2023/05/18 - 2023/05/19
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hijunoさん
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ひとり歩きを楽しんでいます。この日は特に暑さが厳しい一日でした。水分補給をしながら、歩きます。万歩計をみましたら、2万近く歩いていました。その後二日ほどは使い物にならないくらいに疲労していました。(笑)ほどほどが一番です。
でも歩くのは本当に楽しい。特に京都は歩けばどこかの歴史的な遺蹟に当たるので、寄り道が増えてしまいます。
この日の一番の目的は前回どうしても見つからなかった佐久間象山の寓居跡の石碑を見つけることです。こちらも無事クリアできました。近くの坂本龍馬寓居の跡へ立ち寄りましたら、酢屋さんという今も材木商を商いをされているお店の二階に龍馬が住んでおり、展示室も偶然に見学できました。さらに近くの徳川時代の対馬藩邸、桂小五郎の寓居跡という場所へも。その後、佛光寺方面へ歩きます。またまた寺町通りを通ります。外国からの観光客もずいぶん増えて、にぎやかでした。実は、佛光寺近くのカフェも行きたかったところで、こちらでは美味しいキッシュをいただきました♪町屋をリノベーションした建物がこのあたりには沢山あって風情のある場所です。佛光寺でもカフェや京都のおみやげ物屋さんもあって、新しいお寺だなぁ~と感じました。
京都市学校歴史博物館、日本の教育の歴史がとても面白かったです。帰路の途中、偶然見つけた聖光寺というお寺、表に「天野屋利兵衛はおとこでござる」の碑がありました。大石内蔵助の母親と天野屋利兵衛のモデルとなった綿屋善右衛門好時のお墓もあるそうですが、中に入ることはできませんでした。
京都はつくづく、あちこちに歴史のものがあります。歩いてみないとそれらに出会うこともなかった、、、、というものが多いです。暑さに慣れつつ、体調を整えて、時間があるときは、これからもどんどん歩いてみようと思っています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 自家用車 徒歩
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はじまりは、またしても京都の木屋町付近。
高瀬川沿いもすっかり緑。 -
今回は、前回たどり着けなかった佐久間象山の寓居石碑のリベンジをすることが目標のひとつでした。
そのまえに、近くに坂本龍馬の寓居跡というのがあることを知り、訪ねてみます。
酢屋さんという1721年に創業し、今も材木商を営んでいるお店があります。
1階は木を材料とした雑貨のお店。可愛い雑貨が沢山ありました。
幕末には、海援隊の隊士たちをかくまった場所です。
2階には坂本龍馬が宿としていた部屋、坂本龍馬、海援隊などに関しての資料が展示されていました。撮影は禁止です。 -
お表には、坂本龍馬寓居跡の石碑とその説明板。
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こちらの石碑のみがあるのかと、思ってました。
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材木商を営んでいた酢屋さんが書いたものとおもわれますが、
海援隊の人々がずらり。
その中には陸奥宗光の名前もありました。
のちに、陸奥宗光がこちらを訪ねて、大変懐かしがったとききました。 -
海援隊の京都本部のあったところです。
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お店の前にはこの看板。
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外の下から。
この上の部屋あたりに龍馬が住んでいた部屋がありました。
部屋からは外の通りなどを眺めていたそうです。 -
そして、さらに近くにあるのは、徳川時代の対馬藩邸の有った場所、そしてそこを寓居としていた桂小五郎の碑。
あねやこうじばしのたもとにあります。 -
石碑があります。
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詳しい説明板も。
江戸時代にこのあたりに対馬藩邸があったそうですが、幕末には家臣の大島友之允と交流があったことから、こちらが、桂小五郎の寓居の一つとなったそうです。
池田屋事件のときも、桂小五郎がこちらの邸に逃げ込み、難を逃れたといわれています。 -
そしてさらにそこから歩いて、やっと見つけた、佐久間象山の寓居の石碑。
駐車場の入り口片隅にぽつり。
佐久間象山は朱子学者、兵学者、思想家として、多くの人々に影響を与えた人物、吉田松陰、勝海舟、坂本龍馬なども門下生となっています
公武合体論、開国論を唱えるも、尊王攘夷派により暗殺されてしまいます。 -
石碑、しかも駐車場の旗で隠れていました。
やっと見つけた安堵感。 -
横にも、京都市教育會という文字。
まさに、ひっそりとたたずんでいました。
近くにある佐久間象山の遭難の碑は目立つ碑でしたが。
それにしても、幕末の動乱の時期、このあたりは相当、物騒で緊張の場所であったはず。明治維新をみるまえに、どれだけの命が削られたことでしょうか。。。
などと、おもいつつ、佛光寺方面へ歩き出します。 -
と、前にも前を通った武市瑞山先生寓居の跡の石碑。
そこはお店なのでしょうか、、京都独特の住宅のつくり、長い石畳の先にある家。。風情ありました。うなぎの寝床、、に例えられますが。 -
そして、こちらは、一度行ってみたいと思っていたカフェ。
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メニューです。
綺麗なタルト!! -
とても魅かれますが、今日はもうひとつの目標の町家のカフェに行く予定ですので、次回のたのしみに。
それにしても、京都って、歴史のある雰囲気と、こんな新しい雰囲気がマッチしていて、おもしろい。 -
商店街を通り抜け、
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寺町通りの由来もちらり、もう一回読んで、
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仏光寺あたりまで歩いてきました。
町屋のレトロな窓枠。
可愛いです。
テントウムシ。
おしゃれです。 -
イチオシ
そして、今回ぜひに来てみたかったCafe Marble、町屋をリノベーションしたお店です。
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入口にメニュー。
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中の様子。
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私のテーブルは、昔のミシンを使ったもの。
懐かしい、脚ふみのミシンです。
実家にもあったなぁ~。 -
メニュー。
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本日は、このキッシュのランチをいただきます。
