2024/03/02 - 2024/03/02
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たびたびさん
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二月には山口県の城下町長府ひなまつりに行きましたけど、昨年はどこにも行ってないし、今年のひな祭りをこれで終わりにするのはちょっと寂しいですよね。むしろメインはこちら。二日をかけて、福岡県のひな祭り、筑前いいづか雛のまつりと雛の里・八女ぼんぼりまつりをセットで回る予定にしていました。
ちなみに、九州のひな祭りだと、一昨年に訪ねた柳川の柳川雛祭り ”さげもんめぐり”が全国的には有名ですが、たびたび的には佐賀県の佐賀城下ひなまつりもかなりいいですね。鍋島家に伝わるお雛様はさすがに品が違いますし、地域の有志が飾る創作人形も素晴らしいです。逆に、大分県の天領日田おひなまつりはちょっとネガティブ評価。まるへいまるへいと言いすぎ。おひな祭りにブランドなんか関係ないと思います。それなら、筑後吉井おひなさまめぐりのおきあげの方が子供の成長を願う素朴な思いが感じられて、ずっと心に残ります。
ひな祭りは、人形の素晴らしさもありますけど、それをどう飾るかどう思いを込めるかのセンス、地域の歴史や文化、コミュニティとどう関わっているかの視点が大事。それらを総合的に味わうことでひな祭りの楽しさは全然違ってきますからね。
さて、一日目は筑前いいづか雛のまつり。メイン会場は旧伊藤伝右衛門邸。伊藤伝右衛門は、貝島太助、麻生太助、安川敬一郎、堀三太郎と並ぶ筑豊の五大炭鉱王。筑豊の炭坑は、三井や三菱の大資本が経営する三池炭鉱や高島炭坑と違って、家族掘りといった零細な炭坑を才覚のある事業者が統合していくという歴史。伊藤伝右衛門もその典型的なたたき上げですが、大正天皇の従妹で歌人、大正三美人の一人と言われた柳原白蓮を妻に迎えるという栄誉も得る。旧伊藤伝右衛門邸には白蓮が暮らした部屋が今でもきれいな形で残っています。ちなみに、五大炭鉱王の中でも財閥と言われた筑豊御三家は、貝島、麻生と安川。貝島はもうありませんが、麻生は麻生セメントで生き残り、麻生太郎は総理大臣。安川は、炭坑内の電気用品製造から始まる安川電機が残っています。
そのようなことで、ここは豪壮・豪華だけではなく大いなる物語も秘めたお屋敷。それを彩るひな祭りは、いかがなことになるのでしょうか。なるほど、それらしく由緒正しきひな人形もありますが、やっぱり見応えのあるのは大広間いっぱいに飾られた平安絵巻の創作人形たち。おびただしい数の人形が桃の節句を祝ったり、寝殿造りの庭園で舟遊びをしたり。分類としては御殿飾りだと思いますが、思い思いに楽しむ姿がぎっしり詰め込まれて賑々しい。ここまでやってくれるか!というこの徹底的なエンターテイメントにはちょっと唖然。さすがの旧伊藤伝右衛門邸にあっても、それに負けないエネルギッシュな力強さには完全に脱帽ですね。ただ、一方で、むしろこうした賑々しさやエネルギッシュな力強さは、荒々しい男たちがひしめき合う筑豊炭鉱でたたき上げた伊藤伝右衛門の個性にどこか重なるような気がしなくもない。作成者はそのような意識はなかったかもしれませんが、そういう意味でも楽しめるひな飾りではないかと思いました。
また、飯塚に向かう前、せっかくなので中間、直方で途中下車。直方では往時の古い建物をまとめた観光エリア、殿町レトロの散策も久しぶりに楽しみました。旧讃井医院(向野堅一記念館)、前田園茶舗、石原商店ほか昭和初期に建てられた建物はやっぱり本物。向野堅一記念館はたまたま公開中で入ってみましたが、日清戦争当時のあれこれの展示があって、日本と中国の関係を考えさせられることに。怪しげな日清貿易研究所の活動とか、日本からすると日中友好が旗印なのですが、それは軍事侵攻に向けたスパイ活動と紙一重。純粋な思いがなかったとは言いませんが、結果としては、日本軍のお先棒を担いだと言われても仕方がないのかな。しかし、レトロな建物とともに、その歴史の記憶をそのまま事実としてとどめんとする取り組みやよし。歴史を直視することなしには学べるものも学べませんからね。大いに敬意を表したいと思います。
そして、最後は南蔵院と久留米の餃子。一日目も例によって盛りだくさんです。
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広島から小倉へ。小倉から黒崎に移動して、そこから筑豊電気鉄道を使って直方へ向かいます。
筑豊電気鉄道は、黒崎駅前駅から筑豊直方駅までを結ぶ16.0kmのローカル線。半分市街電車みたいな感覚もあるし、車両はけっこう新式のような印象。古さと新しさを両方感じます。
で、これを利用してこれまで縁遠かった中間市にも寄ってみようという次第です。古さと新しさを両方感じます by たびたびさん筑豊電気鉄道 (電車) 乗り物
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筑豊中間駅で途中下車して、散策開始。
まずは堀川運河ですが、これは江戸期に黒田藩の藩士、栗山利章により開削された遠賀川水系の洞海湾に至る人工河川。明治期に入ると筑豊炭田から若松港への石炭輸送に重要な役割を果たすことに。そうしたことから、歴史の道百選にも選定されているのですが、川幅はさほどないので、ここを石炭を積んだ小舟が行きかっていたことを思うと不思議な気持ちもしてきます。筑豊炭田から若松港への石炭輸送に重要な役割 by たびたびさん堀川運河 名所・史跡
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堀川の中間唐戸は、その堀川運河の遠賀川からの取水口。福岡藩6代藩主、黒田継高の時代の宝歴12年(1762年)に完成。これをもって、中断期間を挟んで100年以上かかった堀川運河の工事は全面開通となりました。
