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 洞爺湖有珠山ジオパークは2000年の有珠山噴火の爪痕がそっくり残され、地球の息吹がそのまま災害遺構「ユネスコ世界ジオパーク」として2009年に認定登録された地域である。<br /> 今から11万年前、巨大な噴火が発生し洞爺湖が生まれた。やがて約2万年前に有珠山が誕生する。有珠山は約一万年前に山体崩壊を起こし、暫く噴火を休んでおり、噴火湾沿岸では縄文・アイヌ文化が栄えていた。<br /> その後、1663年、約一万年ぶりに噴火してから2000年までに9回の噴火を繰り返し、人里近くに溶岩ドームなどの新山の生成を繰り返して来た。<br /> そこに住む人々の土地への愛着と自然に対峙する姿勢には学ぶべきことが多い。様々な魅力を生み出している。<br /> 魅力① 噴火がもたらした肥沃な大地は、新鮮な野菜やくだものを産出し、岩礁の豊富な有珠湾は美味しい魚介類も豊富。<br /> 魅力② 1910年の有珠山噴火によるマグマの上昇で洞爺湖半に温泉が誕生し、泉質の異なる湯めぐりが楽しめる。<br /> 魅力③ 最近は自然の息吹を体感できる四季折々のアウトドアスポーツが盛んになっている。<br /> 洞爺湖の美しさとは真逆の有珠山噴火と共に「変動する大地」の歴史とその恐ろしさを体感した一日であった。<br /> 怖さを知っているからこそ知恵を働かせて火山と対峙し共生力が生まれる。

ユネスコ世界ジオパーク認定地 洞爺湖有珠山ジオパークを歩く

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2023/10/28 - 2023/10/28

573位(同エリア725件中)

旅行記グループ 北海道内 日帰りのバス旅

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ゆーちさん

この旅行記のスケジュール

2023/10/28

この旅行記スケジュールを元に

 洞爺湖有珠山ジオパークは2000年の有珠山噴火の爪痕がそっくり残され、地球の息吹がそのまま災害遺構「ユネスコ世界ジオパーク」として2009年に認定登録された地域である。
 今から11万年前、巨大な噴火が発生し洞爺湖が生まれた。やがて約2万年前に有珠山が誕生する。有珠山は約一万年前に山体崩壊を起こし、暫く噴火を休んでおり、噴火湾沿岸では縄文・アイヌ文化が栄えていた。
 その後、1663年、約一万年ぶりに噴火してから2000年までに9回の噴火を繰り返し、人里近くに溶岩ドームなどの新山の生成を繰り返して来た。
 そこに住む人々の土地への愛着と自然に対峙する姿勢には学ぶべきことが多い。様々な魅力を生み出している。
 魅力① 噴火がもたらした肥沃な大地は、新鮮な野菜やくだものを産出し、岩礁の豊富な有珠湾は美味しい魚介類も豊富。
 魅力② 1910年の有珠山噴火によるマグマの上昇で洞爺湖半に温泉が誕生し、泉質の異なる湯めぐりが楽しめる。
 魅力③ 最近は自然の息吹を体感できる四季折々のアウトドアスポーツが盛んになっている。
 洞爺湖の美しさとは真逆の有珠山噴火と共に「変動する大地」の歴史とその恐ろしさを体感した一日であった。
 怖さを知っているからこそ知恵を働かせて火山と対峙し共生力が生まれる。

旅行の満足度
4.5
交通手段
観光バス 徒歩

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  •  国道5号線を走る。遠方は中央右手が昭和新山 左に見えるのは有珠山である。<br />あの山が1663年の大噴火の後、これまで過去9回も噴火を繰り返し、噴火のたびにその姿を変えて来た。

     国道5号線を走る。遠方は中央右手が昭和新山 左に見えるのは有珠山である。
    あの山が1663年の大噴火の後、これまで過去9回も噴火を繰り返し、噴火のたびにその姿を変えて来た。

  •  洞爺湖ビジターセンターで火山マイスターのレクチャーを聞く。ここには元洞爺湖温泉小学校があり、泥流は校舎にも流れ込んだという。

     洞爺湖ビジターセンターで火山マイスターのレクチャーを聞く。ここには元洞爺湖温泉小学校があり、泥流は校舎にも流れ込んだという。

    洞爺ビジターセンター 火山科学館 美術館・博物館

  • ビジターセンターの中。時間がなくサッと通り過ぎる。

    ビジターセンターの中。時間がなくサッと通り過ぎる。

  • センターの2階を見上げる。

    センターの2階を見上げる。

  • 土曜日だったが、駐車する車はほとんどなかった。ビジターセンターを出ていよいよ歩く。

    土曜日だったが、駐車する車はほとんどなかった。ビジターセンターを出ていよいよ歩く。

  • 被害のあった砂防ダム(川ではない)にかかる橋から洞爺湖と中島が遠くに見える。

    被害のあった砂防ダム(川ではない)にかかる橋から洞爺湖と中島が遠くに見える。

  •  噴火で住めなくなった桜ヶ丘団地の一棟が遠くに見える。手前は砂防ダムの中。管理棟がある。背後の山は明治(1910)の噴火時にあった金毘羅神社が噴石被害を受けてから「金毘羅山」と名付けられた。洞爺湖町は四国からの移住者が多いという説明だった。

