
2023/03/03 - 2023/03/03
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明治維新の原動力になった長州藩。その中心地のひとつになった下関です。歴史遺産は赤間神宮~唐戸付近にも多いのですが、今回はJR下関駅を中心にした地域を歩きまわりました。
JR下関から歩いてまず「白石正一郎邸宅跡」に向かいます。彼は明治維新の功労者高杉晋作のパトロンです。何をするにも資金源が必要なわけですから、もし彼のような人がいなかったら高杉晋作と言えども歴史に残る活躍はできなかったでしょう。どれくらいの豪邸に住んでいたのか分かるようなものはなく、中国電力下関営業所の敷地に邸宅跡の碑と奇兵隊結成の地の碑があるだけです。次も高杉晋作由来の場所「ひょうたん井戸」です。高杉晋作が攘夷論から変節したと思われ刺客に狙われ、この井戸に身を隠していたというところです。下関の路地裏のようなところにあります。次に「高杉晋作終焉之地」です。厳島神社への参道になる細い路地(厳島神社の一の鳥居の少し南)にあります。「高杉晋作終焉之地」碑と劣化して読みにくくなっている説明板があります。両親、妻子、野村望東尼などに看取られて幕末の風雲児が29歳で亡くなった地です。そばにある厳島神社へは100mほど北に歩きます。平家一門が安芸の厳島神社の分霊をいただいて守護神にして壇ノ浦の合戦を戦った神社です。四境戦争(小倉戦争)で高杉晋作が率いる奇兵隊が活躍し小倉城を落とします。その時に戦利品として持ち帰った大太鼓が奉納されている神社です。この神社のすぐ横の路地を歩いて行くと5分もかからずに高杉晋作療養之地があります。民家のブロック塀にプレートがあり、その横には「高杉晋作療養之地」書かれた碑が建っています。さらに桜山神社まで歩きます。5分見ておくと十分です。この神社は長い階段の両側に幕末長州藩にあった諸隊の名を書いた幟が立てられています。もちろん有名な奇兵隊もあります。参拝してから拝殿裏にある招魂場に向かいます。高杉晋作の発議で明治維新のために命を落とした人たちの石柱が身分差もなく391基整然と並んでいます。手前中央には吉田松陰、その両側に高杉晋作と久坂玄瑞の名があります。この桜山神社からJR下関駅まではバスで戻りました。再びJR下関駅から再スタートです。駅近くにある大歳神社に向かいます。先に書いた白石正一郎寄進の大鳥居から100段以上ある階段を上っていきます。階段には一段を一歳と数えて百段目の階段には百寿と書かれています。このアイデアはなかなか良いですね。長い階段を人生に例えてあります。階段を上る者に勇気を与えます。本殿前からは下関の景色がよく見えます。また江戸時代末期の七卿落ちの画碑がありました。そして日和山公園に上って高杉晋作陶像を見ました。戦争中の金属供出で高杉晋作の銅像も取り壊されました。戦後、備前焼の陶像になって復活したものです、下関海峡をしっかり見守っているようです。そして最後に海峡ゆめタワーに上がって143mの展望台から下関市街地、下関海峡、門司港レトロ、日本海まで一望しました。
この日歩き回ったところは、高杉晋作一色。やはり幕末の長州藩の幕末のヒーローは存在感があります。
行程ですが
JR下関駅→白石正一郎宅跡→ひょうたん井戸→高杉晋作終焉之地→厳島神社→萩藩新地会所跡→高杉晋作療養之地→櫻山神社招魂場→大歳神社→日和山公園の高杉晋作陶像→海峡ゆめタワー→海峡ゆめ広場→JR下関駅
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白石正一郎邸跡は中国電力下関営業所の敷地の一角にあります。白石正一郎邸跡の碑と高杉晋作が奇兵隊を結成した地の碑があります。
白石正一郎旧邸跡 名所・史跡
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ここに「ひょうたん井戸」の存在を示す案内がなければ探すのは大変だったでしょう。路地裏のような道を通り、民家の間を抜けると「ひょうたん井戸」があります。
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「ひょうたん井戸」に当時の面影はなく、ポンプが付けられていました。きっと周辺の方々が利用しているんでしょう。
ひょうたん井戸 名所・史跡
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「ひょうたん井戸」についての説明もそばにあります。
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高杉晋作終焉之地。肺結核が悪化して厳島神社から北に入ったところで療養を続けていましたが、幕末の風雲児もついにこの地で力尽きてしまいます。両親、妻子、野村望東尼に最期を看取られました。
高杉東行終焉之地 名所・史跡
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高杉晋作終焉之地から北に向かいます。厳島神社の一の鳥居があり、道路を隔てて二の鳥居があります。
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ここから厳島神社のの鳥居をくぐり拝殿に向かいます。
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厳島神社拝殿です。
嚴島神社 夏越祭 祭り・イベント
