2022/09/22 - 2022/10/04
156位(同エリア1596件中)
Noraさん
9月末から10月初め アテネ、サントリーニ島、ミロス島への個人旅行の記録と写真です。
ギリシャはずっと昔から私の旅行リストのトップにあった国です。ずいぶん前、ルーブル美術館でミロのビーナス像やサモトラケのニケ像に出会った瞬間や大英博物館にあるパルテノン神殿の彫刻を見たインパクトが心の中にあって、いつかこれらの作品が生まれた場所を実際に自分の目でみたいと思いながらも、いろいろな事情で、なかなかそのチャンスがありませんでした。
やっとの思いで2年半前に計画したギリシャ旅行がコロナ過でダメになり、今回、万難を排して実行に移しましたが、そもそもこれまで旅行記というものを書いたことがないので、ある意味、チャレンジングでした。
コメント欄の情報はできる限り様々なサイトを参照して正確を期すようにしましたが、完璧ではないかもしれません。また手作りの旅なので、自分の個人的体験や感想も織り込んでいますし、役に立つかどうか分からない情報もあえて入れました。それは受け止める読者によってとらえ方が違うと思うからです。私自身、この4トラベルのサイトにアップされた旅行記から、一見何でもないことのように見えて実はとても貴重な情報を頂いたことがありました。言わずもがなのことですが、一応ここにある情報についてはご自分で取捨選択してご覧頂ければ幸いです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- エーゲ航空 アメリカン航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
考古学博物館から徒歩10分くらいのメトロのオモニア駅。ここからハドリアヌス門、古代アゴラなどに向かう。
券売機の横に張り付いて、出てきたお釣りをねだる人が2,3人いた。(デイパックをしょって左に歩いていくのがそのうちの一人)人に危害を加えるタイプではないが、見ていて感心する行為ではない。まだ若いのだからこんなことしなくてもいろんなことができるはずなのに!それとも趣味でこんなことやってるのかな? -
オモニア駅からエリニコ行のメトロに乗り3つ目の駅、アクロポリで降りる。
-
これはオモニア駅ホーム。
-
アクロポリ駅到着。
-
アクロポリ駅のステーションミュージアム。地下鉄工事の時に出てきた遺構やその他の出土品を展示している。これは素晴らしいアイデアだと思う。
-
アクロポリ駅の出口。これは確か大英博物館にあるパルテノン神殿の東側破風(ぺディメント)のレプリカではなかったか?エスカレーターで上がって来たら、階段を下りてきた中年アメリカ人グループがディオニッソス像の上にまたがったり登ったりして大騒ぎしながら記念撮影をしていた。彼らはここをディズニーランドと勘違いしているのではないだろうか?見ていて非常に不愉快だった。たとえレプリカだとしても彼らの破廉恥な行為をギリシャの人たちはどう思うだろう。
-
ハドリアヌス門。
古代ローマ帝国の5賢帝の一人といわれるハドリアヌス帝が132年にアテネの新市街と旧市街を分けるため建設したもの。ハドリアヌスの凱旋門 史跡・遺跡
-
ゼウス神殿。BC6世紀頃、建設が開始されたが、途中何度も中断し、132年古代ローマ帝国の皇帝ハドリアヌス時代にやっと完成した神殿。後の東ローマ帝国時代、異教の神の神殿として破壊され石材は周辺のキリスト教の聖堂の建築に再利用されたりした。このため、元々104本あった柱は現在15本しか残っていない。(1852年の嵐で倒壊した柱の1本は横たわっている。(Wikiより。)
ここを訪れたときは、写真でみるように修復中で鉄骨に覆われていた。なので入場はスキップ。これはハドリアヌス門のある場所から柵ごしに撮ったもの。ゼウス神殿 建造物
-
ハドリアヌスの図書館。132年にハドリアヌス帝が建設し、アテネに寄贈したもの。
この西側部分にはコリント式円柱が並ぶプロピュライア(前面。せり出した4本の柱がある部分)とそれに続く側面の列柱と壁が残っている。パピルスの巻物の書籍が置かれたのは敷地の東側の建物。267年にヘルール族(ゲルマン系の放浪部族、ギリシャ人からバルバロイと呼ばれた。)に侵略破壊された後、412年に修復された。しかしこれらの円柱やその他の大理石は敷地内にキリスト教の聖堂が建てられたり、オスマン帝国時代のモスクを建てるための建材に転用されたりで現在のような姿になってしまった。
*バルバロイ=バーバリアン(野蛮人)の語源。
当時のこの建物の3Dグラフィックスは
https://ancientathens3d.com/hadrians-library/アドリアノスの図書館 博物館・美術館・ギャラリー
-
ハドリアヌスの図書館全景。通りから柵ごしに撮ったもの。
-
ハドリアヌスの図書館全景。90度回りこんだところ。
-
モナスタラキ広場。
正面の建物はツィスタラキス・モスク。
1759年にオスマン帝国統治下のアテネ知事ムスタファ・アガ・ツィスタラキス(Mustapha Agha Tzistarakis)によって建てられた。彼はモスク建設時にゼウス神殿や隣接するハドリアヌス図書館の大理石の円柱を建築材料として無断で流用したとされる。
アテネのランドマークの一つであるこの広場に期待していたのだが、不潔でゴミが散乱していた。ホームレスっぽい人もいたりで失望!!下を見ないで上だけ見ていればよかったかも。モナスティラキ広場 広場・公園
-
ここから徒歩で古代アゴラへ。古代アゴラチケット、10ユーロ。
古代アゴラは政治、経済、文化の中心地としてアクロポリス北西部に建設された公共広場であった。古代アテナイの貴族ペイシストラトスが排水システム、噴水、寺院の建設をスタートしたのがはじまりといわれる。
