「埴輪群像」は儀礼の様子や狩猟の様子などを表現したものではないかと言われています。

  • 私のお気に入りはこのお馬さん。とってもラブリー!…とは言っても、立派な軍馬なんでしょうけど。ただ、この時代の馬は現代のサラブレッドに比べると、体高(肩までの高さ)130cmとふたまわりほど小さかったそうです。

    私のお気に入りはこのお馬さん。とってもラブリー!…とは言っても、立派な軍馬なんでしょうけど。ただ、この時代の馬は現代のサラブレッドに比べると、体高(肩までの高さ)130cmとふたまわりほど小さかったそうです。

  • 古墳の表面は整然と並べられた「葺石」で覆われています。この葺石は、区画によって幅や石の大きさなどに差があるため、区画ごとに係を割り振って、作業を進めていったのではないかと推察されています。

    古墳の表面は整然と並べられた「葺石」で覆われています。この葺石は、区画によって幅や石の大きさなどに差があるため、区画ごとに係を割り振って、作業を進めていったのではないかと推察されています。

  • 古墳の周囲にびっしりと並べられた円筒埴輪。埴輪の内側には作った人の名前が書かれていました。公園内にある「はにわ工房」で一般の方が作った作品のようです。自分が造ったものが古墳に飾られるなんて素敵な体験ですね。

    古墳の周囲にびっしりと並べられた円筒埴輪。埴輪の内側には作った人の名前が書かれていました。公園内にある「はにわ工房」で一般の方が作った作品のようです。自分が造ったものが古墳に飾られるなんて素敵な体験ですね。

  • 古墳の前方部に上がってみました。右角方向には先ほどの二子山古墳が見えます。

    古墳の前方部に上がってみました。右角方向には先ほどの二子山古墳が見えます。

  • 前方部から後円部を眺めると、こんな感じ。

    前方部から後円部を眺めると、こんな感じ。

  • 二子山古墳と同じように後円部のまわりを取り囲むようにして、内堀に4つの「中島」が見えます。中島の向こうには菜の花畑かな?

    二子山古墳と同じように後円部のまわりを取り囲むようにして、内堀に4つの「中島」が見えます。中島の向こうには菜の花畑かな?

  • 後円部からの眺望。榛名湖の外輪の山々(たぶん)が見えます。<br />火山灰の下からは水田跡なども発見されていて、榛名山の南麓のこの辺り一帯には広大な水田が広がっていたということです。その膨大な収穫物に支えられ、古墳の主は強大な権力を手にしていったのでしょうね。

    後円部からの眺望。榛名湖の外輪の山々(たぶん)が見えます。
    火山灰の下からは水田跡なども発見されていて、榛名山の南麓のこの辺り一帯には広大な水田が広がっていたということです。その膨大な収穫物に支えられ、古墳の主は強大な権力を手にしていったのでしょうね。

  • 後円部には地下に降りていく階段がありました。

    後円部には地下に降りていく階段がありました。

  • 地下には発掘された舟形石棺が展示されていました。<br />石棺内は盗掘されていましたが、ガラスの玉や石の玉、鉄の鎧、鉄鏃などの破片が見つかったそうです。また石棺手前の穴は副葬品室で、そこからは鉄製のミニチュア農具が見つかったそうです。

    地下には発掘された舟形石棺が展示されていました。
    石棺内は盗掘されていましたが、ガラスの玉や石の玉、鉄の鎧、鉄鏃などの破片が見つかったそうです。また石棺手前の穴は副葬品室で、そこからは鉄製のミニチュア農具が見つかったそうです。

  • 古墳から降りて、周囲をぐるっとまわります。先ほど上から見た「中島」を真横から。中島の周囲にも埴輪が置かれていたのですね。

    古墳から降りて、周囲をぐるっとまわります。先ほど上から見た「中島」を真横から。中島の周囲にも埴輪が置かれていたのですね。

  • 後円部を横から。こうして見ると、ピラミッドみたい。

    後円部を横から。こうして見ると、ピラミッドみたい。

  • 先ほど上から眺めた菜の花畑。広い!<br /><br />

    先ほど上から眺めた菜の花畑。広い!

  • 浅間山(?)も見えます。

    浅間山(?)も見えます。

  • 9:30の開館時間を待って、公園内にあるかみつけの里博物館にやって来ました。入館料200円です。バスの時間の都合で、あまりゆっくり見学する時間がとれなかったのですが、展示室は一つだけで、こじんまりとまとまっているので、それほど時間はかかりませんでした。

    9:30の開館時間を待って、公園内にあるかみつけの里博物館にやって来ました。入館料200円です。バスの時間の都合で、あまりゆっくり見学する時間がとれなかったのですが、展示室は一つだけで、こじんまりとまとまっているので、それほど時間はかかりませんでした。

