2023/05/02 - 2023/05/02
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ミズ旅撮る人さん
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2023年GWに南九州を周遊しました。
熊本から宇土半島を南下して行くと天草パールラインが始まります。
宇土半島からは島原湾を隔てて長崎の雲仙の山々が臨めます。
御輿来(おこしき)海岸は遠浅なので不思議な縞模様が広がっています。せっかくなので、ドローンで空撮。
天草パールライン、ロザリオラインと乗り継いで下島へ。
「おっぱい岩」という不可思議なものに興味津々。世の中に「○○岩」は多いけれど、これほど天晴れな岩はないでしょう。鳥居まで立っているのも納得です。
苓北町の富岡半島は1万年前に砂州で島が陸続きになり、そこに富岡城が復元されています。おもしろい地形の場所であり、眺めも良くていい場所でした。
サンセットラインを南下して行くと、妙見浦に大きな穴の開いた岩があるので、ここもドローン空撮。
夕刻に入り、更に南下して大江教会・崎津教会を見学しました。
天草は見どころが多く、予想以上に広いので熊本に帰るのがたいへんでした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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熊本から宇土に南下して天草街道を走っています。
前方に山が見えて来たなと思っていたら、島原湾を隔てて長崎県の島原半島が見えているのでした。
一気に長崎と熊本の位置関係が分かった気がします。 -
宇土半島は北半分が宇土市、南半分が宇城市です。
JR天草三角(みすみ)線の肥後長浜駅に近いセブンイレブンの駐車場からは、干潟越しに島原半島が良く見えます(写真の山は熊本側の山です)。 -
この辺りから始まる御輿来(おこしき)海岸は、干満の差が激しい有明海沿岸でも、ダントツの絶景が見られる場所。そんな場所とは知らずに来て、コンビニの駐車場から見える干潟が綺麗だなと言うノリで撮影しました。
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雲仙がこれだけ間近に見られるとは思っていませんでした。
1993年に普賢岳が噴火した際には、火砕流で犠牲者が出ました。その時に出来た平成新山(1483m)が頂上の上に突起のような岩が見える右側の一番高い山です。 -
列車の走る音が聞こえて、振り返ると「A列車で行こう」が通過して行きました。
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2018年に乗車した時の写真です。
この時の九州周遊の旅行記は書いたのですが、A列車は書きそびれたみたい。しまった・・・
キリシタン文化とステンドグラスを多用した、豪華な内装の列車です。 -
せっかくの美しい干潟なので、ドローンで空撮して見ました。
この日は13時に干潮を迎えるということで、11時半にはもうこれだけ干潟が出ていました。 -
干潮の時間が夕暮れ時に重なる最高の絶景日というのは、年に10日程度しかないそうで、今年は2月に3日、3月に3日、4月に1日ありました。10月以降は日没が早いので、絶景日は無いようです。
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イチオシ
海岸線からだと横縞になってしまう干潟の模様も、ドローンだと真上を飛ぶので縦縞に撮れます。
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イチオシ
干潟が海から出て来るところは、幻想的な雰囲気。
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干潟に一直線に盛り土がされていて、遠くまで歩いて行くことが出来ます。潮干狩りの人が辿って行きました。
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毎日現れては消える大自然のキャンバス。
晴れた日には一層おもしろい絵が造られることでしょう。 -
宇土半島の突端で三角矢野道路の橋を渡っています。
隣にあるのは天門橋で、天草五橋の1号橋です。
橋を渡った先の大矢野島から天草パールラインが始まり、上島へと渡ります。 -
下島に渡ってそのまま天草空港に行きました。
この天草エアラインの飛行機を見たかったのですが、昼間は福岡・熊本・大阪などに行っていて、見ることが出来ませんでした。天草空港(天草飛行場) 空港
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なに?っと二度見したくなる名前です。海岸にはいろんな名前の岩がありますよね。西河内漁港に専用の駐車場が設置されています。
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苓北町商工観光課の看板。右下に、岩を見ることができる時間が書かれています。半分以上水に浸かってしまうと意味がないでしょうね。
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駐車場から階段を降りて小さな橋を渡ると第一の鳥居。
そこから海岸を第二の鳥居目指して歩いて行きます。
目標のおっぱい岩は見えていますが、まだわかりにくいですね。 -
鳥居からみるおっぱい岩は、横を向いています。満潮時にはこの鳥居の赤い足が半分以上水没するので、おっぱい岩も水没するようです。
おっぱい岩 自然・景勝地
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既に少しずつ水が来ていて、近付くことが出来ません。
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イチオシ
どうやったら、これだけ精巧に作ることが出来るのでしょう?
