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3/18~4/3にかけてまだ寒いシカゴを抜け出し、大西洋を越えてポルトガル~スペインに行って来ました。スペインの表玄関は何といってもマドリード。ただしUAのアワードマイルを使ってシカゴからマドリード間を単純往復というのも芸がないので、エクスカーショニスト・パークの特典を活用してワンストップ=イスタンブール経由でマドリードに行きます。マドリードからはイベリア航空でリスボン。何故にイスタンブール?12年前にイスタンブールに行った時、どう頑張っても時間がなくて諦めたエフェスの遺跡(割と古いものに惹かれるタチで)それと旅行者を疲労困憊させる新スタンブール空港も見ておいていいかな。。と、割と単純な理由です。<br />蛇足ですが今度の旅で空路、陸路合わせると14000マイルくらいで、今までで一番の長旅、しかも一人旅と。。。家人はアンダルシアの高原で行き倒れになった時のこと等余計な心配をしてくれるのですが、深く考えずに出発することにしました。<br />9日目、この旅も後半に入りました。昨夜ポルトガルのリスボンを夜行バスで出発しスペインのセビリアに今朝到着。初めてのアンダルシア、セビリアです。何が待ち受けているでしょうか?

大西洋横断~イスタンブール~イベリア半島横断⑨3/27, 9日目#2、サンタクルス地区、スぺイン広場, メトロポールパラソル、アラミージョ橋

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2023/03/27 - 2023/03/28

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Nora

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2023/03/27

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3/18~4/3にかけてまだ寒いシカゴを抜け出し、大西洋を越えてポルトガル~スペインに行って来ました。スペインの表玄関は何といってもマドリード。ただしUAのアワードマイルを使ってシカゴからマドリード間を単純往復というのも芸がないので、エクスカーショニスト・パークの特典を活用してワンストップ=イスタンブール経由でマドリードに行きます。マドリードからはイベリア航空でリスボン。何故にイスタンブール?12年前にイスタンブールに行った時、どう頑張っても時間がなくて諦めたエフェスの遺跡(割と古いものに惹かれるタチで)それと旅行者を疲労困憊させる新スタンブール空港も見ておいていいかな。。と、割と単純な理由です。
蛇足ですが今度の旅で空路、陸路合わせると14000マイルくらいで、今までで一番の長旅、しかも一人旅と。。。家人はアンダルシアの高原で行き倒れになった時のこと等余計な心配をしてくれるのですが、深く考えずに出発することにしました。
9日目、この旅も後半に入りました。昨夜ポルトガルのリスボンを夜行バスで出発しスペインのセビリアに今朝到着。初めてのアンダルシア、セビリアです。何が待ち受けているでしょうか?

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス タクシー 徒歩

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  • 大聖堂からトリウンフォ広場にでて南に向かうとバンデラス広場に出る。ここにもオレンジの木々。9~10世紀にかけてムーア人がイスラム統治下のイベリア半島にオレンジを導入したことはよく知られている。彼らは同時に大規模栽培(果樹園)を可能にする灌漑技術もこの地に導入した。これらの街路樹用オレンジは食用に改良されていないタイプでメインの目的は香りと鑑賞のためだとか(非常に苦味が強くて、苦虫を噛み潰したような顔になるそうだ!)。収穫は機械化されているようでママレードにしたり香水の原料にしたりすることもあるらしいが、大半は肥料になるそうである。

    大聖堂からトリウンフォ広場にでて南に向かうとバンデラス広場に出る。ここにもオレンジの木々。9~10世紀にかけてムーア人がイスラム統治下のイベリア半島にオレンジを導入したことはよく知られている。彼らは同時に大規模栽培(果樹園)を可能にする灌漑技術もこの地に導入した。これらの街路樹用オレンジは食用に改良されていないタイプでメインの目的は香りと鑑賞のためだとか(非常に苦味が強くて、苦虫を噛み潰したような顔になるそうだ!)。収穫は機械化されているようでママレードにしたり香水の原料にしたりすることもあるらしいが、大半は肥料になるそうである。

  • まずセビリア、旧ユダヤ人街の概略。<br />これは後でまわったサンタクルス地区の一角の壁に取り付けてあったタイルの地図(筆者による日本語追記)。現在地は赤丸をしたJuderiaである。<br />補足-セビリアの旧ユダヤ人居住区:これはサンタ.クルーズ地区にあった地図なので、当然この地域のランドマークしか示していないが、昔のセビリアにはユダヤ人居住区が他にもあったことがわかっている。イスラム支配時代には最初のセビリアにおけるユダヤ人居住区が現在のサン.ロレンゾ地区にあったという。1248年にイスラム支配が終了(つまりレコンキスタ後)すると2番目のユダヤ人街がサンタ.クルーズ、サンタ.マリア.ラ.ブランカ、サン.バルトロームを合わせた区域に作られた。当時この区域は塀で囲われ特定の門からしか出入りできなかったようだ(しかしこの頃はまだゲットーと言う言葉は使われていない)。時代は下り、1492年のグラナダ勅令(Edicto de Granada、別名アルハンブラ勅令とも)により彼らは一大転換期を迎える。この勅令により改宗か国外退去かのニ者択一を迫られ、改宗を拒んだユダヤ教徒の多くは殆ど着の身着のまま国外に退去するほかなかった。また異端審問も加速していった。*(最終的にこれらの立ち去ったユダヤ人から没収した金品、家財は当然、スペイン国庫もしくは王家の懐に入る。アルハンブラが陥落した時にもムーア人の残した財宝、金銀に同様のことが起きた。これらの没収財産の一部はコロンブスの探検費用にあてられたと思われる)。彼らの空き家になったり放置された家屋は、解体されたり改造されたりしたので(特にサンタマリア.ラ.ブランカ地区)現在目にすることが出来るかつてのユダヤ人居住区はサンタクルーズ地区および一部のサン.バルトローム地区に限られている。<br />調べたところ、当時のこれらのユダヤ人居住区には3~4の通用門しかなく(サン.ニコラス門、メソン.デル.モーロ門、カルネ門など)夜6時には閉ざされ、朝は夜明けとともに開門されるという殆ど’隔離、幽閉’に近い状態であったようだ。<br />参考:https://www.jewishvirtuallibrary.org/seville-spain-jewish-history-tour<br />*現在スペイン政府はユダヤ人追放行為に対する賠償を検討していると書いてあるサイトがあったが本当だろうか?<br />

    まずセビリア、旧ユダヤ人街の概略。
    これは後でまわったサンタクルス地区の一角の壁に取り付けてあったタイルの地図(筆者による日本語追記)。現在地は赤丸をしたJuderiaである。
    補足-セビリアの旧ユダヤ人居住区:これはサンタ.クルーズ地区にあった地図なので、当然この地域のランドマークしか示していないが、昔のセビリアにはユダヤ人居住区が他にもあったことがわかっている。イスラム支配時代には最初のセビリアにおけるユダヤ人居住区が現在のサン.ロレンゾ地区にあったという。1248年にイスラム支配が終了(つまりレコンキスタ後)すると2番目のユダヤ人街がサンタ.クルーズ、サンタ.マリア.ラ.ブランカ、サン.バルトロームを合わせた区域に作られた。当時この区域は塀で囲われ特定の門からしか出入りできなかったようだ(しかしこの頃はまだゲットーと言う言葉は使われていない)。時代は下り、1492年のグラナダ勅令(Edicto de Granada、別名アルハンブラ勅令とも)により彼らは一大転換期を迎える。この勅令により改宗か国外退去かのニ者択一を迫られ、改宗を拒んだユダヤ教徒の多くは殆ど着の身着のまま国外に退去するほかなかった。また異端審問も加速していった。*(最終的にこれらの立ち去ったユダヤ人から没収した金品、家財は当然、スペイン国庫もしくは王家の懐に入る。アルハンブラが陥落した時にもムーア人の残した財宝、金銀に同様のことが起きた。これらの没収財産の一部はコロンブスの探検費用にあてられたと思われる)。彼らの空き家になったり放置された家屋は、解体されたり改造されたりしたので(特にサンタマリア.ラ.ブランカ地区)現在目にすることが出来るかつてのユダヤ人居住区はサンタクルーズ地区および一部のサン.バルトローム地区に限られている。
    調べたところ、当時のこれらのユダヤ人居住区には3~4の通用門しかなく(サン.ニコラス門、メソン.デル.モーロ門、カルネ門など)夜6時には閉ざされ、朝は夜明けとともに開門されるという殆ど’隔離、幽閉’に近い状態であったようだ。
    参考:https://www.jewishvirtuallibrary.org/seville-spain-jewish-history-tour
    *現在スペイン政府はユダヤ人追放行為に対する賠償を検討していると書いてあるサイトがあったが本当だろうか?

