2022/10/12 - 2022/10/12
99位(同エリア334件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1763冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,465,147アクセス
- フォロワー169人
40年程前の日曜日の昼前に父から「そばを食べに行こう。」と誘われました。断る理由もないのでついて行くと駅前の蕎麦屋ではなく電車に乗って西武池袋線の椎名町駅まで行きます。そこからしばらく歩いたところに普通の店構えの蕎麦屋がありました。なんでこんなところまで蕎麦を食べに来たのだろうと思いました。カウンターを横に見ながらテーブル席に座って、しばらくして出てきたもりそばは衝撃的な美味しさでした。その後何度か行く機会はありましたが、最初に父と行ったことが一番記憶に残っています。数年してその店の主人は蕎麦打ちだけではなく、蕎麦の栽培から関わるということで山梨に越してしまったと聞きました。それが「翁」との出会いでした。かなり山の中に越したらしいのでもう食べに行く機会は無いだろうと思っていました。昨年クラブツーリズム社の旅行のパンフレットを見ていると小淵沢周辺の日帰りツアーがあり、前から行ってみたいと思っていた「清春芸術村」がコースに入っていました。申し込みしようと思い読み込んでみると65歳以上限定のツアーと分かりました。これでは妻だけしか行けないので申し込みは出来ず、人気もないツアーだったようで催行中止になっていました。ならば自分で電車で行って、タクシーや路線バスで移動しようと考えましたが意外に面倒だと分かりました。そんな思いを友人にしていたら「いいよ。車を出すから一緒に行こうよ。」と言ってくれました。具体的に予定を考えると「清春芸術村」のほとんど隣に「長坂に越した「翁」の店があると分かり、組み合わせることもてきました。元々の「翁」の主人だった高橋さんのお弟子さんだった方が営業されているようです。さらに思い入れのキース・へリング美術館」も近い場所にあるので連れて行ってもらうことになりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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午前8時に地元を出発して、友人ご夫婦の車に乗って4人で日帰り旅行に出ます。下りのEXPASA談合坂には予定より早い午前9時30分に到着しました。お土産コーナーを見ているといかにも美味しそうな「自家製麺ほうとう」と「おざら」がありました。どちらも600円で3人前で美味しそうです。いつもお土産を買っていく友人たちにもお土産にしようと思いましたが、冷蔵だったので帰りに買うことにしました。自家用の分は買い求めておきましたが、上りのEXPASA談合坂には売っていませんでした。
フードスクエア 談合坂SA(下り) 道の駅
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春の信州の旅で久しぶりに乗った「あずさ」か「かいじ」が東京に向かって走っています。
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正面に南アルプスの山々が見えてきます。右の三角形が甲斐駒ヶ岳で、地蔵岳、観音岳、薬師岳の塊があり、雪が無いので分かりにくいですが、北岳と間ノ岳もシルエットで確認できます。
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八ヶ岳の左から編笠山、権現岳、三ツ頭、阿弥陀岳、赤岳、横岳です。中学生の頃に北アルプスの主峰の多くを登り、高校生の頃は南アルプスに移っていました。一緒に登った父はいなくても、山の姿を見ればその頃の思い出が蘇ります。
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予定より少し遅れた午前11時過ぎに長坂インターチェンジを下ります。ハイウェイバスを利用するとここで降ろされ、タクシーを呼ばなければなりません。自家用車で連れてきてもらわなければ妻には却下された旅でした。
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地元を出るときにカーナビには電話番号を登録してあるので助手席に座っていてもナビする必要はありませんでした。まずは「翁」に向かっていますが、次に行く「清春芸術村」のラ・リューシュというギュスターブ・エッフェルの設計した建物が見えました。
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この辺りには「アフリカンアートミュージアム」もあります。アフリカだけではなく妻と尋ねた中国の少数民族の衣装なども収蔵されているようで、観に行きたいところですが、今回は時間の余裕はありません。
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ナビを頼りに長坂「翁」に到着しました。有名な店なので車がたくさん来て混雑していると思ったのですが拍子抜けです。一瞬、休みじゃないよなということも頭をよぎります。
翁 グルメ・レストラン
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近くまで来ると店内には電灯がともり、1組の先客もいらしたので一安心です。
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営業中の看板も確認したので入る前に表の写真も撮っておきます。この後混んでしまったら写真も撮れないかもしれません。この三角形は蕎麦の実の形なのだろうかと想像してしまいます。父の生まれ育った家にもあった石臼が懐かしいです。
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眺めの良い角の4人席に座り、全員で「八ヶ岳セット」を注文しました。当初の予定ではここで軽くもりそばでもいただいて、「清春芸術村」に併設された「素透撫 stove」というフレンチの店を考えていました。ところが今週は月曜日が祭日で臨時営業したので水曜日が臨時休業ということでした。