    かみつけの里博物館 美術館・博物館

  • 最初に行った井出二子山古墳の案内パネル。

    最初に行った井出二子山古墳の案内パネル。

  • 保渡田八幡塚古墳のパネル。

    保渡田八幡塚古墳のパネル。

  • 発掘された埴輪。

    発掘された埴輪。

  • お気に入りのお馬さんもいました。

    お気に入りのお馬さんもいました。

  • お馬さんがつけていた馬具も見つかっております。

    お馬さんがつけていた馬具も見つかっております。

  • ここから1kmほど離れたところにある三ツ寺Ⅰ遺跡からの出土品もありました。<br /><br />三ツ寺Ⅰ遺跡は保渡田古墳群の主である豪族居館遺跡です。この遺跡も榛名山噴火のおかげで、日本各地の豪族居館遺跡の中では群を抜いて素晴らしい遺構が残っているそうです。ただ上越新幹線の敷設工事で発見されたため、現在は埋め戻され、遺構は見ることができません。残念。<br />木製品が綺麗に残っているのも、火山灰のおかげなんでしょうか?

    ここから1kmほど離れたところにある三ツ寺Ⅰ遺跡からの出土品もありました。

    三ツ寺Ⅰ遺跡は保渡田古墳群の主である豪族居館遺跡です。この遺跡も榛名山噴火のおかげで、日本各地の豪族居館遺跡の中では群を抜いて素晴らしい遺構が残っているそうです。ただ上越新幹線の敷設工事で発見されたため、現在は埋め戻され、遺構は見ることができません。残念。
    木製品が綺麗に残っているのも、火山灰のおかげなんでしょうか?

  • これは貴重。国内最古の金銅製の飾履です。こういう装飾品を手に入れることができた豪族は限られていて、このことからもこの地方の豪族は中央と強いつながりがあったことが窺えます。<br />

    これは貴重。国内最古の金銅製の飾履です。こういう装飾品を手に入れることができた豪族は限られていて、このことからもこの地方の豪族は中央と強いつながりがあったことが窺えます。

  • 古墳時代のムラの模型もありました。後から行く予定の渋川市にある中筋遺跡というところで、古代のムラを再現した様子が見られるそうです。楽しみ!

    古墳時代のムラの模型もありました。後から行く予定の渋川市にある中筋遺跡というところで、古代のムラを再現した様子が見られるそうです。楽しみ!

  • かみつけの里博物館を後にして、井出町西バス停に向かいます。道の途中で、随分と立派なお寺がありました。後で調べたところ、こちらは意王山 大圓寺というお寺で、箕輪城主長野業盛を供養しているお寺だそうです。最初は朝見に行った長野業盛の墓のところにお寺があったのですが、現在は移転し、少し離れたところにお寺があるようです。

    かみつけの里博物館を後にして、井出町西バス停に向かいます。道の途中で、随分と立派なお寺がありました。後で調べたところ、こちらは意王山 大圓寺というお寺で、箕輪城主長野業盛を供養しているお寺だそうです。最初は朝見に行った長野業盛の墓のところにお寺があったのですが、現在は移転し、少し離れたところにお寺があるようです。

  • 朝乗車したのと同じ「ぐるりん」バスに乗って、10:38、JR高崎駅に戻りました。そして、高崎駅10:44発のJR吾妻線で群馬総社駅に移動します。<br />ぐるりんバスが10分遅延して、1時間に1本しかない電車に乗り遅れるのではないかとハラハラしましたが、無事に群馬総社駅に着いて良かった。10:59の到着です。

    朝乗車したのと同じ「ぐるりん」バスに乗って、10:38、JR高崎駅に戻りました。そして、高崎駅10:44発のJR吾妻線で群馬総社駅に移動します。
    ぐるりんバスが10分遅延して、1時間に1本しかない電車に乗り遅れるのではないかとハラハラしましたが、無事に群馬総社駅に着いて良かった。10:59の到着です。

    群馬総社駅

  • 群馬総社駅のすぐ左隣に駐輪場の建物があります。ここで前橋市周辺で展開しているシェアサイクル「cogbe」の自転車をレンタルすることにしました。あらかじめcogbeのアプリをダウンロードして利用します。料金は15分50円で、5時間以上8時間以内は1000円となります。cogbeの自転車は駐輪場の一番奥にあり、キーのところについているバーコードを読み取って利用を開始します。<br />最近のシェアサイクルと同様に、cogbeもキーの開錠をスマホで行うのですが、この開錠に時間がかかり過ぎでイラッときました。利用を考えている人は自前のワイヤーロックなどを持参して、そちらを使用するのがいいと思います。

    群馬総社駅のすぐ左隣に駐輪場の建物があります。ここで前橋市周辺で展開しているシェアサイクル「cogbe」の自転車をレンタルすることにしました。あらかじめcogbeのアプリをダウンロードして利用します。料金は15分50円で、5時間以上8時間以内は1000円となります。cogbeの自転車は駐輪場の一番奥にあり、キーのところについているバーコードを読み取って利用を開始します。
    最近のシェアサイクルと同様に、cogbeもキーの開錠をスマホで行うのですが、この開錠に時間がかかり過ぎでイラッときました。利用を考えている人は自前のワイヤーロックなどを持参して、そちらを使用するのがいいと思います。

