2023/09/30 - 2023/09/30
18位(同エリア202件中)
Reiseさん
- ReiseさんTOP
- 旅行記442冊
- クチコミ839件
- Q&A回答0件
- 349,815アクセス
- フォロワー55人
三木市に行きました。
とても落ち着いた素敵な町でした。
温かさと素朴な優しい町でした。
三木の戦いはちらりと聞いてましたが、実際にその土地に来てみると、
戦国の世とはいえ、その戦いの厳しさ、悲惨さを感じることができました。
そして、兵士や領民を守るために自刃した領主を今も慕い、偲ぶ行事もあることを知りました。
その戦いの様子なども、三木市歴史資料館で展示物や資料、説明を通して
よりわかりやすく理解できます。
三木市の政治家、また、実業家として活躍した小河秀太郎の別荘も見学しましたが、庭園も邸宅も修復も行われ、美しく保存されていました。
併設されているカフェも素敵でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
PR
-
三木へ行く途中、淡河(おうご)の道の駅に立ち寄り、そこから観た淡河城址。
小さな建物が見えます。
いまは、小高い丘の上に本丸跡と櫓があって、公園になっているそうです。
北条時房の孫の淡河時治によって築城、その後、別所氏に属して、1579年に羽柴秀吉によって落城しています。
いつかいってみたい。。 -
三木城址に到着しました。
広場に車も駐車できます。
少し高台のようなところにあり、途中の道が狭いです。 -
神社がありました。ひっそりと建っていました。
-
なんだか、あまり踏み入れてはいけないような、神秘的で厳かな神社でした。
-
イチオシ
別所長治の像があります。
若々しく勇ましい姿でした。
亡くなった歳は23歳(または26歳とも)と若いです。 -
説明板があります。
いわゆる「三木の干し殺し」と呼ばれる戦いで、羽柴秀吉率いる軍勢に落城させられています。織田信長に離反したためです。
兵糧攻めにより、兵士はもとより、領民までも飢餓に苦しみ、その命と引き換えに自害した別所長治とその一族。
その戦いは2年にも及びます。ちょっと想像できないくらいです。
最後は藁をも食べて飢えを忍んだともいわれるほどのひどさ。
三木では今も別所長治を忘れないように、供養祭があります。 -
本丸の跡へ。
三木城は別所則治によって1492年に築城されています。1578年に羽柴秀吉の兵糧攻めの三木合戦により約2年ののち落城、その後は羽柴秀吉の支配下になります。1617年に江戸幕府の一国一城令により、三木城は壊され、その木材などは明石城の築城の際に使われたといわれています。 -
天守跡には別所長治の辞世の句がありました。
「今はただ 恨みもあらず 諸人のいのちに代わる わが身と思えば」とあります。
飢えに苦しむ人々に胸を痛めたことでしょう。
戦いを止め、人々を救うために自らを犠牲にするしかなかった、、、家族とともに。
戦国の武将もいろんな人がいますが、家族や部下を見捨てて、逃げ切り、その後も
生き延びている武将もいます。。。心中、複雑になります。 -
別所家一族の辞世の句もありました。
-
天守跡から市内を観ます。
-
平和で静かな町の様子。
-
樹々に覆われた天守跡。
-
こちらは、日清、日露、第二次世界大戦で犠牲になった人々の位牌が治められているそうです。
-
ここで、悲惨な戦いがあったとは思えない静けさ。
戦国の世、、いまの平和ボケしている私には想像を絶する世界。
戦いの常の中での生活、、、世界では今もこんな場所があることをふと考えます。 -
お城の説明板があります。
攻めにくいお城の構造であったようです。 -
その裏には三木城を包囲する羽柴秀吉軍の配置。
もうぎっしり,囲んでいます。
浅井長政や荒木村重、竹中半兵衛の名前も見えました。 -
