2022/12/21 - 2022/12/21
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zenkyou01さん
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中野散策(1) 東京都中野区 全行程 5時間2分 中央線東中野駅~(14分)円照寺(10分)~(9分)鎧神社(8分)~(31分)正見寺・青原寺(23分)~(8分)源通寺・高徳寺・龍興寺・松源寺・宗清寺・龍昌寺・保善寺・天徳院(1時間31分)~ (13分)願正寺・境妙寺・金剛寺・宝泉寺(32分)~ (6分)功運寺(41分)~(16分)西武新宿線新井薬師前駅
「日時」2022年12月21日
「アクセス」中央線東中野駅
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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円照寺本堂 真言宗豊山派の一寺、創建は不詳、平安時代、開山は貞崇僧都、本尊は薬師如来像です。円照寺のある所は地頭柏木右衛門佐頼秀の旧居跡といわれ、桜が接ぎ木されて残されています。(右衛門桜)。四脚門の山門を通ると正面に本堂、焔魔堂、鐘楼、宝篋印塔、六地蔵、地蔵尊等があります
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鎧神社拝殿 創建は不詳、898~929年、円照寺が創建されたとき、鬼門鎮護の神祀として創建されたという。御祭神はヤマトタケルノミコト、オオクニヌシノミコト、スクナヒコナノミコト、平将門です。鳥居を潜ると、拝殿、その奥に幣殿と本殿があります。その他、神楽殿、末社稲荷神社、摂社天神社、天神社の両脇に狛犬型庚申塔があります
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狛犬型庚申塔 1721年銘の狛犬をモチーフにした一対(阿形像と吽形像)の庚申塔で、民俗学的に大変珍しく貴重なものです
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神田上水公園 神田川沿いの遊歩道を整備して作られた公園です。延長600Mの中に流れや遊で遊べる空間、桜並木があります
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正見寺本堂 浄土真宗本願寺派の一寺、創建は1394~1427年、開基は駒井城主 駒井高植、駒井宗高、開山は祐淳和尚、本尊は阿弥陀如来像です。滋賀県で創建されたが、江戸時代江戸に移転する。山門を通ると、正面に本堂、親鸞聖人像があります。墓地には江戸の三美人と言われた笠森お仙の墓や明治・大正時代の浮世絵師・挿絵画家武内桂舟の墓があります
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笠森お仙の墓 江戸時代中期、谷中の笠森稲荷神社前にある水茶屋の看板娘で、江戸の三美人と言われた。太田南畝の作品にも記され、芝居や浮世絵でももてはやされた。その後旗本倉地政之助に嫁ぎ九人の子を設ける
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青原寺本堂 曹洞宗の一寺、創建は1508年、開山は雲岡瞬徳禅師、本尊は釈迦如来像です。藥井門の山門を潜ると、正面に本堂、その他祠、鐘楼、六地蔵等があります。墓地には戯作者明楽菅江や大名脇坂安重の墓があるのですが、見つけられませんでした
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源通寺本堂 浄土真宗大谷派の一寺、創建は1610年、開山は祐尊和尚(松本城主小笠原長時の長子長隆)、本尊は阿弥陀如来像です。山門を通ると、正面に本堂があります
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河竹黙阿弥の墓 源通寺の墓地には江戸~明治時代にかけての歌舞伎狂言作者河竹黙阿弥の墓があります。作品は三人吉三、白浪五人男、鼠小僧等が有名です
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高徳寺本堂 浄土真宗大谷派の一寺、創建は1201年、開山は了智和尚(俗名佐々木高綱)、本尊は阿弥陀如来像です。山門を通ると、右に新井白石記念ホール、正面に本堂があります。墓地には江戸時代中期の政治家・朱子学者の新井白石、日活の映画スター長門裕之・南田洋子、美容家山野愛子の墓があります
