2023/04/01 - 2023/04/01
27位(同エリア266件中)
Noraさん
この旅行記のスケジュール
2023/04/01
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サンニコラス教会
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芸術科学都市
この旅行記スケジュールを元に
3/18~4/3にかけてまだ寒いシカゴを抜け出し、大西洋を越えてポルトガル~スペインに行って来ました。スペインの表玄関は何といってもマドリード。ただしUAのアワードマイルを使ってシカゴからマドリード間を単純往復というのも芸がないので、エクスカーショニスト・パークの特典を活用してワンストップ=イスタンブール経由でマドリードに行きます。マドリードからはイベリア航空でリスボン。何故にイスタンブール?12年前にイスタンブールに行った時、どう頑張っても時間がなくて諦めたエフェスの遺跡(割と古いものに惹かれるタチで)それと旅行者を疲労困憊させる新スタンブール空港も見ておいていいかな。。と、割と単純な理由です。
蛇足ですが今度の旅で空路、陸路合わせると14000マイルくらいで、今までで一番の長旅、しかも一人旅と。。。家人はアンダルシアの高原で行き倒れになった時のこと等余計な心配をしてくれるのですが、深く考えずに出発することにしました。
14日目、この旅も残すところあとわずか。バレンシア2日目の今日は午前中、旧市街を見て、午後は芸術科学都市へ。4月のバレンシアははもう初夏の気配。シカゴと違って眩しいくらいの太陽、そしてカラッと乾いた風が吹き抜けていきます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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ロンハの目の前にあるこのバレンシアモダ二ズモの建物は築100年と言われる中央市場(Mercado Central)。ヨーロッパでも最大規模の市場(300店舗が入っている)と言われ、近隣の農家から直送された新鮮な野菜や果物が並べられている。ハムやチーズ、タパスも選りどりみどり。私が行ったときには幸いオープンしていたが、2時にはほとんどのお店が閉店するとか。。。
中央市場 建造物
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19世紀初頭、この場所ではメルカットノウ(Mercat Nou)と呼ばれる青空市場が開設されていた。 世紀の終わりに、新しい屋根付き市場の建設がバレンシア市によって計画され1914 年に建築が開始された。建築家はバレンシアのエンリケ.ビエドマ.ビダル(Enrique Viedma Vidal)、モダ二ズモスタイル(バレンシアアールヌーボーとも呼ばれる)にて20世紀半ばに完成したといわれる。
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ドームのトップにはベレンシアのシンボル、オレンジが描かれている。
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ヘアルームトマトやカリフラワーを全面に出している八百屋さん。
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MANGLANOは地元バレンシアのタパス、チーズ専門店。
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ボカディージョの繁盛店。次々とお客が来るのでお皿の上に乗ったボカディージョがどんどん減っていく。
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泥付きリーク、アーティチョーク、セロリ、カリフラワー、鮮度抜群感あり!
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肉屋さん。自家製のコロッケやカツ的なものも並べてある。
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中央市場をでてサンニコラス聖堂に向かう。ネットの書き込みにもあったが、ここはちょっとわかりにくいところにある。プリッシマ通り(C/ del Purissima)を北上してカバリェス通り(C/ dels Cavallers)で左折。そして小さな路地を(この画像に見える右手の細い道)をまっすぐ進むと教会の入り口がある。この教会の目玉は天井全体を飾るバロックのフレスコ画である。3年もの年月をかけた修復が終わり、2016年の年の始めより毎日公開されている。その修復工程には6000枚以上の和紙が使われたと言われる!
