2023/04/30 - 2023/04/30
8位(同エリア212件中)
まつじゅんさん
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私も齢65を超え、今の歌は良く分からないと嘯きながら、もう50年以上も前の、中・高校時代に聞いた歌は、フルコーラス蘇ってきます。
青春時代(もう死語でしょうか)真っ只中、懐かしく振り返ると、色々な出来事のバックに流れてくる詩がありますね。
小椋さんの詩もそうですが、物悲しくも楽しかった時代を想い、懐かしさだけではなく、その「時代」を、もの凄く欲する年齢になって来たのでしょうか。
聴いていると元気になる・・・、必ずしもそうではなく、悲しい、寂しい等どちらかというと、流した涙の詩が多いような気がします。
奥様も同年代で、伊勢正三さんの詩は良く聞いていたようで、(恐らくひとりっ子の私より、良く知っていると思います。)50周年のライブが開催されるようだけど行かない?、との誘いを二つ返事でOKし、2月にチケット確保も済ませ、楽しみにしていました。
伊勢さんのライブは、もうずいぶん前になりますが、鳥取には良く来られていたようで、倉吉在住時に琴浦町のカウベルホールで開催された、伊勢正三with山本潤子コンサート以来です。
懐かしい詩を聞き、ほろ苦い青春時代にタイムスリップしました。
コンサートは夕方からなので、昼頃に八戸ノ里に到着し、商店街を歩こうと思いましたが、商店街という規模でもなかったので、安藤作品の司馬遼太郎記念館を見学しました。
「作家の創造世界の奥行きを、空間そのもので伝えたい。」
安藤さんの想いを、感じることが出来ました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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-
東大阪市って、墓参りの時に何度も通過してはいますが、何処に何があるのか等、全く知らない場所です。
会場近くの予約駐車場に車を預け、暫し街歩きに向かいます。
途中、お店の佇まいに惹かれ、遅めのランチを頂いたお店、「一力」です。一力 グルメ・レストラン
-
住宅街の中に暖簾が出ていて、外の創味旬彩料理というメニュー看板に惹かれた奥様、品目の多さに一寸驚いていたようですが、いつものようにメニュー検討会の開始です。
私達位のご夫婦で、切り盛りされているお店のようで、夜はお酒と料理で地元の方対象のお店のようです。 -
奥様は、初志貫徹で日替わり「旬彩御膳」です。
造り、揚げ物、煮物、ジャコ飯に味噌汁と漬物です。
煮物が美味しく、上品な家庭料理と言う味わいです。 -
私は、あまり食欲がなかったので軽めに「小豆島のうどんパスタ」。
イメージが固まらず注文したので、何が出てくるかハラハラデキドキでしたが、冷やしうどんでもパスタでもない味わいでした。
うどんをパスタにしたら、焼うどんになっちゃうし、温かいので冷やしうどんでもないという、結構好きな味でした。 -
事前に少し調べていたら、新しい商店街プロジェクト進行中の八戸ノ里商店街、とあったので楽しみにしていたのですが・・・。
実際は、何処が商店街?って感じの、住宅の合間にお店がポツンポツンとある、寂れた通りという感じで、一寸残念でした。八戸ノ里駅 駅
-
LIVEまで、まだまだ時間があるので、どうしようかと奥様と相談。
実は、昨夜こんなこともあるかと調べて、近くに安藤建築の司馬遼太郎記念館がある事を知っていたので、「どうかな?」と奥様に提案すると、「良いよ」って事で、徒歩10分位で到着です。司馬遼太郎記念館 美術館・博物館
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この記念館は、直木賞作家、歴史小説家として有名な、司馬?太郎氏の業績を伝えるために、自宅敷地に設立された大阪府の登録博物館のようです。