  • バンデラス広場の角にある小さいアーチの入り口を目指すとジュデリア(Juderia=Jewish Quarter, 旧ユダヤ人居住区)の通路がある。壁の上部に小さくJuderiaの表示が見える。屋根付きの通路(アーケード)で、上部は現在ホテルやアパートになっているようだ。

    バンデラス広場の角にある小さいアーチの入り口を目指すとジュデリア(Juderia=Jewish Quarter, 旧ユダヤ人居住区)の通路がある。壁の上部に小さくJuderiaの表示が見える。屋根付きの通路(アーケード)で、上部は現在ホテルやアパートになっているようだ。

  • トンネルのようなアーケード、これは中世建築によく見られる商居住空間スタイルのように見えるのだが。。。<br />

    トンネルのようなアーケード、これは中世建築によく見られる商居住空間スタイルのように見えるのだが。。。

  • ジュデリア門(Puerta Juderia)。煉瓦と土で出来たアルモハド時代の要塞の一部。この構造は非常にユニークである。直進するとまず90度左折、そして次に90度右折してジュデリア通りに出るようになっている。(あとで訪れたグラナダのアルハンブラ宮殿の「裁きの門」もこの構造と類似していた。)外敵が侵入した場合、直線ではなくこのようにジグザグ構造にすることで侵入を遅らせ、その間上部から煮えたぎった油を注いだり矢を射たりして敵を攻撃するのだという。ここではそうした攻撃用の構造は見られないがこの塔のずっと上部の胸壁部分は監視用に使われたようだ。ということは監視塔の下にある門をくぐっていることになる。

    ジュデリア門(Puerta Juderia)。煉瓦と土で出来たアルモハド時代の要塞の一部。この構造は非常にユニークである。直進するとまず90度左折、そして次に90度右折してジュデリア通りに出るようになっている。(あとで訪れたグラナダのアルハンブラ宮殿の「裁きの門」もこの構造と類似していた。)外敵が侵入した場合、直線ではなくこのようにジグザグ構造にすることで侵入を遅らせ、その間上部から煮えたぎった油を注いだり矢を射たりして敵を攻撃するのだという。ここではそうした攻撃用の構造は見られないがこの塔のずっと上部の胸壁部分は監視用に使われたようだ。ということは監視塔の下にある門をくぐっていることになる。

  • この門を出たところに、よく注意して見ないとわからないような小さい文字で書かれた白いセラミックの銘板がある。何だろう!

    この門を出たところに、よく注意して見ないとわからないような小さい文字で書かれた白いセラミックの銘板がある。何だろう!

  • 拡大図。スペイン語と英語の併記で、’ここはビゼーのオペラ、カルメンのなかでカルメンが兵士から逃げるシーンにでてくる通りである。’とある。そして右下に’セビリア、シティーオブオペラ&#39;のロゴ*。<br />そういえば、オペラカルメンの中のドラマは殆ど旧ユダヤ人街でおきる。このオペラを作曲したビゼーはフランス人で、セビリアどころかスペインに旅行したことさえなかったという。なのにこうしたオペラを書きあげてしまうというのは、やはりこの作曲家がタダものではないということだろう。類まれな創造性と音楽性を持ちながら若くして他界してしまったが、このオペラを最初にみたチャイコフスキーは’今に世界中でポピュラ―になるオペラだ’と絶賛したそうである(初演は不評だった)。。。<br />それとホセ.ソリーリャ(Jose de Zorilla)がドンファン.テノーリョ(Don Juan Tenorio)の戯曲を書く間、滞在したホテルはHosteria Del Laurelだったとインターネットの某サイトにあった。あとで時間があれば行ってみよう。<br />*シティーオブオペラについて調べたことをこのサンタクルス地区の末尾に加えました。^ー^

    拡大図。スペイン語と英語の併記で、’ここはビゼーのオペラ、カルメンのなかでカルメンが兵士から逃げるシーンにでてくる通りである。’とある。そして右下に’セビリア、シティーオブオペラ'のロゴ*。
    そういえば、オペラカルメンの中のドラマは殆ど旧ユダヤ人街でおきる。このオペラを作曲したビゼーはフランス人で、セビリアどころかスペインに旅行したことさえなかったという。なのにこうしたオペラを書きあげてしまうというのは、やはりこの作曲家がタダものではないということだろう。類まれな創造性と音楽性を持ちながら若くして他界してしまったが、このオペラを最初にみたチャイコフスキーは’今に世界中でポピュラ―になるオペラだ’と絶賛したそうである(初演は不評だった)。。。
    それとホセ.ソリーリャ(Jose de Zorilla)がドンファン.テノーリョ(Don Juan Tenorio)の戯曲を書く間、滞在したホテルはHosteria Del Laurelだったとインターネットの某サイトにあった。あとで時間があれば行ってみよう。
    *シティーオブオペラについて調べたことをこのサンタクルス地区の末尾に加えました。^ー^

  • 出てきたところ。上部は胸壁になっており(この画像ではうまく出ていないが)この塔がアルモハド時代の監視塔として使用されていたことがわかる。左手の赤味のある土塀も同時代に築かれた城壁である。ジュデリア通りはこのアルモハド時代の(アルカサル)城壁と平行に走る。

    出てきたところ。上部は胸壁になっており(この画像ではうまく出ていないが)この塔がアルモハド時代の監視塔として使用されていたことがわかる。左手の赤味のある土塀も同時代に築かれた城壁である。ジュデリア通りはこのアルモハド時代の(アルカサル)城壁と平行に走る。

  • アルカサルの城壁とポスト(塔)のコーナー部分に設置されている噴水。1929年のイベローアメリカ博に関連した美化プロジェクトの一環として設置された。グリーンのジャスミンがアクセントをそえる2層式の噴水。1920年代のホアン.タラベラ.ヘレディア (Juan Talavera Heredia) 作。

    アルカサルの城壁とポスト(塔)のコーナー部分に設置されている噴水。1929年のイベローアメリカ博に関連した美化プロジェクトの一環として設置された。グリーンのジャスミンがアクセントをそえる2層式の噴水。1920年代のホアン.タラベラ.ヘレディア (Juan Talavera Heredia) 作。

  • 塀の上からこぼれるように咲くのはジャカランダかと思いきや藤の花であった。我が家の藤は苗木を植えて2年めなのでまだヒョロヒョロしている。こういう風に立派な藤になるにはあと7,8年はかかりそうだ。

    塀の上からこぼれるように咲くのはジャカランダかと思いきや藤の花であった。我が家の藤は苗木を植えて2年めなのでまだヒョロヒョロしている。こういう風に立派な藤になるにはあと7,8年はかかりそうだ。

  • Juderia(旧ユダヤ人居住区)のサイン。泥壁にオレンジ色のペイントを塗ったようである。<br />

    Juderia(旧ユダヤ人居住区)のサイン。泥壁にオレンジ色のペイントを塗ったようである。

  • 壁に取り付けらたプレートには<br />Sobre las tapias del Jardin, brotaba cubriendlo todo con sus ramas el inmenso magnolio. Entré las hojas brillantes y agudas se posaban en primavera. Con ese sutil misterio de lo virgin. Los copos nevados de sus flores.<br />Ocnos el magnolia  <br />A luis cernudaen el Centenario De Su Nacimiento, Sevilla 2002 とある。<br /> 詩人ではないNoraの日本語訳、ご笑覧を。<br />庭園の壁に、巨大なマグノリアの木がその枝ですべてを覆うように芽を出した。輝くみずみずしい新芽が光に輝く中を私は歩いた。けがれなき乙女のように謎めいた雪の結晶のような花をつけて。<br />オクノス・ザ・マグノリア<br />ルイス・セルヌーダ生誕100周年を記念して. セビリア 2002<br /><br />*ルイス・セルヌーダ(1902-1963)について。<br />セビリア出身の詩人、文芸評論家。セビリア大学法学部卒。スペイン内戦中、英国へ講演に行き、翌年共和国側が敗北したため、祖国スペインへは戻らず、亡命生活を続けることになった。晩年、南カリフォルニア大学から教壇に立つことのオファーがあったが、1963年の休暇中、メキシコで没した。スペインの前衛詩に新しい1頁を加えた詩人であり、故郷セビリアのアルカサル庭園の美を讃えた詩もある。「ためらう者」「臆病者」を意味するギリシャ神話の登場人物の名を関した散文詩集『オクノス』Ocnos (1942, 1949, 1963)を通して魂の自由を模索 したと言われている。<br /><br /><br />

