2023/02/12 - 2023/02/19
46位(同エリア408件中)
万歩さん
JTB(旅物語)の「ナイル川クルーズで古代文明を巡る 悠久のエジプト8日間」のツアーに参加。
送られてきたパンフレットを見ていた妻が、「いつかは行ってみたい国。エジプトはヨーロッパとはお国柄も違う。コロナ感染や緊急事態の際、個人で対応出来るかが心配。添乗員さんがいれば安心」などと言い、エジプト旅行に前向きな姿勢。
イメージ的に体力も要する事から、「元気な内に」、またコロナ禍を経て「行けるうちに、行っておこう」という意識に押されてツアー参加を決断。
コロナ禍直前の2020年2月のニューヨーク以来、実に三年振りの海外旅行はJTBツアーでのエジプト旅行になった。
添乗員同行の旅行は、2007年7月のトルコ(4トラベル未掲載)、2017年10月のインドに続いて今回で三回目。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 船 飛行機
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
PR
-
2月12日(出国日)
今回の旅行、関空発のエミレーツ航空の深夜便(23:30発 )で、ドバイでの乗継を経て、翌日カイロに。到着後、国内線でルクソールに向かい、休む間もなくルクソールの観光。出発当日の朝から起算すると、機中泊はあるものの、約30時間後にホテル(クルーズ船)入り、というハードな旅程。
2007年のトルコ旅行も出国が深夜便で、妻が睡眠不足で体調を崩しそうになった。今回、初日の強行軍に備えるため、往路のみビジネスクラスを利用することにした。
ウエルカムドリンクでシャンパンを頂いたが、気の抜けたシャンパン。
初めてのビジネスクラス利用で、機内サービスに期待はあったが----。ビジネス利用は「体力温存、横になって寝るために」と、座席を倒しすぐに就寝。 -
2月13日(二日目)
ドバイでの乗継時間も含め、関空を発って18時間後にカイロ空港に到着(現地10時過ぎ)。
写真は、ドバイで乗り継いだ総二階建てのエアバスA380。一階は総てエコノミー席、二階はファーストとビジネスクラス。二階の最後尾にはバーラウンジが設けてあった。 -
到着ロビーでは頭にコブラを乗せたセルケト女神がお出迎え。
-
カイロ空港から、休む間もなく国内線でルクソールに向かう。飛行時間は約一時間。
-
カイロ空港から砂漠を南下し、ルクソール空港へ。
-
ルクソール空港からツアー最初の訪問地ルクソール神殿に17時ごろ到着。
塔門には本来二本のオベリスクが建っていたがいたが、一本をはパリのコンコルド広場に。
『ルクソール神殿は、カルナック神殿(アムン大神殿)とスフインクス参道で結ばれており、アムン大神殿の付属神殿として建てられたもの』(※以後『』内は検索資料やガイドブックから引用したものを記載) -
ラムセス2世の像が据えられている塔門からルクソール神殿の内部へ。
-
ラムセス2世の中庭
-
柱に描かれた修復中の壁画。明らかに古代エジプトの壁画とは異なる。後代のコプト教(キリスト教)の壁画と思うが、ガイドさんには確認できず。
-
ライトアップされた列柱室。
-
ライトアップされた塔門。
-
ルクソール神殿からカルナック神殿へ向かうスフィンクス参道を見学。
ここで初日の長い旅が終わり、三連泊するクルーズ船に向かう。 -
2月14日(三日目)
5時30分にモーニングコール。
このツアー、旅程がタイトであるため朝早くからの観光地巡りとなる。
朝一番にカルナック神殿に。 -
昨夜見学したルクソール神殿から続いているスフィンクス参道から、カルナック神殿に入る。
『テーベ(ルクソールの古称)の守護神であったアメン神の神殿。その後アメン神は太陽神ラーと習合し、最高神アメンラーとなる』 -
大列柱室
-
柱頭はパピルスの意匠。
-
列柱の修復作業。
-
列柱の高い位置に刻まれた署名(?)。「H.DUEE 1842」とある。ガイドによれば「以前、あの高さ位まで砂に埋もれていた。19世紀より発掘が始まったが、その時代に刻まれたもの」という。
こだけではなく、多くの列柱の高いところに、名と年が刻まれていた。
