2023/05/23 - 2023/05/25
3位(同エリア4761件中)
関連タグ
montsaintmichelさん
- montsaintmichelさんTOP
- 旅行記367冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 3,059,055アクセス
- フォロワー141人
加賀紀行の「有終の美」を飾るのは金沢21世紀美術館です。
2004年のオープン以来、世界中の現代美術ファンや観光客を魅了してやまない、直径113mあるコイン形をした美術館です。地元では丸い形の美術館から愛称「まるびぃ」と親しまれ、年間200万人が訪れる金沢屈指の観光スポットです。
「まちに開かれた公園のような美術館」をコンセプトに、気軽に立ち寄れる様に市の中心部に立地しています。その名に恥じない21世紀の美術品や芸術作品をインスタレーション展示する刺激的な空間である一方、美術館というよりも開放的な公園と言った表現がしっくりくる癒しのスペースでもあります。
現代アートの表現手法のひとつがインスタレーションです。70年代から発達した手法で、制作者の意図の下で空間に絵画やオブジェを展示し、更には映像や音響効果を相乗させることでその空間全体をアート作品化する試みです。
固くなった頭を柔らかくほぐしてくれ、感性にスパイスを与えてくれる刺激の空間ですので、現実から半歩外れて現代アートを鑑賞する時間を作られてみてはいかがでしょうか?
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス JR特急
PR
-
21世紀美術館
開放的な白亜の美術館はコイン形の全周ガラス張りという斬新なデザインです。訪れた人々は四方から館内に入れ、建物自体がアートといっても過言ではありません。設計・建築を手掛けたのは、妹島和世+西沢立衛=SANAA(Sejima and Nishizawa and Associates)という、世界的にも著名な建築家ユニットです。
2010年にはプリツカー賞など多数を受賞し、2012年に完成したルーヴル・ランスなど近年の主要な美術館建築を手掛け、この美術館においては2004年(第9回)ヴェネツィア・ヴィエンナーレ国際建築展で最高の金獅子賞(作品賞)を受賞しました。
このユニットの代表的な国内作品としては、熊野古道なかへち美術館やクリスチャンディオール表参道店、直島港ターミナル(香川県)などがあります。建物の設計の他にも、館内にある可愛らしい「ラビットチェア」などのデザインも手掛けています。
妹島和世さんの作品では、OPAQUE(オペーク)ギンザのファサードもここと同じようにガラスを用いた半透明感が印象的です。クライアント(OPAQUE=半透明)と設計者の両方のポリシーがガラスという素材で繋がっています。
西沢立衛さんの作品では、十和田市現代美術館が知られ、「官庁街通り全体を美術館に見立てる」というマクロ的なコンセプトが素敵です。 -
球体パビリオン『まる』2016年
開館10周年の節目を記念し、SANAAがデザインを担当して造られました。
実はこちらは作品ではなく、建築物として設置されたものです。中に入ることもできる休憩スペースとして制作された周囲の風景を映し出す縦・横6m、高さ4mのオブジェで、柿木畠口側の広場にあります。
ステンレスを鏡面加工した直径1.8mの半球が16個集まり、ひと塊のオブジェを構成してます。季節や時間帯により、鏡面に映し出される風景は唯一無二のものになります。見る人により、宇宙船を彷彿とさせたり、雲や葡萄などに見えたりと掴み所のない不思議な浮遊感を感じさせます。 -
球体パビリオン『まる』2016年
このように内側へ立ち入ることもでき、鏡面となっている16個のステンレス製球体が集まって周囲の景観を映し出す様は、SF映画を彷彿とさせる摩訶不思議な世界です。
いくつもの丸天井に囲まれた、その異質な空間を是非体感してみてください。 -
フロリアン・クラール『アリーナのためのクランクフェルト・ ナンバー3』
この銀色の楽器「チューバ」の形をした作品はペアでラッパ同士が地中で繋がっている伝声管です。美術館を取り囲む芝生の上に12個6ペアが置かれ、作品に顔をうずめて話をするとどこからか返事が帰ってくるという体験型のオブジェです。しかしどれがペアなのかは分からない仕掛けですので、ファミリーや友人、子どもでも愉しめます。因みに作品のコンセプトは、ドイツ語のタイトルにもなっている「音のフィールド」です。
お父さんお母さんの薀蓄のために記せば、管の口元にある模様を見分けることで容易にペアを見つけられます。かなり離れていてもクリアに聞こえるのには吃驚ポンです。 -
フェルナンド・ロメロ『ラッピング 』
本多通り口(東口)近くにあり、歪な形状をしたジャングルジムを彷彿とさせるアスレチック型パビリオンです。6つの突起が様々な方向に突き出しています。パイプを組合わせた構造体をステンレス製メッシュで覆っているため、ボリュームと重さを感じさせません。また、美術館の建物が円柱と直方体を組み合わせた単純な形状なのに対し、意図的に複雑な形状にして対比させています。
中に入って遊ぶこともでき、子どもでも五感で現代アートを味わうことができます。美術館のコンセプトのひとつに、「子どもたちと共に成長する美術館」というものがあります。未来を創造するのは子どもたちであり、見て、触れて、体験できる最適な環境を提供しています。 -
オラファー・エリアソン『カラー・アクティビティ・ハウス 』
オラファーが21世紀美術館の開館5周年記念事業の一環として制作したものです。
色の三原色のシアン、マゼンダ、イエローの曲面ガラスの壁が1点を中心に渦巻き状にパビリオンを形成しています。直径10m、高さ3mある作品です。渦巻きの内側からは、立つ位置や日光の強弱で光の領域が混じり合い、異なる色彩に彩られた人や風景を見ることができます。
また中央では白色灯が点灯し、日没から夜明けまでは色の付いた灯台のように柔らかく光る幻想的な作品に変身します。 -
茶室「山宇亭」(さんうてい)
意外に思われるかもしれませんが、美術館敷地の南東角部には、「松涛庵」「山宇亭」と呼ばれる、各々歴史とルーツが異なる2つの茶室を構えた本格的な日本庭園があります。 -
茶室「松涛庵(しょうとうあん)」
この松涛庵は洋風デザインの美術館とは一線を画す書院建築風の8畳本勝手と6畳本勝手の茶室です。
因みに「松濤」とは、松の梢を渡る風の音を波の音に例えた言葉です。
お茶会が開催されていなければ内部へも立ち入れます。 -
茶室「松涛庵」
この茶室のルーツは、江戸時代末期、加賀藩12代藩主 前田斉泰により江戸根岸にあった隠居所「冨有園」の居室として建築されたものです。天井や柱が紅殻塗りであったことから「赤い間」と呼ばれていました。
その後、1936(昭和11)年に前田家16代 利為により鎌倉の前田家別邸(現 鎌倉文学館)に移築され、数奇屋風の茶室として整備され「松涛庵」と命名されました。 -
茶室「松涛庵」
1979(昭和54)年に金沢市内を流れる浅野川に架かる常盤橋の畔にある料亭「ごり屋」の敷地に移築され、その後2001年に金沢市が取得しました。江戸時代末期の風情を今に残す貴重な建造物です。
尚、移築に当たり、新たに椅子点前による立礼席と水屋などを増築しています。 -
茶室「松涛庵」座敷8畳
腰付障子に横長のガラスを嵌め込んだ「横額障子」は、室内から露地が観賞できるよう配慮されたものです。腰付障子とは、障子の下部に腰板を張り、不注意などにより足で障子紙を破らないように配慮されたものです。
一方、腰板がなく下部全体がガラスのものを「雪見障子」と呼びます。 -
茶室「松涛庵」座敷8畳
違い棚の造作や床の間の床柱の湾曲など、詫び寂びを重んじた端的でありながら深い味わいをもつ枯淡美を魅せます。「洗練の極致」が書院造の真骨頂です。
また、天袋の上部が斜めになっているのは奇抜です。でもどうやって開けるのでしょう?
