2022/11/01 - 2022/12/05
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この旅行記のスケジュール
2022/11/27
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8:27発 Gent St Pieters
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9:38発 Antwerpen-Berchem
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10:23発 Breda
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11:06到着 Den Haag HS
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トラム Station Hollands Spoor 1番線
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トラム Bierkade 到着
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徒歩1分
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人生の再生を目指して、「お気に入り」と再会し「初めまして」に出会うために、ロンドン、パリ、ヘント&ブルージュ、デン・ハーグ、アムステルダムを35日で巡りました。
旅の27日目は、デン・ハーグでマウリッツハイス美術館を訪れます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 100万円以上
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
2022年11月27日(日):(Day27)
旅の27日目は、デン・ハーグでマウリッツハイス美術館を訪れます。
GentからAntwerpenまで行き、Thalysに乗車してRotterdamまで行く方法もありますが、普通列車のICを乗り継いで行っても、Den Haag到着時刻は殆ど変わらなかったので、ICを乗り継いで行くことにしました。
Gent St Pieters8:27分のICに乗り、2回乗り換えて、11:06分にDen Haag HSに到着。
途中の車窓は田園風景が延々と続き、Den Haag HSの一駅手前はDelftです。
Delftへは5年前に行ったきりなので、途中下車しようかと心が揺れましたが、雨が激しくなったので、今回はリアル「Delft眺望」を断念。 -
Grenadierspoort ビネンホフへの入り口
Den Haag HSからトラムに乗って一駅、1泊するメルキュール・ホテル・デンハーグにお昼前に到着。
時間前でもチェックインできました。
雨の中、徒歩10分でビネンホフのエリアへ -
ビネンホフエリアへの中庭
ビネンホフへと続く通路は閉鎖されていました。
今日は日曜日なのでお休みだと、今頃気づきました。
どこでも美術館だけは休館日をチェックしていましたが、その他は体調次第のアバウトなスケジュールなので、こんなことになります。
スペインのカップルさんも知らずに訪れ、「まー残念ね」と言いながら、お互いに写真撮影。 -
小雨のホフ池
またまた、残念!
ホフ池のほとりにある、名物のフィッシュスタンド、Buitenhof Herring Stall もお休みでした。
ここのハーリングとフィッシュフライがお気に入りで、楽しみにしていたのですが・・・
お店が閉まっていると、おこぼれ狙いの(強奪)カモメさんも全くいません。 -
Brasserie Mauritshuis
Plein 29, 2511 CS Den Haag
気を取り直して、マウリッツハイス美術館のブラッスリーへ -
ダッチ・ビーフ・シチュー
お味は普通、明るく落ち着いて食事ができるのが良いです。 -
ミントティー
メニューの表紙も看板娘がご挨拶 -
マウリッツハイス王立美術 Mauritshuis
元々は、1644年にヨハン・マウリッツハイスが建てた私邸でした。
彼の死後、この建物は人手に渡り、一時は火災で外壁を残して焼失しましたが、修復されました。
その後、歴史の変遷に伴って、大使邸、士官学校、囚人収監用、王立図書館など、様々な用途で使用されました。
1820年にオランダ総督ウィレム5世と息子のオランダ初代国王ウィレム1世が収集した王室絵画・希少品の収蔵場所となり、1822年には美術館として一般公開されたそうです。 -
ネーデルラント地域は、宗教改革以降、プロテスタント勢力がスペイン・ハプスブルク家の支配に激しく抵抗し、八十年戦争を経て、1648年には北部7州は遂に独立してネーデルラント連邦共和国となり、後のオランダになります。
ネーデルラント南部地域の10州はカトリック勢力が強く、八十年戦争の際にはスペイン領にとどまり、後のベルギーになります。