カルナック神殿の見学を終え、次はナイル川西岸の「王家の谷」に向かう。 -
メムノンの巨像
『新王国時代、アメンホテプ3世の命によって建てられたメムノンの巨像は、アメンホテプ3世自身の巨像です。高さ2.3mの台座の上に、15.6mの像が置かれています。創建当初は、頭上には王冠が載っていました。また、座像の後ろには、アメンホテプ3世の葬祭殿がありました』 -
ハトシェプスト女王葬祭殿。
『古代エジプト唯一の女性ファラオが造営した葬祭殿』
ここで外国人観光客を狙ったテロが起きたことは覚えていた。
Wikipediaによると『1997年にイスラム原理主義過激派の「イスラム集団」が外国人観光客に対し行った無差別殺傷テロ事件。別名、エジプト外国人観光客襲撃事件。この事件により日本人10名を含む外国人観光客58名と警察官2名を含むエジプト人4名の合わせて62名が死亡、85名が負傷した』とある。
テロ対策として観光地のいたるところに武装警官が配置されていた。旅行会社の手配と思うが、私たちのツアーにもピストルを携えた警備員が旅行中同行していた。 -
正面にはオシリス神列像
-
葬祭殿内部の至聖所。冬至にはここまで太陽が差し込むという。
-
王家の谷へ。
『上エジプトのルクソールの対岸(西岸)にある、新王国時代の王たちの墓のある谷。東の谷と西の谷に分かれ、62基の墓がここで発見されている。このうち25基が王墓である。いちばん新しく発見された王墓は、1922年発見のツタンカーメン王墓。この谷に初めて王墓を築いたのは第18王朝の3代目の王トゥトメス1世で、彼は葬祭殿と墓を別々の地に築き、墓を人目につきにくい所の、地下岩盤の中に設けるという新しい設計をした』 -
王家の谷の案内掲示
-
ビジターセンターに展示されている王家の谷の立体模型。地下構造の様子がよくわかる展示。
-
墓所の内部にはガイドは入れないため、見学の前にツアー客に王家の谷を解説をすガイドさん。現地のツアー会社(サクラトラベル)のガイドで名はハゼム(氏名・所属・写真掲載はご本人の許可済み)。このツアー、コロナ明けで二回目の仕事との事。
私たちのツアーの総勢は21名。夫婦での参加は4組、ほか男性6名、女性7名。年齢層は中高年、最高齢者は81歳の男性。 -
最初はラムセス4世の墓所へ。
-
玄室へ続く通路。
-
玄室の内部へ。
-
壁画も色鮮やかに残っている。
-
二か所目はラムセス9世の墓所へ。
-
ここも壁画が鮮やかに残されている。左端に昆虫の糞転がし(スカベラ)が描かれているが、その行動が太陽が天空を運行する様子になぞらえられ、神として崇められたとの事。
「壁画それぞれに、王の即位経緯や、歴史、戦績、死後の世界への旅立ちなど描かれている」と、事前に写真をもとにハゼムさんに説明を受けていたが、実際内部に入ると多くの壁画に目を奪われ、今となっては思い出すこともできない。
壁画見学は、古代エジプト人の世界(生命)観や王の来歴,功績も知ることができて面白い。これから訪れる方は、前もってそれぞれの墓の壁画の見どころを調べて行くか、現地でパンフレットを購入し実際の壁画と照合しながら見学されることをお勧めする。 -
三か所目はツタンカーメンの墓所。
写真は玄室の石棺。 -
ここでは実際のツタンカーメンのミイラが石棺から出されて展示してあった。
有名な「黄金のマスク」は最終日にカイロ博物館で見学することになるが、実際のミイラがここに展示されているとは思わなかった。ミイラ展示には違和感を感じつつも撮影。 -
最後はラムセス2世の墓へ。
-
玄室
-
この壁画、亡くなったラムセス2世がホルス神に導かれて冥界に入る様子だと思うがーーーー。
-
土産物屋さんの商店街を通り、クルーズ船に向かう。
売り子が「ワンダラー!、ワンダラー!」と連呼、日本人と見ると「山本山!、山本山!」、Tシャツを広げ「2枚買えば3枚タダ」と、声を掛けて客引き。 -
ルクソールを離れ、ナイル川を南下。
私たちのツアーのクルーズ船(「ナイルスタイル号」)と同型類の船が10数隻次の寄港地であるエドフを目指す。 -
手漕ぎボートの土産物売り。
手漕ぎボートがどのようにして航行中のクルーズ船に伴走させているのか?
