2022/12/13 - 2022/12/13
589位(同エリア4554件中)
デコさん
プラハ城内の人気スポットの一つ黄金小路へ。
黄金小路は100メートルほどの古い石畳で覆われた路地。城内東側の外壁を増築する際に造られました。狭い路地には、趣のあるカラフルな古い住居が軒を並べており、そのメルヘンチックな家並みが観光客に人気を博しています。各住居の中に入ることができ(中には窓からのぞくだけの住居もありますが)、当時の暮らしぶりをうかがう事ができるほか、中世の鎧兜や武器の数々、衣装や織物なども展示されています。小路の東端を出た見晴らしの良いところに出るとダリボルカ塔という元拷問部屋や牢獄として使われた塔が残っています。
☆'.・*.・:★'.・*.・:☆'.・*.・:★'.・*.・:☆'.・*.・:★'.・*.・:☆'.・*.・:★'.・*.・:☆'.・*.・:★
【スケジュール】
11月30日(水)関空発
12月1日(木)ドバイ→プラハ (プラハ泊)
12月2日(金)プラハ→プルゼニュ (プルゼニュ泊)
12月3日(土)ヘプ訪問 (プルゼニュ泊)
12月4日(日)プルゼニュ観光 (プルゼニュ泊)
12月5日(月)プルゼニュ→チェスキー・クルムロフ(チェスキー・クルムロフ泊)
12月6日(火)チェスキー・クルムロフ (チェスキー・クルムロフ泊)
12月7日(水)チェスキー・クルムロフ→テルチ(テルチ泊)
12月8日(木)テルチ→ブルノ (ブルノ泊)
12月9日(金)オロモウツ訪問 (ブルノ泊)
12月10日(土)ブルノ→ターボル (ターボル泊)
12月11日(日)チェスケ・ブジェヨヴィッツェ (ターボル泊)
12月12日(月)ターボル→プラハ (プラハ泊)
12月13日(火)プラハ (プラハ泊)
12月14日(水)プラハ (プラハ泊)
12月15日(木)プラハから帰国便へ
12月16日(金)関空着
行けただけでも&無事帰国できただけでも感謝しないといけないことはよ~くわかりながら、贅沢言うと、ブルノとプラハでもう一泊、ターボル泊をチェスケ・ブジェヨヴィッツェ泊にしてターボル訪問した方がよかったかな?などあるのですが、無事帰国させていただけて感謝!感謝!!です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
聖イジー教会横の路地を進んでいくと・・・
-
案内板が出てきました。
-
チケットを持っていない場合はこちらで購入することができるようでした。
ちなみに、私は3日間有効のプラハカードを持っていたので、聖ヴィート大聖堂そばのチケット売り場で4か所見学(聖ヴィート大聖堂、旧王宮、聖イジー教会、黄金小路)できるチケットを出してもらっていました。 -
前回来た時は、このようなゲートは無くすんなり入れた記憶だったのですが・・・
-
かつては、この狭い石畳の路地に面した住居に王が錬金術師を集めて錬金術の実験を繰り返していたと噂されていました(そのため現在「黄金小路」と呼ばれているようです)。
-
しかし実際は、衛兵などの住居で、寝るだけの質素なものだったそうで、一時期は汚く荒れ果てていたとか。それを見かねたオーストリア女王のマリア・テレジア(マリーアントワネットの母)が建て替えを命じ、19世紀末にようやく現在のこのような小道となったんだそうです。
-
こちらの扉から入って階段を上ります。
-
一階部分は各住居となっていて、階段を上ったその上は各住居を貫くように長い廊下が続いています。
この長い廊下の両側にはかつての武器類や盾のようなものがズラリと並んでいました。 -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
多分こちらはトイレだったと
-
-
きっと夜中なら一人では歩けなさそうなちょっと薄気味悪い部分もある上階の様子です。
-
さらに上に上れるようなのでこの螺旋階段を上ります。
-
-
-
-
-
-
-
-
銃眼穴のある壁も
-
銃眼穴からは、長閑な風景が広がっていました。
-
-
-
端っこの窓からの眺め
-
当時の服装はこんな感じだったのでしょうか。
-
-
-
-
一通り長い廊下沿いに見学できて大満足!