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「八ヶ岳セット」の湯葉は出来立ての甘い大豆の味がしました。そのままでも美味しいですが、麺つゆを少しかけて味を調整しました。
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焼みそは南長崎の「翁」で初めて食べて感動した記憶があります。この店の焼みそも美味しかったです。このメニューでは日本酒なので「大雪渓季節の純米酒」とメニューには無い「王祿 」だったかな?それぞれ1合づついただきました。
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地元の農家の卵で作った卵焼きもいただきます。
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肩肘をついて、なんか貫禄があります。いい飲みっぷりです。
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「八ヶ岳セット」はこの後にもりそばが来るので、田舎そばも1枚追加でお願いしました。ノンアルコールビールを飲んでいる友人には申し訳ないですが日本酒が美味しいです。
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自分でも十数年蕎麦を打っていますが、蕎麦粉ではなく乾麺をお土産にしようと思いましたが残念ながら売り切れとのことでした。
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いいタイミングでもりそばが出てきました。細めのきれいな蕎麦です。こんな蕎麦が打てたら幸せなのですが一生叶わないでしょう。
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続いて田舎そばも来ました。見た目も違いますが、味も歯ごたえも全く違います。ここでは両方をいただきたいものです。
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自分で打つとこれくらいが限界です。確認しませんでしたが、10月上旬から新蕎麦になっているのではないでしょうか。
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デザートの自家製アイスクリームも美味しかったです。上に乗ったシャインマスカットがとても合います。
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最初のお客さんが帰ると次に1組、次に1組と来店され、1組帰られて…。そんな感じでお店の込み具合もとても良かったです。
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お昼は「清春芸術村」の中にある「オーガニックレストラン ラ・パレット」で摂る予定でしたが、ここでお腹いっぱい食べてしまいました。ところがこの店も臨時休業だったのでここで満足いくまで食べて正解でした。
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友人夫婦もとても気に入ってくれて、「また来たいから一緒に来ようね。」と言ってくれてよかったです。
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店で使われていた日本酒の方口やぐい呑みや箸置きが売っていました。信楽で造られた織部釉のようです。三越で個展をされるほどの方なので何か買ってきても良かったかなと思います。
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30年ほど前に滋賀県の大津で仕事をしていた時に信楽の若い陶芸家の方と知り合いになりました。比較的年齢も近く、楽しく仕事をさせてもらいました。その後疎遠になっていますが、彼の造った織部釉の角皿は鮎を焼くときに使っています。信楽には奥田さんという名字が多いのですが、下のお名前を失念していて探すことも出来ないでいます。
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庭先にはガマズミが赤い実を付けていました。桜の後ぐらいに密集して小さな白い花を付けますがあまり好きではありません。赤い実を付けたところは初めて見ましたがなかなかきれいなものだと思えました。
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「翁」を出て通りに出ると富士山がきれいに見えました。次に行った「清春芸術村」からは見えなかったので、ここで写真を撮っておいて良かったです。
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タチバナモドキがきれいな実を付けていましたが、ずいぶん黄色い感じがしました。
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「清春芸術村」の駐車場に車を停めるとその隣に当初お昼を食べるはずだった「素透撫 STOVE」の建物がありました。月曜日と火曜日が休みで、水曜日に来るので大丈夫だと思って予約の電話を入れると月曜日が祭日で臨時営業したので、水曜日が振り替え休業ということでがっかりです。
素透撫 グルメ・レストラン
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現代美術作家の杉本博司がデザインした店なので絶対に来たいと思っていたので臨時休業を知った時はがっかりしました。友人夫婦が2人休めるのは水曜日だけなので次回ということにします。
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2人ともこの店構えを見てがっかりしていました。後ろから「今日は休みですよ。」と言われて振り返るとお店のスタッフのような方に声を掛けられました。内装は杉本博司のようですが、造園はどなたなのか…。