因みに本席は、加賀藩12代藩主 前田斉泰が好んだ部屋とされます。 -
茶室「松涛庵」次の間6畳
竹と丸太を交互に配した化粧屋根裏もあります。
また、腰高障子も味わい深いものがあります。 -
茶室「松涛庵」露地
松涛庵と山宇亭の露地の作庭は金沢市内にある造園会社 庭芸社が手がけました。
21世紀美術館の開館に伴って造営された新しい庭園ではありますが、庭石や手水鉢といった石造物は別の古い庭園にあったものを持ち込んでいるようにも思えます。また、自然石と切石がミックスされた「行の延段」も味わいがあります。
露地は枯山水風な造りになっており、苔の野筋に挟まれた渓谷に枯流れを設けています。また、苔庭と砂利の境界線に飛石を配置するなど、高いデザイン性が感じられます。 -
茶室「松涛庵」手水鉢
茶道とは僧侶が修行の一環である仏への献茶を発展させたもので、禅の目的である悟りの境地に至るための一手段とも言われます。つまり茶道は仏教と共にあるということで、露地には四面仏の手水鉢が置かれています。
手水鉢に前石、懸樋(かけひ)の周辺には木賊(とくさ)も植えられており、往時の茶室の露地を再現しています。
因みに前石は、手水鉢を使用する際に乗るための役石です。役石は意匠のためだけでなく、役割を与えられて配置が決まっています。露地の中でも目立つ存在であり、フォーカルポイントとも言えます。 -
茶室「松涛庵」露地
敷かれた那智石は水の流れを表現しています。燈籠は豪雪の金沢を偲ばせる雪見型ですが、浮見とも呼ばれて流れを照らします。
「露地」とは茶室に備え付けられた庭と茶室を結ぶ通路を指します。茶室は「俗な世界を切り離した空間」とされ、その茶室へと続く露地も「浮世の外の道」と言われます。平たく言えば、日常を離れて非日常である茶事に入り込んでいくためのツールのひとつです。ですから、単なる茶室への通路ではなく、世俗の塵を徐々に払い、心身を清め、茶の湯に臨む準備の場でもあります。つまり、露地を通る時からすでに茶の湯は始まっています。故に、茶の湯は参道の最奥に本殿を構える神社に通じるところがあります。 -
茶室「松涛庵」蹲踞
美しい苔と枯流(かれながれ)により、風情を湛えた蹲踞です。
蹲踞は亭主が迎付の時や客が席入りの時に使用するもので、手を洗い、口をゆすぎ、心身を清める場所です。 -
茶室「松涛庵」立礼席(りゅうれいせき)
このような椅子点前による立礼席も併設された本格的な茶室です。
立礼席は、この地へ移築の際、バリアフリーでお茶が愉しめるように増築したものです。奥にあるのは立水屋です。
透けた簾が書院造の雰囲気を湛えています。 -
茶室「松涛庵」立礼席
船底天井の意匠も凝っています。 -
茶室「松涛庵」立礼席
こうして見ると書院造そのものです。
簾が掛けられているため、外側から内側は目隠しされています。 -
茶室「山宇亭(さんうてい)」
1951(昭和26)年に富山県高岡市から金沢市本多町に移築され、東証一部上場企業「石川製作所」の創業者で石川県の財界の有力者だった直山与二邸にて茶室として使用されていたものです。 -
茶室「山宇亭」
街中の自然に恵まれた「本多の森」の中程に建ち、木立に囲まれた草庵風茶席で長く「山のお茶室」と親しく呼ばれていたことに思いを馳せ、移築に伴って「山宇亭」と命名されました。 -
茶室「山宇亭」
詫び寂びを湛えた茶室です。
躙り口には沓掛石もあります。
また、屋根に設けられた明り取りが良い仕事をしています。 -
茶室「山宇亭」
飛石で苔庭と茶室を回遊できる構成になっています。
飛石はひとつ一つの石が山を表しており、茶室に到達するまでにいくつもの峠を越えていくという意味が込められています。また、飛石には歩幅に合わせて据えられた二連打や二三連打、千鳥打などの技法があります。 -
茶室「山宇亭」露地
敷かれた那智石は水の流れを表し、石燈籠がアクセントになっています。 -
茶室「山宇亭」
四畳半本勝手の簡素な茶室です。
掛け軸は茶道では有名な『喫茶去(きっさこ)』です。臨済宗の『且坐喫茶』(且らく座ってお茶をどうぞ)と共に茶人に親しい言葉とされます。『喫茶去』は勘違いされ易い言葉でもあり、禅語の本来の意味は「お茶でも飲んで去れ」ですが、茶の湯では「どうぞゆっくりとお茶を召し上がってください」という意味になります。つまり、茶の湯では「去」は意味を強める助字と見做します。
因みに「喫茶去」の原典は『趙州喫茶去』であり、曹洞宗の禅門ではやかましい公案(雲水(=修行僧)が修行するために師匠から与えられるお題)となっています。そこには「分け隔てする心」を乗り越えた趙州禅師の姿が描かれています。 -
茶室「山宇亭」腰掛待合
付随する「腰掛待合」は加賀藩の重臣 加賀八家のひとつである長家の本邸から同所に移築されたものと伝わります。
露地に設けられた休息所のことで、茶事の際に客が亭主の迎付や中立の時に再び席入の合図を待つための場所です。 -
茶室「山宇亭」
裏手から見た姿です。
中央の突き出た箇所が3畳の水屋、その右側は勝手土間です。 -
21世紀美術館
それでは館内に入りましょう。
美術館は「交流ゾーン」と「展覧会ゾーン」の2つに分けられ、室内であっても交流ゾーンなら無料で展示作品が見られます。展覧会ゾーンは、その時々によって異なる展覧会が催され、入場料も変動します。
交流ゾーンに展示されている作品は、一般的な絵画や彫刻作品のように黙って眺めていても、その意味を見付けることはできません。これらの作品が意味を持つのは、作品と係わったり、あるいは作品を通じて他の人とコミュニケーションをとった時です。能動的に意味を見つける行為により、芸術的な価値を生みだそうとする仕掛けです。 -
『ラビットチェア』
ずらりと並んだウサギの耳をモチーフした椅子「ラビットチェア」は可愛らしい写真が撮れるスポットとして知られています。
よく見ると左右の耳の形が微妙に違えてあり、これがハンドメイド作品のような柔らかさを演出しています。デザインしたのは、金沢21世紀美術館を設計したSANAAです。