運営は、公益財団法人司馬?太郎記念財団が行っていますが、初代館長は奥様の福田みどりさん。
司馬さんは、生まれは大阪市内ですが、41歳の時に終の住まいとして、この町に転居され、1996年に亡くなるまで、記念館に隣接したこの地に住まわれていたのですね。
記念館へのアプローチとなっている、雑木林風の庭。
司馬氏が好きだった、雑木林のイメージで作られていて、自然の佇まいのままに数多くの植物が四季の風景を奏でています。 -
庭には楠や椚、椎等の樹木に、菜の花やニホンタンポポ等の草花が四季に花を咲かせ、開館から20年が経過した記念館を包み込んでいます。
この草木の中に、司馬氏の戦争体験の「原点」ともいえる、10年前に植えられた、栃木県の佐野市立植野小学校の校庭にそびえていたスズカケの巨木の子孫が、地元の有志により寄贈されています。 -
司馬氏は22歳の頃、少尉として所属していた戦車部隊が駐屯していた、栃木県佐野市の植木国民学校で終戦を迎えたそうです。
その校庭に生えていた、スズカケの木を眺めながら「どうして日本は戦争を始めたのであろうか?」「日本人はバカな民族ではないはず。」と、自問自答を繰り返していたそうです。
その後、幕末、明治維新以降の日本の歴史を鑑みながら、歴史小説家として、戦後の日本社会の矛盾と対決しながら、孤軍奮闘、必死に生き抜いた原点ともいえる、植木小学校校庭にあったスズカケの木の子孫が庭で、歴史を繋げていました。 -
記念館へのアプローチとなる、庭の小径から、司馬氏自宅の書斎を窓越しに見ることができます。
6万冊に及ぶ多くの蔵書、資料等が、晩年に使用した当時のまま残されており、机には万年筆や、推敲に使った色鉛筆等が置かれていました。 -
安藤建築の司馬遼太郎記念館は、2001年11月開館しました。
司馬氏の自宅と隣接した地に建つ、コンクリート打放しの地下1階、地上2階の建物は、ゆるやかな曲線を描くシンプルな構造となっています。
この記念館は「見る」というより、「感じる」「考える」という位置付けで、その代表的なものが、高さ11mの3層吹き抜けの大書架で、約2万冊の蔵書の世界が広がり、正に司馬氏の精神を感じることのできる空間となっています。 -
記念館の展示室は、蔵書の約2万冊や多数の自著が高さ11mの書架に見えるように納められています。
他にも直筆原稿、自筆の絵、色紙や眼鏡、万年筆、バンダナ等の身の回り品も展示されています。
ホールでは、NHKの映像を編集されたものが上映されていました。
建築面積:約450m2
延床面積:約1,000m2
構造・階数:鉄筋コンクリート造、地下1階、地上2階
設計監理:安藤忠雄建築研究所
施工:錢高組 -
安藤さんの設計コンセプトについて、次のように述べられています。
生涯をかけて、近代日本の物語を書き続けた司馬氏の凄まじい創作活動の根幹には、常に日本と日本人に対する深い愛情があり、「時代を動かし、歴史を創るのは、個人の持つ力だ」というメッセージが込められていた。
生前の司馬さんの自邸に、庭続きで隣接する司馬邸の門から、訪問者は雑木の庭を通り抜け、記念館にアプローチする。
内部は、入口から奥に進むに従い、徐々に光が絞られていき、施設の中心となる展示室「もう一つの書斎」に辿り着く。
3層吹き抜けの「書斎」を囲うのは、小説執筆の手がかりにされた膨大な量の書物を収める「本の壁」。
そこにステンドグラスの窓から光が入り、暗闇に灯る光は作家が作品に込めた未来への希望を、その多彩な表情が、司馬さんが愛したさまざまな個性をもった人間という存在を象徴する。
作家の創造世界の奥行きを、空間そのもので伝えたいと考えた建築で、司馬邸の庭を拡張したような記念館の前庭も、普通は庭木には用いられない雑木を特に愛しんだという作家の温かい人間性を想い、作ったものである。