    壁に取り付けらたプレートには
    Sobre las tapias del Jardin, brotaba cubriendlo todo con sus ramas el inmenso magnolio. Entré las hojas brillantes y agudas se posaban en primavera. Con ese sutil misterio de lo virgin. Los copos nevados de sus flores.
    Ocnos el magnolia
    A luis cernudaen el Centenario De Su Nacimiento, Sevilla 2002 とある。
     詩人ではないNoraの日本語訳、ご笑覧を。
    庭園の壁に、巨大なマグノリアの木がその枝ですべてを覆うように芽を出した。輝くみずみずしい新芽が光に輝く中を私は歩いた。けがれなき乙女のように謎めいた雪の結晶のような花をつけて。
    オクノス・ザ・マグノリア
    ルイス・セルヌーダ生誕100周年を記念して. セビリア 2002

    *ルイス・セルヌーダ(1902-1963)について。
    セビリア出身の詩人、文芸評論家。セビリア大学法学部卒。スペイン内戦中、英国へ講演に行き、翌年共和国側が敗北したため、祖国スペインへは戻らず、亡命生活を続けることになった。晩年、南カリフォルニア大学から教壇に立つことのオファーがあったが、1963年の休暇中、メキシコで没した。スペインの前衛詩に新しい1頁を加えた詩人であり、故郷セビリアのアルカサル庭園の美を讃えた詩もある。「ためらう者」「臆病者」を意味するギリシャ神話の登場人物の名を関した散文詩集『オクノス』Ocnos (1942, 1949, 1963)を通して魂の自由を模索 したと言われている。


  • ジュデリア通りの突き当りに木製のドアが見える。このドアの向こうはアルカサル城にあるPuerta de Marchena(プエルタ・デ・マルチェナ)の横にある小さな門である。アルモハド時代、このドアは野原に面しており、川に非常に近かったので暴動、反乱等の有事の場合の脱出用として使われた。<br />参考資料:http://culturadesevilla.blogspot.com/2014/07/las-murallas-de-sevilla-iii-el-callejon.html<br />

    ジュデリア通りの突き当りに木製のドアが見える。このドアの向こうはアルカサル城にあるPuerta de Marchena(プエルタ・デ・マルチェナ)の横にある小さな門である。アルモハド時代、このドアは野原に面しており、川に非常に近かったので暴動、反乱等の有事の場合の脱出用として使われた。
    参考資料:http://culturadesevilla.blogspot.com/2014/07/las-murallas-de-sevilla-iii-el-callejon.html

  • 水の路(Callejón del Agua=Water Alley)に入って来た。<br />この通りは アルファロ広場(Plaza de Alfaro)から始まり、ヴィダ通り(Calle Vida)で終わる約 140 mの短い道である。<br />かつてはウォーターウォール(Muro del Agua)と呼ばれていた。 それはこの場所(右の壁)に水の配水管を守るための保護壁が城壁にそって設置されていたからである。この保護壁の内部には 2 本のセラミックの配水管が埋め込まれており、カニョス デ カルモナ(Caños de Carmona)の貯水槽から水道橋を通ってアルカサルの庭園、一般の水道用水、枢機卿の宮殿等に水を運んでいた。先の中世時代に無視され荒廃するにまかせていたローマ時代の水道橋を発見し補修、増築する形でこの水のインフラ工事を進めたのはアルモハド時代(11~12世紀)のカリフであるアブ ユスフ ヤクブである。このウォーターウォール(Muro del Agua)もその時に造られたものである。途中、老朽化のための修復や延長工事なども経験しながらもこの配水システムは何と19世紀まで使用されていたという。<br />*壁に埋め込まれた2本の配水管の画像は後程出てきます。<br />

    水の路(Callejón del Agua=Water Alley)に入って来た。
    この通りは アルファロ広場(Plaza de Alfaro)から始まり、ヴィダ通り(Calle Vida)で終わる約 140 mの短い道である。
    かつてはウォーターウォール(Muro del Agua)と呼ばれていた。 それはこの場所(右の壁)に水の配水管を守るための保護壁が城壁にそって設置されていたからである。この保護壁の内部には 2 本のセラミックの配水管が埋め込まれており、カニョス デ カルモナ(Caños de Carmona)の貯水槽から水道橋を通ってアルカサルの庭園、一般の水道用水、枢機卿の宮殿等に水を運んでいた。先の中世時代に無視され荒廃するにまかせていたローマ時代の水道橋を発見し補修、増築する形でこの水のインフラ工事を進めたのはアルモハド時代(11~12世紀)のカリフであるアブ ユスフ ヤクブである。このウォーターウォール(Muro del Agua)もその時に造られたものである。途中、老朽化のための修復や延長工事なども経験しながらもこの配水システムは何と19世紀まで使用されていたという。
    *壁に埋め込まれた2本の配水管の画像は後程出てきます。

  • コーラル.デル.アグア レストラン(Corral del Agua Restauant)兼バー。オペラカルメンに登場するタバーンまたはバル、リリアス・パスティアの酒場のモデル?カルメンはここでテーブルの上に立ち、ファルダを翻して’ジプシーの歌’を煽情的に歌い踊る。<br />銘板にはスペイン語と英語の併記で、’ビゼー(1838-1875)のオペラ、カルメンのなかでこの通りにあるタバーンでカルメンがドンホセとエスカミーリオに会う。’とある。そして左下にセヴィリア.シティー.オブ.オペラのロゴ。<br /><br />

    コーラル.デル.アグア レストラン(Corral del Agua Restauant)兼バー。オペラカルメンに登場するタバーンまたはバル、リリアス・パスティアの酒場のモデル?カルメンはここでテーブルの上に立ち、ファルダを翻して’ジプシーの歌’を煽情的に歌い踊る。
    銘板にはスペイン語と英語の併記で、’ビゼー(1838-1875)のオペラ、カルメンのなかでこの通りにあるタバーンでカルメンがドンホセとエスカミーリオに会う。’とある。そして左下にセヴィリア.シティー.オブ.オペラのロゴ。

    コーラル・デル・アグア 地元の料理

  • ’アルハンブラ物語’の著者であるワシントンアービングが住んでいた家(2 in Callejón del Agua)。<br />アービングは1826年から1829年にかけてスペインのアメリカ公使館に勤める間にスペイン文化に親しみ、『コロンブス伝』(1828年)、『グラナダの征服』(1829年)、そして『アルハンブラ物語』(1832年)などを執筆、出版した。とりわけ、アルハンブラ物語はムーア人の歴史や伝説とともに彼らが残した文化遺産である名勝アルハンブラ宮を当時イスラム文化について何一つ知らなかった西欧世界に知らしめることになった点で特筆に値する。アルハンブラに対するアービングの貢献は大きい。

    ’アルハンブラ物語’の著者であるワシントンアービングが住んでいた家(2 in Callejón del Agua)。
    アービングは1826年から1829年にかけてスペインのアメリカ公使館に勤める間にスペイン文化に親しみ、『コロンブス伝』(1828年)、『グラナダの征服』(1829年)、そして『アルハンブラ物語』(1832年)などを執筆、出版した。とりわけ、アルハンブラ物語はムーア人の歴史や伝説とともに彼らが残した文化遺産である名勝アルハンブラ宮を当時イスラム文化について何一つ知らなかった西欧世界に知らしめることになった点で特筆に値する。アルハンブラに対するアービングの貢献は大きい。