  • まずは腹ごしらえと、11:15に「そば処大村 総社店」にやって来ました。<br />Gマップのクチコミで、お蕎麦とソースかつ丼が美味しいと高評価だったお店です。味だけではなく、女将さん(かな?)の心温まる接客も素晴らしかったです。

    まずは腹ごしらえと、11:15に「そば処大村 総社店」にやって来ました。
    Gマップのクチコミで、お蕎麦とソースかつ丼が美味しいと高評価だったお店です。味だけではなく、女将さん(かな?)の心温まる接客も素晴らしかったです。

    大村 総社町店 グルメ・レストラン

  • レディースセット1200円をオーダー。お蕎麦かうどん(冷・温選べます)とミニソースかつ丼とサラダ、デザートのわらび餅がついています。全然運動していないのに、トリプルで炭水化物を摂取するなんて罪悪感この上ないですが、これから自転車に乗りまくるからと自分に言い訳しつつ…。(電動アシスト自転車なんですけどね)<br />お蕎麦は冷たいのにしたのですが、ぶっかけタイプで、山菜やワカメがたっぷりでした。のどごしも良いです。<br />ソースかつは衣がサクサクして、ソースはクドさがなく、どちらかというとあっさりしていて、女性でもがっつりいけます。<br />食後には女将さん(?)がそば湯を出してくれました。大満足のお店でした!

    レディースセット1200円をオーダー。お蕎麦かうどん(冷・温選べます)とミニソースかつ丼とサラダ、デザートのわらび餅がついています。全然運動していないのに、トリプルで炭水化物を摂取するなんて罪悪感この上ないですが、これから自転車に乗りまくるからと自分に言い訳しつつ…。(電動アシスト自転車なんですけどね)
    お蕎麦は冷たいのにしたのですが、ぶっかけタイプで、山菜やワカメがたっぷりでした。のどごしも良いです。
    ソースかつは衣がサクサクして、ソースはクドさがなく、どちらかというとあっさりしていて、女性でもがっつりいけます。
    食後には女将さん(?)がそば湯を出してくれました。大満足のお店でした!

  • 11:50、総社古墳群の一つ、遠見山古墳にやって来ました。総社古墳群は5世紀後半から7世紀後半にかけて、この総社町を中心に造られた6つの古墳の総称で、「総社古墳群」として、まとめて国指定史跡になっています。<br /><br />この遠見山古墳は、総社古墳群の中で最も古い時期、5世紀後半に造られた古墳です。前方後円墳であることから、5世紀にはこの地域にヤマト政権と強いつながりがある有力豪族が存在したことが分かります。

    11:50、総社古墳群の一つ、遠見山古墳にやって来ました。総社古墳群は5世紀後半から7世紀後半にかけて、この総社町を中心に造られた6つの古墳の総称で、「総社古墳群」として、まとめて国指定史跡になっています。

    この遠見山古墳は、総社古墳群の中で最も古い時期、5世紀後半に造られた古墳です。前方後円墳であることから、5世紀にはこの地域にヤマト政権と強いつながりがある有力豪族が存在したことが分かります。

    遠見山古墳 名所・史跡

    総社古墳群の中で最も古い古墳です by j3matuさん
  • 遠見山古墳でも墳丘を飾る葺石が発見されたようですが、現在の古墳は普通の丘のようになっており、あちこちに春の花が彩りを添えていました。

    遠見山古墳でも墳丘を飾る葺石が発見されたようですが、現在の古墳は普通の丘のようになっており、あちこちに春の花が彩りを添えていました。

  • 墳丘の上では土器を使った祭祀跡等が見つかったそうですが、特にその面影もなく…。近所の子ども達が丘の上を駆けまわって遊んでいました。なかなか贅沢な遊び場ですね。

    墳丘の上では土器を使った祭祀跡等が見つかったそうですが、特にその面影もなく…。近所の子ども達が丘の上を駆けまわって遊んでいました。なかなか贅沢な遊び場ですね。

  • 遠景はこんな感じ。

    遠景はこんな感じ。

  • 次にやって来たのは、蛇穴山古墳です。12:08着。<br /><br />蛇穴山古墳は7世紀後半に造られた一番新しい方墳です。こちらは石室の中に入ることができるようです。