こちらにも三木城址の説明板。
-
かんかん井戸と呼ばれる井戸。
その音から名付けられたそうですが、
一説には、井戸の底は城外に通じているとか。。
大きな井戸です。 -
説明板があります。
この井戸からは別所長治愛用といわれる鐙が見つかり、菩提を弔っている
雲龍寺に大切に保管されているそうです。 -
400年祭もあったのですね。
地元の人から、今も大切に慕われています。 -
ちょっとひと休みできる場所もあります。
-
顕彰碑や
-
小さな慰霊碑、
-
ここにも小さな神社がありました。
-
あちこちに碑がありました。
-
彼岸花が咲いていました。
そっと咲いていました。 -
塀のあちらには、当時は想像もしなかったであろう現代の風景。
-
高台を少し降りて、上の丸稲荷神社にいきます。
-
別所氏の戦いの様子の古い画がありました。
-
ちょっと遠くを観ましたら、二の丸跡とありました。
-
昔の小学校みたい、、、
私の通っていた小学校、こんな感じでした。
木造の。
懐かしい~。
残念なことに、取り壊されて、新しい鉄筋コンクリートの学校になりました。 -
すぐ近くに歴史資料館や金物資料館がありますが、まだ開館していないので、他の見学へ向かいます。
-
近くのレトロな商店街を歩きます。
-
シャッターを下ろしているところが多いのですが、
-
メリヤス、、そういえば、最近はあまり耳にしなくなりました。
なつかし。 -
こちらも、懐かしいタイガー。
-
街道の名前がありました。
-
小さな石像も見えます。
-
ちょっと休憩できるところなんでしょうか~。
-
店先に古い写真が。
-
こちらも見学予定の旧玉置家住宅ですが、こちらもまだ開館しておらず。
-
観光地図もありました。
-
道標がみえます。
右 ひめじ、左 あかし、、、。 -
旧小河家別邸を先に見学することにしました。
細い道を歩きます。
歴史を感じさせるような建物。 -
交わし道というそうです。
参勤交代の際の混雑を避けるために造られた道。
鍛冶職人が多く住んでいたそうです。 -
途中、大きな鳥居の八幡宮への参道も見えました。
-
由緒によると、別所氏の氏神だったそうです。
三木城落城の際にこちらも焼け落ちたようですが、その後再建されています。 -
到着。
明治から大正にかけて、三木で活躍した小河秀太郎が、明治末期に別荘として造った邸宅です。
小河秀太郎は初代の郡会議員、三木町長、三木銀行の設立に尽力、政治家として、また実業家として活躍した人物です。 -
高い塀で囲まれています。
-
公開日が決まっていました。
私達が訪ねたときは、木曜日から日曜日までの開館。月曜日から水曜日はお休みでした。 -
お茶席もあるんですね。
-
イチオシ
門をくぐると、お庭。
所狭しとばかり、ぎっしりと樹々と植物が植えられています。 -
萩の花が可愛い。秋だなぁ~。
-
松も勢いよく。
-
イチオシ
あちこちも丁寧に手入れが行き届いていました。
この日はスタッフの方や職人さん?たちが、お庭の手入れもされていました。 -
家の中から観る庭の風景。
前庭・主庭・中庭・裏庭・側庭とそれぞれの特徴のある庭で埋め尽くされています。 -
季節が楽しめるお庭です。
池泉回遊式庭園。
少し斜面になっている地形を生かした庭だそうです。 -
イチオシ
玄関も素敵です。
どこか洋風も混じったようなモダンさ。
この邸宅は全国から優れた木材を集めて造られたそうです。 -
小河秀太郎の像や説明がありました。
-
広いリビングと和室が見えます。
-
イチオシ
リビング。
和と見事に調和した雰囲気。 -
イチオシ
あちこち、丁寧にお掃除されたり、整えられていました。
-
こちらは和室です。
-
和室にも洋風な灯り、、素敵です。
-
イチオシ
こちらは改装されたそうです。
1929年に朝香宮鳩彦王が訪れ、宿泊施設になったそうで、その際に
