2022/10/15 - 2022/10/15
2位(同エリア263件中)
まほうのべるさん
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この旅行記のスケジュール
2022/10/15
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国重要文化財・古四王神社
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国等路K有形文化財・旧本郷家住宅
この旅行記スケジュールを元に
東北の三代地主、山形県酒田市の本間家、宮城県石巻市の斎藤家、秋田県大仙市の池田家。本間邸・斎藤邸は訪れていますが、池田邸は通年公開していません。池田邸の洋館1階は公開時に自由に見学できますが、2階は3日前までの予約のみのの見学です。紅葉時期には美しい庭園が見られるのでその時期に訪れるのがベストなのでしょうが、秋の公開は10月15日から。紅葉を待たず、さっそく出かけることにしました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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観光案内所 巨洲館(おおしまかん)
2013年観光案内所としてオープンしました。
旧高梨役場を模して建設されました。
駐車場(右隣)に車を停め、この建物に入っていきます。
観光用のパンフレットが置かれ、トイレもあります。
この建物の向かいに池田氏庭園の入口があります。 -
旧池田氏庭園
池田家は山形県酒田市の本間家、宮城県石巻市の斎藤家と並び、東北三代地主の一つです。本間家・斎藤家は今年訪れています。 -
旧池田氏庭園
旧池田氏庭園は、大正期の国内有数の千町歩地主だった池田家の旧邸宅です。
所有田畑1200町歩あり、小作人1250人を使っていました。門の両側にさらに脇口を構えるなど、大資産家の正門としての重厚さ、格式を表しています。 -
旧池田氏庭園
明治29年(1896)年の陸羽地震による主屋の倒壊を契機に、13代池田文太郎が周辺の耕地整理事業に合わせて屋敷地を拡張しました。 -
旧池田氏庭園
池田家の家紋は亀甲桔梗。 -
旧池田氏庭園
中央に亀が下を向いていますが、わかるかな? -
旧池田氏庭園
庭園は珍しい六角形の形をしていて、それは池田家の紋章である亀甲桔梗の六角形の紋章を意識したものだそうです。 -
イチオシ
旧池田氏庭園 洋館
大正11(1922)年に竣工され、秋田県内で初めて建てられた鉄筋コンクリート(RC造)の建物で、この建物は14代当主の池田文一郎が建てました。 -
旧池田氏庭園 予感
池田氏庭園は今年は4月29日~11月13日の公開で、洋館1階は通常見学できますが2階は特別公開期間のみ公開されます。10時・13時30分の2回で各10名、3日前までの予約が必要です。 -
旧池田氏庭園 洋館
池田家は多くの小作人をかかえる大地主ですが、病院を開設したり地域貢献にも尽力し、この建物は居住用でなく、地域の人達に利用してもらうように私設図書館として建てられました。 -
旧池田氏庭園 洋館
お客様を迎える迎賓館としても使われました。
玄関は開き戸で、イオニア式柱頭を備えた大理石の柱でイタリアから取り寄せたと伝わる白色大理石が使われています。 -
旧池田氏庭園 洋館
外壁は光沢のある磁器タイル貼りでところどころにモルタルで装飾が施されています。庭園が平成16年、国の名勝に選定されたことから、平成18年から5年間で修復されました。 -
旧池田氏庭園 洋館
角館の銅板屋根の下葺きを行い、国選定保存技術保持者の金唐革紙政策技術者が内装壁紙の復原にあたりました。ハクジタイルの復元は、多治見市の製陶会社が行い、漆喰は現場にノリ炊きから材料の調合まで昔の製法で作りました。 -
