2023/10/05 - 2023/10/05
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hijunoさん
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兵庫区を歩く、、の続きです。
途中で雷雨になって、また急なカンカン照りに。
寒さ→暑さの急展開のお天気の一日でした。
兵庫津あたりは平清盛のゆかりの地が多いです。
その遺蹟も多く、キョロキョロしてしまいました。
能福寺も海福寺も境内にも多くの歴史的な遺蹟も多かったです。
あとから調べましたら、もっと行ってみたい場所も出てきて、また歩いてみたいと思いました。
後半歩いた場所はおもに、次の通りです。
築島寺→能福寺(兵庫大仏)→柳原えびす→海福寺→岡方倶楽部(閉鎖)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 自家用車 徒歩
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築島水門。
今時の清盛がいました。 -
レンガ造りの素敵な建物が見えました。
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石川ビルです。
竣工が1905年明治38年の建物。
石川株式会社の建物です。
HPによると、三菱倉庫の前身の東京倉庫兵庫出張所として建てられました。
東京の「レンガ建築群」、第一三菱銀行神戸支店などの設計者 曾禰達蔵。
昭和10年代にこちらの建物を購入したそうです。 -
入口のアーチも優雅な装飾。
中も観てみたいです。
大切に保存しつつ、修復しつつ、今も使われている建物。 -
神戸市景観形成重要建築物に指定されています。
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こんな看板がところどころにありました。
回ってみると面白そう。。 -
築島寺へ。
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来迎寺、もう一つの名前。
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本堂がとても近代的な建物。
浄土宗のお寺です。 -
平清盛が日宋貿易の大輪田泊に教が島という人工の島を造ろうとします。貿易の拡大や暴風雨の被害を避けるためという理由ですが、その際に工事が難航し、人柱となった松王丸の菩提を弔うために、お寺は建てられたといわれています。
こちらは松王丸の石塔があります。
教が島の場所ははっきりしないそうですが、こちらのお寺のあたりではないか、、という説もあるそうです。 -
こちらは平清盛の寵愛を受けたといわれる祇王・妓女の塔があります。
平家滅亡以降、こちらで菩提を弔ったともいわれています。 -
ちょっと葉っぱで見えにくいですが、松王丸の石塔、祇王・妓女の塔の説明板があります。
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松王丸が海に沈んだという場所が石碑に書かれています。
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樹木の化石がありました。
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歴史がいっぱい詰まった境内でした。
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雨も少しやんできました。洋食屋さん発見。
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お店の前に説明板がありました。
ところどころに、兵庫津に関わる人物の説明板があります。
工楽松右衛門。
江戸時代の実業家。また、発明家としても有名です。
兵庫県高砂市の出身、廻船業をおこない、松右衛門帆といわれる帆布を発明し、航海の技術にも寄与します。
択捉島の埠頭の建設、函館のドッグの建設、防波堤の工事など様々な港湾のi事業にも活躍した人物です。 -
神明稲荷神社。
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説明板もあります。
江戸時代のころには存在していたことがわかっています。 -
伊勢神宮と同じ形式に二社とありました。
近く大輪田泊があり、海上交通の安全も祈願、猿田彦命も祀られています。 -
鎌倉大仏を目指して歩いていましたら、屋根よりもずっと高い大仏の後ろ姿が見えてきました。
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後ろのお姿。
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イチオシ
正面の門へ回ります。
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こちらの表示も。
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兵庫大仏はこちらのお寺の中に。
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イチオシ
東山魁夷訳だそうです。
ドイツのお城の門にある言葉。
心地良い言葉ですよね。 -
そして、この説明板がありました。
瀧善三郎は神戸事件の責任を取って切腹します。
その場所は兵庫津にあった永福寺。
第二次世界大戦で焼失してしまったお寺です。その後廃寺なった永福寺の境内にできたカネテツデリカフーズの構内にも慰霊碑が祀られ大切に守られてきましたが、百回忌の際に、こちらの能福寺に移されました。 -
こちらが慰霊碑。
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ちょっと読みにくいですが、その説明文も刻まれていました。
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兵庫津の人物、北風正造。
恥ずかしながら、初めて知る名前の人です。
北風家の養子となりました。北風家は兵庫の北前船を一番多く所有していたといわれる豪商でした。勤皇派を助け、戊辰戦争の際は、15万両、今のお金で150億円余りを拠出、姫路城を戦火から守ったといわれています。
そのほか、土地の寄贈や、庶民の教育のための施設 明親館の創設にも寄与し、
明治政府の要職にもつき、兵庫の様々な事業にも関わりを持ち、兵庫の発展の功労者ともいえる人物です。
兵庫や神戸の発展のために、また国の発展のために、北風正造のような人物が陰で多くの働きをしていたことを改めて知ることになりました。 -
兵庫大仏。
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奈良の東大寺の大仏、鎌倉の高徳院の大仏と合わせて三大大仏ともいわれるそうです。
明治24年に建立されますが、第二次世界大戦で金属の回収の命により、
解体されてしまいます。
そののち、平成3年に再建されています。 -
イチオシ
端正なお顔。
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イチオシ
青空に映える光景でした。
見上げます。 -
説明板もあります。
60トンもあるのですね。。 -
お寺や大仏の説明板もありました。
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そして、こちらには平清盛の廟といわれています。