1602年には東インド会社が設立され、東南アジアの香辛料貿易で大繁栄した17世紀のネーデルランドでは、市民有産階級を対象とした絵画市場が成立し、カトリック支配から脱した新たな価値観に基づいて、歴史画、肖像画、風俗画・寓意画、風景画、静物画などの多くの絵画が描かれて流通しました。
この美術館の魅力は、王室コレクションに加えて、こうした17世紀のネーデルランド絵画が中心に展示されており、建物と展示作品群が調和して醸し出す、インティメイトな雰囲気にあるように思えます。
ただ、照明だけは、いかがなものかと・・・? -
ろうそくを持つ老婆と少年 : ピーテル・パウル・ルーベンス ,1616-1617 年
Old Woman and Boy with Candles : Peter Paul Rubens
王室コレクションの一つで、ルーベンスはイタリアで見たカラヴァッジョを研究するためにこの作品を描き、売らずに自ら所持し続けたそうです。
この作品が描かれた時期には、ルーベンスは「黄金の工房」と呼ばれた彼の工房で、殺到する絵画の注文を弟子たちと共にこなしていました。
デッサンをルーベンスが行い、弟子が色をつけ、仕上げをルーベンスが行うという分業体制であり、絵画の価格はルーベンスが関与した割合に応じて決定されたそうです。
そのため、ルーベンスはこの作品をそうした弟子たちのために「キアロスクーロの手本」として描いたという説もあります。 -
楽園のアダムとイブ : ヤン・ブリューゲル(父)&ペーテル・パウル・ルーベンス, 1615年
The earthly paradise with the fall of Adam and Eve : Jan Brueghel the Elder & Peter Paul Rubens
なんと!フランドルの二人の巨匠、ルーベンスとヤン・ブリューゲル(父)による共作です。
全体構図はブリューゲルが担当し、ルーベンスがアダムとイブ、木、馬、蛇、そして、ブリューゲルが残りの動植物を描いたとされています。
17世紀前半、繁栄したネーデルランドでは絵画市場が空前のブームとなり、画題の細分化、専門化が進み、画家はそれぞれ得意分野を持つようになりました。
需要に合わせて1枚の作品を複数の画家が得意分野で共作することは珍しいことではなく、「最高のものを組み合わせた作品」とされて高値が付いたそうです。
ある意味、当時のネーデルランド絵画市場を象徴する作品でしょうか。 -
確かに、アダムとイブはまさに明るい色彩の肉感的でふくよかな 「Rubenesque 」
-
動植物は図鑑のような正確さで「花のブリューゲル」
しかし、虎はルーベンス風に寄せているのではないでしょうか? -
カンパスペを描くアペレス : ヴィレム・ファン・ハーヒト , 1630年
Apelles paints Campaspe : Willem van Haecht
17世紀に、「画廊画」あるいは「画中画」と呼ばれる、多数の作品を飾った画廊や愛好家の展示室を描くことが、アントワープを中心に流行しました。
いわば、有名作品のクリッピングであるこうした絵画は、「有名絵画を観てみたい」、「そういう作品もあるのか!」、「面白い」として当時人気があったそうです。
作者のヴィレム・ファン・ハーフトは、大商人で美術品収集家コルネリス・ファン・デル・へ―ストの専属の画家でした。
「画廊画」、「画中画」は大変な労力を必要としたので、ヴィレム・ファン・ハーヒト 以外にはこのような絵画を描く画家はあまりいなかったようですが、当時のアントワープでは非常な高値が付いたので、彼は頑張って描いたのかも知れません。
画面左下、「画家アペレスが、アレキサンダー大王の寵姫カンパスペの肖像を描いており、アレクサンダー大王は肖像画があまりに美しかったので、絵で十分満足できると考え、カンパスペに恋をしていたアペレスにカンパスペを譲った」という、古代ギリシャ神話の一場面から、この作品名がつけられています。 -
この作品で部屋一面に飾られているのは、すべてフランドル、ドイツ、そしてイタリアの実在する絵画で、彫刻も有名な古代ギリシャ・ローマ時代の作品だそうです。
「いくつ知っているかな?」というのも、この作品の楽しみ方なのでしょう。 -
画面右下には、クエンティン・マサイス「両替商とその妻」があり、ヤン・ファン・エイクの鏡のように細部まで良く描き込まれています。
目立つ位置に描かれているということは、1514年に描かれたとされる「両替商とその妻」が当時の有名絵画であったことを物語っていると思います。
ルーブル美術館では、この絵はルーブル・アブダビへ貸し出し中だったのですが、意外なところで出会いました。 -
トゥルプ博士の解剖学講義 : レンブラント・ファン・レイン , 1632年
The anatomy lesson of Dr Nicolaes Tulp : Rembrandt van Rijn
レンブラントは27才の時に、出世作であるこの集団肖像画を描き、成功への足掛かりを掴んだそうです。
1632 年 1 月にアムステルダムの外科医組合長ニコラス・テュルプ博士によって行われた解剖学の授業が描かれています。
レンブラントは、従来の集団肖像画における、すべての登場人物を、はっきり・威厳を持たせて・公平に描くという、没個性的な方法ではなく、「解剖の講義」という主題を明確にするために、鉗子で腱をつまむトゥルプ教授を主要な位置に置き、他の熱心に観察する人物達を生き生きと描くことで彼らの個性と学識を表現し、高い評価を受けたそうです。 -
