2023/03/27 - 2023/03/28
42位(同エリア994件中)
Noraさん
この旅行記のスケジュール
2023/03/27
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王立たばこ工場
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アルフォンソ13世ホテル
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サンテルモ宮殿
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バスでの移動
ALSAバスにてセビリアのプラザデルアルマスからグラナダのバスステーションまで3時間の旅。
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その他での移動
タクシーにてグラナダバスステーションからアパルトメントス トゥリスティコス アルハンブラまで移動。
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ヌエバ広場近くでグロッサリーショッピング。ロス.ディアマンテスで夕食。
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Casa Anaでフラメンコショー。この後、歩いてアパルトメントス アルハンブラへ帰る。
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この旅行記スケジュールを元に
3/18~4/3にかけてまだ寒いシカゴを抜け出し、大西洋を越えてポルトガル~スペインに行って来ました。スペインの表玄関は何といってもマドリード。ただしUAのアワードマイルを使ってシカゴからマドリード間を単純往復というのも芸がないので、エクスカーショニスト・パークの特典を活用してワンストップ=イスタンブール経由でマドリードに行きます。マドリードからはイベリア航空でリスボン。何故にイスタンブール?12年前にイスタンブールに行った時、どう頑張っても時間がなくて諦めたエフェスの遺跡(割と古いものに惹かれるタチで)それと旅行者を疲労困憊させる新スタンブール空港も見ておいていいかな。。と、割と単純な理由です。
蛇足ですが今度の旅で空路、陸路合わせると14000マイルくらいで、今までで一番の長旅、しかも一人旅と。。。家人はアンダルシアの高原で行き倒れになった時のこと等余計な心配をしてくれるのですが、深く考えずに出発することにしました。
10日目、この旅も終盤に入りました。セビリア2日目の今日は午前中、王立たばこ工場(セビリア大学)と黄金の塔を見て、午後、グラナダに向かいますす。まだ3月末というのにここアンダルシアはもう初夏の気配。シカゴと違って眩しいくらいの太陽、そしてカラッと乾いた風が吹き抜けていきます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ここがセビリア大学(元王立たばこ工場)、タクシードライバーのおじさんは裏口につけてくれた。裏口入学(でもないか。。)
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ここにもアンダルシアのイメージ作りに多大に貢献しているオレンジがちゃんとあって。。
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一旦、まっすぐに進んで正門の方に向かう。こちらが正門。サンフェルナンド通り、トラムが走る道路に面した方。外装は新古典主義、バロックなどの折衷様式のようだ。
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アーチ中央に王立たばこ工場(FABRICA REAL DE TABACOS)のマーク。1728年に着工され、42年の歳月を費やし、1770年に完成したのがこの「王立たばこ工場」。すべての作業工程が1つの建物の中でまかなえる、今でいう一貫生産方式が可能なように設計・施工されていたという。また工場には作業場だけでなく、礼拝堂や牢屋までもが備えられ、防護のために堀や防壁が巡らされていた。約200年間の稼働のあと、工場は新しい工場に移転し、セビリア大学の所有するところとなった。王室がたばこ製造?最初は怪訝に思ったのだが、実はたばこ製造、販売はスペイン国家にとっては非常に儲かる事業だったようである。 自国の植民地でタダ同然で栽培させたタバコの葉を海路セビリアに運び、この工場で一括生産し競争相手がいないヨーロッパ市場に売りさばく。(尤も19世紀にイギリスで産業革命が起こりタバコ生産が機械化されて、安い価格のタバコが市場に出回るとここで製造されるスペイン製のタバコは競争力を失っていくのだが)記録によれば1730 年にはタバコ売り上げはスペイン王立財務省の総収入の 19% 近くを占め、1775 年にはこれが 28% に上昇したという。
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左の門柱のフィニアルはブルーと白のセビリア焼きのポット。そして右にサンタクルス地区にもあったセビリアシティーオブオペラの銘板。ここには’オペラカルメン、ビゼー作曲’と簡単に書いてある。
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左を振り返ると延々と続くファサード。元たばこ工場棟。カルメンのようなシガーやシガレットを巻く職人が多い時で4000人ほど働いていたという。ずっと奥に見えるオレンジと黄色に塗られた建物がこのたばこ工場付属の留置場、牢屋(現在は歴史学部の本部として使われている)。商品をくすねたり、それを闇市で売ったりする不届き者、暴力沙汰を起こす輩などをここに収容したらしい。あとで知ったのだがこの牢屋をじっくりと見学する’Jail Tour’というのもあるようだ。(余談だがシカゴにもアル.カポンとかジョン.デリンジャンーなどのゆかりの犯罪スポットを巡るcrime tourというのがあってけっこう人気がある。)
たばこは南米が原産と言われているが、ネイティブアメリカン(コロンブスは亡くなるまで自分の到達地をインドだと思っていたので間違ってインディオと呼んだが)の秘薬として歴史にその名を表したのが始まりである。宗教的行事、幻覚剤、食事療法にまで使われていたと言う。煙草の害悪が取り沙汰される現代からは想像もつかないことだけれど。。。 -
改めて正門から中庭に入る。左の白いTシャツとジーンズのオネエさんが中庭(いくつか分かれた場所にある)への行き方、めぼしいスポットを教えてくれた人。この大学の学生さんだと思うがとても親切だった。
