
2023/07/17 - 2023/07/18
6位(同エリア215件中)
あの街からさん
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ローマからベルリンへのLCCが遅れ
ホテルに着いたのが午前さまになってしまいました。
僅かな睡眠を取り早朝から行動開始。
ベルリンからポツダムにやって来ました。
思いのほか見所がいっぱいあり、嬉しい悲鳴(⌒-⌒; )
と、言いますのもこの日は、ベルリンに戻ってからも
Sonyセンターやカイザーヴィルヘルム記念教会
そしてピアノコンサートと予定が詰まっていました。
先ずは、
「サンスーシ宮殿」「サンスーシ公園」「中国茶館」などを
歩き回りフリードリヒ大王を訪ね「絵画館」では、カラヴァッジョの
生絵を観て、もう満足というほどでしたが、
せっかくここまでやって来たのだから精神が優先。
※今回の旅行記はここから始まります。
ポツダム去りがたし状態が続きバスとトラムそしてまた
バスと乗り継いで
木立の中の細~い1本道をバスに揺られて皇帝ヴェルヘルム2世が
皇太子とその妻の為に建てた「ツェツィーリエンホーフ宮殿」へ
向かいました。
そこは、後にポツダム会談の会場となり更に有名になりました。
そこからまたまた、バスとトラムと乗り継いで向かったのは、
ベルリンよりも先に建てられた「ブランディンブルク門」
のある通りに行ってみました。
「ブランディンブルク門」というよりは、そこはまるで小さな
パリのシャンゼリゼ通り、ポツダムのブランディンブルク門は
パリの凱旋門の小型版のよう。そこから伸びる通りの両脇には
カフェが立ち並びとてもいい雰囲気。
そればかり、オランダ地区の可愛い赤い煉瓦の家が続く通り
ほんとうにポツダムは見どころがいっぱいでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「サンスーシ公園」内になっているのかなぁ
「ツェツィーリエンホーフ宮殿」へ向かうバス停を
探していたらポツダム大学の生協があったので
入ってみました。小さな建物で20畳ほどの
ワンフロア。チラッと見てみました。
大学のネイム入りの物が並んでました。 -
ポツダム大学の生協近くのバス停(12:00)からバスに乗り
プラザエンハウから(12:16)トラムに乗り換え
※乗り物は、ベルリンで購入した1日券でトラム・バスに乗車可能。路面電車 (ポツダム) 鉄道系(地下鉄・モノレールなど)
-
トラム(12:25)を下車。
トラム駅の目の前にケバブと飲み物の販売所があり
丁度昼時で近くのサラリーマン風の人たちが並んでいて
ケバブを買いここでランチとしました。
イスタンブールへ行った時にも食べる機会が
なかったケバブをまさか、ポツダムで食べることが
できるとは、旅とは不思議なものですね。 -
ケバブの販売所にはイートインスペースもありましたが
私たちの前に並んでいるサラリーマン風の皆さんは
隣の公園へケバブと飲み物を持って行き緑の木陰で
食べているようでした。
それもいいなぁ。とその風景を眺めながら初めて食べる
ケバブは、肉も野菜もたっぷりで美味しくいただきました。
トラム駅の道路の向かい側に在るバス停から
ポツダム会談の会場となった
「ツェツィーリエンホーフ宮殿」へ向かいました。 -
イチオシ
木立の中の細~い1本道をバスに揺られて
ポツダム会談の会場となった
「ツェツィーリエンホーフ宮殿」へ向かいました。
深い緑が茂る森の中にその宮殿はありました。
1917年
ヴィルヘルム2世が跡継ぎの皇太子夫妻のために
建てた宮殿でイギリスのカントリーハウス風の建物でした。
それは皇太子の希望を受け入れた父王の息子皇太子への
愛の結晶の1つでもありました。
皇太子
ヴィルヘルム・フォン・プロセイン(1882年~1951年)
は、ドイツ最後の皇太子となった。 -
「ツェツィーリエンホーフ宮殿」
皇太子妃ツェツィーリエから命名
1918年ドイツは第一次世界大戦に敗れて
ヴィルヘルム2世とともに皇太子はオランダに亡命
皇太子妃ツェツィーリエは子供たちとこの宮殿に残った。
そんなことで、御夫妻ではこの館に住んだ期間は
短期間でした。 -
第一次世界大戦後、
1918年にホーエンツォレルン王朝一族は退位。
財産は没収されたが元皇太子一家は
ツェツィーリエン宮殿に孫の世代までの
終世居住権を獲得していました。
第2次世界大戦時、皇太子はヒトラーを支持し、
ナチスの政権誕生後はナチス党の宣伝活動も
しばしば行っていました。
しかし
第二次大戦末期の頃、近づくソ連軍を前に、
夫人は一切の家具や陶器類も放置したままで
子供たちを連れて
1945年2月1日に宮殿を後にしました。
1945年4月27日に宮殿はソ連軍に接収された。
皇太子は1951年心臓発作で死去しました。 -
第二次世界大戦は、
1939年、ドイツ軍のポーランド侵攻により勃発
ポーランドと同盟関係にあった仏英の対独宣戦布告
によってヨーロッパ戦争として始まりました。
やがてソ連も参戦、ポーランド侵攻やバルト三国への
領土侵略への野心を示し軍隊を駐留。
さらに日独伊三国同盟が結ばれ、アジアでも戦火は広がり、