よく見ていると、クルーズ船団の先頭の船を上流で待ち受けて近寄り、クルーズ船の突起物にロープをかけて、クルーズ船に手漕ぎボートを曳航させている。
揺れる小舟から、船上デッキの客を目当てに商売。見込みがないとみると、続いて後から来る船に同様の仕掛けをして商売。 -
船内見学で操舵室へ。強面の船長だが、パーティーでは陽気に振舞っていた。
航海中、船内では操舵室見学のほか、参加自由の船上デッキでのティータイム、カクテルパーティー、ダンスショー、アラビア語講座(挨拶程度)、Tシャツ(エジプト綿)販売などのイベントがあった。 -
22時過ぎにエスナの水門を通過。
水門通過はパリのサンマルタン運河でも経験(2015年7月)。日中のセーヌ川遊覧であったため、水門で水位を調整する様子や周辺の景色を見物できたが、エスナ水門通過は深夜であったため、闇の中であたりの状況は分からず。 -
2月15日(四日目)
既にクルーズ船はエドフに到着しており、7時過ぎから観光に。
写真は、ロビーに貼りだされた予定表。 -
エドフの岸壁から二人乗り馬車でホルス神殿へ。
ハゼムさんから、「御車が隣に座れと言うけど、危険だしチップを要求される、断るように」と事前のレク有り。 -
ホルス神殿の馬車の駐車場。観光客のほとんどが馬車でホルス神殿に。
-
馬車を降り、ホルス神殿に向かう。
『古代エジプトの鷹の姿をした太陽・天空の神ホルスを祭る。現在見られる建物はプトレマイオス朝時代に建造。高さ36メートルの巨大な塔門をもつ。外壁な内部にはホルスを描いた浮き彫りが多数残っている。同国で最も保存状態のよい遺跡の一つとして有名』 -
ホルス神殿の塔門
-
ホルス神像
『ホルス神殿はハヤブサの神を祀る神殿で、塔門の入口にハヤブサの姿をしたホルス神の像があります。天空の神、戦いの神としてハヤブサの姿をしているホルス神です。国内で最も美しいホルス像と称えられ、神像が頭にかぶる二重王冠は上下エジプトの統一を表しています』(クラブツーリズムの解説より) -
ハゼムさんが主要なレリーフを説明してくれ、その都度その都度、興味深く聞き入っていたが、壁画同様、今になって何のレリーフだったか思い出せない。
19世紀まで砂に埋もれていたため保存状態は非常によいとの事
主要レリーフに案内板やパンフレットが用意されていれば良いのだが。美しいレリーフであったことだけ印象に残っている。 -
馬車でエドフの街並みを見ながらクルーズ船に戻る。
-
船室に戻ると、ベッドにワニのタオルアートが。
何故、ワニが? 後で納得したが、次に向かうワニの神を祭ったコムオンボ神殿を見学することから。 -
手漕ぎボートの土産物売り、ここでも出現。ボートから船上デッキの客に商品を見せて商談の開始。これは船窓から撮った写真。実際のやり取りを見ようと船上デッキに上がってみる。
-
船上デッキからの売り子と買い手のやり取りを見物。商談が成立すると、ボートから商品を袋に入れてデッキ目掛けて投げ込み、客は代金をその袋に入れてボートに投げ返す。
-
着岸したクルーズ船から徒歩でコム・オンボ神殿に向かう。
『プトレマイオス朝時代に建設され、古代ローマ皇帝オクタビアヌスの時代に増築された。鷹たかの姿をした神ハロエリス(ホルスの地方名)、およびワニの姿をした神セベクを祭る。塔門の入口も通路も至聖所も一対ずつある、二重構造の神殿として知られる』 -
レリーフに残された「世界最古のカレンダー」を説明するハゼムさん。
日付と行事、祭事が彫られている。 -
コム・オンボ神殿に隣接する「ワニ博物館」に。
『古代エジプトの神々の特徴は「八百万(やおよろず)の神々」がいることだ。古代エジプト人は彼らを取り巻く様々なものに神性を感じ、多くの神々を崇拝した。力強いライオン、ナイル川のいたるところにいたワニ、狂暴なカバ。人間を死に至らしめる毒蛇のコブラやサソリも神でした。人間にはない力、特に空を飛ぶ鳥は多くの種類が古代エジプトでは神だった』 -
展示されているワニのミイラ。
-
輿に乗せられたワニも。
-
ワニ博物館を見学後、夕方5時過ぎにクルーズ船に戻る。
岸壁にはライフルで武装した警官。ここに限らず観光地では至る所に武装警官が警備にあたっている。 -
コムオンボ神殿を見学後、クルーズ船での最終目的地のアスワンに向かう。写真は船上デッキから見たコムオンボ神殿。
-
2月16日(五日目)
何と2時30分にモーニングコール。
クルーズ船は既にアスワンに着岸しており、ここで旅行初日から宿泊したクルーズ船から荷物をまとめ下船し、バスで280㎞離れたアブシンベルに向かう。
