
2023/09/14 - 2023/09/16
33位(同エリア367件中)
ローマ人さん
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旅の2日目は、薩摩半島の最南端に付き出た岬「長崎鼻」、JR日本最南端の駅「西大山駅」、九州最大の湖「池田湖」そして父が太平洋戦争末期に旧陸軍で守備に就いていた縁の場所を巡ってから、宿泊場所の鹿児島市にある「城山ホテル鹿児島」に向かいました。
昨年は、父の「白寿(99歳)」のお祝いで父と兄弟姉妹で群馬と長野の旅をしました。
1年経って、熊本県で父と同居する兄が「百寿(100歳)」のお祝いを実家の近場の鹿児島で企画してくれたので行ってきました。
今年は弟が仕事の都合で参加できませんでしたが、兄、姉と家族(息子、娘、女婿、孫)、私(妻は体調不良で不参加)の総勢8名で2泊3日で鹿児島県の知覧・指宿・鹿児島市などを巡りながらお祝いをしました。
父は、関東大震災が発生した大正12(1923)年に熊本県で生まれ、旧制中学校を卒業後に満州国(現在の中華人民共和国北東部)の南満州鉄道株式会社(満鉄)に入社しましたが、20歳になった昭和18(1943)年に現地招集で旧日本陸軍第23師団(旭兵団)に入隊。
関東軍の第8国境守備隊として満州北部の海拉爾(ハイラル)要塞でソ連軍の侵攻に備えていましたが、第2次世界大戦の戦況が厳しくなった昭和19(1944)年10月に師団が満州からフィリピンに派遣されるタイミングで当時熊本県にあった陸軍予備士官学校に入校。
卒業後、在フィリピンの師団(原隊)がほぼ壊滅し原隊に復帰することが出来ず、旧日本陸軍第146師団(護南兵団)に配属になり、鹿児島県南西部海岸の吹上浜(現在の日置市)でアメリカ軍の上陸に備えていたところで終戦を迎えました。
その後、地方公務員をしながら私達兄弟姉妹を生み育ててくれました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 乳幼児連れ家族旅行
- 交通手段
- レンタカー JALグループ 徒歩
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2日目の朝です。
客室からの錦江湾の眺め。 -
朝食前に大浴場「松雲」へ。
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男湯の入口です。
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朝食会場は同じ宿泊棟「薩摩客殿」7階にあります。
ここからはホテル全体が見渡せます。
写真中央が玄関棟です。 -
朝食会場の「ダイニングルーム ルビー」です。
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ゆったりとしたスペースがある会場でのブッフェ形式。
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定番の料理の他に地元伝統の漬物「山川漬け」や「さつま揚げ」の他・・・。
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鹿児島の郷土料理で、もち米を灰汁に浸して竹の皮で包んだ餅菓子「あくまき」がありました。
端午の節句に食べるお菓子だそうです。
他に「辛子明太子」や「さつま揚げ」がありました。 -
私のチョイス。
「ところてん」と「ちりめんじやこ」が美味しかったです。 -
デザート類です。
アイスクリームは、レディボーデンです。 -
出発までの時間を使ってホテルの敷地内を散策。
庭園のプール越しに眺める客室棟です。鹿児島 砂むし温泉 指宿白水館 宿・ホテル
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ホテル敷地入口方向には、砂を水で固めた砂山を彫って作る「砂像」がありました。
敷地内にある「薩摩伝承館」で今年9月9日(土)に行われた女流棋戦「ヒューリック杯第3期白玲戦第2局のためにつくられたものだそうです。
指宿と同じく鹿児島県南部にある吹上浜(南さつま市)では、毎年テーマに基づいた沢山の砂像を展示する「吹上浜 砂の祭典」を開催しているそうです。 -
この将棋の駒の形をした石碑には「羽生善治棋士 永世7冠達成の地」と刻まれていました。
平成29(2017)12年4・5日(月・火)、このホテルで行われた第30期竜王戦第5局で羽生善治棋士が渡辺明竜王に4勝1敗で勝利し、通算7期の竜王位獲得により永世竜王の資格を得て、それまで獲得していた永世6冠と併せて史上初の永生7冠を達成しました。 -
立派な建物があります。
これは「薩摩伝承館」です。
幕末から明治にかけての薩摩の歴史と文化を伝える美術館だそうです。 -
池の中にたたずむ「薩摩伝承館」です。
