2023/03/08 - 2023/03/08
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たびたびさん
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今日の旅は、宮崎市を出発して、シーガイヤ周辺から佐土原、西都、高鍋という宮崎市以北のエリア。ところで、宮崎県は、延岡や高千穂の県北、宮崎市を中心とする県央、飫肥・串間の県南、都城の県西と四つの地域に分けられます。この区分でいうと県央で、宮崎市を中心とする地域なのですが、歴史的には、佐土原、西都、高鍋はそれぞれがそれぞれ。明治以降の歴史しかない宮崎市に比べると注目すべき見どころが様々あって、その彩りは豊かです。
まずは、佐土原。江戸期、関ケ原の戦いの後もそれまでの島津家の領有が認められ、薩摩藩島津家の一族、島津以久が3万石で入封。以降、佐土原藩島津家は幕末まで続きます。島津家の以前は伊東氏の時代。一・二日目の旅行記でも触れましたが、日向伊東氏7代、伊東祐国が佐土原城を支配するようになると佐土原城はもともとの伊東家の居城であった都於郡城と並ぶ位置づけとなっていきます。以降、伊東氏は島津氏への攻勢を積極化。11代当主伊東義祐は島津氏から飫肥を奪うまでに。しかし、勢いのあった伊東義祐は一転、奢侈に溺れて没落。日向を追われて大友宗麟を頼りますが、義祐を受け入れた大友宗麟も耳川の戦いで島津氏に大敗するというどうしようもない展開に。つまり、佐土原城は伊東氏の栄枯盛衰とともにあった城なのですね。ただ、伊東家の命運はこれで尽きてはいない。大友宗麟を助け九州を平定した秀吉に拾われ、飫肥藩として復活。とにもかくにも日向の地で生き残ることになったのはまさに僥倖だったと思います。
そして、西都といえば。何といっても、国の特別史跡、西都原古墳群ですね。指定面積は58haあって、3世紀後半~7世紀前半にかけて造られた前方後円墳31基、方墳2基、円墳286基を含む319基の古墳群。特別史跡の古墳は20以上あるのですが、かなり特異。他に類を見ない圧倒的なスケールです。それを一目見てみたいというのも大きな目的だったのですが、西都原考古博物館がまたとてもいい。古墳時代の日向国はけっして先進地ではなかったと思いますが、古代の人々の営みをダイナミックに解説していてかなり意欲的。三内丸山遺跡と同じくらいのレベルに感じました。これに日向国分寺跡、伊東氏の都於郡城跡が加われば、日向国の歴史の原点が揃っていると言ってもいい地域ではないかと思います。
対して、高鍋もまたまたユニーク。島津氏に組して秀吉の九州平定に抗った筑前国の秋月種長。30万石以上の領地は没収となりますが、高鍋に3万石を与えられて生き延びる。さらに、関ヶ原の戦いでは西軍でしたが、大垣城での裏切りで所領を安堵されたことで実質的に高鍋藩が成立し、幕末まで。注目は、江戸期、6代藩主、秋月種美の次男が米沢藩上杉家の養子となり、名君、上杉鷹山となったこと。つまり、鷹山は母方の祖母が米沢藩4代藩主、上杉綱憲の娘であったことが縁で、10歳の時に米沢藩8代藩主、上杉重定の養子となっていて、その後、上杉重定の娘を正室ともしています。高鍋藩秋月家は上杉鷹山に限らず、ほかにも名君を輩出していて、譜代の延岡藩や薩摩島津氏の一族、佐土原藩と隣接していても小粒でピリリとした印象かな。高鍋町美術館や高鍋町歴史総合資料館を拝見しても、その伝統が生きているような気がしました。
いずれにしても、今回の地域は私にとっては初めての場所でありフロンティア。今まであまり意識することすらなかったもう一つの宮崎に出会って、宮崎県の意外な多様性を知ることができました。これまで、どうかすると宮崎県は鹿児島県の付属品みたいなイメージがありましたが、どうしてどうして、そういう簡単なものではないですね。
なお、本日のスタートであるシーガイヤ周辺も大事なパーツなのですが、それは本編の方で。
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イチオシ
少し早起きして、シーガイアの方にやってきました。
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つまり、せっかく宮崎に来ているので、
フェニックス シーガイア リゾートの雰囲気も味わいたいと思って、シェラトン・グランデ・オーシャンリゾートのパインテラスの朝飯をいただいてみることにした次第。
6時からと朝は早いので、これなら今日のスケジュールには影響ありませんからね。 -
一人3000円を払って、会場へ。
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ありゃりゃ、いきなりですけど、このテーブル席の狭さはいただけませんね。バイキングでいただく取り皿はこれでは少ししか置けないし、ちょっとがっかり。
そもそも、なんだか限られた場所にたくさんの人を詰め込んでいて、隣の席との間隔もかなり狭い。ゴルフ場のクラブハウスでさえこんなことはないですよ。ゆったりとした朝の時間にならないじゃないですか。
一方、食べ物の方もバリエーションは多彩ですが、質的にはそこまでではないような。パンなんかも割と普通。宮崎を代表するホテルの朝食として考えるとレベル的にはもうちょっと頑張ってほしいなあという感じです。