  • ワシントン.アービングの銘板。

    ワシントン.アービングの銘板。

  • 先に述べた壁に埋め込まれた2本の配管パイプ。ここはもうアルファロ広場(Plaza Alfaro)。<br />ローマ時代のセビリア(当時はヒスパリスとよばれた)は2つの水源から採水していたことが知られている。一つはグアダルキビル川、もう一つは都市の地下水源に到達するまで深く掘った井戸であった。しかし人口増加に対応するため新たな水源が必要になり、AD1~2世紀の間(BC1世紀と記すサイトもあるが)、都市の配水システムに大きな変化が訪れる。アルカラ.デ.グアダイラ(Alcala de Guadaira、当時はイリッポと呼ばれた)にあるサンタルチアの湧き水を採水、送水する水道橋の建設であった。しかしローマ帝国の終焉とともにこの水道橋は忘れ去られ、イスラム時代に発見されるまで 放置されていた。<br />*プエルタデカルモナ(Puerta de Carmona)はローマ時代に建設された水道橋であり、分断、撤去を免れた部分が今でも残っている。<br />参考:https://www.emasesa.com/wp-content/uploads/2017/09/RUTA-MORADA-INGLES.pdf

    先に述べた壁に埋め込まれた2本の配管パイプ。ここはもうアルファロ広場(Plaza Alfaro)。
    ローマ時代のセビリア(当時はヒスパリスとよばれた)は2つの水源から採水していたことが知られている。一つはグアダルキビル川、もう一つは都市の地下水源に到達するまで深く掘った井戸であった。しかし人口増加に対応するため新たな水源が必要になり、AD1~2世紀の間(BC1世紀と記すサイトもあるが)、都市の配水システムに大きな変化が訪れる。アルカラ.デ.グアダイラ(Alcala de Guadaira、当時はイリッポと呼ばれた)にあるサンタルチアの湧き水を採水、送水する水道橋の建設であった。しかしローマ帝国の終焉とともにこの水道橋は忘れ去られ、イスラム時代に発見されるまで 放置されていた。
    *プエルタデカルモナ(Puerta de Carmona)はローマ時代に建設された水道橋であり、分断、撤去を免れた部分が今でも残っている。
    参考:https://www.emasesa.com/wp-content/uploads/2017/09/RUTA-MORADA-INGLES.pdf

  • 壁に取り付けられた銘板には<br />イスラム時代(11-12世紀 )の都市の壁。キリスト教時代に実際のアルカサルと都市に水を供給したパイプラインが内蔵されています。<br />1993 年にTEXSAの協力により、セビリア市議会都市計画局によって復元されました。とある。<br /><br />

    壁に取り付けられた銘板には
    イスラム時代(11-12世紀 )の都市の壁。キリスト教時代に実際のアルカサルと都市に水を供給したパイプラインが内蔵されています。
    1993 年にTEXSAの協力により、セビリア市議会都市計画局によって復元されました。とある。

  • アルファロ広場(Plaza Alfaro)の端にあるロジーナのバルコニー(Balcón de Rosina)と呼ばれる場所。。1772~1773年制作のボーマルシェの戯曲『セビリアの理髪師』(のちロッシーニがオペラとして作曲)に出てくるロジーナのバルコニーはこのキュートなバルコニーにインスピレーションを得たと言われている。が、よく調べてみるとこのバルコニーはこの戯曲が書かれた後に作られたものだと言っているサイトがあった。どちらが本当だろう?<br />Unusual and secret Seville:<br />https://www.andaluciamia.com/en/seville-unusual-and-secret/<br />中ほどまでスクロールダウンするとRosina’s balconyのセクションが出てきます<br />。<br />

    アルファロ広場(Plaza Alfaro)の端にあるロジーナのバルコニー(Balcón de Rosina)と呼ばれる場所。。1772~1773年制作のボーマルシェの戯曲『セビリアの理髪師』(のちロッシーニがオペラとして作曲)に出てくるロジーナのバルコニーはこのキュートなバルコニーにインスピレーションを得たと言われている。が、よく調べてみるとこのバルコニーはこの戯曲が書かれた後に作られたものだと言っているサイトがあった。どちらが本当だろう?
    Unusual and secret Seville:
    https://www.andaluciamia.com/en/seville-unusual-and-secret/
    中ほどまでスクロールダウンするとRosina’s balconyのセクションが出てきます

  • 通りの名が不明なのだが、この右手のお店はシリアルの専門店だったと思う。テクテク。。

    通りの名が不明なのだが、この右手のお店はシリアルの専門店だったと思う。テクテク。。

  • これがホセ.ソリーリャ(Jose de Zorilla)がドンファン.テノーリョ(Don Juan Tenorio)の戯曲を書く間(1844年)、滞在したホテル、Hosteria Del Laurel。 一階はバーとレストラン。2階から上がブティックホテルになっているようだ。

    これがホセ.ソリーリャ(Jose de Zorilla)がドンファン.テノーリョ(Don Juan Tenorio)の戯曲を書く間(1844年)、滞在したホテル、Hosteria Del Laurel。 一階はバーとレストラン。2階から上がブティックホテルになっているようだ。

    カスアル ドン フアン テノリオ セビーリャ ホテル

  • スペイン語と英語の併記で ’(Jose de Zorilla)がセビリア滞在中この古いタバーンに滞在しドンファン.テノーリョ(Don Juan Tenorio)の戯曲を書くインスピレーションを得た’とある。またモーツアルトがこの物語をもとにドン.ジョバンニを作曲したとある。(ドン.ファン=&gt;イタリア語だとドン.ジョバンニ)

    スペイン語と英語の併記で ’(Jose de Zorilla)がセビリア滞在中この古いタバーンに滞在しドンファン.テノーリョ(Don Juan Tenorio)の戯曲を書くインスピレーションを得た’とある。またモーツアルトがこの物語をもとにドン.ジョバンニを作曲したとある。(ドン.ファン=>イタリア語だとドン.ジョバンニ)

  • Hospital de los Venerables Sacerdotes(ロス・ベネラブルス病院)はもともと老齢の貧困な聖職者のための慈善病院として建てられたという。建築家レオナルド.フィゲロア(Leonardo de Figueroa)によって17世紀後半に完成。内部は17世紀バロック様式で現在はアートギャラリーとして使われている。<br />時間がないので外観のみ。下記のウェブサイトでヴァーチャルツアーのオプションがあった。<br />https://losvenerables.es/publicaciones/<br /><br />

    Hospital de los Venerables Sacerdotes(ロス・ベネラブルス病院)はもともと老齢の貧困な聖職者のための慈善病院として建てられたという。建築家レオナルド.フィゲロア(Leonardo de Figueroa)によって17世紀後半に完成。内部は17世紀バロック様式で現在はアートギャラリーとして使われている。
    時間がないので外観のみ。下記のウェブサイトでヴァーチャルツアーのオプションがあった。
    https://losvenerables.es/publicaciones/

  • ドーニャ・エルビラ広場(Plaza de Doña Elvira)の角にあるフォトジェニックなブティックホテル、ドーニャ・エルビラホテル。屋根瓦はブルーと白のセビリア焼きのタイルを使っているようだ。白壁に黄色いトリムはサンタクルーズ地区のトレードマークのようだがアクセントのブルーがすごくステキ!!

    ドーニャ・エルビラ広場(Plaza de Doña Elvira)の角にあるフォトジェニックなブティックホテル、ドーニャ・エルビラホテル。屋根瓦はブルーと白のセビリア焼きのタイルを使っているようだ。白壁に黄色いトリムはサンタクルーズ地区のトレードマークのようだがアクセントのブルーがすごくステキ!!