旧池田氏庭園 洋館
修復の総工費は2億8000万で、国と大仙市がが半分ずつ負担しています。
後期は平成18年8月~平成22年10月。 -
旧池田氏庭園 洋館
保存修復は建物の修復と同時に様々な歴史的調査が工事と平行して行われました。 -
旧池田氏庭園 洋館
洋館の間取図を見ると、思ったより小さいみたい。 -
旧池田氏庭園 洋館
洋館は3日前に11時で予約しています。時間まで自分で見学しようとしていましたが受付にいったところ、洋館見学の時間まで庭園のガイドをしてくださることに。 -
旧池田氏庭園 洋館
他に見学している人たちと一緒にならないように、洋館から案内してもらいました。
庭園も事前予約でガイドをしてもらえますが、庭園の予約はしていなかったので、嬉しい誤算でした。 -
イチオシ
旧池田氏庭園 洋館
玉突室
ビリヤード台は穴のないキャロムテーブルというタイプです。
穴のないビリヤードってあるんだね。 -
旧池田氏庭園 洋館
玉突室
キャロムビリヤードは自分の撞いた手玉が2個の的球に当たれば得点になるゲームです。海外ではフレンチビリヤードとも呼ばれています。 -
旧池田氏庭園 洋館
玉突室
ビリヤードの点数台も残されています。 -
旧池田氏庭園 洋館
玉突室
窓を上げていき手を離すとしっかり止まります。壁にワイヤーがあるためだそうです。 -
旧池田氏庭園 洋館
玉突室
見学者は私1人。
ガイドをしてくださるのは『先生』と呼ばれる男性で、女性スタッフが『一緒に同行しても良いですか?』と聞かれ、私・先生・女性スタッフの3人で見学をしていきます。 -
旧池田氏庭園 洋館
玉突室
洋館の窓ガラスは、創建当時のものと洋館半解体修理の際に交換した現代のガラスが混在しています。現在では入手の難しい型ガラスもあり、色や模様に近い型ガラスを探したそうです。 -
旧池田氏庭園 洋館
食堂兼音楽室
国内で金唐革紙の壁紙を使用している建物が紹介されています。 -
旧池田氏庭園 洋館
食堂兼音楽室
金唐革紙を修復するために、版木ロール作りから始められました。 -
旧池田氏庭園 洋館
食堂兼音楽室
足踏みオルガン、どんな音色が聞けるんだろう。 -
イチオシ
旧池田氏庭園 洋館
食堂兼音楽室
食堂兼音楽室や玉突室が設けられているのは、地域青年の交流の場として、また池田家を訪れた方々をもてなす迎賓館としても利用されました。 -
旧池田氏庭園 洋館
食堂兼音楽室
シャンデリアは好きなので必ず写真撮っちゃうよ。 -
旧池田氏庭園 洋館
食堂兼音楽室 -
旧池田氏庭園 洋館
食堂兼音楽室
金唐革紙の壁紙はヨーロッパで高級壁紙として使われていた金唐革を、和紙を使って真似たものです。 -
旧池田氏庭園 洋館
食堂兼音楽室
ヨーロッパの金唐革よりも品質が良かったので、逆に輸出していました。旧日本郵船小樽支店など10件で見ることが出来ます。 -
旧池田氏庭園 洋館
食堂兼音楽室
手漉き和紙の製作から、最終工程となる古色塗りまでの工程段階を現すサンプルを作製し次の修理に備えます。多くの手間と時間がかかりますね。 -
旧池田氏庭園 洋館
食堂兼音楽室
版木ロール
1階の壁紙は池田家の蔵に未使用の壁紙があったことから、それを基に版木を掘り起こし、当初の工程に従って作成したものです。 -
旧池田氏庭園 洋館
洋館の1階は自由に見学できますが、2階は特別公開期間だけ見学が出来ます
秋の公開は今日からです。基本的に事前予約は苦手なんだけど、仕方がないかな。 -
旧池田氏庭園
スリッパをはき替え、テラスから庭園を眺めます。 -
旧池田氏庭園
テラスは小さいけれど、目の前に素晴らしい景色が広がります。 -
旧池田氏庭園 洋館
池田家には洋館建設当時の日誌が残されているそうです。
