2024/01/10 - 2024/01/10
440位(同エリア3284件中)
ごまさん
地元紙に紹介された日光大猷院の龍の破魔矢を、神棚へ飾りたいと思っていました。三代将軍家光公は辰年だそうです。
日光はパワースポットとして有名ですから、良い年になりますようにと願いながら急斜面の階段を、息を切らしながら登りました。
日光大猷院へは2度目の拝観になります。
1度目は平成12年(2000年)のこの年、徳川三代将軍の徳川家光公が眠る日光山輪王寺「大猷院廟・奥の院」は、350年目の命日に当たり、此れらを記念して、大猷院の「奥の院」は建立以来となる、350年ぶりの特別公開となりました。お陰様で生きている内に家光墓所と宝塔を拝観しました。
350年の時を経て始めて見るその姿に感動しました。
次の公開は400年目の命日、2050年になるようです。もしかしたらもう1度見る事が叶いますようにと願うばかりです。
徳川家光公について
寛永2年(1623),家光公は将軍職に任ぜられると,寛永5年の東照社十三回忌から慶安元年(1648)の三十三回忌まで,家康公の年忌法要に精力的に取り組みました。特に寛永13年の二十一回忌法要に備えて東照宮を大造替し,豪華絢爛な彫刻を特徴とした社殿等を建立しました。
その治世の初期に、”参勤交代”を制定します。
”参勤交代”とは、大名が江戸(東京)と自分たちの故郷の領地の間を毎年行ったり来たりして生活拠点を移動することを義務づけたものです。(この制度によって、)大名たちは、本来であれば軍事力の強化に使うはずであった大量のお金を消費せざるを得なくなります。さらに”参勤交代”によって家光は大名をより緊密に監視することができるようになりました。その他、彼は、外国人が日本に入国し、日本人が出国するのを禁じた鎖国制度”の制定と、島原の乱(1637-1638)の鎮圧を行い、その後日本に二百年以上にわたる平和をもたらします。
慶安4年(1651)4月20日,家光公は四十代の若さで世を去りました。臨終に際して、「死後も魂は日光山中に鎮まり東照公のお側近くに侍り仕えまつらん」と遺言し遺言にしたがって,墓所は敬愛する祖父の眠る日光東照宮近くに造営されました。
家光公は,自分の廟所は仏式で,荘厳は決して東照宮のそれを超えないようにと厳しく命じたと伝えられています。きらびやかな彩色に黄金色が映える東照宮に対して,漆黒をベースに金色の錺金具が光る大猷院は,今も落ち着いた気品ある装飾を特徴としています。 HPより
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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昨年の暮れに地元紙に掲載された「龍神破魔矢」に心惹かれました。
買い替えなくてもよい一生モノの破魔矢です。
輪王寺大猷院のご神前にて永代供養されているそうです。
なんて素晴らしい破魔矢じゃないですか!