旅に当たり外れはあるものなんですが、こんなところで外れになるとは思わなかったですね(泣)ガーデンビュッフェ パインテラス グルメ・レストラン
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では、気を取り直して、ここからは当初の予定通り。
江田神社は、フェニックス シーガイア リゾートのエリア。イザナミノミコトとイザナミノミコトを祀り、境内にはイザナギノミコトが黄泉の国で穢れた体を清めるために身を沈めたみそぎ池があるという、なかなかの神社です。江田神社 寺・神社・教会
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ただ、雰囲気として、そこまでの由緒のある神社という感じはないですね。林に続く参道が少し長いくらいだと思います。
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続いては、英国式庭園。
駐車場から英国式庭園 公園・植物園
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松林の中をしばらく歩いてガーデンハウスに向かいます。
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松林の間にも花が植えられていて、やっぱりそれなりに楽しませる工夫がありますね。
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ほどなく、ガーデンハウスに到着。
規模はさほどではありませんが、 -
花壇や芝生がハウスの周りに整備されていて、こちらもかなりよく手入れされています。
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イチオシ
ガーデンハウスの壁面にはイギリスのコッツウォルズ地方の自然石が使われているそうで、
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それもちょっとした見どころかなと思います。
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イチオシ
この辺りからでも シーガイアのホテルのタワーがよく見えます。
ちなみに、先ほど朝飯を食べた後、ホテルの周辺を散策してみようと思ったのですが、そういうことにはなっていませんでした。
結局、そういうニーズに対しては、この英国式庭園や次のフローランテ宮崎ということになるようです。 -
では、フローランテ宮崎へ。
フローランテ宮崎 公園・植物園
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植物園なので、施設内にランがちょこっとありますが、
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メインはそれを抜けて出たところ。
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ゴルフ場みたいな洋式庭園ですね。
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起伏のなだらかな園内には目にもまぶしい緑の芝生と
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そのあちらこちらには花壇や
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潤いを演出した浅い池。
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イチオシ
色彩の種類が少し抑え目で、
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ちょっと大人の感覚なのもいいと思います。
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シーガイアのエリアをもう少し。。
高屋神社は、西側の小高い場所が海幸・山幸神話の山幸彦の方、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)の山陵と伝わる神社。また、景行天皇が熊襲を討った際に6年間も留まった行宮、高屋宮跡とも。高屋神社 寺・神社・教会
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一見何でもない田舎の神社風なんですが、さすが宮崎。
また、由緒が詳しく書かれた説明板があって、彦火火出見尊のへその緒を切って捨てた竹刀が後に竹林になっただとか。神話上の由緒であってもその内容はとても具体的です。 -
少し移動して。
蓮ヶ池史跡公園は、国の史跡に指定されている蓮ヶ池横穴群一帯を整備した公園。すでに閉館した歴史文化館の向かいに駐車場があって、隣りは蓮の池。そこから歩いて、蓮ヶ池横穴群の方に向かいました。 -