20世紀まで埋もれていた古代アゴラの遺跡発掘は1931年からはじまり、現在も発掘・復旧作業が続けられている。(昨日行ったスニヨン岬ツアーの考古学専攻のガイドのお兄さんもここら辺を掘ってたと言っていた。)古代アゴラ 史跡・遺跡
-
アッタロスの柱廊(古代アゴラ内)。BC2世紀、ペルガモンのアッタロス2世がアテネで学問を習得したことを謝しアテネ市に寄贈したもので、古代のショッピングセンターとして機能した建物。しかし267年にローマ帝国に侵入したヘルール族により破壊されてしまった。現在の建物は1950年代になってアメリカの考古学会アテネ研究所が古代の柱廊を復元したもの。材料はペンテリコ山から産出された大理石とピレウスからの石灰岩が用いられている。
資金はロックフェラー財団が提供。この再築は古代建築物を忠実に復元した考古学上重要な出来事とされる。現在はアゴラ内の博物館として機能している。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%9F%B1%E5%BB%8A)
(http://www.agathe.gr/overview/the_stoa_of_attalos.html)
(https://content.time.com/time/subscriber/article/0,33009,857487,00.html)アッタロスの柱廊 (古代アゴラ博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
-
アッタロスの柱廊、外側が45本のドーリア式、内側に22本のイオニア式列柱が並ぶ。
当時のこの建物の3Dグラフィックスは
https://ancientathens3d.com/hellenistic-agora/ -
女神像(アフロディテと推定される) 。BC 4世紀初頭の作。作者不詳。
-
古代アゴラからアクロポリスを臨む。
当時の古代アゴラの3Dグラフィックスは
https://ancientathens3d.com/classical-agora/
中ほどにに見えるのは11世紀に建てられた(ビザンチン期)聖使徒聖堂。聖使徒聖堂 寺院・教会
-
アグリッパの音楽堂。BC15年頃。ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの盟友で娘婿だったローマの将軍アグリッパが建てたもの。
パナテナイック通りを挟んでアッタロスの柱廊の向かい側にある。267年のヘルール族によって大半が破壊され、ファサードを飾っていた頭部のない巨人像、トリトン(半人半魚)2体の計3体が残存する。
当時の姿The Odeion of Agrippa (15 BC)の3Dグラフィックスは
https://ancientathens3d.com/roman-agora/アグリッパの音楽堂 史跡・遺跡
-
ハドリアヌスの像。117年~138年作。甲冑の胴の部分にローマ建国神話のオオカミの乳をのむ双子のロムルスとレムスが彫られている。その上に女神アテナ。この紋章デザインはハドリアヌス皇帝のみが使えるものであった。
-
古代アゴラ。手前はアグリッパ音楽堂のコリント式柱頭。
-
古代アゴラから見上げたヘファイストス神殿。BC449年に建設が始まりBC416~415年に完成。古代ギリシアの遺跡のなかでは最も保存状態が良いもの。パルテノン神殿と同じドーリア式の神殿。短辺に6本、長辺には13本の列柱がある。
-
ヘファイストスの神殿。
この辺りは鍛冶屋や窯業者が集まる地区だったことから、炎と鍛冶の神であるヘファイストスを祀る神殿が作られたらしい。
*へファイストスは火と鍛冶の神で腕は確かなのだが、醜い容貌のため、妻のアフロディーテに浮気されてしまう気の毒な神なのだ。
当時のへフェイストス神殿の3Dグラフィックスは
https://ancientathens3d.com/classical-agora/ -
パナテナイック通りを一人静かに行進するカメさん。見送りに来てくれたのかもしれない。
-
古代アゴラを横断するようにメトロの線路が走る。左手奥はアッタロスの柱廊。
このあと、モナスタラキ駅まで歩き、ピレウス行のメトロで一駅のティシオ駅で降りてホテルまで歩いて帰った。
こう書くと簡単そうなのだが、実はそうではなかった。古代アゴラを出てアドリアノウ通りを西へ行けばよかったのだが、間違って東に行ってモナスタラキ広場に出てしまったのだ。グーグルマップでアドリアノウ通りに戻る道がなかなか出てこない。それにあの辺は道が入り組んでいる。道行く人2,3人に聞いても親切に違った道を教えてくれてまた元に戻る。仕方ない。メトロのモナスタラキ駅でグリーンのトップを着た駅の作業員風の人にホテルの地図を見せて道順を聞いたら、’ピレウス行にのって次の駅、ティシオで降りなさい’といわれる。Sure!!そして切符を買うとき、ちょっと手間取っていたら傍にいた女子大生ふうの女性がにっこり笑ってポンと下のボタンを押してくれた。英語の画面に変わる!!なんだ、この機械マルチリンガルだったんだ。どうもありがとう!!いわれた通りメトロに乗り、次のティシオについてからは徒歩でホテルに到着。あ~~、今日もずいぶん歩いたな。でも今日がギリシャ最後の日で歩き納め。明日はシカゴに帰るのでこれからパッキングをしないといけないのだ。 -
夕食:Phidiasの隣のレストランでライトなタッチのサラダ。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
Noraさんの関連旅行記
この旅行で行ったスポット
もっと見る
アテネ(ギリシャ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
25