2023/04/16 - 2023/04/16
400位(同エリア520件中)
あまちゃんさん
- あまちゃんさんTOP
- 旅行記86冊
- クチコミ827件
- Q&A回答73件
- 277,950アクセス
- フォロワー7人
先月11日、近鉄八木西口駅で下車し、戦国時代に寺内町として成立し、江戸時代には豪商が軒を連ね「大和の金は今井に7分」と言われるほどの商業都市として栄えた「今井町」の中を散策し、そのあと、おふさ観音、藤原京跡、本薬師寺跡などを巡って近鉄畝傍御陵前駅に至るまでの散策をしようとちょうどお昼時分に八木西口駅に到着して半日観光しようと出かけたが、思いのほか「今井町」が面白く、時間の大半をそこで費やしてしまったため、その後の行程をカットして帰宅してしまった。
どうも中途半端感がぬぐい切れなかったので、改めてあの日行けなかったところを巡ってみようと出かけた。
今回は朝8時に家を出発し、前半型半日散策のつもりで前回ゴールと決めていた近鉄畝傍御陵前駅を今回はスタート地点とし、前回出発地点としていた八木西口駅をゴール地点とした。
しかし、こんなちょっとした旅にもハプニングはまたまた発生した。まあそれが半日散策とはいえ、ちょっとした旅感覚で他都市を訪問する旅の面白みでもあると思う。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
PR
-
自宅を午前8時過ぎに出発。近鉄の畝傍御陵前駅に乗り換え1回で9時18分
に到着。
ちょっと不満だったのが、4月1日の近鉄の運賃大幅値上げ。
3月まで770円だったのが、何と910円になっていた。
同じ距離(46km)だと、阪急は400円、京阪は410円、JR西日本でも810円。
阪急、京阪の倍以上!!
信じられへん。畝傍御陵前駅 駅
-
東口に出て、本薬師寺(もとやくしじ)跡を目指す。
駅からおおむね500m程度東に向かったところにあるようだ。
本薬師寺は、橿原市のHPにHPには、以下のような説明がなされている。
「天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈って建立した寺院です。
南から中門、金堂、講堂が一直線に並び、金堂の前面には東西に二つの塔(東塔・西塔)が置かれる双塔式の伽藍配置で、これは新羅との交流を示しています。
藤原京から平城京に遷るとともに薬師寺も移されたため、後に平城京薬師寺と区別するため本薬師寺と呼ばれ、今日もその名で親しまれています。」
因みに、本薬師寺の完成は、天武天皇が没した後、皇后の持統天皇が引き継ぎ、天武天皇の発願から18年後の698年、文武天皇の代に完成したとみられているそう。 -
500mほど進むと、少し分かりにくいが右手に樹木の茂みがあり、そこを右手に入っていくと個人宅の庭のようなところい遺跡のようなものを見つけた。
跡で調べてみると、そこは白鳳山醫王院の境内ということらしい。本薬師寺跡 名所・史跡
-
やはりそこは境内なのだろう。
奥の方に写真のような石碑が建っていた。本薬師寺跡 名所・史跡
-
この遺跡のようなものは、伽藍の遺構のうち金堂の礎石の一部ということ。
本薬師寺跡 名所・史跡
-
そこをぐるっと回って田んぼのあぜ道を東に進むとまた樹木の茂みがある。
その中には、本薬師寺の東塔の礎石の一部があった。
その礎石の西側に見える小さな山は『畝傍山』と呼ばれる山で、香具山や耳成山とともに「大和三山」と呼ばれている山の一つ。
大和三山の中では最も高い標高(199.2m)の山で、登山口からは30分余りで登れるそう。本薬師寺跡 名所・史跡
-
元の道に戻ろうと、東塔から田んぼのあぜ道を歩いていると対面から少し我々よりも年配の方が歩いてこられ、どうやら地元の方らしく、すれ違ったときに以前この辺りを発掘調査されていたことや、東塔跡の少し西に土が盛り上がったところがり、そこに西塔跡があるということを教えてくださった。
教えに従って、田んぼのあぜ道を戻り、こんもりと盛り上がったところに上ってみると、話の通り(本薬師寺の)西塔の礎石跡があった。
先ほどと同じように向こうに見える小高い山は「畝傍山」。本薬師寺跡 名所・史跡
-
この写真は、元の歩いてきた道路に戻って撮った写真で、左の樹木が茂っているところが東塔跡で、右手の樹木が茂っているところが、金堂の礎石の一部があった「白鳳山醫王院の境内」。
