2023/04/02 - 2023/04/02
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Noraさん
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3/18~4/3にかけてまだ寒いシカゴを抜け出し、大西洋を越えてポルトガル~スペインに行って来ました。スペインの表玄関は何といってもマドリード。ただしUAのアワードマイルを使ってシカゴからマドリード間を単純往復というのも芸がないので、エクスカーショニスト・パークの特典を活用してワンストップ=イスタンブール経由でマドリードに行きます。マドリードからはイベリア航空でリスボン。何故にイスタンブール?12年前にイスタンブールに行った時、どう頑張っても時間がなくて諦めたエフェスの遺跡(割と古いものに惹かれるタチで)それと旅行者を疲労困憊させる新スタンブール空港も見ておいていいかな。。と、割と単純な理由です。
蛇足ですが今度の旅で空路、陸路合わせると14000マイルくらいで、今までで一番の長旅、しかも一人旅と。。。家人はアンダルシアの高原で行き倒れになった時のこと等余計な心配をしてくれるのですが、深く考えずに出発することにしました。
15日目、この旅も残すところあとわずか。マドリードというかスペイン最後の今日はマドリード市街の散策。4月のマドリードはもう初夏の気配。シカゴと違って眩しいくらいの太陽、そしてカラッと乾いた風が吹き抜けていきます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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Iryo 10:00 Valencia 11:53 Madrid。
Iryoは航空会社でいうとLCC相当の鉄道バージョン。
イタリア鉄道旅客輸送子会社、トレニタリアと、スペインの航空会社エアノストラム、多国間インフラ企業のグローバルヴィアの3社が共同で立ち上げた民間運行会社である。車両は日立車両製。マドリードの鉄道駅はアト―チャーとチャマルチィンとの2駅があるが、Iryoはチャマルティン駅発着になる。
追加情報:AVEの始発駅として知られるのはアトーチャ駅で、チャマルティン駅を発着する高速列車はスペイン北西部への列車が中心となっているが、2008年に完成したマドリード市内を南北縦貫するトンネルによって、南東部へ向かう列車も発着するようになった。
参考:https://toyokeizai.net/articles/-/635365?display=b -
タクシーにてバレンシアのホアキンソロージャ駅(Estación Joaquín Sorolla)到着。8:41am.
ホアキン・ソロージャという駅名は、バレンシア出身のスペイン印象派を代表する画家の名に由来する。ノルド駅の装飾的な内装と違い、金属的、無機質なデザインの駅舎である。バレンシア観光案内所 (ホアキン ソローリャ駅) 散歩・街歩き
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インターシティーの列車でコルドバからバレンシアに来るときに体験したのだが、スペインの列車は出発時刻の20分位前(早くて)にならないと、電光掲示板にホーム番号が表示されないし、ホームにも入れない。日本のJRとは大違いなのである。
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頭端式ホーム(Bay platform)の手前にある待合室。なんとなく倉庫感あり!が、少なくとも雨露は凌げる。
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なぜかバレンシアノルド駅のミニチュア展示物がある。そういえば、このホアキンソロージャ駅は暫定の駅で、Renfeはバレンシア郊外に持つ広大な敷地に新駅建設を予定しており、将来はコルドバ中央駅のように標準軌と広軌双方の乗り入れ/発着を可能にする新バレンシア駅舎ができると聞いている。美しいバレンシアノルド駅は市の中心部にあって便利ではあるが、これ以上拡張するスペースがないのだそうだ。フムフム、わかる。そうなれば、多分バレンシアノルド駅は美術館として保存されるに違いない。
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この左手通路をするむと有料トイレ。
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9:31am. やっとIryoのホームは1番と出てきた。ホームに行く前に、飛行機搭乗時と同じようなセキュリティ・チェックを通過しなければならない。
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指定された自分のキャリッジ入り口に並ぶ乗客。
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Iryoのイメージアップに貢献するMs. Iryo. ’素敵ね、写真撮ってもいい?’と訊くとニッコリ笑って気軽にポーズしてくれた。
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私のキャリッジはこの5号車。
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キャリッジ内部。
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ラゲージ置き場。
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座席。2x2の配置。座席#は3Bであったが、かなり空いていて隣はマドリードに着くまで空席。
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前もって座席指定されていて、座席横にはUSB用のポートがある。また天井のモニターで現在の通過地点と走行速度が確認できるようになっている。
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出発。バレンシアの青空のもと、郊外を走り抜けるIryo.
