2023/05/10 - 2023/05/10
111位(同エリア241件中)
naoさん
京都府の南部に位置する京都府綴喜郡井手町は、京都と奈良を結ぶかつての奈良街道(大和街道)が通る町で、江戸時代には玉水宿が置かれていました。
奈良街道(大和街道)は参勤交代の行列が通ることが無かったことから、大名のための本陣や脇本陣は設けられていなかったようですが、町人向けの旅籠や木貨宿が軒を連ねていて、宿場町と呼ぶに相応しい景観をつくっていました。
現在の井手町には、玉水宿当時の旅籠の姿を留める旅館1軒を除いて、ほとんど宿場町の面影を留めていませんが、伝統的な様式の町家が点在する町並みを展開しています。
また、奈良街道(大和街道)から一歩東に入ると、町並は一転して農村集落へと様変わりし、入り母屋造りがほとんどの町並みの中に大和地方独特の大和棟の民家も残っていて、豊かだった集落の様子が垣間見えます。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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奈良街道(現府道70号線)沿いの木津川市の、井手町との境界線のすぐ手前に良い町並みがあったので、井手町に入る前にちょっと寄り道しました。
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増築された関係によるのか、屋根の架かり方が複雑に見える町家です。
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こちらの町家も、複雑な屋根が架かっています。
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長屋門のある町家です。
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よく見ると、主屋の妻壁に能面のようなものが取り付けられています。
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ここまでが木津川市の町並みでした。
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ここから井手町に入ります。
井手町の町歩きの前に、玉川の南側にある井手町保健センターの駐車場に車を停めさせてもらいに行きます。
ちなみに、高架で道路を跨いでいるのは渋川という天井川になります。 -
こちらの町家の主屋は新たに建替えられていますが、元々あったと思われる趣のある門はそのまま使っておられます。
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瓦葺の板塀をめぐらせた町家です。
門の銅製屋根の棟木に面白い細工が施されています。 -
街道筋に妻面を見せる町家です。
わずかな寸法で棟を2段に分けています。 -
こちらは妻入りの町家です。
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瓦葺の土塀をめぐらせた町家です。
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厨子2階部分に格子窓のある町家は、あえて柱を見せて外観に変化を与えています。
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大屋根が直交する町家です。
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板塀をめぐらせた町家です。
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こちらの町家は、2階の壁に黒漆喰を塗っておられます。
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脇道を覗くと、土蔵のある町家が見えます。
この光景に興味をひかれたのでちょっと入ってみます。 -
こちらの土蔵は、白漆喰塗の破風の一部がはがれて下地が見えています。
土の落下防止のため、骨になる竹に細いわら縄が等間隔でくくり付けられてはいるんですが、何らかの影響で破風の一部がはがれてしまったようです。
では、奈良街道へ戻ります。 -
こちらの町家は駄菓子屋を兼ねた文房具店さんのようで、近くの小学生のたまり場になっています。
奈良街道の東側にはかつての農村集落が広がっているので、この先で街道筋を外れて歩いてみます。 -
街道筋を外れた町並みに入りました。
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煙出しの越屋根がある町家など、豊かな集落の様子がうかがえます。
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風情ある町並みが続きます。
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こちらは、奈良時代の正一位左大臣で、万葉集の撰者としても知られた橘諸兄(たちばなのもろえ)ゆかりの六角井戸です。
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橘諸兄は井手町と深い関係があった人物で、数々の旧趾が残されています。
この六角井戸もその一つで、橘諸兄の館である玉井頓宮にあったものだと語りつがれていて、「公(橘諸兄)の井戸」として親しまれています。 -
重厚な土塀をめぐらせているのは、無量山安養寺という高野山真言宗の寺院です。
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境内には、真言宗の開祖、弘法大師空海の像が建立されています。
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見事な石垣を築いた町家です。
では、奈良街道へ戻って玉川を北へ渡ります。 -
奈良街道へ戻ってきました。
立派な土塀をめぐらせた町家のすぐ先を、玉川が東西方向に流れています。 -
玉川を渡ってきました。
こちらは、モミジの鏝絵が浮き出た虫籠窓のある町家です。 -
奈良街道の東側に広がる町並みです。
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玄関へ続く石敷きの通路。
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井手町の町並みです。
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土塀をめぐらせた町家です。
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農業用と思われる資材を保管している町家です。
これを見ると農村集落だったことがうかがえます。 -
住宅街の一角の、玉川保育園の北側にある蛙塚(かわづつか)が見えてきました。
