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ご覧いただきまして、ありがとうございます。<br /><br />日光に到着、東照宮には行ったことがありましたが、今回は徳川家光の廟所である大猷院を訪れました。

2024年3月栃木② 家光公御廟・大猷院に行く~行ってなかった日光

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2024/03/02 - 2024/03/02

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emi_uさん

この旅行記スケジュールを元に

ご覧いただきまして、ありがとうございます。

日光に到着、東照宮には行ったことがありましたが、今回は徳川家光の廟所である大猷院を訪れました。

  • 日光連山がきれいに見えるという日光だいや川公園添いの県道248号<br /><br />左端が男体山

    日光連山がきれいに見えるという日光だいや川公園添いの県道248号

    左端が男体山

    日光だいや川公園 公園・植物園

  • こちらは北寄りの、左から女峰山、赤薙山

    こちらは北寄りの、左から女峰山、赤薙山

  • 男体山と大真名子山を割るように、日光七里大橋で志渡淵川(しどぶちがわ)を渡る

    男体山と大真名子山を割るように、日光七里大橋で志渡淵川(しどぶちがわ)を渡る

  • 左から男体山、<br />ほぼ裏に隠れて拡大しても段差がわかるかどうか程度の太郎山、<br />大真名子山、<br />頭がちょこんと見える小真名子山、<br />女峰山、赤薙山と続く

    左から男体山、
    ほぼ裏に隠れて拡大しても段差がわかるかどうか程度の太郎山、
    大真名子山、
    頭がちょこんと見える小真名子山、
    女峰山、赤薙山と続く

  • 東武日光駅を通過し、

    東武日光駅を通過し、

    東武日光駅

  • まず東照宮より奥、本日の宿・日光ぐりーんほてる懐かし家 風和里 へ<br /><br />13時、当然お部屋はまだなので、チェックインの手続きだけしがてら、駐車のお許しだけいただいて、散策へ

    まず東照宮より奥、本日の宿・日光ぐりーんほてる懐かし家 風和里 へ

    13時、当然お部屋はまだなので、チェックインの手続きだけしがてら、駐車のお許しだけいただいて、散策へ

    日光ぐりーんほてる懐かし家 風和里 宿・ホテル

  • まず宿から国道120号に出てすぐにあったのが石の鳥居

    まず宿から国道120号に出てすぐにあったのが石の鳥居

  • 村社八幡神社とある<br /><br />鳥居をくぐって左手が八幡神社

    村社八幡神社とある

    鳥居をくぐって左手が八幡神社

  • 右手には延命地蔵尊

    右手には延命地蔵尊

  • 奥には釈迦堂がある<br /><br />簡素な表門は切妻鉄板葺き<br />昔は釈迦堂とともに杮葺きだったと推察されている<br /><br />1684年の大火で消失後、釈迦堂とともに1687年に復興、1711年に造替したものと思われる

    奥には釈迦堂がある

    簡素な表門は切妻鉄板葺き
    昔は釈迦堂とともに杮葺きだったと推察されている

    1684年の大火で消失後、釈迦堂とともに1687年に復興、1711年に造替したものと思われる

  • 雪の向こうに釈迦堂<br /><br />この釈迦堂はもと妙道院の本堂<br />妙道院は天海大僧正が1628年に仏岩谷に創建し山内の菩提寺としていたものを、1640年に現在地に移建<br /><br />妙道院自体は明治の神仏分離の際に途絶えた<br /><br />前述の通り、1684年の大火で消失<br />1687年に復興と推察され、須弥壇下から発見された棟札から、1711、1740、1763、1779各年に修理されたと思われる

    雪の向こうに釈迦堂

    この釈迦堂はもと妙道院の本堂
    妙道院は天海大僧正が1628年に仏岩谷に創建し山内の菩提寺としていたものを、1640年に現在地に移建

    妙道院自体は明治の神仏分離の際に途絶えた

    前述の通り、1684年の大火で消失
    1687年に復興と推察され、須弥壇下から発見された棟札から、1711、1740、1763、1779各年に修理されたと思われる

  • 並んで「殉死の墓および譜代家臣の墓」がある<br /><br />墓碑は24基<br />徳川三代将軍家光に殉死した家臣の墓碑5基と、初代家康、二代秀忠の譜代家臣の墓碑19基<br /><br />1610~1668年の江戸時代初期のもの<br />約1.6~3.9mと、全体に大型で立派な堂々たる石塔群

