2023/05/23 - 2023/05/25
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montsaintmichelさん
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- 3,059,008アクセス
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しいのき迎賓館を見学後、同じ並びにあるノスタルジックな赤煉瓦造の建物「石川四高記念文化交流館」を訪ねました。かつては第四高等学校の校舎であり、学都金沢を代表する建物です。閉校後は金沢大学理学部や金沢地方裁判所、石川県立郷土資料館(現 石川県立歴史博物館)としても使用されてきました。現在は旧四高の歴史と伝統を紹介する「石川四高記念館」と石川県ゆかりの文学者を紹介する「石川近代文学館」で構成されています。
夕食は地魚・地酒「くろ屋」でコース料理を愉しみました。JR金沢から徒歩5分ほどの距離にあり、アクセスも良好です。平日でも予約がないと断られてしまうほど地元で人気の居酒屋です。電話予約の秘訣も書き込みましたので参考になさってください。
また、JR金沢駅コンコースには加賀伝統工芸品が潤沢に展示されており、隠れた工芸館となっています。時間を割いてでも見学する価値があります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- JR特急
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石川四高記念文化交流館
香林坊から兼六園方向へ百万石通りを進むと、左手にそこだけ時間が止まったかのようなレトロでノスタルジックな赤煉瓦造の建物が現れます。かつては第四高等学校の校舎であり、学都金沢を代表する建物です。1886(明治19)年の中学校令により、日本で最初に設置された5つの高等中学校のうちのひとつです。
官民一体の誘致活動の賜物で建てられたのですが、驚いたのは学校創設費の12万円が全て寄附で賄われたことです(加賀旧藩主 前田家8万円、地元有志4万円)。流石は元加賀百万石、ノブレス・オブリージュの典型です。
江戸時代は大藩だった加賀藩ですが、金沢は明治時代に入ってから奮わず、人口が幕末の3分の2にも減少していました。それ故、経済活動の起爆剤として学校創設を切望したのかもしれません。1969(昭和44)年に国指定重要文化財に登録されています。
残念ながら守衛の詰所であった門衛所は修理中のようです。
因みに石川四高記念文化交流館の初代館長は前田家18代当主 利祐(としやす)が務めました。 -
石川四高記念文化交流館
玄関車寄せの柱頭装飾はアール・ヌーボーのような華やかさです。
1893(明治26)年~1950(昭和25)年までの約60年間、第四高等学校の校舎として使用されてきましたが、 閉校後は金沢大学理学部や金沢地方裁判所、石川県立郷土資料館(現 石川県立歴史博物館)としても使用されてきました。現在は旧四高の歴史と伝統を紹介する「石川四高記念館(無料:正面に向かって左)」と石川県ゆかりの文学者を紹介する「石川近代文学館(有料:正面に向かって右))」で構成されています。 -
石川四高記念文化交流館
建物の設計は、文部省技師であった山口半六氏と久留正道氏が担いました。同時期に5箇所に設置された高等中学校は全て同じ文部省の設計者が手がけましたが、現存は四高と熊本五高だけであり、見た目は「ソックリさん」です。
1891(明治24)年に現在地に完成し、第四高等中学校本館として利用されました。明治27年に第四高等学校と改称し、1950(昭和25)年に学制改革により閉校しました。
構造および形式は、煉瓦造2階建、桟瓦葺、正面玄関付です。屋根は寄棟造、外観は腰周り、軒周りに釉楽煉瓦や白煉瓦を用い、壁面の赤煉瓦とのコントラストを強調し、意匠的に煉瓦造建造物の単調さを補っているのが特徴です。
また屋根には、雪国故に棟飾りや雪止めの金物のグリルを載せ、煉瓦造の煙突を6ヶ所に立てることでリズム感を付与しています。 -
石川四高記念文化交流館
