2023/07/03 - 2023/07/04
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RAINDANCEさん
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アメリカ東部、ニューヨーク州ニューヨーク市の区であるマンハッタンを、独立記念日ウィークに訪れました。1776年のアメリカ独立宣言、1783年のパリ条約での独立戦争終結を経て、ジョージ・ワシントンが初代大統領に就任した1789年の1年だけ首都となりました。以降、アメリカそして世界の大都市に成長し、ニューヨークの中核の区となりました。
★マンハッタンそしてニューヨークの歴史が始まった場所、「ロウアー・マンハッタン(ダウンタウン)」を巡る。
☆アメリカ今世紀最大の試練を刻む「9.11メモリアル・ミュージアム」
☆バッテリーパークから、「自由の女神像」が建つリバティ島へ
☆夕食がてら「チャイナ・タウン」をぶらぶら。
[いただいた郷土料理/ご当地グルメ]
◎レモネード(自由の女神像のトーチボトル)
◎人種のるつぼNYCの多様性という意味で…
・「上海21(中華街)」での中華ディナー
・「ハラルフード屋台」のオーバーライス
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- デルタ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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マンハッタン観光の拠点にしたのは、タイムズ・スクエアから徒歩圏の「ヴォコ・タイムズ・スクエア・サウス・ニューヨーク(voco Times Square South New York)」、朝起きてホテルのテラスからの眺め。
voco タイムズ スクエア サウス ニューヨーク ホテル
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ホテルのラウンジ。この隣のダイニングスペースにて朝食です。
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独立記念日ウィークだけに朝食のダイニングスペースも混雑していました。が、ちょうど良く空いたテーブル席。
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ビュッフェ形式ではなくメニューから選べる朝食のうち、妻は「ハニーミルクとシナモンクランチのフレンチトースト」をチョイス。
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私は「クラシックNYCベーコンエッグ&チーズのサンドイッチ」をチョイス。このホテル、日替わりで朝食が選べてグッドでした。
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さて、朝食後はさっそく観光へ。見どころ豊富なマンハッタンは旅行記が長編になりそうなので、マンハッタンを巷で言われる3タウンに分けることに。この旅行記は、おおよそ訪れた順番で第2章として「ロウアー・マンハッタン(ダウンタウン)」にフォーカス。
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メトロに乗って向かったのは南方面...
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…ロウアー・マンハッタンへ向かいます。
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E線の終点であるワールド・トレード・センター駅にて下車。
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着きました。そびえ立つのは「ワン・ワールド・トレード・センター・ビル」。その袂にある「9.11メモリアル・ミュージアム」は、必ず訪れておきたい場所でした。
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でもその前に、近くの「セント・ポール教会(St. Paul's Chapel)」へ寄っておきましょう。
セントポール礼拝堂 寺院・教会
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1766年に建てられ、マンハッタンで現存する最古の教会の建物とのこと。
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1776年のアメリカ独立戦争でのニューヨーク大火や、2001年の同時多発テロでのWTCビル崩壊での被害を免れた貴重な建物は、国定歴史建造物そして国家歴史登録財に指定されています。その主祭壇。
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後方のパイプオルガン。この教会の完成時は、ニューヨーク市で最も高い建物だったというほど初期に建てられ、「安らぎの礼拝堂」として古典的でシンプルな心休まる教会でした。
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教会のすぐそばには「市庁舎公園(City Hall Park)」がありましたので、ついでに寄っておきましょう。
シティホールパーク 広場・公園
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1812年に建てられたニューヨーク市庁舎をとりまく公園です。
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こちらが1812年に建てられた市庁舎。それまであった市庁舎が小さくて老朽化していたため、建て替えられました。
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公園内にいくつか展示されていた、謎の白い物体が家具に乗っているオブジェ。なお、この公園からブルックリン橋のプロムナードへアプローチできます。
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で、本命の「9.11メモリアル・ミュージアム」へ。こちらは「ノース・タワー・プール」、ワールド・トレード・センター・ビルのノースタワーがあった場所です。
国立9.11メモリアル&ミュージアム 博物館・美術館・ギャラリー
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核爆弾等の強力な爆弾の爆心地になぞらえて「グラウンド・ゼロ」と呼ばれたりもしています。が、この例えはちょっと違う気がしますね。犠牲となった方々の名前が彫られた碑。
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向こう側に建つのは「ワン・ワールド・トレード・センター」。テロ破壊後の再建計画の一つとして2014年に建てられました。高さはアメリカ独立の年にちなんで1,776フィート(約541m)なんだそうです。こだわってますね。
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しかし、お子様たちはメモリアルよりリスに夢中。