世界大戦へと進んで行くこととなりました。
1945年5月8日、ドイツ軍無条件降伏。 -
1945年7月17日から8月2日にかけて
会談が行われ会談時の館がほぼそのままの状態
で公開されています。 -
イチオシ
「ポツダム宣言」のため各国代表等による議論を
戦わせた会議場。
思ったほどの広さはありませんでしたが
そこが、木立の中に佇むカントリーハウス風の館。
事務的な会議場とは違い雰囲気がありました。
大きな丸テーブルはモスクワから運ばれたそうな。 -
15人が座った大きな丸テーブル。
米・英・ソは肘掛けのついた特製の椅子という
ことからも、この会議での各国の立ち位置を伺い
知ることができます。
その横には外務大臣、通訳、顧問などが着席。
後方にはその他随行員の椅子も設置されていました。 -
ヴィルヘルム皇太子御夫妻の居間も
会議場となったのですね。 -
カントリーハウス風の館でとても雰囲気の
いい建物でした。
まさか、後年
戦争終結の為の会議場になるとは・・・ -
第2次世界大戦の戦後処理を各国首脳等が一同に
介して行われたポツダム会議。
実権はビックスリーと呼ばれた
トルーマン<米>・チャーチル<英>
スターリン<ソ>が握っていました。
会議の中で3者はドイツの分割案をも討議し
合意したと伝えられています。 -
1945年7月17日から8月2日にかけて
行われた会議の前後のこと
アメリカでは、ルーズヴェルトが1945年4月に死去
を受けトルーマンが副大統領より大統領に昇格会議に参加。
会議中には、半ば公然と秘密裏に行われていた
オッペンハイマー等による「マンハッタン計画」で
原子爆弾の実験成功の知らせがトルーマンのもとへ
届いた。 -
一方、英国においては
1945年7月5日の総選挙で
チャーチル率いる
保守党が211議席
アトリー率いる労働党が393議席と
チャーチルは敗北しアトリーが新首相に就任。
この為、大戦終結の重大な会議の途中での
首脳の交代劇となりチャーチルとアトリーが新首相が
ポツダム会議の代表も交代。
対独戦争で最初から最後までイギリスを率いてきた
チャーチルがポツダム会議の議定書にサインできない
事態になっていた。 -
各国の執務室
-
2階の皇太子夫妻の部屋へ続く階段は
樫の木彫りのバロック様式。 -
重厚感がありました。
1990年 宮殿の建物および庭園は
「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」の
1つとしてユネスコ世界文化遺産に登録された。 -
緑いっぱいの花壇の中央に植え込まれた赤い星型の<ゼラニウム>
会議の為にやって来るトルーマン<米>・チャーチル<英>
・スターリン<ソ>のために植えたとされ
ポツダム会談はソ連主導で動かすぞというスターリンの強い意志を
各国に占めそうとポツダム会談の週数間前に植え込まれたという。 -
太平洋戦争終結7月26日 日本に対しポツダム宣言発表。
これに対して日本政府はポツダム宣言を無視。
アメリカは8月6日広島・8月9日長崎に原子爆弾を投下。
1945年9月2日、東京湾戦艦ミズーリ号での降伏調印式。 -
歴史の重い事実から逃れるようにやって来た
ここは、
ラスベガスかはたまたディズニーランド
ではもちろんありません。
<ナウエン門>1755年に建てられた
英国ゴシック・リヴァイヴァル建築様式
の影響を受けたといいます。 -
イチオシ
バスとトラムを乗り継いでやって来ました。
この歴史的城壁<ナウエン門>の前を最新のトラムが
スルスルと走る姿も素敵でした。 -
森の中の小さな街ポツダムの街を
静かに滑るように走るトラム
乗り心地も最高で乗り物好きにはたまらない時間でした。 -
城壁を潜るとそこもまた
赤煉瓦の雰囲気のある通りが
「オランダ人街」に入ったようです。 -
可愛いカフェや土産物屋が
並んでいて -
クリスマスオーナメントの店や絵葉書や
各種カードの店など
歩くのが楽しい通りでした。 -
小さな広場には
もちろん、パラソルを開いた
カフェがあり -
真夏にクリスマスオーナメントを
見るのも心ワクワク。 -
「店の工房で作られた手作りなのよ」
と女将さんは話してくれました。
英語でね。 -
イチオシ
振り返って城門を見ると
旅空の下を感じ
また、ワクワク(⌒▽⌒) -
これを見て思い出しました。
<あの街から>が4Tを始めた頃に遡ります(⌒-⌒; )
当時4Tには、<写真を上手く写したい人>とか
<街歩きで見つけたポスターが好きな人>とか
<JALが好きな人>集まれ!とかいうサークルのような
ものがありました。
その中の1つに<ドイツが好きな人集まれ
(ハッキリとした名前は忘れてしまいました・汗)>
がありました。そのメンバーに名前を連ねた人たちは
いずれも、ドイツのことに関して
どこかしら長けている人たちが多く、
時に近寄りがたいオーラもありましたが
時折訪ねるのが好きでした。
その中のお一人に旅行記のタイトル<扉>の
画像は『紋章』で飾られた4T大先輩が
いらして詳しい蘊蓄も楽しく拝見していました。
お元気かなぁ 懐かしい思い出です。 -
自転車を踏んでの
サマーバカンス!
