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《2023.July》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのXLIX石山~近江國一之宮建部大社納涼祭祈願風鈴編~<br /><br />今年も早いもので後半に突入した。まあ沖縄に行く6月23日前後を過ぎて帰って来たならば当たり前ではあるのだが、今年は4年ぶりの追悼式参列だったこともあり時間的な感覚がズレていることも確かにあるだろう。おまけに今年からシフトが〝機械的〟に組まれることとなり、例年ならば先ずなかった〝6連勤〟後に沖縄行きというキツいパターンを余儀なくされた。旅行後も4連勤は当たり前だったこともあり、休みであっても出かける気力さえ残っていなかったのが事実である。<br /><br />昨年から〝夏〟の参加イベントに〝風鈴まつり〟ということを定番にすることにした。昨年は8月度のシフト、つまり7月16日以降に出かけ始めたために開催時期を逸したイベントも多々あった反省から、春頃から〝風鈴まつり〟のイベント情報をまめに確認するようになった。そんな経緯から6月に開始される遠州三山風鈴まつりに始まり、正壽院へも既に行って来た。その後沖縄行きが入るために暫く日が空くが7月に入るとまた〝風鈴まつり〟の情報を探し始める。しかし近場での開催場所は時期的にまだ早いようで、複数の会場を回れるほどイベント開催が行われていないようだった。勿論西教寺等昨年訪れた場所はあるのではあるが、もう暫くするとライトアップが始まることを考えれば敢えて今行く必要もないと考えた。しかし日帰りで行ける場所で〝風鈴まつり〟が行われているのかというとなかなかみつけられなかったのが事実である。<br /><br />昼から天気が崩れるという予報であった今日令和5(2023)年7月12日水曜日も、何気にスマホで情報検索をしていた。勿論後日に行くことを踏まえての検索であったが、偶々〝滋賀県〟〝風鈴まつり〟でかけた検索で建部大社がヒットした。風鈴まつりで出てくる情報の難点がひとつあり、必ずしも本年の情報でないことが挙げられる。コロナ禍で遠出をできない地元の方々向けに神社仏閣に於いて小規模な風鈴まつりを〝単発的〟にやっていたものが、通年のイベントの如く書かれているものもあり、行って残念ということに繋がりかねない情報も存在する中で、建部大社は2023年の情報が記されていた。仮にイベント情報が古くとも車ならば10分程で行くことが出来る場所であれば、まあ仕方がないで済ますことが出来る。そんな想いに駆られて雨が降りそうな雲行きの自宅を出発することにした。<br /><br />家を出ていつも一息入れるコンビニも無視し、建部大社に向かう。その僅かな道中でやはり雨が降って来た。それもポツポツというレベルのものではない。まさにバケツをひっくり返したようと言っても過言ではない。そんな雨の中ワイパーをフル回転させつつ建部大社に到着する。<br /><br />前回の訪問が平成26(2014)年10月となっているため、実に9年ぶりの訪問となる。近江國一之宮建部大社、ご祭神は本殿に日本武尊、権殿に大己尊命となっている。創建は社殿によると日本武尊の死後の景行天皇46(296)年、日本武尊の妃である布多遅比売命が神勅によって、御子である建部稲依別命とともに住んでいた神崎郡建部郷千草嶽(現在の東近江市五個荘伊野部町付近の箕作山)の地に日本武尊を〝建部大神」として祀ったとされている。この建部郷の〝建部〟の名は日本武尊をしのんで名代として名付けられたことに因むといい、他にも各地に設けられている。その後天武天皇4(675)年に近江の守護神として、現在地の栗太郡勢多の現所在地に遷座したという。遷座後に元の千草嶽の麓には神護景雲2(768)年に聖真大明神と建部大明神が設けられたとされ〝建部神社〟が建立され、現在に至っている。また天平勝宝7(755)年には、大己貴命が大神神社から勧請され、権殿に祀られたという。神話の世界ゆえどこまでが本当か?ということはあるにしても1900年もの歴史の中には平治の乱で敗れた源頼朝が伊豆国に流される道中、本社に立ち寄って源氏の再興を祈願し、後に大願成就したことから出世開運の神としても著名となったと言われている。