2023/05/25 - 2023/05/25
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Reiseさん
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千姫が本多忠刻へ輿入れし、化粧料の10万石で、三の丸に武蔵御殿を建設、そこでの生活が生害最も幸せだったと後に語っています。
しかし、3歳の息子もなくし、また、再婚した本多忠刻も病死、失意の中で信仰の生活を送ります。姫路城も離れ、江戸に戻ります。
7歳で豊臣秀頼に嫁して、大阪夏の陣で秀頼と死別してから、この姫路城での生活が再出発、短い期間でしたが、穏やかな日々もあったのだとおもいました。
千姫について、詳しい説明や当時の衣服を再現したものなど、千姫を中心として展示がわかりやすく興味深かったです。。
また百間廊下と呼ばれる長い廊下や長局などの部屋、化粧楼など、当時の人々が生活の場としていた場所、そして防御の場であったこと、様々な役割があったことがわかりました。
とくに、守りのための仕組みがあちこちに造られています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 自家用車 徒歩
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こちらの四角の石、礎石です。
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西の丸の南門の跡。
説明があります。 -
西の丸にあがっていくときにあった場所。
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説明によると、兵士たちの駐屯した場所で、南門の警備に当たっていた兵士たちがいた場所と考えられています。
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坂道を登ると、一気に庭園の明るい雰囲気に。
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百間廊下と化粧櫓へ。
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西の丸の説明です。
1618年に、本多忠刻に嫁してきた千姫のために建てた御殿があったところ。 -
百間廊下とよばれる長い廊下。
ここは、防御施設でもあったそうです。 -
姫路城の変遷。
もともとは平山城。 -
百間廊下の特徴。
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御殿のなか、歴代の城主の説明が詳しくパネルで。
できたら、天守閣のほうに、こんなパネルがあったら、わかりやすかったなぁ~とちらりと思いましたが。
とてもわかりやすかったです。歴代の城主の特徴、出来事もわかりやすい。
羽柴秀吉、黒部官兵衛の時代。 -
池田輝政の大改修もありました。
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本多氏。
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松平氏。
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榊原氏。
経済基盤をつくります。
榊原忠次の時代には「万年様」と呼ばれ庶民に慕われ、塩田の開発や商業発達を促し経済活動を活発にしましたが、忠岑の時代には吉原から高尾太夫を3000両で落籍したことから、徳川吉宗の怒りを買い、蟄居、高田へ国替えとなっています。
お隣の好古園あたりには高尾太夫の住まいもありました。 -
酒井氏。
明治維新まで城主。 -
近代の姫路城。
老朽化も進み、また軍との関わり、そして中村大佐らが保存運動にかかわる、、明治からの時代も姫路城は多くの人々の努力のもとに維持されていきます。 -
軒瓦もなんだか、可愛い。上品。
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240mあるという廊下を歩きます。
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確かに百間といわれるくらい、長いながい廊下。
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天守閣も見えます。
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狭間。
銃や弓矢を使う場所。 -
いつもは、このように蓋をしていたのですね。
蓋、初めて見ました。 -
こちらも十分高い位置にあります。
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いきなり、頑丈な扉があります。
建物の中なのに。。
この内側には女性が居住していたので、特に頑丈な扉にしたそうです。 -
説明板。
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ちらりと見える天守閣。ここからみても、そびえたっています。
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姫路城の防御の仕組みも詳しく。
こんなパネルも、天守閣のほうにもあったらわかりやすいとおもいました。 -
雨水を抜く工夫も。
櫓の窓の下のほうに、斜めにある筒状のもの。
雨水を外に排出する仕組みで、木部を守り、腐食を防ぐもの。 -
石落とし。
防御の設備のひとつ。鉄砲、やり、矢などで攻撃。 -
お城の伝統技術について。
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瓦も大切な技術。
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シャチなどもそうですけれど、伝統的技術が網羅されたお城の建設。
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千姫の像がありました。
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1623年に千姫が建立し、西の丸から遥拝していたそうです。
次回訪ねてみたいです。 -
パワースポットと書いてありました。
大阪夏の陣で秀頼と死別し、その後本多忠刻と再婚します。
豊臣の冥福も祈りつつ、これからの幸せな日々を願って祈っていたのだとおもいました。 -
姫路城の瓦は本当に美しいです。
細やかな装飾や、その用途にも工夫。 -
