2023/06/24 - 2023/06/24
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norio2boさん
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この旅行記スケジュールを元に
上野の国立博物館訪問
今回の特別展示は
古代メキシコ
マヤ、アステカ、テオテワカン
20230616~0930
メキシコには
それなりに
思い入れがある
2012年
フリーダカーロ美術館のあるコヨアカンに行きたくて
自分で旅行を組み立てた
航空券やホテルを探して
行きたいところをチェックして
あーだこーだと
計画する
旅行の楽しみを知った
2012年の
死者の日の時期を選んで
ロスアンジェルス乗り換えの
メキシコ行きだった
2018年には
メキシコ在住の方からお呼びがかかった
ANAの直行便が始まっていた
3度目は2020年
残念ながら
コロナで取り止めになってしまったが
オアハカで7月に行われるゲラゲッツァ祭
メキシコの7種族が集まり
自慢のカラフルな衣装で
競い合い踊る賑やかな祭り
近くには
モンテアルバイン遺跡
ミトラ
などなど
多民族国家
メキシコを知ることが出来そうなひとり旅
ところで
今回の展示の感想
古代メキシコの至宝約140件
とうたっているが
展示品は現地には及ばないものの
心に残ったのは
予想以上に盛況だったこと
そして
女性中心に
若い人が多かったこと
そして
熱心な鑑賞の様子に
メキシコへの
関心の高さが溢れていたこと
メキシコ好きには
嬉しかった
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
-
JR御徒町から
広小路を抜けて
公園を歩くと
トイレの左手前に
草野球ができる小さな広場がある御徒町駅 駅
-
ここは
平成18年にマスコットネームを付けられている
「正岡子規記念球場」
野球用語のうち
打者
走者
直球
などは子規の考案した訳語として残っているとあった
鶯谷にある
子規庵で
子規は結核を患い34歳で亡くなった
あの場所で漂う空気では
子規がスポーツ好きとは思えなかった
ポジションは捕手だった
喀血するまで続けたという
東京大学の授業のあと
ここで野球をやって
鶯谷へ帰ったのだろうか?正岡子規記念球場 名所・史跡
-
上野公園
大噴水の奥に
東京国立博物館
今日は快晴というより
焦げるような酷暑
まだ6月なのに
夏には
記録的な高温になるのだろうか?上野恩賜公園 公園・植物園
-
信号を渡ると
国立博物館
赤をベースの
古代メキシコ展の告知看板が
眩しい東京国立博物館 美術館・博物館
-
チケット売り場
奥に大行列 -
蛇のように曲がりくねった長い行列
日曜日とはいえ
大盛況に驚かされた
圧倒的に若い人たち
スペイン語も聞こえた
メキシコ人だと思った -
ようやく入場
特別展2200円
大学生1400円
高校生1000円
常設展は
1000円
70歳以上無料 -
奥に見える
平成館の2階が
特別展会場 -
国立博物館の中でも
威厳のある設計
東博
特別展チケットを見せてエレベーターで2階へ
1階レイアウトは
右側に
考古展示室
左には
休憩所 -
美術館
博物館
の見学は「手ぶら主義」
ロッカーを使おう -
展示案内図
全作品の撮影が許可 -
表紙に使った写真
若い人が多い
女性だけのグループが多い -
最初のブースのテーマは
「古代メキシコへのいざない」
オルメカ文明は
紀元前1500年頃に
メキシコ湾岸部に起こった文明 -
文明の興隆を支えたのは
豊かな食文化
とうもろこし
とうがらし
トマト
などの
アメリカ大陸固有の
栄養豊富な農作物たち
でも
牛、馬、羊はいなかった -
メキシコ地図
各所に興隆した文明たち
メキシコ文明には
鉄がなかった
車輪がなかった
火薬がなかった
島国である
アメリカ大陸には
15世紀の大航海時代まで
オリジナルな
孤立した文化文明が
継続して存在した -
「貴人の土偶」
マヤ文明
600~950年
メキシコ国立人類学博物館蔵
大航海時代にアメリカ大陸
メキシコに持ち込まれた
ヨーロッパの文化
キリスト教の布教は
キリスト教宗主国である
スペインが主役だった -
「テオティワカン 神々の都」
太陽のピラミッド
月のピラミッド
映像を映写している
メキシコ制作の