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もともとは、岩波文庫の創刊にたずさわった小林冬青の旧宅「冬青庵」を鎌倉より移築したそうです。垣根は竹箒が逆さまに組み込まれているので、帰れと言われているような気になってしまいます。
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秋に裂く桜は数種類ありますが、アーコレードという種類のようでした。アーコレードはイギリスで作出され、日本へと帰ってきた珍しい桜です。作出地のイギリスでは春にしか開花しないそうですが、日本の気候では秋咲きになります。
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念願の「清春芸術村」に到着しました。元々は小学校の敷地だったので、校門を潜って敷地に入ります。「清春芸術村」及び「清春白樺美術館」は武者小路実篤や志賀直哉を始めとする白樺派同人による美術館構想を親交のあった吉井画廊社長であった吉井長三が私財を投じて実現したものです。
清春白樺美術館 美術館・博物館
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正面にある「ラ・リューシュ」の一角がここのチケット売り場になります。1人1,500円というお値段です。オシップ・ザッキンの「メッセンジャー」という作品が出迎えてくれます。ロシア出身でフランスで活躍した彫刻家で、1909年パリに渡り1910年から1911年までパリモンパルナスにある「ラ・リューシュ」の3階に住んでいました。
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後の建物はその「ラ・リューシュ」を設計図を基に再現したものなので、この像がある意味が分かります。「メッセンジャー」は「波はたてども船は沈まず」というフランスの守護神を表わしたブロンズ像です。1937年に制作された木彫像を鋳造し、刃痕によって得られる形跡の効果を生かしました。パリ市の紋章にも「Fluctuat nec mergitur(波はたてども船は沈まず)」と書かれてあります。
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モンマルトルに存在した「洗濯船」は有名ですが、この「ラ・リューシュ」にも有名な作家がアトリエを構えていたようです。「ラ・リューシュ」の意味はハチの巣ですが、建物の構造を考えるとなるほどと思えます。
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「ラ・リューシュ」はもともと1900年のパリ万国博覧会の際にギュスターヴ・エッフェルがヴォージラール屠殺場の近くにボルドー・ワイン館として設計したものでしたが、1902年に彫刻家アルフレッド・ブーシェがこれを買い取り、周囲にアトリエを増築し、欧州各国からやってきた貧しい画家や彫刻家らに提供しました。
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「ラ・リューシュ」に部屋を借りていた芸術家はほとんどが貧しい外国人で、特に1910年代にはソヴィエトや中東欧での弾圧を逃れてきた若いユダヤ人が多く、「貧乏人のヴィラ・メディチ」と呼ばれ、マルク・シャガール 、モイズ・キスリング、フェルナン・レジェ、オシップ・ザッキン などがいたそうです。
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さらにかかわったアーティストとして、マリー・ローランサン 、アメデオ・モディリアーニ 、コンスタンティン・ブランクーシ、ギヨーム・アポリネール、藤田嗣治なども拠点として活動していたそうです。
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老朽化により取り壊しが決定された際に吉井長三が買い取り、日本に移築しようとしたところ事態は変わりパリでの保存が決定します。そこで設計図を買いとり、まったく同じものを1981年にこの地に再現されました。
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1989年のエッフェル塔完成100周年を迎えた際に、フランスから清春芸術村に移設されたエッフェル塔の一部です。隣に立っているのは現代美術家セザールによるエッフェルの像です。
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セザール・バルダッチーニというと自動車をプレス機で圧縮した彫刻作品が頭に浮かんできませんが、このような作品も作っていたと知りました。
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オートマタのようなその姿を見ていると、映画「ヒューゴの不思議な発明」に出て来るジョルジュ・メリエスの姿に重なって見えてしまいます。
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エッフェル塔の下にある胸像と見比べてみると確かに顔は似ているようです。
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本物のエッフェル塔の一部だと思うと懐かしさといとおしさを感じてきます。
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「ラ・リューシュ」とザッキン、その彫刻とパリ市の紋章の意味とデザイン、エッフェルと彼の設計した「ラ・リューシュ」という謎謎なような様なものを解きほどいて行くような楽しさを感じます。
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なるほど「ラ・リューシュ」がハチの巣という名前なのがよく分かる姿です。周囲の芝生が青々とした季節に来ることが出来てよかったと思います。写真には写っていませんが自動芝刈り機がこの芝生の上を行ったり来たりしていました。夜になるとこのエッフェル像が動き出して周囲の小枝を拾って垣根にしているような気がします。