山口半六は文部省在籍時に多くの学校建築を手がけた建築家です。旧第五高等中学校本館、第三高等中学校寄宿舎、食堂(現 京都大学吉田寮)、旧東京音楽学校奏楽堂、兵庫県庁舎など公共施設を多く手がけています。
作風はフランス風ルネッサンスをベースに、シンプルさを希求した作品が多いようです。国家の威信を賭けたような、同世代の建築家の重厚かつゴージャスな作品とは一線を画します。
幕末の1858(安政5)年に島根県に生まれ、1876(明治9)年に神田一橋の大学南校(東京大学の前身)を卒業後、文部省貸費留学生として国立パリ中央工芸学校で学びました。この学校は国家や貴族のための建築ではなく、行政や一般市民の生活向上にスポットを当てた技術や建築を学ばせたそうです。その影響が色濃く、帰国後は辰野金吾や片山東熊、妻木頼黄など同世代の建築家とは異なる独自路線を歩みました。
1881(明治14)年に帰国後、日本郵船の前身 郵便汽船三菱会社の勤務を経て1884(明治17)年に文部省へ奉職。これを機に文部省を退官するまで公共施設などを設計、その中のひとつが旧四高でした。1892(明治25)年に肺結核を患い文部省を休職した後、関西へ拠点を移し自ら設計した兵庫県庁舎の建設中、1900(明治33)年に42歳の若さで他界しています。 -
石川四高記念文化交流館 四高記念碑
建物前にある「四高記念碑」と「第四高等学校寮歌記念碑(北の都碑)」は四高の卒業生である谷口吉郎氏の設計図に基づくものです。
これは、1959(昭和33)年に建てられた、明治・大正・昭和3代の四高生を表した記念像です。右側面には代表寮歌「南下軍の歌」(明治40年制作)の一節が刻まれ、背面の由来文には「集まり散じた同窓同学の士一万二千余 相率いて『至誠自治』の精神を培い『超然時習』の学風を起し 業成りて後は明治大正昭和三代に亘りよく祖国の興隆と文化の進運に寄與した」と刻んでいます。 -
石川四高記念文化交流館 第四高等学校寮歌記念碑(北の都碑)
創立85周年を記念して1976(昭和46)年に四高同窓会によって建てられた、代表寮歌「北の都」(大正4年制作)の記念歌碑です。
上から見ると、校章「北辰星章」の形をしています。「北辰星章」は校名に因んで「四稜星」とも呼ばれます。
碑の正面には、駒井重次氏作詞、金原祐之助氏作曲の南寮寮歌が作詞者の揮毫のままに刻まれています。
「北の都に秋たけて われ等二十の夢数ふ 男女の棲む国に
二八にかへるすべもなし そのすべなきを謎ならで 盃捨てゞ歎かんや
酔へる心の吾れ若し われ永久に緑なる」
尚、背面の由来文に「われらが青春ここにとどまり 宝石のごとく輝く」と刻んでいます。 -
石川四高記念文化交流館
久留正道は山口半六の文部省の後輩(年齢は上)に当り、明治時代後期から学校建築を数多く手がけた建築家です。大阪市立愛珠幼稚園、国際子ども図書館、京都大学学生部留学課留学生センター、京都大学本部構内正門、旧東京音楽学校奏楽堂などを設計しています。
1855(安政2)年に江戸に生まれ,、1881(明治14)年に工部大学校を卒業し、工部省、内務省を経て文部省に移りました。山口半六の下で建築業務に従事し、旧制高等中学校の校舎設計新築に関わっています。1892(明治25)年にシカゴで開かれるコロンビア万国博覧会における日本館の工事監督をするため渡米。翌年帰国し、1897(明治30)年に帝国図書館新築設計委員を命ぜられました。その後、真水英夫を文部技師として招き、帝国図書館の建築に携わりました。 -
石川四高記念文化交流館
屋根瓦を見上げると、豪雪に配慮した雪止めも見られます。
金物グリルと言い、雪止めにしては流麗かつ瀟洒な形をしています。 -
石川四高記念文化交流館
建物には地元産の煉瓦が使われています。往時、煉瓦は輸入品で高価であり、一枚毎に真綿紙に包まれて運ばれるほどの貴重品でした。日本初の機械式煉瓦工場となる大日本煉瓦製造が、かの渋沢栄一によって1887(明治20)年に設立されたばかりの時期でした。
そのため、文部省は地元産の煉瓦を使うことに乗り気ではありませんでした。そこで加賀藩の陶芸家 諏訪蘇山が上京して文部大臣 森有礼の登庁を玄関で待ち受けて直訴し、無名のドイツ人の指導を仰いで地元産煉瓦建築が実現したと言います。