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簡単なスナックやジュース等の車内販売もまわってくる。
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洗面所内部。機能的、かつニートに保たれている。
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乾いた風景。サウスダコタ州のBadlandsの規模を小さくしたような。。。
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ここら辺ではオリーブぐらいしか育たないだろう。
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未舗装の道路が渇いた大地を突っ切っていく。
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40分ぐらい走ると、光景が一変して列車はブルーグリーンの水の上を走っていることに気付く。これはコントレラス貯水池(Embalse de Contreras)で、その上にかかるコントレラス橋(Contreras Bridge)を風のように走り抜ける列車の窓から。
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コントレラス貯水池 の中ほどを通過中。ここはバレンシア州とクエンカ州の間にある広大な貯水池で景勝の地、行楽の地でもある。’ブルーグリーンの水’の貯水池と呼ばれるのはベッドロックが明るいベージュの石灰岩であること、青空の反射、水面に植生の映り込みがあること等に関係しているのかもしれない。
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手前に見えるのは公園のようだ。
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風力発電機とブドウの苗木たちが現れる。
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しばらくすると少しずつ緑が多くなり、農園が広がってくる。11:00am.
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やがてマドリード首都圏に近ずくIryo. 216km/h
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徐々に速度が低下し、トンネル内に入る。今通っているのが、マドリード市内を南北縦貫するトンネルに違いない。通過時間は5分弱だったように思う。これを過ぎればすぐにチャマルティン駅だ。
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15km/h。スローダウンしてチャマルティン駅へ。
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約2時間弱で到着!出発も到着もオンタイムだった。一瞥したところ、チャマルティン駅(Estación de Chamartín)は赤がテーマカラーのようだ。
チャマルティン駅 駅
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三々五々目的地を目指す乗客。
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駅構内。
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標識によれば、駅構内を出て左に向かうとタクシー乗り場があるようだ。ところが、それは大きな誤解。着いたところはTAXIの表示はあるものの、降車のタクシーばかりで、空車のタクシーなんて全く並んでないのだ。並んだ空車待ちの乗客は仕方がないので前の乗客がおりて空車になったタクシーを捕まえて乗り込んでいる。ほんとにこの場所がTAXI乗り場なのか並んだ人々に聞いても’ここでいいと思う。。’という推測の答えしか返ってこない。で、同じように私も降車のタクシーを20~30分待ちに待って、乗車拒否もあったりして、やっと40分後くらいに乗車できた。あとでよ~く調べると、以前はここがタクシー乗り場だったのだが、今は降車専用になっているらしい。で、新しいタクシー乗り場は陸橋を渡ったところにできている。それならそれで案内版を立てたり、古い乗り場表示を撤去すべきなのに、それが実施されていない。ゆえにそれを知らない旅行者は延々と、黙々と列を作って待つのである。チャマルティン駅はもっとトラベラーフレンドリーであってほしい!!