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芝生の奥には2006年に完成した建築史家の藤森照信の設計による茶室「徹(てつ)」がありました。茶室を支える檜は清春芸術村に植わっていた樹齢80年の檜を使い、建設にあたっては縄文建築団のメンバーや赤瀬川源平、南伸坊、林丈二らが協力したそうです。高さは地上約4メートルで室内は1.7坪しかないそうです。
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20世紀少年少女がこれを見るとゲゲゲの鬼太郎の家にしか見えません。藤森照信は赤瀬川源平の自宅である「ニラハウス」も設計しています。長野県の茅野市には高さ6メートルの木の幹の上にポツンと建つ茶室の「高過庵」、ワイヤーで宙に吊るされた「空飛ぶ泥舟」、竪穴式建築のように半分地中に埋まった「低過庵」があります。
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よく見ると窓は引き戸になっていてオープンに出来るようです、さらに折り畳み式の縁もあるようです。
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茶室に入るにはハシゴを掛けて、床下にある躙り口からアプローチするようです。
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もう1つの床から飛び出た部分に炉が切ってあるのだと思います。実際に必要ではないと思いますが、炉の上には煙突までついています。
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入場してからずいぶん経ちますがこの庭にいるのは我々4人と3台の芝刈り機だけです。
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石焼きサウナの様な小屋がありました。パンフレットに表記が無いので妻が「これ名に?」というので「サウナ」と答えましたが、本当にサウナのようなので、ロウリュウしたくなります。
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「HOKUTO ART PROGRAM」で建築家の谷尻誠が設計したサウナのようです。
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脇には水風呂らしきものが置かれてありましたので実際に使えるのでしょう。
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「光の美術館」は2011年に安藤忠雄の設計により建てられた自然光のみの美術館です。一切の人口照明がない展示室では四季や天気、そして昇りまた沈む陽の動きによって刻一刻と変化する光の中に身をおくことができます。
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安藤忠雄らしい美しいコンクリート面です。芝生の中から突然生えているように見えます。
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妻も友人たちも面白がってくれているので良かったです。しかし天気が良くて助かりました。雨が降っていたら芝生の上なんて歩きたくないですから。
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スケール代わりに妻を一緒に撮っておきます。建物の小ささに驚きますが、内部に入ると狭さは全く感じません。
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自動芝刈り機はどこかへ行ってしまいました。
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「光の美術館」に入ってみます。入口の正面にはカウンターが設けてありますが、係員の方はいらっしゃいません。カウンター上の浮いたコンクリートの梁が美しいです。
光の美術館 美術館・博物館
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右に回り込むと細い通路になりますが、ここも展示室なのでしょうか。
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討ちっぱなしのコンクリートも美しいですが、手摺の美しさも際立っています。
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天井のスリットの幅と階段の幅は合致しているようです。太陽が真上に来るとこの階段だけに太陽光線が当たる日が1年に1度あるのではないでしょうか。マヤの遺跡の中にいるような気分です。
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1階にはキャンバスが真っ黒に塗られた作品が1枚、2回にはこの作品が1枚飾られていました。建物を見に来ているので作品についてはあまり気になりませんでした。
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この建物には照明器具が全くありませんが、床には仮設の蛍光管が置かれてあります。どなたかのインスタレーションなんでしょうか。
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手摺りに付けられた誘導灯の位置だと逃げられないような気がします。
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天井から差し込む光線と影がこの美術館の展示作品なのだと感じます。
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この影が階段と合致する時を見てみたいです。そして階段のステップの滑り止めのステンレスをどのように埋め込んだのか知りたいです。
