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椿寿荘へ行きました。<br />原田巻家の広大な離れ座敷です。椿を長寿の霊木とした、中国の故事にならって名付けられたものという。建坪は約百四十坪で、約八百八十坪の敷地に立つ豪農の屋敷です。<br />大沢鍾乳洞へ行きました。<br />鍾乳洞は古生代(数億年前)生物の遺骸が堆積してできた石灰岩の中にできますが、大沢鍾乳洞は新生代新第三記鮮新世(360~533万年前)の時代に砂が堆積してできた柔らかい砂岩の中にできています。<br />日本では2~3例しかない珍しいものです。<br />整備はされていますが洞窟内に照明施設はありません。<br />https://youtu.be/slHGadEkk4Q

G.W ツーリング 新潟 椿寿荘から大沢鍾乳洞へ行きました。

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2023/05/09 - 2023/05/09

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しろくまクンクン

しろくまクンクンさん

椿寿荘へ行きました。
原田巻家の広大な離れ座敷です。椿を長寿の霊木とした、中国の故事にならって名付けられたものという。建坪は約百四十坪で、約八百八十坪の敷地に立つ豪農の屋敷です。
大沢鍾乳洞へ行きました。
鍾乳洞は古生代(数億年前)生物の遺骸が堆積してできた石灰岩の中にできますが、大沢鍾乳洞は新生代新第三記鮮新世(360~533万年前)の時代に砂が堆積してできた柔らかい砂岩の中にできています。
日本では2~3例しかない珍しいものです。
整備はされていますが洞窟内に照明施設はありません。
https://youtu.be/slHGadEkk4Q

旅行の満足度
4.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩 バイク
旅行の手配内容
個別手配

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  • 椿寿荘へ行きました。

    椿寿荘へ行きました。

  • 田上の豪農の原田巻家です。<br />

    田上の豪農の原田巻家です。

  • 案内板です。

    案内板です。

  • 大名玄関です。<br />「椿寿荘」田巻家の離れとして大正時代に造営された和風建築です。

    大名玄関です。
    「椿寿荘」田巻家の離れとして大正時代に造営された和風建築です。

  • 館長さんが案内をしてくれます。<br />衝立に描かれた能の演者は、どこから見ても視線が合うように描かれています。<br />

    館長さんが案内をしてくれます。
    衝立に描かれた能の演者は、どこから見ても視線が合うように描かれています。

  • 邸内を巡ります。

    邸内を巡ります。

  • 畳廊下を大広間へ向かいます。

    畳廊下を大広間へ向かいます。

  • 大正3年から3年半の歳月をかけて完成しました。<br />全国から銘木を集めるのに長い時間をかけたそうです。<br /><br />

    大正3年から3年半の歳月をかけて完成しました。
    全国から銘木を集めるのに長い時間をかけたそうです。

  • 贅沢な欄間です。

    贅沢な欄間です。

  • 大広間からのお庭です。

    大広間からのお庭です。

  • 見事な仏壇です。

    見事な仏壇です。

  • シックな照明越しの庭園です。<br />国鉄が買収して一時保養所となり蛍光灯がつけられるなどの改悪がなされましたが、町営になってから元の姿に近づけるようにと照明器具を変えたりしました。

    シックな照明越しの庭園です。
    国鉄が買収して一時保養所となり蛍光灯がつけられるなどの改悪がなされましたが、町営になってから元の姿に近づけるようにと照明器具を変えたりしました。