堀川運河の遠賀川からの取水口 by たびたびさん堀川の中間唐戸 名所・史跡
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木造の何でもないような建物ですが、取水の水量を調節をする機能とかには独特の技術があるようです。
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遠賀川に出て、川沿いを少し歩くと
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遠賀川水源地ポンプ室です。
世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の1つ。官営八幡製鐵所が明治43年、遠賀川の右岸に建設したポンプ室で、製鉄所の冷却用水などを確保するために造られました。製鉄所までの11.4kmhはパイプラインを経由しての送水です。
蔦が絡まってかなり古びたレンガ造りの建物ですが、今でも現役というのがすごいところ。まさにレガシーです。まさにレガシーです by たびたびさん遠賀川水源地ポンプ室 名所・史跡
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裏から眺めるとこんな具合です。
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しばらく歩いて、今度は垣生公園。15万m2の広さを持つ中間市最大の公園。池を中心に埴生神社に向かう赤い橋とかがアクセントかな。ただ、視界が開けていないのかそこまでの広さは感じないし、眺めも地味ですね。
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垣生公園の中には埴生神社も。赤い橋を渡った先ですが、逆にこの公園全体が境内のように見えなくもないですね。
仲哀天皇が神功皇后と熊襲征伐のためこの地を訪れ、航海の安全を祈願し、船魂の神を祀ったのが始まり。元亀2年(1571年)花尾城主、麻生隆実が再建。筑前御殿神楽の奉納とかもあるようです。あまり楽しめる雰囲気はないように思います by たびたびさん垣生公園 公園・植物園
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垣生公園の一角にある垣生羅漢百穴。
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公園を見下ろす一段高い場所です。
古墳時代後期に造られたとされる約50基の墓。多くの副葬品が発見されたようですが、穴にはその後、石仏を祀ったりして、今では抹香臭い場所になっています。 -
これも近くにある中間市歴史民俗資料館は、中間市地域交流センターの一階。
世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」に関連して by たびたびさん中間市歴史民俗資料館 美術館・博物館
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世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」に関連して、
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さきほどの八幡製鉄所に冷却水を送った遠賀川水源地や
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石炭の輸送に大きな役割を果たした堀川運河の中間唐戸などの紹介。
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小田宅子の東路日記もちょっと面白いです。
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中間市は、もうひと踏ん張り。月瀬八幡宮と猫城址はセットで訪ねます。
まずは、猫城。何でもないような平地にここだけはこんもりとした山になっているという地形。戦国期、麻生氏によってこの端城が築かれました。猫城は変わった名前ですが、敵が攻めてくるときは山が高くなり、城から攻め下りるときは山が低く感じるということで、まるで猫が背を高くしたり低くしたりしているようだということから。合戦は二度行われましたが、落城はしなかったようです。 -
月瀬八幡宮は、江戸期、その場所に宇佐神宮の分霊を祀ったもの。鳥居から参道を奥に進むと一直線に山上へ続く石段があって、
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神社の本殿、城址はその上です。中間市は以上でおしまい。
中間駅からJR筑豊本線で直方へ向かいます。ちなみに、JR筑豊本線は、若松駅から筑紫野市の原田駅に至るローカル線。新飯塚駅、直方駅から折尾駅に出ると鹿児島本線に連絡して、黒崎駅や小倉駅にも通じます。歴史的には筑豊炭田の石炭を運ぶのに威力を発揮した路線で、周辺の炭鉱につながる支線もたくさんあったようです。
ただ、今は通勤通学等を中心の生活路線かなと思います。 -
直方駅に到着。ここからは、ちょこっと直方の散策。久しぶりの直方ですが、直方は、飯塚、田川と並ぶ筑豊の中心都市。ただ、位置関係としては飯塚、田川の石炭も直方を経由して北九州に運ばれますから、直方は交通の要衝。そういう意味でも、三つの中でもワンランク上の街並が残っていて、その象徴が冒頭に触れた殿町レトロです。
さて、直方駅を降りると高台にすぐ見える浄土真宗の寺は西徳寺。 -
慶長5年(1600年)、筑前に移ってきた小早川秀秋の家老、篠田次郎兵衛重英が出家し西徳是照と号したのが始まりです。