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トイレの中には照明器具がありました。この建物を夜間に使うことはあるのでしょうか。それでなければ照明は必要なさそうですが。
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コンセントも無かった気がします。2階のインスタレーションもバッテリーが置かれてありました。
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エントランスのコンクリートのキャノピーの厚みでよくこの長さが支えられると思います。
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シンプルな建物ですが、コンクリートの下地の鉄筋や、コンクルートを打設する時の型枠や、手摺や沓摺をどのように埋め込んだのかを考えるとすごい建築だと思います。
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芝生越しに甲斐駒ヶ岳や連なる山々が見えました。雲の流れが速くて幻想的でした。
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清春白樺美術館に移ります。武者小路実篤や志賀直哉など白樺派の作家たちの夢を吉井長三が、1983年谷口吉生氏の設計によりついに完成させた美術館です 。白樺派が愛したルオーの作品をはじめ、東山魁夷や梅原龍三郎、岸田劉生、バーナード・リーチ、中川一政、また白樺派関係の書簡や原稿、さらに雑誌「白樺」の創刊号から最終号まで、白樺派にまつわるあらゆるものを展示してあります。
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白樺派のきっかけは明治40年の1907年に藤沢町鵠沼の旅館東屋で武者小路実篤と志賀直哉が発刊を話し合ったことだと志賀が日記に書き残しているそうです。学習院の学生で顔見知りの十数人が1908年から月2円を拠出し、明治43年の1910年の春の刊行を期して雑誌刊行の準備を整えました。同窓や同年代の作家がまとまって出現したこのような例は、後にも先にも白樺以外にはありません。
清春白樺美術館 美術館・博物館
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周囲には白樺の木が植えられているわけです。白樺派の主な同人には、作家では志賀直哉、有島武郎、正親町公和、園池公致、木下利玄、里見弴、郡虎彦、長與善郎の他、美術家では柳宗悦、有島生馬、白樺の創刊号の装幀も手がけた美術史家の児島喜久雄らがいます。
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彼らの活動は同時代の文学者や美術家に大きな影響を与えており、作家では千家元麿、高村光太郎、倉田百三、尾崎喜八、犬養健、美術家では岸田劉生、中川一政、梅原龍三郎、椿貞雄、バーナード・リーチなど、その理念に共鳴して同人との親交を深め、白樺に寄稿した者も少なくなかったようで、広義には彼らを含めて白樺派と呼ばれます。
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我孫子市にある手賀沼の北岸は明治の終わり当時は農村地帯でしたが、我孫子駅の開業で東京から交通の便が良くなり、別荘地として人気が出つつありました。柳宗悦と柳兼子夫妻が大正3年の1914年4月、宗悦の叔父である柔道家の嘉納治五郎の別荘向かいに引っ越し、庭にあった3本の椎にちなんで嘉納が「三樹荘」と命名します。柳夫妻に誘われる形で「白樺」同人達が続き、志賀直哉夫妻は大正4年の1915年に移り住すみます。
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さらに大正5年の1916年には武者小路実篤実篤も居を構え、彼らとの交流から大正6年の1917年には英国人陶芸家バーナード・リーチが三樹荘裏に窯を築きます。この日一緒に「清春芸術村」を訪ねた友人夫婦の奥さんが幼稚園からの友人なのですが、彼女のおじいさんが我孫子在住の大工さんで、バーナード・リーチの依頼で「三本足の椅子」を作り、その椅子は現在も我孫子の「旧村川別荘」に展示されています。
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美術館の内部は残念ながら写真撮影は出来ません。梅原龍三郎の描いた高峰秀子の肖像や、志賀直哉の自画像など素晴らしいものがたくさんありました。説明文が少ないのにはちょっと戸惑います。バーナード・リーチの陶器を見ていると、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館にリーチの作品がたくさん展示してあり、訳もなく誇らしく思ったことを思い出しました。
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ルオー礼拝堂の見学に移ります。この建物の建築設計は「白樺美術館」と同じく谷口吉生です。上野の国立博物館法隆寺宝物館の建物を初めて見た時は強烈な印象を受けました。
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ここを見てしまうと見学も終わりなのでもったいない気もします。安藤忠雄のコンクリートの建物も素晴らしいですが、谷口吉生の作品も素晴らしいです。
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内部もコンクリート打ち放しの空間です。ドームに状になった天井だけが白い漆喰のような柔らかさを感じます。カトリックの教会というよりは北欧にあるプロテスタント教会を連想させます。奥の曲面の壁に十字架が置かれ、説教壇が置かれただけのシンプルなデザインです。