  • アリアンサ広場。アルカサルの壁沿いにありサンタクルーズ地区の入り口になる。<br />この広場は20世紀の再開発プロジェクトでリモデリングされた広場で、中心にある18世紀 の八角形の噴水は 1965 年に当時このプロジェクトに関わっていたセビリア市役所職員のホアキン・ロメロ・ムルベ(Joaquin Romero Murube)がどこか他のところからもってきて設置したもの(作者不明の噴水)。 <br />

    アリアンサ広場。アルカサルの壁沿いにありサンタクルーズ地区の入り口になる。
    この広場は20世紀の再開発プロジェクトでリモデリングされた広場で、中心にある18世紀 の八角形の噴水は 1965 年に当時このプロジェクトに関わっていたセビリア市役所職員のホアキン・ロメロ・ムルベ(Joaquin Romero Murube)がどこか他のところからもってきて設置したもの(作者不明の噴水)。

  • 壁にかかる’慈悲のキリスト’のタイル画。

    壁にかかる’慈悲のキリスト’のタイル画。

  • そしてアルカサル前。ライオンの門。ちょっと変わったライオンの絵が掲げてある。ある人曰く、ここはアルハンブラ宮殿の姉妹版とのこと。それならばここはスキップして数日後に行く予定のグラナダでアルハンブラ宮殿をしっかり見ることにした方がよさそうだ。

    そしてアルカサル前。ライオンの門。ちょっと変わったライオンの絵が掲げてある。ある人曰く、ここはアルハンブラ宮殿の姉妹版とのこと。それならばここはスキップして数日後に行く予定のグラナダでアルハンブラ宮殿をしっかり見ることにした方がよさそうだ。

    アルカサル デ セビリア 城・宮殿

  • サンタクルス地区の出口に近い大聖堂よりの道路で発見したセファラドのマーク。イベリア半島を模した形状の中に、ヘブライ語のアルファベットで’Sefarad’と書かれている。セファラドとは古代に彼らがこの土地をそう呼んだからだとか。そしてそこに住むユダヤ人はセファルディム(Sephardim)と呼ばれたそうだ。Sephardi(単)、Sephardim(複))はディアスポラ(離散)のユダヤ人の内、主にスペイン・ポルトガル方面や地中海沿岸地域に定住した人々を指すようだ。<br />(注)ここでいうユダヤ人とはユダヤ教を奉じる人々を便宜上、分類上、そう呼んでいるだけと考えてください。

    サンタクルス地区の出口に近い大聖堂よりの道路で発見したセファラドのマーク。イベリア半島を模した形状の中に、ヘブライ語のアルファベットで’Sefarad’と書かれている。セファラドとは古代に彼らがこの土地をそう呼んだからだとか。そしてそこに住むユダヤ人はセファルディム(Sephardim)と呼ばれたそうだ。Sephardi(単)、Sephardim(複))はディアスポラ(離散)のユダヤ人の内、主にスペイン・ポルトガル方面や地中海沿岸地域に定住した人々を指すようだ。
    (注)ここでいうユダヤ人とはユダヤ教を奉じる人々を便宜上、分類上、そう呼んでいるだけと考えてください。

  • さて、「オペラの街、セビリアciudad de la ópera=city of opera」プロジェクトについて調べたこと。<br />このプロジェクトはセビリア観光連盟がICAS(セビリア文化芸術研究所)と協力して展開しているもので、セビリアに関連する歴史文化遺産の価値を回復し、観光商品の価値を高めることが目的とある。因みにセビリアは 2006 年にユネスコによって世界初の「音楽創造都市」(&#39;Creative City of Music&#39; by UNESCO )に認定されている。 フラメンコ発祥の地のひとつであること、数人の作曲家を世に送り出したこと、そして数々のオペラや戯曲の舞台を提供していること等が評価、認定の理由と言われる。ユネスコ創造都市は現在世界中で295都市があり7分野(文学、映画、音楽、クラフト&フォークアート、デザイン、メディアアート、食文化)のいずれかに分類されている。<br />また2022年現在、日本国内では6分野10自治体がユネスコ創造都市として認定されている。(詳細は文科省のウェブサイトにて。https://www.mext.go.jp/unesco/006/1357231.htm)<br />https://www.mext.go.jp/content/20220912-mxt_koktou01-100014744_3.pdf<br /><br />UNESCO Digital Library<br />https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000183838?posInSet=2&amp;queryId=0b06c0e <br /><br />

    さて、「オペラの街、セビリアciudad de la ópera=city of opera」プロジェクトについて調べたこと。
    このプロジェクトはセビリア観光連盟がICAS(セビリア文化芸術研究所)と協力して展開しているもので、セビリアに関連する歴史文化遺産の価値を回復し、観光商品の価値を高めることが目的とある。因みにセビリアは 2006 年にユネスコによって世界初の「音楽創造都市」('Creative City of Music' by UNESCO )に認定されている。 フラメンコ発祥の地のひとつであること、数人の作曲家を世に送り出したこと、そして数々のオペラや戯曲の舞台を提供していること等が評価、認定の理由と言われる。ユネスコ創造都市は現在世界中で295都市があり7分野(文学、映画、音楽、クラフト&フォークアート、デザイン、メディアアート、食文化)のいずれかに分類されている。
    また2022年現在、日本国内では6分野10自治体がユネスコ創造都市として認定されている。(詳細は文科省のウェブサイトにて。https://www.mext.go.jp/unesco/006/1357231.htm
    https://www.mext.go.jp/content/20220912-mxt_koktou01-100014744_3.pdf

    UNESCO Digital Library
    https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000183838?posInSet=2&queryId=0b06c0e

  • サンタクルス地区から大聖堂の免罪の門の近くに戻ると空車のタクシーが何台かあったので、そのうちの一台でスペイン広場(Plaza de España)へ。チップも含めて10ユーロ以下だったと記憶している。<br />マリア ルイサ公園(Parque de María Luisa)内に位置するこの広場は、1929年のイベロ アメリカン エキスポのスペースとしてセビリアの建築家アニバル・ゴンザレス(Aníbal González)によりデザインされたもの。総面積は50,000㎡。

    サンタクルス地区から大聖堂の免罪の門の近くに戻ると空車のタクシーが何台かあったので、そのうちの一台でスペイン広場(Plaza de España)へ。チップも含めて10ユーロ以下だったと記憶している。
    マリア ルイサ公園(Parque de María Luisa)内に位置するこの広場は、1929年のイベロ アメリカン エキスポのスペースとしてセビリアの建築家アニバル・ゴンザレス(Aníbal González)によりデザインされたもの。総面積は50,000㎡。

    プラザエスパーニャ 広場・公園

  • お~~~!!すごく広い。入り組んだ狭い道のサンタクルス地区を徘徊したあとでは余計にそう感じる。青空と赤レンガのコントラストが目に鮮やか!ルネッサンスリバイバルとムーア様式(ムデハル様式)をミックスさせたデザインでアンダルシアの風土によくマッチしている。

    お~~~!!すごく広い。入り組んだ狭い道のサンタクルス地区を徘徊したあとでは余計にそう感じる。青空と赤レンガのコントラストが目に鮮やか!ルネッサンスリバイバルとムーア様式(ムデハル様式)をミックスさせたデザインでアンダルシアの風土によくマッチしている。

  • スペインの国旗は青空によく映える。

    スペインの国旗は青空によく映える。

  • こういう風景や建物は地球離れしていて超現実的な空間にいるような錯覚を与える。だから2002年の’スター・ウォーズ’のフィルム で、惑星ナブーのシード宮殿とやらに使われたのだろう。(画像を見るとCGで沢山合成してあった。)なるほど~~~。<br />

    こういう風景や建物は地球離れしていて超現実的な空間にいるような錯覚を与える。だから2002年の’スター・ウォーズ’のフィルム で、惑星ナブーのシード宮殿とやらに使われたのだろう。(画像を見るとCGで沢山合成してあった。)なるほど~~~。

  • 重厚感あふれる惑星ナブーのシード宮殿(?)。

    重厚感あふれる惑星ナブーのシード宮殿(?)。

  • 美しいアーチ。

    美しいアーチ。

  • ムデハル様式の橋。手すりと欄干はセビリア焼きの陶器でできている。

    ムデハル様式の橋。手すりと欄干はセビリア焼きの陶器でできている。

  •  ムデハル様式の橋。手すりと欄干はセビリア焼きの陶器でできている。

    ムデハル様式の橋。手すりと欄干はセビリア焼きの陶器でできている。

  • 橋のポストと白地にブルー、黄のコントラストを効かせたフィニアル。アンダルシアの強い日差しの中で輝いている!

    橋のポストと白地にブルー、黄のコントラストを効かせたフィニアル。アンダルシアの強い日差しの中で輝いている!