池から続く遊歩道とかも快適。よく整備されている自然公園です。
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横穴群は、大規模な古墳が造られなくなってからの時期、6世紀の後半から7世紀の前半にかけて造られたいわばお墓のアパートです。
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現在、82基の横穴墓が確認されていて、
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入口に蓋がしてある横穴は、あっちでもこっちでも。
そこら中で見ることができました。 -
住吉神社は、フェニックス自然動物園の駐車場の端っこに入口があって、参道を山の方に少し上っていきます。
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三つ並んだ社殿も古いものではないし、見た感じとか雰囲気とかそんなに歴史がある神社とは思えないのですが、実はこの神社。創建が第6代孝安天皇の御代とも初代、神武天皇の東征の際にも既にあったという謂れもあって、その歴史はとんでもなく古いですね。
江田神社もそうでしたが、こちらもイザナギが黄泉国から戻ってきて禊祓をしたという場所とされていて、その時に生まれた住吉三神を祀るという謂れ。いずれにしても、江田神社との関係は深いです。 -
ここからはシーガイヤから離れて、佐土原を目指します。
ちょこっと立ち寄った久峰総合公園は、佐土原の丘陵地帯に造られた広大な自然・運動公園。駐車場から上がると今は水が出ていませんでしたが、立派な噴水池のような広場。その奥を山の方に上っていく石段とかも立派です。 -
芝生広場では家族連れが遊んでいて、こちらもけっこうな規模。テニスコートや野球場とかもあるようですが、それさえ公園のごく一部といったスケールです。
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佐土原市街に入ってきて、ここからは一日目に回れなかった場所を少し回ります。
これは、大光寺。厳めしい山門を入ると -
仏殿と本堂が縦に並んで、それなりに大寺の風格がありますね。佐土原藩島津家御廟所というのは、なるほどと納得です。
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仏殿には、初代住職とその師を彫った木造乾峯士曇坐像、木造岳翁長甫坐像。いずれも国の重要文化財ということで、仏殿を覗くと奥の方に見えています。
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愛宕神社は、佐土原藩の祈願七社として庇護されてきた神社。途中まではアスファルトの立派な道なのですが、そこから脇道の参道は歩いて行くしかありません。
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ただ、こんなところに誰が来るんだろうというような辺鄙な場所。
荒れてはいませんが、人けはなくてさみしいです。 -
僧日講遺跡は、住宅地の奥の奥といった場所。古墳のような山にありました。
これは、日蓮宗の僧、日講の墓。江戸時代前期、不受不施の思想から不受不施日蓮講門宗を分派しますが、江戸幕府による不受不施の教えの弾圧から佐土原藩に預けとなったよう。ただ、佐土原藩では学問の振興や藩政改革にも影響を与え、功績があったというので、なかなかの人物だったことが窺えます。 -
城の駅 佐土原いろは館。
佐土原城跡、宮崎市佐土原歴史資料館の通りを挟んだ向かい側にある小さな道の駅風の商業施設です。 -
ただ、産直の内容とかもイマイチで、地元の雑貨店に少し毛の生えたくらいの印象。
観光客を意識してはいると思いますが、残念ながらなかなかそこまでのレベルにはなっていないと思います。 -
佐土原の最後は、巨田神社。
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宇佐八幡宮の荘園、田島荘の鎮守として尊崇されてきた神社です。
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拝殿の後ろに佇む本殿は文安5年(1448年)に建立された三間社流造り。それなりの趣があって、国指定重要文化財です。ほか、三十三番からなる巨田神楽が慶長時代から継承されているというのも面白いです。
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佐土原から西都市に入ってきました。
まずは、冒頭にも触れた都於郡城跡へ。 -
イチオシ
建武2年(1335年)、足利尊氏の命を受け日向国に下向した伊東本宗家の伊東祐持が築いた城。伊東氏はこの都於郡城を本拠として、勢力を拡大。日向国の大半を領して伊東四十八城と呼ばれる城を築きます。
以降も、都於郡城は佐土原城とともにその本城としての役割でした。
どうかすると古墳のようにみえる土塁と土塁の間は空堀。防御力がしっかりありそうな感じです。 -
上がってみると