フリーダカーロの映画がある
ロシア革命のトロツキーとフリーダがこの遺跡を歩くシーンがある
メキシコの紙幣の
肖像画に採用されているのは
ディエゴリベラ
フリーダカーロ
の画家夫婦
スターリンの刺客を逃れて
世界中を逃れ
メキシコシティに逃げ込んだ
トロツキーの亡命を手助けたのは
このリベラ夫妻
フリーダの人生は
ハリウッドでも
映画化されているが
メキシコ製が一番
当たり前だが
メキシコを感じさせる -
行列が出来る展示
並んで見るのは苦手
背中越しに見学 -
展示品は小さいものが多く
少々
迫力にかける
メキシコシティの
国立人類学博物館
テンプロマヨール
などで見られる
巨大な展示には及ばない
地球の裏側のメキシコからやって来た
140件の
展示品たち -
古代メキシコでは
鉄の代わりに銅や青銅などの金属が利用した
車輪はなかったから
人力や動物の力を使って荷物を運ぶ方法が一般的だったという -
テオテワカン
「神々の住む場所」という意味
その名前はアステカ人による命名 -
テオティワカンのレイアウト
紀元前の世界で最大の都市
20万人が住んだ
太陽のピラミッド
月のピラミッド
に登った
2018年には
ピラミッドの最上部は入場禁止
日本の大学の発掘調査隊が入っていた -
「死のディスク石彫」
テオティワカン文明
300~500年
太陽のピラミッド出土
メキシコ国立人類学博物館蔵 -
テオテワカン文明
農業や手工業、貿易などで繁栄
広範な交易があった
紀元7世紀頃
何故か崩壊し
都市は放棄された
崩壊の原因ははっきりしていない
気候変動や社会的要因が考えられている -
行列の出来る展示会
大昔の
エジプトの秘宝
ツタンカーメン展
を思い出させる長い行列 -
1492年コロンブス
アメリカ大陸発見
1519年
スペインのエルナンコルテスが上陸
コルテスは
古代メキシコ神話の
伝承を利用し無血征服に成功する -
コルテスは大虐殺を繰り返した
1521年
皇帝クアウテモックは惨殺され
アステカ帝国は滅亡する -
第二会場へ
-
こちらも行列
-
「マヤ 都市国家興亡」
1世紀頃にマヤ王朝成立
熱帯のマヤでは食料が長期保存出来ず覇権国家にはなれなかった
淡水泉セノーテ
チチェンイッツア
観光スポット -
「金星周期と太陽暦を表わす石彫」
800~1000年
チチェンイッツア出土
ユカタン地方人類学博物館蔵 -
「円筒形土器」
マヤ文明 600~850年
出土地不明
土器、彩色
メキシコ国立人類学博物館蔵
当時珍重されたカカオを飲む時に用いられたコップ
マヤ文明の特徴的な意匠が描かれている -
マヤ文字は
まだ解明されていない
数字は二十進法
零も認識されていた
「96文字の石板」
マヤ文明 783年
バレンゲ出土
石灰岩
バレンゲ遺跡博物館蔵
歴代の王の即位について
記述されている
左から右へ読むという -
「パカル王と見られる男性頭像(複製)」
原品はマヤ文明 620~683年
パカル王墓出土
メキシコ国立人類学博物館蔵
パカル王は
マヤの都市パレンケの中興の祖
1952年に発見された王墓
から出土 -
マヤ文明
石碑の展示 -
「香炉台」
マヤ文明 680~800年
パレンケ、太陽の神殿出土
土器、彩色
アルベルトルスルイリエ バレンケ遺跡博物館蔵
儀式は神への捧げ物
香にはコバルという樹脂が使われた
樹液が1000万年かけて化石化したもの
3000万年経過すると琥珀になる -
「赤の王女」の展示は
動画の展示
パネル展示
イメージ展示
今回の展示のメインだった -
「赤の女王」イメージ展示
パレンケの中興の祖
パカル王の妃
1994年に
パカル王墓から
未盗掘の
赤の衣装を着ていた女性の遺骨が発見された
今回の
イメージ展示では
マスク
冠
首飾り
胸飾り
などの副葬品が
赤の女王のまわりに並べられ展示されていた -
イメージ展示の
壁面には
パカル王のレリーフ画
王墓の中のような演出 -
「チェチェンイッツア マヤ北部の国際都市」
海に面しない
マヤでは
セノーテが水源となった
セノーテは陥没した深い穴に地下水が溜まった井戸のこと
この近辺には3000以上のセノーテがある -
「トゥーラのアトタンティス像」
トルテカ文明 900~1100年
トゥーラ出土
玄武岩、彩色
メキシコ国立人類学博物館蔵 -
「チャクモール像」
マヤ文明 900~1100年
チェチェンイッア
ツォンパントリ出土
ユカタン地方人類学博物館蔵