  • 男性用トイレです。

    男性用トイレです。

  • 江戸末期の田巻家は、1260町歩(378万坪たぶん沖縄本島と同じくらい?)の田畑を持ち、小作人2千人以上を抱える豪農でした。<br />

    江戸末期の田巻家は、1260町歩(378万坪たぶん沖縄本島と同じくらい?)の田畑を持ち、小作人2千人以上を抱える豪農でした。

  • お庭からの屋敷もきれいです。

    お庭からの屋敷もきれいです。

  • 奥次の間は枯山水の下流部分に浮かぶようになっています。

    奥次の間は枯山水の下流部分に浮かぶようになっています。

  • 十一間(約20m)ある打通しの露縁の庇を支える丸桁は吉野杉の一本物です。<br />回路大阪から新潟へ運び信濃川を遡ったそうです。

    十一間(約20m)ある打通しの露縁の庇を支える丸桁は吉野杉の一本物です。
    回路大阪から新潟へ運び信濃川を遡ったそうです。

  • 五重塔の石組みは須弥山を、脇に置いてある石は山々を表しています。そこからは建物のほうに向かって飛び石が置かれ、川の流れを表現。深山幽谷の世界が広がっています。

    五重塔の石組みは須弥山を、脇に置いてある石は山々を表しています。そこからは建物のほうに向かって飛び石が置かれ、川の流れを表現。深山幽谷の世界が広がっています。

  • お社のつくりも立派です。

    お社のつくりも立派です。

  • 新緑のお庭は輝いています。

    新緑のお庭は輝いています。

  • 床の間上座です。<br />左手の障子の景色が下の写真になります。

    床の間上座です。
    左手の障子の景色が下の写真になります。

  • 五重塔や山々を表す石だけを切り取って眺めることができます。

    五重塔や山々を表す石だけを切り取って眺めることができます。

  • 床の間の畳は「龍鬢表」と目が普通の畳の倍大きいです。

    床の間の畳は「龍鬢表」と目が普通の畳の倍大きいです。

  • 車4~5台置けるスペースがあります。

    車4~5台置けるスペースがあります。

  • 多くの人が通らない山道を進みます。

    多くの人が通らない山道を進みます。

  • 小屋の右手に赤い目印があるところへ入ります。<br />これは帰りに撮ったものです。<br />ちょっと不安になるほどの分かりにくい山見てですが参道です。

    小屋の右手に赤い目印があるところへ入ります。
    これは帰りに撮ったものです。
    ちょっと不安になるほどの分かりにくい山見てですが参道です。

  • 洞窟というと山の中腹にあるイメージですが大沢鍾乳洞は窪池にある竪穴に入る感じです。

    洞窟というと山の中腹にあるイメージですが大沢鍾乳洞は窪池にある竪穴に入る感じです。

  • 草が茂っていますがここが入り口です。

    草が茂っていますがここが入り口です。

  • 鍾乳洞の案内図です。

    鍾乳洞の案内図です。

  • 大部分の鍾乳洞は古生代(数億年前)生物の遺骸が堆積してできた石灰岩の中にできますが、大沢鍾乳洞は新生代新第三記鮮新世(360~533万年前)の時代に砂が堆積してできた柔らかい砂岩の中にできています。<br />日本では2~3例しかない珍しいものです。

    大部分の鍾乳洞は古生代(数億年前)生物の遺骸が堆積してできた石灰岩の中にできますが、大沢鍾乳洞は新生代新第三記鮮新世(360~533万年前)の時代に砂が堆積してできた柔らかい砂岩の中にできています。
    日本では2~3例しかない珍しいものです。

  • 手すりの付いたステップを下ります。

    手すりの付いたステップを下ります。

  • 照明はありませんので用意する必要があります。

    照明はありませんので用意する必要があります。

  • 入り口を振り返ります。

    入り口を振り返ります。

  • 結構下ります。

    結構下ります。

  • 最初はかなり狭いですが途中から広くなってきます。

    最初はかなり狭いですが途中から広くなってきます。

  • 観音堂です。

    観音堂です。

  • 金明水です。<br />天井から水がしたたり落ちています。

    金明水です。
    天井から水がしたたり落ちています。

  • 観音堂と金明水です。

    観音堂と金明水です。

  • 手すりの付いたステップを再度登ります。

    手すりの付いたステップを再度登ります。

  • 急に天井が狭くなりました。

    急に天井が狭くなりました。

  • 最奥に大黒天様が祀られています。

    最奥に大黒天様が祀られています。

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