後に蘇山は、太王(朝鮮)の依頼を受けて高麗古窯を再興し、1917(大正6)年に帝室技芸員(人間国宝相当)の称号を授かりました。また、40年かけて美しい青色の砧青磁を再現した陶芸家でもあります。因みに金沢市寺町にある興徳寺の鬼子母神像は蘇山の作品です。青磁の祖だけあり、青が鮮やかです。 -
石川四高記念文化交流館
煉瓦の積み方はイギリス積みです。長い煉瓦だけの段と短い煉瓦だけの段に分けた積み方です。
また、煉瓦の種類も多彩です。単調な外観にならないように、白い煉瓦や釉薬を塗った煉瓦を効果的に使っています。窓縁の他に真ん中と上部には白い煉瓦のラインが見られます。この白い煉瓦は九谷焼の原料となる陶石を使っているとも言われます。赤い煉瓦は地元の土を使って焼き上げたものです。
下方を見ると黒っぽい濃い色になっています。これは焼き過ぎ煉瓦と呼ばれ、硬く焼き締めてあり、水や雪に強い煉瓦です。雨や雪の多い北陸の気候を熟慮しての採用です。洋風の煉瓦建築ではありますが、金沢らしさを湛えた建造物に仕上がっていることが判ると思います。
尚、窓の下方に使われている石板は地元産の戸室石です。窓縁の意匠も1階と2階でデザインを違えるなど、粋でお洒落な感じです。通風孔もに窓と同じ意匠を踏襲しているのは芸が細かいです。 -
石川四高記念文化交流館 1階廊下
中仕切りのアーチがアクセントになっています。 -
石川四高記念文化交流館 階段
カーペットが敷かれ、趣のある階段です。 -
石川四高記念文化交流館 階段
階段の親柱の細工も凝ったものです。 -
石川四高記念文化交流館 階段
手摺りの側面のデザインは四高の校章をモチーフにしています。
校名の四高から四稜星(角が四つの星)になっています。
これは北極星を表す「北辰星章」がモチーフです。中国の「論語・為政編」には「政を為すに徳を以ってすれば、たとへば北辰の其の所に居て衆星の之に共ふが如し」とあります。北天の星々は、北極星を中心に周回しているように見えます。そうしたことから、古来より北極星は方位測定の基点とされました。
星々の中心となり、不動にして道を教える北辰(北極星)。やがてそれが知徳を象徴するものとなり、校歌や校章に多用されるようになりました。四高の北辰星章には剛健と理知と情熱の光が込められ、北都金沢に輝く「英知と人徳の拠点」たることを示しています。 -
石川四高記念文化交流館 2階廊下
明治時代の雰囲気を今に残す廊下です。
建物の北側に廊下を配する片廊下形式になっており、1階は主に教員室や事務所、図書室が配せられ、2階は教室になっていました。 -
石川四高記念文化交流館 復元教室(2階多目的利用室)
元々教室だった部屋には、かつて四高生が使用していた机と椅子のレプリカが置かれています。また、窓は明治時代を象徴する上げ下げ窓です。
小説家 井上靖氏や金沢出身の建築家 谷口吉郎氏、読売新聞社主 正力松太郎氏、京都タワーや日本武道館の設計者として知られる建築家 山田守氏らが、ここで勉学に励んでいたかと思うと目頭が熱くなります。 -
石川四高記念文化交流館 復元教室
ん~、四高に女学生(?)などいませんでしたが…。
最近「教育改革」としきりに言われますが、「旧き佳き時代の教育のあり方」を何となく感じ取ることができました。
四高の校風を表す「超然」の言葉は「流行に左右されず、己は己の信じた道を行く」との意味だそうです。日本で8つしかなかった超エリート校であるナンバースクールのひとつであった四高の学生の「矜持」というか「気構え」が感じられました。 -
石川四高記念文化交流館
日没後の建物は別の表情を魅せてくれます。
レトロな雰囲気だった建物もライトアップにより妖艶さを纏い、より存在感が増します。
ライトアップは日没から22:00まで毎日行なわれています。 -
石川四高記念文化交流館
周辺環境との調和を図りつつ、歴史的建物の威厳や風格を損なわないように全体のバランスに配慮した照明計画になっています。赤煉瓦壁や屋根が47台もの投光器で四方から照らし出され、幻想的に浮かび上がります。
尚、照明デザインは(株)近田玲子デザイン事務所が監修されています。
雰囲気を醸すために閉館後も一部の窓灯を点灯させ、また外壁照明には煉瓦の色彩が最も自然に見えるランプ色を使うなど工夫されているのが判ります。 -
片町 薄利多売 半兵ヱ
時代物の映画館かと思いきや大人気の居酒屋だそうです。
懐かしい昭和の匂いのする「レトロ居酒屋」といったところでしょうか?