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豪壮な構えの寺には二つの文化財があって、梵鐘と山門。梵鐘は福岡城で時を告げる鐘として使われていたもの。山門は、直方第4代藩主、黒田長清の館の門を移築したものだそうです。
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境内には、ほか林芙美子の滞在地記念文学碑もありました。
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市街の方に進んで、これは直方藩主居館跡。多賀公園の山すそ、直方市体育館に向かう途中。石柱と説明板がありました。
ここは、直方藩の前身、東蓮寺藩(直方藩)の四代藩主、黒田長清の居館の跡。元禄5年(1691年)、長清は、知行が5万石に加増されたことを機にここに居館を移したということです。 -
多賀公園は、黒田長清の居館の跡地を整備した公園。ちなみに、直方藩は、黒田長政の四男、隆政が4万石の領地を与えられ、東蓮寺藩を興したことが始まり。三代藩主、長寛の時代に直方藩に改められました。
なお、公園は意外に山の上の高い場所にあって、けっこうな山道を上っていきます。それなりの広場があって、児童公園のような感じです。 -
イチオシ
ここからは殿町レトロ。
冒頭に触れた旧讃井医院(向野堅一記念館)です。
表に案内板があって、以下説明文。
向野堅一は、明治元年九月四日、新入村に生まれる。遠き満州にその名を残し、終始一誠、人を愛して、国を憂いては命をかけた不屈の男である。修猷館から日清貿易研究所へ進学。日清戦争のとき、特別任務を命ぜられ、任務に従った者のうち、ただ一人だけ九死に一生を得て、使命を果たした。
これからは「商業の時代である」という信念をもって、北京・大連・奉天を舞台に、日中合資の正隆銀行、満州市場株式会社などを設立し、満州経済界を指導する。昭和六年九月十七日、東京で逝去。満州事変勃発の前日であった。
台湾仏教布教にも活躍。奉天に大義寺を建立し、民族を越えて戦没者をまつる。書画・篆刻・謡曲をたしなむ芸術愛好家でもあった。チーパオを纏うその凛々しい姿は、今、私たちに何を語ろうとしているのだろうか。黄塵を馳せ、アジアの平和を願いつつ、奉天の街をつくったつよくやさしい日本人・堅一の、その想いを伝えるため、この記念館を創設した。 -
入り口を入って、
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正面には、向野堅一の写真。
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日本語の看板ばかりで日本のような気もしますが、道路の道幅とか一直線の道の長さとかちょっと雰囲気が違います。満州とか中国に作られた日本人の街ではないかと思います。
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応接室は旧讃井医院のもの。
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掛かっている書には辛亥十月と書かれていて、中国のものでしょう。
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こちらが資料室
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日清貿易研究所の関係は
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まだどうということはないですが、
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これは日本軍の特殊任務で中国のスパイ活動をしていた面々。
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中国で捕まって処刑された人も多いようですが、これも愛国心の発露としての紹介です。
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向野堅一は生き残り、勲功を讃えられた後輩の書。
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孫文の「博愛」書。
孫文は日本に知古も多くて、多くの日本人がその人間性に心酔した人物。主導した辛亥革命によって清国は滅亡。中華民国が誕生しますが、内部には矛盾を抱え、必ずしも成功とはいえないかも。孫文には徳川幕府を倒して明治維新を成し遂げた日本に学ぼうという気持ちがあるし、日本の知識人には明治維新の成功を広くアジアに広めたいという思いがありましたから、相思相愛的な関係があったのだと思いますが、日本の方は明治維新の成功を広くアジアに広めたいという思いはいつの間にか中国での利権獲得から大陸進出、侵略への道を辿ることとなる。それは後の太平洋戦争でも大東亜共栄圏の考え方が侵略を正当化する理論になったりとかしたのですが、むしろ、向野堅一に聞けるならその辺りですね。氏の抱いた大いなる理想と歴史の現実のギャップはどう理解したらいいのでしょうか。
ただ、実際のところ、少なくとも当時はその二つに矛盾を感じた人はほとんどいなかったのではないかとも思います。中国を侵略することも中国を助けることと同義みたいな感覚でしょうか。つまり、日本でも自由民権運動はありましたが、それは今思えば狭義の権力闘争でもあったような。今では当たり前となっている民族自決とか人権とか自由とかの思想は世界でもまだまだ未熟だったし、日本人にはちょっと遠い世界の話しだったかもしれません。それに日本が太平洋戦争で負けなければ、もしかしたら今でも日本人は形式的にしかそうしたことを理解していなかったかもしれません。さらに加えれば、逆に、今の当たり前が今後も続くかどうかは分からない。例えば、戦後あれほど輝いていたグローバリズムの考え方も近年、色あせた感がありますからね。守るべきものと変わっていってもかまわないもの。その見極めがちゃんとできるかどうかは、常に心にとめておかないといけないことだと思います。 -