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ここをずんずん進むと時計の中庭、噴水の中庭と続く。
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中心になる中庭は大学長の中庭(Patio del Rectorado)で3つの付属中庭がある。ここは最初の中庭、パティオ・デル・リロイ (Patio del Reloj =時計の中庭)。カリヨン時計(次の画像)のある鐘楼が上階のトップにあり美しいアーケードに囲まれた中庭。もとは王立たばこ工場の厩舎として使われていた。初代セビリア大学学長のメーセ・ロドリゴ・デ・サンタエラ先生の像が立っている。因みに新大陸から入荷したたばこの葉を細かく粉砕する粉砕機(臼状のグラインダー)は116機あり、それらの動力源として400頭のロバを収容する厩舎があった。それがこの中庭であった。
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これがカリヨン時計。
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2番目がこの噴水の中庭(Patio de la Fuente)。ここはかつてタバコの完成品の重量を図り、積み込みをした場所(つまり最終工程である出荷ポイント)といわれている。 各建物から出てくる完成品にアクセスできるよう 4 つのメインドアが集まる場所である。
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第3の中庭。現在アートラボとして使用されている。20世紀半ばの減築プロジェクトによって出来た中庭らしい。
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アレッ!ミロのヴィーナスがここにも。
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というのはここは石膏ライブラリーになってるんですねエ。
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パルテノン神殿東破風彫刻の一部(例の大英博物館に持ち去られた部分)のレプリカ。
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ギリシャ、メソポタミア彫刻のレプリカが勢ぞろい!
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2階に登る階段はルネッサンス様式というのであろうか?シンプルなジオメトリックパターン。中間色でまとめていて洗練された雰囲気。
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シンプルなアーチにペンダントランプがマッチして美しい。
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2階への階段。
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長方形のアトリウム。中庭を囲むようにバルコニーが作られている。
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スカイライトの部分。
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かつての歩哨詰め所。
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ドナマリアデパデイーリャ通り(C. Doña María de Padilla)にある王室マークはコンキスタドールの紋章(ピサロやコルテスが南米で使っていた)が使われている。
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Garita de vigilancia(番所、歩哨塔)と堀
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ドナマリアデパデイーリャ通り(C. Doña María de Padilla)を挟んで向かい側にあるのは超高級ホテル、’アルフォンソ13世ホテル’。
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1929年のイベローアメリカ博に合わせてオープンしたハイエンドなホテルで、現在はセビリア市が所有しマネージメントはマリオットインターナショナルのラグジュアリーコレクションがやってるようで。。
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ホテルの前庭にあるガゼボ。ベンチはセビリヤ焼き。
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ドナ.マリア.デ.パデイーリャ通り(C. Doña María de Padilla)からラビダ通り(Calle de la Rabida)に出る。するとこういう赤い塀がパセオ・デ・ラス・デリシアス通り(Paseo de las Delicias)まで続く。あとで地図をよく見るとここはサンテルモ宮殿(Palacio de San Telmo)の敷地で周囲をこのような赤い塀で囲んでいるのだった。フィニアルは縞々の蓋つきポット、王立たばこ工場のも同じデザインだった。うちの庭にもこういうものがあると楽しそうだ。
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そして赤い壁が終わろうかというところににブーゲンビリヤがこぼれるように咲いていて思わずシャッターを切った。壁の終わりに見えるのはサンテルモ宮殿の正面の端っこ。
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サンテルモ宮殿(Palacio de San Telmo)正面。グァダルキビル川の方に向かって撮ったイメージ。1700年代のスパニッシュバロック様式の宮殿。
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サンテルモ宮殿正面。1682 年に建設着工し、紆余曲折のあと、1734 年にようやく完成。当初、建物は海事学校および船員の子供のための孤児院として使用されたという。 そのため、船員の守護聖人である「聖エルモ(San Telmo, 英語ではSt. Elmo)」にちなんで命名されたらしい。現在はアンダルシア州政府の建物として使われている。
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10分ほど歩くと黄金の塔(Torre de Oro)に到着。入場料は3ユーロ。
