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伊北ICで高速を下り、国道153号線を北上し信濃國二之宮に参拝。<br /> 矢彦神社と小野神社の鎮座地の小野は、塩尻市と辰野町の飛地が隣り合い、社叢を共有する二つの信濃国二之宮が鎮座します。

信濃國二之宮 小野神社

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2022/09/13 - 2022/10/13

240位(同エリア306件中)

旅行記グループ 長野県松本市界隈

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wabisabi2さん

伊北ICで高速を下り、国道153号線を北上し信濃國二之宮に参拝。
 矢彦神社と小野神社の鎮座地の小野は、塩尻市と辰野町の飛地が隣り合い、社叢を共有する二つの信濃国二之宮が鎮座します。

旅行の満足度
3.0
交通
2.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車

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  •  古くは1つの神社だったとも云われ、小野盆地において飯田城主の毛利秀頼と松本城主石川数正の領地争いがあり、1591年(天正19)秀吉の裁定により、盆地を流れる唐沢川を境に北小野村、南小野村に分けられたことに始まる。<br />社地は北小野(塩尻)の地籍であったが、裁定により境内は二分され、社叢南半分の矢彦神社が南小野(辰野)の氏神で社地は辰野の飛地という扱いになり現在に至っている。<br /><br />国道153号線を矢彦神社・小野神社の鎮座する塩尻方面に向け走っていると、国道を跨ぐように大鳥居が建っていますが、そこから少し塩尻側に行ったあたりが境になります。<br /> JR小野駅北側辺りが辰野町と塩尻市の境で、Gマップで辰野町と検索すると矢彦神社の社地が辰野町の飛地になっている事が分かります。<br /> 秀吉が定めた境となる唐沢川を上の地図で示します、この小さな川で北小野村、南小野村に分断されます。<br />現在は地図上で塩尻にある辰野町の飛地である矢彦神社と塩尻市の小野神社、祭礼等は旧北小野村、南小野村共に手を取り合い開催されるようです。<br /> また現在は両小野として塩尻市と辰野町が共同し「組合立」の学校が立てられるなど、戦国時代の境界を感じさせない。<br /><br />伊北ICから国道を北上、大鳥居をくぐりしばらく走ると前方に下の写真の手水舎と鳥居が見えてきます。<br /> この鳥居が辰野町の飛地に鎮座する矢彦神社の東参道。<br />駐車場へはそのまま社叢沿いの国道を走っていきます。

     古くは1つの神社だったとも云われ、小野盆地において飯田城主の毛利秀頼と松本城主石川数正の領地争いがあり、1591年(天正19)秀吉の裁定により、盆地を流れる唐沢川を境に北小野村、南小野村に分けられたことに始まる。
    社地は北小野(塩尻)の地籍であったが、裁定により境内は二分され、社叢南半分の矢彦神社が南小野(辰野)の氏神で社地は辰野の飛地という扱いになり現在に至っている。

    国道153号線を矢彦神社・小野神社の鎮座する塩尻方面に向け走っていると、国道を跨ぐように大鳥居が建っていますが、そこから少し塩尻側に行ったあたりが境になります。
     JR小野駅北側辺りが辰野町と塩尻市の境で、Gマップで辰野町と検索すると矢彦神社の社地が辰野町の飛地になっている事が分かります。
     秀吉が定めた境となる唐沢川を上の地図で示します、この小さな川で北小野村、南小野村に分断されます。
    現在は地図上で塩尻にある辰野町の飛地である矢彦神社と塩尻市の小野神社、祭礼等は旧北小野村、南小野村共に手を取り合い開催されるようです。
     また現在は両小野として塩尻市と辰野町が共同し「組合立」の学校が立てられるなど、戦国時代の境界を感じさせない。

    伊北ICから国道を北上、大鳥居をくぐりしばらく走ると前方に下の写真の手水舎と鳥居が見えてきます。
     この鳥居が辰野町の飛地に鎮座する矢彦神社の東参道。
    駐車場へはそのまま社叢沿いの国道を走っていきます。