    次にやって来たのは、蛇穴山古墳です。12:08着。

    蛇穴山古墳は7世紀後半に造られた一番新しい方墳です。こちらは石室の中に入ることができるようです。

    蛇穴山古墳 名所・史跡

  • 石室に続く長い羨道はなく、すぐに石室が現れました。

    石室に続く長い羨道はなく、すぐに石室が現れました。

  • 石室は壁、天井ともに巨大な一枚岩で造られています。切り石の技術も見事です。これはいいものを見させていただきました。感動…。

    石室は壁、天井ともに巨大な一枚岩で造られています。切り石の技術も見事です。これはいいものを見させていただきました。感動…。

  • 12:13、蛇穴山古墳のすぐお隣にある総社歴史資料館へ。(外観の写真を撮り忘れてしまいました。) なんと、入館料は無料です。<br /><br />

    12:13、蛇穴山古墳のすぐお隣にある総社歴史資料館へ。(外観の写真を撮り忘れてしまいました。) なんと、入館料は無料です。

  • 「総社資料館ナビ」というアプリをダウンロードすれば、館内をガイドしてもらえるようですが、なぜかダウンロードできず…。残念ですが、普通に見てまわります。

    「総社資料館ナビ」というアプリをダウンロードすれば、館内をガイドしてもらえるようですが、なぜかダウンロードできず…。残念ですが、普通に見てまわります。

  • いきなりドーンと壁1面の巨石がお出迎え! これは、総社町にある山王廃寺跡から出土した「塔心礎(塔の心柱の礎石)」のレプリカです。<br /><br />

    いきなりドーンと壁1面の巨石がお出迎え! これは、総社町にある山王廃寺跡から出土した「塔心礎(塔の心柱の礎石)」のレプリカです。

  • こちらも山王廃寺の根巻石(柱の根元を飾る石)のレプリカ。本物は国指定重要文化財です。<br /><br />山王廃寺は7世紀後半に建立された東日本最古の本格寺院です。塔心礎や根巻石、その他の出土品から、大変高度な石加工技術や塑像制作技術を用いて造られた寺院であることが分かります。この地に国府が設置されたのはその後なので、国府が置かれる前から大きな力を持った大国であったことが推察されます。

    こちらも山王廃寺の根巻石(柱の根元を飾る石)のレプリカ。本物は国指定重要文化財です。

    山王廃寺は7世紀後半に建立された東日本最古の本格寺院です。塔心礎や根巻石、その他の出土品から、大変高度な石加工技術や塑像制作技術を用いて造られた寺院であることが分かります。この地に国府が設置されたのはその後なので、国府が置かれる前から大きな力を持った大国であったことが推察されます。

  • この後行く宝塔山古墳の横穴式石室の模型があったので、入口から覗いたような感じで写真を撮ってみました。これが本当に見られるのか?…もうワクワクしかない。

    この後行く宝塔山古墳の横穴式石室の模型があったので、入口から覗いたような感じで写真を撮ってみました。これが本当に見られるのか?…もうワクワクしかない。

  • 宝塔山古墳の家形石棺のレプリカ。

    宝塔山古墳の家形石棺のレプリカ。

  • 総社領主秋元長朝が慶長9年に完成させた「天狗岩用水」の灌漑工事のジオラマがありました。天狗岩用水は総社町を流れる農業用水路で、2020年に「世界かんがい施設遺産」に選ばれています。

    総社領主秋元長朝が慶長9年に完成させた「天狗岩用水」の灌漑工事のジオラマがありました。天狗岩用水は総社町を流れる農業用水路で、2020年に「世界かんがい施設遺産」に選ばれています。

  • このジオラマの人形が秀逸すぎた…。<br />無駄に表情が生き生きしているので、工事の様子より表情見ちゃう(笑)

    このジオラマの人形が秀逸すぎた…。
    無駄に表情が生き生きしているので、工事の様子より表情見ちゃう(笑)

  • 2階は昔の農耕具や生活道具などが展示されていました。

    2階は昔の農耕具や生活道具などが展示されていました。

  • 無料のわりには充実した展示だったなぁ…と満足して帰ろうとしたら、入口付近にたくさんの無料配布のパンフレットが置かれていることに気づきました。<br />このパンフレットがまた素晴らしすぎ! 1枚2枚のペラッとしたものではなく、数ページある立派なパンフレットで、いろいろな歴史について学ぶことができるものなのです。遠慮なく8種類くらいのパンフレットをいただいて帰りました。家に帰って読もう!…とホクホク。<br />本当に素晴らしい資料館でした! 寄る価値ありです。

    無料のわりには充実した展示だったなぁ…と満足して帰ろうとしたら、入口付近にたくさんの無料配布のパンフレットが置かれていることに気づきました。
    このパンフレットがまた素晴らしすぎ! 1枚2枚のペラッとしたものではなく、数ページある立派なパンフレットで、いろいろな歴史について学ぶことができるものなのです。遠慮なく8種類くらいのパンフレットをいただいて帰りました。家に帰って読もう!…とホクホク。
    本当に素晴らしい資料館でした! 寄る価値ありです。

  • 総社歴史資料館の道路を挟んだ向かいに、宝塔山古墳があります。12:38着。<br />宝塔山古墳は7世紀半ばに造られた大型方墳です。先ほど見た蛇穴山古墳の少し前の時代のものです。<br />古墳に登るための階段がありますが、この階段を登ったところからは横穴式石室の方に向かうことができないので、お気を付けください。右手の舗装路からまわりこんで行きます。

    総社歴史資料館の道路を挟んだ向かいに、宝塔山古墳があります。12:38着。
    宝塔山古墳は7世紀半ばに造られた大型方墳です。先ほど見た蛇穴山古墳の少し前の時代のものです。
    古墳に登るための階段がありますが、この階段を登ったところからは横穴式石室の方に向かうことができないので、お気を付けください。右手の舗装路からまわりこんで行きます。

    宝塔山古墳 名所・史跡

  • 裏にある階段を登り、お墓群の横を抜けて行くと、石室の入口が見えてきました。

    裏にある階段を登り、お墓群の横を抜けて行くと、石室の入口が見えてきました。

  • 長い羨道です。そして、暗い…。

    長い羨道です。そして、暗い…。

  • 奥が見えてきました! 資料館で見た模型と同じ眺めです。

    奥が見えてきました! 資料館で見た模型と同じ眺めです。

  • この精密な石組みが見事の一言!