薩摩伝承館 美術館・博物館
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ホテルを発つ前に玄関で記念撮影。
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長崎鼻に向かう前にJR指宿駅に立ち寄りました。
指宿駅 駅
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手書きの駅名標。
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駅舎内に、鹿児島中央駅と指宿駅を片道約50分で結ぶ観光列車「特急 指宿のたまて箱(通称:いぶたま)」をイメージしたオブジェが置かれていました。
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実物はこちら。
車体中央で白と黒で塗り分けられた車体が特徴的です。
黒は浦島太郎が若い時の黒髪、白が玉手箱を開けた後の白髪を現わしているのだそうです。
*2023年3月撮影 -
錦江湾側向きの座席(一部車両のみ)です。
木材をふんだんに使った車内は、九州新幹線のデザイナーの水戸岡鋭治氏のデザインによるものだそうです。
*2023年3月撮影 -
車内で販売されているスイーツ「いぶたまぷりん」。
*2023年3月撮影 -
駅前の広場につくられた「竜宮城」をイメージした門。
指宿には竜宮伝説があるそうです。 -
駅前には足湯もあります。
指宿駅前足湯 温泉
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指宿駅から約30分で「長崎鼻」に到着。
駐車場に車を止めて徒歩で坂を下って行きます。 -
途中、テレビ番組「ナニコレ珍百景」で放映されたお土産店がありました。
店頭の看板に「夫婦喧嘩のため本日臨時休業いたします 嫁さんの機嫌がなおり次第開店します」の文字があります。
でも営業しています。 -
坂の途中のカーブの先にあるのは「龍宮神社」です。
「長崎鼻」は、浦島太郎が竜宮城に向けて旅立った岬だという伝説があるそうです。
後ほどお詣りします。 -
坂道を父を車椅子で移動させてくれる姉の息子。
感謝です。 -
更に進むと開けた場所に出ます。
薩摩半島南端にそびえる標高924メートルの開聞岳が一望できる風光明媚なところです。長崎鼻 自然・景勝地
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開聞岳をバックに記念撮影。
山頂が雲に隠れているのが少し残念。 -
雲がかかってなければこんな眺めです。
綺麗な円錐形の山容です。
「薩摩富士」と呼ばれるのも納得できます。
*2023年3月撮影 -
亀と浦島太郎の像があります。
周囲を2回周ってから亀の頭を撫でると願いが叶うといわれているそうです。
私も回ってみました。 -
「長崎鼻」の先端にある灯台に向かう道です。
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途中での眺め。
灯台が岬の先端に建っているのが良く分かります。 -
ハートの形をしたオブジェがあります。
ハートの中に灯台を入れて撮影してみました。 -
開聞岳もハートの中に入れようとしましたが無理でした。
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白亜の灯台は「薩摩長崎鼻灯台」です。
昭和32(1957)年に完成した灯台で高さが11mあります。 -
灯台の前に広がる太平洋です。
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岩場に下り、そこから見る灯台の姿はとてもエレガントです。
薩摩長崎鼻灯台 名所・史跡
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「龍宮神社」にお詣りします。
豊玉姫(乙姫)を祀った神社です。龍宮神社 寺・神社・教会
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まさに竜宮城の様な拝殿とその後ろにある本殿。
「縁結び」に御利益があるそうで、貝殻に願いを書いて奉納する「貝殻祈願」がありました。 -
拝殿と同じく朱塗りの手水舎です。
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「指宿竜宮伝説相関図」があります。
浦島太郎(山幸彦)と乙姫(豊玉姫)の子孫は天皇家に繋がる? -
御朱印です。
神社の横にあるお土産店「にしき屋本店」でいただくことができます。
*2023年3月にいただいたものです -
次に訪れたのは、JR日本最南端の駅「西大山駅」です。
西なのに最南端とはこれ如何に?