店内も外観に劣らずレトロな看板で埋め尽くされており、昭和にタイムスリップできること請け合いです。
また店名に嘘偽りはなく、薄利多売をモットーに、地元では超激安価格で飲食できる店として定評があります。
また、「昭和なドリンク」と銘打った、トリスウイスキー、電氣ブラン、シャンペンソーダ宙ハイ(懐かしの粉末ジュース)など、テレビでしか見たことのない昭和っぽいドリンクもあります。
因みに駄菓子もあるそうです。 -
JR金沢駅 鼓門(つづみもん)
JR金沢駅のシンボルが2005年に竣工した「鼓門」です。鼓門は石川県の伝統芸能「加賀宝生流」と呼ばれる能楽に用いられる鼓をモチーフにしています。何故、能楽の鼓かと言えば、金沢では加賀藩初代当主 前田利家の頃から代々能楽を愛好しており、庶民の暮らしにも能楽が溶け込み、愛されてきたからです。特に5代藩主 前田綱紀は、往時の徳川将軍 綱吉に倣って加賀宝生流を愛好し、武家だけでなく庶民にも広げました。そして今でもその文化は連綿と紡がれており、それを象徴するのが石川県立能楽堂や金沢能楽美術館など能楽専門の美術館です。このように人々に愛されてきた能楽、そしてそれに用いられる鼓をモチーフにした門構えで訪れる人々を歓迎したいという思いから、こうしたデザインにしたそうです。
因みに設計者は建築家 白江龍三氏です。日本設計勤務時代には「多摩動物公園昆虫生態園」で日本建築学会作品賞を受賞されています。 -
JR金沢駅 鼓門
屋根を支える高さ13.7mの2本の柱は、鼓では「調緒」と呼ばれ、小鼓や大鼓、太鼓などに使用される麻紐、ロープのことで、調律の役目を担います。
外側の柱の1本1本が時計回りに捩れるように組み込まれ、更にその内側の柱は反時計回りに捩じることで螺旋を構成しています。緩く流麗にウェーブする屋根と柱のコンビネーションが実に優美で、威厳に満ちた風格の中にも日本伝統の繊細さを秘めています。
因みに2本の柱の中には送水管が通され、屋根に溜まった雨水や雪を貯水槽に送り、それを再利用できる仕組みです。現在叫ばれているSDGsにも対応しているとは、意外とハイテクな門です。 -
JR金沢駅 鼓門
近年、能登地域を中心とした地震が続いています。そこで、鼓門の耐震性が気になるとことです。
柱の構造は、垂直荷重を支える鉄骨造と地震などの水平力を支える木造とのハイブリット構造となっており、螺旋状の柱の内側には太い鉄骨が配備されています。また、幾重にも連なった柱で螺旋を形成し、全方位からの地震力に対応しつつも美しい「鼓」のような外観を創生してます。
因みに柱の材料は、トガサワラ(米松)と呼ばれる北米から輸入した常緑針葉樹です。トガサワラは柱などの骨組みや梁、大型建築に使用されることが多く、日本の松と比べて強靭で加工がし易いため、鼓門のように捩れた構造には適するようです。 -
JR金沢駅 鼓門
繊細な面格子が緩く曲線を描く天井の造形美には思わず見入ってしまいます。
天井ドームは大きな傘をイメージしているそうです。雨や雪の多い金沢で、駅を降りた人が雨や雪に濡れないように「そっと傘を差し出す」、そんな粋な心意気をさりげなく表現しています。「弁当忘れても、傘忘れるな!」のお国柄ですから…。 -
JR金沢駅 鼓門
屋根を支える部位には寺院などの和風建築に見られる枓栱を構造工学的にアレンジしています。
こちらも造形美を湛えています。 -
JR金沢駅 もてなしドーム
雨や雪が多い金沢にあって、駅を降りた人に傘を差し出すおもてなしの心を表しているのは鼓門の天井と同じコンセプトです。ガラスとアルミ合金でできた巨大なドームです。
幾何学模様を呈したガラス天井に使用されている強化ガラスは3019枚。それも正方形のガラスは1枚もなく、精巧なパズルを組み立てるようにドームが形成されているというのも吃驚です。