    この精密な石組みが見事の一言!

  • 奥には資料館で見たのと同じ家形石棺が! <br />石室にそのまま石棺が置かれ、触れられるような状態になっているなんて!こんなの初めてかも。感動~。風化させるといけないから、ベタベタ触ったりはしませんが、少しだけ触らせてもらいました。穴を覗き込んだり…。いや~、嬉しい!<br />この石棺の穴については後で調べてみたけれど、明確な解説はありませんでした。ただ、綺麗に加工された穴ではあるので、当時になんらかの意図を持って開けられたものであるのは確か。この穴について、自分なりの考察ができる余地があるというのもロマンです。

    奥には資料館で見たのと同じ家形石棺が! 
    石室にそのまま石棺が置かれ、触れられるような状態になっているなんて!こんなの初めてかも。感動~。風化させるといけないから、ベタベタ触ったりはしませんが、少しだけ触らせてもらいました。穴を覗き込んだり…。いや~、嬉しい!
    この石棺の穴については後で調べてみたけれど、明確な解説はありませんでした。ただ、綺麗に加工された穴ではあるので、当時になんらかの意図を持って開けられたものであるのは確か。この穴について、自分なりの考察ができる余地があるというのもロマンです。

  • 宝塔山古墳のお隣に異彩を放つ門がありました。心惹かれて近づいてみると、こちらは光厳寺というお寺で、総社藩初代藩主秋元長朝によって創建された由緒あるお寺でした。<br />写真の存在感がある楼門は、江戸時代後期に建てられたもので、高欄が無いなど楼門建築としては特異な形をしているのが特徴だそうです。門の先は秋元家の霊廟に続いているため、霊廟建築としての役割が強いためではないかと言われています。この門は現在閉じられていて、くぐることはできません。

    宝塔山古墳のお隣に異彩を放つ門がありました。心惹かれて近づいてみると、こちらは光厳寺というお寺で、総社藩初代藩主秋元長朝によって創建された由緒あるお寺でした。
    写真の存在感がある楼門は、江戸時代後期に建てられたもので、高欄が無いなど楼門建築としては特異な形をしているのが特徴だそうです。門の先は秋元家の霊廟に続いているため、霊廟建築としての役割が強いためではないかと言われています。この門は現在閉じられていて、くぐることはできません。

  • 別の門から境内に入り、秋元家の霊廟へと回り込みました。なるほど、先ほど見た楼門と通じるものがある建造物ですね。霊廟があるエリアへの立ち入りは禁止のようなので、少し離れたところから見ることしかできませんでした。

    別の門から境内に入り、秋元家の霊廟へと回り込みました。なるほど、先ほど見た楼門と通じるものがある建造物ですね。霊廟があるエリアへの立ち入りは禁止のようなので、少し離れたところから見ることしかできませんでした。

  • 光厳寺は大きな火事にあったことがないようで、他にも江戸時代に建てられた建造物が多く残っていました。予定にはない立ち寄りでしたが、なかなか見応えがありました。

    光厳寺は大きな火事にあったことがないようで、他にも江戸時代に建てられた建造物が多く残っていました。予定にはない立ち寄りでしたが、なかなか見応えがありました。

  • 光厳寺を後にして、また総社古墳群めぐりに戻ります。次の古墳に向かう途中に、先ほど資料館で学んだ天狗岩用水を見かけました。用水沿いには遊歩道が続いています。

    光厳寺を後にして、また総社古墳群めぐりに戻ります。次の古墳に向かう途中に、先ほど資料館で学んだ天狗岩用水を見かけました。用水沿いには遊歩道が続いています。

  • 12:58、愛宕山古墳に到着。愛宕山古墳は7世紀前半に造られた方墳で、宝塔山古墳より前のものになります。

    12:58、愛宕山古墳に到着。愛宕山古墳は7世紀前半に造られた方墳で、宝塔山古墳より前のものになります。

  • 古墳の近くには一面のオオアラセイトウ。

    古墳の近くには一面のオオアラセイトウ。

  • 愛宕山古墳も石室に入ることができるのですが、これまでの蛇穴山、宝塔山古墳よりも入るのにちょっと苦労が伴います。と言うのも、入口の穴が小さく、穴をくぐってすぐのところに段差があって、中が低くなっているのです。小柄な私でも、担いでいたリュックを下して、膝をつき、かがんでくぐらなければなりませんでした。ここに来るときは汚れても良い服装がおすすめ。そして、特に入るときよりも出るときに頭上注意です。