尚、ラビットチェアは柿木畠口(南口)と市役所口(西口)の中間地点付近にあります。 -
マイケル・リン『市民ギャラリー 』
ニューヨークをベースに活躍するファッションデザイナーのヴィヴィアン・タムを彷彿とさせる、より意匠化された草花が鮮やかに壁面を彩る異空間です。
実は金沢21世紀美術館の存在を知ったのは、この加賀友禅をモチーフにした壁画とロッキングチェアを某雑誌の表紙で見たことです。
白い館内に忽然と現れる巨大な和風の壁画は、加賀友禅の手法や図案から着想を得た作品で、大胆で色鮮やかな花模様が印象的なペインティング作品です。
マイケルは、この作品の制作に当たり、金沢にある工房を訪ね、加賀友禅の歴史や手法を詳しく調査されたそうです。そしてできあがった花模様がこの作品です。
一方、マイケルとSANAAがコラボしてデザインしたロッキングチェアの表面にも同じ柄が施され、癒しの空間にもなっています。ロッキングチェアに座ると、正面にある建物の上部に『雲を測る男』を見ることができます。 -
マイケル・リン『市民ギャラリー 』
マイケルは、1964 年に東京に生まれ、台北や上海を拠点に活動されています。1999 年頃から、日用品に用いられる伝統的なテキスタイルの花柄をモチーフに壁や床に大きな絵を描くスタイルを確立しました。作品はカフェやオフィス、パブリックスペースなど人が行き交う空間に展開され、家具やクッションなど実用品にも及びます。台湾に育ち米国でデザインを学んだ経験から培われた独創性によって生み出されるマイケルの世界は、伝統や様式、文化という枠を超え、人々の感覚に親しみをもって働きかけます。
作品の中には台湾の伝統画風を取り入れたものもあり、フランスやイタリア、スペインなど欧州や米国などで意欲的に個展を開いています。 -
ヤン・ファーブル『雲を測る男 』
丸い中央棟の屋上には、黄金色のブロンズ像が載せられています。
男が脚立に上がり、空に向かって両腕を伸ばし、万歳をしているようにも見えます。関西人なら「グリコ」の回し者と思うかも…。
この作品は、監獄で小鳥を飼い、鳥類学者となった人物の実話に基づいた、バート・ランカスター主演の映画『終身犯』(米1961年)から着想を得て制作されました。作品名の由来は、研究の自由を剥奪された主人公が「これから何をして過ごすのか」と問われ、「雲でも測って過ごすさ」と答えたエピソードに因みます。一説には、映画の主人公が作者の曾祖父の生涯に重なったとも言われています。実は現代を代表するアート界の巨匠ファーブルは、「へび。長すぎる」で有名な『ファーブル昆虫記』を著したジャン・アンリ・ファーブルのひ孫だそうです。
雲を測るという発想力とスケールの大きさに驚かされ、研究者の生き様や生と死、詩的表現などを考えさせる深い作品です。この像は、作者の体を模した実物大のものだそうですが、胴体部分は作者のものですが、顔の部分は若くして亡くなった双子の弟のものだそうです。作者が弟の死を思って制作したという背景にも思いを寄せて鑑賞したい作品です。
屋外にある展示物ですので、勿論館内からガラス越しに無料で観られます。 -
ジェームズ・タレル『ブルー・プラネット・スカイ(タレルの部屋) 』
光と知覚の体験をテーマにした、インスタレーション作家ジェームズによる知覚体験に働きかける作品です。白漆喰仕上げの立方体の部屋には高い天井があり、その天井には正方形に切り取られた空間がぽっかりと口を開けています。そこから差し込む光彩や空の表情を感じ取ることにより、日常とは違った不思議な感覚に浸れます。
開口部にはガラス等の覆いがなく、雨や雪が降り込み、室内というよりも庇が巡らされた中庭と表現する方が実情に即しています。ローマのパンテオンの室内空間に相通じる趣があります。
ジェームズは、鑑賞者に「どのように光を感じますか?」と問いかけ、普段我々が気付かない知覚を呼び覚ましてくれます。大理石製のベンチに座り、刻々と変化して行く空の表情とそこから差し込む光や影の遷移を眺めながら、様々な思いを巡らして寛げる空間です。そうした意味では、中世西欧キリスト教会の廻廊や禅寺の石庭と方丈のような空間に通じるものがあります。いつも見ている空とは違うものに見えてくるから不思議です。
タレルの部屋は交流ゾーンにあり、無料で入ることができます。 -
奈良美智(よしとも)『Moonlight Serenade ― 月夜曲』
2006~07年に21世紀美術館で開催された奈良美智展で制作された作品群が展示されていました。
「Pup Up the Dog」は展示室に横たわった犬のぬいぐるみに、会期中持ち寄られた古着などの布類を詰めて巨大なぬいぐるみ「Pup King」を完成させるというプロジェクト型作品です。最初は痩せて床に伏せている犬も、多くの来場者の力により生き生きとしてきます。全長7mにもなる愛らしくて柔らかい犬の表情が来館者にほっこりとした安心感を与えてくれます。
「Pup Patrol」では壁に掛けてある犬の着ぐるみを纏った子どもたちによる館内パトロールが行われます。 -
奈良美智『Moonlight Serenade ― 月夜曲』
奈良美智氏は1959年に青森県に生まれ、栃木県在住です。愛知県立芸術大学大学院修了後、1988年より渡独、93年にデュッセルドルフ芸術アカデミー修了。以後ケルンを拠点に制作活動を行い、拗ねたような挑む目をした子どもや動物をモチーフとした絵画、ドローイング、立体、インスタレーションが国際的に高い評価を得ました。2000年より活動拠点を日本に移し、展覧会での発表の他、絵本、CDジャケット、プロダクト・デザイン等の様々なメディアに展開。2003年から2010年には豊嶋秀樹らとの共同制作を行いました。近年は陶やブロンズによる立体アートも手掛けています。 -
奈良美智『Moonlight Serenade ― 月夜曲』
このカウンターで奈良氏が考案された「犬の着ぐるみ」をレンタルしていただけます。勿論無料です!