その日誌によると、設計者は秋田市出身の建築家今村敬輔(建築当時は東京在住)が担当しました。 -
旧池田氏庭園 洋館
食堂
建築の用途は図書館で村民に開放、後に1階を事務室、2階を会議室として昭和37(1962)年まで使用されていたと記録されています。 -
旧池田氏庭園 洋館
食堂
家具・調度品を含めた建設費は、10万2568円と記録されています。
洋館が竣工したのが大正11年で大卒の初任給が50円、米1升が50銭の時代に、巨額のお金を
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旧池田氏庭園 洋館
食堂
24金メッキのシャンデリア
この部屋が一番豪華な照明です。 -
旧池田氏庭園 洋館
食堂
戦後の洋館集会などに使用されていましたが、昭和37年度からは使用の記録がありませんでしたが、平成16年国の名勝に指定され一般公開され、長年の未使用で損傷が激しかった洋館を修復することになりました。 -
旧池田氏庭園 洋館
食堂
壁紙には現在では極めて貴重となった金唐革紙が使われています。国会議事堂の執務室で使われていたものと同一柄の壁紙が2階食堂で使用されており、洋館修復工事のおり復原が行われました。 -
旧池田氏庭園 洋館
食堂
2階の金唐革紙は版木が保存されていたため、その版木で再現されています。
偶然、東京の製紙工場で同じ版木棒が発見され『紙の博物館』で収蔵されていました。 -
旧池田氏庭園 洋館
食堂
修復工事において国選定保存技術保持者の上田尚氏(金唐紙研究所代表)により復原されました。金唐革紙は大正中期以降、徐々に数体していきましたが、旧日本郵船小樽支店の壁紙修復が行われたのをきっかけに、再びその製作が行われるようになりました。 -
旧池田氏庭園 洋館
食堂
特製の和紙を手漉き(楮・三椏)→スズ箔貼→模様打込み→ワニス塗り(二度塗り)→着色・古色塗り。完成まで非常に多くの手間と時間が掛かることは解ります。 -
旧池田氏庭園 洋館
食堂
西洋では建物の壁飾材として、なめした牛革などに押型を施していたものを使用していました。金唐革紙とは西洋の『革製』壁飾材を、日本の優れた和紙の技術により再現した『擬革』壁紙です。 -
旧池田氏庭園 洋館
食堂
革製に劣らない厚みや模様などの風合いを持つことから、海外にも輸出され高い評価を得ており、英国のバッキンガム宮殿の壁にも用いられました。 -
旧池田氏庭園 洋館
食堂
洋館といえば必ずと言って置かれているのが暖炉。
でもこの建物には暖炉は一つもなく、石油ストーブが使用されていました。 -
旧池田氏庭園
金が加わると可愛さからゴージャスに変身。 -
旧池田氏庭園 洋館
図書館
池田家は明治9年には耕地約300町歩、明治10年代には約500町歩を所有、大正13年には1046町歩所有し池田家の最盛期を築きました。 -
旧池田氏庭園 洋館
図書室
池田家は食糧難の時に私財で秋田県で初めて旧高梨村(現大仙市仙北)の学校給食を始めました。 -
旧池田氏庭園 洋館
図書室
旧池田氏庭園の隣には池田家が寄贈した土地に、幼稚園が建てられています。 -
旧池田氏庭園 洋館
閲覧室
池田家では地域の人々のために学校給食・病院を建てる資金提供したり様々なことをしたので、地主と小作人の間で闘争などは全くなかったそうです。 -
旧池田氏庭園
洋館の2階が見学できるのは特別公開のみなのは、一度に大勢の人たちが見学するには構造上危険だということだそうです。 -
旧池田氏庭園
洗面所は庭を眺められるように設置されています。 -
旧池田氏庭園
様式のトイレだったら、窓から外の景色が楽しめたんだけど、この時代には様式トイレなかったんだよね。 -
旧池田氏庭園
男子用便器は庭を向いて造られています。 -
旧池田氏庭園
広い庭園には、木で出来ている遊歩道が設けられています。 -