    愛宕山古墳も石室に入ることができるのですが、これまでの蛇穴山、宝塔山古墳よりも入るのにちょっと苦労が伴います。と言うのも、入口の穴が小さく、穴をくぐってすぐのところに段差があって、中が低くなっているのです。小柄な私でも、担いでいたリュックを下して、膝をつき、かがんでくぐらなければなりませんでした。ここに来るときは汚れても良い服装がおすすめ。そして、特に入るときよりも出るときに頭上注意です。

    愛宕山古墳 名所・史跡

    苦労して石室に入る価値あり by j3matuさん
  • 穴をくぐってしまえば、中は広いです。そして、ここにもそのまま石棺が置かれていました。すごいな、総社古墳群。見応えありすぎです。

    穴をくぐってしまえば、中は広いです。そして、ここにもそのまま石棺が置かれていました。すごいな、総社古墳群。見応えありすぎです。

  • 羨道の天井。<br />蛇穴山、宝塔山古墳では綺麗に平らに加工された石が使われていましたが、こちらは巨石を並べたそのままの感があって、波打ったような天井になっています。

    羨道の天井。
    蛇穴山、宝塔山古墳では綺麗に平らに加工された石が使われていましたが、こちらは巨石を並べたそのままの感があって、波打ったような天井になっています。

  • 壁はこんな感じ。石は加工されているようですが、蛇穴山、宝塔山古墳の洗練された加工に比べると、石の形が分かる程度の加工です。

    壁はこんな感じ。石は加工されているようですが、蛇穴山、宝塔山古墳の洗練された加工に比べると、石の形が分かる程度の加工です。

  • 13:09、総社二子山古墳にやって来ました。6世紀後半に造られた、総社古墳群最大の前方後円墳です。<br />今日回った総社の古墳を時代順に並べると、遠見山古墳(5世紀後半)→総社二子山古墳(6世紀後半)→愛宕山古墳(7世紀前半)→宝塔山古墳(7世紀半ば)→蛇穴山古墳(7世紀後半)になります。そのうち、遠見山古墳と総社二子山古墳が前方後円墳、7世紀に入って造られた3つの古墳が方墳になります。

    13:09、総社二子山古墳にやって来ました。6世紀後半に造られた、総社古墳群最大の前方後円墳です。
    今日回った総社の古墳を時代順に並べると、遠見山古墳(5世紀後半)→総社二子山古墳(6世紀後半)→愛宕山古墳(7世紀前半)→宝塔山古墳(7世紀半ば)→蛇穴山古墳(7世紀後半)になります。そのうち、遠見山古墳と総社二子山古墳が前方後円墳、7世紀に入って造られた3つの古墳が方墳になります。

    (総社)二子山古墳 名所・史跡

  • 特に案内板はありませんでしたが、総社二子山古墳も裏に回り込むと、横穴式石室がありました。入口が狭く、穴をくぐると段差があるのも、先ほどの愛宕山古墳と同じ。<br />実は前方部と後円部に2か所石室があるそうなのですが、後円部の石室は天井が崩落しており、現在は前方部の石室しか見学できないそうです。…そう聞くと、中に入るのが怖いなぁ。

    特に案内板はありませんでしたが、総社二子山古墳も裏に回り込むと、横穴式石室がありました。入口が狭く、穴をくぐると段差があるのも、先ほどの愛宕山古墳と同じ。
    実は前方部と後円部に2か所石室があるそうなのですが、後円部の石室は天井が崩落しており、現在は前方部の石室しか見学できないそうです。…そう聞くと、中に入るのが怖いなぁ。

  • ま、入りますけどね。<br />羨道の天井や壁の感じも愛宕山古墳に似ていますが、それよりも少し荒々しい感じですかね。こちらは中に石棺はないようです。

    ま、入りますけどね。
    羨道の天井や壁の感じも愛宕山古墳に似ていますが、それよりも少し荒々しい感じですかね。こちらは中に石棺はないようです。

  • 総社古墳群を見終わって、次はそのまま自転車で渋川市にある中筋遺跡に向かうつもりでしたが、なんと途中で自転車のタイヤがパンクしてしまいました。普通の舗装路を走っていただけなので、タイヤが劣化していたのかな? ツイてない私にしては前回の三保の松原の旅が順調すぎたので、反動が来たのかも…。それでもパンクした場所がまだ総社駅の近くで良かったです。渋川まで行ってパンクしたら、目も当てられなかった。<br />パンクをした自転車を押して、なんとか総社駅の駐輪場に戻り、シェアサイクルの「cogbe」事務局に電話して、どうしたらいいかと相談しました。すると、一度返却して、新しく借り直すようにと言われました。えっ!? そんなことをしたら、1台をずっと借りていたときより料金がかかっちゃうんですけど? 最大料金(8時間まで)が1000円なのですが、3時間と3時間で2回借りると、1200~1400円くらいかかるのです。たかだか数百円のことですが、パンクで時間も体力もロスしたあげくにお金も多く取られるって納得いかないんですけど!…と、ごねさせていただきました。(大人げなくて、すいません)→結果、当初の代金通りにおさまるように割引してもらえることになりました。<br />すったもんだで時間をくいましたが、13:55、2台目の自転車に乗って、再び中筋遺跡に向かって出発しました。

