2023/09/30 - 2023/09/30
25位(同エリア202件中)
Reiseさん
- ReiseさんTOP
- 旅行記442冊
- クチコミ841件
- Q&A回答0件
- 350,180アクセス
- フォロワー55人
三木市を歩く続きです。
三木は金物の産地として有名ですが、その資料館もまた圧巻でした。
金物一つ一つを受け継ぐ家があり、伝統が代々受け継がれていきました。その歴史に驚きです。
実に多くの種類の金物が展示されていました。
外では毎月一回、古代鍛錬の実演もあるそうです。
旧玉置家住宅も江戸時代からの切手会所(今の銀行)だったところ、こちらも美しく手入れされていました。
蔵もあり、玉置家の所蔵のものが展示されるなどしていました。
最後に見学したのは、志染の石室という伝承が残る場所です。
5世紀、雄略天皇に殺害された市辺押磐皇子の息子二人が隠れ住んだとされている石室です。
石室には湧き水があり、そこにひかり藻が生息しており、水面が金色になるそうです。
道などは整備されていますが、とても神秘的名場所でした。
帰り、遅い昼食ですが、洋食屋さんを見つけて入ってみました。ボリューミーで作り立てのオムライスや揚げたてのエビフライとても美味しかったです。
この日も15000歩ほど歩いたので、ちょっとカロリーオーバーですが、
たまには良しとします。(^^;
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
PR
-
旧玉置家住宅に向かいます。
-
こちらも入場料はフリー。
-
切手会所とよばれる今の銀行の役割だったところ。
-
裏のほうから観ましたら、いくつもの建物が集まっているよう。
-
近くにあったのですが、こちらは三木銀行の遺構だそうです。
-
三木町は1747年から1842年まで上州舘林藩の飛び地になっています。
その上州舘林藩の財政を立て直すために、切手会所が造られますが、1826年に切手会所はこちらの建物に移ります。
1875年には玉置家の住宅となっています。 -
入口から入ります。
-
古い商売道具。
-
店の奥、母屋になっています。
町屋の奥の深いつくり。 -
家紋でしょうか。
-
梯子のような物が見えるのですが、
上には使用人の人たちの部屋があり、夜になると梯子ははずされ、金品の持ち逃げなどを防いでいた、、、とあとから聞きました。 -
襖にびっしりと貼られた紙類、、古いもののようですが。
-
こちらの住宅の襖からは古い紙の者が見つかっています。
それを大切にはがして、保存、江戸時代の資料となっています。 -
こちらも普段使われていたようなありふれたもののようで、襖に使われていたようですが、今となっては、貴重な資料。
-
部屋からも蔵にいけたのですね。
-
離れへ。
渡り廊下。
こちらからは玉置氏が所有してから増築したようですが、傾斜もありそれにそって造られています。 -
奥に見えるのが離れ座敷です。
-
欄間も贅沢なつくりでした。
-
棟札。
文政9年1826年に切手会所として建てられたことを示すもの。
建築年月日、施主、工事の由緒や工事責任者の名などが書かれているそうです。 -
台所。
カマドは5つ。 -
こちらも、お茶ができるようでした。
-
天井が高いたかい。
-
井戸や洗い場など。
-
中庭も素敵でした。
-
とてもきれいに手入れされていました。
-
そして、蔵がギャラリーになっていました。
-
こちらのお宅の襖から出てきた染付用の型紙が見つかったそうです。
三木の特産の染付型紙、江戸時代に栄えました。 -
襖の下に張ってあった紙の物、、、下張り文書として、今では貴重な資料となっています。
-
その文書を大切に保存している様子。
-
細かい作業です。
ボランティアの方々の記録がありました。 -
勝海舟の書と伝わるものも残っていました。
抱朴含真とあります。
素朴さの中に真があるという意味だそうです。 -
玉置家に残っている道具類の数々。
お隣の離れ座敷では、着物リフォームの催しものをしていました。 -
三木市立金物資料館へやってきました。
-
村の鍛冶屋の懐かしい曲が流れます。
しばらく、歌っていないなぁ~。
もう、いまは習わないのだろうか。。 -