ところが小学生限定だそうで、あっけなく撃沈!!
幼い子どもや無邪気な子どもたちが着るからこそ可愛いのでしょうね!
ここで21世紀美術館とは一旦お別れです。 -
金沢市役所庁舎
21世紀美術館のお隣の金沢市役所庁舎前広場に飾られているフラワーウォールです。
ベゴニアやシロタエギクなど8種類800株の花苗を用いた市松模様がきれいです。 -
ヤマボウシ
長町武家屋敷跡へ向かうため、21世紀美術館(しいのき迎賓館向い)からバスに乗り香林坊(日銀前)で降車します。
鞍月用水の上で仄かにピンク色に染まった総苞片が薫風に揺れる姿が可愛らしいです。 -
小松砂丘の句碑「明暗碑」
香林坊 東急スクエア横手にある「せせらぎ通り」の坂道に1958(昭和33)年に建立された小松砂丘の句碑「明暗碑」が佇みます。
「明暗を 香林坊の 柳かな」と刻まれており、この「明暗碑」は五木寛之氏が作詞した楽曲『金沢望郷歌』にも登場します。五木氏は砂丘が大好きで『風花のひと』や『流されゆく日々』等、小説やエッセイに度々書かれています。
江戸時代後期に香林坊に柳がはじめて植えられて以降、香林坊から柳が連想されるようになりました。この句もそうした背景で詠まれたもので、風情ある川畔を明暗を背負った人々が行き交う様を表現しています。句碑建立の経緯について砂丘は次のように記しています。
「香林坊橋の詰にあった人家を取り払って風致地区にした。香林坊商店街の名で吉田嘉一が柳六本と敷石凡そ六万円を市へ寄付した。後日誰が作ったか不明になるから碑を一本建てることにした。それがこれである。除幕式、そんな面倒なこといらない。それ二人で拍手三度最敬礼これでよろしい。ところが香林坊片町近代化と共に拡張、又拡張、その都度句碑は横辷り三度移された。」(『「犀星往生」ー俳人小松砂丘が描く犀星の一生』より引用)
このような繁華街に句碑が佇んでいるのが金沢の面白いところであり、文学の街・金沢の面目躍如と言ったところです。
小松砂丘は石川県生まれの俳人で別号に「烏茶」があります。臼田亜浪の「石楠」に参加して幹部を務め、また筏井竹の下で俳画を学び、晩年はこれに力を注ぎました。その軽妙洒脱な人柄から、多くの人々に「金沢最後の文人墨客」と呼ばれ慕われたそうです。句集には青柳菁々との2人集『加賀二人集』があります。また、石川県俳文学協会の初代会長を務めました。 -
金沢職人大学校 長町研修塾
武家屋敷をルーツとする和風建築の外観と庭園・茶室が観光客にも無料公開されています。職人大学校は1996年に歴史的建造物や景観に関わる伝統技術の保全・継承と職人の育成を目的に金沢市長が中心となって設立された全国初の教育機関です。その趣旨から受講対象は一定のキャリアを積んだ職人さん限定です。この屋敷は江戸時代末期~明治時代初期の建築と比定されており、これを教材として大学校の1期生が修復・改修を行いました。茶室「匠心庵」とその露地も同様です。
文化財を守るために積極的に資源投資する金沢市に対し、某府・某市は「身を切る改革」と称しながら、「我が身」とは真逆の交響楽団への補助金廃止や文楽協会への補助金削減など文化・伝統を切り捨ててきました。そして今度は「未来社会のデザイン」を謳った万博2025を開催するのです。その最大の売りが「空飛ぶクルマ」です。しかしこれは、既存技術の組み合わせに過ぎません。過去(伝統)のものをリスペクトしない不逞の輩たちは、魂の入っていない箱モノでどんな万博にしたいのやら。せめて恥の上塗りにならないことを願うのみです。
元々日本は欧州などに比べて文化・芸術への予算が乏しい国です。文化・芸術貧国へ凋落させないために、我々に何ができるのか改めて考え直す機会をいただいたとの思いです。 -
長町武家屋敷跡
城下町・金沢らしい土塀の連なりや石畳の小径が情緒を湛えます。
金沢一の繁華街 香林坊から一歩路地へ踏み入ると、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような風景が広がっています。
2017年の旅行記です。
https://4travel.jp/travelogue/11252054 -
鏑木商舗 春日山窯 木米庵
2017年にオープンした九谷焼 鏑木商舗の姉妹店で、九谷ミュウジアムの3軒隣にあります。人間国宝の作品をはじめ人気作家さんの作品、和と洋のコラボ商品、自社ブランド商品などバラエティ豊かに扱われています。
鏑木商舗は1822(文政5)年に徳川11代将軍 家斉の治世に九谷焼最初の商家として金沢で開業し、以来約200年に亘って暖簾を守られています。創業当時は古九谷の廃窯から110年余り絶えていた九谷焼を再興しようとの気運が高まっていた時代でした。加賀藩の意向を受け、各窯から仕入れた製品を販売するだけでなく自家工房に名工を集めて絵付けを行い、九谷焼の藩内普及の一翼を担ったそうです。
やがて明治・大正時代に入ると、国内での展覧会に加えて海外の万国博覧会にも出品し、数多くの賞と「鏑木の九谷は一級品」との名声を獲得しています。 -
鏑木商舗 春日山窯 木米庵
九谷焼の起源は1655(明暦元)年頃まで遡ります。大聖寺藩九谷村(現 加賀市)で、良質の陶石が発見されたのを機に、初代藩主 前田利治が藩士後藤才次郎に命じて肥前有田で製陶の技能を習得させ、帰藩後に殖産政策として窯を興させたのが始まりとされます。
この時期の磁器は「古九谷(こくたに)」と呼ばれ、青(緑)、黄、赤、紫、紺青からなる九谷五彩によって描かれた華麗かつ豪胆な上絵付けが特徴です。
その後、古九谷が廃窯となって110余年後、九谷焼は加賀藩によって再興される運びとなります。文化年間(1800年頃)、産業奨励・失業者救済の目的で加賀藩は京都の俳画師 青木木米(もくべい)を招き、金沢市春日山に築窯させます。これを契機に若杉窯・小野窯・吉田屋窯・永楽窯など、新しい窯が次々に興り、九谷焼は再興されました。これらの窯では日常品なども焼かれるようになり、九谷焼は産業的な発展をなしました。また、各々の窯が特徴ある画風を有し、九谷焼の持つ多彩な美の源流ともなりました。 -
鏑木商舗 春日山窯 木米庵 青木木米(もくべい)碑
