2023/11/04 - 2023/11/04
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mom Kさん
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あの時の情景と自分自身をよく思い出す。
ようやく探し求めていた教会に会えると、心躍らせていたときだった。
野崎島へ渡る町営船上で、ここまでの長い想いを振り返っていた。
「あれは?・・十字架!・・こちらを見てる!!」 崖崩れのような所に真っ白な十字架が海を見つめていた。
- 旅行の満足度
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
夜中に何度も目が覚めた。4時には、もう我慢できなくて身支度を始めた。たくさん歩くのに、こんな睡眠状態で大丈夫?
民宿「ちとせ」のお母さんは、6時15分ピタリに朝食を用意してくれた。
献立の種類が多い。減らしてくださいとお願いしてもたくさんのお皿が並ぶ。
今朝は一計を案じた。持参タッパーにご飯と塩サケを移させてもらった。お昼は、これで十分。きっと野崎島では、一層おいしいにちがいない。
6時45分、出る。 -
こじこじパンさんの前を通りかかったら、もう開いている。
「おはようございます。今日はいつまで開いていますか。」
♀「売れ残っていたら、2時までです。売り切れたら、もっと早くなります。」
今日は、無理だから、明日この時間ぐらいに予約にこようと決めた。
「はまゆう」の着岸する場所に着いた。夜が明けたばかりで、港にも人影無し。波も静か。出港までには、まだ30分間ある。「離島待合所」で大事なことを済ませる。 -
3か月ほど前に問い合わせたときは、私一人ということだったが、昨日フェリーターミナルで、ツーリズム♀スタッフに「もう一人参加されますよ。」と告げられた。山歩きが苦手な私、迷惑かけないか少し気がかりだが、ガイドさんには良かったかもしれない。
乗船時、乗組員さんに乗船代往復分渡したら、旧野首教会のカードを頂いた。良い記念になる。帰宅したら額に入れよう。前回はなかったから。 -
見えました。
2020年4月2日、この船上で、あの十字架を目にしたときは、衝撃が走った。まるで意志あるもののようにこちらを見ていた。全くこのことの予備知識はなかった。持っていなくてよかったと今にしても思う。 -
あの日、野崎島の自然塾に泊り、そこに置かれているこの島に関する本や雑誌に、目を通した。
舟森集落を知った。 -
三年半前は、あの番屋のような建物は、まだ立っていた。ガイドさんは、「この春、倒れました。」と教えてくれた。
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元野崎小学校校舎は自然塾になり、来島者の休憩や宿泊に利用できる。
今回は、数名泊りの方がおられ、海岸で夕食のためのイカも釣れたとあとで伝え聞いた。 -
夏に渡島を申し込んだときは、教会は、10月から改修工事に入る予定で、見られませんが、いいですかと、メールの返事が届いた。私は、「今回は舟森集落まで歩くのが目的なので、問題ありません。」と返送した。
なのに、あなた(旧野首教会)にこうしてもう一度会えた。・・・・ -
8時15分出発。
先ず側溝沿いを歩いていく。振り返って、見えなくなる直前の旧野首教会。
行って参ります。どうぞ、無事にたどり着けますように。 -
白浜海岸もここからの眺めは、初めて。
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もう一度、教会に目を移し、レンズを拡大させる。
「行って参ります。」 -
Sガイド氏は、ほどよく立ち止まっては、草花の説明をし、歩きながらは、ご自身の小さいころの思い出や小値賀島の話をしてくれる。私は地元の人の語りが、旅の好物。
この鮮やかな黄色とオレンジの花弁が集まっているのは、「トウワタ」
Sガイド氏曰く、「毒があります。鹿は食べません。」 -
アケビと思ったら、S氏「ウベです。」と言って、鎌でさっと取ってくれた。
ああ、やはりアケビと似ている。お味も。種は持ち帰ろう。氏のご実家の庭では元気に繁っているそうだ。 -
次に立ち止まって、足元を指さす。S氏「イノシシがカラダをこすって、きれいにするんです。この周りの地面もきれいでしょう。イノシシはきれい好きなんです。」
豚もきれい好きというから、やはり親戚だ。
つるつるになっている切り株に手を触れてみた。彼か彼女のお気に入りに違いない。角っこがなくなり、表面は、靴クリームで磨いたように艶やか。 -
S氏「向こうに大きな石が見えますね。あそこにサカイと書いてあります。この辺りは、おぢかからも薪を取りに来ていて、範囲を取り決めていた印です。」
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「まだまだ」ですか。登りが続く。先が見えない。
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細い木ばかり。下草は、ない。鹿が食べるのかもしれないし、向こうの方は日が差さないみたい。
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次第にうっそうとしてくる。倒木をまたいだり、枝を払ってもらいながらの前進が続く。
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もうすぐとときめく。
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ここには食べごろがいくつもなっていて、大きなごろんのまま手渡してくださった。