破魔矢は基本的には家のどこに飾ってもOKですが、玄関に先を向けて置くと"魔"が入ってこれないようにする効果があるそうです。
平成12年(2000年)「大猷院廟・奥の院」建立以来となる350年ぶりの特別公開に、私は行っているので24年ぶりです。
今年は絶対に手に入れたいです!! -
日光は常に混雑するので、三連休も終わった時期が最適かと思いました。
学校も始まった10日に出かけました。 -
男体山も女峰山も綺麗ですね。
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二荒山神社そばの駐車場へ車を停めてスタートです。
この日は駐車場も嬉しい事に、がらがらでした。
駐車料は700円に値上がりしていましたが、使い勝手の良い場所なので我慢です。
1200年以上前、勝道上人が開いた日光山。
http://www.futarasan.jp/
二荒山神社は日光山信仰の始まりとなった古社で、二荒山(男体山)をご神体としてまつり、古くから下野国の一の宮としてうやまわれ、信仰を集めていました。
二荒山神社の主祭神は招福や縁結びの神様、大己貴命(おおなむちのみこと)で、現在では縁結びのご利益で人気の社となっています。日光二荒山神社 寺・神社・教会
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二荒山神社の境内です。この隣に駐車場があります。
今日は静かですね。 -
今日は参詣される方も少なくて、気持ち良く歩けます。
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二荒山神社の境内です。
二荒山神社は古来より修験道の霊場として崇敬された。江戸時代になり幕府によって日光東照宮等が造営されると二荒山神社も重要視され、現在の世界遺産・重要文化財指定の主な社殿が造営された。また、国宝指定の刀剣2口や多数の刀剣等の重要文化財を現在に伝えているほか、境内は国の史跡「日光山内」に包括されている。HPより -
日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は、栃木県日光市にある神社。式内社(名神大社)論社、下野国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
本社(栃木県日光市山内)
本社 - 日光の社寺最奥に鎮座。
別宮本宮神社 - 日光の社寺入口、女峰山登山口入口。
別宮滝尾神社 - 女峰山登山口入口奥。
中宮祠(栃木県日光市中宮祠) - 中禅寺湖畔。男体山表登山口入口。HPより
奥宮(栃木県日光市中宮祠二荒山) - 男体山山頂。 -
二荒山神社の参道です。
この右側に大猷院が有ります。
今日の本命はそちらです。
参拝の日に人が少ないのは、神様が招いてくれているそうです。
*念のために、あくまでも私の友人が次の日に教えてくれた話です。
単純なので喜んでしまいました。 -
大きな杉ですね。
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この場所は縁結びのスポットのようです。
二荒山神社はご利益の有る神社で有名ですね。
若い2人の女性も写真を撮っていました。
良いな~若い時は素晴らしいね。
昔を思い出してほっこりしました。 -
常行堂から大猷院入り口へ。
その昔、常行堂では、常行三昧という仏様の周りを歩きながら念仏を唱える修業が行われていました。その為、内陣は本尊の周りをぐるりと回れる造りになっています。現在では、回向(えこう)(先祖供養・水子供養)の道場となっています。 -
では大猷院へと向かいます。
大猷院は、家康の眠る日光東照社(現・日光東照宮)の北東(鬼門)を守護するような大黒山に、わずか1年2ヶ月という突貫工事で、承応2年4月4日(1653年5月1日)に完成しています。
大猷院は徳川三代将軍「家光公」の廟所(廟所=墓所)で、世界遺産にある境内では、登録された22件の国宝・重要文化財が建ており、315基の灯籠も印象的です。
祖父である「家康公」(東照宮)を凌いではならないという遺言により、金と黒を使用し重厚で落ち着いた造りになっています。
起伏ある地形を活かし、人界から天上界へと階段で上るような伽藍配置で、堂宇も東照宮の絢爛豪華さとは対照的に幽玄な雰囲気を醸し出しています。
日光東照宮に比べると訪れる人は少ないのですが、「日光山の秘奥」と呼ばれる大猷院こそ、江戸時代(神仏習合時代)の日光山を今に伝える聖地となっているのです。 HPより -
