2023/03/13 - 2023/03/13
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hijunoさん
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伊丹市を散歩します。
あらかじめ地図を頭に入れて、スマホを頼りに歩きますが、元来の方向音痴が災い、とんでもない方向に行ってしまいました。
とんでもない遠回りをしました。(-_-;)
でも、こんな失敗の散歩がかえって記憶に残るもので、面白いです。それに、遠回りをしたことで、おもいもがけない場所も発見できます。
西国街道と多田街道が交わるところにあった辻の碑もそうです。
今回は和泉式部の墓と猪名神社に残る有岡城の岸の砦跡を探すのが目的でした。和泉式部の墓は全国各地にあるようですが、伊丹市にもあります。有岡城の岸の砦跡も見ることができました。有岡城のお城は堅固で有名でしたが、この砦を守ることもできなくなり落城してしまいます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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早春の寒い日でした。
歩きはじめ、綺麗な椿を発見。。 -
イチオシ
花弁はこんなに重なっているのですね。
なんだか、可憐な椿でした。 -
スマホを片手に歩いているのに、何を間違えたか、方向がまるで違う方へ来ています。(-_-;)
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まあ。。綺麗な風景でしたが。
とにかく歩きます。
目的は和泉式部の墓と有岡城の岸の砦跡。 -
土手をひたすら歩いて、方向修正。
それにしても、えらく遠回りをしております。笑
土手脇の道、歌碑のようなものがありました。
良く読めませんが、、。 -
風は冷たい、、まだ早春です、早く、桜の季節が来ないかなぁ~と思いつつ、、歩きます。
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途中、多田街道とあります。
ここは、予定していなかったところ。
ラッキーポンん吉です。 -
休憩できる場所もあります。
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伊丹郷街から川西市のただ神社への参詣の道として多田街道が造られています。このあたりは街道の様子が良く残っているようです。
説明板もありました。 -
辻の碑があります。
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西国街道と多田街道が交差する「辻」にあります。
石碑の表面に銘文が書かれていたようですが、年月の経過で文はほとんど消え、上のほうの「従東寺拾里」が読めるのみです。
辻村が摂津国の中心であったことを示すためのものです。 -
神社もあったようです。
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摂津のおへそと。
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古地図もありました。
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水車もあるそうなので、そちらへ。
可愛い花の飾りです。 -
可愛い花飾りが小さな水路にかけられています。
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小さな水車がありました。
昔はもっとたくさん水車もあって、のどかな土地だったことでしょう。 -
伊丹空港がすぐ近く。
飛行機の音がよく聞こえます。
辻の碑も多田街道も予定外に見ることができて、とても嬉しいです。
さんぽは楽しい。 -
スマホ片手に和泉式部の墓をひたすら探します。
西国街道の表示。 -
坂道にこのような表示。
近くまでやってきました。やっと。 -
大きな看板が見えます。
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裏には石塔の画。
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民家の間の道を通って、
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やっとたどりつきました。
祠のように丁寧に祀られています。
全国各地にみられる和泉式部のお墓といわれる場所。。
遊行僧たちの各地への信仰から、このような供養塔が各地に造られたのではないか、、と説明にもあります。 -
大きな石塔ですが、本来はもっと大きなものだったようです。
和泉式部といえば、恋多き女性、優れた歌の読み手としても有名ですが、娘が亡くなったことがきっかけで仏門の道に入ります。
なぜ、伊丹にお墓と呼ばれるものが残っているのか、、、
説明板にもありますが、再婚をした藤原安昌が摂津の人であったことから、伊丹のこの地にも供養塔が造られたのではないか、、と。これも説明板にありました。 -
説明文があります。
灰色の部分はなくなってしまったのですね。
本来は225㎝もある大きな供養塔だったようです。
鎌倉時代のものだそう。 -
またしばらく歩くと、小さな門の後ろに大木がそびえたつお寺に到着。
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入口付近にはお寺の仏像の説明がありました。
伊丹市の指定文化財になっています。
木造十一面観世菩薩立像は1735年に唐招堤寺より寄贈を受けて本尊となったそうです。 -
保存樹木だそうです。
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とても力強く、生命力を感じます。
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入口はこのような様子。
発音寺です。
浄土宗のお寺。
左の入り口から境内に入れるようでした。 -
1648年に建立。
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お堂が凛としています。
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希望は小さいですけれど、とても上品な雰囲気のお寺でした。
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お寺からさらに歩きます。
椿。
ピンク、可愛いです。 -
伊丹緑地の看板が見えます。
このあたりも歩くと面白いようですが、目的の有岡城の岸の砦跡を探します。 -
砦跡のあたりから神社に入ってきました。
本殿、、改修中のようです。
1686年に再建されています。 -
写真がすこしぼけているかもしれませんが、このあたりが有岡城の岸の砦の跡だそうです。
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土塁の跡が残ります。
有岡城には北、西、南の要所に砦が置かれていました。
北には岸の砦と呼ばれる砦があり、それがこちらの猪名野神社の場所にあったようです。 -
ちょっと土塁の様子がわからなかったので、ウロウロしています。
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今は戦いの様子はまるで思い描けないですが、当時、有岡城の重要な砦として堅固な守りであったはず。
有岡城の戦いで守っていたのは渡辺勘大夫でした。最後は陥落します。 -
あの階段の上のあたりです。このあたりにも説明板があると、助かります。
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拝殿。
1714年に再建され、1793年にさらに大改修されています。
猪名野神社は歴史も古く、904年に創建と伝わります。 -
とても古い歴史のある神社のように感じました。
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境内、小さな神社が多くあります。
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境内は広いです。
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馬を祀っています。
古い画。 -
古い画が集められている場所。
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こちらにも。
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愛宕神社も境内に。
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伊丹出身、俳諧の鬼貫の句碑もありました。
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説明板があります。
松尾芭蕉とも交流があり、「東の芭蕉、西の鬼貫」といわれたそうです。 -
神社でこんな可愛いお守りを見つけました。
手作りみたいで素朴です。 -
猪名野神社からさらに歩いて、法厳寺に来ました。
浄土宗のお寺です。
こちらも古い歴史のあるお寺で1522年に今の場所に移ったそうです。
建物はとても新しく感じます。 -
お寺の塀からひときわ高くそびえたつ大クス。
樹齢約580年だそう。 -
説明板もあります。
兵庫県の天然記念物。
幹の周りも6メートル以上、樹高28m、、とてつもなく大きなクスの樹です。 -
境内に入ることができなかったので、外から。
大クス。 -
正善寺。
こちらも中には入ることができないようです。 -
美しい山門があったようで、当時の色はこのようなものではなかったか、、と再現されていました。
おしゃれです。17世紀前半の様式と説明に書かれていました。 -
ちょっと読みにくいのですが、お寺の創建は1579年とあります。
あの有岡城の戦いの年ですね。 -
小さな門、装飾が観られます。
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お寺が多くある場所です。
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墨染寺へ来ました。
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境内。
源満仲が創建しますが、1579年の有岡城の戦いでお寺は焼けてしまいます。その後再建され、現在のお寺は1995年にできたもの。
伊丹出身の俳諧師 上島鬼貫のお墓もあります。
今回の散歩はここで終わりです。
最後までお読みいただいて、ありがとうございます。(^^)
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