2023/12/08 - 2023/12/09
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harusuさん
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平和記念公園内にある広島平和記念資料館は、第二次世界大戦においてたった一発の原爆で広島が受けた凄惨な被害を目の当たりにできる資料館です。本館は、戦後建築物としてはじめて国の重要文化財に指定されています。
2023年5月に開催されたG7広島サミットで、G7の首脳たちが訪れたことで大きな話題となり、G7広島サミットで海外からも高い関心を得た結果、多くの外国人観光客が訪れており、時には入館の列が2時間待ちになることもあるそうです。
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広島平和記念資料館 全景
広島平和記念資料館 美術館・博物館
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『広島平和記念資料館』 1955年設立
チケット入館料 大人200円・高校生100円・中学生以下は無料 -
頭髪が抜けた姉と弟
姉のアイ子さん(当時9歳)と弟の徹さん(当時7歳)は、爆心地から約1,000メートルの木造家屋内で被爆。外へ出て黒い雨も浴びました。
被爆して4、5日たった頃から髪の毛が抜け始めました。
アイ子さんは食欲が無くなり、歯ぐきからの出血や発熱などを生じました。二人はいったん回復しましたが、後に体調を崩しました。
徹さんは4年後に11歳で、アイ子さんは20年後に29歳で亡なくなりました。広島平和記念資料館 美術館・博物館
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火傷をおった人々は食用油などを塗ってもらった。
三角形セーラー服の女性(手前)は当時13歳の学徒動員された。広島平和記念資料館 美術館・博物館
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ごった返す救護所
第二陸軍病院に運ばれた兵士ら。「速報第四号」によると、第二陸軍病院の死者行方不明は将校20人のうち12人、兵士187人のうち139人、患者650人のうち536人。「残存人員ヲ以テ天幕ヲ開設患者収容中ナリ」広島平和記念資料館 美術館・博物館
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死の斑点兵士
「原子爆弾放射能傷」の兵士。当時21歳。爆心地から 1㌔の歩兵第一補充隊の木造家屋内で被爆。8月18日に頭髪の脱毛。29日、歯ぐきから出血し、皮下溢血斑に気づき30日に入院。31日夕刻より発熱。9月1日、咽頭痛、嚥下痛が激しくなり、歯ぐきから も出血。3日21時 30分に死亡広島平和記念資料館 美術館・博物館
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舌から出血した兵士
広島平和記念資料館 美術館・博物館
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建物疎開作業に取りかかっていた何千という生徒たちが屋外で被爆し大火傷を負い、苦しみながら亡くなりました。
広島平和記念資料館 美術館・博物館
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右上:毒ガス 防護剤 『ハロミン』 ただれ防止薬:ニシチン
右下:救護班:腕章
下中:被爆したナース帽(看護師 末岡セツ子さん26歳)
左下:赤十字国際委員会より提供された医薬品広島平和記念資料館 美術館・博物館
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病院での治療の様子
広島平和記念資料館 美術館・博物館
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人影の石
銀行の開店前に石段に座っていた人が被爆し、その際に原爆の熱線がその周りの石段の表面を白く焼いて人の影の部分が残った、と考えられている広島平和記念資料館 美術館・博物館
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人影の石
人影の石については、原爆の閃光を至近距離で受けた人が一瞬のうちに蒸発して、石材に染み込むような影だけが残ったという話が、まるで伝説のように、長い期間にわたって語り継がれてきました。
住友銀行広島支店 爆心地から260m 紙屋町
入口の階段に腰掛けて銀行の開店を待っていた人は、原爆の閃光を受けて大火傷を負い、逃げることもできないまま、その場で死亡したものと思われます。強烈な熱線により周りの石段の表面は白っぽく変化し、その人が腰掛けていた部分が影のように黒っぽく残りました。この人影については、自分の親戚のものではないかという申し出が、複数のご遺族から寄せられています。広島平和記念資料館 美術館・博物館
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激しい炎が街と人々を飲み込み、一日中燃え続けました。
倒れた建物の下敷きとなった人々の多くが、這い出ることもできず、生きたまま炎に焼かれました。広島平和記念資料館 美術館・博物館
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炎から逃れる人々の上に黒い粘り気のある雨が降りました。
傷ついた人々は雨に打たれながら、乾いたのどを潤すため雨粒を飲み込みました。この雨は放射能を帯びていました。広島平和記念資料館 美術館・博物館
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川の中の遺体をとび口で集める
1945年(昭和20年)8月9日か10日 爆心地から1,400m広島平和記念資料館 美術館・博物館
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黒こげの遺体を集め火葬
広島平和記念資料館 美術館・博物館
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火傷で手が垂れ下がる
広島平和記念資料館 美術館・博物館
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入り口正面には「焼け跡に立つ少女」の巨大写真。毎日新聞のカメラマンが原爆投下の3日後に撮影した。右手を負傷した当時10歳の少女が正面を向き何かを訴えるような眼差しを投げかける。長い間、少女の身元は分からなかった。だが昨年8月、毎日新聞の「広島原爆アーカイブ」で偶然少女の写真を見た東京在住の男性が「母親ではないか」と名乗り出た。
広島平和記念資料館 美術館・博物館
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焼け跡に立つ少女
専門家が少女の写真と男性提供の写真を鑑定した結果、目や鼻、眉毛、前歯などの位置や形に加え負傷部位も一致して、少女は「藤井幸子(ゆきこ)さん」と判明した。幸子さんは爆心地から約1200mの自宅で被爆し、火災の直前に倒壊した家から脱出。成人後、結婚して2人の子どもに恵まれた。30代になってがんを患い、手術で持ち直したものの、がんの転移で体調不良が続いた。そして1977年に亡くなったという。享年42。広島平和記念資料館 美術館・博物館
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2023年広島サミットの時に世界の閣僚が入った入口
広島平和記念資料館 美術館・博物館
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