平清盛のお墓はいくつかあるようですが、亡くなったあと、こちらのお寺の境内に葬られたともいわれています。 -
平家の滅亡、平清盛の廟のあった能福寺も焼失してしまいます。
そののちに、新田貞時が石塔を建てて、清盛塚をつくっています。 -
廟の説明板です。
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神仏習合のなごりか、神社もありました。
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優しいお顔の石仏がありました。
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女性をモデルにしたような石仏でした。
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イチオシ
大仏を高く見上げて、しばし、ベンチで休憩。
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とても高貴な雰囲気の建物がありました。
月輪陰殿。 -
イチオシ
皇室とゆかりのある建物。
京都の東山月輪御陵の拝殿が昭和29年九条家より下賜、移築されたものです。 -
英文の説明板もありました。
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月輪陰殿の説明。
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能福寺は青蓮院門跡の旧院家でした。
説明板にもありますが、門跡となる親王が幼いときに、礼儀作法や学問などを教える役割が院家とよばれますが、能福寺もかつては院家でした。 -
本坊です。
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北風正造の石碑。能福寺の檀家です。
揮毫は伊藤博文です。 -
イチオシ
こちらは、ジョセフ・ヒコの英文の碑です。
幕末の人ですが、海難事故で、米国船に救助され、米国で過ごし、そののち通訳として帰国します。
なぜ、ここに英文碑があるのかと疑問でしたが、お寺のHPによると、外国人の観光客がふえてきたため、19世慈晃大僧正が檀家の北風正造を通して
能福寺の縁起をジョセフ・ヒコに依頼したそうです。
日本初の英文碑だそうです。 -
歴史のある寺院、多くの見どころのあるお寺でした。
そびえたつ大仏をのぞみます。
仏教徒ではありませんが、静かで心が穏やかになる光景でした。 -
一度は戦争で金属提出により解体された大仏。
その一部も住職さんが大切に保管し、この大仏再建の際に使われたと聞きました。 -
能福寺から歩いて、えびす神社に来ました。
「柳原のえびすさん」として知られています。毎年、1月9.10.11日は
十日戎大祭が行われます。 -
本殿は修復中でした。
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記録では江戸時代元禄のころにはもう名前があるそうです。
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神楽殿。
1月9日の宵えびすでは、人形浄瑠璃も奉納されるそうです。 -
すぐ近くに寺院。
足利尊氏の名前がみえます。 -
福海寺。
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足利尊氏が新田義貞の郡に追われ、福海寺の前身の崎観音堂に身を隠し
助かったことから、京都の正伝寺より在庵圓有禅師を招いて福海寺を開き、感謝し、それ以降室町幕府の崇敬を受けたそうです。
お寺の名前も足利尊氏が命拾いをしたことに感謝してつけた名前だそうです。
お寺のパンフレットを参考にしました。 -
イチオシ
境内に入ると、大きな石碑が目に入ります。
平清盛が愛した「時雨の松」の碑。 -
松は戦争で枯れてしまい、その後の震災で切株もなくなってしまったそうです。
残念です。
どんな松だったのか、、、霊験あらたかな松、、、見てみたかったです。 -
そしてこちらにも碑があります。
兵庫から船でおちのびる足利尊氏が詠んだとされる歌碑。 -
彼岸花が美しかったです。
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彼岸花。
華やかですが、どこか寂しげ。曼殊沙華。
私は「ごんぎつね」という物語に出てくる曼殊沙華がなぜか思い出されます。
「ごんぎつね」は今も物語とはいえ、悲しい結末が思い出されます。 -
地蔵尊。
そのお隣にみえるのは、神仏習合のなごり、義高稲荷大明神。 -
雲會堂。
屋根に足利の紋があります。 -
インドを起源とする大黒天像が祀られています。
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座禅会もあるのですね。
お写真をみましたら、ちょっと怖い。。
開運招福、商売繁盛、家内安全、、、いろんな福をもたらす大黒さん。。 -
周囲をぐるりとまわってみます。
古い灯籠。 -
こちらにも。
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こちらのお庭には入れませんが、美しいお庭でした。
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外に出ますと、兵庫七福神の説明。
今度はこの順番で回ってみるのも面白そう。 -
この辺りは西国街道。
西惣門があったところです。 -
説明によると、1580年のころ、兵庫城の築城時にできたようです。
人々の行き交いもにぎわう場所だったのですね。 -
大黒さんの小さな石像が見えました。
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更に歩いて、いくと、道端のお家の前に。
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イチオシ
黄色の彼岸花でしょうか。。百合?
最近、良く見かけました。
華やかです。 -
岡北惣會所址に来ました。
兵庫はかつて、町部と田園部に分かれて、町部は地子方とよばれて、岡方、北浜、南浜に分かれ、岡方は海に面しない場所を示していました。
それぞれ、名主が総代や年寄りなどを指揮して行政を行っていたそうです。
江戸時代の行政が行われた場所。
神戸のHPを参考にしました。 -
この跡地に、レトロな建物が建っていますが、柵があり、中には入れません。
これは岡方倶楽部という建物です。
兵庫商人の社交場として昭和2年に建設された建物です。タイルや石がおしゃれな組み合わせの建物で、幾何学模様がみえます。 -
とても優雅な彫刻や幾何学模様が素敵でした。
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玄関ホールもアーチの門も素敵です。
見学してみたかったですが、修復されるのでしょうか、、、。
兵庫津あたりの散歩は終わりです。 -
駅に向かう途中、あった石碑。
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第一次世界大戦で、ドイツ潜水艦により撃沈され、犠牲になった人々を弔うためのものでした。
戦争は忘れることがないように、後世に伝えるべきことが沢山あります。
最後までお読みいただいてありがとうございます。
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