自然に出来たと言われても、信じ難い程の完成度です。 -
向きは、向こう側がいいようです。鳥居は伊達に立っている訳ではないですね。この日の見られる時間は10~15時。ほぼ15時近かったので危なかったです。潮位の高い日は、岸壁までが完全に水没します。
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小さなおっぱい岩。へこんじゃったのがイタイねえ。
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ロザリオラインを西に行くと、細い砂州で繋がった島があります。
その島の上に富岡城跡があります。 -
復元された石垣の上に、本丸から隅櫓に至る広い城跡が展開しています。
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富岡城は、天草下島に向いて建っています。右が砂州です。
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二の丸には、勝海舟・頼山陽の銅像が立っています。
正面奥が本丸です。「熊本県富岡ビジターセンター」になっています。 -
苓北町は、1994年に佐賀県唐津市と姉妹都市提携を結びました。
この年は「唐津藩400年祭」で、富岡城は唐津藩主が築城した城であり、唐津城とよく似てることにより交流を深めるために姉妹都市となりました。
両者ともに海を堀の代用としており、海からの視界を遮るために松原があります。富岡松原と呼ばれる砂嘴(さし)で、画面左側は富岡半島に繋がっています。 -
三の丸は特に何もなく、港の前の駐車場まで階段で繋がっています。
その駐車場は通り過ぎて、城山を半周回り込んだ先にある二の丸駐車場を利用した方が、上る距離は短いと思います。どちらにしても急傾斜の階段か坂を上ります。 -
さて、本丸に上がって行きます。
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本丸からは富岡松原がほぼ全部見えます。
松原と呼ばれていますが、ハマジンチョウの群生地であり、松は殆ど生えていないそうです。
ハマジンチョウは、1~3月に咲く南国の花で、花の形が沈丁花に似ていることから名付けられました。
本州の一部と、福岡、熊本、長崎、鹿児島で自生しており、熊本では天草にしか見られません。熊本県の天然記念物に指定されています。 -
こちらが砂州の部分。もとは独立した島だったのですが、砂州が成長して陸と繋がりました。これによって海流が変わり、今度は砂嘴が発達したのだそうです。なかなかおもしろい地形です。
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本丸に上がってすぐ左の資料館に、航空写真がありました。
砂州と砂嘴の状態がよくわかります。 -
資料館には、1637年の島原の乱の後、鈴木重成が天草の復興策として宗教政策を推し進めたことが示されています。出家していた兄の正三に、仏教の教えを広めるよう依頼したのです。
次々に建てられた寺社での布教によって落ち着き始めた1653年、
実際の石高の2倍の重税を減額してもらうため、重成は切腹覚悟で直訴しました。同年亡くなったため、自害したと書かれることもあります。
後を継いだのは息子の重祐で、兄の子重辰(しげとき)が二代目代官に任命されました。 -
鈴木重成・正三(兄)・重辰(甥)を「鈴木三神」として鈴木神社に合祀されています。島原の乱は有名ですが、その後日譚がこれほど民衆に慕われたとは知りませんでした。
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「天草の鈴木さま」この信心深さが「隠れキリシタン」にも繋がったのでしょう。
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更にもう一段上がります。
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熊本県富岡ビジターセンター。城の資料館ではないので入りませんでした。
富岡城は別名臥竜城と呼ばれ、慶長9年(1604年)天草統治の本拠地として肥前唐津藩の城主・寺沢志摩守広高によって築城されました。
1637年の島原の乱では、一揆軍の猛攻を受けましたが落城せず、一揆の勢いを削いだと言われています。城の修理が終わり、天草が天領となると、初代代官に鈴木重成が着任したのです。富岡城(富岡ビジターセンター) 名所・史跡
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富岡城の城壁は、多くの歴史を物語っているようです。
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サンセットラインを南下して行くと、妙見浦があります。
国道の脇に展望所がありますが、そこからでは海岸線に岩が点在しているのが見えるだけです。公衆トイレの脇から海岸に降りる道があります。狭くて車がすれ違えないので、スリル満点です。海岸にはキャンプをしたり、スキューバダイビングをしたりする人がいます。 -
小さな海岸から突き出した岩山が2つ連なっています。
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ドローンを飛ばしてみました。海の色が大層、綺麗です。
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岩山は砂州で繋がっています。満潮になると離れ小島になるのかしら?