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祭壇背後の17世紀のキリスト像は、ルオー自身が制作し彩色したもので、ルオーの次女イザベル・ルオーから吉井長三に贈られたことをきっかけにこの礼拝堂が造られたそうです。
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壁にはルオーの版画が掛けられています。教会なのか美術館なのか”境界”が曖昧に思えてきます。ルオーの版画集「MISERERE /ミセレーレ(ラテン語で「あわれみたまえ」という意味)」の作品の中の10枚が展示してあるようです。ルオーの集大成ともいえるこの版画集は、ルオーが41歳から56歳に至るまでの15年間に制作され、58枚の銅版画はルオーの精神の強さが伝わって来るようです。
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ルオーは14歳の時にステンドグラス職人エミール・イルシュに弟子入りします。後年のルオーの画風の特に黒く骨太に描かれた輪郭線には明かにステンドグラスの影響と思われます。ルオーは修業のかたわら装飾美術学校の夜学にも通い、1890年には本格的に画家を志し、エコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入学してここでマティスらと知り合います。
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エコール・デ・ボザールでルオーやマティスらの指導にあたっていたのは象徴派の巨匠ギュスターヴ・モローでした。教師としてのモローは自己の作風や主義を生徒に押し付けることなく、ルオーとマティスというモローとは全く資質の異なる2人の巨匠の個性と才能を巧みに引き出したわけです。
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「死者よ起きて!」54
ルオーは終生モローへの敬愛の念が篤く、1903年にはモローの邸宅である「ギュスターヴ・モロー美術館」の初代館長となっています。この美術館は作品も建物も素晴らしかったです。
モロー美術館:https://4travel.jp/travelogue/10624901 -
「廃墟すら滅びたり」34
GUERREはフランス語で戦争の意味です。ミセレーレはルオーの父の死によって描かれ始めますが、第1次世界大戦と時代は重なっていきます。 -
「主よ、あなたです、わたしはあなたを認めます」32
夫婦共通の友人がパナソニックに勤めているので、どうしても観たい展覧会があるとチケットをお願いしています。「モローとルオー 聖なるものの継承と変容」は見ごたえがあったことを思い出しました。 -
「イエスは辱められ…」2
作品のいくつかは新約聖書などを題材にしているのが分かります。エルサレムで捕らわれたイエスがユダヤ人から愚弄されたりさまざまな辱めや暴力を受ける「キリストの嘲弄」の一場面ですが、周囲には誰もいませんし、十字架も描かれていません。それでもゴルゴだの丘へ向かっているイエスの姿だと感じ取れるのが不思議です。 -
「忘れ去られた十字架のイエスの下で」20
これまで磔刑図はいくつも見てきましたが、ここにも嘆き悲しむ聖母マリアやマグダラのマリア、弟子たちの姿はありません。やっぱり、死ぬときは1人なんだなぁと考えさせられてしまいます。 -
「盲人も、時には目明き慰めた」55
新約聖書「マタイによる福音書 15章14節」が主題となった「盲人の寓話」を思い出してしまいます。盲人が同じ盲人を導くことで両者共に穴へ堕落するという寓話ですが、ここでは真逆の奥深い含みがあるようです。 -
「ランスの微笑みからほど遠く」51
ランス大聖堂には微笑みの天使と呼ばれる像がありますが、このカトリックの司教帽ミトラを被った男が描かれています。聖職者の在り方を非難したタイトルだと感じます。 -
「世の中のことからは涙を誘うものがある」27
父の死や第1次世界大戦の悲惨な現実を長き悲しむルオーの心が読み取れそうな作品です。 -
「これが最後だよ、おじいさん。」36
これは臨終前のおじいさんに孫が最後の挨拶をしている場面のようです。横に建つ骸骨は死神を表しているのでしょう。常に死が隣り合わせだった時代だったのでしょうね。 -
「神よ、われを憐れみたまえ、あなたのおおいなる慈によって」1
ルオーは熱心なカトリックの信者でした。熾天使(してんし)の下で祈る姿はキリストのようにもルオー自身にも見えてきます。 -
このMISEREREと描かれた作品が55枚のうちの1枚目のようです。ルオーでも版画であれば手に入れられるだろうかと考えてしまいます。
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コンクリートの空間には木製の椅子や説教壇、そしてパイプオルガンも良く似合います。この空間でのパイプオルガンの音色はどんなだろうかと想像してしまいます。
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表からは順光なのでその美しさは感じられなかったステンドグラスも、逆光の光の下で見るととても美しいです。ルオーの画家としての遍歴の最初にステンドグラス職人の元で修業したということを感じられる作品です。
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この礼拝堂の中で祭壇の十字架とこのステンドグラスにだけ鮮やかな色が使われています。
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詳しいことは分かりませんが、入り口の扉もどこかの古い教会から外して持ってきたような風格を感じます。通常観音開きで扉は2枚になりそうですが、この礼拝堂の大きさでは1枚にしたのでしょうか。
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作者の高田博厚は第2次世界大戦前から戦後までをフランスで新聞記者として過ごした彫刻家で、ロマン・ロランやアラン(哲学者)、ポール・シニャック、ジョルジュ・ルオーをはじめとするヨーロッパの優れた知識階層と交流があったようです。
