2003/08/30 - 2004/03/31
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sagamiさん
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■2023年6月作成
2003年9月から約7カ月、イギリス・シェフィールド大学に短期留学の機会を得た。その間の滞在記は、「イギリス留学記 2003-2004年 シェフィールド大学に留学していた時の記録です」という旅行記グループに、以下の10話構成でまとめた。
その01 シェフィールド大学留学
その02 サッカー観戦記
その03 ロンドン
その04 スコットランド
その05 マンチェスター、リーズ、バーミンガム
その06 Chatsworth(チャッツワース)
その07 イギリス最古の国立公園「ピークディストリクト国立公園」
その08 ウエールズ・カーディフ
その09 ヨーク
その10 湖水地方
私にとってこの留学と、それに伴うイギリス暮らしは、その後のキャリアに、そして、大げさに言えば、その後の私の人生に大きな影響を与えるものであった。
上記の10話は、どのような体験をしたかという事実関係をまとめたものであるが、この「長いあとがき」では、留学全体を通じて感じたことや留学から帰国した後の体験等を記してみようと思う。
【写真の説明】
イギリス到着後、2週間程度をロンドンで過ごした。
この写真は、ロンドン到着翌日に撮影した写真のうちの最初の何枚かのうちの1枚。それまでロンドンに行ったことはあったが、出張での訪問であり、ロンドンの街歩きは、その時が初めての経験だった。
天候にも恵まれ、街のきれいさと過ごしやすさに感激したことを覚えている。
- 旅行の満足度
- 5.0
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留学に出発したのは、44歳の夏のことだった。
若い頃から海外で働くことを希望していたが、その機会を得ることが出来ないまま40歳を超えてしまい、海外勤務は、半ばあきらめていた。しかし、その気持ちを変えてくれる出来事があった。
私が勤めていた会社には、製造現場で働く将来のリーダー候補の若い人に海外を見聞させるというユニークな研修コースがあり、1993年の研修の事務局に私は任命され、コースの設計・手配・事前研修の実施、そして、実際の海外研修の付き添いを行った。約3週間かけて、ドイツ・フランス・スペイン・アメリカ・タイとほとんど世界一周するコースを設計した。その研修の事前学習では、研修参加者に対して、多くの課題図書を設定した。その中の1冊が、前年に完結したばかりの、沢木耕太郎の「深夜特急」だった。研修参加者に対しての課題図書であり、もちろん、私自身も目を通した。目を通したというよりも、第一便から第三便までを、ほとんど一気読みしたという言い方が当たっている。この本を読んで、私の中に、やはり海外で暮らしてみたいという想いが蘇った。
研修での3週間の海外訪問も素晴らしい経験だった。シンプルに世界は広いと思った。事前学習はしていたが、実際に訪問してみると、世の中は自分の知らないことだらけだった。
【写真の説明】
イギリスで驚いたのは、自然の美しさだった。
この写真は、湖水地方の写真だが、私が住んでいたシェフィールド郊外のピークディストリクト、2泊の旅行で出かけたスコットランドなど、都市の郊外に広がる田園風景、丘陵の風景、湖などは何度見ても飽きずに、美しいな、と感じていた。 -
私は人事部門に所属していた。
当時、人事部門にいる限り、仕事で海外赴任をするチャンスはほとんどなかった。ただ、私が勤務していた会社には、公募留学という制度があり、半年前後の短期間であるが、希望者の中から選抜をして留学に送り出すという仕組みがあった。年齢的には、ほとんど最後のチャンスになるだろうと思いながら、2002年、43歳の夏に公募留学制度に応募した。書類選考・面接を経て、何とか合格することが出来た。40歳を超えた者を合格させてくれたのは意外だったが、実際に海外留学に行けることになった喜びは大きかった。