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先端の岩山には大きな穴が空いています。
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この穴は、海からしか見えません。かなり離れた十三仏公園の展望台からようやく見えるだけです。
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この岩は全体を見ると象に見えます。
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一つ離れた妙見岩。陽が傾いて来たので急いで南に向かいます。
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天草と言うと隠れキリシタンを連想します。
やはり教会を訪れなくては、天草観光をしたとは言えないでしょう。
山の上には大江教会、麓には天草ロザリオ館があります。
天草ロザリオ館は、天草キリシタンに関する資料館です。天草ロザリオ館 美術館・博物館
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既に閉館時間ですが、外観だけでもと見に来ました。
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1873(明治6)年にキリスト教の禁止令が解除されました。
その後、天草で最初に建てられた教会です。 -
現在の建物は1933(昭和8)年にフランス人宣教師ガルニエ神父が建立しました。ロマネスク様式の教会です。
大江教会 寺・神社・教会
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教会の前には、日本の墓石の上に十字架を乗せたお墓があります。
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閉じられた扉にはカラフルなステンドグラスが嵌め込まれていました。
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教会を建てたガルニエ神父の胸像。
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真っ白な教会が少し夕日に染まって来ました。
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ルドヴィコガルニヱ塔
「汝等往きて萬民に教へよ」と聖書の一説が刻まれています。
當八拾二歳とあるので、お墓なのでしょう。 -
教会に住まう猫かな?尻尾が立派だねえ。
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アマリリスに囲まれて修道女が膝まづいて祈る像があります。
ガルニエ神父の像や教会に祈りを捧げているのかと思いましたが、
木陰に聖母マリアの像がありました。そういえば教会でよく見掛けますね。 -
教会の外にあった木彫です。室内にもこのような像があるのでしょうか。
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夕暮れが迫って来ていますが、最後にもう一つ教会を訪ねます。
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崎津教会。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として、
長崎市内の大浦天主堂を筆頭に12の構成資産があり、崎津教会も含まれています。﨑津教会 寺・神社・教会
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そんな難しい話をしたって知らないよって?つれないなあ。
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「わしに聞いてごらん。」門柱と一体化したかのような主がいました。
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この教会は、猫を入れて撮らなければいけなかったんですね。
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「うん、そうそう。」この界隈には猫が多いけど、ボス猫なんだろうか。
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先程の修道女の像がここにもありました。
「ルルドの奇跡」「ルルドの聖母」などと呼ばれ、聖母マリアが村娘の前に18回も現れ、洞窟に泉が湧いたシーンを現わしています。 -
崎津教会は、初めの30年間は大江教会のガルニエ神父が兼任し、建物は別の場所に建っていました。
老朽化のため、1934年にこの場所に新しく建てられました。
コンクリート製の計画でしたが、資金が足りず、途中で木造に切り換えたため、灰色のコンクリート部分と、白色の木造部分が見られます。 -
天草の崎津集落は、漁村特有の形態で信仰を続けた集落として世界遺産に認定されています。
禁教期に潜伏キリシタンが組織的に信仰を続ける中で、アワビやタイラギの貝殻内側の模様を聖母マリアに見立てて崇敬するなど漁村独特の信仰を育み、在来宗教と信仰空間を共有した集落であり、キリスト教解禁後は崎津諏訪神社の隣に教会堂を建築しました。
昔は「隠れキリシタン」と言っていましたが、世界遺産になる頃から「潜伏キリシタン」と呼ぶようになりましたね。
教会内部は畳敷きだそうです。 -
ゴシック様式の教会は、入り組んだ入り江の中にあり、猫がとても多い場所でした。左端の猫は、かつて流行った「猫鍋」を思い出させるなあ。鍋に嵌ったように真ん丸。
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入り江に面した公園ですが、ここはかつて旅館だった場所なのだそうです。
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「紋付屋旅館1階イメージ図」