  • すぐに左側に朱の明神鳥居が現れます、矢彦神社正参道。<br /> ここは走り抜けます。<br /><br />宮前地内を通る国道153号線、辰野町方向の眺め。<br /> 右手が矢彦神社・小野神社の境内。<br /><br />写真下は国道153号線沿いの両社の社頭、国道沿いに社地を囲う玉垣が延びる。<br /> 社地中央に小さな水路があり、それを境にして両社が隔てられ、境界を示す石標が立てられている。<br />両社を隔てるものはその水路だけで、水路の意味を知らなければ「大きな神社だこと」で終わるかもしれない。<br /> 国道を挟んだ門前町は初期中山道、伊那街道の宿場町小野宿でその面影を感じさせる光景が残る。<br />小野神社境内には立派な土俵があり、北小野村、南小野村合同で相撲が奉納される。<br /> 両社には御柱が奉納されているが、地元の方の話によれば「来年がその年に当たるが、コロナ禍や担い手不足でどうなるかねぇ」との話だった。<br /><br />

    すぐに左側に朱の明神鳥居が現れます、矢彦神社正参道。
     ここは走り抜けます。

    宮前地内を通る国道153号線、辰野町方向の眺め。
     右手が矢彦神社・小野神社の境内。

    写真下は国道153号線沿いの両社の社頭、国道沿いに社地を囲う玉垣が延びる。
     社地中央に小さな水路があり、それを境にして両社が隔てられ、境界を示す石標が立てられている。
    両社を隔てるものはその水路だけで、水路の意味を知らなければ「大きな神社だこと」で終わるかもしれない。
     国道を挟んだ門前町は初期中山道、伊那街道の宿場町小野宿でその面影を感じさせる光景が残る。
    小野神社境内には立派な土俵があり、北小野村、南小野村合同で相撲が奉納される。
     両社には御柱が奉納されているが、地元の方の話によれば「来年がその年に当たるが、コロナ禍や担い手不足でどうなるかねぇ」との話だった。

  • 国道をもう少し進み、小野神社の石の明神鳥居を越えると写真の様に左側に社叢の切れ目が見えてくるのでそこで左折です。<br />左折の目印は国道の案内標識、縄鳥居の前を通り過ぎた左側に駐車場はあります。

    国道をもう少し進み、小野神社の石の明神鳥居を越えると写真の様に左側に社叢の切れ目が見えてくるのでそこで左折です。
    左折の目印は国道の案内標識、縄鳥居の前を通り過ぎた左側に駐車場はあります。

  • 社叢から見えた縄鳥居はスルーして、物好きは国道から正参道に向かいます。<br />小野神社社頭。<br /> 国道沿いに石の明神鳥居を構え、左側に手水舎、右に社号標が立ちます。

    社叢から見えた縄鳥居はスルーして、物好きは国道から正参道に向かいます。
    小野神社社頭。
     国道沿いに石の明神鳥居を構え、左側に手水舎、右に社号標が立ちます。