    並んで「殉死の墓および譜代家臣の墓」がある

    墓碑は24基
    徳川三代将軍家光に殉死した家臣の墓碑5基と、初代家康、二代秀忠の譜代家臣の墓碑19基

    1610~1668年の江戸時代初期のもの
    約1.6~3.9mと、全体に大型で立派な堂々たる石塔群

  • 10分ほど歩くと、西参道の下に着く

    10分ほど歩くと、西参道の下に着く

    日光カステラ本舗 磐梯日光店 グルメ・レストラン

  • 日光カステラ、日光ドラバタさん、日光かりまん、と参拝を終えたら甘いものをいただきながら一服したいところ

    日光カステラ、日光ドラバタさん、日光かりまん、と参拝を終えたら甘いものをいただきながら一服したいところ

    日光ドラバタさん グルメ・レストラン

  • しかし我々の参拝はこれから<br /><br />「良い縁坂」とも呼ばれる西参道をのぼる

    しかし我々の参拝はこれから

    「良い縁坂」とも呼ばれる西参道をのぼる

  • 坂の上の分岐<br />まっすぐ行くと二荒山神社、左手が大猷院(たいゆういん)

    坂の上の分岐
    まっすぐ行くと二荒山神社、左手が大猷院(たいゆういん)

  • 13時半 大猷院に到着<br />大猷院とは、徳川三代将軍家光公の院号<br /><br />祖父・家康公(東照宮)を凌いではならないという遺言により、金と黒を使用し重厚で落ち着いたつくりと言われている<br /><br />今回は大猷院に狙いを定めていたので、単独拝観券を購入<br />お得なセット券などもあるから、HPをチェックした方がいい<br />https://www.rinnoji.or.jp/information.html

    13時半 大猷院に到着
    大猷院とは、徳川三代将軍家光公の院号

    祖父・家康公(東照宮)を凌いではならないという遺言により、金と黒を使用し重厚で落ち着いたつくりと言われている

    今回は大猷院に狙いを定めていたので、単独拝観券を購入
    お得なセット券などもあるから、HPをチェックした方がいい
    https://www.rinnoji.or.jp/information.html

    日光山 輪王寺 大猷院 寺・神社・教会

  • (看板より抜粋)<br /><br />家光公は、父・秀忠公の政策を受け継ぎながら「参勤交代」や「鎖国」などを推し進めた名君。<br />家光公は、慶安4年(1651)4月20日、江戸城にて将軍現職のまま48歳で薨去。<br />遺言に従い四代将軍家綱公によって1年2ヶ月の短期間で創建されたのが大猷院。<br /><br />「大猷院」は、後光明天皇より賜った謚(おくりな)。<br />大猷とは中国の古典「詩経」から取られた言葉で「おおいなる道」、つまり家光公が江戸時代の大きな道筋をつけたという意味が込められている。<br /><br />境内には22件の国宝・重要文化財が建ちならび、周囲の木立と相俟って重厚で荘厳な雰囲気を醸し出す。<br />建物の配置は大黒山の斜面を利用しているため、大小4棟の門をくぐるたびに景色が変わり、天上界に昇ってゆくかのような感覚を覚える。

    (看板より抜粋)

    家光公は、父・秀忠公の政策を受け継ぎながら「参勤交代」や「鎖国」などを推し進めた名君。
    家光公は、慶安4年(1651)4月20日、江戸城にて将軍現職のまま48歳で薨去。
    遺言に従い四代将軍家綱公によって1年2ヶ月の短期間で創建されたのが大猷院。

    「大猷院」は、後光明天皇より賜った謚(おくりな)。
    大猷とは中国の古典「詩経」から取られた言葉で「おおいなる道」、つまり家光公が江戸時代の大きな道筋をつけたという意味が込められている。

    境内には22件の国宝・重要文化財が建ちならび、周囲の木立と相俟って重厚で荘厳な雰囲気を醸し出す。
    建物の配置は大黒山の斜面を利用しているため、大小4棟の門をくぐるたびに景色が変わり、天上界に昇ってゆくかのような感覚を覚える。

  • まずは仁王門

    まずは仁王門

  • 「阿形」の密迹金剛(みっしゃくこんごう)

    「阿形」の密迹金剛(みっしゃくこんごう)

  • 「吽形」の那羅延金剛(ならえんこんごう)

    「吽形」の那羅延金剛(ならえんこんごう)

  • 凛々しいお顔

    凛々しいお顔

  • こうした解説が各所にあるので、わかりやすい

    こうした解説が各所にあるので、わかりやすい

  • 仁王門をくぐり、反対側から

    仁王門をくぐり、反対側から

  • 仁王門をくぐると、左手に高々と伸びる高野槙<br /><br />樹齢約400年、四代将軍家綱公お手植えという

    仁王門をくぐると、左手に高々と伸びる高野槙

    樹齢約400年、四代将軍家綱公お手植えという

  • 右手に奥にあるのが御水舎(おみずや)

    右手に奥にあるのが御水舎(おみずや)