イチオシ
塩cafeも、殿町レトロの中心部。大正15年に建てられた旧前田園本店店舗のレトロ建物をリノベーションしてオープンしたというカフェです。建物は取り壊され駐車場にされるのがほぼ決まっていたところに、今のオーナーがそれを惜しみ買い取ったのだとか。隣りのこれもレトロ建物の石原商店と並んで建っているのもいい眺めです。
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直方の市街からすぐの遠賀川の河川敷に出ると直方リバーサイドパーク。かなりの広さがあるのですが、すべてが美しい芝生の広場となっていて脇に延びる遊歩道も感じがいいですね。
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遠賀川を対岸に渡る木橋もあったり、
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親水公園的な要素も十分あると思います。
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商店街を抜けて、
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また直方駅に戻ってきました。
大関 魁皇像は、直方駅の東側、駅前。大関 魁皇は、直方市出身で、友綱部屋。大関として4度の優勝。通算1,047勝も記録更新だったし、幕内通算846勝、幕内在位103場所は、ギネス世界記録だったとか。改めて考えるとただ人気があっただけではない。偉大な大関であることが分かります。 -
直方駅から新飯塚駅に到着。旧伊藤伝右衛門邸はここからバスなので、その前に駅の周辺をちょっと散策です。
麻生大浦荘は、新飯塚駅から歩いて10分くらい。 -
筑豊御三家のひとつ、麻生家の初代、太吉の長男、太右衛門の住宅として大正末期に建てられたもの。ただ、それより、元総理大臣、麻生太郎氏の実家の別荘といった方が分かりやすいかな。
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イチオシ
内部は紅葉のシーズンに公開されるということですが、外観だけ遠目で確認させてもらいました。キンモクセイとギンモクセイ、ヤマモモの寄せ植えだという玄関の前の植栽もさすがの大迫力でした。
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続いては、飯塚市歴史資料館。
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こちらも、筑前いいづか雛のまつりの会場のひとつなんです。
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ここが展示室。
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中央には、いい感じの御殿飾り。
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ただ、周囲に展示された雛飾りはちょっとびっくりするもの。
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おびただしい数の人形飾りが
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賑やかに連なっていて
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この迫力は段飾りではできないもの。
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創作飾りのジャンルですが、このセンスはかなり独特。
ここまで来ると雛飾りの範疇を越えて、ザ・ジャパン風の曼陀羅になっているかと思います。 -
この先は、博物館の展示だけに由緒正しき人形かな。
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享保雛も
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イチオシ
切れ長の目の高貴さが素晴らしい。
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品格の違いを感じます。
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これは明治24年のもの。
江戸期とはまた違った重々しさを感じます。 -
全国各地の郷土玩具的なおひな様。
九州は紙系が多いのかな。 -
嘉穂の八朔雛も初めて拝見です。
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奥の展示室では、伊藤伝右衛門と白蓮。
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二人の関係は白蓮事件で離婚の決着となりますが、伊藤伝右衛門は白蓮の文芸活動を支援していたとはいえ、籠の鳥だった白蓮が爆発したということかな。しかし、逆にこの事件があったことで、白蓮の人となりが後世に語り継がれることになったわけで、白蓮にはマイナスばかりでもないでしょう。