    小野神社 寺・神社・教会

  • 社頭の手水舎、手水鉢。<br /> 絶え間なく注がれる清水ですが飲用は出来ません。

    社頭の手水舎、手水鉢。
     絶え間なく注がれる清水ですが飲用は出来ません。

  • 社頭の小野神社解説の数々。<br />上<br />小野・矢彦神社社叢は針葉樹と落葉広葉樹が大部分を占め、これらの老木が茂った典型的な混交林で灌木や草本類も多く樹木合わせて150種類に及ぶ。<br /> 中部地方の植生は古い時代にはこうした混交林で覆われていたが、やがて人工が加わり姿は一変した。<br />この社叢は古来の平地林の様子を留め、36,326㎡に及ぶ広さも貴重なもの。<br /> そうした事から社叢は長野県天然記念物に指定されている。<br />下<br />小野神社社殿解説。<br /> 本殿二棟、八幡宮本殿、勅使殿は寛文12年(1672)4月の類火により焼失、松本藩主水野忠直により同年9月までに再建された。<br />本殿に見られる全体の形が直材に近い海老虹梁、勅使殿の渦が付く上向きの拳鼻など、県内にある寛文期の建築物に共通するもので、造営は水野家大工頭の中村四郎右衛門らによるもの。<br /> 本殿の木鼻は扁平の象鼻で、眼頭に当たる部分にも突起を付ける独特の形である。<br />本殿向拝の蟇股内部には水野家家紋の花沢潟の彫が入れられている。

    社頭の小野神社解説の数々。

    小野・矢彦神社社叢は針葉樹と落葉広葉樹が大部分を占め、これらの老木が茂った典型的な混交林で灌木や草本類も多く樹木合わせて150種類に及ぶ。
     中部地方の植生は古い時代にはこうした混交林で覆われていたが、やがて人工が加わり姿は一変した。
    この社叢は古来の平地林の様子を留め、36,326㎡に及ぶ広さも貴重なもの。
     そうした事から社叢は長野県天然記念物に指定されている。

    小野神社社殿解説。
     本殿二棟、八幡宮本殿、勅使殿は寛文12年(1672)4月の類火により焼失、松本藩主水野忠直により同年9月までに再建された。
    本殿に見られる全体の形が直材に近い海老虹梁、勅使殿の渦が付く上向きの拳鼻など、県内にある寛文期の建築物に共通するもので、造営は水野家大工頭の中村四郎右衛門らによるもの。
     本殿の木鼻は扁平の象鼻で、眼頭に当たる部分にも突起を付ける独特の形である。
    本殿向拝の蟇股内部には水野家家紋の花沢潟の彫が入れられている。

  • 左<br /> 市有形文化財「小野神社の梵鐘」<br />永禄7年(1564)、武田勝頼が戦勝祈願し鳬氏に命じ鋳造し小野神社に寄進したもの。<br /> 江戸時代以前の鐘としては優れた出来栄えと云う。(資料館で展示) <br />右<br />長野県宝 銅造千手観音坐像御正体残闕<br /> 総高18.7㌢、像高16.1㌢、製作年代は鎌倉時代に遡るとも。<br />要所を抑えた無駄のない簡潔な仕上げで頭体部及び一鋳した蓮華座を含めバランスが良く安定感がある。<br /> (資料館で展示)<br /> 平安時代後期におこった本地垂迹説にもとづく神仏混淆の信濃における信仰の歴史を知る上で貴重である。<br />境内の資料館にはこれらの他に、室町時代前期の鐸鉾などが所蔵されている。


     市有形文化財「小野神社の梵鐘」
    永禄7年(1564)、武田勝頼が戦勝祈願し鳬氏に命じ鋳造し小野神社に寄進したもの。
     江戸時代以前の鐘としては優れた出来栄えと云う。(資料館で展示) 

    長野県宝 銅造千手観音坐像御正体残闕
     総高18.7㌢、像高16.1㌢、製作年代は鎌倉時代に遡るとも。
    要所を抑えた無駄のない簡潔な仕上げで頭体部及び一鋳した蓮華座を含めバランスが良く安定感がある。
     (資料館で展示)
     平安時代後期におこった本地垂迹説にもとづく神仏混淆の信濃における信仰の歴史を知る上で貴重である。
    境内の資料館にはこれらの他に、室町時代前期の鐸鉾などが所蔵されている。

  • 鳥居扁額「小野神社」

    鳥居扁額「小野神社」

  • 上<br />資料館<br /> 開館日に制限があるようで、この内部に梵鐘などが保存されている。<br />下<br />宝形屋根の薬師殿。<br /> 後方の建物は額殿。