サンニコラス聖堂:https://www.sannicolasvalencia.com/historia/
サン・ニコラス教会のフレスコ画はその栄光の中で輝いている:https://www.fundacionhortensiaherrero.org/en/the-frescoes-of-san-nicolas-church-shine-in-all-its-glory/
この記事の中程、修復過程の説明にに’バイオクリーニング’とあるが、これは溶菌酵素を使ったフレスコ画表面のクリーニングを指していると思われる。具体的には溶菌酵素(細菌の細胞壁を分解する酵素)を和紙に吸収させて、カビやシミ、褪色の原因となっていたバイオフィルムを部分的に溶解させる方法が選択されたようである。天井のフレスコ画の面積から考え、筆で塗布するよりも和紙に溶菌酵素を吸収させて広い部位に塗布する方が効率的であったからではないか?それと和紙は酸化による劣化を起こすような化学物質を一切含まず理想的な修復材料として定評がある。
*溶菌酵素による美術品のクリーニングは日本でも広く実施されており、高松塚古墳の壁画の修復も物理的クリーニングと並行してこの化学物質によるクリーニング法が実施されている。
酵素を用いた日本画のクリーニング:https://ncar.artmuseums.go.jp/reports/collections/conservation/research/post2023-14.html -
このバナーの下の細い道が教会専用の通路。
サン ニコラス教会の歴史は古い。ローマ時代にはこの場所の周辺にすでに異教の神々に捧げられた神殿があり、当時の習慣によれば、ここは市壁の外の埋葬地として使用されていたようである。歴史的文書によると、ジェームズ 1 世(征服王、ハイメ1世)のレコンキスタに同行したドミニコ会にこの場所を寄贈したとされている。サン ニコラス教区教会の最も初期の建物がこの時代(1242年)に創建され、後、1419~1455年にかけてボルハ家の主導でゴシック様式に改築された。1981年には国の文化財の登録を受けている。
参考:https://www.visitvalencia.com/en/what-to-do-valencia/valencian-culture -
内部に入ると壮大なバロックのフレスコ画が天井を埋め尽くす。
内容及び様式の歴史的背景:17~18 世紀にかけて、反宗教改革とバロック近代化の影響でバレンシアに大きな都市改革の波が押し寄せる。変化の影響をうけた他の宗教的建造物同様、このサン ニコラスも独自の変革を経験する。元々ゴシック様式で建てられた教会の内装がこの時代に大きく改造されている。
その中心となった人物は建築家フアン.バウティスタ.ペレス.カスティエル(Juan Bautista Pérez Castiel)である。彼はこの聖堂をゴシック様式からバロック様式に見事に変化させている。
まず、アーチとヴォールトが漆喰で埋められ、面取りされたヴォールトが形成される。 これはゴシック様式のエッジやアーチの面取りによって柔らかい曲線面を形成し、絵画的装飾を施す表面を用意するという下準備である。
天井画の制作者はもとカルロス2世の宮廷画家であったアントニオ・パロミーノ(Antonio Palomino)。これが彼のバレンシアにおける4年間の滞在中、最初の仕事になった。彼は、教区の名高い二人の聖人の生涯に基づいて、建築空間に巧みに適応した複雑な図像プログラムを設計し、それは彼の弟子であるディオニス・ビダル(Dionís Vidal)によって実行されるのである。ボールトを形成する各セクションには、聖人たちの生涯のエピソードが描かれている。このフレスコ画の面積は 合計で約 2000 平方メートルに達するという。
参考:https://www.sannicolasvalencia.com/historia/ -
天井画メダリオン部分。
ボールト部分は各側に6つずつ、計12のルネットに分割されており、この教会が献堂された2人の聖人の生涯を描いている。
殉教者聖ペテロ。 主祭壇を見て左側(北)福音書側.
聖ニコラス司教。 主祭壇を見て右側(南)書簡側. -
主祭壇上部のバラ窓の中心部分には六芒星(ダビデの星)が象られている。
その週囲には華麗なるバロックのフレスコ画。’バレンシアのシスティナ礼拝堂’の異名をとる所以である。3年余を要したこれらの天井画の修復に携わったのはバレンシア工科大学(Universitat Politècnica de València, 略してUPV )の修復研究所である。この修復は単に天井のフレスコ画の修復のみでなく、石灰で完全に覆われてしまっていた西側のドアのまぐさの上の壁画を蘇らせることも、さらには建築家による構造的補強や修理も含まれていた。絵画修復の工程に助言を与えていたのはシスティナ礼拝堂の修復家ジャンルイジ・コラルッチ氏(Gianluigi Colalucci)であった。彼はミケランジェロの傑作、『最後の審判』の修復責任者であり、UPVの名誉博士でもある。
参考:https://www.fundacionhortensiaherrero.org/en/the-frescoes-of-san-nicolas-church-shine-in-all-its-glory/ -
金箔仕上げの主祭壇(Altar Mayor)。
上部:聖母子(Virgen y el Niño)、ハシント・デ・エスピノーサ(Jacinto de Espinosa)の画。
下部:この教会が献堂された二人の聖人、聖ニコラスと殉教者聖ペテロの彫刻。 -
聖ニコラス司教(San Nicolás Obispo)のバスト。
彼は紀元270年頃、リキア地方(Lycia region, 現在はトルコ領内)のパタラ(Patara)で裕福な家庭に生まれたギリシャ人で、幼い頃から敬虔で寛大な性格で知られていた。両親の死後、相続した相当な遺産をすべて貧しき人々に捧げた高徳の人として知られる。後に聖職者の道を歩き、ミラ(Myra, 現在のトルコ領内のアナトリア地方の町。当時はローマ帝国下の小さな町)の司教になった人物。子供たちや貧しい人々の守護聖人として崇めれていた。が、時代とともにどんどん変化し、クリスマスプレゼントを運んでくる北極の住人へと変貌した。ナショナルジオグラフィックが下記の面白い記事をアップしている。
サンタの歴史:聖ニコラウスが今の姿になるまで
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/121800491/?P=2
また下記のサイトでも同様のことが書かれている。
https://turkish.jp/blog/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9/
因みに聖ニコラスは、ミラの聖ニコラス(東方では死亡した場所に由来)、またはバーリの聖ニコラス(西方では彼の遺骨が移された場所に由来)として知られている。 -
燦然と輝く聖体拝領の礼拝堂(Capilla de la Comunion).