自画像 : レンブラント・ファン・レイン , 1669年
Self-portrait : Rembrandt van Rijn
レンブラントは沢山の自画像を描いています。
この作品は、レンブラントが61歳で亡くなった年の1669年に制作されており、 おそらく最後の自画像と言われています。
画家としての人生で、栄光と挫折、光と影をすべて味わいつくした後の顔は、穏やかなように見えます。 -
ジェイコブ・オリカンの肖像: フランツ・ハルス , 1625年
Portrait of Jacob Olycan : Frans Hals
ジェイコブ・オリカンはハーレムの裕福なビール醸造者で、アレッタ・ハネマンスと結婚した時の肖像画です。
ハルスは、中流から上流階級の人々の注文に応じて、写実的で正当派の肖像画を描き、ハールレムで最も人気があったそうです。
こうした技量を持っているからこそ、Smileが描けるんですね。 -
アレッタ・ハネマンスの肖像: フランツ・ハルス , 1625年
Portrait of Jacob Olycan : Frans Hals
花嫁のアレッタ・ハネマンスは19歳で、金の刺繍が施された結婚衣装が精緻に描かれています。 -
笑う少年 : フランツ・ハルス , 1625年
Smiling boy : Frans Hals
そして、ハルスはハールレムにいる市井の人々(子供、女性、酔っ払いなど)を心赴くままに、大胆に描きました。
これは実在の人物の肖像画ではなく、トロニー(識別可能な人物を描写することを意図していない)の習作とされています。
この笑顔、この明るさ、この抜け感、この一見ラフに見えるタッチでありながらも計算された滑らかさ、まさに、「笑いの画家」ハルスの真骨頂。
ルノアールの250年前に、既に印象派は存在していたのでは?・・・と密かに思っています。 -
ヴァニタス : ピーテル・クラース ,1630年
Vanitas still life : Pieter Claesz
極めて写実的に描かれた、空のグラス、時計、頭蓋骨などが、時間は有限であると伝えています。
「メメント・モリ」は 、ネーデルランドで好まれた画題だそうで、多くの寓意画、静物画が描かれたそうです。
ネーデルランドの黄金時代に敢えてこの画題が好まれた理由は、奢れる人々の生活を道徳的に戒める警句だったのか、あるいは、戦争と平和、そして、繁栄と衰退が繰り返された歴史を顧みて、今の幸福・繁栄は長くは続かないという戒めだったのでしょうか? -
牡蠣を食べる婦人:ヤン・ステーン , 1658-1660年
The oyster eater : Jan Steen
若い女性の誘うような表情と、当時は媚薬として知られていた牡蠣、そして、後ろにカーテンがかかったベッドがあることで、娼家が描かれているとされています。
テーブルの上の小物の精密描写も見事です。
ヤン・ステーンは様々なジャンルの作品を制作しており、その中でも、特に有名なのは、農民や庶民の生活を描いた風俗画と寓意画です。
酔っ払い、乱痴気騒ぎ、結婚式、泣く子供の姿などが鋭く観察され、その姿はエグイ程にやや誇張され、ユーモラスに描かれていることが多く、そして、その意味するところは、教訓的な寓話や諺が多いとされています。
ヤン・ステーンの絵画は、この作品のようにエロティシズムを露にすることを臆しませんでした。
それに対して、ほぼ同時代・同地域のフェルメールは、1656年に「取り持ち女」で同じく娼家を描きましたが、直接的なエロティシズムは感じさせず、それ以降においても、小物などの隠喩で表現するに留まっているように思えます。
フェルメールのほうがお上品ですね。
当時はヤン・ステーンのほうが圧倒的に人気があり高値だったそうが、現代では見事に逆転しました。 -
若い牡牛 : パウルス・ボッテル , 1647年
The Bull : Paulus Potter
非常に大きな作品で、雄牛の湿った鼻づらやひげ、体毛、背中を飛び回るハエなどが図鑑級の写実性で描かれ、ドーンと迫ってきます。
ただ、解剖学的には、 実際の雄牛を描いたものではなく、年代の違う6頭の雄牛の素描を合成させたものらしいです。
この作品は、「18世紀と19世紀にはマウリッツハイス美術館で最も有名で人気の作品であった」と、同美術館案内に記載されています。
雄牛のようなありふれたものを、これほどまでに写実的に描いた作品は前例がなく、オランダの自然主義絵画の先駆けとして高く評価されたそうですが、ポッテルはわずか22歳でこの作品を描き、28歳で亡くなりました。 -
デルフト眺望 :ヨハネス・フェルメール , 1660-1661年
View of Delft : Johannes Vermeer
1675年フェルメールは43歳で破産同然で死去し、この作品を含む残された作品は競売にかけられて、散逸しました。
その後、フェルメールは忘れ去られましたが、1866年にフランス人研究家のトレ・ピュルガーが美術雑誌にフェルメールに関する論文を発表し、脚光が当たるようになりました。