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あとの黒田如水、長政に
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炭鉱関係は定番ですね。
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では、ここでお昼も済ませます。
麺や 長政は、新飯塚では大人気のうどん屋さん。この日は土曜日で待ち時間は30分くらいでした。 -
いただいたのは、野菜天うどん。うどんの方は細くて、微妙にコシがなくはないのですが福岡らしい柔らかさ。ちょっと期待外れだったかあと思ったら、揚げたてのてんぷらがサクサクとっても美味ですね。大勢のスタッフがきびきび動いているのも気持ちいいし、やっぱりさすが人気店だなという印象です。
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さて、バスに乗って、いよいよメインの旧伊藤伝右衛門邸です。
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イチオシ
前回はレンタカーで来たので気が付きませんでしたが、ここは集落の一角。
こんな門構えの豪邸ですが、ポツンとあるわけではありません。 -
中に入ると
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ここが入口。
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ただ、ここに来たらやっぱりまずは庭園の方ですよね。
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はいはい、
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これが自慢の名勝庭園。
旧伊藤伝右衛門邸は、”明治30年代に造営、大正時代~昭和時代に掛けて増改築された屋敷”とあって、庭園がいつ完成したかははっきりしませんが、基本は明治後期の庭園と理解していいのではないかと思います。
まず目に入るのはこの広々とした芝生の景色ですね。 -
明治期に活躍した小川治平も芝生を使うのが得意でしたが、京都の無鄰菴でも芝生が主役とまではなっていませんよね。
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そして、その奥側には池泉回遊式のエリア。
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石造りの太鼓橋とか
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ゆるやかな渓流を思わせる水辺とバックに建つ母屋もこちらからすると景観を構成する重要な要素かな。この雰囲気は、旧三井家下鴨別邸に近いかもしれませんね。
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さらに言うと、明治の庭は西洋なにするものぞ的な意匠が見え隠れすることが多いのですが、ここは比較的さらりとしている感じ。都内の庭園だとお化けみたいな大きな石灯籠を置いていたりする明治の庭は珍しくないですからね。意外にそういうところは伊藤伝右衛門のバランス感覚が反映されているような気もします。
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では、邸内へ。
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すぐの応接から
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多くの部屋が続きますが、
そのそれぞれに工夫をした雛飾り。 -
貝合わせに
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こちらの展示は雛道具。
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こういうこまごまとした雛道具は
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実はどうかするとひな人形よりも主役と言っていいくらい。
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イチオシ
そもそも雛というのは小さなという意味だし、
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私の理解だと、歴史的にもひな人形より雛道具の方が先ですからね。
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これだけちゃんとしたコレクションをまず最初に見せるのは、とても理に適っていると思います。
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もうけっこういい気持になっていたのですが、広間の方に入っていくと
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あらら~
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これはなんとも
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イチオシ
どういうことなんでしょうね。
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さっきの飯塚市歴史資料館のひな飾りもこういうぎっしり系でしたが、
