2022/10/09 - 2022/10/09
2579位(同エリア3978件中)
Sanaさん
友人との旅行の後半戦が別行動になったので、この機に新選組の足跡をめぐることにしました。一度やってみたかったんだー!
予習として、大好きな浅田次郎「壬生義士伝」と「輪違屋糸里」、司馬遼太郎「新撰組血風録」を再読。
そして事前に「角屋」を予約。
これで準備万端!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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まずは島原大門から。糸里太夫や吉栄もこのそばにいたかもと思うと・・・。歴史は現代と地続きなのだなあと実感します。遠い世界の話ではなく。
原付が停まっているところが、この大門は日常に溶け込んでるんだなあと感じます。島原大門 名所・史跡
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なんでここが「島原」という地名なのかなあと疑問に思っていました。
そもそもこの花街は、豊臣秀吉が柳町にある花街を公許、それが六条三筋町に移転したことが始まり。
そして京の街が発展したので寛永18年に突然この地に移転を命じられたそう。その時のドタバタ騒動が当時の「島原の乱」を思わせたところから(かなり急な移転をさせられたんだろうね)「島原」になったんだそうです。へー!島原大門 名所・史跡
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早速「輪違屋」へ。ここは中を見学できなくて残念。
よく残っててくれたなあと思います。そばに来れてよかった。
輪違屋は置屋さん。太夫さんや芸妓さんたちを抱えていたところ。
元禄年間に創業したそうですが火災で全焼、安政4年に再建されたそうです。
この後見学予定の角屋さんは揚屋さん。
揚屋は輪違屋のような置屋から芸妓さんや太夫さんを派遣してもらって遊宴をするところ。お料理も作って出していたので料亭のようなものだそうです。
島原は分業制(送り込み制)だったんですね。輪違屋 名所・史跡
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輪違屋の印。
糸里がいたところです。
傾城とは、官許により遊園の席で接待する女性のこと。
太夫とは、傾城の芸妓部門の最高位。
花魁とは、傾城の娼妓部門の最高位。花魁は歌舞音曲を必要としませんが、太夫は舞や音曲だけでなく、お茶やお花、和歌や俳諧も身につけていたそうです。
私、花魁と太夫は同じものかと思ってました・・・。輪違屋 名所・史跡
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角屋の見学は10時過ぎ。まだ時間があるのでしばらく島原をぶらつきます。
昔ながらの街並みと、今の街並みが混在。
歩いていたら歌舞練場がありました。
島原は遊郭ではないのでそういう施設があったんだそうです。
ここも混同してました。
吉原は遊郭なので逃げ出す女性も多かったけれど、島原は女性も入ることができる花街(かがい)で、踊りの上演や俳壇や歌壇まで存在していたそうです。 -
島原住吉神社へ。廃仏毀釈の際に廃社、その後お稲荷さんとして信仰されていたけれど、やっと2001年に住吉神社に改称できたらしい。
このそばに島原西門があったらしいのだけど、輪禍によって(車の事故?)全壊した、と書いてありました。残念。島原住吉神社 寺・神社・教会
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神主さんのお宅(?)の窓ガラスに貼ってあったもの。
天保7年の名寄一覧で、各置屋の太夫さんたちのお名前が記載されていました。音羽太夫はいなかった。
こんなにたくさん抱えられたってことは、随分栄えてたんだろうなあ。
そしてこの太夫さん皆が踊りの名手で文芸的な教養も持っていたなんて、随分素敵な街だったんだろうなと推測。島原住吉神社 寺・神社・教会
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あ、輪違屋さんだ!