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アメリカには野良猫なみに野生のリスが居て、ニューヨークに居るのは主に”トウブハイイロリス”という種らしい。保健局は”害獣”としてエサをやらないように呼び掛けてる様ですが、観光客に伝わるはずがありません。
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こちらは「サウス・タワー・プール」。ワールド・トレード・センター(WTC)のサウスタワーがあった場所です。
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9.11のワールド・トレード・センターのテロでは2763名もの方が犠牲になりました。
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ミュージアムの中へ。独立記念日ウイークだけにチケット売り場はかなり並んでいました。...が、ニューヨーク・シティパスを購入&時間予約済だったのでスイスイと入場。
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中に入るといきなり目に入ってくるトライデント(三叉の矛)。
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これはノースタワーのファザードの残骸です。
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被災の後、ニューヨークの不屈の精神を示すため、一時的にバッテリー・パークに記念碑として置かれ、その後このミュージアムへ。
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ブルックリンから撮られたこの画像...この16分後にアメリカン航空の11便がWTCのノースタワーに突っ込みました。
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1機目の突入時、会社から帰ってテレビニュースを見ていました。スゴい悲惨な事故?...いやこんな操縦ミス有り得ないんじゃないの?...と思ってライブ中継見ていたら2機目が突入する瞬間を目撃しテロと確信しました。
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ペンタゴンに突っ込んだ機と、乗客がハイジャック犯と戦って墜落した機も含め、各機が辿った飛行ルート。
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この「ファウンデーション・ホール」へは後ほど。
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この階段は「サバイバーズ・ステア」。かつてWTCの広場と歩道を繋いでいて、逃げるルートが無い中で広場の落下物をかわした数百人が、残った数少ないルートの一つであるこの階段を通って生き残ることが出来たそうです。
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「トリビュート・ウォーク」と名付けられた一角。画像左のブース内には犠牲になられた方々の写真や遺物、撮影禁止です。
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「サウスタワーの痕跡」。
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ノースタワーの屋上に設置されていたアンテナ。
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エレベーターのモーター。エレベーターに閉じ込められて亡くなった方は推定で200名。
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ダメージを受けた、ニューヨーク市消防局のはしご車。
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「ファウンデーション・ホール」に下りてきました。
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「ザ・ラスト・コラム(最後の柱)」、重量58トン・高さ11メートルの溶接鋼板で、サウスタワーを支えた47本の柱のひとつ。この1本は岩盤に固定されたまま残骸に埋もれていたそうです。
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このラスト・コラムには「マーカー・オブ・ロス」というサブタイトルが付いてます。祈りや敬意を込めたカードやオブジェクトがびっしり。
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「スラリー壁」、地下水位が高い領域に造られる鉄筋コンクリートの壁。
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地下の冷却ユニットにハドソン川の水を取り入れていたバルブ。
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サウスタワーの窓。
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このような形でガラス窓は割れずに残った模様。
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9.11を詳しく紹介するこの中の展示は撮影禁止。平穏な日々の中で突然殺されてしまった何の落ち度もなかったであろう2千7百人もの人々...その一方で、復讐することに人生を捧げるほど憎悪を抱くに至った人々。憎悪とはどうして生まれそして連鎖していくのか...なんとか断ち切れないものなのか...やるせない気持ちになります。
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ミュージアムを出ると「ワールド・トレード・センター駅」、パストレインのターミナル駅。
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駅の横のオブジェ。
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続いて、メトロのWTC駅からサウス・フェリー駅へ。
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駅を出ると「スタテン・アイランド・フェリー・ターミナル」、スタテン島の住民のため(多分)に無料で運行するフェリーですが誰でも乗船可能です。航路上で自由の女神像が見られるので観光客にも人気なのだそうです。でも、このフェリーには乗りません。
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「バッテリー・パーク」に入り、マンハッタンのそこら中にあるハラル(HALAL)フードの屋台を発見。小腹も空いていたし、安くて手軽で美味いらしいのでいってみましょう。
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「チキン&ラムのミックス・オーバーライス」をチョイス。スパイシーソースをかけてもらい、辛いけど美味!12ドルくらいだったかな?なんでも高いマンハッタンでこれは嬉しい選択肢。ちなみに、屋台は色んな店があって、”ハラル・ガイズ”という店が行列ができるほど人気らしいです。