<br /><br />そんな歴史ある建部大社であるが、8月17日に執り行われる〝船幸祭〟が有名であり、例年日本中から多くの観光客が石山界隈を訪れる。ただ人が多過ぎるために地元で仕事をしている者からは〝混雑〟するとよく言わない者も少なくはない。実は私もその一人である。まあそのあたりのことは置いておき、建部大社で行われる風鈴まつり〝祈願風鈴〟について述べることにする。祈願の短冊奉納は令和5(2023)年7月7日から8月6日となっており、風鈴の設置は5(2023)年7月7日から8月17日となっている。これは8月7日に挙行される納涼祭に於いて奉納と祈祷が行われる。8月17日は言うまでもなく船幸祭の日であり、これを以て夏の神事が終わることとなる。写真を見ればわかるのだが、建部大社の祈願風鈴は決して大規模なものではなく、神門に吊るされた僅かな数だけである。イベントとしては大きくはないが、その分ひとつひとつの短冊祈願は細やかにやって貰えるように思え、私もひとつ祈願をした。出かける際にいつも世話になっているハルが入院をした。この辺りが連絡が我が家の中でも通っておらず、沖縄に出かける1週間程前に知ったために、手配を終えていた沖縄行きを取り止める訳にも行かず、出かけたという経緯があった。巷ではコロナは5類に格下げとなり、マスクなしで大手を振って旅に出かけられるようなことが言われている。私が沖縄行きを決めた理由もその流れを一部組み取っている。しかし仕事柄マスクを外すことなく日々を過ごしている者として〝マスクなし〟で遊び回る程の〝お気楽者〟にはなり切れない。おまけに私が沖縄に行った時期は、沖縄県でコロナ患者が増加している時期であり〝第9波〟が来たとさえ言われていた時期であった。そんな沖縄から帰って来た日の二日後にハルが入院した。病院通いが趣味のような人だったので、検査入院とばかり思っていたらそうでもなかったようだ。未だ病院が面会者を制限していることは言うまでもないことだ。ドクターからの容態説明時も行動を尋ねられ、既に一週間を経て無症状だったから面会が認められたようなものなので、自分自身が罹患したら仕方がないという理由だけでは、家族に病院にかからねばならない者がいるとそうも言っていられない事態になることを知った次第である。そんな経緯もあり〝風鈴祈願〟に病気の治癒を書き込んで奉納した。その後の結果が良好なので、自分自身では祈願が聞き入れて貰えたように思っている。また接客の仕事をしている限り、自分自身がいくら気を付けていても罹患しないとは言い切れない。もしかすると屋内に居る分だけ罹患しやすいとも思っている。そのため基本面会には行かないようにせざるを得ない部分がある。何も患者はハルだけではない。他の患者に対しても可能性がある以上控えておくことが良いと思うしかない。そのため今回の様に〝神頼み〟が出来る場所ではなるべく〝祈願〟させて貰おうと考えている。その意味を込めて今年は〝風鈴祈願〟ができる〝風鈴まつり〟に足を運ぼうと考えている私である。<br /><br />少し話が脱線したが、実はここまでの考えが出来るだけの時間が参拝時に出来てしまったということもまた事実である。暫くの間雨足は衰えず寧ろ雷までなっている状況である。風鈴の掛けられた神門下で雨宿りを兼ねて写真を撮り、尚且つ時間があったので参拝前に祈願短冊を書いた次第である。ただ急に天気が変わることがこの時期の天候でもあり、短冊を納めた後雨が止んできたようだ。ちょっと駆け足気味に参拝を済ませ、神門へと戻って来た際には風鈴に私の祈願短冊が吊り下げられており、軽やかな音を奏でながら風に揺れている姿を確認することが出来た。<br /><br />17:00が閉門時間でありそれに合わせて車へと戻る。雨も止んだだろうと決め込んで給油と洗車を済ませて帰宅しようとすると再び雨がパラついて来た。ハルが載っていない2週間の間埃等で汚れていたのは確かなので、その汚れが取れただけでも良しとして前向きに考え帰路につく。途中名神の上で虹が出ていることに気が付いた。ここ暫く虹など見ることもなかったので良いように取る。私の外出時には珍しく明るいうちに帰宅する。ひょんなきっかけで見つけた建部大社の〝祈願風鈴〟見物&祈願の旅はこうして無事終了することが出来たのであった。<br /><br />   《終わり》