形状は半径90mの巨大な球の一部を、三味線のバチの形(T字型)に切り出した形状になっています。高さは最大29.5mあり、9階建てビルに匹敵します。
構造はアルミ合金のパイプを三角形に組み立てたアルミトラス構造で、6000本のアルミフレームが使われています。強度は180cmの積雪に耐える設計です。これは過去に記録された金沢の最深積雪だそうです。 -
JR金沢駅 もてなしドーム
全面ガラス張りのスケルトン構造ですので、幾何学的なアルミフレームの骨組みが繊細なレース編みを彷彿とさせます。
左端の建物は、地上30階(高さ130m)・北陸随一のスケールを誇るラグジュアリーホテル「日航金沢」です。 -
JR金沢駅 兼六園口 オブジェ「やかん体、転倒する。」
金沢駅兼六園口(東口)から金沢フォーラスへ行く途中にあります。
三枝一将氏が制作したタイトル「やかん体、転倒する。」というオブジェです。三枝氏は東京を拠点に鋳金作家として活躍されています。
この作品は「金沢・まちなか彫刻作品・国際コンペティション2006」において、470作品の中から最優秀賞に輝いた作品です。
タイトルの通り、やかんがひっくり返って地面に埋まっているという斬新なデザインが、行き交う人々の心に潤いを与えてくれます。この作品で面白いのは、作品の裏手に回ると「やかん」の蓋が転がっていることです。 -
JR金沢駅 コンコース
兼六園口(東口)と金沢港口(西口)を繋ぐ全長120mのコンコースには、12対24本の柱が設置されています。柱には県産材の能登ヒバが用いられ、鼓門をイメージした門型をしています。その内側面には石川県を代表する作家さんが制作した九谷焼や加賀象嵌、金沢漆器など伝統工芸品のプレートが嵌め込まれています。24本それぞれの柱で異なった作家さんの作品が見られ、また、それらを見比べることで同じ「九谷焼」でも作家さんによって全く違った印象になることに感動させられます。
また、柱の東西方向面にはこのようにデジタルサイネージが設置され、大都市圏のターミナル駅を彷彿とさせる景観を呈しています。 -
JR金沢駅 観光案内所 加賀まとい
加賀鳶(とび)による加賀まとい総ふりを皮切りに、華麗な百万石音頭や勇壮な太鼓演奏、ほら貝のファンファーレと共に「百万石行列」が開幕します。
因みに「まとい」は、「まとまる」「まとめる」が語源であり、昔から大将の所在を示す旗のぼりの意を含みます。
また江戸時代に入ってからは、火消しが火の手の最防衛場所を示す目的でも使われました。 -
JR金沢駅 観光案内所 かがやき甲冑展
これは金沢百万石まつりの行列に使われる「赤母衣衆(あかほろしゅう)」の甲冑です。赤色の鎧兜に母衣を背負った騎馬武者が百万石行列のとりを務めます。因みに母衣は、背後からの矢を避けるための竹篭です。
織田信長の家臣団には馬廻り役から選抜した赤と黒の母衣衆がおり、前田利家が織田信長に仕えていた青年時代には赤母衣衆として従事し、その筆頭にも抜擢されました。 -
JR金沢駅 コンコース 大樋焼『月の煌めき』
金沢の希少伝統的工芸品としては、江戸初期から350年も前から続く楽焼「大樋焼」が挙げられます。茶道における侘び寂びの理念から生まれたもので、京都の楽焼の流れを汲むお抹茶椀を大樋長左衛門が作り始めたのがルーツです。この陶壁は華やかな色合いですが、本来は飴釉の独特な発色を特徴としており、その器は口当たりが柔らかく、主に茶道具として人気だったそうです。
その大樋焼の陶壁がみどりの窓口前の通路に飾られており、文化勲章受章者 10代 大樋長左エ門氏による作品で幅8m、高さ4mの大作です。作品名『日月の煌めき』と言い、自然の美しさや儚さがしみじみと感じられます。尚、大樋マークも添えられています。