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さすが、町屋。もともとの建物は100年以上経っていると聞きました。
大きな梁、高い天井。 -
イチオシ
そして、可愛いいラスト。
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中庭もあります。綺麗に手入れされてました。
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まず、ニンジンのポタージュ。
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イチオシ
そして、フレッシュな野菜と食べ応えあるキッシュ。
お腹いっぱいになりました。ごちそうさまです。 -
そして、その先にあったこんな駒札の看板。
當堂職の屋敷跡とあります。 -
ちょっと読みにくいのですが、
當堂は、室町時代以降、目の不自由な人々の技能集団となりましたが、鎌倉時代は平家物語の琵琶法師の集団を中心としてその後は、箏曲や按摩などの様々な技能の集団として活躍し、その屋敷があった場所には、駒札が建っています。
明治になって廃止されますが、以前はこの中では自治権があり、裁判なども行われていたそうです。 -
その近くには、さらに、幼稚園100周年記念の碑がありました。
このあと、京都市学校歴史博物館へ行きますが、京都は幼児教育も早くから盛んであったところです。 -
佛光寺のほうへ歩きます。
すぐ近く。 -
勅使門。美しいです。
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門もいくつかあるそうですが、こちらから。
佛光寺派1212年の創建と伝わり、開山も親鸞聖人と伝わっています。 -
広い敷地。
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本堂は阿弥陀堂とも呼ばれています。
1904年に再建。
本尊は阿弥陀如来立像。 -
中は法会の支度をされているようでした。
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とても美しい絢爛豪華な造りのお堂でした。
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木造の建築、細やかです。
紋でしょうか。。 -
お隣の大師堂とつながる渡廊下。
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大師堂。こちらも明治期、1884年に再建されています。
親鸞聖人の座像を祀っています。 -
こちらも威厳のある建物でした。
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境内にはカフェとショップがあります。
カフェは食事もできるようです。
外に座って、のんびり、お寺の鑑賞もできます。 -
メニューです。
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こちらがショップ。
京都お土産があり、お洒落な雑貨も沢山ありました。 -
先ほど入って来た阿弥陀堂門、1879年の再建です。
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法会があるようです。
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京都市学校歴史博物館へ行く途中、この辺りは、町屋をリノベーションした宿などが多いです。
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京都市学校歴史博物館に到着しました。
工事をしているみたいですが、開館していました。 -
可愛い画、こちらも展示されているようです。
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中に入ってみると、やはり、全体的に工事中。
学校の雰囲気です。 -
昔、学校にあったような、、。
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玄関。こちらも古いもののようです。
旧成徳小学校の玄関車寄せを移築したものです。 -
説明がありました。
1876年のもの。
西洋のものを感じさせる雰囲気。
日本の大工さんの技です。 -
こちらも昔はかならずと言っていいほど、小学校にありました。
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中にはいってみます。
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京都は日本で初めて、学区制の番組小学校と呼ばれる学区制の小学校が64校できています。1869年のこと。明治維新から間もなく、地域の大切な役割を持つ学校が誕生しています。
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ビデオのコーナーもあります。
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教育の推進に寄与した人々。
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その当時の番組小学校は、地区の中心の場所となります。
役所や消防署などの機能もありました。
生活の中心だったのですね。 -
昔の写真、四条通の様子だそうです。
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地域との学校とのつながりの資料も多く。
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イチオシ
私が一番面白いと感じたのは、こちらの教科書のコーナー。
時代ごとの教科書、実際に手に取って、みることもできます。 -
教科書は、教育の時代を表しています。
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最初は論語などから始まり、
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明治10年ころには、西洋風の教育に批判がおこり、日本風のものに変わっていきます。
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国定の教科書もできます。
その時々の国の政治などの影響を受けてきた教科書。 -
昔の教科書を再現したものを、手に取ってみることができます。
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こんな表紙の教科書もあったのですね。
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楽しそうです。