《2023.July》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのXLIX石山~近江國一之宮建部大社納涼祭祈願風鈴編~

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2023/07/12 - 2023/07/12

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《2023.July》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのXLIX石山~近江國一之宮建部大社納涼祭祈願風鈴編~

今年も早いもので後半に突入した。まあ沖縄に行く6月23日前後を過ぎて帰って来たならば当たり前ではあるのだが、今年は4年ぶりの追悼式参列だったこともあり時間的な感覚がズレていることも確かにあるだろう。おまけに今年からシフトが〝機械的〟に組まれることとなり、例年ならば先ずなかった〝6連勤〟後に沖縄行きというキツいパターンを余儀なくされた。旅行後も4連勤は当たり前だったこともあり、休みであっても出かける気力さえ残っていなかったのが事実である。

昨年から〝夏〟の参加イベントに〝風鈴まつり〟ということを定番にすることにした。昨年は8月度のシフト、つまり7月16日以降に出かけ始めたために開催時期を逸したイベントも多々あった反省から、春頃から〝風鈴まつり〟のイベント情報をまめに確認するようになった。そんな経緯から6月に開始される遠州三山風鈴まつりに始まり、正壽院へも既に行って来た。その後沖縄行きが入るために暫く日が空くが7月に入るとまた〝風鈴まつり〟の情報を探し始める。しかし近場での開催場所は時期的にまだ早いようで、複数の会場を回れるほどイベント開催が行われていないようだった。勿論西教寺等昨年訪れた場所はあるのではあるが、もう暫くするとライトアップが始まることを考えれば敢えて今行く必要もないと考えた。しかし日帰りで行ける場所で〝風鈴まつり〟が行われているのかというとなかなかみつけられなかったのが事実である。

昼から天気が崩れるという予報であった今日令和5(2023)年7月12日水曜日も、何気にスマホで情報検索をしていた。勿論後日に行くことを踏まえての検索であったが、偶々〝滋賀県〟〝風鈴まつり〟でかけた検索で建部大社がヒットした。風鈴まつりで出てくる情報の難点がひとつあり、必ずしも本年の情報でないことが挙げられる。コロナ禍で遠出をできない地元の方々向けに神社仏閣に於いて小規模な風鈴まつりを〝単発的〟にやっていたものが、通年のイベントの如く書かれているものもあり、行って残念ということに繋がりかねない情報も存在する中で、建部大社は2023年の情報が記されていた。仮にイベント情報が古くとも車ならば10分程で行くことが出来る場所であれば、まあ仕方がないで済ますことが出来る。そんな想いに駆られて雨が降りそうな雲行きの自宅を出発することにした。

家を出ていつも一息入れるコンビニも無視し、建部大社に向かう。その僅かな道中でやはり雨が降って来た。それもポツポツというレベルのものではない。まさにバケツをひっくり返したようと言っても過言ではない。そんな雨の中ワイパーをフル回転させつつ建部大社に到着する。

前回の訪問が平成26(2014)年10月となっているため、実に9年ぶりの訪問となる。近江國一之宮建部大社、ご祭神は本殿に日本武尊、権殿に大己尊命となっている。創建は社殿によると日本武尊の死後の景行天皇46(296)年、日本武尊の妃である布多遅比売命が神勅によって、御子である建部稲依別命とともに住んでいた神崎郡建部郷千草嶽(現在の東近江市五個荘伊野部町付近の箕作山)の地に日本武尊を〝建部大神」として祀ったとされている。この建部郷の〝建部〟の名は日本武尊をしのんで名代として名付けられたことに因むといい、他にも各地に設けられている。その後天武天皇4(675)年に近江の守護神として、現在地の栗太郡勢多の現所在地に遷座したという。遷座後に元の千草嶽の麓には神護景雲2(768)年に聖真大明神と建部大明神が設けられたとされ〝建部神社〟が建立され、現在に至っている。また天平勝宝7(755)年には、大己貴命が大神神社から勧請され、権殿に祀られたという。神話の世界ゆえどこまでが本当か?ということはあるにしても1900年もの歴史の中には平治の乱で敗れた源頼朝が伊豆国に流される道中、本社に立ち寄って源氏の再興を祈願し、後に大願成就したことから出世開運の神としても著名となったと言われている。