ピュルガーがフェルメールの作品としたのは70点以上あったそうですが、その後の研究によって、現在では真作は35点(30点とも)とされています。
20世紀に入り、フェルメールはマルセル・プルーストやサルバドール・ダリなどの著名人に賞賛され、研究者たちによって、フェルメールの「青色と黄色」がゴッホやモネなどの印象派画家たちに大きな影響を与えたと指摘されるなどして、評価は一層高まりました。
更に、1945年にはハンス・ファン・メーヘレンによる「エマオのキリスト」贋作事件や盗難事件などのスキャンダラスな事件が起こったことにより、フェルメールの作品は広く一般に知られるようになりました。
今や世界的な名画となったこの絵ですが、1822年にアムステルダム国立美術館が競売で2,200フローリンで落札した時には、当時のマウリッツハイス美術館の館長は全く関心を示さなかったそうです。
その後、国王のウィレム1世の命によりこの作品はハーグへ移管され、最終的にマウリッツハイス美術館の所蔵となったそうです。
この作品の評価も流転の歴史でした。 -
デルフト眺望
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デルフト眺望
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デルフト眺望
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デルフト眺望
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デルフト眺望
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真珠の耳飾りの少女 : ヨハネス・フェルメール , 1665年
Girl with a Pearl Earring : Johannes Vermeer
フェルメールの死後、この絵の所有者は転々とし、1881年にアルノルドゥス・デ・トンプがハーグのオークションで、わずか2ギルダー30セント(およそ1万円)でこの絵を購入したとされています。
購入当時、この絵は極めて汚れており、フェルメールの評価も未だ定まっていなかったので、そうした低評価もやむを得なかったとされています。
デ・トンブの死後、1903年にこの絵は他の絵画と一緒にマウリッツハイス美術館へ寄贈されました。
この絵は、美術館で何度か補修されてはいましたが、1994年から2年間、徹底的に修復が行われた結果、描かれた当時の状況に非常に近いものとなっているとされています。
近年においても、この絵を題材にした小説や映画が制作されるなどして、ますます一般に広く知られるようになりました。 -
この少女も、流転の歴史を経て、「北のモナリザ」になりました。
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メルキュール・ホテル・デンハーグのお部屋の窓から
美術館では、遅くまで粘って、ようやく「デルフト眺望」をゆっくり見ることができました。
美術館を出ると風雨が激しくなったので、ホテルへ真っすぐ戻り、ホテルで夕食を取りました。 -
ちょっと良いビジネスホテルクラスだと思いますが、清潔でアメニティも何の問題もありません。
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この旅行記へのコメント (2)
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- Mugieさん 2023/06/06 18:35:46
- こんにちは!
- オランダ旅行で行けなくて心残りなのは、デン・ハーグです。
マウリッツハウス美術館に行くつもりで予約しようと思ったら、お目当ての真珠の耳飾りの少女がアムステルダムのフェルメール展に貸し出し中とわかり、がっかりしました。
そしてフェルメール展のチケットはすでに完売でどうやっても入手できませんでした。
マウリッツハウス美術館には真珠の耳飾りの少女以外にもすばらしい作品があるのに、迷った挙句、ミッフィーを見にユトレヒトに行ってしまいました。
でも、この作品がわずか1万円で落札されていたとは知りませんでした。
見事な少女の蘇りですね。
いつか現物を見てみたいものです。
ムギー
- kawausoimokoさん からの返信 2023/06/06 22:16:03
- RE: こんにちは!
- Mugieさん、こんばんは!
6月4日でRijksmuseumのフェルメール展は終了したようですが、終了前に「真珠の耳飾りの少女」はいち早くマウリッツハウスへ帰っていたようですね。
看板娘なので、流石に長期出張はさせなかったのでしょうか。
看板娘のいないマウリッツハウスは寂しかったと思いますので、誰しも二の足を踏んでしまいますよね。
私も、ナショナルギャラリー所蔵のパオロ・ウッチェロ「サン・ロマーノの戦い」を未だ観たことがなく、いつか観てみたいと思っています。
Something else or Somewhere else これからの楽しみにしましょうね。
kawausoimoko 拝
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