旧池田氏庭園 米蔵
米蔵の面積は165?でぴったり100畳サイズ。
約6000俵の米俵が収蔵されます。 -
旧池田氏庭園 米蔵
米俵ははしごを使って積み上げていました。
旧家の屋敷内米蔵では県内最大級を誇ります。 -
旧池田氏庭園 米蔵
法隆寺金堂壁面に3度挑んだ仏画家・鈴木空如 -
旧池田氏庭園 米蔵
施工不良ではなく耐震を考慮し、裄行方向の柱が両側とも打つ側にほんの少し傾いています。補強の鉄骨柱。 -
旧池田氏庭園 米蔵
広大な天井を支える三本の棟木。
真中の棟木は全長25mの一本の杉丸太。切り出し前の全高は、おそらく倍程度で天然記念物です。 -
旧池田氏庭園 味噌蔵
味噌蔵は大正時代に建てられ、1階は味噌・醤油を醸造し、2階は池田家の什器を収納していました。 -
旧池田氏庭園 味噌蔵
六尺桶
直径1.8m(6尺)高さ2mで約6トンの味噌を醸造可能です。 -
旧池田氏庭園 味噌蔵
味噌蔵に保管されている大型ソリ全長7,6m。
クリ材で水に強く氷結しにくいのでソリ材に適していて、積雪期に建物の曳家や、庭園の景石・石材の運搬に利用されていました。 -
旧池田氏庭園
段々状に小さな滝が造られてていて(今は水が流れていないけれど)、音を楽しむために段になっているそうです。 -
旧池田氏庭園
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旧池田氏庭園
コンクリートの物体は、防火水槽を兼ねたプール。
本宅から子供が遊んでいるのが見られるよう造られたそうです。 -
旧池田氏庭園
昭和27年の火災で本宅は焼失ししまいます。
この蔵はその時の跡が。 -
旧池田氏庭園
調理場では家族用・支配人用・番頭用・使用人の賄と別れていて、1日2俵、スチーム釜3台で炊かれ、残ったご飯は正門前におにぎりにしておかれ、地域の子供に分け与えられていました。 -
旧池田氏庭園
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旧池田氏庭園 調理場跡
大正時代の最盛期の使用人は、支配人・番頭30人・女中・若勢・調理人・警備員・大工庭師などが40人・うち30人ほどが住み込みで農繁期には日雇いが80人、計150人を数えました。 -
旧池田氏庭園
横蔵・中蔵・西蔵
右側・西蔵は14代当主に嫁入りした、アツコ夫人の嫁入り道具を収めるために建てられました。 -
旧池田氏庭園 多目的交流施設
池田家の旧居宅の一部を改装してつくられた建物です。 -
旧池田氏庭園 多目的交流施設
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旧池田氏庭園 多目的交流施設
自由に利用でき、広い庭園を歩いた後に休んだりできます。 -
旧池田氏庭園 多目的交流施設
建物の中には洋室もあります。 -
旧池田氏庭園
庭石は凸凹になるように置かれているそうです。 -
旧池田氏庭園
庭園は近代造園の祖また近代公園の先駆者とも称される造園家『長岡安平』の雪渓により、大正時代の初めごろに完成しました。 -
旧池田氏庭園
長岡安平は明治・大正期に活躍した現長崎県出身の造園家です。
自然風景を基調とし、庭園に社会性を持たせ、家族の利用などにも考慮した、新しい時代(近代)の造園理念のもと、全国に優れた公園や庭園を多数造営しました。 -
旧池田氏庭園
秋田市の千秋公園も造営しましたが、この公園が全国に名を広めるきっかけとなった『公園』代表作です。明治維新による近代の幕開けを契機に、全国各地の藩政期期の城址を、一般市民が憩い楽しむためのば『公園』として整備することに手腕を発揮しました。 -
旧池田氏庭園
庭園の一角が公園になっていて、地元の人々の憩いの場所となっていました。 -
旧池田氏庭園
滑り台やブランコもおかれていました。 -