門を潜った右手奥に金沢九谷の祖 青木木米の碑があります。鏑木商舗のHPには「この碑は木米が窯を築いたとされる卯辰山登口付近にあったものをこちらへ移築したもので、その台座には数々の九谷焼の破片が散り嵌められています。」とあります。
石碑には「金澤九谷陶宗木米窯址」と刻まれています。明治期に活躍し、金沢最後の文人墨客と称された俳画師 小松砂丘の揮毫です。この石碑については、青御影石製のために酸性雨の影響などで腐食が進み、ほとんど解読不明との記事を読んだことがあり、鏑木商舗へ経緯を確認しました。小松砂丘が書いた木米碑の原本を基に、元々あった円柱碑を用いて彫り直したものだそうです。右隣のドーナツ状の石板は元の円柱石碑の台座ですが、そこへ移設した年号「平成二十九年春」を刻んだそうです。修復版とは言え木米の威徳が偲ばれる碑であることは間違いありません。
因みに青木木米は京都生まれの陶工で、1806(文化3)年に加賀藩の招きにより金沢市春日山に築窯し、そこで青磁・染付・南蛮などの写し物を制作しました。しかし翌年に金沢城二の丸御殿が焼失したため、藩窯計画は中断、木米は僅か1年で帰京しました。一方、春日山窯は1818(文政元)年頃まで製陶が続けられ、この春日山窯が契機となり、後年、本多貞吉が小松で若杉窯を興した他、金沢や能美、江沼に陶業が興り、九谷再興に繋がりました。
尚、青木木米は永樂保全や仁阿弥道八と共に京焼の幕末三名人とされています。
春日山窯 木米庵のHPです。
https://kaburaki.jp/shops/mokubeian -
ターバンカレー 総本店
着物を着換えてからランチを食べに行きました。
ターバンカレーは1971(昭和46)年に金沢市内中心部に店を構えた金沢カレーを代表する老舗です。2005年から総本店は金沢市広坂にあるこの店に移っています。
ターバンカレー誕生のルーツは、洋食料理人 田中吉和氏が1961年に「洋食タナカ」をオープンさせたところまで遡ります。そこで提供していたカレーが人気となり、常連客 岡田隆氏と共に1971年にカレー専門店「ターバンカレー」を立ち上げました。
現在はゴーゴーカレーの姉妹店ですが、ターバンで修業したゴーゴーカレー宮森社長の「師匠の店を残したい」との思いが事業承継に繋がったそうです。いわば、「ゴーゴーにとってターバンは実家」と言うことのようです。 -
ターバンカレー 総本店
「Lセットメニュー」はロースカツにウインナー、ハンバーグを載せた3点盛りのゴージャス版です。
金沢カレーの中では比較的あっさり目のシンプルなカレーです。カレー風味は控え目で、赤ワインが多いのか濃い目のデミグラソースに近い味です。
カレールーに関しては、先代から引き継いだ20種類以上のスパイスをブレンドしたものだそうです。現在は中辛ですが、以前はもう少し辛口だったそうです。「加賀八つ房とうがらし」と「能登の塩」を使いだして辛さが丸みを帯びたそうです。
また、豚肉は石川県産の「能登豚」を使用しており、石川県産食材の地産地消に拘った味を追求されています。
一般的な金沢カレーは次の特徴を持っています。
・ルーは濃厚でドロッとしている。
・付け合わせとしてキャベツの千切りが載っている。
・ステンレスの皿に盛られている。
・フォークもしくは先割れスプーンで食べる。(ここは先割れスプーンでした)
・ルーの上にカツを載せ、その上にはソースがかかっている。
美味しかったです。ごちそうさまでした! -
ターバンカレー 総本店
平日の13時過ぎの入店でしたが、ほぼ満席状態でした。コンパクトな店内はカウンター席がメインで、テーブル席は2人掛けが2卓です。
まず、外にある食券機で食券を購入し、入店してオーダーするシステムです。5分強で給仕されます。
特筆すべきは、総本店は創業者である岡田氏の家族によって切り盛りされていることです。奥さんと娘さんのようです。 -
アニッシュ・カプーア『L’Origine du monde(世界の起源)』
ランチ後は21世紀美術館に戻り、時間指定していた「展覧会ゾーン」を鑑賞しました。
ひんやりした薄暗い展示室の一面にある傾斜したコンクリート製の壁面に、巨大な楕円形をした黒い「モノ」が見えます。これは一体何なのか?シンプル過ぎる色合いと形状故に脳は思考回路を活性化させます。
黒い楕円形は壁に描かれた絵のようであり、平らにも、盛り上がっているようにも、深遠な穴が開いているようにも見えます。しかも正体を暴こうと凝視しているとブラックホールのようにその穴に吸い込まれそうな、不思議な感覚に包まれる作品です。
実は、奥に向かって穴が開けられ、黒く見えますが群青色の顔料で塗り潰された深淵だそうです。奥深い思考へと誘う大人の作品と言えます。
この部屋だけは残念ながら写真撮影禁止です。
この画像は次のサイトから引用させていただきました。「掲載許可承諾済」
https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=30&d=5 -
パトリック・ブラン『緑の橋 』
ガラス張りの廊下をまたぐようにつくられた、ジブリ的な雰囲気を醸す作品です。僅か14cmの厚さの壁の両面には、金沢の気候に適した100 種類もの植物が植栽され、四季折々に美しい姿を見せるため、季節によって景色が変わるそうです。日射量等の条件が異なる南北の各面で、それぞれの条件に適した植物が選定され、各面の印象が異なるのも特徴です。
パトリックが10代の頃に植物が育つ環境条件に興味を持ち、「垂直庭園」のアイディアを思いつき、それを具現化したものです。「限定的な環境の下でも植物は順応していく」という植物学者パトリックの理論をこの作品が実証しています。アート作家でもあり植物学者でもあるパトリックの知識が最大限活かされた作品と言えます。
また、壁一面に様々な植物が生い茂り、やさしげな緑を創り出すこの作品は、心を癒し、和ませてくれます。 -
パトリック・ブラン『緑の橋 』
展覧会ゾーンではこのガラスのトンネルを潜ることができます。交流ゾーンでは鑑賞のみ可能です。
パトリックは、1953年にパリで生まれ、現在国立科学研究所の植物学者であり植物アーティストとしても世界的に有名な方です。
「垂直庭園」と呼ばれる壁面緑化を(植物の壁)を発明し、フランスをはじめ日本や台湾、スペイン等世界中の壁に植物を植え付け、そのプロジェクトで多くの壁面緑化フォロワーを生み出しています。