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20分くらいで今夜の宿舎、ホテルクラウンプラザマドリードA.P.(Hotel Crowne Plaza Madrid Airport) に到着。タクシー料金はrome2rioのサイトで確認した料金(max70ユーロ)とほぼ同じだった。そしてこれはホテルのロビー。
クラウン プラザ マドリード エアポート ホテル
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シングルなのになぜかツインの部屋をアサインされた。シングルのお部屋は満室だったのかもしれない。
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コーヒーポット、インスタントコーヒー、ミネラルウオーター等、お決まりのコース。
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バスルーム。シャワーカーテンやグラスシールドがないのでシャワーの湯が飛び跳ねて床が水浸しになるデザイン。仕方がないのでバスタブに寝そべってラッコのような格好でハンドシャワーでシャワーを浴びた。あとで思い返すと非常に奇妙な恰好のシャワーの浴び方だったような、、、。
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フロントでタクシーを呼んでもらってマドリード市内に出かける。次の日の早朝にマドリードを発つので、マドリード観光に使えるのは半日しかない。まずはアルムデナ大聖堂に向かう。しかし到着したものの残念ながらこの日(4月2日、日曜日)は閉まっていた。その理由は後で判明する。
この大聖堂の正式名称はサンタ・マリア・ラ・レアル・デ・ラ・アルムデナ大聖堂。画像は南側エレベーション(Catedral de Santa Maria la Real de la Almudena) South Elevation。つまりマヨール通りに面した方。アルムダナとはイスラム語で要塞の意味で、もともとこの場所にはモスクが建っていたという(イスラム支配が長期に及んだスペインではよくあるケース)。11世紀にレコンキスタによりイスラム教徒が追放された後、小さな教会が建てられていたそうだ。その後、大聖堂建設計画が16世紀に始まったものの完成は遅々として進まず、1993年にやっと完成し、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって聖別されたという経緯がある。ー>詳細は下記に。
ちなみにこのマヨール通りの崖下には小さい公園があり、イスラム支配時代の市壁の遺構(9世紀)の一部分が、国定記念物として指定され保存されている。
https://www.atlasobscura.com/places/muslim-walls-of-madridアルムデナ大聖堂 寺院・教会
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1561年、晴れて首都になったマドリードには大聖堂なるものはなく、古い教会しかなかった。19世紀の終わり頃、その教会が老朽化し崩壊の危機に晒されたのを機に、スペインの首都に相応しい壮麗な大聖堂をと、天にも届くような尖塔をもったゴシックの大聖堂を計画したのである。首都なのだからトレドやセビリアの大聖堂よりももっと高くもっと大きくと張り切って1883年に建設開始。。しかし、予期せぬ壊滅的スペイン内戦(1936~1939)がおこり、終わってみると目も当てられないほどスペインは疲弊していた。一番の問題は人口の減少である。この内戦で死者60万、傷病者150万、亡命者35万と信じられぬ数を出してしまったのだから。自国の民力が不足していては大聖堂建設を優先するわけにはいかない。おまけに近隣諸国も第2次世界大戦を始めてしまって自国のことで精いっぱい。ボロボロのスペインを援助するような余裕はない。。
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そうこうするうち、20世紀も半ば(1950年頃)になってようやくスペインは自力で立ち上がる。’じゃ、頓挫していた大聖堂建設に取り掛かりましょう’となったようである。しかし、昔の計画をここで変更することになる。理由はその頃、目の前にネオクラシック様式の王宮があったこと。’ん?ゴシックの大聖堂?やっぱり雰囲気的に合わせた方がいいのでは?’ということになり、いくらか出来上がっていた大聖堂の形も色もここでネオクラシックっぽく急遽リモデリングすることになる。色は淡いグレーと白、中心にはクーポラを添えて、その他いろいろ。。ネオクラシカルフュージョン、エクレクティックとか表現は色々あれど。。。上記のようなラテン的紆余曲折を経て大聖堂は1993年に完成したようである。