留学先は合格してから決めることになっていた。留学先決定までのガイドと手続きを行ってくれたのは、外部の教育訓練会社だった。留学先は、アメリカの大学数校と、イギリスの大学数校の中から選択することになっていた。私は迷わずイギリスを選び、イギリスの学校の中からは規模の一番大きそうなシェフィールド大学を選択した。留学期間中、勉強することは当然であるが、自分の見聞をなるべく広げたかった。イギリスであれば、電車を中心に公共交通機関が発達していて国内を移動するのに便利だし、また、ヨーロッパに旅行に行くことも難しいことではないだろうと思い、イギリスを選択した。
【写真の説明】
イギリスを選択したもう一つの理由は、プレミアリーグのサッカーを観たかったからだ。
私が留学したシェフィールドから1時間程度の場所にリーズという場所があり、当時、リーズユナイテッドというチームが、プレミアリーグに所属していた。比較的チケットも入手しやすく、数試合のリーズ戦を観戦することが出来た。
シェフィールドにも、日本で言えばJ2にあたるリーグにシェフィールドユナイテッドというチームがあり、これも数試合観戦に出かけた。その他、ロンドンやマンチェスター、あるいは、ヨーロッパ旅行中にマドリッドでも観戦することが出来、サッカー観戦という意味では満足できた(もちろん、他の面でも)。
写真は、マンチェスターユナイテッドの本拠地、オールドトラッフォードのスタジアム。 -
留学先は、シェフィールド大学マネジメントスクール内のPre-MBAコースに決まった。このコースは、翌年以降、シェフィールド大学、あるいは、他のイギリス国内でMBAコースを受験しようとする人たちのための準備コースで、MBAの授業についていけるだけの英語力と基礎的なビジネス知識を学ぶコースとして設計されていた。
実際のコース受講者は、おおまかに2種類に分かれていた。1つは、コース設置の趣旨に沿い、イギリス国内のMBAコースにチャレンジしようとしている人たち。もう1つは、私のような、企業あるいは団体からの派遣者で、MBAを目指すものではなく、英語力とビジネスの基礎知識をある期間で学ぶことそのものを目的にきている人たちである。
また、コースアレンジをお願いしていた教育訓練会社から、大学に入る前に、2週間程度、ロンドンの語学学校に通うオプションを勧められ、プログラムに取り入れた。イギリス留学は、最初の2週間がロンドンでの語学学校、そこからシェフィールドに移って、約6ヶ月をシェフィールド大学で学ぶプログラムとなった。
【写真の説明】
シェフィールド大学のキャンパス。
1905年設立の国立大学。学生数は28,000人強(2011年)と規模の大きな学校。おそらく理系の学部の方が優秀で、大学関係者から8人のノーベル賞受賞者を出している。 -
留学期間中の体験は、旅行記グループ内の10話に書いた通りである。この10話の中に書いていないことで、大きな体験は、ヨーロッパ大陸を旅行したことだった。スペイン・ポルトガル・イタリア・バチカン・フランス・ルクセンブルグ・ベルギー・ポーランド・チェコ・スロバキア・オーストリア・ハンガリーと全部で12か国を訪問することが出来た。この旅行については、別の旅行記グループを作成しアップする予定なので、ここでは触れないが、素晴らしい経験だった。イギリスのみならず、ヨーロッパの他の国の雰囲気を味わうことも出来、留学先としてイギリスを選択して良かったと感じた。
【写真の説明】
学校のクリスマス休暇中に出かけたパリでの写真。
出発はマンチェスター空港、イギリスへの帰着はリーズ・ブラッドフォード空港を利用した。
当時からヨーロッパはLCCが多く、オフシーズンに、あまり便利でない空港の、あまり便利ではない時間帯を選ぶと、驚くほど安いチケットを入手することが出来た。
クリスマス休暇中の旅行では、大陸内は、西はポルトガルから東はオランダまでを、バスと電車を使って移動した。ヨーロッパというのは、意外とコンパクトなのだな、と感じたことを覚えている。 -
留学期間中、日記がわりのメモをとっていた。毎日記録していたわけではないが、留学期間中の主だったことは、これを見れば思い出せることも多い。留学当初の数日間のロンドンでの様子は例えば以下の通りである。