     噴火で住めなくなった桜ヶ丘団地の一棟が遠くに見える。手前は砂防ダムの中。管理棟がある。背後の山は明治(1910)の噴火時にあった金毘羅神社が噴石被害を受けてから「金毘羅山」と名付けられた。洞爺湖町は四国からの移住者が多いという説明だった。

  •  砂防ダムの中にある管理棟から歩き始めると道の両側に紫陽花がまだ花を付けていた。

     砂防ダムの中にある管理棟から歩き始めると道の両側に紫陽花がまだ花を付けていた。

  • 災害遺構の様子、金毘羅山西麓の散策路が示されている。

    災害遺構の様子、金毘羅山西麓の散策路が示されている。

  • 最初に着いたのは「やすらぎの家」。今は狸やうさぎなど、小動物の雨よけになっているとのこと。

    最初に着いたのは「やすらぎの家」。今は狸やうさぎなど、小動物の雨よけになっているとのこと。

  • 元町営の温泉施設だった。

    元町営の温泉施設だった。

  • 振り返るとススキの向こうに桜ヶ丘団地が見えて来た。3棟のうち1棟だけ保存されている。

    振り返るとススキの向こうに桜ヶ丘団地が見えて来た。3棟のうち1棟だけ保存されている。

  •  国道にかかっていた橋が泥流で流されてきたという所に出る。2000年の噴火では上流の国道にかかる二つの橋が熱泥流で流されアパートの2階の角に衝突したという。

     国道にかかっていた橋が泥流で流されてきたという所に出る。2000年の噴火では上流の国道にかかる二つの橋が熱泥流で流されアパートの2階の角に衝突したという。

  • 橋は破壊され泥流に流されてここにおさまり傾いたままに。街路灯も一本だけ橋と共に草にまみれて残っていた。

    橋は破壊され泥流に流されてここにおさまり傾いたままに。街路灯も一本だけ橋と共に草にまみれて残っていた。

  • この橋の解説。「「木の実橋」と「こんぴら橋」の二つが泥流で90mほど押し流され団地に激突してさらに60m流されて止まった」とある。

    この橋の解説。「「木の実橋」と「こんぴら橋」の二つが泥流で90mほど押し流され団地に激突してさらに60m流されて止まった」とある。

  • 流された橋とやすらぎの家。かなり接近している。

    流された橋とやすらぎの家。かなり接近している。

  • 桜ヶ丘団地の解説。ここから500mのところにある火口から噴石や火山灰が噴出した。避難命令は一年三か月後に解除されたが、一階部分からは家財道具も取り出せなかったという。

    桜ヶ丘団地の解説。ここから500mのところにある火口から噴石や火山灰が噴出した。避難命令は一年三か月後に解除されたが、一階部分からは家財道具も取り出せなかったという。

  • 火山研究者の協力もあって、日ごろから地域で避難訓練をしていたため、団地の住民は全て避難して助かり、何と死傷者はゼロ。5階建てだったが一階部分は泥流に埋まり、4階建てに見えている。2階の角には橋が衝突した跡が残る。<br /> ベランダには木が生えていた。

    火山研究者の協力もあって、日ごろから地域で避難訓練をしていたため、団地の住民は全て避難して助かり、何と死傷者はゼロ。5階建てだったが一階部分は泥流に埋まり、4階建てに見えている。2階の角には橋が衝突した跡が残る。
     ベランダには木が生えていた。

  •  団地と熱泥流の被害説明。桜ヶ丘団地の5階建てアパート3棟を襲い、二つの橋が流された。

     団地と熱泥流の被害説明。桜ヶ丘団地の5階建てアパート3棟を襲い、二つの橋が流された。

  • 残された一棟の角をまわると湖が見えた。

    残された一棟の角をまわると湖が見えた。

  • 砂防ダムの向こうにはの屋根と洞爺湖の中島が見える。

    砂防ダムの向こうにはの屋根と洞爺湖の中島が見える。

  • 砂防ダムの中に咲くコスモス。人の背の高さを超えていた。

    砂防ダムの中に咲くコスモス。人の背の高さを超えていた。

  • 見学が終わっての帰り道。写真の中央、山陰の頂上に小さく洞爺湖サミットの会場となった「ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ」の一部が見えた。

    見学が終わっての帰り道。写真の中央、山陰の頂上に小さく洞爺湖サミットの会場となった「ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ」の一部が見えた。