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周囲は遮るものがなくて、遠くまでよく見えます。
雄大な眺めなのでここが本丸かと思ったのですが、これは奥の城跡。 -
改めて、本丸跡の方に上ってみます。
つまり、本丸、二の丸、三の丸、奥の城とそれぞれが空堀で遮断されているという構造なんですね。当時は橋とかでつながっていたんだと思いますが、その構造がよく残されているのがすごいところです。 -
さて、こちらも雄大な眺めですね~
都於郡城跡がこんなに見応えがあるとは思ってもいませんでした。ちょっとびっくりです。 -
ほか、本丸跡の正面には、伊東マンショの銅像。
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意表を突かれて違和感がありましたが、伊東マンショは、伊東義祐の孫なんですね。
また、大友宗麟の遠縁でもあったことから、大友宗麟の名代として、13歳で天正遺欧少年使節団に参加。4名の使節団の主席正使となって、ローマへ渡ります。
いずれにしても、伊東マンショが伊東氏の一族だったのは初めて知りました。 -
都於郡城跡からさらに進んで、今度は日向国分寺跡です。
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日向国分寺跡があるということは、かつて日向の中心はこの辺りだったということですね。
遺跡は少し範囲が狭いようにも感じますが、礎石等はしっかり確認ができます。 -
なお、逸話として、江戸期には荒廃していたところ、あの遊行僧の木喰が全国行脚の途中にここを訪れ、乞われて9年間ここに留まり住職となっていたのだとか。
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その時、作った五智如来像が敷地のお堂に安置されていましたが、
屋外で古い時代の建物の礎石跡を拝見してから、この仏像を拝見すると寺のいろんな縁を考えさせられます。 -
では、この辺で昼飯にします。
あかのやは、西都市街地にある老舗の蕎麦屋さん。 -
古道具が並んだ床の間の広間に上がった時は蕎麦屋らしからぬ雰囲気でどうかなあと思ったのですが、いやいや。
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ここのそばのキレ味はなかなかのものですね。あんまり宮崎のそばって馴染みがないですが、これなら宮崎でもかなりいいんじゃないかと思います。
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イチオシ
落ち着いたところで、これが今日のメインかな。西都原古墳群に到着です。
エリアに入ると見晴らしの良い平原にはあちこち古墳が点在していて、長閑な眺め。想像してた姿より、ずっと穏やかな印象です。
この穏やかさから想像するに、この地がとても豊かで、長い期間、軍事的にも政治的にも安定していたということでしょうか。そうするとヤマト政権との関係とかも気になるところですね。
ところで、しばし遡って。弥生人が大陸から入ってきて、北九州から縄文人との混血が始まっていったのですが、その広がりは東に向かって早く進み、九州の南に向かってはむしろ遅かったということが分かっています。瀬戸内海の役割が大きかったのかもしれませんが、九州の南部は熊襲に象徴されるように、古くから強力な土着の勢力がいた地域ですからね。それなりの力がないとこの平和も続かなかったような気がします。 -
エリアの一角に建つ宮崎県立西都原考古博物館です。
外観からして、なかなか立派ですね~ -
早速、中に入って
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まずは屋上の展望室へ。
少し高い場所に建っているので、周囲の様子が改めてよく分かります。 -
タイムトンネルのような廊下を進んでいって
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さて、ここからが展示室です。
地球では氷河期と温暖化が繰り返され、陸地と海の形は変わっていく。
環境が整い、人々の生活が始まっていく。 -
日本列島に人類が渡ってきたのは5万年前。
しかし、2万5千年前に阿蘇の大噴火が起き、南九州はすべてが火砕流に飲み込まれ、人々の生活の痕跡も50~100mの層のシラスの下に埋もれてしまった。 -
黒潮に乗って、人も文化もやってきた。
貝文土器の誕生。 -
縄文の村
環濠集落。 -
表面に特徴的なデザインが入った土器類
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そして、南九州には土偶が存在しない
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朝日が日向の地に射す
夕日が出雲の海に沈む。 -
瀬戸内海をつなぎ目として交流する世界があった
詩的な言葉で古代の人々の暮らしや社会の進化を示していて、あんまり学術的ではありませんが、こういうの嫌いじゃないですね。 -
イチオシ
展示室も全体が近未来的。
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銅鏡や