-
では、小路沿いに散策しましょう。
-
-
左のオレンジ色のNo.21の建物はオーガニックコスメを販売
-
No.20のお家
木彫り専門店? -
この白い20番の建物は、ハンドペイントのコップや花瓶などを販売していました。
-
No.19のお家
色的に目立っているので記念撮影におすすめで、中では人形や雑貨などを販売。この19番の建物をカフカの仕事場と間違える人が意外と多いようで、私も最初はここがカフカの家かと勘違いしてしまったものです。 -
こちらが、この小道で一番名を知られているチェコの作家「フランツ・カフカ」の家
-
No.22の水色のお家で、カフカは1916年から1917年にかけてこの場所で執筆活動を行っていました。
-
住居に向かって入り口の右側にはフランツ・カフカが住んでいた事を示すプレートがあります。
-
カフカの家の中は本屋になっています。
-
カフカやプラハにまつわる書籍をはじめ、地図や絵葉書などを販売しています。
-
若いころのカフカですね。
-
カフカの家を出て
-
No.17の白い建物
中では食器や飾り物などを販売。 -
No.16のお家
このお家は居酒屋だったようです。 -
扉の中に入ってガラス戸越しに見える部屋の様子
-
このお家ではガラス戸越しにしか見ることはできません。
-
-
No.15のお家
金細工師の工房と住居らしいです。 -
こちらも、ガラス戸越しの見学だけです。
衣服を飾るジュエリーやカトラリー、チェーン、印鑑やスタンプなどの小規模の注文も受け付けていたようです。 -
小さめのベッド
やはり当時は足を抱え込むように寝ていたからでしょう。 -
木槌で金箔をたたく仕事は、半円形の机で作業し、落ちてくる金箔の破片を受け止められる工夫をしていたそうです。
工房には、生きた鳥の入った檻が欠かせなかったそうです。というのも、この檻の鳥は作業中に発生する化学物質から発生する有毒ガスの存在を感知するためだったとのこと。なぜか、心が痛む・・・ -
No.14のお家
20世紀前半の霊能者のお家だったようです。 -
此処もガラス戸越しの見学です。
-
このお家に住んでいたのは、マチルダ・プルショヴァという薬剤師の未亡人。
-
ダチョウの羽根で飾られたお洒落な帽子をかぶり、古くて黒い服装で注目を集めていたそうです。
-
1914年以来、第一次世界大戦からの息子の帰還を待ち続けたそうですが、それはかなわなかったとのこと。
毎日彼女は、彼のためにテーブルを整えベッドを用意し、彼の帰りを待ち続けたと。 -
そのうちに、彼女のお家には、自分の将来を見たがる顧客が毎日のようにやってくるようになり、中には海を越えてはるばるケープタウンからも手紙が来るようになったそうです。
-
彼女は、戦争の早期終結と第三帝国の崩壊について頻繁に予言したため、ゲシュタボに逮捕され、最終的には拷問を受けて亡くなったそうです。
-
No.13のお家
赤い砲兵の邸宅(ルネッサンス後期) -
赤い砲兵とは、プラハ城の要塞・門・塔を守る任務を任されていた赤い制服の衛兵とのことで、ここが彼らのうちのひとりのお家だったそうです。
-
赤い砲兵たちは固定給無しで勤務していたのですが、税金の支払いは免除され城内にタダで住むことができたそうです
-
彼らの主な収入源は白い塔とダリボルカに投獄された貴族に仕えることで、刑務所の看守、使用人、料理人、火夫、世話人、郵便配達人などとして働くことで、余分にお金を稼いでいたそうです。
-
-
-
-
黄金小路の突き当りから階段を下りてきました。
-
その先にあったのがダリボルカ塔
-
何気なくダリボルカ塔へ近づくと
-
中にはこのようなものが・・・
-
拷問具の一部のようです。
ダリボルカ塔とは、黄金小路の東の端に1496年に建てられた円筒形の砲塔。 -
怖いもの見たさの方が勝ってしまって、さらに地下へと続く階段を下りてみます。
-
その底にあった部屋がこれ。
伝説に彩られたこの塔は、最初の囚人であったダリボル・ズ・コゾイェド(Dalibor z Kozojed)にちなんでこの呼び名がつけられたんだそうです。
彼はチェコの騎士で、1496年に農民反乱を支援した罪で塔に幽閉され、1498年に死刑宣告され、首を切られたとのこと。 -
この塔は実際に1781年まで牢獄として使用されたそうです。
-
巨大なアーチ型の牢獄の他、床には地下牢へ通じる円形の穴も残っています。
この穴から滑車を用いて罪人を下ろしたといいます。 -
-
-
拷問具がいくつも置かれていました。
-
-
ダリボルカ塔から出てきて
-
-
このあと、元に戻る路地へ。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
デコさんの関連旅行記
プラハ(チェコ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
90