  • 洞爺湖文化センターの駐車場に一旦戻りさらに上の方へバスで移動する。

    洞爺湖文化センターの駐車場に一旦戻りさらに上の方へバスで移動する。

  • 金毘羅火口展望台に向かう道の途中に見えるのは,旧西胆振消防本部だったところ。バス停がある。ここの床も傾いており、ビー玉が転がるそうだ。

    金毘羅火口展望台に向かう道の途中に見えるのは,旧西胆振消防本部だったところ。バス停がある。ここの床も傾いており、ビー玉が転がるそうだ。

  • 有珠山西山麓の主要交通路だった旧国道230号線。もとは下り坂だったところマグマが押し上げ登り坂になり「2000年新山」が生まれた。凹んで沼になった地域の説明板。大地の隆起が原因のせき止め湖は世界的にも極めてまれという。

    有珠山西山麓の主要交通路だった旧国道230号線。もとは下り坂だったところマグマが押し上げ登り坂になり「2000年新山」が生まれた。凹んで沼になった地域の説明板。大地の隆起が原因のせき止め湖は世界的にも極めてまれという。

  • 有珠山の見える中間の展望台に到着。中央左の山は大有珠(733m 現在の有珠山の山頂)

    有珠山の見える中間の展望台に到着。中央左の山は大有珠(733m 現在の有珠山の山頂)

  • 噴火のたびに姿形を変える有珠山の解説版。左半分。

    噴火のたびに姿形を変える有珠山の解説版。左半分。

  • 手前は西山(543m 有珠山の一部) 中腹にもまだ白い煙がふわーっと立ち昇る箇所があった。向こうは有珠新山(669m)1977~78年の噴火で誕生した。<br />西山のふもとには白く西山山麓の散策路が見えている。

    手前は西山(543m 有珠山の一部) 中腹にもまだ白い煙がふわーっと立ち昇る箇所があった。向こうは有珠新山(669m)1977~78年の噴火で誕生した。
    西山のふもとには白く西山山麓の散策路が見えている。

  • 解説版の右半分。<br />もはや、私が小学校の頃登った大有珠と小有珠の二つのピークを持ったコニーデ型の山ではなかった。

    解説版の右半分。
    もはや、私が小学校の頃登った大有珠と小有珠の二つのピークを持ったコニーデ型の山ではなかった。

  • こんどは西山山麓火口の散策路だ<br />

    こんどは西山山麓火口の散策路だ

  •  傾いた「洞爺湖幼稚園」。直径30~50cmほどの噴石が飛んで来たそうだ。あちこちに噴石孔が開いていた。ここに立っていると傾いているので眩暈がしてくる。

     傾いた「洞爺湖幼稚園」。直径30~50cmほどの噴石が飛んで来たそうだ。あちこちに噴石孔が開いていた。ここに立っていると傾いているので眩暈がしてくる。

  • 2000年噴火の活動域。西山山麓火口

    2000年噴火の活動域。西山山麓火口

  • 西山山麓ルートを行くことにした。

    西山山麓ルートを行くことにした。

  • 幼稚園の左手の旧町道をずっと行くと「有くん火口」への木道がある。

    幼稚園の左手の旧町道をずっと行くと「有くん火口」への木道がある。

  • 方角を知らせる道標。

    方角を知らせる道標。

  • よく整備された歩きやすい道だ。

    よく整備された歩きやすい道だ。

  • 中央にロープが張ってある。

    中央にロープが張ってある。

  • 遠くに見えるのはお菓子工場の壊れた建物の跡。

    遠くに見えるのはお菓子工場の壊れた建物の跡。

  • ススキを抱いた秋の空!

    ススキを抱いた秋の空!

  • 展望台は広々とした公園のようになっている。

    展望台は広々とした公園のようになっている。

  • 洞爺湖の向こうに羊蹄山が見えていた。

    洞爺湖の向こうに羊蹄山が見えていた。

  • 湖の絶景だ。この火口も一万年前に噴火してできた

    湖の絶景だ。この火口も一万年前に噴火してできた

  • 少し下ると「有くん火口」が見えた。あそこまで行きたいと道を探す。

    少し下ると「有くん火口」が見えた。あそこまで行きたいと道を探す。

  • あった。あった。ここを下って

    あった。あった。ここを下って

  • 結構な散策路だ。

    結構な散策路だ。

  • 小さな橋を渡って

    小さな橋を渡って

  • また登る。

    また登る。

  • 瓦礫や砂利を登って行くと

    瓦礫や砂利を登って行くと

  • 火口が!!しばらくこの青い火口を眺める。

    火口が!!しばらくこの青い火口を眺める。

  • 下りよう。

    下りよう。

  • 湖が近くなって来た。

    湖が近くなって来た。

  • 火口分岐点の解説版。

    火口分岐点の解説版。

  • さらに下る

    さらに下る

  • 砂防ダムの窪みまで下った。

    砂防ダムの窪みまで下った。

  • 再び砂防ダムを上がって外に出た。これで散策はおわり。<br /> 自然の脅威と共に生きる地元の人々にエールを送りたい。さらに自分達も何らかの自然の力に負けそうになる時、見習おうと思った。

    再び砂防ダムを上がって外に出た。これで散策はおわり。
     自然の脅威と共に生きる地元の人々にエールを送りたい。さらに自分達も何らかの自然の力に負けそうになる時、見習おうと思った。

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