<作者の言葉>
「日月はそのままに時だけが過ぎていきます。それでも、金沢には独自の四季が訪れてきます。駅は様々な人々の交差点でもあり、それぞれの道と、それぞれの人生がすれ違う場でもあります。そして古代から、人の旅立ちには別れはないと我々は信じてきました。陶壁のある、この変わらぬ空間からの煌めきによって、それぞれの人に、それぞれの光が見えることが私の願いでもあります。
江戸時代から伝わる大樋焼の技術である手捻り・削りなどをそのままに、更に絵付けを施した中で、私のこれまで培った感性を確信しながら仕上げました。石川・金沢の新しい歴史の節目の空間となれば幸いです。」 -
JR金沢駅 コンコース
天井には前田家の家紋「加賀梅鉢」をあしらった間接照明が設置されています。
これも金箔仕上げなのでしょうか!? -
JR金沢駅 コンコース
24本ある柱の内側面には石川県が誇る伝統工芸品が展示されています。
その中には、無形重要文化財保持者の作品も見られます。
兼六園口(東口)から金沢港口(西口)まで、順に掻い摘んで紹介いたします。
左「輪島塗」
無形重要文化財「沈金」保持者 前史雄 作
右「金沢漆器」
重要無形文化財「蒔絵」保持者 中野孝一 作 -
JR金沢駅 コンコース
左「輪島塗」
三谷吾一 作
右「九谷焼」
山岸大成 作 -
JR金沢駅 コンコース
中央改札前の天井を見上げるとドーム型です。
駅舎にドーム天井があるのは東京駅丸の内北口駅舎しか知りませんが、珍しいものだと思います。
尚、この辺りの天井はリニューアル以前の構造がそのまま生かされているそうです。 -
JR金沢駅 コンコース
ドーム型天井を中央にして和の格天井をイメージしたと思しき天井が左右に続いています。
金沢らしい意匠です。 -
JR金沢駅 コンコース
左「金沢漆器」
加賀蒔絵作家 清瀬一光 作
右「九谷焼」
3代 浅蔵五十吉 作 -
JR金沢駅 コンコース
左「加賀象嵌」
白銀師 加澤美照 作
右「茶の湯釜」
茶の湯釜鋳物師 14代 宮崎寒雄 作
勉強不足で「茶の湯釜」という伝統工芸には疎く、その歴史を調べてみました。
1581(天正9)年に加賀藩主 前田利家の招きで能登中居の鋳物師 宮崎彦九郎義綱が金沢に移住し、武具の鋳造を行いました。その子義一は、茶道の造詣深い5代藩主 綱紀に仕え、茶道奉行として京都より招かれた千仙叟宗室の指導のもと鋳造技術を生かして藩御用釜師となり、幾多の名作を作ったそうです。
義一は、仙叟より寒雉菴号を受け、加賀茶の湯釜の創始者となり、以後代々襲命し、現在、13代 寒雉氏が伝統の技術を守り、裏千家釜師として製作を続けているそうです。 -
JR金沢駅 金沢港口(西口)
シンプルなファサードです。
キャノピー(大屋根)は、金沢駅西広場の全体が見渡せるよう、屋根と4本の柱の基本要素のみで構成され、開放的な空間を演出しています。
キャノピーは無機質にも見えますが、天井には木目の優しさや温もりを感じさせる金沢産杉材を使用し、また天井や柱には金沢の伝統工芸「金箔」で格調を表現しています。柱がキラキラしてるのはこのためです。 -
JR金沢駅 金沢港口 モニュメント「悠颺(ゆうよう)」
兼六園口(東口)の「鼓門」と「もてなしドーム」が金沢の顔と称されますが、金沢港口(西口)にも高さ約20mもある巨大モニュメントがあります。
1991年に金沢市制百周年記念事業モニュメントとして建てられたものです。名称は「悠颺」と言い、「ゆったりと風で舞い上がる」という意味だそうです。ステンレス製ですが遠目にはコンクリート製のように見えます。