1220~1221に建造されたイスラム時代の見張りの塔である。当初は金色の陶器パネルで覆われていたことが名前の由来であるという。現在、中は海軍博物館になっており、模型や航海図、その他セビリアの航海の歴史が展示されている。黄金の塔 モニュメント・記念碑
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腰壁がセビリヤ焼きでカバーされた螺旋階段を上っていく。
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展望台から見えるセビリアタワー(Torro Sevilla)。手前に見えるのはイザベルII橋(Puente de Isabel II)
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これも最上階のテラス、ギザギザの間から。
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展望台から塔のトップを見上げる。
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通りを挟んだ向かいのビル、メトロの駅やレストランがはいった複合ビルのようだ。。。
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黄金の塔が辿って来た歴史、変遷を物語る壁の展示物が時系列的に並べられている。
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船首像(Figurehead)。
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グラナダ行のバスは13:00発なので12:30頃にプラザ.デル.アルマスのターミナルに行けばいいとして。今,11:41分。さっき黄金の塔の展望台から見たこのあたりでタクシーを拾えばホテルに10分くらいで着くだろう。と思って横断歩道の横に立っていたら空車のタクシーが止まってくれた。ラッキー!。ホテルについたらフロントに預けてある自分の荷物をピックアップして目の前のバスターミナルに向かう。階段のみではなく、旅行者に優しいスロープがあるのでキャスター付きのスーツケースを運ぶにはラクチンだ。
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プラザデルアルマスのバスターミナルのカフェテリアで軽く昼食。手前のアイスクリームのふりをしている丸い塊はポテトサラダ。カプチーノもそうだが、こういう宇宙的というか通常の美的感覚からはるかに隔たったアレンジ、そうめったやたらとお目にかかるものではないように思う。
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前もってプリントアウトしておいたオンライン購入のALSAバスのチケット。。。グラナダまで3時間。。。
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12:41分、グラナダ行のバスが26番レーンに入ってきた。
このレーン#がなかなか見つからず、途中レーンが工事中のところもあったりして見通しが悪くまごついていたら、2階のコントロール室から大きく手を振ってこっちにおいでと手招きしているオネエさんがいるではないか! 階段をトコトコ上っていくと、’グラナダ行のバスレーン#でしょ? 多分26番か27番だと思うからここをまっすぐ行ってその端っこあたりで待ってればいいのよ’と教えてくれるのだ。ありがとう!助かりました。 -
ということで華麗なるセビリアを後にし、いよいよ未知のグラナダへと向かう。バスドライバー氏がスーパーマーケットのレシート風の乗客名簿(?)と乗客のチケットを照合。今日はダブルブッキングはないようだ。
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途中の経過。バスは東に向かっている。進行方向に向かって左側の席に着席している私。西に沈もうとしている午後の太陽はギラギラと反射し視界を遮る。
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このバスが走っているハイウエイは山や荒野だったところにつくられているので、この画像のような単調な光景がどこまでも続く。乾いた大地に灌木が少しばかり、開墾地にオリーブが植林されているところはあるけれど、全体的に殺伐とした荒野の様を呈している。アンダルシアの高原にあるグラナダに向かっているのだが。。。因みにセビリアは海抜23ft(7m), かたやグラナダは2421ft(738m)。約2400ftの高度差を3時間かけて突っ切っていく。
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アンティケーラ(Antiquera)周辺通過中。
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2時間半くらい走っても乾いた大地は延々と続く。ところが。。。である。グラナダに近ずくにつれて様相が少し違ってくる。緑が多くなるのである。グラナダ一帯にはベガ(vega=plain)と呼ばれる沃野が広がっている。これは自然にこうなったのではなく人為的に荒地を改良し灌漑システムを導入した結果生まれた耕作地ではないだろうか?900年も前、11世紀にこの地を納めたジリドまたはズーリィー王朝(北アフリカからやって来たイスラム系統治者)によってもたらされた大規模な灌漑システム(シエラネバダの豊富な雪解け水を利用)が現代にも存続継承されているのではないかと思う。この点はもう少し調べてみたい。
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ベガと呼ばれる沃野が広がるグラナダ近郊。
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間もなくグラナダのバスターミナルだ。雪のキャプをかぶったシエラネバダが見える。
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シエラネバダに敬意を表して少し拡大。
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グラナダのバスターミナル(Estación de Autobuses de Granada)にオンタイムに到着。
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下車したこの人たちは次の乗り換えバスを待って居るのだろうか?
