田んぼの中にある本薬師寺跡の礎石の前に建ち、畝傍山をおぞ見つつ、7世紀藤原京時代へ思いをはせる。
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- 旅行時期:2023/04(約3年前)
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by あまちゃんさん(男性)
橿原 クチコミ:13件
本薬師寺跡について、橿原市のHPにHPには、以下のような説明がなされている。
「天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈って建立した寺院です。
南から中門、金堂、講堂が一直線に並び、金堂の前面には東西に二つの塔(東塔・西塔)が置かれる双塔式の伽藍配置で、これは新羅との交流を示しています。
藤原京から平城京に遷るとともに薬師寺も移されたため、後に平城京薬師寺と区別するため本薬師寺と呼ばれ、今日もその名で親しまれています。」
近鉄畝傍御陵前駅を東に500mほど進むと、少し分かりにくいが右手に樹木の茂みがあり、そこを右手に入っていくと個人宅の庭のようなところに遺跡のようなものを見つけた。
跡で調べてみると、そこは白鳳山醫王院の境内ということらしい。奥の方に写真のような石碑が建っていた。また、その境内には、伽藍の遺構のうち金堂の礎石の一部と言われているものが残っていた。
さらに、そこをぐるっと回って田んぼのあぜ道を東に進むとまた樹木の茂みがある。その中には、本薬師寺の東塔の礎石の一部があった。
その礎石の西側に見える小さな山は『畝傍山』と呼ばれる山で、香具山や耳成山とともに「大和三山」と呼ばれている山の一つ。大和三山の中では最も高い標高(199.2m)の山で、登山口からは30分余りで登れるそう。
元の道に戻ろうと、東塔から田んぼのあぜ道を歩いていると対面から少し我々よりも年配の方が歩いてこられ、どうやら地元の方らしく、すれ違ったときに以前この辺りを発掘調査されていたことや、東塔跡の少し西に土が盛り上がったところがり、そこに西塔跡があるということを教えてくださった。
教えに従って、田んぼのあぜ道を戻り、こんもりと盛り上がったところに上ってみると、話の通り(本薬師寺の)西塔の礎石跡があった。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2023/06/19
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