そんな歴史ある建部大社であるが、8月17日に執り行われる〝船幸祭〟が有名であり、例年日本中から多くの観光客が石山界隈を訪れる。ただ人が多過ぎるために地元で仕事をしている者からは〝混雑〟するとよく言わない者も少なくはない。実は私もその一人である。まあそのあたりのことは置いておき、建部大社で行われる風鈴まつり〝祈願風鈴〟について述べることにする。祈願の短冊奉納は令和5(2023)年7月7日から8月6日となっており、風鈴の設置は5(2023)年7月7日から8月17日となっている。これは8月7日に挙行される納涼祭に於いて奉納と祈祷が行われる。8月17日は言うまでもなく船幸祭の日であり、これを以て夏の神事が終わることとなる。写真を見ればわかるのだが、建部大社の祈願風鈴は決して大規模なものではなく、神門に吊るされた僅かな数だけである。イベントとしては大きくはないが、その分ひとつひとつの短冊祈願は細やかにやって貰えるように思え、私もひとつ祈願をした。出かける際にいつも世話になっているハルが入院をした。この辺りが連絡が我が家の中でも通っておらず、沖縄に出かける1週間程前に知ったために、手配を終えていた沖縄行きを取り止める訳にも行かず、出かけたという経緯があった。巷ではコロナは5類に格下げとなり、マスクなしで大手を振って旅に出かけられるようなことが言われている。私が沖縄行きを決めた理由もその流れを一部組み取っている。しかし仕事柄マスクを外すことなく日々を過ごしている者として〝マスクなし〟で遊び回る程の〝お気楽者〟にはなり切れない。おまけに私が沖縄に行った時期は、沖縄県でコロナ患者が増加している時期であり〝第9波〟が来たとさえ言われていた時期であった。そんな沖縄から帰って来た日の二日後にハルが入院した。病院通いが趣味のような人だったので、検査入院とばかり思っていたらそうでもなかったようだ。未だ病院が面会者を制限していることは言うまでもないことだ。ドクターからの容態説明時も行動を尋ねられ、既に一週間を経て無症状だったから面会が認められたようなものなので、自分自身が罹患したら仕方がないという理由だけでは、家族に病院にかからねばならない者がいるとそうも言っていられない事態になることを知った次第である。そんな経緯もあり〝風鈴祈願〟に病気の治癒を書き込んで奉納した。その後の結果が良好なので、自分自身では祈願が聞き入れて貰えたように思っている。また接客の仕事をしている限り、自分自身がいくら気を付けていても罹患しないとは言い切れない。もしかすると屋内に居る分だけ罹患しやすいとも思っている。そのため基本面会には行かないようにせざるを得ない部分がある。何も患者はハルだけではない。他の患者に対しても可能性がある以上控えておくことが良いと思うしかない。そのため今回の様に〝神頼み〟が出来る場所ではなるべく〝祈願〟させて貰おうと考えている。その意味を込めて今年は〝風鈴祈願〟ができる〝風鈴まつり〟に足を運ぼうと考えている私である。

少し話が脱線したが、実はここまでの考えが出来るだけの時間が参拝時に出来てしまったということもまた事実である。暫くの間雨足は衰えず寧ろ雷までなっている状況である。風鈴の掛けられた神門下で雨宿りを兼ねて写真を撮り、尚且つ時間があったので参拝前に祈願短冊を書いた次第である。ただ急に天気が変わることがこの時期の天候でもあり、短冊を納めた後雨が止んできたようだ。ちょっと駆け足気味に参拝を済ませ、神門へと戻って来た際には風鈴に私の祈願短冊が吊り下げられており、軽やかな音を奏でながら風に揺れている姿を確認することが出来た。

17:00が閉門時間でありそれに合わせて車へと戻る。雨も止んだだろうと決め込んで給油と洗車を済ませて帰宅しようとすると再び雨がパラついて来た。ハルが載っていない2週間の間埃等で汚れていたのは確かなので、その汚れが取れただけでも良しとして前向きに考え帰路につく。途中名神の上で虹が出ていることに気が付いた。ここ暫く虹など見ることもなかったので良いように取る。私の外出時には珍しく明るいうちに帰宅する。ひょんなきっかけで見つけた建部大社の〝祈願風鈴〟見物&祈願の旅はこうして無事終了することが出来たのであった。

   《終わり》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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