2023/03/02 - 2023/03/03
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ゆうこママさん
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歴史ツアーで若狭の多田寺、羽賀寺へ。若狭は古仏の宝庫。中でも絶対にはずせない2か寺を拝観。
夜は念願のお水送りに参加。
東大寺二月堂のお水取りは、本尊十一面観音に捧げる水を二月堂のすぐ下の若狭井から汲むことからそう呼ばれる。
その水は若狭の鵜の瀬から地下を通って奈良に届くということになっている。なんでも、若狭の神が釣に夢中になって、招待されていた修二会に遅刻したためそのお詫びとして、水を送ったのが始まりという。
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久しぶりの福井県小浜市での見仏。
滋賀県の大津駅から出発したバスツアーで最初に訪れたのは、多田寺ただじ。若狭地方の古寺は「てら」ではなく、「じ」と発音するそうだ。
そして、若狭の羽賀寺、多田寺、妙楽寺、神宮寺など多太ケ峰に建ついずれの古寺も十一面観音と薬師如来を祀る。 -
多田寺には奈良から平安にかけてのほとけさまが林立する。
中央に薬師、向かって右に聖観音、左に十一面。さらに日光月光菩薩、四天王が左右を固め、十二神将も江戸時代のものだが全員お揃い。
有名な十一面さまはふっくらした頬に口角が上がり幼子のように可愛い。奈良時代のもので、都ではなく若狭の仏師が彫ったと言われる。 -
薬師如来の目の辺りは白っぽい。眼病平癒を願い多くの人々が触ってきたからではないかとのこと。
四天王たちは、小顔だが下半身どっぷり体型。
お堂の右側には近隣の廃寺から集まって来たという阿弥陀が3躯並ぶ。年長児、小学校高学年と少しおっさんぽい高校生の三兄弟みたい。 -
次は羽賀寺はがじ。
元正天皇勅願、行基創建。 -
本堂に並ぶ仏像のセンターは、エキゾチックな十一面観音。10世紀初期の作という彼女は創建当初の彩色が残り、印象的な眼とともに忘れられない存在。
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向かって左には千手観音。右側には毘沙門天と子安地蔵。
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この日のマイベストはこの地蔵。毘沙門天さま越しに見ると、知的で整った顔立ちのイケメン地蔵が現れる。平安時代の県指定の像で文化財的評価は他に劣るかもしれないが、カッコいいものはカッコいい。
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昼食はいけす割烹 雅。
若狭は御食国。奈良に食糧を送る国であるとともに、大陸の最先端文化の入口として古代から朝廷と強い関係にあった。
その証とも言える寺や仏像が、今も存在するのがうれしい。 -
夜は念願のお水送り。スタートは神宮寺。
神宮寺の本尊も薬師如来で、脇に十一面観音がいらっしゃるそうだが、拝観はかなわず。 -
お水送りは、神宮寺堂内で大松明を振り回す達陀の行で始まる。そして、その火を元に境内で大護摩が焚かれる。
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大護摩の火は大松明に移され、鵜の瀬へと行列となって進む。
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若狭神宮寺から鵜の瀬までは、2キロほどの道のり。水を運ぶ松明行列の最後尾に一般客も参加できる。願い事を書いた松明に護摩の火をもらい、川沿いの道を歩くのだ。
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鵜の瀬にて行われる送水神事を対岸から望む。
法螺貝の音、かすかに聞こえる奉上の声、炎とその灯りが揺らめく水面。厳かな光景にただただ感動してしまった。 -
東大寺二月堂のお水取りの歴史は古く、奈良時代、良弁の弟子実忠による十一面観音悔過行が始まり。
若狭のお水送りは、奈良のお水取りとは、本来は別々の行事であったが、いつの頃からか関連づけて考えられるようになったのだとか。また、若狭のお水送りが現在の行列の形になったのは、わずか60年位前のことだそう。 -
歴史のことはよく分からないが、祭りを守る人々の姿は尊く、法被の背中はカッコよかった。
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