島原住吉神社 寺・神社・教会
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久坂玄瑞の密議の角屋、という石碑。これ以外にも「新撰組刀傷の角屋」という石碑もあった。ほんとすごい。
角屋もてなしの文化美術館 名所・史跡
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角屋は揚屋、今でいうところの料亭で、芸妓さんがいるところ(置屋)ではないとのこと。混同していたのでこの説明書きや角屋さんの説明で理解できました。
それにしても、島原は吉原みたいな雰囲気になっていなくてよかった。今の吉原はなかなか行きづらい雰囲気だからね・・・。角屋もてなしの文化美術館 名所・史跡
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さて、時間になったので角屋へ!!
ここは2階が素晴らしいのだけど、写真撮影ができず・・・。
角屋さん、というか揚屋は元々、1階が居住部分と台所、2階がお座敷だったんだそうです(2階にお客様を「あげる」から揚屋!)。
ただ幕末の頃には揚屋のほとんどが1階を主なお座敷にして大宴会場になったんだそうです。
(その頃吉原は揚屋がなくなり、完全に遊郭になったんだそう)
2階のお座敷はそれぞれデザインが異なり、飽きさせない趣向になっていました。義太夫を唸る舞台がある間も。
青貝の間は壁中に螺鈿細工が敷き詰められていて、どれだけキラキラと素敵だったんだろうと想像します。
当時は蝋燭だったため、今は煤で真っ黒な壁になってますが、元々は浅葱色(ブルーグレー)だったんだそうです。
新選組の色だね。
ちなみに当時は「昼の如く照らす」ほど燭台が多かったのだそう。角屋もてなしの文化美術館 名所・史跡
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さて、ここは1階の松の間。
幕末にはここでも宴席が催されてました。
芹沢鴨をここでもてなし、さんざん酔っぱらわせた後で・・・八木邸にて謀殺したそうです。
ここで飲んだらいい気分にもなるよね。お大尽気分。角屋もてなしの文化美術館 名所・史跡
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これは新しいものなので煤で汚れていません。
ということは、江戸時代はこういう感じで襖絵が見れたのかな。(いや当時も煤の汚れはあっただろうし、やっぱりよく見えなかったのかもね)。角屋もてなしの文化美術館 名所・史跡
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廊下には柱がありません。見通しよく景色を楽しめるように。
角屋もてなしの文化美術館 名所・史跡
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臥龍松も素敵ですが、私はこういう中庭の方が好き。
角屋もてなしの文化美術館 名所・史跡
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この部屋はあまり外の明かりが入らず。そこがまた昔年の姿のようで良い。
角屋もてなしの文化美術館 名所・史跡
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こちらは台所。
邪魔にならないよう(蹴倒さないよう)灯りは上から吊るされてます。
また柱がなく動きやすいようになっていたそうです。(今は耐震上柱を入れていると言ってました)。角屋もてなしの文化美術館 名所・史跡
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西郷隆盛が使った盥。
第二次世界大戦末期、角屋も空襲による延焼防止で取り壊されるところだったのだけど、この盥があったおかげで取り壊しを免れたんだそうです。
明治維新の元勲だもんね。よかったー。角屋もてなしの文化美術館 名所・史跡
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こちらは玄関。この手間に刀置きがあり、腰のものは預かって刀箪笥に入れていたそうです。
新選組は市中見回りということで帯刀したまま座敷に上がっていたそうですが。
だから2階に暴れた時の刀傷があるそうです。
この暴れた原因は、ツケ飲みを禁止されたからだそうで。角屋もてなしの文化美術館 名所・史跡
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イチオシ
こちらも新選組の刀傷。
こういうものを見ることができるなんて、本当に感動しました。
子供の頃の自分に教えてあげたい。角屋もてなしの文化美術館 名所・史跡
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角屋さんの家紋です。
こちらを見学できて本当によかった。
なんだかじんときてしまい、ちょっと動けなかったです。
この後は壬生に移動してみようと思います。
飲んだ後ぶらっと家に帰る新選組の気持ちで。角屋もてなしの文化美術館 名所・史跡
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てくてく歩いて壬生寺へ。
やっぱり島原までは歩ける距離だったんだなあと実感。