留学のために、自宅を出たのは、2003年9月12日金曜日のことであった(これまで、私は、なぜか、留学の開始は2003年8月だと勘違いしていたが、実際には9月のことだった)。逆に日本に帰国するためにイギリスを出発したのが、2004年3月31日のことなので、留学期間は、約7ヶ月ということになる。出発当日の日本は残暑の残る、むし暑い日だった。神奈川の自宅を午後に出発、宿泊先の成田到着は夕方となった。この日は成田に宿泊。
9月13日土曜日のフライトでロンドンに。Raddison Hotelというホテルに宿泊することになっていたが、なんとオーバーブッキングで部屋がなく、代替としてホテルから紹介されたBond Streetのホテルで宿泊したことがメモに書かれていた。午前中に成田を出発した便は夕方にロンドンに到着するため、時差ぼけもあり、到着時点で相当に眠く朦朧としていたが、翌日以降に時差ぼけを持ち越さないように、何とか夜遅くまで眠らずに頑張った。
9月14日の日曜日が、実質的にロンドン初日ということになる。前日到着したばかりで時差ぼけも残っている中、朝早くから起き出し市内をうろうろした。いったんホテルに戻りチェックアウトした後、ホームステイ先のMrs. Evansの家に向かう。Turnham Green(ターナムグリーン)という地下鉄の駅で降りて、徒歩で10分程度の場所にMrs. Evansの家はあった。Mrs. Evansは高齢の方だったが、私の居住用に準備してくれていた部屋はとても綺麗だったし、Mrs. Evansは親切な方で一安心した。ロンドンに滞在するのは2週間であったが、少なくとも住居に関しては、ロンドンでは快適に過ごすことが出来そうだった。翌日から、学校が始まるので、すぐに学校の下見に出かけた。ターナムグリーン駅近くのバス停から二階建てバスに乗り、学校まで。学校も問題なく発見でき、実質上のロンドンでの初日は終わった。爽やかに晴れ渡った気持ちの良い日だった。
【写真の説明】
ホームステイ先の周辺。
Turnham Green駅は、地下鉄のディストリクト線とピカデリー線が通っている。
ロンドンの中心部からすれば、やや西側に位置している。仮に地下鉄のサークル線を山手線に見たてれば、山手線を南西方向に若干はずれたあたりに位置するので、東京で言えば、池上線沿線とか、そんな感じになるだろうか。 -
9月15日月曜日は学校初日。英語のみを学ぶ語学学校に2週間通学する予定だ。月曜日から金曜日の朝の9時から夕方の17時まで英語漬けの日々を2週間過ごす。クラス分けインタビューの後、アサインされたクラスは、私に加え、スイス人2人と、日本人1人の4人のクラスだった。
語学学校の事務部門の人たちのサービスは良かった。ロンドンには語学学校が数多くあり、競争もそれなりに厳しいのだろう。プレミアリーグの試合のチケットをとりたいのだが、と頼んでみたら、あっさりと翌週のフラムvsマンチェスターシティの試合のチケットをとってくれた。夕食はホームステイ先で。Mrs. Evansの料理は可もなく不可もなく。Mrs. Evans宅には、もう1人ホームステイしているイグナシオというバルセロナから来ているスペイン人がいた。英語はうまくなく、感じもよくなかったので、食事を一緒にする時以外には会話を交わさずじまいだった。
このような感じで、毎日が過ぎていった。
留学開始早々だからでもあるが、これまで経験したことのないことを、毎日経験することが出来た。もちろん、徐々に慣れてはいくのであるが、それでも、ロンドンからシェフィールドに移った後も含めて、留学が終わるまで、かなり新鮮な気持ちを持ち続けることが出来た。
【写真説明】
写真は、語学学校の先生が皆をパブに連れて行ってくれた時のもの。授業開始2日目だったと思う。
あらためて気がついたが、これが、私がパブに行った初めての機会だった。シェフィールドにいる間を含めて、イギリス滞在期間中、パブにはよく出かけた。 -
イギリスはEUに加入していたが、通貨はユーロではなくポンドを使っていた。当時はポンド高で、1ポンドがおおよそ200円換算であった。そのためもあり、イギリスの物価は相当に高く感じられた。ホームステイ費用は会社負担であり、朝食と夕食は基本的にホームステイ先で食べていたので、毎日の生活に大きなお金はかからなかったが、物価が高い場所で、昼食代、バス代、イギリス国内外の旅行代、本代、サッカー観戦代などを支払っていると、やり繰りはけっこう大変だった。