泊り客は海から船で宿を訪れたため、主要玄関は海に面して作られていました。 -
教会から駐車場のある天草漁業協同組合本所崎津支所に向かう途中に、
色とりどりのヒオウギガイが並んでいました。 -
「レインボーシェル」という店でした。世界遺産になったので、予想外に店や飲食店があります。
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天草漁協の先に「マリア像展望所」があります。
「海上マリア像」を見るために作られました。海上マリア像展望デッキ 自然・景勝地
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「海上マリア像」です。海を向いて立っているため、横顔しか見られません。
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長崎で端島(軍艦島)を見に行った時にも、「岬のマリア像」というのを見ました。水運が盛んな場所では、設置したくなるんですね。
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この場所は、天草夕陽八景に選定されています。
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親切なことに、季節ごとの夕陽の沈む位置を表してくれています。
今は夏至に近付いているので、右手の山に夕日が沈むようです。
冬至と夏至とでは、日没時間が2時間も違うんですね。 -
翌日は「SL人吉」に乗った後、鹿児島県に入り吹上温泉に泊まりました。ここは、明治3年と7年に西郷隆盛が長逗留したそうです。
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中島温泉旅館に泊まりました。湯治客用の古い旅館です。
中島温泉旅館 宿・ホテル
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建物に入ってすぐ左には大きな西郷隆盛の顔の掛かった休憩所があります。
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古い日本建築によくある土間が玄関から反対側まで繋がっています。
中程に、受付と日帰り入浴用の券売機があります。
大人400円、中学生300円、小学生150円、幼児80円 -
建物の見取り図があるのですが、端的過ぎてよくわかりませんでした。
本館の1階に湯治客用の客室があり、2階は一般客用客室。
そして専用風呂の付いた別館に分かれています。
西郷どんの湯は湯治客は使えません。入れるのは「浴場」と書かれた所だけで、日帰り入浴の客と同じです。 -
券売機の前から本館の真ん中をもう一本の土間が続きます。
その両側に湯治客用の部屋が並んでいます。その部屋に入るのには、50㎝はある段差をよじ登らなくてはなりません。そのため、各部屋の前にはブロックが置いてあるのです。それでも簡単には上がれないので、毎回柱にしがみついて上がっていました。湿気対策だったのでしょうが、こういう造りは初めてでした。しかし、この後もっとびっくりする造りであることが判明したのです。 -
部屋と部屋の間の廊下を突き当たると、湯治客用の炊事場があります。
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レンジと冷蔵庫もあります。
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一番奥にはトイレがあります。ここは男女共同の洋式でした。
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部屋に上がり(文字通りの意味です)畳が綺麗で広いので安心しました。
欲を言えば、マットレスが欲しかったな。 -
部屋のエアコンには、こんなものが付いていました。
「100円硬貨専用です。100円で2時間動作いたします。
硬貨は連続で7枚まで投入できます。(計14時間分)
投入したコインの返却はできません。」
夏じゃなくて良かった。 -
さて、入って来た廊下に面した側と同じように、反対側にも障子が並んでいます。妙な造りだなと思って、開けてみると
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これが見えました。え?こっちも外なの?なんと両側の障子の外を人が行き来するのです。更に縁側が付いているので、客室とは知らない客が座ったり、荷物を置いていたりします。
うっひゃ~~~、なんて開放的!いやもう、笑うしかありません。 -
浴場側から見るとこんな感じです。いや、参った。しかも、浴場とは建物が別なので、ここは雨が降ります。
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令和4年の温泉分析書によると、ここは3つの源泉の混合泉で、低張性アルカリ性高温泉。湧出量は動力のため測定不能だそうで、PHは8.9。泉温は54.0℃です。
蒸発残留物が0.2975で、意外と薄い温泉です。
陽イオンでは、ナトリウムが104.6㎎、陰イオンは炭酸水素が97.8㎎が最高です。硫酸が18.4㎎あるので、新基準の名称はアルカリ性単純硫黄温泉となっています。 -
翌朝、廊下の反対側の部屋が開いていたので、覗いて見ました。
ちょっと狭いですが、廊下の反対側は建物の窓です。
こっちの方が良かったと思いがちですが、私が泊った部屋はかつての日本の湯治というものを体現していたと思います。とにかく開放的。心も体も緊張することなく過ごすのが湯治。
幸せな時代だったなあと、つくづく思いました。 -
薩摩の古い湯治場を体験させてもらいました。入浴できるのは夜9時までなので、夜の間はたいそう静かで安眠できましたよ。もちろん朝風呂も入りました。
次回は鹿児島の旅で、桜島に渡り大隅半島にある鹿屋航空基地史料館と内之浦宇宙空間観測所に行きます。
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