2022/11/04 - 2022/11/04
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hijunoさん
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実業家、政治家、また文化人としても多彩な才能を発揮した、小林一三氏の旧宅「雅俗山荘」を見学しました。
阪急電鉄の創始者や宝塚劇場の創設にも寄与していたことは知っていましたが、商工大臣など政治家としても活躍し、茶人や美術蒐集家としても、作家としても活躍したことがよくわかりました。
1937年に建てられた洋館は和風の物も取り入れた豪華な邸宅でした。ご家族の写真も多く展示されてい、若いころからの氏や家族の様子もよくわかります。
ちょっとびっくりしたのは、浴室がピンク色だったこと。おそらく、外国からの輸入品のものを使ったと思われますが、薄いピンクの可愛い浴室が当時としては珍しかったのではないか、、、と思いました。とてもかわいらしい雰囲気でした。
お庭も茶人らしく、庭園には茶室は三軒もありました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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立派な長屋門があります。
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説明板にもありますが、庄屋の長屋門を移築したもの。
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内側からみたところ。
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駐車場から。受付でチケットを購入。
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白梅館から。
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入ってすぐ。
電車の中の様相になっています。 -
阪急電車や宝塚歌劇などの現在のグループでの事業がモニターにてわかるようになっています。
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電車風になっていて、外側は過去の歴史についての展示があります。
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大好きな阪急電車のマークです。
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小林一三氏の若いころの写真などの資料。
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一三氏の事業などについての説明があります。
三井銀行に勤めるも、その後独立。 -
箕面(みのう)に動物園を開園させます。日本で三番目に開園した動物園だったようです。
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阪急電車と沿線の開発の年表。
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阪急百貨店の事業も手掛けます。
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様々な事業を手掛け、政治家としても活躍します。
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阪急電車と梅田の発展の年表。
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鉄道事業の発展により、地域開発が進み、人口が増え、不動産業や小売業が発達していく、、、という考えのもと、多角経営を進めていきます。
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写真や資料など。
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宝塚劇場の歴史。
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初期の宝塚音楽学校の写真や宝塚ファミリーランドの写真。
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1935年の宝塚大劇場やレビューの様子の写真。
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東京進出をはかり、初代有楽座を開館。
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東京への進出の年表。
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幅広い分野での活躍の小林一三氏。
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東京での足跡も説明していました。
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東急や電力が会社との関わり。
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戦後の復興も指揮しています。
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雅俗山荘の見学の前に、お庭を見学します。
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茶室も3カ所もあります。
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茶室のひとつ、人我亭。
昭和19年に造られ、人と自分が混然とする、客と亭主が一体となることを意味した名前だそうです。 -
上品な石灯篭があります。お寺の屋根のよう。
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茶室 即庵。
椅子も見えます。洋風と伝統が組み合わさった茶室。 -
説明板。
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茶室 費隠。
近衛文麿により命名されたそうです。昭和19年に京都の寺院より移築されたもの。 -
石畳も趣があります。
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お庭から見える雅俗山荘。レストランがちらり。
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窓の装飾も素敵です。
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イチオシ
三つの茶室があるお庭も緑がいっぱいでした。
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お庭入口のこちらの扉も素敵でした。
壁も雅俗山荘の雰囲気を壊さないように工夫されているそうです。 -
イチオシ
小林一三氏が住まいとしていた雅俗山荘へ。
一部レストランにもなっています。 -
明治42年より池田に住み、昭和12年にこの雅俗山荘に住み始めたと説明板にありました。
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入口のドアの上のガラス部分。
細かな模様が綺麗です。
こんなところについつい、目が行ってしまいます。 -
登録有形文化財です。
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玄関にはすぐに豪華な暖炉が見えました。
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玄関ライトもお洒落です。
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1929年の頃の小林一三氏の肖像画。
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生い立ちからの氏の説明があります。
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生い立ちの説明がありました。現在の山梨県韮崎市で出生。
実家は商家でした。 -
慶応義塾の青年のころ。
文学青年だったそうです。 -
慶応義塾生のころ。
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大きな邸宅です。
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優雅なランプシェードでした。
お屋敷の雰囲気に合っています。 -
応接間には立派なシャンデリア。
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広い応接間があり、調度品も飾られていました。
右のほうにある、様々な調度品、撮影禁止でした。 -
こちらの暖炉も意匠をこらしたものです。
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リビングボードも美しい装飾でした。
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二階の展示室へ。
奥に見えるのはレストランです。 -
階段。
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二階にあがあると、休憩のための椅子がありました。
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イチオシ
若き日の一三夫妻。
こう夫人は美しいです。
1900年の写真ですが、ご結婚はその前の年。
一三氏27歳、こう夫人は19歳だったといいます。
(ほかの説明では一三氏26歳、こう夫人17歳とありました。) -
イチオシ
そして12年後のお写真。
やはりこう夫人はお美しいまんまです。 -
お子様たちと。
三男二女のお子様たち。 -
イチオシ
こちらもお子様たちが成長されてからの家族写真。
家族写真を多く残されたのですね。 -
その後、成長されたお子様たち、さらにお孫さんたちとも。
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家系図。
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イチオシ
実業家、政治家としての小林一三氏の歴史をたどります。
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著書は20冊。
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海外へも多く渡航。
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勲章や喜寿のお祝いに宝塚歌劇劇団員などに贈ったブローチ等。
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事業観や人生観についても書を著しています。
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1953年の写真。
ラジオに出演。
大阪の経済の今昔についての座談会にも出演。 -
こちらにも高齢になった一三氏とお子様たちの写真がありました。
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文化人としての功績も説明しています。
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小説家・劇作家としても。
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宝塚歌劇団の脚本も手掛けています。
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直筆の原稿。
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こちらも原稿の一部。
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カルチャーセンターの先駆けともいうべき「東京婦人会館」の設立にも携わります。
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俳句や和歌にも造詣が深かったようです。
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作品の展示。
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与謝野晶子夫妻を自宅に招待し、交流もありました。
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茶人としての小林一三氏の足跡。
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茶会の様子など。
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茶器、お茶の道具も展示されていました。
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多くの業績を残し、勲章を受けています。
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二階に書斎と、
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小さな応接間がありました。
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ドアノブも装飾がうつくしい。
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客室。
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夫人の家事室と表示がありました。
木造りの素敵な流しや天井も凝っています。ヒーターもみえます。 -
こう夫人のお部屋。
明るく、お庭が一望。 -
このガラス窓がなんとも面白い造りです。
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イチオシ
こう夫人の説明がありました。
やはり美しい方と当時から評判だったようです。
ご高齢になってからも美しく、気品にあふれる様子が写真からわかります。 -
こう夫人と一三氏とのお手紙も残っています。
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床の間。
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こちらも今風ですけれど、当時からあったものでしょうか。。
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お庭が見下ろせます。
ベランダがありました。木の柵も可愛いデザインです。 -
イチオシ
一番、意外というか、驚いたのは、浴室がピンクでまとめられ、とても可愛かったことです。
当時としては珍しかったのではないでしょうか。。 -
イチオシ
英語の表示。
外国製ですね。 -
イチオシ
パステル調のピンクで、とても可愛いです。
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窓の格子もお洒落でした。
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晩年の様子。ご夫妻の写真。
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亡くなったときには、1957年に宝塚音楽学校音楽葬が行われています。
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