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こちらがアルムデナ大聖堂の正面で王宮の向かいに立地している。前に述べたように、王宮の淡いグレーと白のファサードにマッチするようネオクラシカル様式の外観で完成されたという。建築家はフェルナンド・シュエカ・ゴイティア(Fernando Chueca Goitia) 。
*フェルナンド・シュエカ・ゴイティア(1911~2004):20世紀のスペイン建築界を代表する建築家、学者、建築史家、研究者として知られる。 -
マドリード王宮(Palacio Real de Madrid)。
床面積においてヨーロッパ最大と言われる王宮。20世紀前半まで代々のスペイン国王が暮らしてきた宮殿だが、現在は国王や王族はここに住んではいない。マドリード西部のはずれにあるサルスエラ宮殿(Palacio de la Zarzuela)という、もっと慎ましい場所に好んで住んでいるとか。だが、この宮殿は今もなおスペイン国王の公式の宮殿として鎮座し、公的な行事の際に使用されている。
現在見るこの建物は1734年の火災で当時の建物が焼失したためフランスのヴェルサイユ宮殿を参考に1738年から1755年にかけて再建されたものとか。王宮は別名オリエンテ宮とも呼ばれ、3000室以上の部屋のいたるところに、ベラスケスやフランシスコ・デ・ゴヤといった芸術家たちの作品が贅沢に飾られているという。マドリード王宮 (オリエンテ宮) 城・宮殿
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宮殿ファサードのクロースアップ。大時計を中心にフェリペ 5 世、フェルナンド 6 世、バルバラ.デ.ブラガンサ、マリア.ルイーサ.ガブリエラ. デ. サボヤの像が並ぶ。 時計の上には天使に守られた王家の紋章がある。 風変りな鐘は 1637 年から1761年の間に作成されたものでアルカサル時代のものと言われる。
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大聖堂が閉まっていた理由はセマナサンタ(semana Santa)のプロセッションであった。今年のセマナサンタは4月2日~4月9日にあたっており、植え込みの木々もそれなりの飾りつけがしてある。プロセッションの道なりに見物客が並び始めている。
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バロック様式のサクラメント教会(Iglesia del Sacramento、別名Iglesia Catedral de las Fuerzas Armadas)。その前にはプロセッションの進行予定の道に見物客や観光客が並んでいる。TVの中継用の櫓も左手に見える。因みにこのサクラメント教会は、もともと1615年にベネディクト修道女会の修道院付き寺院として設計されたのだが、建築開始が50年近く遅れたため、1744年にやっと完成創建されたものである。現在マドリードにおけるバロック様式の宗教建築のなかでは最良の作例の 1 つといわれる。
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マヨール通りにあるカニェテ宮殿(El Palacio de Cañete)-奥の建物。
(本当はこちらをメインに撮らないといけないのに勘違いで手前の建物を前面に撮ってしまった。)
市社会主義グループ マドリッド市議会(Grupo Municipal Socialista Ayuntamiento de Madrid)-手前の建物。
カニェテ宮殿:16世紀後半~17世紀にかけて建てられた宮殿。スペインハプスブルグ第1番目の国王カルロス1世と非常に親しかったカニェテ侯爵の宮殿として建てた。当時の宮殿としては珍しいレンガ造り。現在はマドリード管轄の建物となっており、マドリード日本文化センターなどが入っている。 -
カサ・デ・ラ・ヴィラ(La Casa de la Villa)、ビジャ広場(Plaza de Villa)に立つプラステレコ様式のピンクの建物で17 世紀から 21 世紀まで市庁舎として機能した。
*ビジャ広場はハプスブルグ統治時代マドリ-ドの中心地だった場所で、中世の時代はサルバドール広場と呼ばれていた。 -
サン・ミゲル広場(Plaza de San Miguel)で寛ぎ、食べ、おしゃべりに余念のない人々。後ろに見えるのはサン・ミゲル市場(Mercado de San Miguel)。ハプスブルク家のマドリードの中心に位置し、年間1,000万人以上が訪れるという。マドリード初のガストロノミー・マーケットと言われている。