旧池田氏庭園
四阿跡ですが『』あずまやは『東屋』という漢字のみだとおもっていたので、『四阿』と書かれていて驚きました。ひとつ賢くなった気がします。 -
旧池田氏庭園
主庭園と奥庭を繋ぐ敷地には善導寺型灯籠が置かれています。
中台の側面にはハート型が刻みこんでいます。 -
旧池田氏庭園
善導寺型灯籠は京都市役所近くにある善導寺がもととなっていて、火袋に茶道具が彫られています。 -
旧池田氏庭園
長岡安平は東京の芝公園ない『紅葉谷』や、札幌大通公園の設計のほか、日比谷公園の初期設計にも参画しています。 -
旧池田氏庭園
長岡安平の言葉『そう演歌の覚悟』
庭園は一つの芸術である以上、庭園設計家は芸術家でなければならない。庭園には作者の人格が現れているのであるから、造園家は先ず以って品性を陶冶し高尚なる人格を持っていなければならない。 -
旧池田氏庭園
江戸型三本足雪見灯篭
『技術を金銭に屈せしめてはならない。自分の全智全人格を注げ。この業に入って富を得ようと言うのは間違い。優れた作品が報酬』 -
旧池田氏庭園
江戸型三本足雪見灯篭
灯籠の石は男鹿石で、男鹿半島から搬出したようです。池田家の蔵で保管されている巨大なソリで灯籠の石や庭園の景石を運んだようです。 -
旧池田氏庭園
池田家の精神ともいえる理念は、旧池田氏庭園の真価は、人々の営みの長い積み重ねを現す田園と散村の風景の中に一体となって構成されていることにあります。 -
旧池田氏庭園
高さ・笠の直径とも4mという巨大な灯籠。
笠の大きさは8畳にもなるそうです。 -
旧池田氏庭園
紅葉にはまだまだ早いけど、少し色づいていて キレイです。 -
イチオシ
旧池田氏庭園
江戸型三本足雪見灯篭
灯籠は見る角度によって2本足に見えたりします。 -
旧池田氏庭園
現代当主16代目は江戸時代から続く黒湯温泉の経営者でもあります。
銀行に勤められていて退職後に温泉の経営に携わったそうです。 -
旧池田氏庭園
黒湯温泉の経営者としては3代目。
日本に熱烈に来たいと思っている外国人を日本に招待する番組で偶然に黒湯温泉が映っていて、この時、16代当主が黒湯温泉のオーナーになっていることを知りました。 -
旧池田氏庭園
池田氏庭園も紹介されていました。
黒湯温泉は田沢湖乳頭温泉郷にあり、11月中旬から4月中旬までお休みになっています。 -
旧池田氏庭園
『東山是レ築山、河川之レ泉水。家を巡レル田面ニ黄金ノ波打テル此れワガ無上ノ庭園ナリ』
旧池田氏庭園の真価は、人々の営みの長い積み重ねを現す田園と散村(散居)の風景の中に一体となって構成されていることにあります。 -
旧池田氏庭園
正門前に一面の田園が広がる風景は、近代の千町歩地主屋敷の中ではめずらしい景観です。 -
旧池田氏庭園
旧池田氏庭園の見学を終え、古四王神社に移動します。 -
国重要文化財 古四王神社
車だから移動もスムーズ に出来るけど、公共機関の利用では旧池田氏庭園からの移動はちょっと体変かな。 -
国重要文化財 古四王神社
数台駐車できる専用の無料駐車場があります。
線路に近いけれど静かな場所に位置していて、見学者はいないので一人静かに見学します。 -
国重要文化財 古四王神社
元亀元年(1570)年卯月に当時の城主富樫左衛門太郎勝家が、領主戸沢氏の奉行としてこの地へ大曲土屋館から移った際に建立したもので、祭神は大彦命です。この神社は前からこの地にあったものですが、あまりにも壊れているので城主が再興した
ものです。 -
国重要文化財 古四王神社
幣殿の梁は紅梁ともいい、これに彫刻している菊の浮き彫りがあり、これは『稀に見る傑作』と言われています。菊の浮き彫りの上に、おしどりを図案化したかえるまたと言われる支えがあります。 -
国重要文化財 古四王神社