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加藤家の墓 往年の日活映画スター、長門裕之・南田洋子夫妻が建立した墓があります。墓誌には長門裕之・津川雅彦兄弟の父沢村国太郎の名もありました。私が中学生のころ、根津山(当時は根津財閥の私有地で、雑木林と草原の丘、現在は整備された世田谷区立羽根木公園)で級友とソフトボールをしていたところ、恋人同士だった長門裕之・南田洋子(当時長門の実家が根津山のすぐ東にあった)が根津山にデートにきていて、我々のソフトを見て、長門さんがチョット打たしてくれと言われたので、バットを渡したことを思い出しました
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新井白石の墓 江戸時代中期の政治家・朱子学者で、師木下順庵の推挙で、甲府徳川藩に仕える。甲府藩出身の徳川将軍六代家宣、七代家継の代に間部詮房と共に政治改革に努める
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柳沢吉保側室染子の墓 甲府藩士の長男として生まれ、五代将軍徳川綱吉に仕え、譜代大名・大老格まで出生した柳沢吉保の側室染子は柳沢家の家臣の娘で、吉保の母の侍女でした。後に吉保の側室となり長子吉里を生む。墓石の裏側に甲斐少将吉保と刻まれています
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龍興寺本堂 臨済宗妙心寺派の一寺、創建は1629年、開山は玄門道幽和尚、本尊は釈迦如来像です。山門を通ると、正面に本堂、その他水子地蔵があります。墓地には徳川五代将軍綱吉に仕えた柳沢吉保の正室定子の実家曾雌家の墓や側室染子の墓があります
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松源寺本堂 臨済宗妙心寺派の一寺、創建は1573~1593年、開山は勅諡霊鑑普照禅師、本尊は釈迦如来像です。創建当時「さる寺」と呼ばれ、山門前に標柱と猿の石像が建っている。山門を通ると、正面に本堂があります。墓地には戸田家の墓があります
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戸田家の墓 墓地には江戸時代初期の徳川幕府の老中で、初代佐倉藩主戸田忠昌(田原・肥後富岡・岩槻藩主歴任後)が松源寺を菩提寺としたため、戸田家の墓があります
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宗清寺本堂 曹洞宗の一寺、創建は1615~1624年、開山は勅諡霊鑑普照禅師、本尊は釈迦如来像です。藥井門の山門を通ると、正面に本堂、小さな庭園があります。墓地には江戸時代末期の旗本で、浦賀奉行・長崎奉行を経て、日米和親・日英和親条約締結にかかわりもった水野忠徳の墓があります
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龍昌寺本堂 曹洞宗の一寺、創建は1559年、開山は瑞翁俊鷲大和尚、本尊は釈迦如来像です。ガソリンスタンドの中を通って山門に入るので、大変入りにくいお寺です。山門を通ると、正面に本堂、鐘楼、永徳稲荷神社、地蔵菩薩があります
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保善寺本堂 曹洞宗の一寺、創建は1593年、開山は蟠翁門龍大和尚(武田信玄の従弟)、本尊は釈迦如来像です。門が閉じられ中に入ることが出来ません
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天徳院本堂 曹洞宗の一寺、創建は1602年、開基は前田利常正室珠姫(戒名 天徳院殿乾運淳貞大禅定尼、千姫の妹)、開山は円山元照和尚、本尊は釈迦如来像です。山門は無く、コンクリート造りの本堂、その他六地蔵、身代わり観音があります。墓地には、梶川与惣兵衛の墓があります
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梶川家の墓 江戸城松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介吉央を切りつけた際、内匠頭を取り押さえた当時留守居番であった梶川与惣兵衛の墓です
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願正寺本堂 浄土真宗大谷派の一寺、創建は戦国時代末~江戸時代初期、開山は安養坊了善和尚、本尊は阿弥陀如来像です。山門を通ると、正面に本堂、その他親鸞聖人像、日米修好通商条約締結100周年を記念した記念樹があります。墓地には、新見豊前守正興の墓があります
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願正寺にある新見家の墓 江戸時代末、日米修好通商条約批准書交換の特派使節となり大任を果たした新見豊前守正興の墓です