自然塾に戻った時のお祝いデザートにしよう。ポケットに入れた。 -
S氏「あっ、あそこにもあるなあ。」食べごろが鈴なり。
さっきの目のない足の長い虫にもびっくり。その名も「座頭虫」 -
目の前に「サカイ」石が現れた。ここから薪を運び出すのはどうしたのだろう。
燃やすとなると、10キロなんて1日ももちやしない。そのころは、煮炊きも全てこれですから、欠かせない重労働。 -
田舎びとの「もうすぐ」は、もうすぐではありません。この立札を見てつぶやいたら、S氏の子供の頃のエピソードを話してくれた。やはり、五島でも和歌山でも同じだなあと笑った。
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10時22分、到着。山を見上げたとき、行きかう人もいない山道、ずいぶん覚悟してきた。ガイドS氏の案内のお力でした。同行の男性も一緒に楽しんで歩いてくださった。ここに来れたのです。
向こうに見えるは、小学校跡。先生もここに住まわれたのだ。 -
まだ崖のてっべん。S氏に「こちらへきてください。」と呼ばれる。たった5メートル向こうながら、足元は、とげとげの低木が左右から阻む。同行の男性は、運動靴を貫通したという。ひるむ。私は、このトレーニングパンツを引き裂きたくはない。二人は待ってくれている。行こう。
司祭館の床から発見されたもの。 -
S氏「ビッグアースが見えますね。もうすぐ(就航)終わりです。」理由を話してくれた。
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三人でつったってしばらく見送る。
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イチジクのような形の「オオイタビ」。硬い。舟森の人々は、これも食べる工夫をしたのだろうか。
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船から眺めた通りの崖が、集落。S氏「下に降りられますか?」私はこの足元に立ちすくむ。同行の男性と顔を見合わせる。彼、「ここは、行くしかないですね。」と、優しく促してくれる。
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舟盛の人々が集団離村したのは、1965年。10歳なら暮らしの明確な記憶を持っている。50代から60代なら存命者も少なくないだろう。
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竈跡だろうか。
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これでしたか。あの時私に呼びかけてくれたのは、・・・
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学校跡の次に広い平地、教会と司祭館。瀬戸脇教会は大島へ移築され、司祭館は現在小値賀教会に。島を去る人々は少しの慰め得られただろうか。
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住まい跡。
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たった50年でこれほど消え去ることに、当時の暮らしの厳しさも思う。
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ポケットには、ハマゴウの葉と種。とげとげで繁殖激しいそうだけど、
お風呂で楽しみたい素敵な匂い。庭に蒔いてみよう。ここをいつまでも思い出せるよすがになる。
低木の時は、とげが多く、成長するととげが消えるという。このちょっと考えるお話もいい。 -
戻りは、下りが多く、もう目安もあるので、一層歩きを楽しめていた。
S氏「鹿がいます。」私たちには姿が見える前に教えてくれる。立ち止まる。
現れた。「うわあ、今まで見た一番美しいハート!」と大はしゃぎの私。
S氏「あれは、おこっているんです。まだ若い鹿ですね。」
右斜面の山の方には、木々に隠れるように数頭の鹿が見えた。 -
戻りは早い。2メートルはゆうにある蛇にも出会った。
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旧野崎教会がお迎えしてくれました。「ただいま!」
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ここから眺めるのはもう最後。
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舟森まで歩いたから、見ることができた。苦しくなった時、舟森集落の6歳の子供たちが雨の日も通った道、冬は暗い中を歩いた道と何度も思っていた。だから、私は歩かなくっちゃ、と。
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お弁当を食べて、もう一度会いに行く。たぶんもうここには来れない。
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これから何年も何年もそこにいるだけで、多くの人の力になると思います。クリスチャンであろうとなかろうと、あなたから与えられるものは言葉にならない。
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あの時、翌朝発つ前に、もう一度ここに来て、この眺めを心に収めながら、あの山の向こうには、舟森集落跡がある。あそこに立てば、私は何を思うだろうと夢想していた。
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