また、私が通っていた大学のコースには、1ヶ月強におよぶ長いクリスマス休暇があり、その休暇を利用して、ヨーロッパ大陸に旅行することを予定していた。そのための費用を貯めておかなければならず、お金の残高をいつも気にしていた記憶がある。
【写真説明】
シェフィールドでのホームステイ先の写真。
現在、あらためてWikiを見ると、シェフィールドは下記のように紹介されている。
■シェフィールドは、イギリスのイングランド中部の工業都市である。人口は58万人で、ロンドン、バーミンガム、リーズ、グラスゴーに次いで第5位。
■川にかこまれて水力動力が得られたことや、鉄鉱石と石炭が近郊で産出したことにより鉄鋼業が発達し、近隣のリーズやマンチェスターと並んで、産業革命以来英国工業の中心地として国の経済を支えてきた。
■市域の半分近くがピークディストリクト国立公園をはじめとする森林で占められており、工業都市でありながら自然も楽しむことが可能である。 -
シェフィールドは北緯53度に位置する。北海道の最北の都市である稚内の位置が北緯45度なので、稚内よりもずっと北に位置しており、カムチャッカ半島と同程度の緯度になる。それだけ聞けば相当に寒い場所のように思えるが、北海道よりも寒いのかと言われると、そんなことはない。私の感覚で言えば、東京よりも少し寒いかな、という程度。あまり雪も降らなかった。私が滞在している間に降雪は1-2回だけ、それも積もるようなものではなかった。イギリスは「西岸海洋性気候」と呼ばれる気候帯に属している。西岸海洋性気候は、暖流や偏西風の影響もあり、緯度の割に温度が下がらないのである。だから、イギリス滞在中、気候条件については、日本にいる時と同じ感じで過ごすことが出来た。ただ、これだけ緯度が高いと、冬の間、日の出は遅く、日没が早い。当時つけていたメモ風の日記によれば、2003年12月7日の日の出は午前8時8分。日没は午後3時46分。お日様が空にいるのは、7時間強しかない。実際には冬至に向けて、更に日は短くなった。これだけ昼間の時間が短いと、なんだか暗い気分にもなる。
現地の人たちに言わせると、イギリスの天候の特徴は、”unpredictable”であることだそうである。1日のうちに四季があると言われたりもする。確かに天候が変わりやすく、晴れていたと思ったら雨が降ったり、それがすぐやんで、また晴れたりということも珍しくなかった。
【写真の説明】
この写真は、通学バスを降りて学校に向かう私の通学路で撮影したもの。
鮮やかな紅葉。 -
会社から大学に派遣されているということは、大学での勉強がその間の「仕事」ということになる。だから当たり前だけれども、かなりの量、勉強した。下記は、2003年11月17日(月)の週の、各日ごとに仕上げなければいけなかった「宿題」だ。
11/17(月) (1) Case Study (2) 1on1(英語プライベートレッスン)宿題
11/18(火) (1) Business English宿題(CV作成) (2) Vocabulary宿題 (3) Reading 宿題
11/19(水) (1) Business English宿題 (2) Academic Writing宿題 (3)1on1 宿題
11/20(木) (1) 1on1宿題 (2) Presentation準備
11/21(金) (1) Meetings & Negotiations宿題 (2) 英国経済についてのPresentation準備
宿題の中には、「興味を持った新聞記事(もちろん英語)を要約する。ただし、その記事で使われていた英単語とは、別の単語を使って要約・説明する」というような、ハードルは高いが、なるほどこれを続けていけば英語も上達するなというようなものも多かった。
このような勉強を、約6ヶ月続けて私のTOEICの点数は、930点に向上した。留学当初に比べると、自分自身の英語力は全体的に向上している実感も持てていた。また、外国人と英語で会話することに対しての度胸がついたことも留学の成果だったと思う。