当時の人になった気持ちになれて面白い。壬生寺 寺・神社・教会
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新選組隊士の墓所へ。
壬生寺 寺・神社・教会
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近藤勇さんがお出迎え。
壬生寺 寺・神社・教会
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芹沢鴨と平沢五郎の墓。綺麗に掃除されていました。
境内で新選組が過ごしていたかと思うと・・・感無量。本当にあるんだ。そしてそこに来れたんだと思うと。壬生寺 寺・神社・教会
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資料室を見てから次は八木家へ。
新選組の旗が立ってます。新選組屯所跡・壬生郷士八木邸 名所・史跡
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八木家は今は和菓子屋 鶴寿庵を営んでおられます。
見学とお茶&お菓子券がセット。
たまたま見学開始直後だったので混ぜてもらいました。新選組屯所跡・壬生郷士八木邸 名所・史跡
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芹沢鴨、近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助、新見錦、原田左之助、藤堂平助、野口健司、井上源三郎、平山五郎、平間重助、永倉新八が、こちらの八木邸を宿所としていたそうです。
狭い家ではないけれど、ガタイが良い若い男子がこれだけたくさんやってきて居候してきたら・・・正直うんざりすると思う。しかも暴れるわけだし!新選組屯所跡・壬生郷士八木邸 名所・史跡
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芹沢鴨らが角屋で酔っ払い、帰ってきていて寝ていたところに、沖田総司や土方歳三が踏み込んだそうです。
寝ていた和室、慌てて逃げ出した隣の書斎、つまづいた文机、切り付けた時に鴨居につけた刀傷・・・全て残っている。歴史を見ることができて感動。新選組屯所跡・壬生郷士八木邸 名所・史跡
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見学の後はお抹茶と屯所餅をいただく。屯所餅が美味しかったのでお土産にしてみた。
新選組屯所跡・壬生郷士八木邸 名所・史跡
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前川邸へ。ここは公開されていないそうなのだけど、中庭までは入ることができました。
旧前川邸 名所・史跡
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ヒジカタ君が殺陣を披露してました。
函館のキャラなんだそう。遠くまで出張お疲れ様です。旧前川邸 名所・史跡
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新選組とは関係ないけれど、壬生に来たら一度行ってみたかった清宗根付館へ。寝付は割と自由な枠組みでの創作なのが面白い。そして超絶技巧!
コレクションが多く、展示替えも多いようなのでまた来たいな。京都清宗根付館 美術館・博物館
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建物も素敵。ここも八木家や前川家と同様、壬生郷士の神先家の住宅とのこと。
京都清宗根付館 美術館・博物館
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次の目的地、光縁寺に向かう途中で見つけた可愛いタイルが貼られたもの・・・これ神様じゃないかな、仏様かな。
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光縁寺。
当時の住職がお葬式も出せない困窮した人も懇ろに弔っているのを知った山南敬助が親交を深めていたのだそう。その縁で、屯所で切腹した志士を弔ってもらったのだそうです。
当の山南敬助が3番目に弔われていたのが悲しいけれど。
山南敬助の他にも、藤堂平助、伊藤甲子太郎など28名の墓がありました。光縁寺 寺・神社・教会
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一番右が山南敬助。
ちょうどここで雨に降られてしまい・・・でも雨が似合うお寺だったかも。光縁寺 寺・神社・教会
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壬生散策はこれで終了。
ちょうどやっていた「新選組展2022」をみて帰りました。本当にちょうどやっていて・・・なんとラッキーな!
近藤勇の字がとても上手で驚き。しっかりして育ちの良い、真面目な人だったのでは、と思います。
斎藤一が近藤勇からもらった根付はつやつやで、とても大事にされていることがわかるものだったな。
資料が多くて読み込むのが楽しく、いい展示でした。
新選組をめぐる旅、これにて終了!京都府京都文化博物館 美術館・博物館
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