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直径110㎝ある大太鼓です。かっては小倉城下にあり、時を告げるために使われていたものですが、四境戦争(第二次長州征伐)において高杉晋作が指揮する奇兵隊の活躍で小倉口の戦いを制しこれを戦利品として持ち帰り奉納したものです。
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厳島神社二の鳥居横にある萩藩新地会所跡です。萩藩の支所のようなところでしたが、高杉晋作らが俗倫派(恭順派)政権を倒すために最初に襲撃したところです。
萩藩新地会所跡 名所・史跡
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厳島神社から細い路地を歩いて5分ほど、民家の敷地の一角に「高杉晋作療養之地」と書かれた碑があります。そばのブロック塀にはそれを示すプレートが貼られています。
高杉東行療養之地 名所・史跡
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桜山神社拝殿へはここから石段を上がります。
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拝殿までの石段には幕末に活躍した長州藩の人物や諸隊の名が書かれた幟が建てられています。
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桜山神社拝殿前には高杉晋作の幟もあります。
桜山神社【招魂社】 寺・神社・教会
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拝殿裏には招魂場があります。高杉晋作の発議でできたものです。各所の招魂場の神霊を合祀しています。吉田松陰吉田松陰没後百年祭(1959年)には391柱になりました。前列中央には吉田松陰、その両側に高杉晋作と久坂玄瑞の柱があります。身分にかかわらず平等に祀られています。
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桜山招魂場についての説明もあります。
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JR下関駅近くにある大歳神社です。神社の由緒は義経が壇ノ浦の合戦を前に必勝祈願した姿を見た地元漁民たちが神祠を祀ったことです。以来武運長久の神として祀られて、奇兵隊の隊旗も奉納されています。また石段は人生になぞらえて、例えば百段目には百寿と書いたプレートがあります。上る時には励みになりました。
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拝殿横にはちらほら春の気配が漂っていました。
大歳神社(山口県下関市) 寺・神社・教会
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歴史の時間に習った「七卿落ち」の画碑が本殿横にあります。
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関門海峡のきれいな景色が見られると思って日和山公園に登ってみました。
日和山公園 公園・植物園
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関門海峡は高い建物に遮られて期待していたほどの景観ではなかったです。
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日和山公園から海峡を見守る高杉晋作の陶像です。備前焼だそうです。
高杉晋作陶像 名所・史跡
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日和山公園からの下関海峡の景色は期待ほどじゃなかったので、予定になかった海峡ゆめタワーに上って素晴らしい景色を満喫しようと思いました。
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海峡ゆめタワー入口です。ここからエレベーターで地上143m(30階)の展望台に上がります。入場料はシニア割引で300円でした。
海峡ゆめタワー 名所・史跡
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展望台へのエレベーターは一部は景色が見えます。
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火の山公園と関門橋が東の方向に見えます。
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対岸の門司港レトロもきれいに見えました。
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西側には巌流島や響灘方面が見えます。
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タワーを下りるときには28階まで階段を使います。28階には縁結びの神様もおられます。
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海峡ゆめタワーのすぐ隣にはイベント広場に使われる海峡ゆめ広場があります。この後はJR下関駅に戻ります。
海峡ゆめ広場 公園・植物園
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