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さて、バッテリー・パークへ来た目的はこれ、「スタチュー・シティ・クルーズ(Statue City Cruises)」...これでリバティ島へ上陸します。さぁ乗るぞ~...って、目の前にクルーズ船があるのに乗れません。
スタチュー シティ クルーズ アクティビティ・乗り物体験
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搭乗手続きは船着き場からかなり離れた「キャッスル・クリントン」付近でした。この中に乗船チケット売り場があります。が、私たちはウェブで事前購入済み。
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あら~鬼のような行列...これでは予約時間に来た意味ないです。さすがはフォートラでも1番人気の観光名所「自由の女神像」、バケーションウィークは行列覚悟ですかね。
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予約時間を大幅に過ぎてようやく乗船...まぁしょうがないか。しかし、このタイムロスが後々響くことに。
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出航です。リバティ島は連邦政府直轄の領土ですので、ニューヨークにもマンハッタンにも属してないのですが、ロウアー・マンハッタンから上陸することができますのでこの旅行記に含めました。
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リバティ島に近づきました。自由の女神像(Lady Liberty)とロウアー・マンハッタンの風景。
自由の女神像 モニュメント・記念碑
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船着き場です。島を出る人の行列も凄い...
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リバティ島に上陸しました。いや~それにしても7月のニューヨークは暑い!暑い中で行列に並んだ疲労もあり、まずは休憩です。こちらのスタンドで...
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...ドリンクとおやつをゲット。ドリンクは「フレッシュリー・スクイーズド・レモネード(in トーチ型のカップ)」です。アメリカの定番、搾りたてのフレッシュなレモネードはちょっとスィーティー過ぎるが美味い。でも、ここでゆっくり休憩しすぎたのも後々に響きます。
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そして自由の女神像へ。1886年に完成したアメリカ合衆国の自由と民主主義の象徴であり、世界遺産に登録されています。
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像のデザインは、ドラクロワの名画「民衆を導く自由の女神」と、この像を設計したフランスの彫刻家バルトルディの母親をモデルにしたものだそうです。だからフランス系の顔なのですね。
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このトーチは灯台としての光だったらしい。像の正式名称は「Liberty Enlightening the World(世界を照らす自由)」。また、像が緑色なのは緑青(銅のサビ)のためです。
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さて、事前に予約しておいた女神像の内部へ。ここで大きめの荷物を預けます(コインは後で戻ります、両替機もあり)。
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女神像の背後から潜入。
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エレベーターで上へ。
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女神像の台座に登ってきました。本当は王冠まで行きたかったのですが、チケットは売り切れでした。王冠はヴァケーションシーズンだとかなり前から予約しておかないと厳しい様です。
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見上げると女神像、ここからは顔は見えません。ちなみに、彼女は「Lady Liberty」なので女神というわけでは無いんですよね。また、この島は元々はベドロー島という名でしたが、Lady Libertyが建ったことで自由を意味するリバティ島と呼ばれるようになり、1956年に国会の承認を経て正式にリバティ島になったそうです。
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台座から望むマンハッタン。a-haの名曲”マンハッタン・スカイライン”を思い出し口ずさんでしまいました。
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大きなクルーズ船が大音響を立ててやってきました。
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なんと、クルーズ船の上でライブ。
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ヨット。
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空には遊覧ヘリコプター。
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そして何かをアピールするセスナ。陸海空で騒がしいマンハッタンとリバティ島周辺です。
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台座から降りて近くで見上げる Lady Liberty。元は灯台だったので、ニューヨーク港を向いているんですって。
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自由の女神像の後は、女神の背後に建っている…
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…こちらの「自由の女神像博物館(Statue of Liberty Museum)」へ。
Statue of Liberty Museum 博物館・美術館・ギャラリー
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像が造られた経緯、建造方法、エピソードなどを紹介する博物館です。
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1876年、フランスの政治家エドゥアール・ド・ラブライエという人が、アメリカの独立100周年を祝って南北戦争後のアメリカにモニュメントの寄贈を提案したのが像建設のきっかけらしい。
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昔も今もフランスとイギリスは欧州の覇権を争う敵対/ライバル関係、イギリスと独立戦争を戦っていたアメリカをフランスが支援するのもわかる気がします。足の実寸モデル...でかっ!