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玉川の清流が流れる井手町は、橘諸兄が好んだヤマブキの花と清流に棲息する蛙(かわづ)の名所として知られ、なかでも、人の心をしみじみとさせる泣き声を聞かせる蛙は、井手の枕詞として用いられるほど万葉の昔から数々の和歌に詠まれているそうです。
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こちらは井堤蛙舊蹟の石碑で、側面には紀貫之の句が刻まれています。
『音にきく 井堤の山吹みつれども 蛙の聲は かわらざりけり』 -
石碑にあるように、このあたりは玉の井と呼ばれる湧水があった所で、清らかな水がこんこんと湧き出ていたそうです。
また、石碑の傍らには、三十六歌仙のひとり藤原興風の歌碑が置かれています。
『あしびきの 山吹の花 散りにけり 井でのかわつは 今や鳴くらむ』 -
では、町並みに戻ります。
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奈良県、大阪府、京都府南部地域にかけて数多く見られる大和棟の民家がありました。
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切妻造の建築様式のひとつである大和棟は、急勾配の茅葺屋根と緩勾配の瓦屋根を組み合わせた構造になっています。
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棟の高い茅葺屋根の部分が主屋で、それより一段低い瓦屋根の部分がくどや土間になっていて、くどには煙出しの越屋根が設けられています。
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こちらの荒々しい土壁に目が引き付けられました。
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東側に広がる町並みをぐるっと回って、奈良街道へ戻ってきました。
こちらの町家の土蔵は、棟の高さからみて二層構造になっていると思われます。 -
井手町の汚水桝の蓋。
町の花「ヤマブキ」と井手町の「井」がモチーフになっています。 -
槇の木の生垣をめぐらせた町家です。
ここから、JR奈良線の西側に広がる町並みへ向かいます。 -
JR奈良線の踏切を渡って、西側の町並みにやって来ました。
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植えられた樹木が生い茂っていますが、空き家なのかもしれませんね。
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格子戸の入った玄関のある町家です。
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こちらは京都伏見に本社がある玉乃光酒造の井手工場です。
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玉乃光酒造は延宝元年(1673年)創業の造り酒屋さんで、井手工場は昭和63年(1988年)に設置されています。
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工場内に設置された貯蔵タンクが酒蔵さんであることを物語っています。
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浅黄色の外壁の町家です。
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この町家の石塀の中に、とてつもない物が隠れています。
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失礼だとは思いながら覗き込むと、ピカピカに磨き上げられたダイハツミゼットが置かれています。
この三輪自動車は、ダイハツ工業が昭和32年(1957年)から昭和47年(1972年)にかけて製造していたもので、50年以上も前の車をここまで大切にしておられるのは、オーナーさんの愛情を感じずにはおられません。 -
こちらの町家は、軽快な中にも丁寧な仕事ぶりがうかがえる板塀をめぐらせておられます。
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こちらの建物は、江戸時代に置かれていた玉水宿の姿を留める、かつての旅籠です。
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唯一残るこちらの建物以外、現在の井手町には宿場町の面影はほとんど感じられませんが、往時はこのような旅籠がたくさん並んでいたとのことです。
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伝統的な町家の外側にモダンな外壁をしつらえておられるのは老舗の料亭です。
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天保年間(1830年~1844年)の創業というこちらのお店では、心のこもった懐石料理でお客さんをもてなしておられるそうです。
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町角に立つ石標。
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標面には、井手町近辺の史跡、名勝、集落などへの距離が刻まれています。
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道路沿いに花が咲くプランターを並べておられる町家です。
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入母屋屋根の架かった玄関のある町家です。
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建替えられて間もないJR奈良線玉水駅。
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敷地の奥まったところに建つ主屋には、漆喰塗籠めの虫籠窓がしつらえられています。
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こちらは長屋門です。
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開け放たれた門から、主屋が見えています。
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格子窓のある町家です。
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主屋の奥に、離れ家のある町家です。
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井手町役場近くの、玉川の堤防に鎮座する小さなお社を最後に、井手町の町歩きを終えることにします。
では、玉川対岸の井手町保健センターの駐車場に車を停めさせてもらっているので、ピックアップして帰ります。
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