こちらも大天守の説明。
窓が隠されていたそうですが。偶然、改修時に見つかります。
まだまだ、謎も多いのでは? -
ここにも謎が。
大天守上層の揚羽紋も逆さになってあるそうです。
理由は不明。 -
うずめ門。
敵がせめて来たとき、これ以上進入させないために、埋めてしまうそうです。 -
本当にながいながい廊下です。
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西の丸の長局。
奥女中たちが生活していた場所です。小さな部屋がいくつもありました。 -
千姫の世話をする奥女中が23人、そしてさらに下働きをする女性が16人。
この長局には千姫のお世話をする女性たちが住んでいました。
千姫が姫路城を去ったあとは、倉庫になっていたそうです。 -
美しい羽子板。
千姫が奉納したといわれるもの。 -
氾濫万丈の千姫の運命。
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のちに、千姫が「姫路城で過ごした時間が人生で一番幸せだった。。」と述べたといいますが、本多忠刻と再婚後は、二人の子供にも恵まれます。
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わかりやすい絵巻物で、千姫の一生が説明されていました。
英語でも。 -
本多忠刻との再婚で幸せも長く続かず、息子が3歳で病死したのち、忠刻も
1626年に亡くなります。
息子の死と夫の死、その後は信仰の生活に入ります。 -
姫路での千姫に関わりの有る場所の数々。
いつか、回ってみたいです。 -
千姫の絵巻から服装なども再現されています。
化粧楼で着物が再現されていました。 -
映像コーナーもありました。
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化粧楼は千姫が天満宮の遥拝に訪れていた場所。
持参金10万石の一部を使って造った化粧櫓。
忠刻と千姫が住んでいた中書院、武蔵御殿は豊臣秀吉が気づいた安土桃山城を取り壊した用材を使って造った書院造のものですが、もういまはありません。
姫路城で唯一、この化粧楼が残り、千姫を偲べる場所となっています。 -
千姫の絵巻から着物を再現。
お洒落な人だったのですね。 -
今でもお洒落なデザインだと思います。
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イチオシ
可愛いデザイン。
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こちらの画も良く見かけます。。本多忠刻の衣服の様子は残っていないので、同時代の大名の服装を参考に忠刻時代の服装を再現しています。
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イチオシ
こちらもお洒落な着物。
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千姫のお骨が納められていた壺の複製品です。
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美しくディスプレイされた着物の部屋になっていました。
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昭和13年に書かれた説明書きも残っていました。
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ここにも特徴が書かれていますが、住宅風の化粧楼です。
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外に出ました。
石垣の刻印が残っているというので見ます。 -
はっきり!
でも、姫路周辺で奈良村はないそうで、何を指しているのかわからないそうです。
姫路城の石垣で唯一残っている刻印石。 -
古い石垣です。
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織部灯篭もありました。
キリシタン灯籠とも呼ばれます。 -
イチオシ
ここから天守閣も綺麗です。
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イチオシ
絵になる姫路城。
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イチオシ
威風堂々がぴったりのお城です。
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菱の門をくぐり、お城を出ますが、門番所もあったところです。
普段は開かない門。
お殿様の登城の際には開けていたそうです。
門番があり、見張りが厳しかったところ。 -
門の役割もさまざま。
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礎石がずらりと並んでいるところがありました。
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天守の傾きを直すために使われていた礎石たち。
その後の修理で必要ではなくなったために、ここに戻されています。 -
イチオシ
下から見下ろします。
何度も見納め。 -
ちょっとお城の周りも回ってみます。
姫路神社を目指します。 -
こんな説明板がありました。
このあたりは羽柴秀吉時代、池田輝政時代、本多忠政時代など、時代の変遷で石垣の作り方が異なっています。 -
よくみますと、微妙に石垣のスタイルが違っているように見えます。
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発掘か、修理中でしょうか、、
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石垣の保存って、本当に難しいです。危険も伴うし、かといって、全く別なものにはできませんし。
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お堀もこちらは自然なかんじ。
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こんな古い入口のようなところも。
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イチオシ
急な勾配の石垣と天守が見えます。
長い旅行記を最後までお読みいただきありがとうございます。(^^♪
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