周囲を畑に囲まれた長閑な場所ににある無人駅です。西大山駅 駅
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駅の入口手前にある「黄色の郵便ポスト」。
ここから投函すると相手との絆が深まるといわれているそうです。 -
最東端は東根室駅、最西端は佐世保駅、最北端は稚内駅、そして西大山駅。
これで全部制覇しました。 -
父と記念撮影。
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列車が通るときはこんな感じです。
*2023年3月撮影 -
記念に入場券を購入しました。
指宿駅で販売しています。 -
駅前にあった薩摩半島南部のマップに加筆しました。
赤星印が西大山駅の位置です。 -
そして池田湖に到着。
九州最大のカルデラ湖です。
湖畔にはキバナコスモスが一面に咲いていて美しいです。池田湖 自然・景勝地
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南方向に湖越しに、うっすらと開聞岳が見えます。
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湖畔にある旅の駅「池田湖パラダイス」の駐車場の一角に建つ、池田湖に棲むという未確認生物「イッシ―」像。
あいきゅのある顔をしています。
1970年代に目撃情報が相次いだという未確認生物だそうです。
ネス湖の未確認生物=ネッシーなので池田湖=イッシーと名付けたようです。 -
池田湖に棲む「大うなぎ」を無料で見ることができるというので「池田湖パラダイス」へ。
池田湖パラダイス お土産屋・直売所・特産品
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お土産を販売している店舗の奥に大きな水槽があります。
沢山いて夫々に名前が付けられています。 -
「大うなぎ」です。
可愛い顔をしています。
長さ2mはあろうかという巨大さでした。 -
次に訪れたのは南九州市にある鹿児島県立「川辺(かわなべ)高等学校」です。
ここには(当時は旧制の川辺中学)太平洋戦争末期に当時父が所属した旧日本陸軍第146師団(護南兵団)の師団司令部が置かれていたそうです。
師団配属時に申告のために来たことがあったそうです。 -
校内に保管されている旧制中学校当時のペナントなどの史料を拝見しました。
太平洋戦争当時、生徒は近くにある知覧飛行場などの修復に勤労動員されていたとの記録が残っていると伺いました。 -
川辺高等学校から2~3km離れていますが、父の部隊が駐屯していたという小野地区も訪れました。
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昼食をとるために道の駅「川辺やすらぎの里」に立ち寄りました。
道の駅 川辺やすらぎの郷 道の駅
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物産館の隣にあるレストラン「スターフル」です。
道の駅 川辺やすらぎの郷 レストランスターフル グルメ・レストラン
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メニューです。
おススメは、地元の銘柄牛「かわなべ牛」を使ったメニュー。 -
メニューです。
焼肉定食やステーキ丼もあります。 -
メニューです。
牛丼の上にメレンゲと卵の黄身をのせた「ふわとろ牛丼」です。 -
メニューです。
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メニューです。
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メニューです。
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ビールは瓶のみです。
私は運転しないのでいただきます。 -
私が注文した「かわなべ牛定食」です。
肉に味があり柔らかくて美味しかったです。 -
今日、最後に訪れたのは日置市の吹上浜です。
昭和20年(1945)年8月、川辺の陣地から派遣された父が指揮する部隊はこの付近で陣地を構築し、アメリカ軍の上陸に備えて防備についていたそうです。
車で来ることが出来るのは、このロータリーまでです。 -
ロータリーに看板があり「この吹上浜で昭和53(1978)年8月12日に男女2名がこの場所(ロータリー)に車を止めたまま突如姿を消すという行方不明事案が発生した」と書かれています。
なんと北朝鮮による日本人拉致事件の現場の1つでした。 -
ロータリーから砂地の小道が続きます。
父は車椅子が使えないのでこの先は断念。 -
吹上浜の海岸に出ました。
吹上浜 自然・景勝地
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吹上浜は日本三大砂丘の1つだそうです。
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今日の宿泊場所「城山ホテル鹿児島」に到着。
鹿児島市街を見渡せる標高108mの高台「城山」に建つ眺めが素晴らしいホテルです。SHIROYAMA HOTEL kagoshima 宿・ホテル
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ホテルからは市街地の向こうに鹿児島のシンボル「桜島」と錦江湾が一望できます。
今日は山頂部に少し雲がかかっていて残念ですが・・・。 -
ホテルの入口です。
ここはホテルの4階にあたります。 -
入口アプローチ突き当りにあるロビー装花です。
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ロビーです。
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館内案内図です。
奥行きのある建物に右から順に「ロビーウイング」、「中央ウイング」、「バンケットウイング」があります。 -
ロビーから長く伸びる通路。
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途中、島津家の家紋が入った甲冑が展示されていました。
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客室です。
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シングルルームです。
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ベッドはやや広めです。