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こちらはスケールが全然違うし、
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なにか吹っ切れていますよね~
平安時代の貴族たちがこういう遊びをしていたんだろうという情景をぎゅっと詰め込んでいます。 -
華やかさとか楽しさとか賑々しさとか大迫力とか。いろんな表現ができると思いますが、たびたび的にはエネルギッシュな力強さを感じるひな飾り。少なくともかわいらしさとか優雅さではないですね。
冒頭に触れましたが、荒々しい筑豊炭鉱でたたき上げた伊藤伝右衛門の半生にも思いを馳せれるひな飾りだと思います。 -
建物はさらに奥へと続きます。
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廊下に沿ってのつるし雛から
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このしっとり系の段飾りは
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イチオシ
皇女和宮。
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明治天皇雛。天皇が洋式の正装をしているところがミソになります。
いずれにしても、白蓮さんは大正天皇の従妹ですから、みんな縁戚です。 -
掛け軸と組み合わせた雛飾りや
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丸平 衣装人形、
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享保雛もさりげなく置いてあります。
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これは掛け軸。
さりげなくて奥ゆかしいです。 -
イチオシ
なお、この座敷から見る庭園はほぼ正面。さすがに正面だけあって、とってもバランスがいいですね。ちゃんと計算通りといったハマり具合です。
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では、白蓮さんのお部屋、二階に上がります。
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この二間続きの部屋が白蓮さんのお部屋です。
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庭を見下ろす日当たりのいい部屋。白蓮さんには最上級の敬意を払ったということでしょう。
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ただ、床の間の飾りはつつましやかな感じ。
ただ、それでも、有職御人形司伊東久重作の人形に -
こちらは天皇陛下御成婚雛ですから、格式の高いもの。
確かにめったなものが置ける場所ではないですよね。
以上で、旧伊藤伝右衛門邸も終了です。 -
新飯塚駅に戻って、ここから今夜の宿の久留米に向かいますが、福北ゆたか線を使うので、途中下車して、以前から課題の南蔵院にも寄ってみます。
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南蔵院は、平成7年に建立されたというブロンズ製としては世界最大級の釈迦涅槃像でめちゃめちゃ有名。ネット等で何度も見ていましたが、実物は見たことないですからね。
城戸南蔵院前駅から長い参道を山の方に上がっていきます。 -
まだ先ですか~
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と
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ややや!
これは大きい。 -
想像していたよりずっと大きい。
いやいや実物はぜんぜん迫力が違いますね。 -
全長41m、高さ11mはやっぱりかなり大きいし、
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また、顔立ちから青緑のブロンズの全身は汚れも全くなくて、とても艶やかで美しい。
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イチオシ
誰しも感動間違いなしの涅槃像。
ちょっと無理したかなと心配もしていましたが、やっぱり来てよかった~の一言ですね。 -
久留米駅に到着。
晩飯は五十番。このお店はたぶん久留米では知らない人はいないくらいの有名な餃子専門店。裏路地にひっそりとありました。 -
メニューは焼き餃子と水餃子の二つ。単価は500円です。
焼き餃子の方をいただきましたが、鉄鍋というやつ。パリパリの焼きなんですが、餡はねっちょり。野菜が多くてあっさりした味わいなんですが、何かの香り付けが少しあるのかな。単純な野菜の味ではないですね。おいしいことはおいしいのですが、私としてはこういう複雑な味系はちょっと苦手かも。
なお、お客さんの回転はすごく早いので、並んでいても全然心配はいりません。 -
今夜の宿はビジネスイン・シーガル。最寄りの駅は花畑ですが、久留米の中心部からだと歩いたほうが早いかもしれません。建物は大通りに面していて中堅のビジネスホテルといった感じ。スタッフも若くて、ロビー周りもほどほどかな。部屋はシンプル。余計なものは置いてなくてすっきりしています。
さて、明日は八女の雛の里・八女ぼんぼりまつりを訪ねます。
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