いいですね(*´∀`)♪ -
世界大戦で戦火に遭い再建されたのか
新しい家々が立ち並ぶ
大通りの両側には
個人商店 カフェが立ち並び
静かでもあり、にぎやかでもある
気持ちの良い通りでした。 -
世界大戦で戦火に遭い再建されたのか
新しい家々が立ち並ぶ
大通りの両側には
個人商店 カフェが立ち並び
静かでもあり、にぎやかでもある
気持ちの良い通りでした。 -
イチオシ
オランダ地区
ヤン・バウマン・ハウス街
ポツダムの見どころは宮殿だけと思われがちですが、
町歩きが楽しめるスポットもあります。
そのひとつが、かつての町の中心であった
アルター・マルクト広場と新庭園のあいだに
位置するオランダ街。
軍人王と言われたフリードリヒ、ヴィルヘルム1世は
実学を重視した。
たとえば、1717年一般的就学義務令を発し
5歳から12歳の子供に対して義務教育を課した。
けれど、農村部では財政的な苦しさからくる
無理解故に冬季のみ実施しかも数年のみの就学と
いう状況もあったにせよ、当時としては画期的な
ことだった。
軍人王は、皇太子時代1704年~1705年に
アムステルダムとデン・ハーグに留学した。
彼は祖父・大選帝侯〈フリードリヒ1世〉と同じく簡素で
実用本意のオランダ文化を愛好した。
その現れが、オランダ人街区である。
街区は、1733年~42年にオランダの建築家
ヤン・ボウマンの指導で整備された。もともと
オランダ人の手工業者を集めて住まわせる計画だった
が、充分な人集めができず街区にはフランス人や
ドイツ人の商人や軍人なども入居した。 -
プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は、
文化を愛し、オランダの経済や建築を手本にしようと考えた。
オランダから職人を誘致しようと18世紀にこの地区を整備した。
ところが、期待したほどは、多くのオランダ人は来なかったが
オランダ風の街並みはそのまま残り、
現在も130以上のオランダ風の赤レンガ造りの建物が並んでいる。 -
おしゃれなカフェやレストラン、雑貨ショップが点在し、
町並みを眺めながら歩くだけでも楽しいオランダ街。 -
「聖ピーター・ポール教会」
-
ドイツに入って
落ち着いた雰囲気にホッとしたことを
覚えていますが
中でも、ポッダムは、程々の街<都会>なのに
落ち着いていて癒されました。 -
イチオシ
「ブランデンブルク門」
フリードリヒ大王がオーストリアとの戦いに勝ち
1771年に建てられた。
ベルリンの「ブランデンブルク門」より20年前のことでした。 -
「ブランデンブルク門」から真っ直ぐに伸びる
ブランデンブルク通りはまるで小さなパリの
シャンゼリゼ通り。
パワソルを開いたカフェが連なりそれでいて
落ち着いたとてもいい雰囲気の通りでした。 -
「ブランデンブルク門」から真っ直ぐに伸びる
ブランデンブルク通りはまるで小さなパリの
シャンゼリゼ通り。
パワソルを開いたカフェが連なりそれでいて
落ち着いたとてもいい雰囲気の通りでした。 -
散歩にはいい日和ですね。
楽しんでください。(*´∀`)♪ -
おやおや
どこかで見たことのある
あれは、間違いなくミッキー!だぁ。
けど、ちょっとだけ顔つきが違うなぁ。 -
いい雰囲気なので
ゆっくりゆっくりと散策しました。 -
いい雰囲気なので
ゆっくりゆっくりと散策しました。 -
「ブランデンブルク門」には
ギリシャ神話の英雄たちが刻まれています。 -
ぐるりと回って戻って来ました。
-
もう一度ふり仰ぎ
そろそろ駅に向かう時間が近いてきました。 -
トラムに乗って駅へ向かいます。
-
ポツダム中央駅のホームに出て来ました。
ポツダム中央駅 駅
-
トラム・電車(Sバーン)に乗る楽しさ
も味わうことができました。 -
そして、あっという間にベルリン中央駅に到着しました。
大きなガラスから陽が燦々と降り注ぐ開放的な
ベルリン中央駅大好きです。♪♪ベルリン中央駅 駅
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