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出発、到着の案内版。
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ちょっと急なエスカレーター。
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2階ロビーから1階のターミナルを見下ろしたところ。
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ホテルにピックアップを依頼したタクシードライバー氏は15分遅れで到着。もうすぐ宿舎のアパルトメントス.トゥリスティコス.アルハンブラ(Apartamentos Turísticos Alhambra)だというところで道を間違えてくれた。ラッキー!!信号待ちの間にワンショット!
アパルトメントス トゥリスティコス アルハンブラ ホテル
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アパルトメントス.トゥリスティコス.アルハンブラに到着。このアルバイシン(Albaicin)地区一帯は海抜700~800mの小高い丘の上に築かれた街で、グラナダでも最古となる旧市街。もともと El Albayzín と呼ばれ、11世紀にイスラム教徒の居住区としてスタートしたところ。のちに商工業を担ったユダヤ人やモリスコの居住区としても発展した。
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これはアパートメントの屋上からアルハンブラをローアングルで撮った画像である。
1984年に グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン( Alhambra, Generalife and Albayzín, Granada) として全体がユネスコ世界遺産に登録されていて街の景観は条例で保護されている。(しかし落書きも随所にあったり、痛んだ壁などもあちこちにあってメンテや修復が十分ではないように見えたのだが。。) -
このアパートメントとサンニコラス展望台は目と鼻の先だ。観光客らしき人々が登っていくこの前の階段を上に登っていけばいいだろう。しばしの登山気分。しばらくすると急に視界が開けてこのようなパノラミックビューが目の前に。。
サン ニコラス展望台 自然・景勝地
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サン・ニコラス教会(Iglesia de San Nicolas)その前には展望台( Plaza Mirador de San Nicolas)が広がる。
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サンニコラス広場のアルヒーベ(Aljibe、ムーア時代の地下水槽). 11世紀ジリドまたはズーリィ王朝の時代につくられたものでアルバイシン地区にはこうしたアルヒーベが28か所あるという。現役で使われているアルヒーベもあるらしいのだが多くは遺構として残されているようだ。このアルヒーベと同時に高度な水道網や水路のインフラがこの時代に完備されたという。それを巡る専用のツアーもあるようだ。ここのアルヒーベには水飲み場がついている。
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サン.ニコラス広場から少し下がったところ、宿舎のアパートのすぐ近くにあるアルヒーベ.デル .トリロ(The Aljibe del Trillo)。アルヒーベのサイズとしては中間のキャパシティで50m3の保水力をもつ。このアルヒーベは比較的新しく14世紀、ナスル王朝の黄金期に建造されている。
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宿舎であるアパートメントの向かいに建つ教会はサン・ファン・デ・ロス・レイエス教会(Iglesia de San Juan de los Reyes)。前方にアルハンブラが見える。
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このアパートメントの内部の壁は11世紀のジリドまたはズーリィ王朝時代の城壁の遺構。
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キッチン。
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キッチンとテーブル。
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ベッドルーム。
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バスルーム。
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バスルームのシンク。
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廊下とベランダ。
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街に出てグロッサリストアを探さなくては。それと今夜のフラメンコショーの予約も。。サン・ファン・デ・ロス・レイエス通り(Calle San Juan de los Reyes)をヌエバ広場に向かう途中に出てくるバニュエロ(C. Banuelo)通り。突き当りに見えるのはエル・バニュエロ(El.Banuelo)という名のテテリア(teteria)。