「大猷院」は、1999年に「日光の社寺」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されました。大猷院は「拝殿・相の間・本殿」をはじめ、「仁王門」や「夜叉門」など22棟が国宝・重要文化財でもあります。境内のどの建造物も迫力満点で、ずっと見ていたい気持ちになります。
私はこの大猷院の落ち着いた佇まいが好きです。日光山 輪王寺 大猷院 寺・神社・教会
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仁王門(におうもん) 重要文化財
徳川三代将軍・家光公の廟所「大猷院」の入口にある仁王門。315基の灯籠が印象的な大猷院の第一の門として口を開いた「阿形」と口を閉じた「吽形」の2体の仁王像を安置している。朱色を基調とした建物の左右から睨みをきかせる仁王像は、落ち着いた色合いの門とは対照的な極採色で彩られた像。 -
仁王門(におうもん) 重要文化財
1つ目の門で、口を開いた「阿形」と口を閉じた「吽形」2体の仁王像「金剛力士像」が安置されています。
大猷院は階段が多く、 急で長い登りの石段が続くので門を見ながら休み休み拝観するのが良いですね。息が切れてけっこう辛いです。
因みに、仁王門(14段)二天門(21段)鐘楼・鼓楼の前(73段)夜叉門(19段)唐門(10段) 計137段の石段でした。
昇殿参拝できるのは拝殿のみで、本殿、皇嘉門は外観のみ眺めます。 奥院は入れないのでここ皇嘉門から引き返すことになります。 -
2体の仁王像「金剛力士像(こんごうりきしぞう)」
向かって右側の密迹金剛(みしゃくこんごう)は「阿」と口を開き、左側の那羅延金剛(ならえんこんごう) は「吽」と口を結んでいます。 -
2体の仁王像「金剛力士像(こんごうりきしぞう)」
物事には始まりと終わりがあるということを表し、二人以上の息が合うことを意味する「阿吽(あうん)の呼吸」の語源にもなったと言われています。
入口の「仁王門」から「拝殿、本殿」までの道のりは、天上界に昇って行くような印象を受けます。*あわてないで登ると良いかと思います。 -
御水舎です。
九州の大名、鍋島勝茂公が寄進した御影石の御水舎のようです。 -
水盤舎は承応2年(1653)に建てられた建物で、切妻、銅瓦葺き、唐破風付きの格式が感じれます。4隅に各3本の御影石の柱が屋根を支える独特な構造で、柱の白色と上屋の極彩色の対比が際立ちます。欄間部には水を連想させる波を模した彫刻が随所に施され鮮やかな水色で彩られ長寿の象徴である菊の彫刻なども見られます。天井には狩野永真安信(狩野探幽の弟)が描いた竜の墨絵があり水盤に写し出すといった粋な工夫が見られます。大猷院水盤舎は大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。
参拝の際手や口をすすいで身を清める。
大猷院の御水舎は豪華ですね。 -
二天門
世界遺産日光の境内で1番大きな門です。
承応2年(1653年)創建の高さ約11.6m、幅約9.6mという巨大な門は、陽明門を凌いで日光二社一寺では最大(陽明門より、高さが50cm、幅は2.5mほど大きい)。
186体の彫刻が施されています。
左右に持国天・増長天を安置している事から二天門と呼ばれています。
正面の扁額は108代天皇「後水尾上皇」による筆です。
入口の「仁王門」から「拝殿、本殿」までの道のりを登るのは、修行のように苦しいですね。ぶつぶつ弱音を吐いても「破魔弓」が欲しいです。
右側が人界庭園です。 -
仁王門から石段を上った先にあるのが二番目の門「二天門」です。向かって左手に持国天、右手に増長天の二天を祀るのが名の由来です。大猷院の中でも比較的鮮やかな色彩の八脚楼門入母屋造りの門です。
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二天門のすぐ前に配されている銅灯籠は、老中首座・酒井忠清と、会津藩主・保科正之(徳川家康の孫、徳川家光の異母弟)の奉納です。
二天門の階段下に奉納された灯籠は、寺社奉行、老中を務めた松平武元で寛延3年4月20日(1750年5月25日)の銘があります。
さらに階段下には松平定行(於大の方は祖母、徳川家康は伯父)、老中・松平乗寿奉納と重臣の奉納が並んでいます。 -
二天門の持国天。東方の守護神であり、国土の守護神でもある。
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二天門の増長天。
寛政9年(1797年)に造立された広目天だとされてきました。筆を持つはずの広目天が刀を持っていることや、古い写真との相違などから調査が行なわれ、増長天であることが確認されたそうです。
ふぅん~そういう事もあるのですね。 -
綺麗です。