  • 水はあまりきれいそうに見えないからここでは泳がない方がいいと思う。魚もいないようだ。

    水はあまりきれいそうに見えないからここでは泳がない方がいいと思う。魚もいないようだ。

  • セビリアのベニスと呼ぶ人もいるらしい。^ー^

    セビリアのベニスと呼ぶ人もいるらしい。^ー^

  • 各県、または州の紋章が広場に埋め込まれている。踏まないように気をつけて。。。<br />

    各県、または州の紋章が広場に埋め込まれている。踏まないように気をつけて。。。

  • あまり長時間ここを歩くと日射病になりそう。

    あまり長時間ここを歩くと日射病になりそう。

  • R2-D2が向こうから歩いてくる......かな?あの中には身長112cmのオジさんが入っていて動かしているんだって。こうしたアストロメク・ドロイドの着想だけでなく、関連するキャラクターとかテクノロジーを考える人々と言うのは大人になっても少年少女の心をいっぱい持ってる人達なのだろうと思う。

    R2-D2が向こうから歩いてくる......かな?あの中には身長112cmのオジさんが入っていて動かしているんだって。こうしたアストロメク・ドロイドの着想だけでなく、関連するキャラクターとかテクノロジーを考える人々と言うのは大人になっても少年少女の心をいっぱい持ってる人達なのだろうと思う。

  • 2階へ上がる階段。

    2階へ上がる階段。

  • 上階からの眺め。

    上階からの眺め。

  • セビリア焼きのタイル。ポルトガルのアズレージョより色彩が鮮やか。

    セビリア焼きのタイル。ポルトガルのアズレージョより色彩が鮮やか。

  • このスペイン広場で目を引くのは何といっても回廊の外側を飾るカラフルな装飾タイルだと思う。48のキュービクルは46の県と2つの自治州(カナリア諸島とバレアレス諸島 (Balearic Islands)の歴史的出来事を表している。この装飾タイル(セビリア焼き)は元々11世紀頃イスラム世界で誕生した技法ではっきりした輪郭縁、鮮やかな釉薬を用いた鮮明な色彩が特徴である。<br />

    このスペイン広場で目を引くのは何といっても回廊の外側を飾るカラフルな装飾タイルだと思う。48のキュービクルは46の県と2つの自治州(カナリア諸島とバレアレス諸島 (Balearic Islands)の歴史的出来事を表している。この装飾タイル(セビリア焼き)は元々11世紀頃イスラム世界で誕生した技法ではっきりした輪郭縁、鮮やかな釉薬を用いた鮮明な色彩が特徴である。

  • 半円形の広場をぐるりと囲むように並ぶ絵タイルのキュービクル。アルファベット順にスペイン各県の名前と紋章が配置されている。その下にその件に由来する歴史的出来事を描いた鮮やかな絵タイルのパネルとベンチ。これはセゴビア県のキュービクルで’セゴビア協定’の場面を描いている。

    半円形の広場をぐるりと囲むように並ぶ絵タイルのキュービクル。アルファベット順にスペイン各県の名前と紋章が配置されている。その下にその件に由来する歴史的出来事を描いた鮮やかな絵タイルのパネルとベンチ。これはセゴビア県のキュービクルで’セゴビア協定’の場面を描いている。

  • カタルーニャ州タラゴナ県:<br />征服王ジェームス1世(スペイン語ではハイメ1世 Jaime I /カタルーニャ語では ジャウマ1世Jaume I)が有名なタラゴナの晩餐にて騎士たちとマヨルカ征服(+役割と費用の分担)を計画している場面を描いている。<br />

    カタルーニャ州タラゴナ県:
    征服王ジェームス1世(スペイン語ではハイメ1世 Jaime I /カタルーニャ語では ジャウマ1世Jaume I)が有名なタラゴナの晩餐にて騎士たちとマヨルカ征服(+役割と費用の分担)を計画している場面を描いている。

  • カスティーリャ=ラ・マンチャ州トレド県:<br />レオン王国およびカスティーリャ王国の王アルフォンソ6世(勇敢王)の1085年のトレド征服場面を描いている。<br />*余談:スペイン語で「エル・ブラボー=ザ・ブレイブ」の綽名で呼ばれるこの王様は結構カラフルな人生を全うしたようである。5回も結婚したり、近親相姦もあったり、英雄エルシッドを追放したり。。スペインでは’勇敢’の定義が異なるのかもしれない。<br />

    カスティーリャ=ラ・マンチャ州トレド県:
    レオン王国およびカスティーリャ王国の王アルフォンソ6世(勇敢王)の1085年のトレド征服場面を描いている。
    *余談:スペイン語で「エル・ブラボー=ザ・ブレイブ」の綽名で呼ばれるこの王様は結構カラフルな人生を全うしたようである。5回も結婚したり、近親相姦もあったり、英雄エルシッドを追放したり。。スペインでは’勇敢’の定義が異なるのかもしれない。

  • バレンシア州バレンシア県。<br />征服王とも呼ばれるアラゴン王ジェームスI世(スペイン語ではハイメ1世 Jaime I /カタルーニャ語では ジャウマ1世Jaume I)がバレンシア王国(当時この地方にあったムーア人の小王国でバランシアとも呼ばれた。)を征服後、入場する場面、つまりこの地方におけるレコンキスタの場面を描いている。時は1238年。<br />

    バレンシア州バレンシア県。
    征服王とも呼ばれるアラゴン王ジェームスI世(スペイン語ではハイメ1世 Jaime I /カタルーニャ語では ジャウマ1世Jaume I)がバレンシア王国(当時この地方にあったムーア人の小王国でバランシアとも呼ばれた。)を征服後、入場する場面、つまりこの地方におけるレコンキスタの場面を描いている。時は1238年。

  • カスティーリャ・イ・レオン州、サモラ県。フェルナンド5世(イザベル1世の夫)が1476年、トーロの戦いでカスティーリャの王位継承問題に介入してきたポルトガル王アフォンソ5世に勝利する場面が描かれている。<br />*どうしてよそんちのことというか隣国の内政干渉するのかな?

    カスティーリャ・イ・レオン州、サモラ県。フェルナンド5世(イザベル1世の夫)が1476年、トーロの戦いでカスティーリャの王位継承問題に介入してきたポルトガル王アフォンソ5世に勝利する場面が描かれている。
    *どうしてよそんちのことというか隣国の内政干渉するのかな?

  • 建物の一部はアンダルシア州政府のオフィスとして使用されていて、これはイミグレーション(移民局)のオフィス。

    建物の一部はアンダルシア州政府のオフィスとして使用されていて、これはイミグレーション(移民局)のオフィス。

  • さて次はセビリアの新ランドマーク、Setas de Sevilla(セビージャのキノコ) の愛称で知られるメトロポールパラソル(Metropol Parasol)にタクシーでやってきた。ここはエンカルナシオン広場(Plaza de la Encarnación)。<br />そういえば珍品でなかなか市場に出回らないモレル(Morel Mushroom)にも似ている。1度マッシュルームハンターの友人からもらって食したことがあるが、あまりパッとしない味だったような。。。

    さて次はセビリアの新ランドマーク、Setas de Sevilla(セビージャのキノコ) の愛称で知られるメトロポールパラソル(Metropol Parasol)にタクシーでやってきた。ここはエンカルナシオン広場(Plaza de la Encarnación)。
    そういえば珍品でなかなか市場に出回らないモレル(Morel Mushroom)にも似ている。1度マッシュルームハンターの友人からもらって食したことがあるが、あまりパッとしない味だったような。。。

  • ドイツ人建築家ユルゲン・マイヤーハーマン(Jürgen Mayer-Harman)が設計したモニュメント...というより建築物。2005年に取り掛かった工事は構造と技術上の問題で大幅に遅れ2011年いにやっと完成。総工費は当初の予算のほぼ倍(100億円)かかったと言われる。

    ドイツ人建築家ユルゲン・マイヤーハーマン(Jürgen Mayer-Harman)が設計したモニュメント...というより建築物。2005年に取り掛かった工事は構造と技術上の問題で大幅に遅れ2011年いにやっと完成。総工費は当初の予算のほぼ倍(100億円)かかったと言われる。