  • 九州の大名、鍋島勝茂が寄進した御影石の御水舎

    九州の大名、鍋島勝茂が寄進した御影石の御水舎

  • 天井には、狩野永真安信(かのうえいしんやすのぶ)による龍の絵<br /><br />水面に映る姿から、「水鏡(みずかがみ)の龍」と呼ばれた<br /><br />が、傷みが進んでいて見る影もない

    天井には、狩野永真安信(かのうえいしんやすのぶ)による龍の絵

    水面に映る姿から、「水鏡(みずかがみ)の龍」と呼ばれた

    が、傷みが進んでいて見る影もない

  • 看板にあった、画像調整処理がされた写真<br /><br />前の写真と同じ向きか?と思うが、それも定かではない

    看板にあった、画像調整処理がされた写真

    前の写真と同じ向きか?と思うが、それも定かではない

  • 更に奥には龍光院がある<br /><br />家光の側近・梶定良の位牌が龍光院の仏間に祀られている<br /><br />家光の8歳年下の家臣・梶定良(1612~1698)は、幼少より家光の側にいて、側近として仕えた重臣<br /><br />家光亡き後も、江戸から日光に移り住み、元禄11年(1698)87歳で逝去するまで47年、家光に霊膳を捧げるのを日課とした<br /><br />逝去後、尊骸は大猷院近くに葬られ、位牌は龍光院の仏間に祀られている<br /><br />寛文の水害や貞享の大火の際には、私財を投じて日光の人々の救済に尽くしたので、地元民からは「梶さま」と敬われ慕われ続けるという

    更に奥には龍光院がある

    家光の側近・梶定良の位牌が龍光院の仏間に祀られている

    家光の8歳年下の家臣・梶定良(1612~1698)は、幼少より家光の側にいて、側近として仕えた重臣

    家光亡き後も、江戸から日光に移り住み、元禄11年(1698)87歳で逝去するまで47年、家光に霊膳を捧げるのを日課とした

    逝去後、尊骸は大猷院近くに葬られ、位牌は龍光院の仏間に祀られている

    寛文の水害や貞享の大火の際には、私財を投じて日光の人々の救済に尽くしたので、地元民からは「梶さま」と敬われ慕われ続けるという

  • 左手に折れて階段を昇ると二天門<br /><br />日光の境内で1番大きな門<br />「大猷院」の扁額は後水尾上皇の筆による

    左手に折れて階段を昇ると二天門

    日光の境内で1番大きな門
    「大猷院」の扁額は後水尾上皇の筆による

  • 持国天、増長天を安置していることから二天門と呼ばれる

    持国天、増長天を安置していることから二天門と呼ばれる

  • 向かって左は持国天

    向かって左は持国天

  • 右は増長天

    右は増長天

  • 増長天の脇からは輝く鐘楼が覗く

    増長天の脇からは輝く鐘楼が覗く

  • くぐって振り返った左手、増長天の裏には風神

    くぐって振り返った左手、増長天の裏には風神

  • 右手、持国天の裏には雷神

    右手、持国天の裏には雷神

  • その先には「幡(ばん)」の礎石

    その先には「幡(ばん)」の礎石

  • (看板より)<br />大法要などで境内に掲げる仏教様式の旗を「幡(ばん)」、それを吊す竿を「幢竿(どうかん)」といいます。この特徴ある丸い石は、幢竿を立てる基礎石を護るための蓋となっています。境内には同様の基礎石が80箇所あります。

    (看板より)
    大法要などで境内に掲げる仏教様式の旗を「幡(ばん)」、それを吊す竿を「幢竿(どうかん)」といいます。この特徴ある丸い石は、幢竿を立てる基礎石を護るための蓋となっています。境内には同様の基礎石が80箇所あります。

  • その先は「展望所」となっている<br /><br />眼下には多くの石灯篭が並ぶ<br />これらは10万石未満の大名からの献上品で、それらの大名は、二天門から先に進むことは許されなかった

    その先は「展望所」となっている

    眼下には多くの石灯篭が並ぶ
    これらは10万石未満の大名からの献上品で、それらの大名は、二天門から先に進むことは許されなかった

  • 二天門を見下ろしながら階段を昇ると、

    二天門を見下ろしながら階段を昇ると、

  • 右手に先ほど二天門から見えた鐘楼

    右手に先ほど二天門から見えた鐘楼

  • 逆光だったので反対側からも<br /><br />こちら側からの方が煌びやかさがわかる

    逆光だったので反対側からも

    こちら側からの方が煌びやかさがわかる

  • 左手は鼓楼(ころう)<br /><br />大きな太鼓がおさめられている

    左手は鼓楼(ころう)