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洗礼堂(Capilla Bautismal)にあるロドリゴ・デ・オソナ(Rodrigo de Osona)の祭壇画、「カルバリー(Calvario)」15世紀。
カルバリー:エルサレム城外の、イエス・キリストが十字架にかけられた丘の名。本来の呼び名はゴルゴタ(アラム語のgulgōthā'「頭蓋骨(ずがいこつ)」の意)で、そのラテン語訳がカルバリアcalvaria、英語ではカルバリー。 -
旧市街からタクシーで芸術科学都市に戻って来た。科学芸術都市の全貌を知るために手始めにフェリペ王子科学博物館(Museo de las Ciencias Príncipe Felipe)に向かう。この中にサンティアゴ・カラトラバ氏のスケッチや建築模型の写真などの展示コーナーが併設されているのである。因みにこの建物はエミスフェリック開館の2年後、2000年にオープンした2番目の建築。実際に手に触れることのできる展示品、体験型展示が多くある科学博物館として知られる。
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1階の博物館入場券販売窓口。ここでまず入場券を買ってエレベーターで2階の展示スペースに向かう。
芸術科学都市は次の施設から成り立っている(カッコ内はバレンシア語名称)。バレンシア州が造ったこれらの施設はいずれもヨーロッパ最大級の規模を誇り、多くの観光客を集めている。(Wikipediaより)。
*ソフィア王妃芸術宮殿(El Palau de les Arts Reina Sofía) - オペラハウス、および劇場(パフォーミングアーツ・センター)
*エミスフェリック(Hemisfèric) - 13,000m2の広さのIMAXシアター、プラネタリウム、レザリアム
*ウンブラクレ(Umbracle) - 散策路、バレンシア固有の植物種の植えられた庭園、オノ・ヨーコらの彫刻のある彫刻庭園
*フェリペ王子科学博物館(El Museu de les Ciències Príncipe Felipe) - 科学博物館、40,000m2の広さでインタラクティブな展示を行う
*オセアノグラフィック(L'Oceanogràfic) - ヨーロッパ最大の水族館。この部分のみフェリックス・キャンデラ(マドリード生まれのメキシコ人建築家)の設計で、100,000m2の敷地に野外型の飼育・展示施設があり、500種以上の大小の海洋生物がいる
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Palau_de_les_Arts_Reina_Sofia-_interiors-_aigua.JPG -
博物館入場券。
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サンティアゴ・カラトラバ氏のスケッチや建築模型の写真などの展示コーナーにある科学芸術都市のポスター。これで配置や外観、特徴等がある程度つかめる。
バレンシアの新名所になっている芸術科学都市の誕生の背景:スペイン東部を流れるトゥリア川(Túria)は、バレンシア市内を通って地中海に注ぐ。トゥリア川は水量の変化が激しく、たびたび氾濫し、中でも1957年の大洪水は甚大な被害を及ぼした。1961~1973年にかけて川の氾濫を防ぐ目的で、トゥリア川を南方へ迂回させる運河が建設され、かつての旧い川床(市内を通って海まで続く 7 キロメートルの干上がった川床)を有効活用する形で1980年に誕生したのがトウリア公園である。バレンシア芸術科学都市はこのトゥリア公園内にある。 (因みに古い川床は、Jardines de Turia、つまりグリーン川と名前が変更された。)設計者はバレンシア生まれの建築家・構造技術者サンティアゴ・カラトラバ氏。1996年7月に建設が始まり、1998年4月16日にプラネタリウム・IMAXシアターの「エミスフェリック」(Hemisfèric)が開館した。開設後も約10年をかけて建築を続行し、2006年に完成した科学教育と芸術のための未来都市である。 -
展示物の中からアゴラの完成予想図とカラトラーバ氏のスケッチ。
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カラトラーバ氏のスケッチや建築模型の写真などの展示コーナーの窓際にあるDNAオブジェ。
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1階に降りてプールの周りを歩くとハープのような形のアスト・デ・ロル橋(Assut de l’Or Bridge )とアゴラ(Ágora)が向こうに見える。
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エミスフェリック(Hemisfèric), 13,000m2の広さのIMAXシアター、プラネタリウム、レザリアム。1998年、芸術科学都市の建築群で一番最初にオープンした施設。別名'ジャイアントアイ'とも'知識の目'とも呼ばれる。カラトラーバ氏の渾身の作といわれ、この芸術科学都市の代表的建築物として扱われている。
この’ジャイアントアイ’の全体の形は水面の鏡に反射した姿をもって完成するといろいろなサイトに書いてある。なるほど~~~’!つまり実像と虚像のコンビネーションにて完成。このためだろう、 建物の周囲は水のプールに囲まれており、プールの底は光を反射するガラスでできている。
目の完成図は:
https://fr.m.wikipedia.org/wiki/Fichier:El_Hemisf%C3%A9rico,_Ciudad_de_las_Artes_y_las_Ciencias,_Valencia,_Espa%C3%B1a,_2014-06-29,_DD_71.JPG
参考:Hemispheric, Valencia, Spain https://cultureofdesign.wordpress.com/2010/05/03/santiago-calatrava-by-benedetta-valabrega/ -
エミスフェリック(Hemisfèric)。これは遊歩道から撮った画像。
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エミスフェリック(Hemisfèric)。立ち位置を変えて。
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これはソフィア王妃芸術宮殿(El Palau de les Arts Reina Sofía)。
2005年10月に完成し、これで科学芸術科学都市の5つの建物がすべて揃ったそうだ。 -
ソフィア王妃芸術宮殿(El Palau de les Arts Reina Sofía)
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正面。全体が光を反射する材質でカバーされているので何を使っているのか、ネットで調べたらトレンカディスモザイク(Trencadís Mosaic、破砕タイル仕上げ工法)と出てきた。あのガウディもサグラダファミリアの装飾に使ったタイルモザイクである。ただ、カラトラ―バの場合はガウディのトレンカディスモザイクの使い方とは少し異なっているように思う。
*トレンカディスモザイクについて調べたことを簡単にまとめて、この旅行記の最後の画像に付け加えました。 -
遊歩道。
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2001年にオープンしたウンブラクレ(Umbracle)は散策路、庭園、駐車スペース。バレンシア固有の植物種の植えられた庭園であると同時に現代彫刻の展示庭園でもある。この下は900台以上を収容可能な駐車スペースになっている。
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ウンブラクレ(Umbracle)の一部である巨大遊歩道。芸術科学都市全体の景色が楽しめる。
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巨大遊歩道とトレンカディスモザイク(Trencadís Mosaic)のベンチ。向こうに見えるのはソフィア王妃芸術宮殿。
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巨大遊歩道とモザイクベンチ。ガウディ建築に見られるようなモザイク状の破砕ガラスでカバーされている。これはアゴラの方向を向いて撮ったもの。ベンチに備えつけてある屑籠もアートしている。
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ウンブラクレ(Umbracle), 散策路と庭園スペース外部の彫刻展示場。
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橋に隣接するアゴラ(Ágora)。現在はCaixaForum(科学文化センター)。2009年11月オープンの最も新しい施設。コンサートやテニスの試合なども行われる多機能スペース。
隣接するのは巨大なハープの形をしたアスト・デ・ロル橋(Assut de l’Or Bridge )。カラトラバ設計の斜張橋で 2008年に完成した.橋名は 「黄金のダムの橋」 という意味で,以前近くにあったダムを指している。全長180m,主塔の高さ125mでセレーリア橋とも呼ばれている。側径間のタイダウンは鋼管を用いており,レインバイブレーションを止めるための工夫として鉄筋を巻いている。
レインバイブレーションとは:https://cvv.jp/CVV2/kengakukai/naniwa%20no%20meikyo(+bridge)/naniwa%20no%20meikyo(+bridge)(W)/(7)tajiri_skybridge/rain%20vibration.html -
随所にみられるトレンカディス(Trencadis、破砕タイル仕上げ工法)モザイクの作例。セラミックの破片を使ったこのモザイク技法はモダニズム時代に広く用いられている。スペインではポピュラーな工法であり、有名な例ではガウディがサクラダファミリアやグエル公園の装飾で用いている。カラトラーバの場合は多色のセラミック破片を装飾用に使うことはせず、あくまでも単色(白色)を光を反射させるためと表面に抽象的パターンを出すために用いているように思える。
Trencadisの語源を調べてみるとtrencar という言葉はカタラン語の「壊す」という意味の動詞に由来するらしい。ビザンチンやローマ時代の伝統的なモザイクは意図された用途に応じてテッセラと呼ばれる色付きのガラスやタイルで面を構成していく。しかし、トレンカディスの場合はそうではなくタイルの破片や壊れた陶磁器の再利用から始まった。民俗芸術としての同様な手法自体は何世紀も前からあったかもしれないが、手法として系統だてられ命名されたのは20世紀のカタルーニャモダ二ズモの時代である。いうまでもなくアントニ・ガウディがその先駆者である。
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