    メトロポール パラソル 現代・近代建築

  • もともとは駐車場にする予定だったらしいのだが、ローマ時代の遺跡が発見されたので予定変更。地下を考古学博物館に、地上階はショッピングセンターや多目的の広場としたらしい。

    もともとは駐車場にする予定だったらしいのだが、ローマ時代の遺跡が発見されたので予定変更。地下を考古学博物館に、地上階はショッピングセンターや多目的の広場としたらしい。

  • 世界最大の木造建築物といわれ、直線部分がいっさいなく、全ての面が湾曲しているのが特徴だという。非常に大きなパラソル(キノコ?)なのだが圧迫感が全くないのはこの作品に風が吹き抜けるような沢山の空間があるからだろう。<br /><br />

    世界最大の木造建築物といわれ、直線部分がいっさいなく、全ての面が湾曲しているのが特徴だという。非常に大きなパラソル(キノコ?)なのだが圧迫感が全くないのはこの作品に風が吹き抜けるような沢山の空間があるからだろう。

  • 調べるとドイツに本社をおくフィンランドの会社が材料の供給元でKerto LVLというブランド名(?)の構造用単板積層材(ラミネーしたベニヤ材という理解でいいのかも?)を使っているようだ。原木はフィンランドで伐採されたスプルースなどの針葉樹で、プロセスした薄いパネルを何層か重ねて糊づけし、防水加工してある一種のプライウッド。引張強さに優れグリッド構造などに適した材料と書かれている。なるほど!<br />さらなる情報は:<br />http://lvl.ne.jp/about/pdf/Kerto_Brochure_Japanese_2013_June.pdf

    調べるとドイツに本社をおくフィンランドの会社が材料の供給元でKerto LVLというブランド名(?)の構造用単板積層材(ラミネーしたベニヤ材という理解でいいのかも?)を使っているようだ。原木はフィンランドで伐採されたスプルースなどの針葉樹で、プロセスした薄いパネルを何層か重ねて糊づけし、防水加工してある一種のプライウッド。引張強さに優れグリッド構造などに適した材料と書かれている。なるほど!
    さらなる情報は:
    http://lvl.ne.jp/about/pdf/Kerto_Brochure_Japanese_2013_June.pdf

  • 各パーツの固定方法に興味があったのでできるだけ拡大してみた。ある日本の設計事務所が現地視察後のレポートで強力な接着剤を使ったと書いてあったがそれだけではうねるような曲線の表現とか各パーツ間の固定は難しいはずだ。これを見るとワイヤ―とクリップ状のものを&#39;留め’に使い、そのワイヤーも斜めにクロスするように張ってあった。交差したパネルのつなぎ目に遊びがあるのは気温、天候による材料の膨張、伸縮に対応するためだろう。<br />

    各パーツの固定方法に興味があったのでできるだけ拡大してみた。ある日本の設計事務所が現地視察後のレポートで強力な接着剤を使ったと書いてあったがそれだけではうねるような曲線の表現とか各パーツ間の固定は難しいはずだ。これを見るとワイヤ―とクリップ状のものを'留め’に使い、そのワイヤーも斜めにクロスするように張ってあった。交差したパネルのつなぎ目に遊びがあるのは気温、天候による材料の膨張、伸縮に対応するためだろう。

  • ホテルに帰る前にお昼がまだだったのでキノコ広場のちかくにあったママカルメンという小さなレストランに入る。かぼちゃのスープとオレンジジュース。<br />サーバーのオニイさんもオーナーっぽい女性もテキパキとしていい感じのお店。

    ホテルに帰る前にお昼がまだだったのでキノコ広場のちかくにあったママカルメンという小さなレストランに入る。かぼちゃのスープとオレンジジュース。
    サーバーのオニイさんもオーナーっぽい女性もテキパキとしていい感じのお店。

  • これはフライドシュリンプ。このソースがユニークでイカ墨かと思ったらダークチョコレートだった。意外とマッチしてるんですね、これが。帰りも時間が気になるのでタクシーでホテルに戻る。今日はもう1箇所行かないといけないところがあるのだもの。

    これはフライドシュリンプ。このソースがユニークでイカ墨かと思ったらダークチョコレートだった。意外とマッチしてるんですね、これが。帰りも時間が気になるのでタクシーでホテルに戻る。今日はもう1箇所行かないといけないところがあるのだもの。

  • ホテルに帰ってフロントのスタッフにアラミージョ橋(Puente del Alamillo)への行き方を訊く。簡単にバスでいけそうだ。自分でも念のため、ググってみる。フムフム...。03または06番のバスで’ピノモンタノ(Pino Montano)’からコンセハル・アルベルト・ヒメネス=ベセリル通り(Av. Concejal Alberto Jiménez-Becerril)を北に。4つ目のバスストップ(Gta. Olimpica)だよ, とグーグル先生の指示。<br />(注)06番は03よりもストップ数が多くて各駅停車のようだ。

    ホテルに帰ってフロントのスタッフにアラミージョ橋(Puente del Alamillo)への行き方を訊く。簡単にバスでいけそうだ。自分でも念のため、ググってみる。フムフム...。03または06番のバスで’ピノモンタノ(Pino Montano)’からコンセハル・アルベルト・ヒメネス=ベセリル通り(Av. Concejal Alberto Jiménez-Becerril)を北に。4つ目のバスストップ(Gta. Olimpica)だよ, とグーグル先生の指示。
    (注)06番は03よりもストップ数が多くて各駅停車のようだ。

  • プラザデアルマスのバスターミナルの通りを挟んだ向かい側にあるピノモンタノ(Pino Montano)のバスストップ。<br />TUSSAMというバス会社が運行していて料金は乗る時にドライバーの近くに設置された料金箱に入れる。1.4ユーロ。<br />

    プラザデアルマスのバスターミナルの通りを挟んだ向かい側にあるピノモンタノ(Pino Montano)のバスストップ。
    TUSSAMというバス会社が運行していて料金は乗る時にドライバーの近くに設置された料金箱に入れる。1.4ユーロ。

  • 4つ目のバスストップだとは心得ているが、アナウンスがないしバスストップのところのストップ名も小さくてわからない。ので、iPhoneの画面を見せながらドライバー氏にアラミージョ橋(Puente del Alamillo)に行きたいので、このバスストップで降ろしてね。と頼んだ。彼はシーシーと気軽に答えてくれたが、傍に座っていたおじさんや英語使いのオニイさんが黙っていない。ワッと会話に参加してきて、そのストップだと後戻りしないといけないからその手前がいいじゃんとか、いや、それでいいんだってば!とかバス中に響き渡る大声でワイワイガヤガヤ。。ほかの乗客のひともニコニコ笑いながらそうだそうだとか、違うってば!とかまぜっかえす。でも何とか親切の押し売りシーンを抜け出してちゃんと目的地のバス停で下車できた。皆いい人たちだな~。いやひょっとして退屈なバスのなかで何かエンターテインメントを探していたのかも。。とか思いながら、川岸に近ずく。<br />

    4つ目のバスストップだとは心得ているが、アナウンスがないしバスストップのところのストップ名も小さくてわからない。ので、iPhoneの画面を見せながらドライバー氏にアラミージョ橋(Puente del Alamillo)に行きたいので、このバスストップで降ろしてね。と頼んだ。彼はシーシーと気軽に答えてくれたが、傍に座っていたおじさんや英語使いのオニイさんが黙っていない。ワッと会話に参加してきて、そのストップだと後戻りしないといけないからその手前がいいじゃんとか、いや、それでいいんだってば!とかバス中に響き渡る大声でワイワイガヤガヤ。。ほかの乗客のひともニコニコ笑いながらそうだそうだとか、違うってば!とかまぜっかえす。でも何とか親切の押し売りシーンを抜け出してちゃんと目的地のバス停で下車できた。皆いい人たちだな~。いやひょっとして退屈なバスのなかで何かエンターテインメントを探していたのかも。。とか思いながら、川岸に近ずく。

  • グアダルキビル川にかかるアラミージョ橋に到着。川原にはプラスティックや使い古しのカードボードでできた粗末なホームレスの人々の家があったり、ゴミや空き瓶などが散乱していてあまりいい雰囲気ではない。落書きもいっぱいだ。しかしここを通らないと橋に近づけないので、ちょっと緊張しながらも前進。<br />