この神社の建築技法は『和、唐、天』という当時の建築士の三洋式を完全に融合超越した素晴らしいものです。美術建築の最高権威であった東大教授伊東忠太博士は『奇中の奇、珍中の珍』と感嘆され、京大教授の天沼俊一博士も『和、唐、天を超越した天下一品の建物』と絶賛しています。 -
国重要文化財 古四王神社
こも建築の作者は古来から飛騨の匠と言い伝えられてきましたが、昭和五年、文部省の解体修理の時『古川村(岐阜県飛騨市)大工甚兵衛』と書かれた墨書が出て、伝説の通り飛騨の匠の作とわかっています。 -
国重要文化財 古四王神社
神社の本殿は、入母屋造、千鳥破風、二重繁垂、妻入り、一間社で総体にわたって室町時代末期の特色を濃厚に見せています。 -
イチオシ
国重要文化財 古四王神社
屋根の組物は、一本も釘を使用せず、木材の組み合わせによって、重い屋根を支える仕組みになっています。 -
雄物川と横手川の合流点に位置する角間川。
江戸時代、角間川港に集められた米穀は北前船によって日本海沿岸から上方まで運ばれました。角間川は舟運の要所となり大いに半壊死し、その中で商業的な地主が私立氏、明治期には県内を代表する地主街になりました。 -
旧本郷家住宅
平成まで住まいとして使われた建物は、現在は地域住民により守り活用されています。旧本郷家住宅・旧北島家住宅・旧荒川家住宅の三軒続きの建物。 -
旧本郷家住宅
明治29年の陸羽地震により被災し、明治33年に全面改装された建物です。
入場料は無料で、旧本郷家住宅のスタッフの方だと思っていたら、民謡の催し物があって座敷3部屋を使用していたので、見学できませんでした。 -
旧本郷家住宅 帳場
本郷家は、江戸時代元禄期(18世紀初頭)、現在の横手市本郷地区から角間川に奉公に来た庄兵衛が独立して吉右衛門を名乗り、本郷家の始祖となりました。 -
旧本郷家住宅 オエ(客間)
3、95mの高い天井、漆塗りケヤキの差鴨居や柱、瀟洒な建具で上客をもてなします。 -
旧本郷家住宅
本郷家は江戸時代元禄期(18世紀初頭)、現在の横手市本郷地区から角間川に奉公に来た庄兵衛が独立して吉右衛門を名乗り、本郷家の始祖となりました。 -
旧本郷家住宅
3代目吉右衛門が雄物川舟運により角間川そして大阪で商いを大きくし、天明期(18世紀後半)には耕地を集約し在方商人となり、明治期には秋田三大地主と言われました。 -
旧本郷家住宅
見学できなかった3室並んだ座敷農地の奥の間は、落とし掛け・廻縁・欄間に黒柿材・床柱は芯去り四方柾の天然秋田杉。 -
旧本郷家住宅 オエ(客間)
柱・差鴨居・敷居・縁坂全てケヤキ材で造られています。 -
旧本郷家住宅
両面障子 -
旧本郷家住宅 オエ(居間)
海老虹梁(S字に曲がった木材を利用した登り梁)
女中部屋への階段箪笥 -
旧本郷家住宅 オエ(居間)
2階手摺の股・流水文
所々に高度な技巧による社寺建築の意匠を凝らしています。 -
旧本郷家住宅 海老虹梁
主屋・洋館・文庫蔵・味噌蔵は、平成28年11月29日に登録有形文化財に登録されました。 -
旧本郷家住宅
本郷家は雄物川舟運により角間川が繁栄を極めた明治中期には『池田甚之助(旧高梨村)、『辻平吉』(秋田市)に次ぐ秋田三代地主です。 -
旧本郷家住宅 文庫蔵
慶応3(1867)年に着工し、明治2(「1869)年に棟上げした江戸時代の趣きを残す内蔵。 -
旧本郷家住宅 文庫蔵
1階の長押には北山杉を用い、2階の大梁はケヤキ、柱はクリで美しい漆が塗られています。長手方向に設けられた棚の長押しには8間通しの北山杉が使われています。 -
旧本郷家住宅 明治天皇・玉座
明治14(1881)年9月の明治天皇東北巡幸の際、本郷家に行在所(宿泊所)が置かれ、6代のみ拝謁しました。この時新築した行在所は間もなく解体したが、天皇の御座所跡に四角い石を置いています。 -
旧本郷家住宅 文庫蔵
内蔵を見ると横手の増田を思い出します。