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エル・バニュエロ(El.Banuelo)を拡大。テテリア(teteria)とはアラブ風喫茶店。変わった名前なのは、このお店がエル・バニュエロ(El.Banuelo)というアラブ浴場(遺跡)のある通りに立地しているから。
「エル・バニュエロ(El.Banuelo)」は11~12世紀頃ジリドまたはズーリィー王朝下で作られた公衆浴場(ハマム)である。この遺構の情報は、https://www.alhambra-patronato.es/en/discover/andalusian-monuments/el-banuelo -
アパートメントアルハンブラが面しているサン.ホアン.デ.ロス.レイス通り(C. San Juan de los Reyes)はアルバイシン地区でも最も古い通りである。ローマ時代につくられた道路で迷路のように入り組んだアルバイシンには珍しくストレートな通りでダロ川にほぼ平行に走っている。またアルバイシン地区には11世紀につくられた水路の地下ネットワークが走っていて、それによって周辺の民家に水を供給できるのだという。
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街中の車止めはグラナダのシンボルであるザクロを模っている。
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ヌエバ広場の近くのグロッサリーストアでフルーツ、ジュース、パン、生ハム、チーズ、缶入りカプチーノなど購入。中国系の経営者だった。
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アルハンブラ宮殿やアルバイシンを回る観光用ミニバスのバス停。
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観光用ミニバス、確かトヨタ車だったと思う。
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ネットでチェックして評価の高かったヌエバ広場のタパスのお店(?)ロス.ディアマンテス。
ウエイトレスのオネエさんが美人で愛想がよくて、’アルコールがだめなのでタパスをいくつかとジュースでもいい?と聞くと、’大丈夫、もちろんOKですよ’。ということで、シュリンプ、イカ、そしてアーティチョークのフリットをオーダーする。大学の学食みたいに一列横隊にテーブルが並べてあるのが面白い。道行く人を眺めながら食事できる。ロス ディアマンテス シーフード
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お店のメニュー、本日のおすすめボード、そして私のオーダーしたフリットたちのコラージュ。思ったよりタパス一皿の量が多くて、残りは持ち帰り用のお皿をもらって持ち帰り。
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カーセル.アルタ通り(C. Carcel Alta)にあるタブラオフラメンコのお店、Casa Anaに立ち寄る。緑のゴミ箱に立てかけてある看板がこのお店の目印。
トリップアドバイザーやグーグルレビューで4.9/5と言う評価が出ていた。それとここは洞窟ではなくシアター仕様になっている。なので観客席と舞台との距離が近すぎてダンサーの汗の飛沫が顔にかかるとか、踏み鳴らす床板やカーペットから舞い上がる埃でむせ返るといった問題もなさそうだ。 -
Casa Anaのタブラオ入口。開演7:30pm、まだ時間があるのでアパートに帰って買い込んだグロッサリーなどを整理して出直すことにする。
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で、7:00pm頃に改めてこのお店にやってくるともう半分くらいの席が埋まっていた。各人のネームが貼ってあるイスに座るようになっている。アンダルシアといえばフラメンコ、このお店のレベルは高いという口コミが多かったが楽しみである!!
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ショーの前にドリンクをステージ横手のバーで供してくれる。サングリアだったと思うが殆ど口をつけなかった(私はアルコールアレルギーなので)。’ショーの間は写真はダメだけどステージの最後に写真タイムがあるからそこで写真撮ってね′とお店側からのアナウンスが入る。
そしてショーの開演。フラメンコは大いに楽しんだ。バイオーレもバイオーラも抜群にうまかった。とくに細身のバイオーレのホセ君がもう汗びっしょりになりながらステップを踏み終わると皆すごい拍手!!私も手が痛くなるほど拍手した。 -
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過去にこのシアターに出演したスターたちのブロマイド。
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Retablo de la Virgen de la Aurora。ショーが終わってもと来た道をもどるとき、壁に描かれたマリヤ様の絵がライトアップされていた。では。おやすみなさい。
明日は早朝からサビカの丘へ山登り。
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