2023/04/14 - 2023/04/16
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次の旅の支度さん
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天草エアラインに乗りたいという動機で選んだ天草への旅。島原の乱。天草四郎。見聞きしたことを備忘的に書いているので説明のくどい旅行記となります。
一日目は、伊丹空港から福岡空港を経由して天草空港へ。天草空港から九州産交バスさんの「天草ぐるっと周遊バス」に乗り込んでいきなり中身の濃い一日を過ごしました!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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ということで!お天気の芳しくない中ではありますがみぞか号ちゃんに乗って天草旅行!
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どうもこんにちは!お邪魔しますね!
あ~こういう空港好き~!天草空港(天草飛行場) 空港
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車の運転ができないので、できるだけバスツアーに参加しています
ちょうど私が旅行した2023年4月から、従来あったバスツアーがリニューアルされ内容がさらに充実した「天草ぐるっと周遊バス」!!
自分で路線バスで巡るには難しいところを効率よく案内してくれて、ガイドもしてくれて、天草空港から乗車できて、お値段なんと3000円!!
立派なかっこいいバスですよ!空港からまず本渡バスセンターへ行って、そこでも参加者の乗車があります本渡バスセンター 乗り物
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最初に案内してもらったのは、高台にある天草キリシタン館です
天草氏の居城の本渡城跡に整備された城山公園(殉教公園)にあります
この日はあいにく雨が降ったり止んだりで、入り口にある西方浄土を指さす天草四郎時貞像も心なしかしょんぼり
ちなみにバスツアーの3000円に各館の入場料は含まれていないので、キリシタン館で「天草市立キリシタン資料館周遊観覧券」というものを購入
4か所入れて600円!安い!キリシタン館だけでも300円なのに!
いやその300円も安くないですか、この展示内容で!?
しかもこの周遊観覧券は一週間使えるんです
四か所が割と離れてるから、残りは明日行こう~ができるんですよ
しょっぱなから天草にビックラブ天草四郎時貞像 (天草市立天草キリシタン館) 名所・史跡
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館内は撮影禁止です
入館後に10分くらいの天草の紹介VTRを見ました
ここへ向かうバスの中ですでにガイドさんのお話が興味深くて最高でした
天草キリシタン館には国指定重要文化財「天草四郎陣中旗」(綸子地著色聖体秘蹟図指物)が展示されています
十字軍旗、ジャンヌ・ダルクの旗とともに世界三大聖旗とも言われています
重要文化財のため、私が訪れた時はレプリカでしたが、時々本物が展示されます
原城唯一の生き残り山田右衛門作と言われています
血痕のようなシミや戦いでできたらしい傷など、見れば見るほどシリアスな気分になるものでした天草キリシタン館 美術館・博物館
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ちなみに天草キリシタン館のパンフレットの美しい天草四郎時貞の絵は、天草出身の鶴田一郎さんによるものです
ノエビア化粧品とかでお馴染みですね
すごくきれいです
天草四郎は、増田(四郎)時貞という本名で、彼のお父さんがキリシタン大名小西行長に仕えていておうちが裕福だったようです
諸説あって天草の出身か定かではないようですが、一揆が起こった時は天草に住んでいて、天草から島原の原城へ進んだから"天草"を冠したのかな
なんでそんな帰農した男の息子が"神の子"となったのかも諸説あるようで、元々いつか救世主が現れて我々は救われるという流説があり、一揆を首謀する大人たち(彼の父を含む)に、天の御子とはまさしくこの時貞であると担がれたっぽいと聞いて悲しくなりました
一揆軍のカリスマ的リーダーとして据えるのに、時貞がちょうどよかったんでしょうね
家柄や風貌や信仰などなど
時貞が一揆軍の総大将として討ち死にしたのは16歳と言われています
悲しい天草キリシタン館 美術館・博物館
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天草キリシタン館の展示は本当にすごくて、バスツアーの時間では全部見るのは難しかったので、私は三日目にもう一度来ました!
そのくらい充実しています
ガイドさんにお話を聞いてから再訪したので解像度も上がってすごく勉強になったというか、知識が頭に入った気になりました
気になっただけですけど天草キリシタン館 美術館・博物館
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当日は雨だったのと駆け足だったので、再訪時に撮った画像ですがキリシタン館のすぐそばにキリシタン墓地があり、その正面にはこのキリスト平和像と、ルイス・デ・アルメイダ像があります
写真下手過ぎない?大丈夫?
出発するとき館長さんが見送って下さり、天草キリシタン館にビッグラブでした -
バスは一度本渡バスセンターに戻って参加者が増え(それでも総勢六名でした)、お昼ご飯のために道の駅 宮地岳 かかしの里へ
ガイドさんが天草のお土産を買うならここですよとおっしゃってたのは嘘でも宣伝でもなく、本当にここで買っておいた方がいいです!
旧宮地岳小学校の校舎を改装していて、1階にひろーい物産スペースとお食事スペース(建物奥の空き教室っぽいところで食べてもいいそうです)、2階は案山子による天草の文化展示になっていました!道の駅 宮地岳かかしの里 道の駅
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私はおそばを食べましたよ
おだしがめっちゃくちゃおいしかったです!!
天草ちゃんぽんは火曜日限定なのでもし火曜日だったらそれを食べてたね!道の駅 宮地岳かかしの里 道の駅
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元々のグラウンド?
建物の近くではかかし祭りが
このかかしの頭部は紙でできているため、雨天は一体ずつビニール袋を被せて回るそうです
大変だ~愛されてるね~!道の駅 宮地岳かかしの里 道の駅
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お店の人に写真撮ってもいいか聞きました!okって言ってもらいました!
この赤巻というお菓子は、牛深で漁師さんのスタミナ食として食べられているとのことでした
こしあん!カステラ生地!求肥!買うしかねぇな!!道の駅 宮地岳かかしの里 道の駅
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この道の駅での休憩はゆっくり時間を取ってくれていたので、コーヒーを買って飲食スペースで食後にすぐ食べました
美味しかったー!絶対食べた方がいいですよ!一個で結構お腹いっぱいになる!すっごく美味しいです!道の駅 宮地岳かかしの里 道の駅
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さて次は天草コレジヨ館です
コレジヨ=collage 宣教師を養成する大神学校です
小神学校はセミナリヨです
いやここの展示もすごかった
というか天草の文化すごいんだわ
目玉はやはり日本初の金属活字印刷を行ったグーテンベルク印刷機ですね
天正少年遣欧使節団ですよ、教科書に載ってたあれです
その彼らが持ち帰ったそうです
印刷機のほかに持ち帰った西洋楽器の複製や、あの有名な首元にフリフリのある衣装も展示されていました
竹のパイプオルガンも触らせてもらえたよ!オルガンというより笛っぽい音色でした天草コレジヨ館 美術館・博物館
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展示物によって撮影の可否があるので、よく見て撮影!
説明してくださった学芸員の方の知識の豊かさに感服
すごいです
ずっと聞いていたい
でも時間の限られたバスツアーだから難しい……天草コレジヨ館 美術館・博物館
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2階は世界平和大使人形の館でした
園田天光光(てんこうこう)さんが世界100ヶ国に平和大使として日本人形を贈り、それに応える形で57ヶ国から民族衣装を着たお人形が届いたそうです
その中でもイスラエルが一番に贈ってくれたそうです
かわいいね天草コレジヨ館 美術館・博物館
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いろんな国のお人形さん
かわいいです
ちなみに100ヶ国に贈られた日本人形は、人間国宝の方の作品だったとか天草コレジヨ館 美術館・博物館
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これは入館時に戴いたグーテンベルク式印刷機で印刷したものです!
ポルトガル式のローマ字で綴られた平家物語の表紙です
にふぉんの
ことばと
ひすとりあ うぉ ならい しらんと
ふぉっする ふぃと の ため ─
日本の言葉とヒストリア(歴史)を習い知らんと欲する人のため
こんな本がわずか7年間の間に29種類も出版されたんですって
天草すごすぎない?
当時の欧州で出版部数が300-500部だったところ、天草の河浦では平均1500部、多くは3000部印刷して、世界最大の出版事業だったのではというお話です
天草すごすぎない?文化の花が満開だよ天草コレジヨ館 美術館・博物館
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さて名残惜しくもバスで移動し、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」のひとつである「天草の崎津集落」へ
あ!見えた!! -
集落は当然普通に皆さんが生活されているので観光バスはきんつ市場の辺りで降りて、少し歩いて中心部へ移動します
路線バスは中心部まで行きます
今でも崎津の辺りでは三割くらいの方がキリスト教信者だそうですが天草全域で見ると日本のほかの地域と割合は変わらないそうです
これは移動中にあった石の鳥居 -
これは十字架を模した墓石
一般的な長方形の墓石のお墓も一緒に見えますね
信教に関わらず同じ墓地に埋葬されてるのかな?すごいなぁ
禁教時代も仏教や神道を信仰するほかの人が「あの人キリシタンですよ」って知っていても密告しなかったんですって
天地同根 万物一体 一切衆生 貴賎不選 -
まずは崎津諏訪神社へ
ここは禁教時代に潜伏していたキリシタンの方々がこの神社の氏子であるということにして参拝しては「おらしょ」を唱えていた神社さんです
「天草崩れ」の現場でもあります
崩れというのは、潜伏しているキリシタンが大勢見つかり、検挙されて取り調べをうけること
崩れっていう語感がものすごく不穏ですが、天草崩れに関しては島原の乱からすでに170年くらい経っていて、信仰されていたのはカトリックから姿を変えた土着の宗教だったために、キリシタンではなく「心得違い」であるということにして処刑された人はいませんでした
誰も死ななくてよかったよ
宗教がらみで人が死ぬなんて絶対おかしいもんね崎津諏訪神社 寺・神社・教会
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階段をのぼって二の鳥居をくぐって振り返ると、鳥居越しに崎津教会が見えます
鳥居が教会を守っているようにも見えますね崎津諏訪神社 寺・神社・教会
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崎津諏訪神社の左手にあるのが、旧崎津教会の跡です
1888年に木造の崎津教会がここに建ち、その後シスターさんが寝泊まりする修道院になったそうです
今は入れません -
旧崎津教会跡のお向かいはハルブ記念堂です
ハルブ神父様は1927年(昭和二年)の着任、新しい崎津教会の建設に尽力された方です
明治以降、日本にはフランスから神父様が赴任してこられることが多かったそうで、ハルブ神父様もフランスの方です -
奥にはお墓もあります
お供えされているお花もきれいでよかった -
で、そのハルブ神父様の時代に建てられた崎津教会です!
写真が下手くそですね!?
内部の撮影はできません
畳敷きで、非常に綺麗な教会でした -
おわかりいただけるだろうか……
後ろ半分、様子が違いますね
崎津教会が建っているのは禁教期に絵踏みが行われていた庄屋の跡地なんですけど、教会一つ分には敷地がめちゃでかいんですよね
でも神父様はそういう弾圧が行われていた場所に建てることに拘って、実際祭壇は絵踏みの行われた場所に設えてあるそうです、この土地を買い取ったんですが、その費用がかさんで教会を全部鉄筋にするにはお金が足りなくなって、後ろ半分は木造となったそうです
絵踏みは、踏む行為そのもの 「絵踏みをさせる」
踏み絵は、踏まれる物 「踏み絵を踏む」 -
ハルブ神父様の石碑も、もちろん教会の傍にあります
-
お向かいは崎津資料館みなと屋
こちらも狭い中にぎゅんぎゅんに資料があり、説明してくださった方も丁寧で、でもとにかく時間がなくて、次の日もう一度来ました!崎津資料館みなと屋 美術館・博物館
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海が本当にすぐそこにあります
崎津教会は海の天主堂と呼ばれているとか -
それではバスに戻ります
雨が少し強くなってきましたが、傘を貸してくださったのでありがたかったです!
バスツアーの行程的に崎津は14時ごろから15時ごろ滞在なんですが、食べたかった杉ようかんは売り切れでした……販売店は二か所ですが、両方売り切れてた~ -
「いちじく発祥の地」天草では、南蛮柿と呼ぶそうです
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バスへ戻る道中
通りから立ち並ぶ住宅の向こうの海へ繋がる小路「トウヤ」
さっと海に出られる抜け道
家屋と家屋の間の細い道なので私道っぽいですが誰が通ってもいいそうです
「誰が通っても」の「誰が」に我々観光客は含まれないと思いますが(地元の人の使う生活路ですね) -
それでは張り切って天草ロザリオ館を見学しましょう!
中は撮影できません
ここは潜伏キリシタンの資料が展示されています
圧巻です
ここが周遊観覧券の四か所目になります
私の様に不勉強な人間は、禁教時代に隠れてキリスト教を信仰していた人=隠れ切支丹だと思っていましたが、この状態は「潜伏キリシタン」なのだそうです
ここで答え合わせの世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」なんですね
私の思い込みだと隠れキリシタン関連遺産になるからね
キリシタン大名とか有名ですが禁教期以前にカトリックに入信した方をキリシタンと呼んでいて、その後に始まる250年間の禁教期において密かに信仰を続けた人を潜伏キリシタンと呼ぶそうです
250年の間に神父たちは追放、処刑され、残された信徒たちは記憶を頼りに信仰を続けますが、どんどん変容していき、聖書が読めればそうじゃなかったかもしれないけれど、禁教の高札がおろされる頃にはカトリックとは違うものになっていたようです
キリスト教解禁となった時、来日した神父様の元で改めてカトリックに入信する人もいれば、先祖代々250年間続いてきた土着の宗教を選ぶ人もいて、そういう潜伏キリシタン以来の信仰を続けた人々のことを「かくれキリシタン」と呼ぶそうです
もう隠れなくていい時代に何から隠れていたのか、隠れっていう言葉の意味を考えたい。私の思ってる隠れとは違うかも天草ロザリオ館 美術館・博物館
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天草ロザリオ館でパンフレット貰い忘れたのか手元になくてショック……
これは展示物の一つの経消しの壺です
当時は仏式のお葬式しか許されてなかった中、仏教のお経では天国へ行けないと考えたのか、お葬式の間ふすまを隔ててこの壺の前で経消しのオラショを唱えると、お経が壺に吸い込まれて?極楽浄土へ行くのを止められる、その後で改めて天国へ送る儀式をするということだったようです
当時キリスト教を信仰していた人は、みつかったら拷問されたわけですが、転ぶ(信仰を捨てる)か、信仰に命を捧げて殉教か、氏子になったふりをして潜伏するかだったという、本当に尊厳を踏みにじられる時代だったんだなぁ
それって世界でみれば今も終わってないの、ためいき出ちゃうね天草ロザリオ館 美術館・博物館
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このパンフレットはわかりやすいですね
コレジヨ館が16世紀
キリシタン館が17世紀
ロザリオ館が18・19世紀の展示でした -
さてすぐそばにあるのが大江カトリック教会です
キリスト教解禁後、天草で最も早く造られた教会で、現在の建物は昭和八年(1933年)、天草への伝道に生涯を捧げたフランス人宣教師ガルニエ神父様が地元信者と協力して建立されました
中はね、撮影禁止です!大江教会 寺・神社・教会
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小高い丘の上に建っています
よく教会にイエス様が十字架を背負って歩いて行く様子が絵になって壁に飾られているんですが、あれ、私は字が読めない人とか言葉の分からない人(当時の日本人も含む)にもイエス様の行動が伝わるように絵にしてるんだなあと思ってたんですけど、実は「十字架の道行」という儀式があって、それを模しているそうです
イエス様の受難の捕縛から受難を経て復活まで15の場面を、個々の場所や出来事を"心に留めて"祈りを奉げるという信心業だそうで、なので絵も一枚目、二枚目、じゃなくて第一留(りゅう)、第二留と言うのだそうです
へえーほんと私何も知らねぇな、としみじみ思いました大江教会 寺・神社・教会
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ガルニエ神父様は非常に清貧に徹しておられたそうで、お墓も要らないと言い残して旅立たれたそうですが、それは無理さすがに無理ってことで住民の皆さまが建てたそうです
北原白秋らが神父様の噂を聞きつけて会いに来たそうですよ大江教会 寺・神社・教会
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ルルド
大江教会 寺・神社・教会
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また来たいなぁ
ということで超充実したバスツアーは本渡へ戻ります
その車内でもガイドの方は色々なお話を聞かせてくださって本当に楽しかったです
福連木の子守唄のことや、ちょうど開催されていた牛深ハイヤ祭りのことを教えてくれたり最後の最後まで充実感がすごかったです
天草ぐるっと周遊バスはマジでおすすめですよ!大江教会 寺・神社・教会
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