この上段の間や浴室、御手洗いも改修されたそうです。 -
説明がありました。
朝香宮鳩彦王は明治天皇第八皇女のご主人だそうで、陸軍の演習の際に立ち寄られたようです。 -
とても贅沢を尽くしたおもてなしの部屋でした。
-
和室からもお庭が綺麗でした。
-
あちこちに、美しい画がありました。
-
細い廊下を通っていましたら、
-
お蔵でしょうか。。
-
中庭も素敵でした。
-
ここにも、古い灯りの装飾がありました。
-
中庭も丁寧に手入れをされていました。
-
リビングにはピアノ。
-
イチオシ
丸い入口、、なんだか素敵なお部屋がありました。
-
お付きの人が待つお部屋だそうです。
-
こちらも閑静な雰囲気の部屋です。
でも意匠をこらしていて、こんな部屋で待つと落ち着きます。 -
イチオシ
部屋から見える庭が本当に楽しいです。
あちこちに特徴があって、飽きることがありません。 -
皇族の方用に造られたお風呂と
-
お手洗い。
畳です。 -
廊下も、
-
天井も美しいまんまです。
改修されたのでしょうか。
それにしても、どこをみても、美しく保存されている邸宅でした。 -
お台所です。
-
立派な屏風がありました。
家紋でしょうか、、、神棚も。 -
こちらはもう一つの玄関。
家人が普段に使う入口でしょうか。 -
離れのお座敷。
-
説明がありました。
-
こちらは見学者用のお手洗いが奥にあるんですが、、
広いこと。驚きです。
身づくろいもできるスペース。 -
見学を終わります。
見学料はフリーです。
寄付箱がありましたので、こころばかりの寄付をして外に。
石畳も面白い模様で。 -
石畳みもお洒落、石も楽しめるお庭です。
-
こんなギャラリーもありました。
-
小河秀太郎について。
政治家、また実業家として活躍しています。 -
関係の古い写真も。
-
若き日の小河秀太郎。
商家に生まれたそうですが、子供のころ、石州浜田藩の家に養子に出されたそうです。そこは武士の家。
17歳になって、1866年の長州征伐の際に出兵、新政府軍に敗れ、藩主松平氏と行動を共にします。
説明にもありますが、幕末の動乱期を生きてきた人です。 -
襖の下張りから江戸時代の文書も見つかっています。
-
やはり、後に改修もされて大切に保存されてきた邸宅だったのですね。
-
邸宅や庭の説明。
-
大正の頃の写真も。
昭和天皇が皇太子のころに行幸し、出迎える様子。 -
三木金物株式会社も経営していたのですね。
-
イチオシ
カフェもあります。
見学あとに立ち寄りました。 -
可愛いネーミングです。
-
こちらも旧家屋を改修した建物でしょうか。
お庭を観ながら休めます。 -
天井の梁がすごいです。
-
手作りの和ものも販売していました。
-
アイスコーヒーを注文したのですが、そちらの写真を撮り忘れ。
本格的な美味しいコーヒーでした。
ワッフルもついて200円、、、お安いです。申し訳ないようなお値段。
しかも、
お水もアイスが入って、美味しいお水。 -
邸宅の周りを歩いてみます。
-
広い広いお屋敷です。
-
お庭の大きな樹木が顔をだして。
-
別所長治と奥方の首塚がお寺にあると聞き、向かいます。
-
説明板があります。
雲龍寺というお寺です。由緒あるお寺。
もともと三木城にあったといわれるお寺で、三木城落城の際に焼け落ちています。
別所長治が信頼し、後のことを頼み、大切にしてた天目茶碗や軸などの品を住職に託したそうです。その後、別所長治と奥方の冥福を祈ったとのこと。
説明板にもありますが、三木城が兵糧攻めにされたとき、塀のわらをも食べて飢えを忍んだことから、今でも、1月17日には藁に見立てたうどんを食べて当時を偲ぶそうです。 -
立派な門構えのお寺でした。
-
句碑が近くにあります。
-
カリンが沢山実っています。
-
本堂も立派でした。
実はこの敷地にお墓があるとおもいました。 -
