2024/02/04 - 2024/02/04
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第3区は、栗橋をスタートし、小金井までのコースとなります。
栗橋駅東口「クラッセくりはし」を出て、栗橋一里塚、栗橋宿、炮烙地蔵、栗橋関所址碑を経て、工事の影響で相当遠回りをして利根川を渡った後、中田宿、中田、原町の両一里塚、古河宿、古河宿道標、野木宿、野木、乙女の両一里塚、日光街道の中間点でもある逢いの榎、間々田宿、間々田、小山の両一里塚、小山宿、喜沢一里塚、新田宿を通過し、本日のゴール小金井駅前に到着。
着替えた後、5分ほど歩いて「中華Rin」さんでランチメニューにミニ麻婆、生ビール2杯を飲んで昼食兼一人打上げを行い、帰途に就いたのでした。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
静御前の墓。
栗橋で亡くなった源義経の内妻であった静御前の墓ですが、死後600年以上経った江戸時代に墓のしるしがないのを哀れみ建立されたのだそうです。静御前の墓 名所・史跡
-
日光街道 14番目の一里塚 栗橋一里塚がもしあったとすればここではないかと思われる場所。
ただし、私は14番目の一里塚は江戸時代初期の利根川の瀬替えの影響による洪水で消滅し、日光街道のルート変更が行われた後は再建されなかったのではないかと考えています。
栗橋宿は利根川の瀬替えが行われるまでは現在の五霞町元栗橋にありました。一里塚はそちらにあったと思われます。五霞町元栗橋の位置から推測すると、13番目の一里塚である小右衛門一里塚も洪水後移転し、新たに造成されたのものである可能性があります。一里塚の消滅や移転はルート変更が多かった中山道では度々見られる事象です。 -
炮烙(ほうろく)地蔵。
栗橋の関所を無断で通過した人が火あぶりの刑に処せられたことを憐れんだ地元の人々が供養のために建てたものという言い伝えがあるのだそうです。 -
日光街道 7番目の宿場町 栗橋宿。
宿場町らしい建物は残っていませんが、桝形から渡しの跡まで元宿場町らしい直線道路が伸びています。 -
栗橋関所址碑。
碑そのものは今からちょうど100年前の大正13年(1924年)に建碑されたものですが、何度も移転を繰り返し、平成29年8月に現在の場所に来たのだそうです。栗橋関所跡 名所・史跡
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日光街道 8番目の宿場町 中田宿。
写真左手に見えるゴルフ場あたりがかつての宿場町で、その先河原寄りの所に関所があったようですが痕跡は全くありません。
中田宿は、日光街道を整備する過程で近隣の村から人を集め、対岸の栗橋宿と一体的に造成させたこともあり、宿場の役務を毎月15日ずつ半分に割り、中田・栗橋が交代で当たるいわゆる「合宿」だったのだそうです。 -
鶴峯八幡宮入口。
八幡宮の入口には中田宿の木製灯篭がありますが、ここは宿場町ではなく、大正から昭和にかけて行われた利根川の改修工事によって元宿場町がこの辺りに移転し形成された集落なのだそうです。この鶴峯八幡宮もかつての宿場町同様、現在ゴルフ場となっている河原にあったそうです。 -
日光街道 15番目の一里塚 中田一里塚があったと思われる場所周辺。
宿場町とは違って一里塚はこの辺りにあったようですが、痕跡は全くありません。 -
日光街道 16番目の一里塚 原町一里塚跡。
茨城県立古河第二高等学校の敷地内にあります。学校の敷地内に一里塚があるのは珍しいのではないでしょうか。 -
日光街道 9番目の宿場町 古河宿。
日光街道の宿場町は東京都、埼玉県、栃木県にあるイメージですが、古河宿だけは茨城県にあります。
写真の松は近年植えられたものですが、かつてこの辺りには日光に負けないくらいの松並木があったのだそうです。 -
古河宿道標。
文久元年(1861年)に建てられた常夜灯式の貴重な道標なのだそうです。
かつて古河宿は桝形を形成しており、日光街道はここでいったん左折していたようです。日光街道古河宿道標 名所・史跡
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日光街道 10番目の宿場町 野木宿。
かつての街道を拡張したと思われる国道4号線沿いのせいか、宿場町の面影は全くありません。ここから栃木県に入ります。 -
日光街道 17番目の一里塚 野木一里塚址。
痕跡はありませんが、案内板が立っています。 -
日光街道 18番目の一里塚 乙女一里塚跡。
一里塚としては小さ過ぎるのですが、恐らく道路拡張の影響により一部だけが残ったものと思われます。鳥居は新調されピカピカですが、榎は上が半分以上切り落とされてしまっています。大きすぎると維持管理が大変なんですかね。乙女一里塚 名所・史跡
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逢いの榎。
間々田宿の入口にあるこの榎は、日光例幣使が旅の道のりを知るために江戸と日光の中間地点であるこの地に植えたものという言い伝えが残っています。当初は「間(あい)の榎」と呼ばれていましたが、いつの頃からか「逢いの榎」と呼ばれるようになり、縁結びの木として信仰を集めるようになったのだそうです。 -
日光街道 11番目の宿場町 間々田宿。
案内板があるだけで宿場町の面影はありません。 -
日光街道 19番目の一里塚 間々田一里塚があったと思われる場所周辺。
何の痕跡もありません。 -
日光街道 20番目の一里塚 小山一里塚があったと思われる場所周辺。
ここも何の痕跡もありません。 -
日光街道 12番目の宿場町 小山宿。
ビルが立ち並ぶ都会の街へと変貌を遂げており、宿場町の雰囲気はほぼありません。 -
日光街道 21番目の一里塚 喜沢一里塚。
一里塚らしい小山が残っておりその原型をとどめていますが、案内板も石碑も何もありません。せめて案内板は欲しいですよね。喜沢一里塚 名所・史跡
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喜沢一里塚の東塚である可能性がある場所。
駐車場の真ん中にあるこの盛り上がった部分は何かの残土なのかもしれませんが、西塚のちょうど反対側にありますので、一里塚の跡である可能性があります。 -
日光街道 13番目の宿場町 新田(しんでん)宿。
野木宿同様、国道4号線沿いのせいか、宿場町の面影は全くありませんが石碑が宿場町であったことを案内してくれています。 -
新田宿青木本陣跡。
門柱には「奥州道中 大町新田宿 本陣」と書かれた木札がかかっています。日光街道は奥州街道でもありますからね。 -
中華Rin。
ランチの終了間際の13時50分に入店。店内にはまだお客がおり、私の後にも二人組が入店していました。それなりに人気があるお店のようです。中華 Rin グルメ・レストラン
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よだれ鶏のランチとミニ麻婆。
麻婆豆腐の美味しいこと!よだれ鶏ももちろん美味しいのですが、この麻婆豆腐、私的にはドストライクの味でした。癖のない油とやわらかい豆腐、辛さが特徴で、町中華で出てくるレベルではありません。思わず生ビール2杯飲んでしまいました。
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