植物を「オブジェではなく共生するパートナー」と説くパトリックは、植物が過去から現代に至るまでもいつも生活の傍らにいてくれたことへの感謝の気持ちを忘れないため、植物の壁を室内や都心に創るのだと言います。
彼が「垂直庭園」を思いついたエピソードは、次のようなものです。
ある日、水中の植物が水槽内の水を浄化していることを知り、遊び半分に植物を鉢から抜き取り、根を洗って水槽に入れてみました。植物は水槽から養分を吸収することで水を浄化し、魚やカエルは根に卵を産み、水中の植物は成長し続けました。 こうした自然界の営みに感動したパトリックは植物をひたすら成長させました。やがて水槽から伸びた植物は天井まで到達し、これが植物の壁の最初の作品になったそうです。 -
ヤン・ファーブル『雲を測る男 』
「交流ゾーン」からも見られますが、「展覧会ゾーン」では同じくガラス越しですが斜め下から間近で見上げられます。
ヤンは、1958年にベルギーのアントワープに生まれ、現在は同地を拠点として活動されており、美術や演劇、オペラ、パフォーマンスなどジャンルを横断するマルチ・プレイヤーです。昆虫や蜘蛛の観察から構築されたドローイング作品や動物の死骸や剥製を取り入れた彫刻作品、また、血や塩などを用いたパフォーマンスなど、生と死についての探求が一貫してヤンの制作テーマとなっています。
彼の作品にはボス『地上の悦楽の園』をモチーフにしたものもあります。彼が初めてボスの絵に接したのは、10歳の頃でした。絵画の模写をするために父親に連れて行かれた美術館でボス『愚者の船』に遭遇しました。しかし彼は、ボスだけでなくフランドル派の芸術家すべてからインスパイアされたと語っています。また、ベルギー出身の彼は、自らを「巨人の国で生まれた小人」と語り、先人のアートには現代に通じる想像力や表現性も感じると敬っています。こうした姿勢が彼の感性をより研ぎ澄ませているのでしょう。 -
レアンドロ・エルリッヒ『スイミングプール(レアンドロのプール)』
この美術館で最も著名な作品と言っても過言ではありません。水中へはこうした地下道から潜り、水族館へのアプローチを彷彿とさせます。
このプールは水上からと水中から鑑賞できます。因みに、L'Arc~en~Cielの楽曲のMVが撮影された場所でもあり、日本で一番SNSでシェアされているアートかもしれません。
レアンドロの作品であることから「レアンドロのプール」とも呼ばれますが、正式名は『スイミングプール』です。ヴェネツィア・ビエンナーレなどで仮設展示された後、ここに常設されています。 -
レアンドロ・エルリッヒ『スイミングプール(レアンドロのプール)』
光庭に設置されている奇妙な感覚に浸れる作品です。ライムストーン色のデッキが周囲を縁取り、プールは眩しいほどの水色で彩られ、小学校時代の夏休みにタイムスリップしたかのようです。しかし不思議なことに、波立つプールの中では人が着衣のまま揺れる水中に戯れ、カメラを構えています。一見、水が満たされたプールに見えますが、実は透明のガラスの上に深さ10cm程の水が張られ、ガラスの下は水色に塗られた空洞になっています。ガラスの下からも仰いで鑑賞できるため、まるで水中に人がいるかのように見える仕組みです。種明かしをしてしまえば、どうってことないのですが…。
日常的なものや事を通して認識を変貌させて「アハ」体験させてしまうのは、レアンドロの魔法のひとつです。「プール」というありきたりの存在を未知で斬新な要素と組合わせて非日常化することで、見る側の問題意識を誘発させる作品です。 -
スイミングプール(レアンドロのプール)
このプールで愉しいのが、水上と水中の鑑賞者による交流です。手を振れば、手を振って応えてくれます。鑑賞する者同士が交流することで作品の一部に同化するとは、なんとも粋な発想の作品です。
<注意事項>
現在、水中からの観覧には事前予約または当日順番待ち受付が必要になっています。予約開始は観覧希望日の1週間前(観覧希望日の前週同曜日)の9時からです。経験上、予約開始から30分で埋まりますので、9時丁度に午後2時か3時を押さえるのが予約獲得の秘訣です。恐らく、旅行業者などが一斉に予約を取りに来ているのだと思いますが、午前中はあっという間に埋まります。定員も毎時20名と少ないことも要因ですが…。しかしこれはコロナの影響でしょうから、やがては元に戻ることを期待しています。尚、14:00で予約した場合は、14:00~14:50の間に「展示室6」の前で受付を終える必要があります。
予約サイトです。
https://airrsv.net/kanazawa21/calendar -
レアンドロ・エルリッヒ『スイミングプール(レアンドロのプール)』
レアンドロは、1973年にアルゼンチンのブエノスアイレスに生まれ、現在はウルグアイのモンテビデオに在住し、ブエノスアイレスやウルグアイを拠点に活動されています。
人の知覚を揺るがすような作品を通し、我々がどのように事象を捉えて空間と係わり、そして現実を把握していくかのプロセスを探究されています。
知覚や認知といった気難しい高度なモチーフを取り扱いながらも、ユーモアとウイットに富んだ騙し絵のような手法でストレートに表現される彼の作品は、作品を体験する者同士の関係を解きほぐし、鑑賞者が共感できる体験の場を提供しています。この『スイミング・プール』なら、気軽にダイブできそうでは? -
アレックス・ダ・コルテ
『マウス・ミュージアム(ヴァン・ゴッホの耳)』2022年
主催展覧会は「アレックス・ダ・コルテ 新鮮な地獄」でした。正直なところ、勉強不足でどんなアーティストかも知りませんでした。感想としては、感情や時空など、本来は見られないものまで可視化することで、鑑賞者の深層心理に働きかけてくる作品が多いように思いました。
本作はオルデンバーグが自身の芸術作品を陳列するために制作し、1972年のドクメンタ5で発表したマウス・ミュージアムを着想源とした作品です。マウス・ミュージアムは名前の通りミッキーマウスをモチーフにしたものでしたが、アレックスはそこへゴッホへのオマージュを加え、左耳を切り取ったかたちとして『マウス・ミュージアム(ヴァン・ゴッホの耳)』を制作しました。