チャクモールは死んだ戦士
チャクモール像の上で人身御供の儀式がおこなわれ
チャクモールのもつ皿の上に取り出された心臓が太陽への捧げ物として置かれた
キリスト教宗主国のスペインは
異教を許さず
古代メキシコ文明を破壊し
埋没させた -
「アステカ テノチティトランの大神殿」
アステカ帝国の水上都市
テノチティトラン
スペインはその上に
新しいカソリックの都市を建設し
新しい名前をつけた
メキシコシティと
テンプロマヨールは
1913年から発掘が始まった
テノチティトランの中央神殿の遺跡 -
「男性像」
アステカ文明 1325~1521年
プエブラ州出土
安山岩、貝
メキシコ国立人類学博物館蔵
メキシコ国立人類学博物館は
メキシコシティの
チャプルテペック公園の北端にあるメキシコ古代文明のすべてが展示されている必見の博物館
アステカカレンダーという
直径3.5mの太陽の石
メキシコシティの下に埋められてしまったアステカ帝国の都テノチティトランの復元模型
今回の展示にも
小品が来日している -
「鷲の戦士像」
アステカ文明 1469~86年
テンプロマヨール鷲の家出土
テンプロマヨール博物館蔵
テンプロマヨール
メキシコの首都
メキシコシティの地下に残された古代文明の遺跡
スペインは現地人を虐殺
都市を破壊
その上に
キリスト教布教のための教会を
建てた
メキシコシティの
メトロポリタン大聖堂
は大きく傾いている -
アップ
アステカの戦士は
敵を捕まえランクをあげる
戦士に加わるために少なくとも4人を捕らえる必要があった
20以上の偉大な戦果を達成した者だけが
ジャガーの戦士
鷲の戦士に昇格した -
「トラルテクトリ神のレリーフ」
アステカ文明 1325~1521年
テンプロマヨール出土
玄武岩
テンプロマヨール博物館蔵
テンプロマヨールは
メキシコシティの地下にある
アステカ帝国の都
テノチティトランの遺跡
アステカを滅ぼした
スペイン人は
破壊した建物の残骸を再利用し
アステカ人を強制的に働かせ
アステカ帝国の都の上に新しい都市を建設した
スペイン人たちは
キリスト教の布教に努め
成功をおさめた
今でも
メキシコ人の95パーセントは
カソリック教徒である -
「トラロク神の壺」
アステカ文明 1440~69年
テンプロマヨール埋納石室出土
テンプロマヨール蔵
トラロクは雨の神
壺は水を蓄えるもの
雨と豊穣を祈願する壺 -
熱心な見学者たち
1519年の征服
スペイン人による
略奪と虐殺
アステカ帝国が滅亡するのは
1521年
にもかかわらず
メキシコで感じるのは
底抜けの明るさと人の良さ -
「ウェウェテオトル神の甲羅形土器」
アステカ文明
1486~1502
テンプロマヨール出土
テンプロマヨール博物館蔵
ウェウェテオトルはアステカ神話の火の神
農耕儀礼で崇拝される
当時は焼畑農業
種まきの前に畑を焼いた -
古代メキシコ
発掘調査継続へのコメント
これからも続く歴史の解明を期待しましょう
と結んでいる -
特設された
古代メキシコ展
ミュージアムショップ東京国立博物館 ミュージアムショップ 専門店
-
メキシコ関係の商品が並ぶ
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この旅行記へのコメント (2)
-
- マリオットさん 2023/09/06 07:51:23
- 終わっていたとは
- 今日になって旅行記を読みました。古代のメキシコ展、調べて見たら9月3日に終わっているのですね。
メキシコへ行ったのは、何十年も前の事でテオテワカンも行ったはずだし、登ったピラミッドもあったのですが。だいぶ忘れてしまい、昔のアルバムでも見ないと分からなくなっているくらいです。
見たら思い出すだろうか、メキシコ展に行った見たかったなア。撮影が可能だったようで、旅行記に展示の写真があったのがとてもうれしく、良かったです。
- norio2boさん からの返信 2023/09/08 16:23:38
- Re: 終わっていたとは
- マリオネットさん
メッセージをありがとうございます
メキシコ展良かったですよ
僕以外にも上野の古代メキシコ展の旅行記アップされている方います
写真もアップされています
来場者も多くて
賑やかな展示会でした
今後とも宜しくお願いします
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