    グアダルキビル川にかかるアラミージョ橋に到着。川原にはプラスティックや使い古しのカードボードでできた粗末なホームレスの人々の家があったり、ゴミや空き瓶などが散乱していてあまりいい雰囲気ではない。落書きもいっぱいだ。しかしここを通らないと橋に近づけないので、ちょっと緊張しながらも前進。

  • この美しい橋をデザインしたのはサンティアゴ・カラトラヴァ氏(Santiago Calatrava)。彼はバレンシア生まれの建築家、構造デザイナーで世界各国で作品を展開しているが、とりわけ「橋のデザイン」で高い評価を集める名建築家といわれている。<br />私が初めてカラトラヴァ氏の作品をみたのはミルウォーキー美術館新館だった。そこに付属する大きな白鳥の翼を思わせるBrise soleil(仏語、英語ではsun breakerの意味)を見たときの感動。ウィングと言うニックネームで呼ばていて、デザイン的に美しいだけでなく、素晴らしい機能性を持っているのである。朝夕は翼を閉じているのだが、日差しが高くなると翼を広げて強い太陽光線を遮断し建物の内部の温度上昇を防ぐのである。広大なミシガン湖に向かって翼を開閉する様はシュールであるだけでなく優雅そのもの。<br />最近調べたところ、カラトラヴァ氏の博士論文は『スペースフレームの折りたたみの可能性について』という構造物の可動性に着目したものであった。ウィングの開閉する構造の原点はここなのだと理解した次第である。<br /><br />ミルウォーキー美術館<br />https://en.wikipedia.org/wiki/Milwaukee_Art_Museum<br /><br />そしてまた、この数日後に訪問するバレンシアの芸術科学都市もカラトラヴァ氏がデザインしたものである。

    この美しい橋をデザインしたのはサンティアゴ・カラトラヴァ氏(Santiago Calatrava)。彼はバレンシア生まれの建築家、構造デザイナーで世界各国で作品を展開しているが、とりわけ「橋のデザイン」で高い評価を集める名建築家といわれている。
    私が初めてカラトラヴァ氏の作品をみたのはミルウォーキー美術館新館だった。そこに付属する大きな白鳥の翼を思わせるBrise soleil(仏語、英語ではsun breakerの意味)を見たときの感動。ウィングと言うニックネームで呼ばていて、デザイン的に美しいだけでなく、素晴らしい機能性を持っているのである。朝夕は翼を閉じているのだが、日差しが高くなると翼を広げて強い太陽光線を遮断し建物の内部の温度上昇を防ぐのである。広大なミシガン湖に向かって翼を開閉する様はシュールであるだけでなく優雅そのもの。
    最近調べたところ、カラトラヴァ氏の博士論文は『スペースフレームの折りたたみの可能性について』という構造物の可動性に着目したものであった。ウィングの開閉する構造の原点はここなのだと理解した次第である。

    ミルウォーキー美術館
    https://en.wikipedia.org/wiki/Milwaukee_Art_Museum

    そしてまた、この数日後に訪問するバレンシアの芸術科学都市もカラトラヴァ氏がデザインしたものである。

  • この橋梁はカラトラヴァ氏の建築家としての初期の頃の作品で、彼の名声を著しく高めることになったと言われている。彼はこの橋全体を上から見た時、白鳥が飛翔する様をイメージしてデザインしたとも、また主塔のトップはトロイの木馬の頭から発想を得たとも言われている。<br />なお、この橋のスペックその他は<br />https://www.researchgate.net/figure/Illustrative-scheme-of-the-Alamillo-bridge_fig2_339669932にて。

    この橋梁はカラトラヴァ氏の建築家としての初期の頃の作品で、彼の名声を著しく高めることになったと言われている。彼はこの橋全体を上から見た時、白鳥が飛翔する様をイメージしてデザインしたとも、また主塔のトップはトロイの木馬の頭から発想を得たとも言われている。
    なお、この橋のスペックその他は
    https://www.researchgate.net/figure/Illustrative-scheme-of-the-Alamillo-bridge_fig2_339669932にて。

  • 橋を渡る。夕陽をバックにしたアラミージョ橋。1992年の万博 (Expo 92) のためのインフラ整備の 一環として建設された。遠くから見るとハープを思わせる斜張橋。力学的な知識に裏付けられた造形美といわれている。58度に傾斜したタワーから伸びた2面吊ケーブル13本(計26本)が橋桁を支える。各ケーブルは15mm径の鋼材を60本束ねて強度をだしている。主塔は構造上、最も強度を確保しなければならないのでコンクリートを充填した特殊鋼材で出来ている。<br /><br />https://bridges.myengineeringsystems.co.uk/Pages/NotableBridges/Alamillo.html

    橋を渡る。夕陽をバックにしたアラミージョ橋。1992年の万博 (Expo 92) のためのインフラ整備の 一環として建設された。遠くから見るとハープを思わせる斜張橋。力学的な知識に裏付けられた造形美といわれている。58度に傾斜したタワーから伸びた2面吊ケーブル13本(計26本)が橋桁を支える。各ケーブルは15mm径の鋼材を60本束ねて強度をだしている。主塔は構造上、最も強度を確保しなければならないのでコンクリートを充填した特殊鋼材で出来ている。

    https://bridges.myengineeringsystems.co.uk/Pages/NotableBridges/Alamillo.html

  • 主塔(タワー)の部分。スロープの部分は子供たちの(時々大人も)滑り台に使われているようだがこの時はそうした光景は見られなかった。赤シャツの自転車にのった通行者が使っている部分が人道および自転車道である。その両側に車道が走る。ケーブルは車道側ではなく人道および自転車道の端に固定されている。

    主塔(タワー)の部分。スロープの部分は子供たちの(時々大人も)滑り台に使われているようだがこの時はそうした光景は見られなかった。赤シャツの自転車にのった通行者が使っている部分が人道および自転車道である。その両側に車道が走る。ケーブルは車道側ではなく人道および自転車道の端に固定されている。

  • 人道と車道の区別ー>歩行者と自転車は橋の中央部の一段高いところ、車はその両側を対向するように走る。

    人道と車道の区別ー>歩行者と自転車は橋の中央部の一段高いところ、車はその両側を対向するように走る。

  • バス停に向かって橋を戻ってくるところ。遠くに見えるのはホアン.ホセ.アレナス(Juan José Arenas)の設計になるバルケッタ橋(Puente de la Barqueta)。その横のノッポビルはセビリアタワー。

    バス停に向かって橋を戻ってくるところ。遠くに見えるのはホアン.ホセ.アレナス(Juan José Arenas)の設計になるバルケッタ橋(Puente de la Barqueta)。その横のノッポビルはセビリアタワー。

  • 来た道をプラザデアルマス方面に戻るため、バス停で待つ。 Gta. Olimpicaに貼ってあるバスルート図。

    来た道をプラザデアルマス方面に戻るため、バス停で待つ。 Gta. Olimpicaに貼ってあるバスルート図。

  • これがバス停。バスを待っている人が数人いる(黒い綿パンのひざが少し見えてる人達)。プラザデアルマスに行くんだけど、ここでバス待ってればいい?と訊いたら、若手のオニイサンたちから、うん、ここでいいよ。あと5分位でバスがくるから。と親切な答えが返ってきた。

    これがバス停。バスを待っている人が数人いる(黒い綿パンのひざが少し見えてる人達)。プラザデアルマスに行くんだけど、ここでバス待ってればいい?と訊いたら、若手のオニイサンたちから、うん、ここでいいよ。あと5分位でバスがくるから。と親切な答えが返ってきた。

  • プラザデアルマスのバスターミナルに無事到着。大分日が陰って来た。ホテルはもう目の前だ。<br />明日は午前中、旧王立タバコ工場(現セビーリャ大学)と黄金の塔を見て、午後グラナダへ立つ予定。

    プラザデアルマスのバスターミナルに無事到着。大分日が陰って来た。ホテルはもう目の前だ。
    明日は午前中、旧王立タバコ工場(現セビーリャ大学)と黄金の塔を見て、午後グラナダへ立つ予定。

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