雪国は外に蔵があると傷みがひどくなるので、建物の中に蔵があるのだと納得してしまう。 -
旧本郷家住宅 旧風呂場(勉強室)
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旧本郷家住宅 洋館
洋館には和室2部屋と書斎・応接間の洋室2部屋があります。
廊下を挟んで和室と洋室になっています。 -
旧本郷家住宅 洋館 書斎
書斎は多忙な仕事の合間に読書などにて、8代当主本郷太郎氏の供用を高める場所となっていました。 -
旧本郷家住宅 洋館 応接間
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旧本郷家住宅 洋館
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旧本郷家住宅 洋館
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名勝旧池田氏庭園を作庭した造園家・長岡安平による庭園設計図や設計書などが現存します。主庭はおおむね設計図に沿って造園されています。
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旧本郷家住宅 洋館
昭和3(1928)年に8代本郷太郎の結婚を機に建てられました。ドイツ壁風の外観で、洋室は詩人・本郷隆記念室となっています。 -
旧北島家住宅
北島家は、江戸時代に越後から移り住み、定住後、油屋、酒造業、米を扱う商人になりました。7代目北島虎之助は明治22年初代角間川町長、群会議員、県議会議員を務めています。
内蔵は火災対策に様々な工夫されていて、鉄製の窓扉は火災時には熱により金具が外れ扉についた戸車が斜めのレールを下り自動的に扉が閉まる仕組みなっています。。 -
旧北島家住宅
主屋北座敷は明治14年明治天皇御巡幸の際に建てられ、北白川見たが宿泊為さて建物で、数寄屋風の意匠が見られます。 -
旧荒川家住宅
荒川家は江戸時代の中期から第二次世界大戦前にかけての在方商人地主でした。秋田藩の御用に携わる大商人とない、隣家の北島家とともに苗字帯刀が認められました。平成30年度に大規模な改修を行い、御三家の受付や角間川地区の町歩きの拠点になりました。 -
マロンソフトクリーム
溶けてきちゃったよ。
早く食べなくちゃ。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- aoitomoさん 2022/11/17 23:53:33
- 準備万端で旧池田氏庭園&住宅巡り楽しめましたね~
- まほうのべるさん こんばんは~
『旧池田氏庭園』
大きな庭園からして池田家の紋章の亀甲桔梗の六角形を模して作ってしまうとは驚きます。
大きな米蔵や味噌蔵もあって多くの使用人とともに暮らしていたことも想像できます。
準備万端、しっかり予約をして2階の見学もできてがっつり観光できましたね。
庭園は事前予約なしでガイドをしてもらえたのもラッキーです。
ビリヤード台の穴のないキャロムテーブルは知りませんでした。
金唐革紙の素晴らしさにも感動します。
乳頭温泉郷の黒湯温泉の経営者が現代当主16代目というのもびっくり。
確かに黒湯温泉の代表取締役社長も池田さんでした。( ´艸`)
紅葉の時期の黒湯温泉にも訪れたくなります。( ´艸`)
『旧本郷家住宅』
確かに文庫蔵(内蔵)を見ると、
横手の増田を思い出しますね。
今回はさらには『旧北島家住宅』や『旧荒川家住宅』なども含め、
色々見学出来て満喫できましたね~
aoitomo
- まほうのべるさん からの返信 2022/11/20 10:53:27
- RE: 準備万端で旧池田氏庭園&住宅巡り楽しめましたね?
- > まほうのべるさん こんばんは?