ここから厚木の目的地に歩を進める。
次の目的地は、「藤原京朱雀大路跡」。距離的には1キロメートル弱。 -
藤原京朱雀大路跡に到着。
藤原京朱雀大路跡は、藤原京の左京・右京を分けるメインストリートで、このあたりから200mほど先に藤原京の正面玄関にあたる「南面中門(朱雀門)」があったらしい。
ただこの場所には、特段のものは何もない。藤原京朱雀大路跡の案内板等があるくらい。藤原京朱雀大路跡 名所・史跡
-
写真付きの「藤原京朱雀大路跡」の説明板もあった。
藤原京朱雀大路跡 名所・史跡
-
道路を挟んで北側を見ると、小高い山が見える。この山が、「大和三山」のうちで一番低い耳成山。
その手前に、何か所か小さく朱色の筒状のものが見える。
それらは藤原宮の大極殿やそれに至るまでの当時の役所、各種の門の跡地等を示しているもの。
このあと、朱雀大路のあったであろう所(今は田んぼのあぜ道)を歩いて、藤原の宮跡に向かう。藤原京朱雀大路跡 名所・史跡
-
藤原京は、持統天皇が持統8(694)年に遷都。
平城京遷都までの16年間、この地で持統、文武、元明の天皇三代が律令国家体制を強力に押し進めた。
奥に見える山は、「大和三山」の一つ、耳成山。藤原宮跡 名所・史跡
-
藤原京は、日本初の都城で、約1キロ四方の藤原宮には大極殿などがあった。現在は、宮跡には原野が広がり、門などがあったことを示す模造柱が何か所かに立っている。
宮跡からは東に天香具山、西に畝傍山、北に耳成山のいわゆる「大和三山」を望める。藤原宮跡 名所・史跡
-
次に訪問したのは「おふさ観音」。
江戸時代の初め、おふさという娘がこの地で観音様を祀ったのが始まりと言われている。
境内への入場は無料。おふさ観音 寺・神社・教会
-
4,000種類以上のバラが咲く「バラの寺」として知られる。
我々が訪問した時は、バラの季節にはまだ少し早かった。
何故か、境内には、写真のようにたくさんの赤い提灯が吊り下げられていた。おふさ観音 寺・神社・教会
-
本堂の前にも色とりどりの提灯が。
おふさ観音 寺・神社・教会
-
おみくじも可愛らしい。
おふさ観音 寺・神社・教会
-
本堂の奥には、きれいに手入れされた庭園があった。
本日の行程はここまでとし、近鉄の八木西口駅に戻ることにしたが…おふさ観音 寺・神社・教会
-
歩いている道中、左手にJR畝傍駅があったのでぼちぼち八木駅西口への案内看板などがあると思って歩いていたが、どうやら行き過ぎたみたいで、『八木札ノ辻交流館』という建物に出くわした。
八木札の辻交流館 名所・史跡
-
この建物は、江戸時代の旅籠で、現在は橿原市が寄贈を受け、整備工事を行った後、市指定文化財として無料公開されている。
八木札の辻交流館 名所・史跡
-
2階が宿泊室として利用されていた。
江戸時代、大阪や堺の方から、伊勢参りに向かう講の定宿として利用されていたそうで、一人あたりのスペースは、畳1畳分くらいの広さしかなかったらしい。八木札の辻交流館 名所・史跡
-
建物の中に井戸があった。
今も水がわいているそうで、飲み水としては利用できないので、庭への散水用の水として利用しているとのことだった。
この建物を出て、西に向かえばミグランスという建物(橿原市役所分庁舎)があり、10階が展望フロアになっているので橿原市内を一望できると聞き、そちらに向かうことに。八木札の辻交流館 名所・史跡
-
八木札ノ辻交流館を出て、西方向に歩くこと数分。
ミグランスという建物が見えた。
1~4階が橿原市役所の分庁舎となっており、5~9階がホテル(カンデオホテル)、そして10階の展望フロアは、休日でも午前9時から午後9時30分分まで無料開放されている。 -
展望フロア。
展望フロアには、ボランティアガイドの方がおられ、色々と説明もしてくれる。 -
展望フロアから八木町の街並みを望む。
-
その後、近鉄大和八木譜面に向かい(徒歩約3分)、駅前の鉄板焼き屋で昼ごはん。
名代お好み焼き 田舎鉄板炉ばた 花舎 グルメ・レストラン
-
モダン焼きミックスを頂き、帰途についた。
名代お好み焼き 田舎鉄板炉ばた 花舎 グルメ・レストラン
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
橿原(奈良) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
27