門の裏側には風神像(像高117cm)東西南北を示していると云う風神の四本の指にも注目してください。
もともとは日光東照社(現・日光東照宮)の陽明門に安置されていたそうです。
明治初年の神仏分離で、日光東照社(神仏習合)が日光東照宮(神社)となった際に、仏式の建築群だった大猷院(神仏分離以降、日光山輪王寺の所有)の二天門に遷された経緯があるようです。
当初の像は、輪王寺宝物殿で保存され、二天門に置かれているのは複製だそうです。 HPより
ふぅん~そういう事もあるのですね。 -
雷神像(像高114cm)
現在・過去・未来を雷神の三本の指が示しているとか。
勉強になりました。 -
夜叉門 重要文化財
四護法善神と言われる四体の夜叉「阿跋摩羅(あばつまら)、毘陀羅(びだら)、烏摩勒伽(うまろきゃ)、犍陀羅(けんだら)」と、安置されていることから夜叉門と呼ばれ、霊廟(れいびょう)を守っています。夜叉門には、牡丹(ぼたん)の花が彫刻されているので、別名【牡丹門】とも呼ばれています。
なかでも、【烏摩勒伽】は全国でもめずらしいここにしかない仏様です。HPより -
夜叉門の看板。
バックが黒だと色が鮮やかに見えます。 -
南の方角の守護「毘陀羅(びだら)」は、4体の中で一番派手な服装をしています。写真では下の方まで見えませんが、ナマズの膝当てと靴を履いているのが特徴の仏様です。
確かに派手に感じました。 -
東の方角の守護「阿跋摩羅(あばつまら)」は、夜叉の中でも一際迫力があります!白虎の毛皮を腰に巻いていて、素足の仏様です。東方の守護神であり、国土の守護神でもある持国天。
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西の方角の守護「鍵陀羅(けんだら)」は、右手にこん棒を持っています。水玉模様のブーツのようなものを履いています。
4体の夜叉は背景の金色の牡丹と緑色の唐草模様にとても映えますので、ぜひ見てみてください。 -
北の方角の「烏摩勤伽(うまろきゃ)」は、左手に弓、右手には破魔矢の原点と言われる矢を持っています!破魔矢とは、正月の縁起物として神社やお寺で授与される矢のことです。
破魔矢の発祥と伝えられている全国でも珍しい仏様で、像の膝当てをしていて素足の格好です。ここから「膝小僧」と言う言葉が生まれたという説も有ります。
烏摩勒伽の独立像としては、ここ大猷院の夜叉門に存在するのが日本唯一のものとなっています。 -
絢爛豪華な夜叉門はとても見ごたえが有ります。
私は大猷院の方が好きなのでゆっくりみたいと思いますが、今日の目的は「破魔弓」なので先を急ぎます。 -
絢爛豪華な夜叉門ね。
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参道などには諸大名が奉納した312基の灯籠(石灯籠・銅灯籠)があるほか、境内世界文化遺産に登録の国宝1棟、重要文化1棟があります。
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灯篭は各国の最も強い家(大名)から寄進されたものであり、どの灯篭も徳川家への従属を意味しています。中には皇室による寄進物もあります。これは徳川家と皇室の親密な関係を意味し、また徳川の支配の正当性をも象徴しています。大猷院はその歴史的重要性から、決して見逃してはならない霊廟だと言えます。
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多くの灯篭が有ります。
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唐門の前に建つ、「鐘楼」と対で建っている「鼓楼」です。
鐘楼・鼓楼鐘楼・鼓楼(向って右側が鐘楼、左側が鼓楼)は承応2年(1653)に建てられた建物で桁行2.5間、梁間2.1間、入母屋、銅瓦葺き、下層部には袴腰、上層部には高欄が廻されています。全体的に黒を基調とし(高欄は弁柄)、屋根廻りの金物を金箔、上層部の組物や彫刻には極彩色で彩り格式の高さを感じます(鐘楼・鼓楼は略同形状)。大猷院鐘楼・鼓楼は国指定重要文化財に指定されています。HPより -
鐘楼・鼓楼(日光市・輪王寺大猷院)
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夜叉門の次に見えてくるのが、「唐門」です。大猷院にある門の中でも、色調も含めて落ち着いた雰囲気になっています。大猷院の中でも最も小さいもので二脚門形式の門です。
軒下の白竜が特に印象的で、門前にある灯篭は徳川御三家からの献上品です。
日光東照宮とは異なる趣となっており、目立たない部分に技巧が凝らされているのが特徴です。