鳥居もあります。神仏習合が残っているお寺でしょうか。
-
一度外に出て、少し歩くと、ありました。
-
大切に祀られていました。
-
夫人と並んで祀られています。
-
説明板もありました。
今でも、兵士や領民を守るために自刃した領主を忘れずに大切に祀り、
偲んでいるのだということがつたわってきます。 -
三木歴史資料館へ来ました。
-
このあたりは、三木城二の丸の跡です。
-
外に説明板もありました。
備前焼の大甕も見つかったようです。16個の甕を貯蔵する穴だそうで、14個の割れた甕が見つかり中はほとんどからだったそうです。
食料貯蔵のためと考えられ、兵糧攻めとも関連があるとか。。 -
入口ホールです。
二階は休館になっていましたので、1階のみの見学。
入場料はフリーでした。 -
後期の旧石器時代から弥生時代~古代の発掘された遺物が展示されています。
-
古墳時代の出土品、古墳の様子。
-
室町時代の石鎚や
-
古墳の石枕。赤褐色です。
-
三木合戦の様子図。
なまなましいです。 -
江戸時代に別所氏の末裔が依頼し、できたものの、複製だそうです。
-
三木城について。
発掘の調査も行われています。 -
三木城主 別所氏や発掘の様子など、出土品も。
-
天守台のあたりの発掘の様子。
-
上杉家が所持していた三木古戦図の写しだそうです。
とても詳細に調査されたもののようです。 -
二の丸はこの資料館があったあたりにありましたが、多くの大甕も出土しています。食料の貯蔵に使われていたものらしいです。
-
近隣の小さなお城も発掘されているようです。
-
三木城やその戦いの様子の古い地図。
-
二の丸から出土した備前焼きの大甕。
大量に見つかったそうですが、全国的に珍しいそうです。
底に麦が少し残っていたそうです。 -
立派な備前焼きです。
-
多くは割れた状態で見つかっています。
-
山鹿素行の書物の中にも三木合戦の様子の絵があります。
-
朱子学の藤原惺窩も三木の出身です。
冷泉家の一門です。
三木合戦で父と兄が亡くなったことも初めて知りました。
その後、藤原製菓は京都の相国寺に入ります。 -
冷泉家といえば和歌。
藤原惺窩も和歌にも優れていたようです。 -
染型紙も三木の産業のひとつ。
小紋や浴衣などの柄や模様。
金物で有名な三木ですが、一時期は鍛冶屋よりもその店は多かったようです。 -
きれいです。
今でもお洒落な模様の数々。 -
入口にもファイルが販売されていました。
お土産によいな。。。 -
江戸時代の様々な古文書,文書の展示もありました。
-
こちらも現在旧家玉置家住宅として見学できる家です。
江戸時代に切手会所(今の銀行)の建物です。
僧侶が建物土地を明治初期に買い取り、1875年には還俗して玉置の姓を名乗るようになります。
三代目になると、小河秀太郎らと三木銀行の設立に尽力を尽くします。 -
近隣に三木銀行の遺構、レンガの建物の一部が残っています。
-
銀行前の写真。
1893年の写真。 -
ビデオもあり、三木合戦について、わかりやすく説明がありました。
-
すぐそばに堀光美術館がありますが、今は作品の入れ替えのために休館中。
-
かつて小学校があったのでしょうか。
木造りの学校、、、明治や大正のころはこんな造りのところが多いですよね、わが母校もそうでした。
こちらも改修され、見学できるとよいなぁ~。 -
入口に大きな桜の樹がありました。
やはりもと学校の入り口。
春になったらみごとでしょう~。
長くなりました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
三木を歩きます♪は続きます。まだまだ見どころ沢山。
よろしければ、そちらものぞいてみてくださいね。^^
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
154