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台座の建設資金は、ニューヨーク・ワールド紙の社主のキャンペーンによりアメリカ国民の寄付でまかない、台座の設計はアメリカの設計士によって、1886年の除幕式は当時のクリーブランド大統領他観衆の前で、先述のバルトルディが行ったらしい。顔でかっ!
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これが初代のトーチ。老朽化によって1984年に取り外されました。
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そろそろリバティ島を後にします。ここで悲しい失敗が発覚...そもそも、リバティ島とエリス島を巡るなら、私たちが乗った午後2時頃のバッテリー・パーク出航がギリギリだったのです。なのに、乗船が混雑で遅れた上に、リバティ島でのんびりし過ぎてしまったため、エリス島への便はもう終わっていました。
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リバティ島&エリス島を先に行き、9.11メモリアルを後にするべきでした。で、やむなくマンハッタンへ戻ります。
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バッテリー・パークへ戻る途上で眺めるロウアー・マンハッタン。
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バッテリー・パークに着いたら、ストリート・パフオーマンスが始まりました。マンハッタンに限らずですが、都市の人気の観光地はどこもパフォーマーで溢れてますね。
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次にメトロで移動したのは...
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...「チャイナ・タウン」、ディナーのために訪れました。いきなり漢字だらけの街の風景が現れます。特に、中国系銀行の支店が目につきます。
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まず感じたのはNYのチャイナ・タウンは、派手な楼門などがある観光地っぽい日本の中華街(横浜・神戸・長崎など)と違って、中国系アメリカ人がリアルに暮らしているエリアなのだな~、と。
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そのコミュニティにおいては街並みを見ると、中国系移民の文化が着々と根付いて来たと想像できます。
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で、数ある中華レストランの中からディナーに選んだのは人気店の「上海21」、町中華のような雰囲気ゆえ予約はできません。満席でしたので店員さんに名前を告げて店の前で待ちます。
上海21 中華
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20~30分ほど待ったでしょうか、ようやく店内へ。
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オーダーしたのは、まず「蟹粉小籠包(蟹肉スープの小籠包)」。熱々の肉汁がたっぷりで美味かったです。
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次に「椒鹽鮮魷(イカの塩胡椒揚げ)」、イカはシンプルな味付けで肉厚、これもいけます。
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締めに「上海粗炒(上海式ローメン)」、濃そうな見た目ですがそんなことはなく、旨味たっぷりのタレが絡んでこれも美味し。2人で3品で量はちょうどいいくらいでした。
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正直なところ、日本の美味い町中華と比べてどうかと言われると、味も値段も日本の方が良いと思います。が、マンハッタンでアメリカ料理に飽きたらこの辺りで中華…おススメです。上海21はビール(お酒)が無かったのは残念でしたが。
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ホテルへ戻って客室テラスからの夜景。マンハッタンの町は、17世紀のオランダにより植民地化された際の砦から始まり、その後イギリスに奪われてからこの南部が市街地となりました。アメリカ独立を経て市街は次第に北部へと広がり、マンハッタンの中心はミッドタウンに奪われていきましたが、1960年代にWTCを軸とした復興がなされます。そして今、同時多発テロの大きな苦難を乗り越えて再び発展を続ける、ミッドタウンに引けを取らないエネルギッシュな街です。
次の旅行記は第3章、「アッパー・マンハッタン」に続きます。
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