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イチオシ
もんぶしょう、、という文字、ひらがなで。
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小学校のころは、こんな教科書だったような、、、なんだか、懐かしいです。
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古いオルガンやピアノ。
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机もこんな感じでした。
とても懐かしい、、、、
私の小学校は、明治時代に建てられた古い小学校で、机も椅子も古いものでした。。 -
明治期、富国強兵、殖産興業が推し進められるなか、島津製作所も大きなやくわりを果たしています。
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京都の伝統技術も教科書に取り入れられ、
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これらも京都の伝統文化を取り入れた教科書。
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幼稚園の教育も早くから始まっています。
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戦争中、戦争後の様子。
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そして、戦後の教育が始まります。
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給食の歴史も。
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イチオシ
私はこちらのタイプでした。
瓶牛乳から三角パックへ変わっていきましたけれど。 -
まだまだ明治期や大正、昭和に建てられた校舎も残っているのですね。
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別の展示室には、絵画の展示があります。
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桃太郎や、
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園児遊戯図。
明治期に尚徳幼稚園に贈られたものだそうです。 -
修身の授業に使われた画でしょうか。。
忠孝など。 -
楠木正成と子供との別れの場面。
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のどかな子供の登場する画など。
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動物の子どもたちの可愛い画もありました。
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門を隔てたところには、キセルの専門店がありました。
このあと、さらに歩きます。 -
珍しい、右から読む看板。
歴史を感じます。 -
聖光寺へやってきました。
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説明の駒札。
お寺の言い伝えによると、ここには仏師康慶が住んでおり、弁長が草庵をたて、8年間ここから法然のもとに通ったといわれています。
そのあと、弁長が去る時に康慶が別離を惜しみ、弁長の真影をかかげて、
聖光庵としたとのこと。 -
こちらには、大石内蔵助の実母のお墓と、忠臣蔵でおなじみの、天野屋利兵衛のモデルとなった綿屋善右衛門好時のお墓があります。
柵結界があって、境内に入ることはできませんでした。
特別公開の時もあると、あとからお聞きしました。 -
イチオシ
忠臣蔵でおなじみのセリフです。
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天野屋利兵衛こと、綿屋善右衛門好時のお墓があります。
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イチオシ
門の入り口には、深いお言葉が。
ラッセルの身に染みる言葉が書かれてありました。 -
イチオシ
予定はない場所でしたけれど、京都、歩くと必ず、歴史的名ものに出会います。
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ビルの合間に鳥居を発見。
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京都大神宮。
「京都のお伊勢さん」と呼ばれています。
伊勢神宮と関係のある神社。
美しい本殿は、一条家の玄関、書院を移したもの。 -
表には説明書きがあります。
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手水舎の水盤は伏見城にあったものを寄進されたものだそうです。
英語での説明もありました。 -
手水舎の近く、すみのほうに。
優しい雰囲気です。 -
更に歩いて、、、
龍池山大雲イン跡という説明。
織田信長・信忠親子の菩提を弔うために、1587年に建てられたお寺でしたが、その後、移転しています。 -
そして、火除天満宮に来ました。
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天満宮の言い伝えによると、1579年に九州より兵乱を避けて、一人の神官が菅原道真の像を背負って京都に来たことにさかのぼり、現在の地に1597年に天満宮が創建されています。
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細い路地を通っていきます。
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蛤御門の変の時にも、このあたり一帯は類焼を免れたといわれ、火除けの神としての信仰をその後も集めています。
また、学問成就の信仰も。 -
可愛い牛がいました。
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鳥居も古く、天保の文字がみえます。
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こちらも柵結界があって、中にはいることはできませんでしたが、安土。桃山時代に創建された由緒あるお寺のようです。
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暑い一日でした。
すっかり疲れて、甘いソフトクリームと冷たいアイスコーヒー。
ちょっと休んで、今回の歩き回り終了です。
長くなりました。
最後までお読みいただき、いつもありがとうございます。^^
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