あの戦争への疑問を抱き続けた司馬氏の、色あせないその精神を、木々や草花の一本一本が語り継ぐ記念館となっています。 -
これからも司馬氏の精神を大切に守り、急速な時代に対応できる文化を発信する記念館でありたいとの想いが伝わってくる展示でした。
偶然ですが、展示室の建物奥のコンクリートの天井に、多くの作品になった坂本龍馬の肖像を思わせるシミが浮き出ているとの事でしたが、建築屋の眼で見ると、型枠の色が残っているとしか思えませんでした。(ロマンが無いと言わないでください。) -
記念館の裏側に、花供養碑がありました。
司馬氏自筆の歌碑で、2006年河内長野市にあった文化・リゾート施設から移設されたものです。 -
建築には、さほど興味がない奥様ですg、本は凄く好きなので結構面白く見れたようです。
全く最初は興味が無くても、色々な建物等を見ていくと少しづつ建築の面白さが分かって貰えますね。。。
八戸ノ里の駅 -
では、コンサート会場に向かいます。
今日の会場はコチラ。。。
東大阪文化創造館です。
旧市民会館及び旧文化会館の機能を集約し、東大阪市のシンボルにふさわしい文化芸術の創造と発信の拠点としてに、2014年から整備が開始され、2019年9月にグランドオープンした新しい施設です。
この場所は、東大阪市立中央病院があった跡地らしいです。東大阪市文化創造館 名所・史跡
-
設計は、㈱大林組、㈱佐藤総合計画で、施工は㈱大林組です。
1,500席の大ホール(Dream House)、300席の小ホール(ジャトーハーモニーホール)や、楽器の貸し出しが可能な音楽スタジオ、ダンス、会議等の幅広い用途に使用できる諸室があるようです。
音響設計の設計、施工は、日本初の音響コンサルタント会社の㈱永田音響設計で、この会社が手掛ける音響は、日本国内におけるコンサートホールの最高峰と評価されているそうです。 -
セットリスト
① 時の流れ
② なごり雪
③ あの唄はもう唄わないのですか
④ 雨の物語
⑤ 冬京
⑥ 海岸通
⑦ 星空
⑧ あいつ
⑨ ペテン師
⑩ 湘南 夏
⑪ 青い夏
⑫ ほんの短い夏
⑬ 22才の別れ
⑭ 涙憶
⑮ 夏純情
⑯ 風の日の少年
⑰ 冬の恋
⑱ moonlight
⑲ 通り雨
⑳ 君と歩いた青春
アンコール
・ささやかなこの人生
・海風
・俺たちの詩
伊勢正三さんは、1951年11月生まれ御年71歳。
お元気ですねぇ、動きも声も私の青春時代から変わっていない(そんなはずはないでしょうが)ように思いました。
私の中では「神」が降りてきたとしか思えない、大好きな、なごり雪、雨の物語、海岸通、22才の別れの頃のイメージが強いです。 -
メンバーの、細井豊さん、春名正治さん、岩井眞一さんには『THE MUSICMEN』として、前日に豊中市にあるサウンドホールで「LIVE~サウンドホール「THE MUSICMEN LIVE~打上げ」を終えて」を行われたそうです。
伊勢正三、イルカ、太田裕美、尾崎亜美さん等、私の青春時代を彩った方々で「君と歩いた青春」というツァーを続けておられます。
2016年の大阪城ホールでのコンサートに、小椋さんがゲスト出演されるという事で参加したことがありましたが、歌を聞いていると懐かしい時代、確かに歌と共に歩いた時代を思い出させてくれました。
https://4travel.jp/travelogue/11173852 -
50周年ですか。。。。
私も還暦過ぎて5年経ちますからねぇ。
それでも週3日働き、身体を動かして健康に留意しながら、一日一日が残された人生の初日と捉え、私も生頑張って生きて行きたいと思います。
今回、これまで。
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