朝食は車中でパンと果物。写真は車窓より見た砂漠の夜明け(6時30分頃) -
アブシンベル神殿に到着。
アスワンハイダムの建設で水没することから、約60メートル上の高台に移設されたもの。
『建造主は新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世。建設後、長い年月の内に砂に埋もれていたが、1813年にスイスの東洋学者ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトによって小壁の一部が発見され(た)。1960年代、ナイル川にアスワン・ハイ・ダムの建設計画により、水没の危機にあったが、ユネスコによって、国際的な救済活動が行われた。この大規模な移設工事がきっかけとなり、遺跡や自然を保護する世界遺産が創設された。アブ・シンベル神殿は世界遺産の象徴的な遺跡』(Wikipediaより抜粋) -
アブシンベル大神殿、ラムセス2世の4体の巨象。
-
ラムセス2世の像が左右4体並んでいる大列柱室。
-
ラムセス2世時代のカディシュの戦い(対ヒッタイト戦)の様子を描いた壁画。
-
神殿の最奥部の至聖所。右から太陽神ラー、ラムセス2世、守護神アメンラー、守護神プタハ。
2月と10月の年に2回、太陽がここまで差し込むという。 -
次は、ラムセス2世の王妃ネフェルタリを祀ったアブシンベル小神殿に。入り口の像(6体)は、左右一対のラムセス2世に挟まれて王妃ネフェルタリの像。
-
列柱室。牛の耳を持つ古代エジプトの女神・ハトホル女神。
-
アブシンベルの二つの神殿。
9時前にアブシンベル神殿の見学は終わったが、朝早くから多く観光客が列をなして入場を待っていた。 -
アブシンベル神殿から見たナセル湖。
-
アスワンの街並み(空港へ向かうバスから)
アスワンに戻りレストランで昼食後、空路でカイロに戻るためアスワン空港に。 -
カイロに到着後、船上レストラン(写真)でショー付きの夕食の後、ホテルへ。
-
2月17日(六日目)
宿泊のホテル(グランド ナイル タワー)の部屋から見たナイル川。 -
ホテルからバスで一時間ほどで、カイロ市内の南に位置するサッカラー地区の屈折ピラミッドに。
『紀元前27世紀頃、エジプト古王国第4王朝初代のスネフェル王(クフ王の父)が建設したとされる。1979年、世界遺産に登録された。基礎部分の一辺の長さは約189メートル 、高さ約105メートル。下方の傾斜は約54度21分で、高さ49.07メートル部分から約43度21分に変化しているため「屈折ピラミッド」といわれる』 -
スネフェル王の赤のピラミッド。
『表面の花崗岩が赤く見えることから「赤のピラミッド」と呼ばれ、二等辺三角形の最初のピラミッドと言われている』 -
二つのピラミッドを見学後はメンフィス博物館に。写真は前庭に置かれているスフィンクス。
-
博物館内に展示されているラムセス2世像。二階から撮影。
「RAMESSES THE GREAT」と書かれた案内板では
・歴史上もっとも偉大で強いファラオ。
・66年の在位期間中に90人の子供をもうけた。
・世界史上最も早い和平条約を締結。
・エジプト全土に大規模な行政都市、神殿、モニュメントを建設。
・ラムセス2世の像は他のファラオよりも多く存在。
・(この像は)石灰岩の一つの岩に彫られ、1821年に発見された。
ラムセス2世の像は、ツアー最初のルクソール神殿の塔門に始まり、アブシンベル神殿など、至る所で見物した。
ミイラはエジプト考古学博物館から大エジプト博物館に既に移送されているという。 -
ゼセル王の階段ピラミッド。
『史上初のピラミッドとも言われ、その建設方式や宗教的理念は後代のエジプト社会に影響を与えた』(Wikipediaより抜粋)
このピラミッドの周辺に、葬祭殿、王宮などが造営され「ピラミッド複合体」と呼ばれている。 -
複合体の一つ、セドの祭殿へ。
-
柱廊を抜けて階段ピラミッドへ。
-
ギザに向かう車窓から、ギザの三大ピラミッドを望む。
『最も大きいクフ王のピラミッド、2番目に大きいカフラー王のピラミッド、最も小さいメンカウラー王のピラミッドが北東から南西に向かってほぼ一直線上に並ぶ』 -
最初は、クフ王のピラミッドの内部見学に。内部の写真撮影は禁止。
入場制限もなく、昇り降りのある狭い通路の中、大勢の観光客で混雑していた。