因みに、一説にはこちらの裏面から見るとカタカナで「カナザワ」の「カナ」と読めるようになっているそうです。また、石川県の形をイメージしているとも…。
作者は金沢市出身の鋳金家 蓮田修吾郎氏(文化勲章受章)で、青銅や白銅によるレリーフなど建築空間を飾る手法を開発するなど金工の近代化に尽力された方です。また、「金属造型」という新分野を開拓し、「建築と接点をもった造型」「公共のための造型」を理念として活動を続けられています。代表作には、北海道納沙布岬にある北方領土返還祈念シンボル像「四島(しま)のかけ橋」などがあります。 -
地魚・地酒「くろ屋」
地物の魚や野菜を使用したメニューが豊富でレベルが高いと評判の居酒屋です。
場所は金沢一の高層ホテル「日航金沢」の近くで、JR金沢駅から徒歩5分ほどの距離でアクセスも良好です。 -
地魚・地酒「くろ屋」
店主は金沢で一番人気の居酒屋と謳われる柿木畠「いたる」の出身です。店の雰囲気もメニューも「いたる」を彷彿とさせるものがあるそうですので、暖簾分けに近いのかもしれません。
また、「くろ屋」は予約が取れない居酒屋としても知られており、1週間前に予約しました。予約方法は電話のみですが、なかなか繋がりませんでした。営業前にかけても、営業中にかけても呼び出し音だけの状態が延々と続きます。恐らく、忙しい時は電話を取り継がないことにされているのだと思います。結局繋がったのは、半ば諦めの境地にあった21時を過ぎてからでした。この時間帯が狙い目かもしれません。Tel. 076-262-0940
www.kuro-ya.jp -
地魚・地酒「くろ屋」
コース料理は2日前までに予約が必要です。
まずはお付き出し。
この日は「タコわさ」でした。
お酒のあてにピッタリのピリ辛が癖になります。 -
地魚・地酒「くろ屋」
日本海旬のお造り盛り。
奥に「ガンド」、手前右から「甘えび」「鰆の昆布〆」「ヒラメの昆布〆」です。
関西人にとって「ガンド」は聞いたことのない魚名ですが、天然ブリの小さいサイズを指す、能登や金沢周辺で使われる地方名だと教えていただきました。
天然ブリは時期になると相当な値段になります。そうなるとスーパーなどで扱える値段でないため、ガンド(天然小ブリ)の需要が急増するという訳です。北陸の人は日常的にブリを食すそうですので、毎日のことを考えるとガンドに軍配が上がるそうです。
昆布〆も初めて食しましたが、昆布で締められているため、昆布のうまみが刺身に移り美味しかったです。 -
地魚・地酒「くろ屋」
能登もずく酢。
こう見えて結構ボリュームがあります。
おろしショウガがよいアクセントになっています。 -
地魚・地酒「くろ屋」
ここからはコースによりメニューが変わります。
左側は【鳥コース】で「鰻のとろろ蒸し」と「芋焼酎で煮込んだ豚角のトロトロ煮」です。鰻もとろろもトロットロです。豚角はボリューム満点で、温泉卵がよいアクセントになっていると共に、味覚の変化を愉しめる趣向です。
右側は【花コース】で「茶碗蒸し」と「ブリ大根」です。
共に和食の王道ですが、月並みの味ではありません。 -
地魚・地酒「くろ屋」
【鳥コース】は「くろ屋のさつま揚げ」と「冷たいうどん」です。
さつま揚げは黒ゴマがパンチを利かせています。
【花コース】は「蕎麦米コロッケ」と「焼きおにぎり茶漬け」です。
コロッケは通常のものとは食感が異なります。 -
地魚・地酒「くろ屋」
デザートは「加賀棒茶のジェラート」です。
湯のみ茶碗にはご愛嬌として「百万さま」が…。
ごちそうさまでした。とても美味しかったです!
この続きは松風水月 加賀紀行⑦能登半島周遊(前編)でお届けいたします。
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