    資料館
     開館日に制限があるようで、この内部に梵鐘などが保存されている。

    宝形屋根の薬師殿。
     後方の建物は額殿。

  • 上<br /> 屋根付きの相撲土俵。<br /> 旧北小野村、南小野村合同で相撲が奉納される。<br />下<br /> 左の建物が宝蔵。右が「ニノ御柱」、石の玉垣で囲われた二本の杉が「夫婦杉」<br />諏訪大社も近い事もあり、小野神社、矢彦神社共に御柱が立てられている。<br /> 小野神社の御柱祭は、諏訪大社の御柱祭の翌年の卯の年と酉の年の7年目(6年毎)開催されます。<br /><br />駐車場付近で名古屋から小野に嫁いでこられた地元の方に声掛けを頂いた。<br /> その方の話によれば「人を見たけりゃ諏訪御柱 綺羅を見たければ小野御柱」、「来年がその年に当たるが、コロナ禍や担い手不足でどうなるかねぇ」との話だった。<br /> 名古屋ナンバーの車を見かけて親近感を持って声掛けをして頂いたようだ。<br />今でこそ高速でひとっ走りだが、彼女の年代の頃となると電車に揺られ嫁いできたかナ?


     屋根付きの相撲土俵。
     旧北小野村、南小野村合同で相撲が奉納される。

     左の建物が宝蔵。右が「ニノ御柱」、石の玉垣で囲われた二本の杉が「夫婦杉」
    諏訪大社も近い事もあり、小野神社、矢彦神社共に御柱が立てられている。
     小野神社の御柱祭は、諏訪大社の御柱祭の翌年の卯の年と酉の年の7年目(6年毎)開催されます。

    駐車場付近で名古屋から小野に嫁いでこられた地元の方に声掛けを頂いた。
     その方の話によれば「人を見たけりゃ諏訪御柱 綺羅を見たければ小野御柱」、「来年がその年に当たるが、コロナ禍や担い手不足でどうなるかねぇ」との話だった。
     名古屋ナンバーの車を見かけて親近感を持って声掛けをして頂いたようだ。
    今でこそ高速でひとっ走りだが、彼女の年代の頃となると電車に揺られ嫁いできたかナ?

  • 境内は緑濃い社叢に包まれ、その多くは自然林である故に県の天然記念物に指定されているそうだ。<br /> 社頭の前を国道が横切り結構交通量がある、車の騒音が気になりそうだが、社叢のお陰で境内は静寂そのもの。

    境内は緑濃い社叢に包まれ、その多くは自然林である故に県の天然記念物に指定されているそうだ。
     社頭の前を国道が横切り結構交通量がある、車の騒音が気になりそうだが、社叢のお陰で境内は静寂そのもの。

  • 常夜灯の先に佇む一対の狛犬。<br />骨太な体格で目と鼻の大きさが印象に残る。

    常夜灯の先に佇む一対の狛犬。
    骨太な体格で目と鼻の大きさが印象に残る。

  • 神楽殿。<br /> 拝殿に続く参道の右側にあり、切妻妻入りの神楽殿と奥の平入の建物は渡廊で一体となっている。

    神楽殿。
     拝殿に続く参道の右側にあり、切妻妻入りの神楽殿と奥の平入の建物は渡廊で一体となっている。

  • 参道左側の御鉾社。<br /> 四方を木の玉垣に囲われた一画がそれにあたるようで、解説によれば「伝 古代祭祀遺跡」とあったが、玉垣内にこれといった痕跡は見当たらなかった。<br />自分には後方の広葉樹の緑と空に向け聳える杉の樹の息吹が強く印象に残った。

    参道左側の御鉾社。
     四方を木の玉垣に囲われた一画がそれにあたるようで、解説によれば「伝 古代祭祀遺跡」とあったが、玉垣内にこれといった痕跡は見当たらなかった。
    自分には後方の広葉樹の緑と空に向け聳える杉の樹の息吹が強く印象に残った。

