2022/11/01 - 2022/12/05
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kawausoimokoさん
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人生の再生を目指して、「お気に入り」と再会し「初めまして」に出会うために、ロンドン、パリ、ヘント&ブルージュ、デン・ハーグ、アムステルダムを35日で巡りました。
旅の21日目は、アンヴァリッドでナポレオンのお墓参りをしてから、コンサートへ行きます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 100万円以上
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2022年11月21日(月):(Day21)
今日は久しぶりにアンヴァリッドでナポレオンのお墓参りをしてから、コンサートへ行きます。
ホテルから歩いて2分のバス停Saint-Michelから87番のバスに乗り、約20分でInvalidesに到着。
乗車したバスには案内ディスプレイがあったので、安心してマロニエの枯葉が舞い散る初冬のパリ左岸の景色を楽しめました。
(この時乗車した案内ディスプレイがあるバスの写真が見つからないので、別のバスに乗車した時の写真です。)
頭の中では、Les Feuilles mortes~♪♪マイルス・デイヴィスのトランペットが鳴っています。
昨日一日お休みしたので元気を取り戻し、ご機嫌です( ^)o(^ ) -
L’hôtel des Invalides オテル・デ・ザンヴァリッド(南側)
到着したドーム教会のある南側には人っ子一人見えないので、もしや今日はこちらからは入れないのでは?と訝しんでいると、カップルが見学を終えて出て来られました。
北側の入口からしか入場できないとなると、ここから1km以上迂回しなければならないので、お二人にお聞きしたところ、写真右側のテントがセキュリティチェックでそこから入場できるとのことで、一安心。
お二人とは互いに写真を撮りあいました。 -
ドーム教会(王家の教会)
マンサールの設計による金箔と彫刻で飾られた高さ107mのバロック式ドーム教会
1706年にルイ9世の遺体安置のために建設された後、1861年に国王ルイ・フィリップの命によりヴィスコンティによって大改修が施されて地下に墓所が設けられ、その中央に「ナポレオン・ボナパルトの棺」が安置されました。 -
正面の大理石と黄金の祭壇 ヴィスコンティ作
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ナポレオンの棺
吹き抜けのドーム真下に棺が安置されています。
棺を囲む床の大理石には月桂樹とナポレオンが勝利した戦いが刻まれています。
・IENA・FRIDLAND・WAGRAM・MOSCOW・RIVOLI・PYRAMIDES・MARENC・AUSTERLITZ -
棺もヴィスコンティが設計したもので、一番内側がブリキ、次がマホガニー、続いて、鉛が2重、黒檀、一番外側が暗赤色に見える珪岩で作られており、緑の花崗岩の台座の上に置かれています。
棺の蓋はナポレオンが生前着用したボート形の二角帽子に似ているように思えます。 -
1821年5月5日、幽閉されていたセントヘレナ島でナポレオンは亡くなり、遺体は検死解剖された後、防腐処理が施されて同地に埋葬されました。
1840年に国王ルイ・フィリップの命により埋葬されていた遺体は掘り起こされてパリへ移送され、ナポレオンの遺言に沿うように、1861年に大改修後のドーム教会へ安置されたそうです。
ナポレオンの遺言は、
〇私は自分が深く愛したフランスの人々の中心を流れるセーヌ川のほとりで永遠に眠りたい。
〇私がこのセントヘレナ島で持つ宝石、銀器、陶器、家具、本、武器などの全ての物を以下に与える
・モントロン将軍(最後まで付き従った側近)
・ベルトラン伯爵(最後まで付き従った侍従長)
・ラス・カーズ伯爵(最後近くまで付き従った側近)
・マルシャン(従僕)
上記は一般的な定説で、ナポレオン伝説は彼の死後に及んでも、妻アルビーヌがセントヘレナ島でナポレオンの愛人となってしまったモントロン将軍、または、イギリスによる毒殺説や、本当の遺体はイギリスにあるという遺体すり替え説等々、例によって諸説あるそうです。 -
ヴォーバン元帥の記念碑
元々この教会にはナポレオンの命によりヴォーバン式要塞を建築したヴォーヴァン元帥の心臓が納められていたそうです。 -
アンヴァリッドの全景模型
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北側入り口
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北側から眺めた中庭
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中庭にはフランス式大砲60門
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中庭にはフランス式大砲60門
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軍事博物館の階段を上がったSalon d'Honneur(貴賓室)の一つであるGrand Salonがコンサート会場です。
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Grand Salon
普段は一般公開されていないので、コンサートの時でなければ入場できないそうです。 -
Grand Salonの窓からは、マレシャル・ガルニエ通りが一直線に伸びて、セーヌ川に架かるアレクサンドル3世橋まで続いているのが見えます。
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正面にはルイ14世の肖像
イアサント・リゴーが実際に描いたルイ14世の肖像画は、ルーブル美術館にあるものを始め3枚だと言われており、その他にイアサント・リゴーの工房で模写されたものが複数あるそうです。
ここにあるものは、工房で模写されたものでしょうか? -
Grand Salonだけあって、ルーブル宮殿やヴェルサイユ宮殿ほどではないにしろ豪華な装飾です。
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パリ国立高等音楽院 トリスタン・マヌーキアンのギタークラスの学生さんによる「パリのスペイン人ギタリスト」のコンサート
トリスタン・マヌーキアンはバッハ:パルティータ第2番BWV.82をギター向けに編曲する等、新進気鋭のギタリスト・作曲家だそうです。 -
スペインの「ギターのベートーヴェン」とも呼ばれたフェルナンド・ソルを中心としたギター箏曲のプログラム
スペインのフェルナンド・ソルはナポレオン・ボナパルトがスペインを侵攻した際に、愛国的歌詞をつけたギターのための民族的作品を数多く作曲しました。
しかし、スペインが敗北し、ジョゼフ・ボナパルト(ナポレオン・ボナパルトの兄)がホセ1世としてスペイン王になると、ホセ1世の君主制のもとで政府の管理職ポストに就きました。
その後1813年、ライプツィヒの戦いでナポレオン・ボナパルトは敗戦し退位、スペインはホセ1世とフランス人を追放し、ソルを含め多くの親フランスと見なされた芸術家や貴族が報復を恐れて祖国を追われ、フランス・パリへ亡命し、その後二度と祖国スペインへ戻ることはなかったそうです。
このコンサートのテーマは、こうしたナポレオン・ボナパルトとフェルナンド・ソルへの追想だそうです。 -
特別な場所で聴くスペインギターの音色は美しく、学生さん達の溌剌とした演奏はとても楽しめました。
どうでも良い話です・・・
高尚なテーマのコンサートではありますが、月曜日の昼間ということもあって聴衆の殆どは私のような年配者で、まるで「老人会を慰問した音大生」の様相であったとも言えます( ;∀;)
軍事博物館の展示は大きくわけて5つのセクションからなっています。
広場に展示されている60台のブロンズ製のフランス式大砲コレクション、広場を囲む建物内にある中世部門、近代部門、第一次・第二次世界大戦部門、そして、2008年に新しく加わった地下のシャルル・ド・ゴール館です。
軍事関係に興味がある方であれば、一日でも見切れない展示品の数々ですが、その内、ナポレオンに関係するものを中心に見学しました。 -
玉座のナポレオン・ボナパルト : ドミニク・アングル 1806年
ナポレオン・ボナパルトは、1804年5月18日フランス皇帝に任命されました。
豪華な戴冠式は、数か月後の12月2日パリのノートルダム大聖堂で行われ、この戴冠式にナポレオンは「グランド・ハビレメント」(儀式用の大礼服)を含むさまざまな衣服を着用しました。
1806年、若い芸術家、ドミニク・アングルはこの儀式用の大礼服を着たナポレオンを描きました。
ナポレオンの頭の上の月桂樹の冠は、ローマ皇帝を思い出させます。
今日、これはナポレオンの最も有名な肖像画の一つですが、同時代の人々はこれを「ゴシック」あるいは「時代遅れ」と見なし、あまり好まれてはいませんでした。
背景にイタリア王国の紋章が見えることから、この絵はイタリアに送られるために作られたと考えられています。
(Musée de l'armée Hôtel National des Invalides collection解説より) -
ナポレオンを描いた画家は、
ドミニク・アングルの師匠だったジャック・ルイ・ ダヴィッド
アンドレア・アッピアーニ
ポール・ドラローシュ
ジャン・ルイ・エルネスト・メッソニエ
アントワーヌ・ジャン・グロ
オラース・ヴェルネ等がいますが、当然ながら、それぞれお顔が異なりますね。 -
アングルが描いたこのお顔は、過度に理想化されたり矮曲化がなされていない実物のナポレオンに近いものと言われているそうです。
光輪のように見える玉座を背景にした真正面の構図は、まるでビザンチンのイコンやヘントの祭壇画のようで、師匠ダビッドからも酷評されたそうですが、私には精緻な書き込みと同時にアングルが真っ向勝負した気迫が感じられ、ナポレオンの肖像画の中ではこれが一番お気に入りです。
もしかしたら、お師匠様も嫉妬したのでは・・・?? -
ナポレオンの戦地用簡易ベッド、コート、机
移動休憩用にしてもベッドが小さ過ぎるように思えます。
ロッド・スタイガーがナポレオンを演じた映画「ワーテルロー」を思い出します。 -
ナポレオンの2角帽
ナポレオンは在位中に120個前後の帽子をかぶっていたとされ、現在本物と認定されている帽子は20点程あるそうです。 -
ナポレオンのコート
汚れのシミが浮き出ていて、本物感があります。
ナポレオンの身長は167~168cmとされています。
同時代のフランス男性の平均身長が162cm位だったことを考えれば、決して小男ではなかったと思いますが、軍服の上に着たとすると意外に小さいと感じます。 -
ナポレオンが使った移動用デスク
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ナポレオンのデスマスク
このデスマスクの真贋は未だに取り沙汰されているそうです。 -
ナポレオンの愛馬「The Vizir」の剥製
ナポレオンはレナとアイラウの戦いでこの馬に騎乗しており、戦いでの相棒でした。
1814年、エルバ島へ追放された時にもナポレオンにも伴われていました。
この馬が死ぬとナポレオンの命により剥製となり、ルーブル美術館に保管されていましたが、その後、軍事博物館に展示されたそうです。 -
*ご参考までに
アイラウの戦いでのナポレオン:アントワーヌ・ジャン・グロ 1807/1808年
(今回の旅でルーブル美術館にて2022年11月18日に撮影)
1807年2月7日から2月8日にかけて東プロイセン南部の小さな村アイラウ(Eylau) 付近で行われたフランス軍とロシア軍との会戦で、猛吹雪の中でフランス軍は苦戦を強いられ、死傷者はフランス軍のほうが上回ったが辛勝した。 -
ジョゼフィーヌと娘シャルロットの肖像 : アントワーヌ=ジャン・グロ 1812年
ナヴァール女公皇后殿下(元皇后ジョセフィーヌ)と娘シャルロット(前夫との子)
1810年1月10日にナポレオンは嫡子が生まれないことを理由に、ジョゼフィーヌと離縁しました。 -
ジェローム・ボナパルトの肖像 : フランソワ・ジョセフ・キンソン 1809年
ナポレオンの3番目の弟(末弟)で、フランスの傀儡国家ヴェストファーレン王国の国王になりました。 -
シャロンキャンプのロトゲーム : ウジューヌ・ベランゴ 1865年
戦地での束の間の休憩 -
Bru婦人、第7騎兵連隊の「カンティニエール」 作者不詳
1818年にフランス軍では正式に戦地での食堂の設営が許可され、所属する連隊の制服を着た女性たちが勇敢に食堂を運営し、負傷した兵士の世話をしました。
この女性は勲章を授与され、その勇気を称えられました。
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