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マヨール広場(Plaza Mayor)への入り口アーチの一つ、7月7日通りのアーチ。アーチのトップに 「Los Heroes 7 del Julio 1822 」と書いた銘板がとりつけてある。マヨール(=大きな)という名のとおり129mx 94mの大きな長方形の広場で、全部で9つのアーチ型の出入り口がある。この7月7日通りはマヨール通りとマヨール広場を結ぶ短い公道で、この名前は1822年 7 月 7 日にこの広場で起こった王室警備隊と国民民兵の衝突に由来している。この広場では、かつて華やかな王家の儀式、闘牛などが行われ宗教裁判の焚刑まで行われたという。この建物に住む住人は窓からそれらを見物したそうだ。
マヨール広場 広場・公園
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この広場の歴史は15世紀に遡る。中世のマドリードの外側には、トレドやアトーチャへと向かういくつもの道路が交差しており、この土地はアラバル広場(Plaza del Arrabal)と呼ばれていた。広場は商業の中心であり定期的に市場が開かれていたという。
1561年にマドリードへ宮廷を移していたフェリペ2世は、このごみごみとして混沌としていたアラバル広場の刷新を計画し、高名なルネサンス期の建築家ファン・デ・エレーラに、1580年に再建を命じた。エレラは最初の計画を作成したが、実際に建設が着工したのはフェリペ3世時代になってからの1617年だった。
現在、建物の殆どがホテルになっている他、1階はカフェやレストラン、専門店が並び多くの客で賑わっている。 -
広場中央に立つフェリペ3世の騎馬像。時のトスカーナ大公コジモ2世から1616年にスペイン王、フェリペ3世へ献上されたものである。長くカサ・デ・カンポ((Casa de Campo)に置かれていたが、1848年、女王イサベル2世がマドリード市に命じ、この広場へ設置させた像である。
*カサ・デ・カンポ:もと王室の狩場で、現在は遊園地や動物園がある。
*この広場にゆかりの深い「スペイン・ハプスブルク朝」について。スペイン語ではアブスブルゴ朝(1516年 - 1700年)と呼ばれる。
フェリペ3世亡き後、フェリペ4世、カルロス2世とハプスブルク朝は続くものの、戦争の継続や農業政策の失敗で「太陽の沈まぬ国」と呼ばれたかつてのスペインは疲弊衰退し、過去の栄光を取り戻すことはなかった。病弱で心身に異常をもったカルロス2世には帝国の立て直しを図る能力がなく、また彼の後継者もなかったため、スペイン・ハプスブルク朝は断絶する。衰退した帝国を引き継いだのは、ボルボン(ブルボン)家の流れをくむフェリペ5世であった。時は1700年、スペイン・ブルボン朝の始まりである。王位が承認されてからも幾度もの中断期を挟みながらもこの王朝は存続し現在に至る。現スペイン王家はこのブルボン朝の末裔である。 -
カーサ. デ .ラ .パナデリア (パン屋)、Casa de la Panadería (Bakery House) は、マヨール広場の建設中の1619 年に完成した伝統ある建築物。が、何度も焼き討ちや破壊にあい、その度に再建された受難の建物でもある。現在のファサードを飾るフレスコはコンペで優勝したカルロス・フランコ(Carlos Franco)が1992年に完成したものでキュベレ(キべレ)、プロセルピナ(ローマ神話に登場する春の女神、あるいは冥府の女王。ギリシア神話のペルセポネーに対応する)、バッカス、キューピッドなどの神話上の神々や、アーティストが考案した人物をマドリッドとマヨール広場の歴史に織り交ぜたデザインになっている。
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キュベレ(キべレ)のフレスコ。
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メトロのソル駅。後ろに見えるのはプエルタ.デル.ソルで最も古い建物、王立郵便局(Real Casa de Correos)。現在はマドリッド自治政府庁になっている。プエルタ.デル.ソルはマドリッドの中心であり、ここから10本の道が延びている。地下でもメトロの3路線が交差しており、まさにここがマドリードの中心軸であることがわかる。
それを証明するように、この王立郵便局の前にはスペイン国の道路の起点となるキロゼロ地点(スペイン国道路元標)を示すプレートが地面に埋め込まれている。最新のデザインはwikipediaで見ることが出来る。https://en.wikipedia.org/wiki/File:2023_Madrid_0_Cero_km.jpg