大猷院の建物は日光東照宮の方角を向き、見守るように建っており、家康への家光の敬愛が感じられます。家光は「東照宮よりも豪華にしてはいけない」と遺言していたと言います。 -
国宝 拝殿・相の間・本殿
大猷院の中心となる建物で、拝殿・相の間・本殿と連なる独特な建造物の構造を【権現造り】と言います。
この建物は国宝に指定されており、たくさんの金彩が使われているので、別名【金閣殿】と呼ばれています。内部には、狩野探幽の描いた唐獅子、天井には140枚の龍の絵、家光公が着用した鎧などをご覧いただけます。 -
拝殿・相の間・本殿へ入ります。
この中は撮影はできません。
こちらで「龍神破魔矢」を購入できます。
本殿で約7分間の説明を受けました。24年ぶりの拝観でした。 -
こちらが「龍神破魔矢」です。
破魔矢発祥の【烏摩勒伽】様が持つ矢をかたどった物。
昇り龍が彫刻してあり、御一生まつれる破魔矢です。
龍神破魔矢は輪王寺大猷院のご神前にて永代供養されているから
交換はいりません。
悪いものを祓い、願い事を叶える力があると言われております。
金色に輝く金属製なので、ずっしりとした重さがパワーを感じてしまいます。
毎日お焚き上げをした物を頂けます。
三代将軍家光公は、辰年生まれだそうです。
今年は最高にパワーが有るそうです。
自宅と実家も含めて3箱購入しました。 -
「龍神破魔矢」
金運上昇などの幸先の良い吉祥をもたらす昇り龍のレリーフが見えます。
龍がとても凛々しいように感じます。
烏摩勤伽が持つ金の弓矢が、金の破魔弓です。 -
「龍神破魔矢」
金運上昇などの幸先の良い吉祥をもたらす昇り龍のレリーフが見えます。
龍がとても凛々しいように感じます。
烏摩勤伽が持つ金の弓矢が、金の破魔弓です。 -
本殿の右手奥にあり家光墓所の前にある楼門。竜宮城のようなデザインであることから、 「竜宮門」と呼ばれる。これは拝観券です。
平成12年(2000年)のこの年、徳川三代将軍の徳川家光公が眠る日光山輪王「大猷院廟・奥の院」は、350年目の命日に当たり、大猷院の「奥の院」は建立以来となる、350年ぶりの特別公開が行われました。
私はその年に大猷院の朝廟へ至る鋳抜門と家光墓所と宝塔を拝観しました。家光墓所はその時だけの公開で、350年の時を経て始めて見るその姿に感動しました。 -
「竜宮門」の説明です。
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では帰ります。
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家光公は自分の廟所は仏式で,荘厳は決して東照宮のそれを超えないようにと厳しく命じたと伝えられています。きらびやかな彩色に黄金色が映える東照宮に対して,漆黒をベースに金色の錺金具が光る大猷院は,今も落ち着いた気品ある装飾を特徴としています。
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参道などには諸大名が奉納した312基の灯籠(石灯籠・銅灯籠)があるほか、境内世界文化遺産に登録の国宝1棟、重要文化1棟があります。
二天門からさらに夜叉門へと続く階段からは、たくさんの石の灯篭が置かれた一画を観ることができます。この灯篭は各大名から奉納されたもので、10万石未満の大名は夜叉門から先への立ち入りは認められなかったと言われています。 -
では帰ります。絢爛豪華な夜叉門は見ごたえが有ります。
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破魔矢の発祥と伝えられている「烏摩勒伽」の独立像としては、ここ大猷院の夜叉門に存在するのが日本唯一のものだそうです。
実はこの前で外国からご家族4人で拝観されていた方から、写真撮影を頼まれました。言葉が通じませんから、身振り手振りで撮影をしました。 -
「鍵陀羅」は、右手にこん棒を持っています。水玉模様のブーツのようなものを履いています。背景の金色の牡丹と緑色の唐草模様にとても映えます。
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左側が人界庭園(日光市・輪王寺大猷院)です。撮り忘れました。
石灯籠と苔が織り成す庭園。基本的には中には入れなく展望所から見下ろすことが出来ます。案内板には「 天界から人海庭園を眺めて御覧ください。」とあります。石灯籠を人、苔蒸した庭園が海と見立てているように感じます。 -
来るときも階段が急なので、登るのが大変でしたが、降りる時はかなり怖いので緊張しながら手摺につかまって降りました。
日陰なのに雪が残っていないのでほっとしました。 -