アレックスが小さい頃から集めていたプラスチックなどの小物、映像作品に登場したグッズなどを並べています。「家の中身と、私の頭の中、映像に登場するもの。私について知ってもらい、ご覧いただく作品です」とアレックスが語る通り、立体的な自画像のような作品です。 -
ペドロ・レイエス『人々の国際連合 武装解除時計』2013年
コレクション展1「それは知っている:形が精神になるとき」の作品のひとつです。
メキシコの銃社会を変えるため、不法所持者から回収された銃を再利用して楽器にし、そこへ時計を組み込んだ作品です。世界が銃から開放される未来の瞬間を目指して時を刻みながら、15分毎にパーカッションのような金属音が鳴り響きます。戦争や紛争により世界情勢が益々不安定なものになってきた今日、暴力の形を平和的な精神へと生まれ変わらせる彼の作品は社会との関わり合いやあるべき未来像について改めて考えさせてくれます。 -
ペドロ・レイエス『人々の国際連合 武装解除時計』2013年
ペドロは、1972年にメキシコ・シティに生まれ、現在は芸術活動による対話を通して人類が抱える危機を解決する道を模索するプロジェクト「人々のための国際連合」を企画・運営しています。
例えば、ギャングによる殺人が頻発し、若い女性が次々と謎の失踪を遂げた未解決事件で知られるメキシコの悪名高き都市シウダー・フアレスで度々仕事をしながら、アートを通して自分の故郷をより良い場所にすることを目指しています。また、ジャーナリストたちが日常的に行方をくらまし、白昼公然と市民が射殺されるような場所で、暴力に使われる道具を再利用し、人のためになる力に転換したいと願っています。
このように溶接された本物のピストルを目の当たりにすると、平和ボケしている当方にも銃社会の暗闇が透けて見えてくるような気がしました。 -
イ・ブル『出現 』2001年
コレクション展1「それは知っている:形が精神になるとき」の作品です。
この天井から吊るされた首のない女性像は第7回イスタンブール・ビエンナーレへの出品に際し制作された作品です。クリスタルやガラスビーズ、ポリウレタンなど様々な素材で作られたドレスは、豊満な胸元やウェストのくびれを形作り、ある種のリアルな官能美を湛えています。
イ・ブルは、この作品の命名に当たり、インスピレーションを与えた作品に敬意を払ってその名を引用しています。その作品とはルーヴル美術館所蔵のギュスターヴ・モロー『出現』です。 -
イ・ブル『出現 』2001年
よく観察すると、左手を高く掲げ、右手を胸元へ深く折り曲げるその姿は、モロー『出現』でサロメが取っているポーズと同じです。
また、衣装に着目すると、モロー『出現』の中のサロメに倣って腰の前で十字に垂れ下がる飾り帯がイ・ブルの女性像にも見られます。更には、イ・ブルの女性像の全身を覆うクリスタルグラスやスパンコールはサロメの全身を覆う宝飾の数々を彷彿とさせる輝きです。つまり、イ・ブルの女性像のモデルがモローのサロメであることは自明です。
このように作品の多くは、歴史や美術史、神話などで継承されている伝統的な図像や大衆性のあるテーマをモチーフにし、そこへ個人的な経験や想像を織り交ぜながら、文化や時代を横断する壮大な世界を繰り広げています。
イ・ブルは、1964年にヨンジュ(韓国)生まれ、1980年代後半から作品発表を始めました。身体的アイデンティティに関わるパフォーマンスから始まり、磁器、バルーン、生魚など様々な素材を横断的に用いた立体作品も発表してきました。
また、近年はポリウレタンやステンレス・スチールといった現代的な素材積極的にを取り入れ、機械と有機体との融合を象徴するかのような作品を生み出しています。 -
樫木知子『タイルの部屋』2010年
コレクション展1「それは知っている:形が精神になるとき」の作品です。
繊細かつ流麗な描線と透明感のあるナイーブな色彩により、白昼夢のような幻想的な世界を紡ぎ出す作家です。人物をはじめ、多様なモチーフを多層的に描き重ねる描法は、臨場感のある不可思議な絵画空間を現出させ、その異次元世界に観る者を誘い込みます。
この『タイルの部屋』は、京都市立芸術大学大学院在籍中に制作したもので、現在のスタイルを確立させた記念碑的な作品であり、超常現象をモチーフとして扱った作品です。歪んだ面や屈曲した線を要素として多視点的に構築したタイルの部屋には、屹立する樹木の枝にまといつくひとりの人物が描かれています。その人物の四肢や衣服は室内空間に緩やかに漂う枝を経由し、多次元的空間の中に融け込んで行こうとしています。作家としてスタートを切ろうとした往時の彼女の期待と不安が豊かな感性と相俟って、この絶妙にバランスのとれた構図を生み出しています。
樫木知子女史は、1982年に京都府に生まれ、2011年に京都市立芸術大学大学院で『美人画に関する研究』で博士号を取得しました。以後、絵具の塗布とその表面の研磨を繰り返すことにより、平滑なテクスチャーと流麗な描線を特徴とする人物像を描き続け、自身の芸術の更なる進化を追究しています。2009年にVOCA奨励賞受賞。2012には京都市芸術新人賞を受賞するなど国内で高く評価を受ける一方、近年はアジアや欧米での個展の開催やグループ展に参加するなど、活躍の場を拡げています。 -
フェデリコ・エレロ『クリメント氏の葬送行進の様子』2002年
コレクション展1「それは知っている:形が精神になるとき」の作品です。
一見、ルノワール『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』のオマージュかと思いましたが、よく観ると違いました。
フェデリコは、1976年にサン・ホセ(コスタリカ)に生まれた、迷彩柄のキャンバスにマジックインキやスプレーなど多様な素材を用いて様々な図柄を描く作家です。
図像は、作家を取り囲む人間像や日常の中で起きる出来事、瞬間的に浮かび上がる心象などから創造され、遠近感を取り去った平面的な描写が特徴です。 -
フェデリコ・エレロ『クリメント氏の葬送行進の様子』2002年
フェデリコが創造したコミカルかつ奇妙奇天烈な動物や半人半獣などが画面中央下にか細い線で描写されています。見ようによっては、子どもの落書きです!