  • 上<br />御鉾社の右に一部欠損した石の社。<br /> 「おぼこさま」と彫られた石標はこちらを指すものか定かにはならなかった。<br />下<br /> 御鉾社の左にも石の社が祀られていたがこちらも定かにはならなかった。


    御鉾社の右に一部欠損した石の社。
     「おぼこさま」と彫られた石標はこちらを指すものか定かにはならなかった。

     御鉾社の左にも石の社が祀られていたがこちらも定かにはならなかった。

  • 夫婦杉の左の小さな覆屋。<br /> 「中央御玉命 御厩?社」・・・とあるような、覆屋内には小さな社が祀られ、妻側の棟から鈴が吊るされていた。

    夫婦杉の左の小さな覆屋。
     「中央御玉命 御厩?社」・・・とあるような、覆屋内には小さな社が祀られ、妻側の棟から鈴が吊るされていた。

  • 参道左の境内摂社。<br /> 左から天満社、宗像社、子安社、稲荷社と並ぶ。

    参道左の境内摂社。
     左から天満社、宗像社、子安社、稲荷社と並ぶ。

  • 参道先の拝殿が大きく見えて来た、いよいよ参拝。<br /> その前に左にも一社あるようだ。

    参道先の拝殿が大きく見えて来た、いよいよ参拝。
     その前に左にも一社あるようだ。

  • 玉垣で囲まれたこの建物、解説もなく詳細は分からないが「神庫」とある。<br /> 神宝を納めるという事?

    玉垣で囲まれたこの建物、解説もなく詳細は分からないが「神庫」とある。
     神宝を納めるという事?

  • 小野神社拝殿全景。<br /> 切妻屋根の拝殿の平側に向拝が付き、内削ぎの千木が付く、拝殿大棟にも6本の鰹木と内削ぎの千木が付く。<br />現在は銅葺屋根ですが、往古は杮葺き屋根だったという。

    小野神社拝殿全景。
     切妻屋根の拝殿の平側に向拝が付き、内削ぎの千木が付く、拝殿大棟にも6本の鰹木と内削ぎの千木が付く。
    現在は銅葺屋根ですが、往古は杮葺き屋根だったという。

  • 拝殿右から向拝と拝殿、廻廊の眺め。<br /> 正面、斜めと見渡すが安定感のあるシンプルな外観で光り輝く飾り金具も見られない。

    拝殿右から向拝と拝殿、廻廊の眺め。
     正面、斜めと見渡すが安定感のあるシンプルな外観で光り輝く飾り金具も見られない。

  • 拝殿向拝の額と本殿方向の眺め。<br /> 全体の造りと色が落ち着いたものだけに、額の金色と神社幕の紫がアクセントになり上品な印象を受ける。<br />祭神は建御名方命。<br /> 拝殿の先の本殿域には正面に勅使殿があり、その後方に左から副本殿、本殿、八幡宮本殿の三つの社が祀られています。<br />恐らく諏訪大社同様に副本殿、本殿の2棟で交互に神宝を移すものかと思います。<br /> まずは参拝を済ませ、玉垣沿いに社殿左側に向かう。

    拝殿向拝の額と本殿方向の眺め。
     全体の造りと色が落ち着いたものだけに、額の金色と神社幕の紫がアクセントになり上品な印象を受ける。
    祭神は建御名方命。
     拝殿の先の本殿域には正面に勅使殿があり、その後方に左から副本殿、本殿、八幡宮本殿の三つの社が祀られています。
    恐らく諏訪大社同様に副本殿、本殿の2棟で交互に神宝を移すものかと思います。
     まずは参拝を済ませ、玉垣沿いに社殿左側に向かう。

  • 玉垣沿いから拝殿、社殿の眺め。

    玉垣沿いから拝殿、社殿の眺め。

  • 本殿域全景。<br /> 中央が拝殿正面に当たる勅使殿。<br />勅使殿の奥に並ぶ左から副本殿、中央が本殿、八幡宮本殿で、解説にあった寛文12年(1672)4月の類火により焼失、同年9月には松本藩主水野忠直により再建された。<br /> 境内解説から、手前の勅使殿は御門屋造りと称する様で、奥の三殿は寛文12年(1672)造営の一間社流造。<br />注連縄が左の福本殿に張られていないので、現在副本殿は空きという事か?