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鉄の鎧
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武人の姿もとてもリアルです。
などなど
展示品は西都原古墳群の出土品が中心ですが、解説は九州から日本列島全体の古代の世界を網羅的に取り扱っていて、とても意欲的。展示の仕方も、なにかドラマチックでわくわくするような演出がありますね。日本人の祖先が日本列島にやってきて、ここで命をつなぎ歴史を紡いでいく。それは考古学の対象ではあるのですが、やはりまずはその厳粛な事実をリスペクトするべきなのかも。そうした気迫が感じられるようなこのまっすぐな切り込みは、西都原古墳群が日本を代表する遺跡であるという強い自負があっての姿勢でもあるように感じました。古代を対象にした博物館としては、全国でもユニークで指折りの施設だと思います。
ただ、その上で少しコメントさせてもらうと
西都原古墳群の3~7世紀はほぼ古墳時代にそのまま当てはまります。しかし、その間、大きな変革があったようには感じません。弥生時代は、抗争の時代。ムラから小さなクニができ、大きなクニにつながっていく大きな流れがありました。その大きなクニがさらに進んでヤマト政権につながるというシナリオがあるのですが、やはりヤマト政権の出現は尋常なことではない。西都原古墳群を見れば、古墳時代でさえ、自然発生的に大きな変革が起きるのはまずなさそうです。古墳の文化を持ったいくつかの一族が弥生人に交じって大陸から渡ってくる。ある一族は南九州へ。ある一族は大和へ。装飾古墳なんかも最たるものだと思いますが、個々の一族がそれぞれの場所で土着して、それがまたヤマト政権の中に組み込まれていくという流れではないかと思います。
大和の古墳時代は、死者の魂を鎮めるだけでなく、権力や武威を示すためのものだったようにも思える巨大古墳を造るはち切れんばかりのエネルギー。そして、それが一転、次は大寺の建設に邁進する時代へと入って行く。それに対して、西都原古墳群はむしろ時代が進むにつれてより標準化し機能的な墳墓の役割に収まっていく感じ。持っているものが始めから全く違うように思います。 -
では、最後に西都原古墳群の一番人気、鬼の窟古墳の方へ。
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西都原古墳群内で唯一、埋葬施設に横穴式石室を有する古墳で、最後の首長の墓とされています。
土塁の外側には、それを囲んで -
堤防のような部分。
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それを乗り越えた先に石室のある土塁がありました。
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石室の中は奥まで自由に入れるので入ってみましたが、
進入部の通路がそれなりに長くて -
イチオシ
その奥の部屋がまた少し広いのがちょっと楽しいと思います。
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西都原古墳群から、高鍋に向かいます。
新山いちご園は、その途中で見つけたお店。なんか流行ってそうな雰囲気があって、寄ってみました。 -
いただいたのは、いちごがてんこ盛りのジェラート。ミルクの香りもしっかりするし、いちごも普通においしいですね。常連さんっぽいお客さんもいたりして、それも安心感がありました。よいお店です。
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ほどなく、高鍋の市街に到着して
まずは、高鍋町美術館へ。
小さな町の美術館ですが、けっこうしっかりした建物で、雰囲気的にもちょっとした品も感じます。 -
メインの展示は坂本正直の油絵。宮崎市の出身のようですが、鮮やかな青や赤の色彩が黒い影をうまく活かしてよく映えています。美しさとインパクトとの両方がある作品群だと思います。
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舞鶴公園は、高鍋城址の周辺を整備した公園。
高鍋は、児湯郡高鍋町。高鍋町役場も近くにあって、ここが城下町高鍋の中心。江戸期は高鍋藩2万7千石の藩庁が置かれていた場所です。 -
城址の外側の駐車場に車を置いて、上がっていきますと
始めはちょっとした広さですが、 -
そこをもう一段上がると
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広々とした平地。平山城としての風格を持った往時の面影を色濃く残していて、ちょっと雄大さも感じます。
ちなみに、高鍋城は、旧名は財部城といって伊東四十八城の一つ。そういう意味だと午前中の都於郡城の雄大さとは比較にならないかもしれません。 -
イチオシ
また、戻って。
この風情のある建物は萬歳亭はなれ。高鍋藩秋月家11代当主、種樹の住家です。 -
秋月種樹は、幕末にあって、佐賀藩の小笠原長行らと並んで英明で知られ、学問界の三公子と呼ばれたほどの人物。まだ部屋住の身分であるにもかかわらず、幕府の若年寄りに任ぜられるという破格の扱いを受けたそうです。