外には古代鍛錬場。
定期的に実演がされるそうです。
観てみたいです。 -
金物神社。
昭和10年に創建。
金物に関係する三神が祀られています。 -
三木での金物の歴史の説明。
古代より、倭鍛冶という日本古来の鍛冶と韓鍛冶といわれる大陸からの鍛冶の系統があるそうですが、三木は韓鍛冶の系統だったそうです。
その後、繁栄した鍛冶ですが、三木合戦で一時は衰退し、またその後は、また栄え江戸時代には鍛冶組合や問屋も出現、特産地として名前が広がっていったそうです。 -
ところせまし、、、と実に数々の種類の金物が展示されています。
鍛冶用具324点と製品300点が国の登録有形民俗文化財に登録されています。 -
それぞれの金物の出来上がるまでの工程の説明があります。
-
のこぎりもこんなに種類があるのですね。
-
日本剃刀も細かな種類が。
-
のみも。
-
鏝(こて)もこんなに沢山の種類。
-
製造の過程の説明。
-
鏝(こて)鍛冶の系図。
-
こちらは鋸(のこぎり)鍛冶の系図。
途切れることなく、伝統は続いてきたのですね。 -
鋸(のこぎり)の出荷までの過程。
-
鉋(かんな)。
それぞれの代表的な金物の製造過程が説明されており、
それぞれに鍛冶系図というものがあるのは驚きでした。
細分された技術者がいたのですね。 -
鉋(鉋)鍛冶系図も途切れることなく続いて。
-
鉋(かんな)の製造過程。
-
三木の金物の技術は現代の金物、道具にも発展していきます。
-
平成8年に播州三木打刃物が国の伝統的工芸品の指定を受けています。
その歴史的、伝統的な技術が途切れることなく、続いてほしいとおもいました。 -
もうひとつ、三木で行きたかったところ、、、
伝承の場所ですが、志染の石室です。
古代の伝承で、5世紀に雄略天皇に殺された市辺押磐皇子の二人の王子が隠れ住んだといわれる石室がある場所です。 -
広い駐車場がありました。
-
ここも猪が出るようで、鍵を閉め忘れないようにします。
-
萩の花が綺麗でした。
-
整備された小道を進みます。
-
この下にある石室に隠れていた二人の兄弟は
一人は23代顕宗天皇、もう一人は24代仁賢天皇となります。
その後の26代継体天皇がお手植えをした桜が岐阜県にあり、そちらから苗木を分けてもらい、植樹したそうです。 -
少し歩き、坂の石畳を降りていきます。
-
少し石段を降りて、
-
大きな岩があります。
-
志染の石室と呼ばれるところです。
とても神秘的な場所でした。 -
ちょっと見えにくくなっていますけれど、案内板がありました。
-
ひかり藻が生息しており、水面が金色に輝いてみえるそうです。
それで、「窟屋の金水「とよばれるとか。
残念ながら、この日は金色には見えませんでした。 -
大切に守られています。
-
石像仏がずらりと。
-
休憩室があり、中にも説明板が。
-
小さな祠もありました。
-
左のほう、階段が造られており、上にも登れるようでした。
-
とても厳かな雰囲気の場所でした。
昔は、もっと山の中の険しい場所のはず。
命を狙われ、ひっそりと隠れ住むという説話は伝承ですけれど、それもあるかも、、、とおもいました。 -
静かな場所でした。
-
駐車場へ戻りますが、枯れた竹が、、、残念です。
-
このあと、隠れ住んでいた二人の王子は、名前を変えて、牛や馬の飼育の仕事をしていたようですが、そののち、皇族であることが証明され、
都に戻ることができたそうです。
古事記によるものです。 -
お昼がすっかり遅くなり、美味しいと評判の洋食屋さんへ。
-
メニューを見ても、ボリュームあり、、
-
夫はオムライスのフライのセットを。
-
私はエビフライを。
海老フライもエビが大きくて、美味しかったです。
しかも、このボリューム、手作り、揚げたて、ごはんも炊き立て、、全部が美味しかったです。
沢山歩いたから、たまには、よいか、、、、と言い訳をして。(^^;
夕飯はさすがに食べれませんでしたが、、。
三木はまだまだ見学したいところもあって、また行きたいと思っています。
最後までお読みいだいて、ありがとうございます。(*^^*)
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
77