【写真の説明】
大学のクラスには色々な国籍の人たちがいたが、日本人の数も多かった。私と同じように会社から短期間を前提に派遣されて来ている人たちもいれば、翌年にイギリス国内のMBAコースを受験するための準備で来ている人たちもいた。
出来るだけ色々な国籍の人たちとつき合おうとしていたが、やはり、日本人同士で行動することも多く、2回ほど、日本人グループで泊りがけの国内旅行に出かけた。この写真は、2泊3日でスコットランドに出かけた際のもの。 -
シェフィールドでの留学生活を終え、日本に帰国したのは2004年4月のことだった。
留学前に、帰国後の仕事の希望について、上司からインタビューを受けていた。私は人事部に所属していたが、自分としては、人事から他部門に出てビジネスに携わりたいこと、また、せっかく海外で勉強をしたのだから、グローバルな仕事をしてみたいことを希望として伝えた。そして、その希望をかなえてもらった。
帰国後私が就いたのは、海外での事業開発の仕事だった。私が所属していた会社の石油化学ビジネスのグローバル化・拡大のために、海外の会社と合弁会社をつくり石油化学製品の製造・販売を海外の新しい立地で始めることが目的だった。海外での合弁先候補を探して交渉を行うことが私の主な仕事となった。多くの国に出かけた。韓国・中国・台湾・タイ・サウジアラビア・アメリカ・ドイツ等にこの時期、頻繁に出張を繰り返していた。人事の仕事しかしたことのない私にとっては、ハードルの高い仕事であったが、とてもエキサイティングな仕事でもあった。この時期の数年間は、海外出張が年間100日を超えていた。
【写真の説明】
シェフィールドのホームステイ先は猫を飼っていた。人懐っこい猫で、私の部屋にもよく遊びに来てくれた。
ホームステイ先のご家族には、食事やアイスホッケー観戦に連れて行ってもらったり、私の誕生日にはプレゼントをいただいたり、よくしてもらった。夕食は、ホームステイ先のご家族と一緒にとることが多く、その際には、私に気を遣って、なるべく私が会話に参加できるように話題を振ってくれたりしてくれた。 -
2007年5月、留学帰任から3年後、妻が癌でなくなった。乳癌だった。私が留学中に癌が見つかり、すぐに手術。手術から2年を経ずに再発し、抗癌剤等の治療も効かずに亡くなってしまった。人生最大の痛恨事だった。
仕事の方はいくつか手がけていた合弁会社プロジェクトの1つがタイで成立した。妻が亡くなった翌年の2008年に、合弁会社の日本側責任者として私はバンコクに赴任し、2013年までの足かけ5年間、タイで勤務することとなった。その間にタイ人の女性と結婚し、2人の子どもにも恵まれた。タイ時代の経験は、旅行記グループ「バンコク暮らし 2008年~2013年 タイ勤務時代の記録です」にまとめている。
私のトラベラーページに、私にとっての旅行とは「知らない場所に1人で行った時の、少し心細く、でも、わくわくする感じが僕にとっての旅の面白みです」と書いた。留学や海外勤務も、私にとっては、大きな意味での「旅」の一環だ。心細くもあったし、わくわくもした。
留学や、私のキャリア、私の人生にとって、とても大きな出来事、大きな転機となった。それは、留学が、更にその先の「自分の知らない場所」に連れて行ってくれる機会となったということである。
【写真の説明】
シェフィールド郊外にある「チャッツワース」と呼ばれる昔の貴族の邸宅。ホームステイ先のお宅からバスで1時間弱程度の場所にある。
シェフィールドは、イギリスの中では比較的大きな都市ではあるが、それでも、せいぜい人口が50-60万人程度であり、日本の大きな都市ほどの規模はない。私のホームステイ先から、バスで20分も走ると田園・牧草風景が広がるような場所だった。最初にも書いたが、イギリスの田舎はとてもきれい。よく郊外にバスで出かけた。
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旅行記グループ イギリス留学記 2003-2004年 シェフィールド大学に留学していた時の記録です
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