    本殿域全景。
     中央が拝殿正面に当たる勅使殿。
    勅使殿の奥に並ぶ左から副本殿、中央が本殿、八幡宮本殿で、解説にあった寛文12年(1672)4月の類火により焼失、同年9月には松本藩主水野忠直により再建された。
     境内解説から、手前の勅使殿は御門屋造りと称する様で、奥の三殿は寛文12年(1672)造営の一間社流造。
    注連縄が左の福本殿に張られていないので、現在副本殿は空きという事か?

  • 玉垣沿いに御柱を運び入れるための道が付けられている。<br /> その左側に小さな泉があり、中央の小島に石の祠が祀られていたが?の予感がして近寄れなかった。<br />そそくさとこの場を後に参道に戻る事にした。<br />

    玉垣沿いに御柱を運び入れるための道が付けられている。
     その左側に小さな泉があり、中央の小島に石の祠が祀られていたが?の予感がして近寄れなかった。
    そそくさとこの場を後に参道に戻る事にした。

  • 参道に戻り一安心、そこから社頭方向を眺める。<br /> 境内の整然と聳える大木が自然林とはとても思えない。

    参道に戻り一安心、そこから社頭方向を眺める。
     境内の整然と聳える大木が自然林とはとても思えない。

  • 境内摂社あたりに「夫婦杉」二本の杉の巨木が寄り添うように聳える。<br /> 次は再び薬師堂方向へ。

    境内摂社あたりに「夫婦杉」二本の杉の巨木が寄り添うように聳える。
     次は再び薬師堂方向へ。

  • 薬師堂右側の境内に細い流れの水路があります。<br /> この水路を上流に沿って進むと一つの石標があります。<br />そこには「社地境界標」と刻まれている。<br /> 上の写真でこの水路を境に左が塩尻市の小野神社、右が辰野町の矢彦神社の社地として区切られている。<br />この水路を跨げば辰野町の矢彦神社境内になり、そのまま社殿に至ります。<br /><br />もの好きは国道に戻り矢彦神社社頭に向かいます。

    薬師堂右側の境内に細い流れの水路があります。
     この水路を上流に沿って進むと一つの石標があります。
    そこには「社地境界標」と刻まれている。
     上の写真でこの水路を境に左が塩尻市の小野神社、右が辰野町の矢彦神社の社地として区切られている。
    この水路を跨げば辰野町の矢彦神社境内になり、そのまま社殿に至ります。

    もの好きは国道に戻り矢彦神社社頭に向かいます。

  • 信濃國二之宮 小野神社<br />創建 / 不明、(寛文12(1672年)焼失、同年再建)<br />祭神 / 建御名方命 <br />境内社 / 八幡宮、稲荷社、子安社、宗像社、天神社、御厩社、御鉾社<br />所在地 / 長野県塩尻市北小野175-1<br />公共交通機関アクセス / ?JR中央線「小野」駅降車、北へ徒歩15分程?<br />参拝日 / 2022/09/13

    信濃國二之宮 小野神社
    創建 / 不明、(寛文12(1672年)焼失、同年再建)
    祭神 / 建御名方命
    境内社 / 八幡宮、稲荷社、子安社、宗像社、天神社、御厩社、御鉾社
    所在地 / 長野県塩尻市北小野175-1
    公共交通機関アクセス / ?JR中央線「小野」駅降車、北へ徒歩15分程?
    参拝日 / 2022/09/13

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