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そういう意味では郷土の誉れ。涼し気な家屋は、恬淡とした雰囲気があるように思います。
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その隣りに建つのは、高鍋町歴史総合資料館。高鍋藩の関係から、幕末、明治以降の地元の偉人の紹介とか。そういう意味では古めかしいものばかりなのですが、ガラス張りの展示品は保存状態が良くて、いかに大事に伝えられてきたかがよく分かります。
改めてですが、高鍋藩秋月家は、もともとは筑前国の秋月を領していた戦国大名。しかし、秀吉の九州征伐で島津氏に与していたため、大幅な減移封で日向の高鍋3万石に。また、関ヶ原の戦いでも西軍だったのですが、寝返り辛うじて所領を安堵され、そのまま幕末まで。米沢藩上杉家の上杉鷹山は秋月家から上杉家に入った人物であるというのも冒頭触れましたが、その他の名君も生み、教育も熱心。小さな藩でもピリッとした伝統があるようで、この資料館の展示品や展示スタイルもそれを反映しているように感じました。 -
高鍋町歴史総合資料館の敷地の続き、裏手の方に建つ小さな小屋のような建物は、刀工鍛冶場。秋月家のお抱え刀工師、三家の一つ、岩下氏の鍛冶場を再現したもの。
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藩主以下、高鍋藩の武士たちのニーズもそれなりにあったはずで、小さな藩でも自主独立の気風が旺盛だったことが想像できるとも思います。
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舞鶴公園から少し離れて、これは黒水家住宅。こちらのお屋敷は、高鍋藩秋月家の家老職を勤めた黒水家の邸宅。いわゆる家老屋敷ですね。
ぐるりを塀で囲まれて、その奥には妙に横長の茅葺屋根の主屋と瓦ぶきの別棟。なかなかの存在感があって、保存・公開されているだけでも貴重な存在かなと思います。 -
そして、最後、気になっていた高鍋大師を訪ねます。
小高い山の上なのですが、進入路が非常に分かりにくくてかなり苦労しました。 -
名前からしてお寺かなあと思っていたのですが、
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近くにある持田古墳群の霊を慰めるため造られた石像群のことを言うようで。
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イチオシ
基本は仏像なんでしょうが
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素人が作成したものなので、
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ユニークというかくせが強い独特の作風。
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大きさもあるし、数も多いので、一帯は一種異様な雰囲気になっています。
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円空とか木喰とかとは違って、稚拙さが目立ちますが、ただ、その思いは共通しているものがあるかもしれません。
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さりげなく、水戸黄門もありました。
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持田古墳群は、5~6世紀に造られた前方後円墳10基、円墳75基からなる古墳群。国の史跡にもなっています。
すぐそばにけっこう見事な円墳48号墳があって、ちょっとした存在感。ここでは銅鏡も発見されたようです。 -
豊吉うどんは、地元のチェーン店ですね。九州だとうどんは県によってそれぞれなんでしょうが、これは比較的標準タイプかな。
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立ち食いうどんほどチープな感じでもないですが、柔らかくてぶっつんぶっつん切れる感じはやっぱり手軽系ですよね。列車の待ち合わせ時間でささっと食べるにはいいでしょう。
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宮崎駅から、特急 にちりんで延岡駅に向かいます。
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ビジネスホテル延岡は、延岡駅前。目と鼻の先です。
外観からするともうかなり古くなったような感じですけど、リーズナブルなビジネスホテルとしてはこれで十分かな。部屋のちょっとチープな内装とかも気にならなければこんなものかなというくらい。とにかく場所がいいというのが利点です。
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