    大きな太鼓がおさめられている

  • こちらも同様の造りに見えるが、光の加減で写真では暗くなってしまった

    こちらも同様の造りに見えるが、光の加減で写真では暗くなってしまった

  • その上には夜叉門<br /><br />牡丹の花が彫刻されているので、牡丹門とも呼ばれる

    その上には夜叉門

    牡丹の花が彫刻されているので、牡丹門とも呼ばれる

  • 4体の夜叉が祀られている

    4体の夜叉が祀られている

  • 向かって右から時計回りに、<br />阿跋摩羅(あばつまら)

    向かって右から時計回りに、
    阿跋摩羅(あばつまら)

  • 毘陀羅(びだら)

    毘陀羅(びだら)

  • 毘陀羅の背中合わせには、犍陀羅(けんだら)

    毘陀羅の背中合わせには、犍陀羅(けんだら)

  • 烏摩勒伽(うまろきゃ)

    烏摩勒伽(うまろきゃ)

  • 龍に見送られて夜叉門をくぐると、唐門が待つ

    龍に見送られて夜叉門をくぐると、唐門が待つ

  • 門前の灯籠は紀州、水戸、尾張の徳川御三家からの献上品

    門前の灯籠は紀州、水戸、尾張の徳川御三家からの献上品

  • 唐門とは中国風の門という意味<br /><br />総金箔造り

    唐門とは中国風の門という意味

    総金箔造り

  • 軒下には丹頂鶴と白龍

    軒下には丹頂鶴と白龍

  • 玉垣にはたくさんの鳩、左右の壁には秋の七草が彫刻されている

    玉垣にはたくさんの鳩、左右の壁には秋の七草が彫刻されている

  • 唐門の内側には大猷院の中心となる建物

    唐門の内側には大猷院の中心となる建物

  • 手前から拝殿、相の間、本殿と並ぶ権現造り

    手前から拝殿、相の間、本殿と並ぶ権現造り

  • たくさんの金箔が使われていることから、金閣殿とも呼ばれる<br /><br />月に一度法要が行われ、家光公の命日4/20の法要が大きい

    たくさんの金箔が使われていることから、金閣殿とも呼ばれる

    月に一度法要が行われ、家光公の命日4/20の法要が大きい

  • この中で僧侶の方のありがたいお話を伺った結果、そのお上手なセールス(笑)に思わず破魔矢をいただいた<br /><br />こちら、毎年替える必要のない一生モノ!<br /><br />先出の青い烏摩勒伽が右手に携えた矢を象っている

    この中で僧侶の方のありがたいお話を伺った結果、そのお上手なセールス(笑)に思わず破魔矢をいただいた

    こちら、毎年替える必要のない一生モノ!

    先出の青い烏摩勒伽が右手に携えた矢を象っている

  • その奥には皇嘉門(こうかもん)<br /><br />家光公御廟への入口の門<br />中国明朝建築の竜宮造りで、別名「竜宮門」<br />この先に家光公のお墓があるが、非公開

    その奥には皇嘉門(こうかもん)

    家光公御廟への入口の門
    中国明朝建築の竜宮造りで、別名「竜宮門」
    この先に家光公のお墓があるが、非公開

  • ありがたい破魔矢を携えて大猷院を後にし、締めは二荒山神社

    ありがたい破魔矢を携えて大猷院を後にし、締めは二荒山神社

  • いかにも縁起の良い黄金のうさぎが出迎えてくれる<br /><br />古事記に出てくるうさぎは、大国様(大国主命)に助けられた後に、八上姫との結婚を予言したと伝えられ、緑を結ぶうさぎと言われる

    いかにも縁起の良い黄金のうさぎが出迎えてくれる

    古事記に出てくるうさぎは、大国様(大国主命)に助けられた後に、八上姫との結婚を予言したと伝えられ、緑を結ぶうさぎと言われる

    日光二荒山神社 寺・神社・教会

  • 東照宮へ続く上新道へ続く箇所にあるのは唐銅鳥居(からかねとりい)<br /><br />寛政11(1799)年に創建された銅製の鳥居<br />上部中央には二荒山神社の社紋である三つ巴紋が配置されている<br /><br />いわゆる左三つ巴のようだ<br />左三つ巴は八幡宮系、右三つ巴は龍神信仰など一部で相対的に少なそう<br /><br />この後は、憾満ヶ淵を目指すので、よろしければ続きをこちらで

    東照宮へ続く上新道へ続く箇所にあるのは唐銅鳥居(からかねとりい)

    寛政11(1799)年に創建された銅製の鳥居
    上部中央には二荒山神社の社紋である三つ巴紋が配置されている

    いわゆる左三つ巴のようだ
    左三つ巴は八幡宮系、右三つ巴は龍神信仰など一部で相対的に少なそう

    この後は、憾満ヶ淵を目指すので、よろしければ続きをこちらで

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