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高田は石川県七尾の中学を卒業して東京へ移り、年長の高村光太郎、岸田劉生、中川一政らと次々に知り合います。高田の自画像を岸田劉生に見せた際に、傍らにあった麗子像を見て実力差を感じ絵画は諦めます。東京外国語学校イタリア語科に入学しますが、すでに翻訳が出来るほどイタリア語に通じていたため、大学に通わず出席時間不足で落第して退学します。尾崎喜八の勧めで「ミケランジェロの書簡」を訳出し「白樺」誌上に掲載します。
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「白樺美術館」のセンターラインの延長に「ラ・リューシュ」があるのだと気が付きました。本当はここを水が流れるのでしょうが、枯れているのも良いなと思えました。ここからの眺めを見ていると毛綱毅曠(もづなきこう)という建築家のことを思い出しました。「釧路フィッシャーマンズワーフ」に隣接するエッグの水路や「釧路市湿原展望資料館」や「釧路市立博物館」を連想させるものがあったのかもしれません。この地にも毛綱の好きな風水上の仕掛けがあるような気がします。
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そしてお昼を食べようと思っていた「オーガニックレストラン ラ・パレット」に向かってみました。
ラ・パレット グルメ・レストラン
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ところがお休みでした。隣接していた「素透撫 STOVE」と同じ経営だとすると臨時休業だったのかもしれません。
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このレストランはセカンド・アイディアだったのであまり悔しくはありませんが、改めて「翁」でお腹いっぱいに蕎麦を食べておいて良かったと思います。
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パリのヴァンドーム広場からオペラへ延びる”ぺ通り”の標識がありました。ここにも白樺派に関わる謎が秘められているのかと思いましたが、通りを思い出してみても何も浮かんできません。
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雰囲気の良い店内の客席も良さそうですが、表のテラス席もなかなか良いです。
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テラス席の近くにはバーカウンターもあって雰囲気も良さそうです。夜も営業しているのでしょうか?
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岡本太郎の彫刻「無題」が置かれてありました。岡本太郎とこの「清春芸術村」との接点はパリだと思いますが、その先までは思いつきませんでした。まさか縄文で繋がってはいないと思います。
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しばらくゲゲゲの鬼太郎がカラスヘリコプターに乗って帰ってこないだろうかと空を見上げていました。
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螺旋階段を登ったらどこか違う次元に行けそうです。レオナルド・ダ・ヴィンチ終焉の地「クロ・リュセ城」にはダヴィンチの設計した機械の原寸の模型がありましたが、螺旋階段を眺めていたらその時の旅を思い出しました。
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最後に出口近くにある「白樺図書館」の外観も見ていきます。雑誌「白樺」の復刊版や、白樺派ゆかりの作家による文学ならびに美術書を中心に揃えた図書館ですが中を見ることは出来ません。図書館長は谷川俊太郎ということです。
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「白樺図書館」前のオブジェはフランスの画家ジャック・ヤンケルの作品です。彼はモンパルナスの集合アトリエ「ラ・リューシュ」で暮らしたアーティストでした。
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全てのものが白樺派だったりパリに繋がる仕掛けがありますが、そのような説明は全くないのである程度の知識を持って行かないと面白みに欠けるかもしれません。
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敷地の中にはここが小学校の敷地だったことを感じるものも残されています。清春芸術村の建つ場所にはかつて清春小学校があり、大正15年4月から昭和50年3月までの50年間清春地区の児童生徒はここで学んだそうです。敷地内に桜の木が多いのはその名残だと感じました。
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入るときには見落としていましたが、古いシトロエンが停まっていました。中にはイーゼルが置かれています。説明文には梅原龍三郎や奥村土牛が実際に使っていたとあります。
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三方をガラス張りに改造し、好きな所に車を停めて中から絵が描ける日本で初めての移動アトリエ車だったそうです。
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シトロエン・Hバンはシトロエンが1947年から1981年まで製造販売していた貨物自動車です。こういった味のある車は減ってしまったと思います。
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最後に買い求めた絵葉書を投函して「中村キース・へリング美術館」に向かいます。
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