2024/02/17 - 2024/02/17
231位(同エリア251件中)
BO/Mさん
清水安三と中江藤樹が高島市新旭町を代表する偉人と言われているそうです。
「清水安三」 とは、桜美林学園と言う学校法人を作った始祖ですが、それが後半生だとすると、前半生では同志社神学部に学び、プロテスタントの牧師となったのちに中国北部で貧しい子女を救い、分け隔てなく食べ物や教育を与えた方として今も北京陳経倫学園という学校法人では銅像が在る日本人としては稀有な存在であるとされています。
中江藤樹はご存知陽明学を学び、広め、また立派な人物としてその名を広く知られている方ですね。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線 JR特急 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
琵琶湖湖西線新旭駅は、琵琶湖西岸高島市の中央に位置し、琵琶湖全体の上三分の一程の湖畔に在るJR線となります。北に抜けると敦賀方面、先には北陸地方が控えています。
-
今回はその地へ行く機会を得て、清水安三や中江藤樹縁の地を散策してきました。
先ずは湖西中学校ですが、地場の偉人、清水安三先生顕彰会と言う活動があり、「学而事人」と説いた清水安三の言葉やその人生訓を今に伝え、小中学校生に伝承しています。学而事人(がくじじじん)とは 「学問は決して自分のためだけにするものではありません。 身につけた力を社会に役立てることが大切です」という意味です。
*詳しくは、「清水安三先生顕彰会」HPでご確認下さい*
https://www.yasuzo-s.com/index.php?FrontPage -
学校敷地内入って直ぐ右手に、「学而事人」石碑が建っています
-
こちらがその裏側の説明書きです
新旭町名誉町民第一号の清水安三先生は
中国の貧しい過程の子供の教育に尽くされ
北京の聖者と称えらえました
「学而事人」(学びて人につかえる)は
先生が終生大切にされた言葉で
「学問は 決して自分のためだけにするものでは
ありません 身につけた力を社会に役立てること
こそ大切です」という意味です
陳経倫中学
桜美林学園
との交流を記念して
平成15年3月建立
新旭町教育委員会
と刻まれています -
湖西中学校では、学校前の一本道を「学而事人の道」として呼称しています
-
学校校庭から向こうは琵琶湖を臨む方向です
-
清水安三先生生誕地
昭和50年1月、新旭町は、町制20周年の記念式で「名誉町民」の称号を贈った。
安三先生は、明治24年6月1日、此の地に生まれた。同志社大学に学び、宣教師となって、大正10年、中国・北京に崇貞学園を設立。貧しい過程の子女教育に専念し「北京の聖者」と称された。
昭和21年、東京・町田市に桜美林学園を創立。国際教育を唱えて、人財の育成に当たった。
約されぬ 器にしあれど
聖たれ 聖たれよと 聲うちに聞く
67歳 安三
この歌には、郷土の聖人「中江藤樹先生を師と仰ぎ、粗衣粗食して「成人の道」に励んだ心境が詠まれている。
新旭町の「清水安三育英基金」は、向学心に燃える後進に贈られたものである。
新旭町
と記されている。 -
同地より徒歩圏内、学校生門を背にして左側へ5分程の場所に、清水安三生誕地、の石碑が遺されている。
-
こちらが現在の清水安三記念館である。
元々は安藤医院と言う病院だったそうだが、それを買い取り現在に至る。
実は一粒ヴォーリズ設計事務所による建造物であり、空気の還流などを
考えた設計となっているそうだ。現在、一階部分を公開しており二階は
実質使われていない状態の様子。 -
紀念館を背に、左斜め前にはシューレ高島と言う桜美林学園に縁の有る福祉施設である。
https://os-takashima.org/ -
戻って、清水安三記念館入口がこちらである
-
ここは、高島市内の別な場所で、この人物の居住地跡の石碑となる
中江藤樹先生の弟子であり、正直者としてたたえられた人物とか -
そこに隣り合わせで、馬方又左衛門を称える石碑が建つ
いわく、正直者であったことが説明されている
清水安三はこの先の醤油蔵が当時の尋常小学校であり、日々通学していた
従い、中江藤樹先生や馬方氏の石碑などを日々眺めて、或いは大人からこんなエライ人になれ、と言われて育ったのだろう -
こちらがその校舎そのものではないが、同型の醤油蔵である。今は遺されていないがこの奥に連なった醤油蔵が校舎であり、日々そこで勉学に励んだ幼少期を清水安三は過ごした
-
そして、藤樹先生は「藤樹書院」「藤樹神社」など多く称えらえた建物が市内には連なる
-
日没後で見えにくいのだが、中江藤樹銅像が上にある
-
その説明書き
-
藤樹先生のゆかりとなる、藤棚がシンボライズされて市内全域にこうして街路樹として整えられている。冬場は枯れて寂しいが藤の季節には道路脇で多く藤棚が見られる
-
天台新盛宗 寶樹山 玉林寺
こちらの寺院に中江藤樹の墓がある -
こちらである
-
向かって左側が中江藤樹の墓地となる
-
その説明書きで、中江藤樹墓所として1648年の藤樹先生没後間もなく造営された。
-
墓石
-
墓石
-
鐘撞堂
-
山門
-
入ると掃き清められた砂利
-
本堂でしょうか、あまり立ち入れない(足跡を残せない)程の整備がなされています
-
幾つか周囲の画像を
-
こちらは何かの由緒の瓦でしょうか
-
これは戦争にまつわる忠魂碑ですね
-
こちらも武将などを祀ったものでしょうか
-
さあ、戻って行きます
-
先程の鐘撞堂です
-
説明書きですが・・・ちょっと判読難しく・・・
-
こちらのご説明でご勘弁を
-
周囲
-
地面が本当にきれいに掃き清められてありました
-
市内何か所も、こうして扇形の藤樹先生のお言葉がのこされています
いまでも市民は(特に小中学生でしょうか)これを日々見ては何かを感じ取っているのでしょうか、矢張り出身地の郷土愛や地場の名士礼賛などは大切な刷り込みだろうなと感じます -
こちらが史跡・藤樹書院跡です
-
今回は駆け足でこの後の食事会の開始時間を時計でにらみながらだったのでワンタッチだけです
-
なかなか、味のある建屋です
-
中江藤樹記念館
-
桜美林大学孔子学院高島学堂、とあります
孔子学院・・・すか -
中江藤樹先生史跡
-
そして石碑
-
中江藤樹先生を畏敬する渋沢栄一翁が藤樹神社創立に多額の寄付をして功労者となっています
-
大鳥居です
-
入って行きます
-
社務所でしょうか
-
正面を行きますが、こちらも掃き清められており、このあたりまで
-
端然と在ります
-
こちらも行くかどうか迷います
-
広大な敷地のひろがり
-
再度、正面を
-
澁澤栄一石碑
-
藤樹神社創建にあたって多額寄付のほか、当時の財閥各位にも寄付呼びかけをされた
-
立派ですね
-
ひとつひとつの作りが良い
-
狛犬
-
狛犬もう一匹
-
またまた渋沢栄一との関係など
-
ゆかりの地とゆかりの木についての説明書き
さて、こちらで清水安三と中江藤樹、とした本件は終了です。
どうも中途半端感がぬぐえませんが、二者ともに更に追いかけて学びを深めて行けたらと思っております。宜しくお願いします。ありがとうございました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
BO/Mさんの関連旅行記
高島(滋賀) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
63