山形旅行記(ブログ) 一覧に戻る
山形旅行記NO3の主な題材は「藩校致道館」だ。ここはNO2でご紹介した「致道博物館」と隣接しているわけではないが、当然、同じ鶴岡市内であり場所は近い。訪問当時、良い被写体があると写真を撮りまくっていたので、手元には膨大な画像が残っている。放置しているだけなら特段の問題はないが、旅行記を作るとなると、どの画像をセレクトしてどう構成するか?、これが一番大変な作業だ。<br />さて、言い訳はこれぐらいにして早速ご紹介したい。<br /><br />

山形旅行記NO3~藩校致道館に庄内藩の底力を見る

38いいね!

2020/11/07 - 2020/11/07

1299位(同エリア6781件中)

0

55

sio爺

sio爺さん

山形旅行記NO3の主な題材は「藩校致道館」だ。ここはNO2でご紹介した「致道博物館」と隣接しているわけではないが、当然、同じ鶴岡市内であり場所は近い。訪問当時、良い被写体があると写真を撮りまくっていたので、手元には膨大な画像が残っている。放置しているだけなら特段の問題はないが、旅行記を作るとなると、どの画像をセレクトしてどう構成するか?、これが一番大変な作業だ。
さて、言い訳はこれぐらいにして早速ご紹介したい。

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
交通手段
JALグループ

PR

  • ここが藩校致道館の入口となる。

    ここが藩校致道館の入口となる。

  • 順路に従って進む。

    順路に従って進む。

  • 講堂だ。<br />藩校致道館時代、始業式などの時に生徒はここに集まったそうだ。<br />また藩主が参勤で留守の年には、2日 おきに役所として用いられ、藩役人が集まって藩政の打ち合わせや会議が行われた。

    講堂だ。
    藩校致道館時代、始業式などの時に生徒はここに集まったそうだ。
    また藩主が参勤で留守の年には、2日 おきに役所として用いられ、藩役人が集まって藩政の打ち合わせや会議が行われた。

  • 講堂内に入る。

    講堂内に入る。

  • 「致道館教育の方針」が記されているようだ。

    「致道館教育の方針」が記されているようだ。

  • 「藩校創設に向けて」

    「藩校創設に向けて」

  • 致道館の学制

    致道館の学制

  • 広間での展示の様子

    広間での展示の様子

  • 致道館の職制と役職員<br />初期は文化二年(1805)で、後期が明治三年(1870)というのも凄い。庄内藩教育の歴史を感じさせる。

    致道館の職制と役職員
    初期は文化二年(1805)で、後期が明治三年(1870)というのも凄い。庄内藩教育の歴史を感じさせる。

  • 句読生の教科書。句読生は今の小学生に相当するそうだ。<br />さてその教科書だが、「論語」のほか「大学」「中庸」「易経」など、つまり四書五経だ。小学生がこれを学ぶなんてビックリだね。今は中学校の教科書でも「論語」の有名な一節が少し出てくるぐらいなのにね。

    句読生の教科書。句読生は今の小学生に相当するそうだ。
    さてその教科書だが、「論語」のほか「大学」「中庸」「易経」など、つまり四書五経だ。小学生がこれを学ぶなんてビックリだね。今は中学校の教科書でも「論語」の有名な一節が少し出てくるぐらいなのにね。

  • 「致道館の名前の由来」<br />「論語」の「君子学んでもってその道を致す」に由来しているということ。意味は「優れた人物は一生懸命勉学に励むことによって、自然と人間としての進むべき道が身についていく」ということ。<br />

    「致道館の名前の由来」
    「論語」の「君子学んでもってその道を致す」に由来しているということ。意味は「優れた人物は一生懸命勉学に励むことによって、自然と人間としての進むべき道が身についていく」ということ。

  • この画像の漢籍は、「致道館の名前の由来」となる「論語」の該当箇所。

    この画像の漢籍は、「致道館の名前の由来」となる「論語」の該当箇所。

  • 「庄内学」<br />戊辰戦争後、庄内藩士達は西郷隆盛(南洲)と親交を深め、教えを請う。庄内藩の重鎮であった菅実秀(すがさねひで)は西郷から「学問は堯舜(堯と舜。中国古代に徳をもって治めたといわれる伝説上の理想的帝王)を手本とし、孔子を教師とせよ」との教えを受け、学派、学風にとらわれず直ちに孔子の教えを学ぶことが根本との考えに至る。<br /><br />