こんにちは、aoitomoさん。
いつも書き込み有難うございます。
> 『旧池田氏庭園』
> 大きな庭園からして池田家の紋章の亀甲桔梗の六角形を模して作ってしまうとは驚きます。
> 大きな米蔵や味噌蔵もあって多くの使用人とともに暮らしていたことも想像できます。
池田家は東北三代地主の一つで、邸宅が焼けてしまっていて邸宅跡しか見られなかったのは残念でしたが、とても大きな建物で使用人をたくさん使っていました。ガイドしてくれた方にお聞きしましたが、莫大な費用と当時使用していた材木など入手こんなこともあり再現する予定はないそうです。
> 準備万端、しっかり予約をして2階の見学もできてがっつり観光できましたね。
> 庭園は事前予約なしでガイドをしてもらえたのもラッキーです。
洋館はこぶりな建物で、大勢で2階に上がると建物の構造上危険だということで2階は予約のみでの見学にしているそうです。先生と呼ばれるガイドさんに丁寧に案内していただきラッキーでした。
> ビリヤード台の穴のないキャロムテーブルは知りませんでした。
> 金唐革紙の素晴らしさにも感動します。
ビリヤードってすべて4隅に穴が開いているいるのだと思っていました。
金唐革紙については1階・2階とも詳しい説明がされていて、とても勉強になりました。
> 乳頭温泉郷の黒湯温泉の経営者が現代当主16代目というのもびっくり。
> 確かに黒湯温泉の代表取締役社長も池田さんでした。( ´艸`)
> 紅葉の時期の黒湯温泉にも訪れたくなります。( ´艸`)
池田家16代当主が黒湯温泉のオーナーだということは、日本に来たいと熱烈に思っている外国人を日本に招待するというTV番組で偶然知りました。旧池田氏庭園の紹介もあえいました。16代当主は銀行にお勤めしていて、退社後に黒湯温泉のオーナーになったようです。
> 『旧本郷家住宅』
> 確かに文庫蔵(内蔵)を見ると、
> 横手の増田を思い出しますね。
内蔵といえば増田ですよね。
秋田の豪雪地たちは蔵を守るために、立派な内蔵が多いです。
> 今回はさらには『旧北島家住宅』や『旧荒川家住宅』なども含め、
> 色々見学出来て満喫できましたね?
修復中の建物もあり十分には見学はできませんでしたが、建物見学はとても楽しかったです。
まほうのべる
-
- yunさん 2022/11/15 18:58:10
- 秋田へ
- べるさん こんばんは
小振りなれど、すっきりとした美しい姿の洋館ですね。
大資産家で、地域貢献を惜しまなかった池田家は
現在でも好意をもって、現地で保存活動がなされているのでしょうね。
米蔵、味噌蔵なんてあるんですね。
金唐革紙/きんからかわし
とても繊細な技法、海外にも引き合いがあった事に納得です。
版木がロール状とは、初めて知りました。
足踏みオルガンが懐かし~い。
私が小学生の頃は、珍しくなく学校で使ってました。
踏むとパフパフって空気の音がした。今思えばとてもエコだった。
洋館2階の「短い公開期間」と「要予約」にめげずに行った甲斐あり!
ドライブの腕、ますますアップだ♪♪
yun
- まほうのべるさん からの返信 2022/11/16 22:00:33
- RE: 秋田へ
- > べるさん こんばんは
こんばんは、yunさん。
いつも書込み有難うございます。
> 小振りなれど、すっきりとした美しい姿の洋館ですね。
> 大資産家で、地域貢献を惜しまなかった池田家は
> 現在でも好意をもって、現地で保存活動がなされているのでしょうね。
> 米蔵、味噌蔵なんてあるんですね。
この当時の大地主たちは地域の人たちのことを考えて、長期間にわたって仕事が出来るように大きな家を建てることが多かったようです。池田家では洋館に図書館を作り地域の人たちに利用してもらっていました。
> 金唐革紙/きんからかわし
> とても繊細な技法、海外にも引き合いがあった事に納得です。
> 版木がロール状とは、初めて知りました。
金唐革紙について詳しくい解説があり、とても興味深く見学しました。1階・2階ともに金唐革紙が使われていて、版木は初めて見ました。
> 足踏みオルガンが懐かし?い。
> 私が小学生の頃は、珍しくなく学校で使ってました。
> 踏むとパフパフって空気の音がした。今思えばとてもエコだった。
昭和の小学校の各教室にはオルガンがあって、先生がオルガンをひいてその周りを生徒たちが囲んでいるというイメージが浮かびます。
> 洋館2階の「短い公開期間」と「要予約」にめげずに行った甲斐あり!
> ドライブの腕、ますますアップだ♪♪
予約は苦手なんですが、内部見学がしたくて予約しました。
2階は多くの人が入場すると構造上危険だということで、人数が制限されているそうです。
運転技術は全くダメですが、日帰りドライブ旅とても気に入っています。
まほうのべる
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