    総社古墳群を見終わって、次はそのまま自転車で渋川市にある中筋遺跡に向かうつもりでしたが、なんと途中で自転車のタイヤがパンクしてしまいました。普通の舗装路を走っていただけなので、タイヤが劣化していたのかな? ツイてない私にしては前回の三保の松原の旅が順調すぎたので、反動が来たのかも…。それでもパンクした場所がまだ総社駅の近くで良かったです。渋川まで行ってパンクしたら、目も当てられなかった。
    パンクをした自転車を押して、なんとか総社駅の駐輪場に戻り、シェアサイクルの「cogbe」事務局に電話して、どうしたらいいかと相談しました。すると、一度返却して、新しく借り直すようにと言われました。えっ!? そんなことをしたら、1台をずっと借りていたときより料金がかかっちゃうんですけど? 最大料金(8時間まで)が1000円なのですが、3時間と3時間で2回借りると、1200~1400円くらいかかるのです。たかだか数百円のことですが、パンクで時間も体力もロスしたあげくにお金も多く取られるって納得いかないんですけど!…と、ごねさせていただきました。(大人げなくて、すいません)→結果、当初の代金通りにおさまるように割引してもらえることになりました。
    すったもんだで時間をくいましたが、13:55、2台目の自転車に乗って、再び中筋遺跡に向かって出発しました。

  • 総社駅から中筋遺跡までは片道で9kmほど離れています。普通は自転車で行こうとは思わないのですが、JR吾妻線は電車の本数が少ない上に、それから本数が少ないバスに乗り継ぎ、更にバス停からは10分ちょっと歩く…というアクセス方法を鑑みると、それほど急坂があるわけではないので、電動アシスト自転車で行った方がいいと判断したのです。<br />景色を眺めながら、ゆっくりサイクリングを楽しみます。川沿いの土手には水仙が咲いていました。

    総社駅から中筋遺跡までは片道で9kmほど離れています。普通は自転車で行こうとは思わないのですが、JR吾妻線は電車の本数が少ない上に、それから本数が少ないバスに乗り継ぎ、更にバス停からは10分ちょっと歩く…というアクセス方法を鑑みると、それほど急坂があるわけではないので、電動アシスト自転車で行った方がいいと判断したのです。
    景色を眺めながら、ゆっくりサイクリングを楽しみます。川沿いの土手には水仙が咲いていました。

  • 一面の菜の花畑。

    一面の菜の花畑。

  • 黄色い菜の花と紫のホトケノザの対比が素敵です。

    黄色い菜の花と紫のホトケノザの対比が素敵です。

  • 14:38、中筋遺跡に到着しました。<br />中筋遺跡は榛名山の麓にある古墳時代のムラの様子が分かる遺跡です。1500年前の榛名山の大噴火で、麓にあったムラは一瞬にして火砕流に飲み込まれ、分厚い火山灰に覆われてしまいました。そのため、普通の住居址では耕作などにより地表近くの遺構が削られてしまった状態で見つかることが多いのに対し、この中筋遺跡では完全に当時のままの姿で保存されていました。ここも群馬のポンペイですね。

    14:38、中筋遺跡に到着しました。
    中筋遺跡は榛名山の麓にある古墳時代のムラの様子が分かる遺跡です。1500年前の榛名山の大噴火で、麓にあったムラは一瞬にして火砕流に飲み込まれ、分厚い火山灰に覆われてしまいました。そのため、普通の住居址では耕作などにより地表近くの遺構が削られてしまった状態で見つかることが多いのに対し、この中筋遺跡では完全に当時のままの姿で保存されていました。ここも群馬のポンペイですね。

  • 中筋遺跡では、発掘された住居址を分かりやすくするために、家屋を復元して展示しています。<br />まず最初に現れたのは、平地式住居。地面の上に普通に建てられた住居です。

    中筋遺跡では、発掘された住居址を分かりやすくするために、家屋を復元して展示しています。
    まず最初に現れたのは、平地式住居。地面の上に普通に建てられた住居です。

    中筋遺跡 名所・史跡

    古代のムラが復元されています by j3matuさん
  • 家屋内に入ることができます。中には竃がありました。

    家屋内に入ることができます。中には竃がありました。

  • 屋根は縦横に組んだ木にカヤ材を葺いてあるようですね。

    屋根は縦横に組んだ木にカヤ材を葺いてあるようですね。

  • 平地式住居のすぐ隣には竪穴式住居がありました。<br />竪穴式住居は地面を70cmほど掘り下げて、地表面の高さに屋根を造ります。そして、家の周りは「周堤」と呼ばれる土塁で囲みます。平地式と同じようにカヤ材を葺いた後、そこに土をかぶせ、更にその上にカヤをかぶせます。土が断熱材の役割を果たすようです。

    平地式住居のすぐ隣には竪穴式住居がありました。
    竪穴式住居は地面を70cmほど掘り下げて、地表面の高さに屋根を造ります。そして、家の周りは「周堤」と呼ばれる土塁で囲みます。平地式と同じようにカヤ材を葺いた後、そこに土をかぶせ、更にその上にカヤをかぶせます。土が断熱材の役割を果たすようです。

  • 竪穴式住居の中にも入ることができました。写真は入口の扉を開けてすぐに、足元を見下ろしたものです。真下は段差で低くなっているので、木のはしごを使って降りて行きます。ちょっと怖い。入口の扉も平地式と比べ物にならないほど狭いです。それも断熱のためなのかな?

    竪穴式住居の中にも入ることができました。写真は入口の扉を開けてすぐに、足元を見下ろしたものです。真下は段差で低くなっているので、木のはしごを使って降りて行きます。ちょっと怖い。入口の扉も平地式と比べ物にならないほど狭いです。それも断熱のためなのかな?

  • 竪穴式住居の中にも竃がありました。<br /><br />平地式と竪穴式住居、すぐ近くにあって、どちらも竃があることから、夏は涼しい平地式、冬は暖かい竪穴式と住み分けていたのではないかと推察されています。

    竪穴式住居の中にも竃がありました。

    平地式と竪穴式住居、すぐ近くにあって、どちらも竃があることから、夏は涼しい平地式、冬は暖かい竪穴式と住み分けていたのではないかと推察されています。

  • ムラには広場があって、そこでは祭祀が行われていたようです。<br />広場から見たムラの様子。

    ムラには広場があって、そこでは祭祀が行われていたようです。
    広場から見たムラの様子。

  • 広場からの眺め。榛名山は近すぎて見えないのですが、反対方向には赤城の山々が見渡せました。このムラに住んでいた人々はあの山々を眺めながら生活していたんですね。

    広場からの眺め。榛名山は近すぎて見えないのですが、反対方向には赤城の山々が見渡せました。このムラに住んでいた人々はあの山々を眺めながら生活していたんですね。

  • 中筋遺跡で今日の観光はおしまい。後は総社駅に戻って、自転車を返すだけです。赤城の山々を見ながら帰ります。

    中筋遺跡で今日の観光はおしまい。後は総社駅に戻って、自転車を返すだけです。赤城の山々を見ながら帰ります。

  • 広大な眺め。

    広大な眺め。

  • 上毛大橋からの眺め。赤城山と利根川。

    上毛大橋からの眺め。赤城山と利根川。

  • いったん群馬総社駅に戻ったのですが、目の前で電車が行ってしまいました。1時間に1本しかないのに…。<br />仕方ないので、自転車で利根川沿いに来てみました。埼玉県久喜市から渋川市金井まで87.8kmも続く利根川自転車道を少しばかり走ってみることにしました。

    いったん群馬総社駅に戻ったのですが、目の前で電車が行ってしまいました。1時間に1本しかないのに…。
    仕方ないので、自転車で利根川沿いに来てみました。埼玉県久喜市から渋川市金井まで87.8kmも続く利根川自転車道を少しばかり走ってみることにしました。

  • お~、なかなかの眺め。

    お~、なかなかの眺め。

  • 川の本当に際を走る箇所もあります。大迫力!

    川の本当に際を走る箇所もあります。大迫力!

  • ヒヨドリ? 全然、逃げない鳥でした。写真を撮らせてくれて、ありがとう!

    ヒヨドリ? 全然、逃げない鳥でした。写真を撮らせてくれて、ありがとう!

  • 群馬総社駅に戻って、16:40発の電車を待ちます。待ち時間に総社歴史資料館でいただいたパンフレットを読みました。読むとますます群馬の古代史に興味が出て来ました。群馬にはまだまだ行っていない遺跡がたくさんあるし、機会をつくってぜ~んぶまわりたいなぁ(←無料パンフレットの策にはまってる?)<br />最近どこの観光地に行っても、インバウンド客が多くて、人が溢れていますが、今日はインバウンド客は100%見かけませんでした。それどころか、日本人観光客もそれほど多くありませんでした。ほぼ貸切状態。休日なのに!<br />静かに古代の歴史を感じたい人に群馬の遺跡めぐりはおすすめです。

    群馬総社駅に戻って、16:40発の電車を待ちます。待ち時間に総社歴史資料館でいただいたパンフレットを読みました。読むとますます群馬の古代史に興味が出て来ました。群馬にはまだまだ行っていない遺跡がたくさんあるし、機会をつくってぜ~んぶまわりたいなぁ(←無料パンフレットの策にはまってる?)
    最近どこの観光地に行っても、インバウンド客が多くて、人が溢れていますが、今日はインバウンド客は100%見かけませんでした。それどころか、日本人観光客もそれほど多くありませんでした。ほぼ貸切状態。休日なのに!
    静かに古代の歴史を感じたい人に群馬の遺跡めぐりはおすすめです。

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