    「庄内学」
    戊辰戦争後、庄内藩士達は西郷隆盛(南洲)と親交を深め、教えを請う。庄内藩の重鎮であった菅実秀(すがさねひで)は西郷から「学問は堯舜(堯と舜。中国古代に徳をもって治めたといわれる伝説上の理想的帝王)を手本とし、孔子を教師とせよ」との教えを受け、学派、学風にとらわれず直ちに孔子の教えを学ぶことが根本との考えに至る。

  • 明治の廃藩置県を経て藩校は廃止となったが、旧藩士の人々は四書五経などの中国古典に西郷の教えを加えて学び続けた。庄内の教学は独自の学風を立てて、連綿と受け継がれていく。<br />

    明治の廃藩置県を経て藩校は廃止となったが、旧藩士の人々は四書五経などの中国古典に西郷の教えを加えて学び続けた。庄内の教学は独自の学風を立てて、連綿と受け継がれていく。

  • 「荻生徂徠」と「徂徠学」の資料展示<br />

    「荻生徂徠」と「徂徠学」の資料展示

  • 「荻生徂徠」<br />五代将軍綱吉の側用人柳沢吉保に仕え、柳沢の失脚後は学問に専念。朱子学を批判し、方にはめ込むような道徳規準を抜けて、人間本来の感情を尊重する学風を樹立した。八代将軍吉宗の時代は政道の諮問にあずかり、意見書である「政談」を献上した。<br /><br />「徂徠学」<br />徂徠学は古文辞学ともいわれ、古い字句や文章を直接読むことによって、後世の註釈にとらわれずに孔子の教えを直接研究しようとする学問。<br />

    「荻生徂徠」
    五代将軍綱吉の側用人柳沢吉保に仕え、柳沢の失脚後は学問に専念。朱子学を批判し、方にはめ込むような道徳規準を抜けて、人間本来の感情を尊重する学風を樹立した。八代将軍吉宗の時代は政道の諮問にあずかり、意見書である「政談」を献上した。

    「徂徠学」
    徂徠学は古文辞学ともいわれ、古い字句や文章を直接読むことによって、後世の註釈にとらわれずに孔子の教えを直接研究しようとする学問。

  • 江戸時代の学校の様子

    江戸時代の学校の様子

  • 「前漢書」と「後漢書」<br />藩校時代、これらをテキストにしていたということか。<br />全て漢字で書かれたこれらの書籍を、書き下し文のように読みこなし意味を理解するには、相当な語彙力と理解力が必要だ。とすると相当ハイレベルな教育活動が行われていたのではないかと思う。

    「前漢書」と「後漢書」
    藩校時代、これらをテキストにしていたということか。
    全て漢字で書かれたこれらの書籍を、書き下し文のように読みこなし意味を理解するには、相当な語彙力と理解力が必要だ。とすると相当ハイレベルな教育活動が行われていたのではないかと思う。

  • 副島種臣による「詩経」の講義の様子<br />明治政府の太政官・外務卿等を歴任した副島種臣は、漢学・洋楽をよくし、その学識は抜群だったようだ。西郷隆盛とも親交があり、鶴岡来訪時に「詩経」の講義を行った。

    副島種臣による「詩経」の講義の様子
    明治政府の太政官・外務卿等を歴任した副島種臣は、漢学・洋楽をよくし、その学識は抜群だったようだ。西郷隆盛とも親交があり、鶴岡来訪時に「詩経」の講義を行った。

  • 「敬天愛人」は西郷の座右の銘だが、これは酒井忠良(ただなが)の筆。<br />酒井忠良は、11代藩主の酒井忠篤の次男で、最後の藩主・酒井忠宝(忠篤の弟)の養子。<br />

    「敬天愛人」は西郷の座右の銘だが、これは酒井忠良(ただなが)の筆。
    酒井忠良は、11代藩主の酒井忠篤の次男で、最後の藩主・酒井忠宝(忠篤の弟)の養子。

  • 庄内藩の学びの継承

    庄内藩の学びの継承

  • 上段が小学生、下段が中学生の作品<br />素晴らしい作品を集めたんだろうけど、ホントにビックリのレベルだね。

    上段が小学生、下段が中学生の作品
    素晴らしい作品を集めたんだろうけど、ホントにビックリのレベルだね。

  • 致道館の教えをパネルで紹介

    致道館の教えをパネルで紹介

  • 「庄内論語」<br />有名な「学びて時に之を習う」も、庄内では「時に習う」を「自習す」と読むそうだ。そしてそれには意味があるという。<br />

    「庄内論語」
    有名な「学びて時に之を習う」も、庄内では「時に習う」を「自習す」と読むそうだ。そしてそれには意味があるという。

  • 「徳の交わり」<br />庄内と鹿児島にある「南洲翁・臥牛翁の坐像」<br />南洲翁はもちろん西郷で、臥牛翁は菅実秀(すげさねひで:戊辰戦争の戦後処理で西郷による寛大な措置に感銘を受ける)