因みに日本の道路の起点となるKilometer zero in Japan (日本国道路元標)は中央区日本橋にある。ソル駅 駅
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グラン.ヴィア通り(Gran Vía)からクラベル通り(Calle del Clavel)の小道に入るとカフェやレストランが並んでいる。そのうちの一つ、 UDON (Chueca)という面白い名前のお店でランチブレイクとする。Noodle Bar&Restaurantとうたっているがフュージョンっぽい寿司、ギョウザなどを給する。
うどん (チュエカ店) 和食
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国籍不明のサーモンと胡瓜の寿司。こういうのもたまには面白くていい。。。
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グラン.ヴィア通り(Gran Vía)の角に立つ、意表を突くデザインのメトロポリスビルディング(Edificio Metropolis)は現在メトロポリス保険会社が所有する。
頂上のドームにはたった今、天界から舞い降りてきたかのように翼を広げた女神ニケの彫像が立っている。元々、このビルは別の保険会社のビルとして1911年にフランス人建築家ジュール・フェブリエ(Jules Février)によって建てられたものである。 -
通りを挟んでメトロポリスビルディング(Edificio Metropolis)の後ろに立つローレックスのビルもなかなか凝っている。
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アルカラ通りに建つスペイン銀行(Banko de Espana)本店はバンコ・デ・エスパーニャ駅(Banco de España)の真ん前にある。
このスペイン銀行の金庫室にはスペインの貴金属の総埋蔵量の 3 分の 1 が保管されているという。それだけに独特の厳重なセキュリティシステムが設置されているようでネットで調べると、「シベーレスの噴水」がそのセキュリティシステムに関わっていることがわかった。地下 35 m にあるその金庫室は何重もの防犯装置によって守られており、その究極の仕組みというのが実にユニークである。万一、何者かが金庫室に侵入した場合、噴水の水が自動的に地下に誘導されて金庫室を満たす仕掛けになっているのだとか。まるでインディ―ジョンズの世界のようなのだ。下記のサイト(英語)に詳細が紹介されている。
https://www.eyeonspain.com/blogs/iwonderwhy/21395/spains-safest-safe.aspx
https://madridsensations.com/121007-chamber-of-gold-cibeles-fountain/スペイン銀行 建造物
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シベーレスの噴水(Fuente de Cibeles)。
マドリードの中心に位置するシベーレスの噴水は1782年に建造されたたもので、シベーレス広場の中心にある。四方をブエナビスタ宮殿(Palacio de Buenavista:現在は軍司令部)、リナレス宮殿(Palacio de Linares:現在はカサ・デ・アメリカ)、コムニカシオネス宮殿(以前は中央郵便局で現在はマドリード市庁舎本部)、スペイン銀行(Banco de España)に囲まれている。
噴水の大理石彫刻であるが、大地、農業、豊穣の象徴であるギリシャ神話の女神キュベレ(「シベーレス」は「キュベレ」のスペイン語名)が乗る馬車を、神話の登場人物であるヒッポメネスとアタランテを表す2頭のライオンが引いている。女神の彫刻はフランシスコ・グティエレス(Francisco Gutiérrez)の作品で、2頭のライオンは、フランス人のロベルト・ミッシェル(Roberto Michel)が彫刻した。
*シベーレスとは、ギリシャ神話の女神キュベレのスペイン語名であるが、この女神の原型はアナトリア一帯に信仰されていた大地母神(キべレ)である。 -
シベーレスの噴水を挟んでスペイン銀行本店と向き合うように立つシベーレス宮殿 (Palacio de Cibeles)。 正式にはコムニカシオネス宮殿として知られ,マドリード市庁舎本部がある。
さて、2週間ほどの旅を終えて明日はスペインを後にする日だ。荷物の整理やパッキングをしないといけないのでマドリードの徘徊もこれで終わりにしよう。この角の所にタクシー乗り場があるので、ホテルまで30分くらいで帰れるだろう。
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