やっと手水舎が見えてきました。もう少しです。
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龍光院。ここは非公開なので、遠くからしか見られません。
「家光公亡き後も、江戸から日光に移り住み、元禄11年(1698)に87歳で逝去するまで47年もの間、境内の警護にあたるとともに、家光公に霊膳を捧げるのを日課としました」と、案内板には記されています。
凄いですね。 -
仁王門が見えてきました。
もう少しですね。 -
来るときはよく見ていなかったですが、豪華ですが落ち着きが有りますね。
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大猷院の色の組み合わせは、東照宮の金色と白とは対照的に、より控えめな金と黒です。装飾品は美しくはありつつも、比較的落ち着いたものになっています。
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そろそろ出口です。
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以前から大猷院は拝観者が少ないですが、今日はガラガラですね。
無事に参拝が終わりました。 -
常行堂
嘉祥元年(848年)に慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって、比叡山延暦寺の『にない堂』に模して建立されました。純和様の宝形造(ほうぎょうづくり)で、隣の純唐様の法華堂(ほっけどう)との間に、歩廊を設け接続されています。この形式が大変珍しいもので、現在では比叡山延暦寺と、ここ輪王寺常行堂の二か所のみとなっています。
その昔、常行堂では、常行三昧(じょうぎょうざんまい)という仏様の周りを歩きながら念仏を唱える修業が行われていました。その為、内陣は本尊の周りをぐるりと回れる造りになっています。
現在では、回向(えこう)(先祖供養・水子供養)の道場となっています。 -
駐車場まで戻る途中の参道も綺麗に手入れがされています。
近いだけに700円の駐車料金は仕方がないかな。 -
補陀落本舗のゆばむすびです。
日光へ来た時は必ず購入する大好きなおむすびです。
今回はいつも寄る本店ではなく、日光駅近くの(石屋町店)栃木県日光市石屋町406-4 tel.0288-53-4623に行きました。
消防署の隣です。道路の反対側に駐車場も有ります。店内で食事もできます。補陀洛本舗 石屋町店 グルメ・レストラン
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ゆば結びは2個入っていて、お漬物も2個入っています。
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「龍神破魔矢」です。
金色に輝くずっしりと重い破魔弓です。
あの長い階段を登り、やっと頂いてきました。 -
大猷院と書かれた袋に入っています。
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箱の中に入っていました。
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御仏前回向を1年間していただける葉書も入っています。
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「龍神破魔矢」の飾り方が書いてあります。
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三千円の破魔矢ですがお焚き上げをして下さり、尚且つとても丁寧な説明と御仏前回向を1年間していただけるのですから素晴らしいと感じました。
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早速神棚へ飾らして頂きました。
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日光一筆龍(高瀬)
12年前の辰年に購入して玄関に飾っています。迫力があります。
龍は仏法に於いては神獣・霊獣とされており、開運・招福・除災・守護の神として崇められて伝えられています。
*一筆龍は全て一点物です。
現在は移転をして下記の住所となっています。
住所 : 〒321-1404 栃木県日光市御幸町577
電話 : 0288-25-6467
営業時間 : 10時~16時 水曜日定休
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