また、それらを取り囲むように多様な色彩を乱暴に塗り重ね、その間に滴るように茶色の絵具を垂らしているのは意味深です。
遠くから見るのと、こうして近づいて観るのとのギャップで鑑賞者が「アハ」体験するのを想像しながら描いているような気がします。 -
松田将英『The Big Flat Now』2022年
コレクション展1「それは知っている:形が精神になるとき」の作品です。
コンセプチュアル・アーティスト松田将英氏が「泣き笑い」の絵文字を巨大なバルーンで表現し、アートへと昇華させた作品です。
この顔文字は実は世界で最もポピュラーなものであり、世界中でやり取りされる顔文字の5%以上がこの顔文字だそうです。
一方、この顔は見るほどにどんな気持ちなのか判らなくなってくる不思議な表情をしています。泣いているのか、笑っているのか、呆れているのか、皮肉っているのか、考えるほどにカオスに陥っていく気がします。松田氏は「多面性・匿名性も含め、この顔はいわば『現代を象徴する顔』」と述べられています。
普段見慣れたものでも新たな視点から観ることで新たな発見があるのだと、驚きと感動を覚えた作品でした。 -
ピピロッティ・リスト『あなたは自分を再生する』
オブジェから流れる映像とメッセージが神秘的で、不思議な感覚に陥ります。この作品がどこにあるかと言えば、なんと「展覧会ゾーン」にあるトイレの中です!
ピピロッティ女史は、トイレを神聖な場所と見立て、洗面台の脇に設けられた30cm四方の祭壇の中にクリスタルとコイン形のこの美術館をモデルにしたオブジェを配しています。オブジェには飲食物が体内で血液や涙、内臓組織へと変化する様子を賛美する映像と排泄物に対する感謝のメッセージが映し出されます。食べ物から栄養分を吸収し、残りを排泄することで常に新しく再生されるというメッセージです。今風に言えば「デトックス」に近いかもしれません。英語のタイトルは「You renew you.」とあり、コンセプトがより明確です。
天使のようなリストの歌声や水の音、鳥の声などをミックスした音楽と相俟って、鑑賞者はトイレという日常の場にいながら、神秘的かつ幻想的な非日常の世界に浸れます。
尚、作品は男子トイレと女子トイレ各1カ所に設置されていますが、設置されているトイレの場所はそれぞれ異なります。尚、「展覧会ゾーン」にはトイレは2箇所しかありません。 -
廻る富山湾 すし玉 金沢駅前店
21世紀美術館を後にし、ホテルに預けた荷物をピックアップします。夕食は金沢駅周辺で摂ることにし、せっかくなので金沢での「最後の晩餐」は鮮魚が堪能できるお寿司をチョイスしました。
クロスゲート金沢2Fにある「北陸金沢回転寿司 のとめぐり」にするか悩みましたが、コスパの高い「すし玉」に決定。金沢駅 あんと西2Fにあります。
創業70余年、能舞台の鏡松をあしらったつけ場があることで知られる金沢の歴史ある寿司店「金澤玉寿司」が運営する回転寿司「すし玉」チェーン店です。富山で人気を博した後、2007年に逆輸入される形で金沢へ凱旋出店を果たしています。尚、現在は回転寿司形態ではありません。
平日限定の「グルメ盛り」をオーダーしました。スタンダードな10貫盛りですが、普通の回転寿司のネタとは雲泥の差です。特にガス海老は大きくて甘くて絶品でした。また、繁忙期を除く平日限定でお味噌汁が無料になるのも嬉しかったです(セルフサービス)。白味噌をベースに海老の出汁がアクセントになっており、美味しかったのでお替りしたほどです。
平日でしたが17:30にはほぼ満席状態でした。早めの入店がベターです。 -
今回の旅行で家族用に購入したお土産です。
左上から時計回りに、「おはなしのつづき」のブローチ、「鏑木商舗」の九谷焼 小皿、車麩、「有限会社カネイシ」の能登のイカ魚醤 イシリ、「小島商店」のめかぶ粉末、小車麩、「竹屋」のガーゼてぬぐい、「ル ミュゼ ドゥ アッシュ(LE MUSEE DE H)」の期間限定 YUKIZURI いちご味、「ル・コタンタン金沢」のきんつばビスキィ -
きんつばビスキィ「プレーン・抹茶」(ル・コタンタン金沢)
ル・コタンタン金沢のシンボルは「梅水引」です。これは、伝統工芸の街・金沢の手仕事の象徴であり、「結ぶ」と「贈る」という2つの意味が込められています。そして「和」と「洋」が結ばれて誕生したのが「きんつばビスキィ」です。
クリーミーで香り豊かな風味を誇るノルマンディー地方イズニー製「手作り発酵バター」と古都 金沢で愛されてきた伝統的和菓子「きんつば」を高い次元で融合させた斬新なスイーツです。
ビスキィは元々スポンジ生地を指し、ビスケットの語源でもあります。そのビスキィの上に「きんつば」が載る和魂洋才と表現するのがピッタリのスイーツです。しっかりめのきんつばと餡の中に納まるビスキィが「ふわほろ食感」でとても優しい口当たりです。サクッとしたビスケットとしっとりしたスポンジケーキの中間のような未体験の食感です。味を喩えるなら、極上小倉あん+パンケーキ on バターに近く、この組合せの相性はすでに公認済みです。
尚、賞味期限は3週間(7~9月は2週間)程度です。
https://lecotentin-kanazawa.com -
特急「サンダーバード48号(大阪行)」
JR金沢駅発19:47のサンダーバード48号で帰路に就きます。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
montsaintmichelさんの関連旅行記
金沢(石川) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
70