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境妙寺本堂 天台宗の一寺、創建は1615~1624年、開山は安養坊了善和尚、本尊は阿弥陀三尊像です。黒色藥井門の山門を潜ると、正面に本堂があります
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金剛寺本堂 曹洞宗の一寺、創建は1350年、開基は鎌倉幕府御家人波多野忠経、開山は弧舟和尚、本尊は釈迦如来像です。鎌倉三代将軍源実朝を弔うために建立。山門を通ると、左正面に本堂、その他地蔵、本堂前にフユザクラが満開に咲いていました
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金剛寺冬桜 本州を原産とする落葉高木で、11月頃と、4月頃、年2回花が咲きます。咲き始めは薄いピンク色の花を付けます。群馬県藤岡市の桜山公園の桜は有名です
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宝泉寺本堂 曹洞宗の一寺、創建は1562年、開山は興山圭隆和尚、本尊は釈迦如来像です。仁王像が安置されている山門を潜ると本堂があります。墓地には、江戸時代の儒者長坂韻圓陵の墓があります
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功運寺本堂 曹洞宗の一寺、1948年満昌院と功運寺が合併して満昌院功運寺として創建されました。本尊は阿弥陀如来像です。旧満昌院の創建は1574年、開基は今川長得(今川義元の三男)、開山は仏照円鑑禅師です。功運寺の創建は1598年、開基は永井尚政(徳川秀忠時代の老中)、開山は黙室芳?禅師です。高麗門の山門を潜ると、本堂と鐘楼があります。墓地入口には墓マップがあり、著名人の墓の位置が表示されています。林芙美子、歌川豊国、吉良上野介義央、武蔵石寿(江戸時代の旗本、本草・博物学者)、今川家、栗崎道有(江戸時代中期の蘭学医)、長沼国郷、長沼活然斎(国郷の息子)、水野重郎左衛門成之、石井潭香(書家)、永井家、糟谷武則等の墓がある
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林芙美子の墓 大正~昭和時代の小説家で、「放浪記」「浮雲」等の作品がある
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歌川豊国の墓 江戸時代後期の浮世絵師、初代、二代、三代歌川豊国
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吉良上野介(義央)の墓 清和源氏足利氏の支流家、三河吉良氏の当主で徳川幕府の職は高家です(世田谷城主の武蔵吉良氏とは先祖が同じ)。赤穂事件(映画や歌舞伎で有名な忠臣蔵)では、浅野内匠頭(内匠頭は切腹、上野介はお咎めなし)に切りつけられ、後に内匠頭家臣赤穂四十七士に討ち取られる敵役になったことで有名です。立派な宝篋印塔が並んでいます
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今川家歴代の墓 合併する前の満昌院の開基は今川義元の三男長得です
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長沼国郷の墓 江戸時代中期の剣術家で、直新影流の流祖です。それまで型中心の稽古から、防具や竹刀を考案し、直接打ち合う稽古を生み出した人です
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水野十郎左衛門成之の墓 江戸時代初期の旗本奴で町奴の幡随院長兵衛を殺害する。日頃の異装・悪行・粗暴が理由で切腹を命ぜられる
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永井家歴代の墓 合併する前の満昌院の開基は永井尚政で徳川秀忠の代に老中を務めています。永井家の菩提寺になっています
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糟谷武則の墓 豊臣秀吉の配下になって、山崎合戦に参戦し、その後の賤ケ岳の戦い(豊臣秀吉と柴田勝家の戦い)では賤ケ岳七本槍の一人となり武功をあげる
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「たきび」のうた発祥の地 竹塀で囲まれた大きな屋敷の外の一隅に看板が建っています。作詞者巽聖歌は付近に住んでおり、この辺りを散歩中にこの詩を作ったのでしょう
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