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バスルームです。
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冷蔵庫です。
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眺望はマウンテンビュー。
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夕食会場は、中央ウイング1階にある和食店「城山ガーデンズ水簾」です。
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店内です。
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オープン席に案内されました。
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御品書です。
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先ずは生ビール。
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前菜。
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造り。
鯛、間八、鰹、サーモン。 -
吸物。
松茸の香りが良かったです。 -
アルコールドリンクメニュー。
有名な銘柄焼酎の「森伊蔵」や「魔王」などが揃っています。 -
アルコールドリンクメニュー。
おすすめ焼酎。 -
生ビールの次は、折角なので「森伊蔵」にしました。
香りが良くて美味しかったです。 -
焼物。
間八です。 -
小鍋「黒豚のしゃぶしゃぶ」。
黒豚は美味しいです。 -
油物「ホテル自家製 さつま揚げ」。
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御飯は奄美大島郷土料理「鶏飯」。
写真はありませんが、留汁は「薩摩汁」でした。 -
甘味「愛玉子(オーギョーチー)」。
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百寿の祝いの衣装「ちゃんちゃんこ」と「大黒頭巾」を着た父です。
白寿の時は白色でしたが、百寿はピンク色だそうです。 -
誕生ケーキに着火。
皆で100歳の誕生日を祝いました。 -
ケーキは皆で分けて食べました。
イチゴが沢山入っていて美味しかったです。 -
夕食後は、ロビーウイング3階にある天然温泉「さつま乃湯」へ。
カメラの持ち込み禁止なので写真はありませんが、展望露天風呂からは市街地や「桜島」の絶景が望めます。
夜景がとても綺麗でした。 -
写真撮影禁止だからでしょうか、希望者には「さつま乃湯」受付で月毎の展望露天風呂からの眺望写真を配布していました。
これは、いただいた9月の日の出の写真です。
良い眺めです。
この後、部屋に戻って就寝しました。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (4)
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- ねもさん 2024/04/30 09:10:26
- 素敵な100歳お祝
- ローマ人さん 初めまして、またフォローありがとうございます。
皆さん揃っての旅、父上も喜ばれたものと推測します。
長崎鼻や指宿温泉は、ローマ人さんたちの前年に訪ねました。のんびりした良い感じですが、指宿の街の寂れようが(>_<)
わが義父も元気で100歳確実と思ってましたが、平成→令和10連休中に98歳で急逝。
残念でしたが、連休中で孫(私たちの子)たちと交流したし、その後のコロナ禍を考えると、案外良い旅立ちだったのかなと思っています。
あちこち幅広い足跡です。他の旅行記も読ませてください。
- ローマ人さん からの返信 2024/05/01 07:03:34
- コメントをいただきありがとうございます
- ねもさん、初めまして。
私の旅行記をフォローいただき、またコメントいただきありがとうございます。
お義父様が98歳で逝去なされたとのことで、お寂しいお気持ちとご推察いたします。
さて、父の百寿の祝いをした鹿児島は私の実家の熊本県から地理的には近いのですが、逆にこれまで家族で訪れたことがなく、良い機会となりました。
実家で同居している兄は老老介護で大変だと思いますが、家族としてはこれから何度でも誕生日を迎えてもらいたい気持ちでいます。
ねもさんの旅行記を楽しみに拝見しています。
これからもよろしくお付き合いいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
ローマ人
-
- 横浜臨海公園さん 2023/10/21 09:27:41
- 熊本予備士官学校
- ローマ人さま、おはようございます。
何時も旅行記を興味深く拝見させていただいております。
さて、御父上さまは昭和19年(1944年)10月に熊本予備士官学校入学された由。
実は小生の父は大正13年(1923年)7月生まれで、旧制福岡高等学校在学中たる昭和19年(1944年)10月に熊本予備士官学校合格がありましたが、同時に受験した海軍予備士官も合格し、そちらを選択した為に陸軍の方は辞退した様ですが、若し、予備士官学校を選択しておりましたら、御父上さまと同期だった事になる様です。
父は、呉鎮守府海軍少尉に任官時に帝国大学に合格しながら、軽巡洋艦矢矧乗艦を拝命し、戦艦大和に随伴し東シナ海で撃沈させられ、救助されるまで5時間余り立泳ぎ状態だったそうです。
その後は、呉で新兵の学理教育担当士官を担当、呉大空襲や広島原爆投下当時に部下を連れて偵察を命じられるなどして、終戦を迎えました。
自分たちは戦死した同僚の分も含め、がむしゃらに働き、高度経済成長を支えた自負を有している様です。
横浜臨海公園
- ローマ人さん からの返信 2023/10/21 09:54:51
- コメントをいただきありがとうございます
- 横浜臨海公園さん、おはようございます。
コメントをいただきありがとうございます。
横浜臨海公園さんのお父様は旧海軍でご活躍されたとの由、置かれた境遇は違えども厳しい状況の中で幸いにも無事に終戦を迎えてくれたおかげで現在の私たちがあると思うのでただ感謝ですね。
今後ともよろしくお願いいたします。
ローマ人
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旅行記グループ 父の百寿祝いの旅
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