帰国後、名古屋大学などの研究チームによって、新たな空間(通路)が発見されたとの報道があった(3/8)、まだまだピラミッドの全容は解明されていないと知る。 -
クフ王ピラミッド見学の後は、三大ピラミッドを望めるレストランで昼食。
-
昼食後はスフィンクスの見学。
-
目の当たりに見ると流石に大きい。
-
ギザの三大ピラミッドの見学の後は、パピルス製品の土産物屋さんに。実際のパピルスを使い製造過程を実演。
ツアーに付き物の土産物店巡りは、この他石材店、香水店、宝石店など回ったが興味を引いたのはこのお店だけ。 -
2月18日(七日目)
ツアーパンフレットでは「大エジプト博物館の2023年オープンが延期になった場合は、エジプト考古学博物館にご案内します」とあった。大エジプト博物館の建物は完成しているが、未だ開館はしていない。
朝一番でエジプト考古学博物館に。朝早くから大勢の観光客が入場を待っていた。
入館前にハゼムさんが「展示品は総て本物だが、レプリカが一つ。それはロゼッタストーン」と説明、また「在位期間の短い少年王であったツタンカーメンでさえ、黄金のマスクや棺で使用されている金の量は1トン以上もある。他の王の副葬品が残されていればどんなにすごいか、想像して欲しい」とも。
ツタンカーメンの黄金のマスクが以前日本で展示されたことは知っていた。
調べてみたら『1965年8月21日から東京国立博物館、京都市美術館、福岡県文化会館の3カ所で計136日間開かれた「ツタンカーメン展」は大人気を呼び、会期中の入場者は293万1048人にものぼりました』(朝日新聞デジタルより抜粋)とあった。
黄金のマスクのみならず、1964年にはミロのビーナス、1974年にはモナリザが日本で公開されている。時代背景も異なるが、今日では想像できない出来事。 -
セキュリティは厳しく、カメラの持ち込みは禁止。
古代エジプト文化が圧縮、網羅されており、圧倒される。一方、解説はいたって簡単なもの。見学順路に反するが、まずはミュージアムショップに行き主要展示物を説明したパンフレットを買うことをお勧めする。 -
モハメッド・アリ・モスク。
『19世紀半ば、オスマン帝国からのエジプトの独立に事実上成功したムハンマド=アリーにより建造。オスマン建築様式の巨大なドームと2本の尖塔(ミナレット)をもつ。また、内部と外壁に美しい縞模様があるアラバスター(雪花石膏)を使っているため、アラバスターモスクという通称をもつ』
ここにフランスから贈られた、ルクソール神殿のオベリスクの返礼の時計が置かれているという。内部の見学は無く、バスを降りて外観のみ眺める。 -
最後の観光地はハン・ハリー市場
『首都カイロの旧市街、イスラム地区にある野外市場。多くの隊商宿があった14世紀末頃に創設。カイロ有数の市場として知られ、金銀細工、衣料品、工芸品などを扱う店が集まっている』 -
多くの観光客で賑わっている「お土産物市場」
「市場の中は迷路のようになっている。メインストリートだけを見学し、脇道には入らないようにと」とハゼムさんが注意。 -
空港へ向かう車窓からカイロの街並みを写す。首都で馬車が行き交っているのには驚いた。
カイロ市内観光を終え、帰路に就く。(翌2月19日 17時過ぎに関空到着) -
エジプト土産はエジプト考古学博物館で買った展示目録(300LE)とパンフレット(50LE)のみ。
展示目録の巻頭に「エジプト考古学博物館の見学を最大限有意義なものにするには、古代エジプトの歴史や美術に関する基礎知識をもつことが不可欠でしょう」と記してあるが、このことは博物館見学に限られたことではなく、観光地見学にも当てはまる。
今回のエジプト旅行、旅行中は壮大な建造物や文物またその歴史に圧倒され、十分に楽しめた。一方で、添乗員同行で万事お任せの気楽な旅行と、旅先(観光地)の下調べを怠ったことから、表面的な、名所旧跡をただなぞっただけの旅行になった、と悔やまれる。
生涯に一度であろうエジプト旅行であつたが、再び訪れるとしたら、地中海に面する港湾都市アレキサンドリアと早晩開館になる「大エジプト博物館」を是非見学したい。
『ナイルの水を飲んだ者は、再びナイルに戻る』
ガイドのハゼムさんが、帰国の空港に向かう車中、お別れの挨拶で紹介したエジプトの諺。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
アスワン(エジプト) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
93