    「徳の交わり」
    庄内と鹿児島にある「南洲翁・臥牛翁の坐像」
    南洲翁はもちろん西郷で、臥牛翁は菅実秀(すげさねひで:戊辰戦争の戦後処理で西郷による寛大な措置に感銘を受ける)

  • 「御次の間」<br />藩主御留守の年は、会所日に出座する家老の詰所

    「御次の間」
    藩主御留守の年は、会所日に出座する家老の詰所

  • 「御三の間」<br />藩主がお成りの時、お供の者たちが控える所<br />

    「御三の間」
    藩主がお成りの時、お供の者たちが控える所

  • 「御居間」<br />藩主がお成りの時に入った所

    「御居間」
    藩主がお成りの時に入った所

  • 額「致道館」

    額「致道館」

  • 最後の文に注目<br />離れて見ると字が浮き上がって見えるのに、近くで見ると、確かに浮き上がってはいなかったと思う。

    最後の文に注目
    離れて見ると字が浮き上がって見えるのに、近くで見ると、確かに浮き上がってはいなかったと思う。

  • 庄内藩の教育の力を十分味わった。

    庄内藩の教育の力を十分味わった。

  • 屋外に出ると、聖廟(孔子廟)があった

    屋外に出ると、聖廟(孔子廟)があった

  • 外観はこんな感じ。

    外観はこんな感じ。

  • 聖廟内部

    聖廟内部

  • この絵に注目

    この絵に注目

  • 絵そのものが全て漢字で描かれている。

    絵そのものが全て漢字で描かれている。

  • 聖廟外観

    聖廟外観

  • 旧致道館は、国指定史跡になっていた。

    旧致道館は、国指定史跡になっていた。

  • 鶴岡市内では、「致道博物館」「藩校致道館」のほか、鶴岡公園内に荘内神社、護国神社、大宝館、鶴ケ岡城跡などがあり、そちらも見学した。

    鶴岡市内では、「致道博物館」「藩校致道館」のほか、鶴岡公園内に荘内神社、護国神社、大宝館、鶴ケ岡城跡などがあり、そちらも見学した。

  • 鶴岡を出発して向かったのは酒田。まず山居倉庫に行った。

    鶴岡を出発して向かったのは酒田。まず山居倉庫に行った。

  • 雨がかなりひどく、出入りが大変だった。

    雨がかなりひどく、出入りが大変だった。

  • ここでの目的は一つ。(米ではない。米を原料にしたアレだ)

    ここでの目的は一つ。(米ではない。米を原料にしたアレだ)

  • 山居倉庫とは全く別棟のここは、品揃えが素晴らしかったので、しこたま買い込んだ。

    山居倉庫とは全く別棟のここは、品揃えが素晴らしかったので、しこたま買い込んだ。

  • 酒田を出発して、この日の宿であるコンフォートホテル山形に向かった。到着は真っ暗だったので、画像は翌朝の撮影。

    酒田を出発して、この日の宿であるコンフォートホテル山形に向かった。到着は真っ暗だったので、画像は翌朝の撮影。

  • 部屋はダブルルーム仕様でゆったりしていた。

    部屋はダブルルーム仕様でゆったりしていた。

  • ベッドとデスクの間もかなり広かった。

    ベッドとデスクの間もかなり広かった。

  • この日のお楽しみは、ここだ。以前は「十四代」を出してもらったが、今は簡単には出さない。

    この日のお楽しみは、ここだ。以前は「十四代」を出してもらったが、今は簡単には出さない。

  • これがウワサのお通しだ。

    これがウワサのお通しだ。

  • 一人旅をいいことに、たっぷり飲んでしまった。

    一人旅をいいことに、たっぷり飲んでしまった。

  • メニュー

    メニュー

  • 地元でなければ飲めない銘柄を御指名。

    地元でなければ飲めない銘柄を御指名。

  • これもお通しの一品だったと思う。

    これもお通しの一品だったと思う。

  • これは山形ではないが、けっこう気に入った。

    これは山形ではないが、けっこう気に入った。

  • こういうのも出た。

    こういうのも出た。

  • 〆は具沢山みそ汁、沁みるねえ。

    〆は具沢山みそ汁、沁みるねえ。

38いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP